はてなキーワード: リビングとは
結論としては、まぁTwitterがあって良かったな〜ってくらいの話。
なので被災地のように大変な経験は全然してなく、安全圏で生活をしていた。
地震が起きたその日はテストが終わり、部活も休みなので普通に帰宅していた。
歩いていると揺れってなかなか分からないと思うけど(私だけかもしれない)、周りの方が「やだ地震?」って声で私も立ち止まった。
反対車線にあった電線が少し揺れていて、確かに揺れてるかもと思ったその時、下から突き上げるようなズシンとした大きな揺れ。
立っているのが難しく、近くにあったフェンスに捕まった。
その時印象的だったのが、わたしの近くに自転車を押していたご婦人がいて、揺れの最中に「あああああああ」って言いながら道端に自転車をガシャンとぶっ倒してどこかへふらふらと歩いて行ってしまった。
人は自分よりパニックになる人を見ると冷静になれると感じる一件であった。
自転車は道の真ん中に倒されてたから他の人と一緒に端に寄せた。
3.11の事を思い出すと未だにあのご婦人はあの後大丈夫だったのだろうかと考える。
早く帰らなきゃと思いながら歩いていたら、近くの人が「東北で震度7だってよ」って話しているのを耳にしてゾッとした。
今思うとそこで情報を拾えたのは幸いだったと思う。通っていた学校が携帯持ち込み禁止であったのと、あの時は今ほどすぐに情報を拾えない。
(実際携帯がない人は何が起きてるか分からなかった人も多いと聞いた。
あと持ち込み禁止だけど普段はこそこそ持って行ってた。この日はテストなので不携帯でした。持ち物検査されてもいやだし)
家に帰り母親と合流。
幸い家の中はそこまでひどくなく、食器棚も倒れたりはしていなかった。
そしてもう一つ幸いだった事は、私がTwitter利用者であったこと。(てかツイ廃だった)
Twitterをみたらそれはもうありがたい情報がたくさん流れていた。何をしなければいけないとかね。
母親と共に近くのコンビニに行ったが食べ物はなく、少しだけあったカップ麺を買って帰り、お米を5合炊いておにぎりをつくり、浴槽やペットボトルにしこたま水を貯めた。
地震が起きたその日はリビングで母親と交互で寝ようと提案して夜を明かした。
テレビもずっと付けていたと思う。
当時16歳とかそんなもんの高校生がここまでできたのは情報をくれたTwitterのおかげだった。
父親は仕事で千葉におり、帰ってきたのは震災が起きた翌日の昼頃であった。道路は全く動かず、車で夜を過ごしたという。
メールが繋がらず、職場がわりと臨海地域なのもあり、帰ってきた時は安心したのを覚えている。
電車が止まっているので集まった人数はクラスの3分の1以下で、返却後すぐお開きとなった。
私はバスで通学していたため利用していなかったが、電車は駅への入り口がすべてシャッターで閉ざされていたのを覚えている。
駅を利用したいために並んでいた人に説明している駅員さんもいた。
連日被災地のニュースが流れ、計画停電もあったが私の住む地域は病院などの社会サービスを提供するような施設が集まっていたのもあり、計画停電は行われなかった。(実際の理由はわからないが)
そして徐々に日常に戻って行った。
そしてTwitterありがとう。あの時いっぱい情報をくれたから色々動けた。情報を得る手段を知っているのは強いね。
2月の半ばにあなたが咳をし始めてから、それとなく「死」の一文字を思い浮かべることが多くなった。
それ以前、あなたが散歩を厭うようになったのを感じ始めてから、考えていたことが明確に姿を見せたともいえる。
日に日に食欲が失せていき、妙におなかが膨らんだのを見て、なにとはなく「あぁ」と思った。
2月14日まではたしかに芋を食べていたが、以降はそれも徐々に食べなくなって、それから一週間ほどでほとんどなにも食べなくなっていたと思う。
26日に薬を飲み出してからも、あまり改善したような様子はなく、そればかりかとうとう水も飲まなくなった。
