はてなキーワード: 戦争映画とは
アメリカンスナイパーって映画が面白かった!
ブラックホークダウン
どっちも超面白かった。
船や戦闘機はあんまり興味なくてトップガンは微妙だけどUボートの映画は面白かった記憶がある。たぶんU-571かな?
SFだけどオールユーニードイズキルも前半の泥臭いアーマースーツ戦も好き。世界侵略: ロサンゼルス決戦は微妙。
スナイパーと言えば山猫は眠らないの1は面白く見れた。2は途中でやめた気がする。
それとジャングルからヘリで脱出するために悪戦苦闘しながら現地民に追われる?映画も見た記憶があるけどタイトルすら忘れてる!
もっとみたいけど映画の探し方が全然わからなくてよさそうな映画が見繕えない!
あるなら見てみたい映画は
戦車(兵)の話
城や要塞の攻防の話
ベトコンやべぇ!みたいな話
旅順の話
ドイツがいけいけどんどんだった話
とかかかなー。現代じゃなくてもいいんだけどキングダムみたいに武将の一騎打ちで決着とかになると白けちゃうのね。
それと日本製の映画って辛気臭くて説教くさくて戦争の悲惨さを打ち出してるって偏見があるからか視界に入ってなかったことがわかった。USAばりに大日本帝国!大日本帝国!なんてなる映画なんてあるのかな?最近の映画にはなさそう。
とりあえず名前だけずっと知ってるフルメタルジャケットでも見てみようかな。
自分は、ガンダムについてはMSや名台詞とかの知識はそれなりにあるけど(小学生当時にSDガンダムの全盛期だったので)、アニメ作品としてちゃんと観たシリーズは多くない。
TVシリーズだとSEED Destiny(SEEDは未視聴)、00全部(劇場版は未視聴)、AGEの2世代目まで。映画だと逆シャア、NT、閃ハサくらい。
漫画も(SD関連以外だと)昔ボンボンに載ってたF91やポケ戦のコミカライズくらいかな…(勿論ORIGINも未読)。
いや、セリフが無いわけではもちろんないけど、主人公の割には寡黙。ガンダムって「会話劇」と言ってもいいくらいセリフが多い印象があったので…。
ホワイトベースクルーやジオン兵、島の子供たちなど登場人物が多いけど、どれも記号的に済ませずちゃんと描き分けられてる。
しかも、ひとつのカットの中で動かないキャラがいない…!(画面にA・B・Cの3人が映ってたら、Aが喋ってる時にB・Cは棒立ちで動かない……ということがない)
ジブリ作品の作画を思い出すとわかりやすいかもしれない(流石にあそこまでヌルヌルとは動かないが…)けど、
こういう作品はテレビアニメだと滅多に無いし、劇場用アニメでも「これが普通」と言えるほどは多くないと思う。
3DCGのロボットアニメだと、戦闘中に「いま何をやってるのかわからない」というシーンがあったりする(閃ハサやシンエヴァでも一部あった)けど、
今作ではそういうことはなかった(戦闘自体が比較的スローテンポだからというのもあるかもしれない)。
「○○ですわよ」とか言ってて「こういう喋り方をする人だったのか…! ガンダムと出会ってから、30年以上知らなかった…」と衝撃を受けました…。
演出はやや古めかしいところもあるが、それが逆に「わかりやすさ」「とっつきやすさ」としても機能しているかもしれない。
(「出﨑演出3連発」みたいなシーンでは場内から笑いが漏れてた)
全体の雰囲気は世界名作劇場みたいだし、「巨大ロボットに乗って戦う」という点を除けば普通の戦争映画と変わらないし、
「今までガンダムというものに触れてこなかった」という人でもすんなり観られる作品ではないだろうか。
「凄い傑作だから絶対見に行くべき」とまでは言わないが、じんわりとした面白さで、見て損はない作品だと思う。
「ドアンは(直そうと思えばすぐに直せるのに)、なぜ電気を使わなかった(使わせなかった)のか?」というのがわかんなかった…
フォネティックコードというのは無線通信で、MとかNとか、BとDとかを聞き間違えないようにブラボー、デルタって呼称することらしい。
昔の戦争映画を見てるとたまに出てくるやつです。
こういうのって日常生活でも使ってほしいな、って常々思ってます。
アルファベットに限らず聞き間違いしやすいものってたくさんありますよね。
そういうの工夫して新しい呼称を決めていくのも社会規模的なライフハックとして進めてほしいなって思ってるんですけどね。
社長室と車掌室が同じ建物にあるとしたなら、せめて片一方だけでも全然違う名称にすればいいじゃないですか?
