はてなキーワード: 戦争映画とは
政治と宗教を混同した法治国家を否定するいくつかの政党、政治家は粛清される。
(少なくともフランスにおいてはカルト団体として認識されている)
も同様に粛清される。
今自民党がやろうとしている改憲は中途半端に日本を中国のようにしようという目論見であるが、
初戦は付け焼き刃であり、中国四千年の歴史ある中央集権、独裁によるスピードには敵わないのである。
スピード「感」というのは、それはやってる感を演出している、というニュアンスを含んでいる。
しかもそれは言葉に留まらず、武力的な挑発、核戦争さえも辞さない覚悟である。
なぜ核戦争も辞さないと断言できるのか、といえばベトナム戦争である。
ベトナム戦争は北側のゲリラ戦法が勝利のカギとなった、というのはウソである。
本当は中国、ソ連が、アメリカが敗北を認め、ベトナムから撤退しなければ、
北アメリカ大陸への核攻撃を辞さない、という姿勢を明確に示したからである。
いわばアメリカは中ソにビビってしまい、戦争を終結させる妥協点を見出そうとしたが、
それさえも迷走してしまい、いわば外交の失敗でアメリカは中国に敗北した。
その間にベトナム現地における戦争の方向性がまったく放置されたため、
いわゆる戦争映画の多くに見られるような混乱した状態が続いたわけである。
アソウイシハラは口が達者なだけだが、
中国、ロシア政府は自国の利益のためなら核戦争に臆することはない。
例えば中国で自転車レンタルサービスが起業されても大失敗してしまい、
廃棄されたレンタル自転車が山になっている写真が日本で笑いものにされるが、
こういった大量生産大量消費のスタイルは高度経済成長時代の日本に見られたものと同様であり、
そもそも中国経済は実質的には国がコントロール経済であって、破綻はありえないのである。
日本ではもう20年近く中国経済は破綻する、不動産市場が崩壊するという論が唱えられてきたが、
一向にその兆しはないように思われる。
例えば洗濯機が1年で故障したとしても、保証期間内にクレームを入れれば新品と交換である。
畳と女房だけでなく、あらゆる製品は修理ではなく交換が基本である。
もしくはそもそも製品自体が安価なのだから買い替えた方がコスパも良いのである。
こういったスタイルはそもそもApple製品なんかでは常識ではないだろうか。
iFixItを挙げるまでもなく、
分解や修理する権利というものを破壊するというイノベーションをAppleは発明した。
私はかなり昔、Intel iMacを使用していたが、修理しようと分解してみれば、
中には大量の両面テープが使われており、ネジやはめ込みを使うべき箇所でさえ接着剤を厭わない。
こういったAppleのようなナウでイマいヤングにバカウケの設計スタイルは中国では当たり前である。
分解、修理できない洗濯機だろうが、安価であれば買い換えればいいのである。
そして、大量に廃棄された製品は廃棄処理場で、
貧困層や少数民族、黒人が有毒物質まみれで分解してくれるのである。
これにより都市鉱脈とも表現される金などは再利用されるのである。
そもそもエコというのはコストがかかるものであり、それは奴隷によってしか実現できないのである。
誰かがババを引かなければ実現できないのが世の常である。
ただ、AVのストーリーが警察の不正を暴くとか、国の政治に批判的な内容を含んでるとか、そういうのはアウト。
ところで、自民党も政治批判をネットに書いたら削除する権限を欲しているんだけど、
これって中国政府とまったく同じだよね。
自民党を応援する人は、もっと強力な中国政府を応援するべきだよね。
親学とか、お父さんお母さんを大切にしよう、みたいな教育は賞賛さえされるよ!
天皇はアウトだけど。
平等だね。
中国にはシリコンバレーが失った一攫千金の夢がまだあるんだよね。
そして、思い付きから高品質のプロトタイプ、投資家からの資金獲得、
書くのが面倒なので色々あって、量産、出荷までの過程がすべて一つの都市に集約されてる。
こんな技術者、製造業にとって夢のようなディズニーランドは世界のどこにもない。
なんか書くのが面倒になってきたぞ!