それからというもの、いつものようにそのつもりはなくソファで夜を明かした私が朝方することといえば、あなたの部屋のドアを開けてあなたが出てくるのを確認することになった。
でもしばらくしてあなたは部屋の中だと苦しそうに呼吸するようになったので、私は一度部屋に入ったあなたを独断で出すことにした。
そうしたらあなたはいつもの場所で伏せて、静かに寝息を立てたので、私は安心してその日はベッドで寝た。
翌朝、部屋にいるはずのあなたが出ていたことを両親が驚いたと言っていたので、昨夜のことを話した。狭い場所がいけないのだろうとみんななんとなく思ったのでしょう。その日からは、夜になってもあなたを部屋に入れなくなった。
たしかそのころは夜が妙に眠かったので、私はたいてい日が回るより先に眠っていたと思う。
けれど3月1日から3月2日の夜中、私はたしか3時くらいまで起きてリビングにいた。1時頃にソファでタブレットをいじっていたら、こたつの向こうであなたが吐いた音がした。黄色いドロドロした吐しゃ物で、幸い敷いたペットシーツから漏れてはいなかった。あなたの足にもかかっていたのでウェットシートで拭いたけれど、だいぶしつこくて5枚は使った。空腹由来の嘔吐だったので、注射器でミルクを飲ませた。ほんの雀の涙程度だっただろうけど。
3月2日から3月3日にかけての夜中、その日はちゃんとベッドで寝ようと思って、夜中の2時に一度布団に入った。けれど、眠気が強くなる前にリビングに降りた。いつも父が明かりを点けたまま寝落ちているので、そうであれば明かりを消さないといけないと思ったし、前日の夜中にそうだったように、あなたがまた吐いていたらいけないと思ったからだ。
そうしてみたら、案の定明かりは点いていたけれど、予想と違って父は起きていて、リビングのドアの近く、あなたがいつもいる場所(それよりは少しドアに近かった)にあなたがいて、突然降りてきた私を見ていましたね。
事情はわからなかったが、あなたを父が構っていて、でも危惧していたことはなかったので、私はあなたの頭を撫でてベッドに戻った。
そうして翌朝の8時ごろに私は目を覚まして、すぐには起き上がれずにいたら、8時24分に一階から大声で母が私を呼んだ。
私はそのとき、至極冷静に「逝っちゃったかな」と思った。そんな気がした。そうだった。20分に逝ったらしかった。すぐに起きていればよかったかとも思ったが、そのおかげで私が記憶している最後のあなたは穏やかだった。
あとひとつなにか悔いがあるならば、兄に伝えなかったことだ。母はそう思っていなかったようだけれど、私は正直なところ、死ぬのだろうと思っていた。積極的には思っていなくて、痩せて骨の浮いた背を撫でて「そのうち戻るかな?」と考える頭もあった。けれど、意識的に先のことを考えたときは、やはり死ぬのだろうと考えていたように思う。
命日の約一週間前が私の誕生日だったので、兄は実家を訪れていた。そのころはまだなにかしら食べていたころだったと思うので、ある意味ではまだ元気なころだったと思う。それを良しと捉えるか悪しと捉えるかは人によるだろう。
離れて暮らしていることを思えば、命日の一週間ほど前に会っていたのはよかったといえるのかもしれないが、なんにしても私が決めることではない。ただ、それらを自己決定に委ねるのであれば、一緒に暮らす者の所見としてその可能性を事前に提示すべきだったとも思う。
だからきっと、あなたが近く亡くなることを高い可能性として最も想定していたのは、実のところ私だったんじゃないかと思う。あなたが息を止めたとき、私はその場にいてもあなたを蘇生しようとはしなかったでしょう。あなたが咳をし始めてから二週間と少し、あなたがものを口にしなくなってから一週間弱、それだけ続いた苦しみがようやく終わったんだと安堵した。死んでほしくはなかったが、それ以上に苦しんでほしくなかった。