でも、そういう工夫ってどういうわけか頑ななまでにしないでしょ?わたしたちって。
変えてはいけないと思っているのか変えたほうが便利になるって気づいていないだけなのか、
発想がないのか面倒だと思っているのかはわからないんだけど。
でもこういったハックって少しずつの積み重ねをしていくことで気づいたらとても快適に生活ができるようになることじゃないですか。
ふと気になった。
現実でもサバイバルゲームみたいなモデルガンを使った戦争ごっこ遊びがあるけど
そういう「銃器を使った遊び」が好きだったり、「銃器に対する憧れ」がある人間…って
やっぱり「いつ銃を人間に向けて発砲するか分からない危険な人間」って思われてるんだろうか?
俺は戦争映画とか銃器が出てくるゲームは好きだけど、実際に自分が撃ち殺されたり撃ち殺す側には立ちたくないと思ってる
銃はカッコいいと思うし、銃を上手に使える人もカッコいいと思う、実際にゲームとか仮想の世界の中で大活躍する銃を見るのは好きだし
思想とか置いといて緊迫感が薄いよな〜って感じ続けてた。
さっきたまたまMAD動画(今世紀上映された著名作品、戦艦の最後の出撃が舞台)を見かけて気づいた。
兵隊が戦ってない。
対空機銃を撃つシーンで始終
「あ゛〜〜〜〜!!!」とか
「うをおおおおおお!!」
みたいに叫んでる。
カットが切り替わる度に「ああああああああぁぁぁ」が始まるんだ。
いやいやいや、敵に集中できないし号令も聞こえないし、戦闘にならないよ。
撃たれてパニクって声あげるのはわかる。敵機に弾が当たったら喜びの声をあげることもあるだろう。
なんで引き金引くだけで「ああああああああぁぁぁ」なんだよ?
念の為さっきアメリカ映画を再生してみたけど、銃で撃たれたとか敵を倒した時以外変な声あげてなかった。あとパーティーやる時。
まあ昔のアクション映画だと「オア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!」とか叫びながら撃ちまくるシーンとかあるんだけどね。
表題のとおり。
恋愛したいけど、自分が好きになれる人とどうやって知り合えばいいか分からない。
女、今年26歳、職業SE、過去に彼氏が二人できるもどちらも深い関係にはなれず
見た目→顔はフクロウとかベッキーとか言われる。普通だと思いたい、普通体型、運動不足
性格→熱しにくく冷めにくい(好きな映画は何年経っても大好き)、友達少ない、友達には表面上はポジティブだけど中身はネガティブだと言われる、すぐ顔に出るとも
趣味→洋画•漫画•アニメ(偏りあり。戦争映画とか手塚治虫好き)、世界史の本を読む、美術鑑賞、クラシック音楽鑑賞、フィギュアスケートテレビ観戦
これまでの遍歴
中高まで恋愛の気配なし。恋愛してるやつは馬鹿だとか、恋愛なんて時間の無駄だと思ってた。
大学生の頃、人生経験に必要かと思って彼氏を作ろうと決意。1年生の夏に告白されて、流れで初彼氏。しかし、段々と「なんかこの人つまらないな」と思ってしまう。「どうして他の誰かと似たような意見言うのかな」とか「そんなに私に好かれてどうしたいのかな」とか「私に愚痴なんか言って、慰めてほしいのかな。つまんねーやつ」と思ってしまった。しまいには「この人と会うためにおしゃれして遠出するなんて時間と金の無駄。疲れた」と思うようになり、連絡を取らなくなってしまった。