貧困層を犠牲にしてでも、少数民族を犠牲にしてでもロケットを飛ばすぞ!
フォン・ブラウンやロックスミスが大好きなら中国政府を支持するよね。
ぼくは少なくとも科学技術を最重要視する姿勢は中国を支持する。
自民党の政治家や党員でさえ疑似科学にどっぷりハマってる人が多い昨今だからね。
なんか核の疲れてきた。
この後に中国政府を指示しない方がいい10の理由を書くというネタだったはずなのだけど、
なんか最近疲れやすいし、ほんとに自分も遂にコロナに感染したのかもしれない。
コロナ太りしすぎたし、歯槽膿漏の出血は酷いし、身体中に蕁麻疹ができることがあったり、
皮膚症状もコロナではあるらしいし、しもやけに似た症状とか全部血管に関する異常なんだよね。
失職したのでお金が尽きたら役所に行くなどして無償でフードを提供してもらえると助かるのだけど、
まあ、日本は福祉があるようでなかったりする国だから仕方がないよね。
障害者の雇用とか待遇とか、酷いからもうイヤになってたところではある。
最長6年以内に台湾やフィリピンと中国が戦争するというのがアメリカ側の主張だし、
自分もそんな感じで見積もっていたので、意見が合致して寧ろちょっと自分で戸惑っていたのだけど、
まあ、俺より遥かに頭が良くて高給なアメリカ人でも、俺と同じぐらいの時間感覚だったんだ、
と思ったりもして、昨今の日本の政治のアホさ加減にウンザリしてたので、
コロナで早死には上等な気もするんだよな。
死ねば社会的責任とか長男長女の責任とか、この国の抑圧的な価値観からも解放されるわけで、
それはそれで願ったり叶ったりなんだよな。
日本人は外国に長く住んでも必ず帰国する、みたいな話を何かの折に読んだが、
まあ、実際には旅先で帰化して日本に帰らない人というのも普通にいるわけだし、「華僑などと比べるとそういう傾向が強い」というだけの話ではあるのだろう。
ただ、実在の人物であれ物語上のキャラであれ、「帰れなかったキャラ」というのは、一種の悲哀や寂寞の念があって印象深い。
実在の人物だと、阿倍仲麻呂(帰国しようとしたけど嵐でベトナムに漂着)とか、大黒屋光太夫の仲間の新蔵や庄蔵(正教に改宗していたので、帰国不可)。
物語上のキャラだと(あ、古い作品だけど一応ネタバレ注意ね)漂流教室の主人公とか、エデンの檻のキャラとか、今そこにいる僕のサラとか、ドラクエ3の主人公とか。
逆に、帰れなかったキャラがいるなかで、かろうじて帰れたキャラというのもそれはそれで味わい深い。
漂流教室のユウちゃんとか、今そこにいる僕の主人公とか。初代ペルソナのセベク編バッドエンドとか。さらば宇宙戦艦ヤマトとか(さらばの方を正史として推したいのは、この物寂しさがあるからである)。実在の人物だと、大空のサムライの坂井三郎とか。
サバイバーズ・ギルトみたいなのが凄そうな感があり、全員帰れた場合に完全にハッピーエンドになるのとは、まったく違う後日譚が想像できて良い。
ゲート(自衛隊のやつ)は、帰れなかった人たちが多すぎたせいで、あんまり悲劇的な感じがしないのが惜しかった。
全員帰れたパターンというのは、彼方のアストラとか、ナルニア国物語(最終的には1人除いて全員帰らぬ人になったけど)とか、大長編ドラえもんとかである。
主人公一人だけが漂流するケースだと、全員帰れるか全員帰れないかの2択なので、運命の明暗が分かれず、あまり余韻がない。ロビンソン・クルーソーとかゼロの使い魔みたいな感じである。
火魅子伝(ゲーム)なんかは選択肢次第でどっちもできるが、なんというか、あっさり終わらせ過ぎていて余韻がないのが良くなかった。
「何人か死んで、生き残ったキャラが日常に帰る」というパターンもなかなか良いが、取り残されたキャラに思いを馳せる事がないので、寂寞だけがあり余韻に違いがある。
時空転抄ナスカとか。ベトナム戦争や第二次大戦の戦争映画はこのパターンが目白押しなので、割と好きである。
昨今、クラス丸ごと異世界転生とか何作品もあって、大抵途中エタってしまうわけだが、
ここはぜひとも最後まで書いて「何人か帰れて、何人か帰れない」というパターンを見せてほしい。
でも主人公は大抵ハーレムを作ってしまって帰国すると問題がありそうなので、「帰れたのは主人公以外」みたいなパターンが多くなりそうではある。
アメリカではすでに性別・年齢・家庭・出自を面接で尋ねるのは法律違反らしいぜ
この先にあるのってなに?真の男女平等?