そう、3月2日の午後に、母があなたに薬を飲ませようとしたとき、あなたはそれをいつも喉に押し込むようにして与えられていたので、それを嫌がったのか、やや機敏に立ち上がって逃げようとしましたね。でも窓を向いていたの180度回って、ドア側に歩こうとして失敗して、こたつの布団に倒れ込み、再度立ち上がってカーペットを降りて、けれど結局テレビの前で伏せましたね。
それを見て、たしか私は先が短いことの確信を得たんだ。次の日とは思わなかったけれど、日曜の特に用事がない日の朝8時に、母が私を一階から大声で呼んだ、ただそれだけであなたの死を覚る程度には。
犬の寿命だとかを思えば覚悟をするべきだと思って、この数年、特にこの一年間はあなたをすぐに撮るようになっていた。そのおかげで、写真と動画は私が2018年あたりから撮ったもので800個以上ある。
ただ、私が一番好きだったのは、あなたがあったかくて、重くて(12kg~13kg程度だった)、大きかったことだ(体長はきっと85cm~95cmほどあった)。けれど不思議なことに、あなたの寝床を用意して、そこに入ったあなたの身体が敷き詰めた氷のように冷たくなったのを、私は良いことだと思った。亡くなったのは8時20分、兄が来たのは昼ごろ、それから寝床に入るまで、あなたの腹はあたたかかった。あなたが朝まで生きていたことの証明で、あなたがこのままでは傷む一方であることの証左だった。
そのほうがらしいからといって、あなたの舌を少し出しておくことになった。はじめ1時間くらいはいつものピンク色だったけれど、それ以降は紫色になった。目は昼ごろになってようやく閉じた。鼻が乾くのは早かった。散歩中、エチケット袋が開かないときによく借りていた鼻だった。
きっとそのうち、こういう些細なことは思い出せなくなる。思い出さなくなる。人間の脳みそはそういうふうにできていて、当たり前のことだから、悪いこととは思わない。ただ、残しておきたかったのでそうする。
命日当日中には兄のほかに父方の叔母と祖母が来た。近くに住んでいる近親者が全員来たということだ。叔母は手紙を残してくれた。住所を書いたそうなので、一緒に燃して、あっちで読んだら来てもらうそうだ。
3月4日の19時に火葬することになった。祖母は祖父の看病が終わり、さらに退職して自由な時間を持て余しているようで、参加してくれた(たとえそうでなくともきっとそうしてくれたと思う)。義姉も参加してくれた。叔母は仕事が空けられないので参加できなかったが、予期しておくことなどできないのだから仕方がないという外にない。
車の店でもらったひざ掛けのサイズがちょうどよかったのであなたの冬のブランケットにしていたが、最期までこうも役立つとは思わなかった。あなたの身体を寝床に入れたり、火葬のための設備に収めたりするときに、担架のように使った。焼かずに残っているが、なにかにリメイクでもしたほうが良いのだろうか。
あなたの骨は思っていたよりも丈夫だった。納骨袋の側面に小さな遺影を入れられるスペースがあって、けれど遺影ではなく、火葬の直前に切り取った遺毛を入れることになった。アクセサリを入れるための小さなジップつきクリアポーチに入れたが、サイズがちょうどよかった。桐の箱などに入れたほうが保管状態としては良いそうだ。検討したほうがいいかもしれない。
火葬した日の夜中に、私は遺骨ペンダントを注文した。驚いたことに翌日には届いたので、あなたのおそらく爪と目の周りの骨を少しもらった。由来のわかる(想定できる)骨のほうがなんとなく良い気がした。目の周りの骨は大きかったので少し砕いた。あなたに私が行く先を見ていてほしかったので、目の周りの骨にした。
これを書いているのは3月7日の夜1時だ。あなたが逝ってもうすぐ4日になる。私は泣くとき、いつも喉になにか手のひら大の球が詰まったように痛くなる。けれど、あなたを惟て泣くときは、喉は痛くならずにただ熱い涙が出る。理由はわからない。悲しいわけではないと思う。どうなんだろう、あなたがいないことを考えるとそうなる。これを悲しいというのかもしれない。