二人目は大学3年の冬、ゼミの同期の紹介。告白されて、今度こそちゃんと好きになろうと思った。ボディタッチしたり、自分なりに頑張った。なにかしてくれたら「格好いい」とか「優しい」と言うようになった。本当は思ってもいなかったけど、言葉にすれば現実になって本気で好きになれると思った。でも、段々一人目の人と似たようなことを考えてしまった。「女は皆イルミネーション好きだと思ってるのかな?つまんねーやつ」「ネットで皆が言うようなこと言ってんじゃねーよ、つまんねーの」と思ってしまった。本当は自分が一番つまらなくてしょうもないやつだと分かってたけど、やっぱり相手に本気になれなかった。また連絡をしなくなり別れた。
別れたあと、本当に反省した。相手は自分を好きになって勇気を出して思いを伝えてくれたのに、自分は“飽きた”とか“つまらない”とかで裏切って誠意になれなかった。次からは本気で好きになってから付き合おうと思った。
それから色んな人とデートした。5回以上デートした人もたくさんいた。みんな何となく楽しかったけど、でもなんとなくつまんなかったのは同じだった。多分、デートしてくれた人も私と話して楽しいとは思ってくれてはいたんだろうけど、私がなんとなく冷めてるのは分かってたんだと思う。告白されることもなくなった。
顔が好きだなと思った人もいた。勇気を出してデートに誘ってもみた。でも話してて、やっぱりしっくりこなかった。この人とこのままデートを重ねても、相手も薄々私が冷めてることを察するだろうし、途中で自分が飽きて放り投げるんじゃないかと怖くなった。
最近はコロナ禍もあってデートしてない。一人暮らしも長くなり、人と接する機会が減った。加えて、もうすぐ自分が26歳になるのにまともな恋愛経験もないことに、寂しさを感じた。結婚できなくてもいいから、20代のうちに本気で恋愛したいと思った。でもどうすればいいのか分からない。本気で好きになれる人とどうやって会えるのか知りたい。だからここに投稿した。なにか意見があればしてほしい。
理想のデートは……、映画一緒に見て語り合ったり、色んな美術館とか博物館に行って知的好奇心深めたい。サイゼリヤとかでもいいからずーっとおしゃべりするデートに憧れる。自分馬鹿だから知識豊富な人に憧れるんだけど、高学歴マウントとか傷つくし楽しくないからそういう人は嫌だ。
それが私だった。
感動するストーリーや戦争映画に涙する自分のことを優しい人間だと思ってた。
友人に優しいと言われたことはなかったが、皆が気づかないだけで、根は優しい人間だと。
でも30歳を超えたあたりで気づいた。
他者へ優しい態度を取ってる人が優しい人だと評価されるという当たり前なことに、こんな歳になるまで気づかなかった。だれか知ってたらもっとはやく教えてほしかった。
お前の態度は優しくない、と。
殴らない、怒鳴らない、人間のことを他者は優しいとは評価しない。それをしないことが当たり前なことだし、取らない行動に対して評価されることは少ない。
そして上記のことがわかったことでまたわかったのは優しい行動というのは、面倒だ。
他者を気遣う、手伝う、助ける、みたいなものが優しい行動だと思うが、それを実行するのはちょっと大変で。今までだったら面倒で見てみぬ振りをしてるところだ。
だからそういう事ができる人がモテるし、好きなタイプは優しい人とよく言うが優しい人は貴重なのだと感じた。
なんとなく優しくなりたいし、優しい人間だと思われたいから、とりあえず会社の中で誰かの手伝いをすることが増えた。他社評価を軸に行動を変えることが果たしていい事かはわからないし、すぐに結果が出ることはないが、なんとなく枯渇していたコミュニケーションが増えたな、と感じるよ。
ソ連・ロシアの戦争映画って言うと第二次大戦(大祖国戦争)ものばかりでなんか食指が動かないよねという増田に対照的な2本をお勧めするよ。