Amazon.co.jp: スターシップ・トゥルーパーズ (吹替版)を観る | Prime Video https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BA-%E5%90%B9%E6%9B%BF%E7%89%88-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E4%B8%AD/dp/B00EWDEGQU
この映画を思い出します。虫の惑星で戦う戦争映画です。男女平等なのでみんな同じ場所で着替えます。男女ともおっぱい丸出しです。
こういうのが男女平等だと思います。トイレも同じですよね。銭湯なども同じ。
これが理想なんでしょうか。
いつもここで思考停止になるんですよね。この映画みたいなのがいいの?本当に?
この手の運動を推奨するひとはこうではないちがう世界を目指しているような気がしてしょうがないんだけど。それは「平等」ではないなにかだよな。
ま、こういうところで素直な回答が出るわけないしもっと難しいことなんでしょうが、ちゃんとした回答は用意しておいてほしいなと思います。
恋愛下手くそすぎるのでアドバイスください。初投稿です。ところどころ偽情報混ぜてます。
結論:
①好きな男のことが「好きだ!」と思って発作的に行動するのを辞められるのか。
②顔面•雰囲気が好きだけど、話はつまらん男に時間をかけるのはどれくらい非合理的なのか客観的な意見がほしい。
【自己分析】
どこに行っても「あなたはどこでも生きていける」と言われるタイプ。
ネットで性格診断すると、魔王とかジャイアンとか知能のある熊とかになってしまう。多分それで就活難航した。
色んな人とおしゃべりして意見を交換したり議論することが大好きなのに、無意識の断定口調や語尾のせいで引かれてしまうことが多々。人の心の機微を読み取るのがとても苦手で、愚痴を聞かされても「そんなことお金で今すぐ解決できる」「そんなに辛いなら今すぐ会社を辞めるか上司に異動の相談をした方がいい」とデリカシーのない言葉を口走ってしまう。
趣味:世界史の解説本を読む、国際政治の解説記事や動画を見る、戦争映画•アニメ鑑賞
【ことの経緯】
高校卒業まで、恋愛は時間•金銭の浪費で馬鹿がやることだと思っていた。高校のうちは勉強したり部活で努力することが、将来の仕事に役立つと思っていた。バイトも恋愛も大学生になってからやることが順当だと思っていた。
大学入学後、ラブライブが好きな男がいたので私もラブライブが好きだと声をかけた。色々ラブライブの何が好きかと話をした。最初はラブライブの買い物についていくだけだったが、花火大会に行こうと言われた。暇だったので行ったら帰り道告白された。正直大して好きではなかったが、これも経験だと思い了承した。だが、男の私への好意と私から男への好意にあまりにもギャップがあった。人間関係を円滑にするために、好きだと言われても嘘でも好きと返した。嫌いではないから好きと言っても間違いではないと思った。しかし、だんだん男と過ごすのが億劫になった。どうして貴重な休日を潰して、恋愛的に好きでもない人間の日常の愚痴だとか高校の辛かったことなどを聞かなければならないのかと憤りさえ感じた。ので、デートの約束を反故し最終的に振った。
大学3年の晩秋、ゼミの仲間の伝手で男を紹介された。「お前の顔がタイプで興味あるんだって」と言われ、自分の顔面に興味を持ってくれる人がいることが嬉しかった。3回デートして付き合った。顔が好きならそうそう嫌われることはないし、前回の恋愛がクソだったので今度こそこのチャンスを生かして彼氏を好きになろうと思った。頑張った。だが、まただんだんと土日を潰してまで男の愚痴や身の上話を聞かされるのが辛くなった。一緒にすごす時間が面白くない。時間と金が浪費されると思ったし、「私は頑張って呼び捨てで名前呼んでるのになんであんたはいつまでも私をさん付けで呼ぶんだよ」と意味不明なキレ方をしていた。またデートを反故し音信不通になってしまった。