書いているそばから嘘になったかもしれない。今は少し喉が痛い。けれどそれでも息ができないほどではないから、やはりなにか違うらしい。
こたつの中で足先になにか触れると、一瞬あなたかと思う。私はいつも発作的にあなたに飛びついて構い倒す癖があったので、今もふとした瞬間に無意識にあなたの名前を言いそうになる(すんでで止まる)。私がいつもの椅子に座っていたり、廊下や洗面所やキッチンでしゃがみこんでタブレットをいじっていたりすると、いつの間にかあなたが足元にいましたね。あれがとっても好きだった。あなたは私によくついてきてくれた。
これからは私があなたを連れまわす。一緒に行けなかった旅先にも連れて行くし、3月いっぱいで契約満了を迎える今の出向先にもひっそり連れていってみよう。遺骨ペンダントは失くしてしまいそうで怖いが、そうなったときはあなたがきっとそこを気に入ったということなのでしょう。そもそもあなたは昔から衣服やらカバンやらに毛として引っ付いてきていたので、今さら真新しいことはなにもないのかもしれないけれど。
こないだ旦那死んだんだけど、お通夜終わって家帰って犬に出迎えられたときが一番涙出たな
犬のこと家族って思う感覚よくわからなくて、ペットはペットだろって思ってたんだけど
普段走り回ってるのになんかしおらしくリビングの床に座っててさ
あー、なんか空気読んでくれてんのかなって
なんて優しい奴なんだって思ったね いやまあ犬ってそういう生き物なのかもしれないけど
まあ仕方なくというか、私が連れて行くようになった
犬はまあ毎回うきうきしてる
それで駅の周りとかてくてく歩いてたらタンクトップ1枚でストレッチしてるおじさんがいて
旦那が「変なおっさんいる」っていつも言ってたのこの人かなって思ってさ
犬も喋れたらいいのにな
なんか子どもとかいたらさ、頑張って生きようとか仕事頑張ろうとか思えるんだけど
何をモチベーションというか、軸にして生きればいいのかわからない
急に一人になったから変化についていけてない
子供の頃から下ネタ大好きで生きてきたのだが、気づけば下ネタNGの男と結婚してしまった。
夫とセはするが(なんなら子どももいるのだが)、言語での下ネタがNGすぎてセの最中ですらエロいこと何も言ってくれない。きもちい?とか、どこがいい?とか言われたいのに。始終無言でセしてる。私ひとりぺちゃくちゃ喋ってる。盛り上がんね〜。
もちろん事後にエロいピロートークもないので何の色気もない普通の会話をする。明日どこいく?とかそんなん。
ちなみにベッドでセする時以外お触りも嫌がられる。お尻とか触ろうとすると本気トーンでやめてって言われる。だからリビングでいちゃついてそのままベッドになだれ込むみたいなのはしたことない。あこがれるぜ。
テレビで下ネタ流れてもなんか気まずくなるから深夜バラエティとか一緒に観れない。親かよ。
ゴッドタン好きなんだけど、夫のいない時に隠れて観てる。別に悪いことしてないのになんでコソコソしないといけないんだ。
夫のことは大好きだけど、つまんねーよまじで。
私⇒30代、子ども二人
広い方がいい。狭いと予想以上にストレス。ベビーカーとか置くのはもちろんのこと、子どもがいなくても大きめの荷物(宅配物)とか一時的においておきたいもので案外場所をとる。玄関は広くしよう。
庭
芝の管理が面倒すぎる。夏場は2週間に一度は芝刈りをしないと草ボーボー。1~2時間つぶれる。汗びっしょ。狭いし虫もたくさんいるし野良猫の糞もあるしでまったく使っていない。結局芝を全部引っこ抜いて人工芝にした。とても快適。芝刈り機はメルカリで売れた。夏場にプール出して子どもと遊ぶとか、家庭菜園をしたいとか、明確な目的があるんだったらいいと思う。要はメンテするコストに見合った価値があるのかどうか。うちは無いからあきらめた。砂利を敷き詰めても良いと思うよ。雑草が生えにくいように防草シートはちゃんと敷こうね。
木