キービジュアルは『トランスフォーマー』を連想させるような巨大ロボがドーンとでてきているけど、これは空想の中でしか出番がない。
主人公の息子が、勇敢な巨大ロボットと共に闇の帝王と戦っている、という空想に耽っている。
なんやかんやあって南オセチアとグルジアの国境で戦争が始まってしまい、離婚していた父親に会いに行った息子ちゃんとが巻き込まれて、モスクワにいた母親(主人公)が息子を助けに…というお話。
CGでのロボ変形シーンはトランスフォーマーばり。ジェネリック。
ロシア政府全面協力だけあって、プロパガンダの匂いが強烈。実物の戦車もカッコよく描かれてて、敵軍を吹っ飛ばすとやった~ってなるほか、当然ながらロシア軍人が外面も内面もイケメンで、惚れてまうやろ…となる。
ロシア的マッチョさは少年が「空想の世界(≒逃避)」を捨て、現実の世界に戻ってくるところにも表れている。
2)『あの日の声を探して』(2014年フランス・グルジア映画)
1999年の第二次チェチェン紛争が舞台。ダブル主人公制度。(最近のメジャー映画で言うとノーランの「ダンケルク」みたいな)
Aパート:チェチェンにおける虐殺で家族を殺され、一人生き残るものの精神的ショックから失語になってしまうチェチェンの少年。難民キャンプなど、行く先々でむき出しになった戦争の結果そのものに直面する。
Bパート:ロシアの普通の青年。町を歩いていたらささいなことで警察に言いがかりをつけられ、そのまま懲罰的に兵隊にさせられてしまう。
大日本帝国軍のシゴキ・イジメを思い出させる軍隊描写から始まりこっちのパートも実に刺さる。AB交互に進んでいく作品。Aの方、赤十字に引き取られた生活が善意の制度でありながら少年にとっては却って辛い描写とか、もうね…
こちらはロシア政府が協力したわけではないのですが、寒々しい荒野をあるくこどもと実機の戦車の進軍の対比など、何とも言えない「リアル」さが力強い。
西も東も引く気がない。
世界中、どこを見渡しても自分たちの側からは引く気のない人間が大多数なのは間違いないだろう。
それが良いとか悪いとかいう話ではない。
ただ単純に「誰も引く気がないなら、緊張は今後も高まり続ける一方だ」ということだ。
おそらくは双方が直接に衝突するところまで。
未知の領域ゆえに何が起きるか正しく予想することは難しい。
ただ間違いなく、ろくでもないことになるはずだ。
自分は無事だなどと思わない方がいい。
あなたもきっと酷い目に遭う。
間違って欲しくないのは「だから自分たちから引け」と言っているのではないということだ。
そんな言葉くらいで世論が変わらないことくらい重々承知している。
行くところまで行って人類全体がうんざりするまで、この流れはきっと止まらない。
なぜならこれは前人未到の領域ではなく、かつて2度も人類が経験したのと同じ流れの焼き直しだからだ。
かつての大戦の話を耳にする度、幾度となく抱いた素朴な疑問――なぜ誰もそれを止められなかったのか――の答えが、今は肌で理解できる。
まして、当時の人々なら…そういうことだ。
今、人類ができるのは、せめて最終的な破局が少しでも先に(1年ではなく5年先、5年ではなく10年先に)なることと、最終的な破局がせめて少しでもマシな形に収まる(「無数の戦略核の応酬」などという事態に至らず決着がつく)ことを願うことくらいだろう。
そして、今、ボクができるのは、ボクと周囲の人々がそのような戦火の中で幸運を拾い、少しでも苦難を免れ生き残ることを祈ることくらいだろう。