これ以降、彼氏は未だ出来ていない。
入社後、新人を集めて研修が3ヶ月続いた。長期の座学の合間に、社会人の精神だとかだるい講義があった。休憩の折、隣の同期にふざけて「友達に軽く言ってしまったことを帰ってから後悔したりする?」と話しかけた。すると同期の男はちょっと笑って「そんなのいっぱいあるよー」と返した。
その瞬間、好きだ!!!!と思った。大抵の人間はそう返答するだろうが、彼が言うとすごくか弱くてかわいいと思ってしまった。講義中はそれ以降動悸がおかしくなっていた。帰宅してからもその男のことを考えていた。今まで感じてこなかった「付き合いたい」という感情を初めて知覚した。
これは早いうちに手を打っておかないと後悔すると思ってその同期と仲良いやつに彼女の有無を確認した。彼女はいないようなので、例の同期にLINEでGW空いてるかどうか尋ねた。とても緊張した。「一緒にピカチュウの映画を観に行こうよ」と尋ねたら、OKしてくれた。すごく嬉しかった。約束してすぐに、名探偵ピカチュウのチケット2枚を買った。
今までの私は、デート場所の移動が面倒なので、家から行きやすい場所を設定していた。が、その日はわざわざ同期の住む最寄駅まで行った。路線の端から端まで乗ったので2時間近くかかったが、全然苦じゃなかった(大学の友人曰く、普段の私からは考えられない行動らしい)。映画は面白かったが、同期と二人で出かけているということが嬉しくてあまり内容を考察などはできなかった。映画が終わったあと、電気量販店を回ったり雑貨店を一緒に巡った。その後、二人でお茶をして談笑した。英字プリントされたシャツダサくてかわいいなーとか考えながら、色々話を聞いた。真面目で、誠実で、若干要領が悪そうな雰囲気だとか、初そうな見た目がとても私のツボだった。しかし、聞いているうちに話の中身があまりないなと思った。休日は金モザなどのアニメを観たりポケモンで遊んだり、平日の暇なときはソシャゲをしているそうだ。「他に興味のあることとか、趣味はないの?」と聞いても、特にないと返された。「俺、普通の人だよ」と言われたのが印象的だった。
普通だ、と言われたときに恐怖を感じた。いくら見た目や雰囲気が好きでもし付き合ったとしても、結局また「つまんない」と思ってフッてしまうかもしれないと思った。こんなに衝撃的に好きだ!!!と感じても、自分からフったり「お前とは話が合わない」と言われてフラれるのはきっと凄く辛い。
それからスケジュールの都合もつかずやりとりも減り、彼と会うことはなかった。
※その後他の男とデートしたりなどはしたが、好みではなかったので付き合ってない
例の同期とやりとりすることもなく、他の男との不発のデートにも飽きた翌3月。たまたまその同期と会社の発表会で同じ回に参加していた。自分はそいつへの「好きだ」という気持ちはもう覚めて、これからはただの同僚への感情しかないと思った。実際、座って出番を待っている彼の姿を見ても、動悸がおかしくなったりはしなかった。
だが、同期が壇上で喋っている姿を見て、私の目論見は完全に誤算だったと強く自覚した。
やっぱり好きだ!!!!と思った。喋ってるアホな例えとか姿がいちいち全部ツボだし、「マジ付き合いてぇ!!!」と思った。非常にかわいい。守りたいのにちょっと追い詰めたいという気持ちも出てしまうという、少々アレな心情だった。