邪魔。なんであるのかわからない、と思ったけどお隣さんの玄関の目隠しになってるっぽかった。緑があるに越したことはないんだけど、放置するとこれも草ボーボーで通り道をさえぎられるから仕方なく定期的にメンテやっている。これ全部抜けば駐輪場スペースが新たに生まれるから数年以内にやろうと思う。
外壁
汚れてきた。特に北側。もう少ししたらヒビが出てくると思う。定期的に塗りなおししなきゃいけないのが憂鬱。お金もかかる。家建てるときには案外考えていなかった費用。ちなみに田舎の実家は20数年間で一回も塗り直ししてないからいたるところにヒビがある。
宅配ボックス
置き配が浸透して使用頻度減ったけど、まあまあ使っている。割と入りきらない荷物も多いから選べるなら大きめ(奥行)のを選ぶといいと思う。
いらない。洗濯物は乾燥機と浴室乾燥が毎日だからもう何年もベランダを使っていない。何年も使わないと汚くなるから余計使いたくなくなる。布団も布団乾燥機だ。雨漏りの原因になるからメンテしなきゃいけなくて少し憂鬱。これが無ければもっと家が広くなったかもしれないのに。
日当たり
冬場は特に超重要。晴れの日はカーテン開ければエアコンいらないくらい暖かくなる(窓には目隠しシートを貼ろう)。太陽は偉大だ。分譲住宅でどの家にするか選ぶときに、事前にマップみながら日当たりの一番よさそうなところを選んだよ。これが正解だった。お隣さんとか日中でも向かいのマンションにさえぎられて真っ暗だもん。Shade Map(https://shademap.app)がすごい。日当たり具合が地図で確認できるよ。試しに我が家も見てみたけど正確。
郊外といえど土地に限りがあって、一階に廊下が無くて二階への階段と洗面所&脱衣所へはリビングから直接アクセスする間取り。子どもが大きくなったらお互い気を遣いそう。せいぜい7-8年くらいだろうけどね。地元の姉の家は廊下があって羨ましい。
広い方がいい。特に一階のトイレが狭い。でも優先度は低いかな。二階は広めだからそっちを使っている。あと、トイレタンクの中は数年に一度は開けて掃除した方がいい。えげつないことになってるから。
5年で一回しか使ってない。しかも間違えてOnにしてただけ。快適だったけどね、別にエアコンで暖かいし?とか思うと別に使わない。
自動洗浄の機能はいらない。きれいにならないし業者に頼むときに料金割り増しされる。結局プロに一年に一回キレイにしてもらうのが一番。先日数年ぶりに掃除してもらったら黒い水がドロドロ出てきて、そのあと明らかにエアコンの効きがよくなったから驚いた。
照明
ちょっと高くても調光調色のやつがいい。特に夕方から夜にかけて、段々暖色に変えていくと大人も子どもも徐々に寝るモードになる。スマートリモコンで自動的に設定している。夜に真っ白のライトはもう無理。まぶしすぎ。
ご近所づきあい
最高。分譲住宅だから同じような世代、家族構成(小さい子どもがいる)、みんなその土地は初めて、みたいな家族ばっかりだからすぐに仲良くなる。子どもと一緒に何度もお互いの家々で遊んでる。どんなに立派な家でも周りの人間関係が最悪だとストレス半端ないからこの点すごいありがたい。都心に近い郊外だからもっとドライかなって思ってたけど、結構ウェット(いい意味で)。賃貸だとドライだけど、持ち家だとみんなそこに長期居住する前提だから、自然と関係を築こうとするマインドが働く、気がする。
立地
メインの道路沿いはマジでうるさい。できれば住宅街がいい。片側一車線でもうるさいバイクや車は一定数いるから避けられるなら避けたい(これまでの賃貸アパートの経験)。一軒家だと防音性能高めだから気にしないのかな?よくわからん。あと庭が道路に面していると人によっては子どもと遊ぶときに人の目を気にするかもしれない。あ、あとハザードマップ的には割と終わってる場所だった。100年に一度の大雨で河川が氾濫するとおしまい。これは祈るのみ。何年か前の台風直撃でも大丈夫だったから若干楽観的。はてなにある、家が浸水した時のまとめはちゃんと保存して定期的に見かえしている。
満足?
