2023-05-19

クリエイター無罪論


最近の「クリエイター作品は別」という風潮に違和感を覚えているのでぶち撒ける。作品だけじゃなくてクリエイターも守らなきゃならんだろ、と。

消えたクリエイター

俺にはイラストレーター友達がいる。彼を仮にAと呼ぶ。

俺とAは大学サークル時代から友達だ。

Aはサークルでも頭一つ、いや二つも三つも抜きん出ていたが、ツイッターでもPIXIVでもどんどんフォロワー数は増えていった。

からAが就活をせず、イラストレーターとして食べると宣言した時は誰も心配や反対なんてせず、むしろ当然だと思った。

卒業後もTwitterで常時繋がってたが、同人誌即売会リアル同窓会になり、会うたびにAの絵の上達や仕事を讃えた。

Aも新刊を出すたびにサインイラストを描いてくれた。

ある時、AのTwitter更新が止まった。

夏になっても毎年恒例の新刊案内も出さず、もちろん当日スペースに行っても誰も座っていない。

失踪したのだ。

でも、俺はこの時大して心配していなかった。

おおかたAのことだからどこかの企業から声がかかって商業作品に関わっているだけだろうと思った。

そういう話をAに会った時に聞いていたからだ。

でもその年の冬、翌年の夏も、Aは申し込みすらしなかったようでどこにも見つけられなかった。

さすがにこの頃には心配になったが、俺にも仕事があるからプライベートでAを探すなんてことはしなかった。

ある日、元サークル仲間のBとfpsをしていた時、突然Aのことを思い出して「そういえばAって今なにしてるの」とVCで聞いてみた。すると、Bは

あい強盗刑務所に入ったままじゃん」

「…………は?」

人間は本当に驚いた時は文字通り絶句するのだ。

詳しく聞いてみると

・来なかった夏の直前に飲食店強盗に入った(新刊印刷代を稼ぐためじゃないかとBは言っていた)

ナイフ店員怪我させた

店員示談しなかった

・Aは実刑になった

・今も刑務所にいる

・どこの刑務所かは知らない

ということだった。

クリエイターを守ることはより大きな可能性を守ること

たぶんAはいまだに刑務所にいる。

ここ数年漫画家とかイラストレーター逮捕されるたびにAを思い出して胸が締めつけられる。

Aは捕まらなかったら今頃何かのゲームを任され人気のイラストレーターになっていたのは間違いない。

きっと何万、何十万人の人に感動を与えて救っていただろうと思う。

そんな才能を刑務所に送ることが本当に社会利益になるのだろうか。

昔の文豪芸術家には今だったら捕まってるようなエピソードが多くある。

それでも彼らは捕まらなかったからこそ、歴史に残る作品を送り出し、今なお世界中の人々を感動させ続けている。

創作無限可能性に賭けることこそクリエイター尊敬文化を守る社会ではないのか。

昨今、クリエイター不祥事を起こすたびに仕事を下したり自粛させたりするキャンセルカルチャー問題になっている。

無論、不祥事がどのようなものであれ、キャンセルは単なる文化破壊であり、絶対に許してはならない。作品には何の罪もない。

キャンセルを推進してる連中の取り締まり国家安全保障上何よりも喫緊課題であると思う。

しかし、俺はクリエイター側に立つ人間クリエイター背中から撃っていることを憂慮している。

彼らはいう。「作品に罪はない。でも犯罪犯罪から罰されないといけない」と。

このような意見作品を産み出しているのはクリエイターであるという至極当然のことを理解していない。

当たり前だが、逮捕されたり刑務所に入れられたりすれば物理的に創作邪魔される。

また彼らはいう。「被害者のことも考えろ」。

俺はあえて言いたい。本質的トロッコ問題と同じなのだと。

被害者可能性に賭けるか、創作可能性に賭けるか。

そして、クリエイターの側に賭けることこそ、クリエイター尊重するということではないのだろうか。

作品を守ってもクリエイターを守らないならその後の可能性は閉ざされ、まだ見ぬ作品は守れないのと何ら変わらない。

Aの才能が込められた本を見るたびに、日本クリエイターもっと尊重されていれば今も活躍してたのだろうと悲しくなる。

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