どうしてももう一回会いたいと思ってまたLINEをしてしまった。しかし、彼からはやたら「忙しい」やら「休日出勤がやばい」だとか断られ続けた。会えないなら電話しようと声をかけても断られ続けた。いちいち返信する律儀なところはとても良いが、流石に断られすぎてイライラしてきた(自業自得である)。そんなに私に会いたくないのかよ畜生!と憤り、もう彼のことは考えないようにした。
例の同期の存在すら忘れていたこの頃、友人からそろそろ喪女を脱却しようとマッチングアプリを勧められた。ちゃんと恋愛したいし知らない人と会っておしゃべりしたいと思ったので、登録した。たくさん来る通知を捌きながら、ある男が目に止まった。写真を見た瞬間、「好きかも」と思った。早速LINEで会う約束をしてデートした。
Aと会った瞬間、ちょっとがっかりした。マッチングアプリではバストアップの写真しかないのが盲点だった。この男は背が小さく、声が小さく高かった。好みじゃないのだ。
しかし喋ってみるとなかなか趣味が合って楽しかった。第一、私のディープなアニメの話にもついてきてくれるのが凄い。Twitterのオタ垢でもそうそうない。芸術への造詣も深く、彼の話は非常に興味深かった。筋肉質なのも好印象だし、国家公務員キャリア組のエリートなのに全然驕ってない。出会いのない職場だそうで、女慣れしてなさそうな雰囲気だとか、ジョークのセンスはいまいちだったりはあったがそんなの大したことはない。もう少し背が高ければ、もう少し声が低かったら私にとって満点だったけど、でも超いいなと思った。
〈今〉
Aと付き合うのはアリかもな〜とふわふわしながら仕事をしていた最中、あるメールが目に止まった。なんでもないメールだったが、そこには社員の名前がズラッと並んでいた。
例の同期の名前が書いてあった。名前を見た瞬間、「好き!!!!会いたい!!!!」と思ってしまった。今マジでLINEしようか頭抱えてる。
ハードルだいぶ高かったけど、よくできてたわ
結構ライトなタッチと言うか、笑いのシーンが多かったのが印象的
全体の2/3はそういう軽いシーン
別に今更そういう雰囲気のアニメが登場してもウケないと思うんだけど、それを戦時下でやると意味合いがかなり変わるよね
構成としてはパニック映画で、しかもパニック映画の中でも冷笑的
今更第二次世界大戦をネタにするには丁度いい感じがする、「風立ちぬ」の後だから丁度いい感じ(風立ちぬ見てないけど)
あれは焦点が悲運な兄妹だったからな
セカイ系に近かったよね
普通のパニック映画だと、ミクロ(家族話)とマクロ(戦況)の話を交互にやるのが一般的だと思うけど
第二次世界大戦は日本人にとって今更すぎるからマクロ、つまり戦況の説明がバッサリカットされている
これによってだいぶミクロに焦点を当てられたと思う、パニック映画のミクロの話を2時間やった感じ
でも日本人は何日に何が起こるか分かってるから、平和な日常をやればやるほど落差に恐怖する
エンターテイメントとして非常に巧妙
戦争映画は散々作られただろうけど、ついにここまで来てしまったかという感じもする
これ以上擦られたら、もう辿り着く先はヒトラーいじり映画みたいなのしか残らないし、日本における第二次世界大戦ネタはもう終わりなんだなーと思わせる内容だった
それでいいのかもね
別物になるよ
大正生まれの祖父は、坊主頭でメガネをかけ、こけた頬に冷たい眼差しを持ち、いつも気難しそうな顔をしていた。息子である父から聞く話でも、私は祖父に対して怖いというイメージしか抱いていない。第一印象も第二印象も、とにかく怖い。祖父を評する言葉はそれ以外に無い。もっとも、祖父は私が生まれる7年前に亡くなっている。だから、私が見る祖父はいつも仏壇の脇に飾られた白黒写真のみであり、その気難しそうな佇まいを見るたびに幼心にピシッとした気分になり、怖い爺さんだなぁと思うだけだった。私にとって祖父は、無機質な写真のみで完結していた。