満足。いろいろ不満言ってきたけどトータルでは大満足。コロナ前で住宅価格が上がる前だったし。純粋に家が広くなったし子どもの足音とか叫ぶ声とか夜泣きとかあっても周りを気にしなくていいし、周辺の人間関係が良好なのも大きい。注文住宅とかおしゃれな家憧れるけどねーーー。でも吹き抜けで天井付近にある窓とかみて「あれどうやって掃除するんだろ?いまたぶんホコリめちゃたまってるよね?」とか思ってしまう。無意識な僻みもあるのかも。これ妻に言ったら「そういう余計なこと言わない」って怒られた。
隙あらば我が子語りだがうちの子育ては現在進行系で結構たいへん。
自分は父親だけど「精神ギリ暴発寸前のヤツれた母親」側に近い。
コロナ(0歳11ヶ月頃)や突発性発疹(1歳4ヶ月頃)にかかったとき
高熱で機嫌悪い状態が続いて何日もいつ治るともわからない状態と向き合い続けるのは地獄。
奥さんと半日交代で見てたが自分も奥さんもコロナにかかって大変だった。
意思疎通が難しい月齢なのでなんとか水分補給させたり食べられるものを探し当てたり、機嫌を損ねる地雷を回避したりで大変だった。
看病以外は何もせずにただ1日1日をやり過ごす日々だった。
コロナに関しては解熱しても療養期間を経ないとしばらく登園できないし、大人も社会から隔離されるしで解熱後も大変だった。
下の子が生まれて赤ちゃん返りと夜泣きが酷くなったとき(1歳10ヶ月~2歳前半)
夜中の2時~朝の5時の間にパニックのようにランダムに泣き始めてた。
なんとか落ち着かせるんだけどそのままリビングで虚無の表情で一緒にアマプラを見てた。
ワールドカップで日本とスペインが戦ってるとき、自分は子どもとおさるのジョージを見てた。
毎朝5時に起きて退屈になるとグズる(1歳前半~2歳半頃)
5時になると叩き起こされてご飯やら遊び相手やらで朝からクタクタ。
1時間もすると家にいることに飽きてくるので外に行きたいとぐずり始める。外を連想させないように玄関に靴を置かないようにしていた。
やっと7時になると近所の公園が開くのでお出かけしたりする。休みの日はそのまま昼間で寝ない。
その他。
後追いがひどくて(大人が)一人でトイレに行けない。膝の上に子供乗せたままトイレ。(1歳~2歳半)
下の子の授乳を嫌がるので、家にいるときはなんとか気を反らせてた。(2歳~2歳半)
風呂に入るのをとても嫌がる。(2歳~2歳半)
などなど。
基本的には放任主義で、危なかろうか多少不衛生だろうが、本人がやりたがることはできるだけやらせてきた。
平日は保育園に行くことと生活のリズムを整えること以外は強制することは少なく偏食も長時間のテレビ視聴も基本的には許容。
あとマニュアル的な本は読んでないけど愛着の形成がうまくいくようにだけは常に気を配ってた。
そしてあれもやりたい、これもやりたいと日々自分がやりたいことを目を輝かせて語ってくれる妹思いの3歳児になった。
最近戸建てに引っ越し、それまでのマンションのリビングで使っていたデスクトップを2階に置いたところ全然使わなくなってしまった
まだ小さい子どもの相手でリビングに居ないといけないのと、単純に2階に上がるのが面倒だからだ
ただ、調べものをするのにどうしてもスマホではやりづらく、また紙に印刷して検討したいタイプの人間なので、ノートPCが欲しくなって中古含めて色々検討したが、そのために数万払うのもアホらしくてやめた
荷物を整理していたら10年くらい前に買ったacerのaspire v5というノートPCが出てきたので、ここで俺は一計を案じ、Chrome OSを入れてみることにした
このPCには数年前にLinux mintを入れたのだが、Linuxのコマンドを覚えるのに挫折してそのままだった
少しでも動作を改善しようとアマゾンで250GのSSDとメモリ8Gを買った
両方合わせても5000円しなかったので、いい時代になったものだ
裏蓋を開けるのが怖かったので検索すると、こんな古いマイナー機種でも分解動画とかがあって助かった