対照的に祖母はとても優しい人で、おっとりしたお婆ちゃんだった。私は末の孫だったこともあり、とにかく甘やかされていたので、特にそう思うことも多かった。祖父とは会ったこともないが、祖母とは長い時間を共にした。私は幼稚園に入る前、母が働いている間は朝から夕方まで祖母の家に預けられていたので、祖母とは二人きりの長い時間をゆったりまったり過ごしていた。かなり幼い頃の記憶だが、何故だかその日々のことは断片的によく覚えている。暴れん坊将軍と蒸し芋が大好きな未就園児だったので、祖母とは気が合い可愛がられた。
祖母は幼い頃の私にとって第二の母のような存在で、お話もたくさんしたけれど、既に亡くなっている祖父の遺影はインテリアのように飾らせているだけで、その人となりについては何一つ聞いたことがなかった。息子であるはずの父や叔父からも、祖父の話は聞いたことはほとんどない。思い出話も一つも聞いたことがない。祖父がどんな人かと聞いても「おっかねぇ(怖い)人だった」と返ってくるくらいだ。そんなこんなで、私が知る祖父像は極めて薄い。とても薄っぺらい。お前の爺さんだよと言われてもピンと来ることはなく、いつまで経っても白黒写真の遺影の人でしかなかった。
そんな祖父の遺影の脇には、立派な額に入れられた賞状が飾ってある。内容は、抑留生活を慰労し、銀杯を贈られたという内容で、すでに故人になっている祖父へ政府が贈ったものだ。戦後、日本には57万人以上もの人々がシベリアへ連れて行かれており、祖父もその一人であった。『祖父は戦争へ行き、シベリア抑留をされていた』たったそれだけの漠然とした事実が、私の中の祖父像を大きく占めていた。小さい頃から、「うちのじいさん、ロシアに連れてかれたんか」と単純に思っていた。どこからともなくの知識で、多くのシベリア抑留者がそうであるように「終戦時は満州にでもいて、捕まったんだろう。だが、どうにか生き延びて帰ってきた」と思っていた。
去年、祖母が97歳で亡くなった。50過ぎの時にヘビースモーカーが祟って肺癌で亡くなった祖父に反し、かなりの大往生である。そこで私は、葬式での親戚が口にした言葉で「祖母が嫁いだ翌日に、爺さんに赤紙が来た」と耳にした。おいおい、なんだそのタイミングは。ドラマかよ、と思った。そもそも祖父母はお見合い結婚だし、祖父は戦後も抑留され、長いこと家に帰って来なかったし、つまりそれが事実なら祖母は長々と見知らぬ姑と過ごしたことになる。しかも、ど田舎の山中にある村で、家業は農家という典型的な家だった。時代が時代とはいえ、婆ちゃんは肩身の狭い思いをしていたんだろなぁと可哀想に思った。
その頃から興味が沸いていたんだと思う。
遺影の中で怖いオーラを放っているだけの、実態の無い祖父像について。
私はどこからともなく『兵籍簿』の存在を知り、取り寄せたいと決意して、去年の8月15日、実家で終戦番組を見ながら父に話を切り出して頼んだ。兵籍簿の取り寄せは三等親まで可能で、孫の私でも可能だが、故人の息子にあたる父が取り寄せた方が、必要書類が少なく済むからだ。父は戦争映画などを見るのが好きな人だし、その手のものに興味があるタイプなので、あっさりOKしてくれた。断られたらどうしようと思っていたので、聞いた時はタイミングを見極めドキドキだった。
兵籍簿の取り寄せは案外簡単だ。やり方は調べればネットに載っている。うちの祖父は陸軍なので、県の恩給科に電話で問い合わせ、手続きを始めた。ちなみに、海軍だと厚生労働省になる。陸軍であれば『〇〇県 兵籍簿』あたりで調べれば、どこの県もやり方を導いてくれるだろう。発行に際して必要なものは、対象者が故人の場合は申請者との繋がりがわかるための除籍謄本と戸籍謄本といった、役所で簡単に発行してもらえる書類。あとは申し込み用紙を書いて郵送する。コピー代などで数百円かかるが、あまりにも簡単なので、もっと早く取り寄せればよかったと思った。
まぁ、取り寄せた所で、どうせ祖父はちょろっと満州にいて、そのままシベリアに連れてかれていたんだろう。祖父は誰にも戦時の話をしなかったので、家族の誰しもがそう思っていた。語らずに亡くなったがために、語るまでもない軍歴だったのかと、我々は思い込んでいたのかもしれない。みんなが祖父の戦争について知っていたのは、彼が『シベリア抑留されていた』たった一言の事実のみであるのだから。
当時の書類ということで、読み難く難解な旧字も多かったが、やはり同じ日本語なのでほとんどは解読可能だった。それもネットで調べられた。
読み解いてまず驚いたのが、祖父は1940年から43年2月まで、きっちり軍生活をしており、一度は満期除隊をしていたということだ。その時は主に満州で国境警備をしていたらしい。大きな作戦や戦闘に関わることなく、晴れて日本へ戻っていたのだ。もしかしたら亡き祖母は知っていたかもしれないが、祖父は息子たちへ語らずに亡くなったので、満期除隊をしていたことなど誰も知らなかった。
次に驚いたのは1944年2月、祖父は除隊からほぼ一年後に再び徴兵されており、(祖母が嫁いですぐに赤紙が来たエピソードは日付けから事実だと裏付けられた、祖母マジでお疲れ様すぎる)今度は満州ではなく、北海道の先にある『千島列島』に行っていたことだった。私は先入観からてっきり、祖父が満州で終戦を迎えたと思っていたので、想像していた祖父の人生はガラリと色を変えた。
千島列島……千島列島……たくさんの島が連なる北海道の向こう側……北方領土……。そうか、そこにいた人たちもシベリアへ連れて行かれたのか……。そりゃそうか。
千島列島といえば、日本の降伏後にソ連が乗り込んできた占守島の戦いが有名だが、祖父は『新知島(シムシル島)』から途中で『得撫島(ウルップ島)』に回され、その二度目の徴兵では約一年半の千鳥列島生活を送り、終戦を迎えていた。兵種はずっと砲兵、終戦時は上等兵だった。祖父はヒョロ長い体を駆使し、轟音の轟く砲をぶっ放していたのだろうか。なんともたくましい。
お恥ずかしいことに、私は新知島のことも、得撫島のことも、「なんか名前は聞いたことあるなぁ〜」程度で何一つ知らなかった。千島列島にソ連が攻め入った経緯すらも、占守島の戦いの名前で漠然としているだけで、よくわかっていなかった。
どんな所か調べたくなった。特に長くいたらしき得撫島について。当時の千島列島について。
祖父のいた部隊は結果的には戦闘をしておらず、言わば活躍をしたわけでもないので、ほとんど資料がなくて見つけ出すのには苦労した。
得撫島はもとより、千島列島は自然の宝庫であると同時、一年を通してほとんど霧に包まれ、風も強く、ましてや長い長い冬を有する極寒の地。白夜であり、夏の夜は極めて短い。夏でも長袖は欠かせない。ほぼ無人島。そんな場所で「はい、今日から暮らしてね〜」となったら苦労していないわけがない。制空権を奪われていたので、空からは米軍の攻撃もあった。制海権も奪われており、艦砲射撃が降り注ぐ。戦時中その海域では民間人も含め、2-3万人の人が亡くなっている。祖父のすぐ後に続いて小樽港を出港した同郷の部隊は、魚雷を撃ち込まれて沈没。冬の海に投げ出され、当時は軍機密に隠され2000人以上が死んでいた。祖父もほんの僅かな順番が違っていたら死んでいた。私もこの世にいない。数奇な巡り合わせで今の私は生きている。
得撫島はラッコの島と呼ばれるほどラッコがいるらしい。オットセイもいるらしい。祖父は間違いなく野生のラッコを見ただろう。自然豊かな大地。現代人の私が見たこともない美しい景色を、祖父は計らずとも見ていた。不本意の戦時下に望んでもない場所へ飛ばされてはいるが、愛くるしいラッコちゃんとの遭遇が顰めっ面の祖父の心を癒してくれていたことを願わずにはいられない。
兵籍簿には、祖父の召集や転属などの略歴が淡々と日付けと共に記されていた。必要最低限の事務的な情報であるが、その一つ一つの行間にも目に見えぬ多大な苦労があったはずだ。
古ぼけた紙は語っていた。戦争は8月15日に終わっていなかった。南方の激戦地のように食糧に困る事はなく、敵と遭遇することも戦闘もしなかったとはいえ、祖父は戦後も長らく闘い続けていた。自分の血縁者である祖父が歩んだ具体的な数字を見せられ、これはリアルなことだったと肌身に伝わってきた。日本がしていた戦争と、祖父の存在への深みが増した。
シベリアでの日々を、祖父の白黒写真の顔と合わせて想像してみた。マイナス40度の永久凍土で働く、ろくな装備もない日本兵たち。栄養失調。ひもじい。所々にシラミが沸く。病気が流行る。ご飯は堅い黒パン。粗末なスープ。戦争は終わったのに、周りがどんどん死んでいく。いつまで経っても日本に帰れない。故郷よりももっと寒い、極寒の異国の地。日本には結婚生活を1日しか送らなかった嫁が待っている。祖父は雪深い土地で生まれ育ったから、シベリアでも適応能力が多少なりともあったのだろうか。そう思うことが唯一の救いである。
祖父が何も語らずに亡くなったのは何故か。千島列島を盗られた背徳感か。過去な抑留生活に蓋をしていたのか。赤化教育を受けたことによる偏見を隠すためか。南方の激戦地に比べたらと、自分の半生は話すまでもないことだと思っていたのか。祖父の心を知る事はできない。私は想像することしかできない。祖父は日本に帰ったが、一切を語らずに亡くなった。故郷の山村とは掛け離れた四季の彩りのない場所で、途方もない八年もの戦争と闘ったのに、一言も喋らずに亡くなってしまった。
ここでは政治的な話はしない。
兵籍簿を読むことによって、それまで漠然としていた祖父の存在がぐんと近づいた。存在そのものを実感した。祖父はちゃんと生きていた。過酷な時代を生き抜いた。ドラマや映画の主人公になるような経歴ではないが、私が一分で根を上げるような過酷な環境に長々と身を投じていたのは明らかだ。じいさんすごい。マジでお疲れ様すぎる。生き抜いてくれてありがとう。じいさんが頑張ってくれたおかげで、私はこんな平和な世界でツイ廃をしながら、ソシャゲに夢中になれて、推しに心血を注ぎ、それを通して素晴らしい友人と出会うことが出来た。夏にはクーラーの効いた部屋でアイスを食べられるし、冬には暖かい部屋でアイスを食べられる。平和は素晴らしい。色んな国の友達もいる。その中にはじいさんが憎んでいた国の人もいるかもしれない。私は紙切れ一枚で戦地へ送られることなく、空や海からの脅威を感じることもなく、当たり前の明日をのほほんと待ちながら好きなように生きている。これは素晴らしいことだ。そんな当たり前のことを、強く思った。
兵籍簿を取り寄せて良かった。兵籍簿はどこからともなく知った物だが、私はこれを読まなければ自分の流れる血に関してとても大事なことを知らずに死んでいた。
仏間へ行き、再び祖父の遺影を見上げた。祖父は相変わらず怖い顔をしている。けれど、もうそれだけではなくなっていた。その遺影は漠然とした無機質なものではなく、凄惨な時代を生き抜いた血が流れているのだ。仏間を見下ろす祖父は、計り知れない威厳を背負っていた。