デスクトップPCでChrome OS Flexをダウンロードして、USBメモリを起動用ドライブにする
あとはそれをノートPCに差して電源を入れてしばし待つと、Chrome OSが立ち上がった
画面の指示に従ってSSDにインストールし、再起動してSSDから立ち上げようとするも、BIOSの画面が出て起動用ドライブが見つからんとのこと
このままではSSDとメモリの投資が無駄になってしまう…と必死で解決策を調べる
結局BIOSをUEFIからLegacyにしたらすんなり起動した
本来は親友に向けたマンションリフォームのアドバイスだが、LINEで送るには長すぎるので、増田の日記として公にさらしてみる。ブコメやトラバで有用な反論が得られるかもしれない。
増田は建築士としてそれなりに経験値はあるが、住まいのあり方や価値観は本当に多様なので、N=1の意見として参照するぐらいがちょうどよい。
適切な断熱壁と二重ガラス樹脂サッシが装備されていること。それがない建築が許されるのは安藤忠雄だけ。
既存のサッシが交換できないならインプラスなどの内窓をいれればよし。
おそうじ浴槽!これが言いたくてこの長い日記を書いているといっても過言ではない。
他の設備投資を削ってでもこれを装備してほしい。日々の家事から風呂そうじを排除できるのでオススメ。
じゃあ何を削ればいいかというと、、、
化粧棚→いらない。必要に応じて山崎実業のマグネット収納をつかえばよい。
浴室乾燥機→いらない。アイリスオーヤマの除湿器で代用できる。風呂の入り口付近にコンセントを用意しておく。
上下するシャワーフック→これはいる。が、山崎実業のマグネットフックで代用可能。
風呂のサイズは1620か1616にする。この2つは浴槽が1.6mあるから足を伸ばせる。そのほかの1416とか1418 etcは浴槽が1.4mになってしまう。
ただし1616は一般に住宅用しかない。なぜか1620はマンション用もある。住宅用とマンション用の違いは施工に必要な天井の高さ(これショールームのスタッフすら知らなかったりする)。マンション用のほうが必要高が低いので、排水の勾配など制約の多いマンションでも施工できる。逆に言えばその制約さえクリアできれば住宅用をマンションに施工することも可能。
なお換気扇は選べるならパナソニック製をオススメする。パナソニック以外は換気扇の羽を外すことができない。
ノーリツのユニットバス1616。標準でおそうじ浴槽がついてくる。なぜならおそうじ浴槽はノーリツの特許だから。
だがコスパが高すぎて儲からなかったのかノーリツはユニットバス事業から撤退してしまった。。。
なぜか無垢フローリングにあこがれる人が多いが、高いし隙間が空くしメンテも大変で何がいいのかさっぱりわからん。オススメは厚突きフローリング。無垢の質感とべニヤの寸法安定性を両立している。
薄い突板のフローリングは偽物感がすごいので、だったら偽物でいい。
マンションだと防音フローリングといってふにゃふにゃのフローリングを勧めてくる工務店がいるが、これは工務店の施工が楽になる建材でユーザーにメリットはない。下地側で防音は確保できる。
ウレタン塗装やUV塗装は強靭で水を放置しても浸透しない。ただし傷ついたときの補修はプロに依頼しないといけない。自然ワックス仕上げは質感に優れるが、醤油をこぼしたのを一晩放置すると浸透してシミになる。数年おきに塗り直しが必要だが自分でDIYできる。どっちが良いかはお好みで。
ニッシンイクス150mmオーク自然オイル仕上げ/30度ナナメ貼り。
複合オーク150幅 | 無垢・複合フローリング・不燃ボード|NISSIN EX.
本当はヘリンボーンにしたかったがめっちゃ高いのでナナメ張り。
温水式にしよう。電気式は暖まるまでの時間がかかりすぎて実用的でない。
躯体あらわし!中古マンションでなければできない仕上げ!天井は水漏れでカビてなければそのままつかえるはず。ぜひやろう。
壁面は大抵のマンションで解体後にGLボンドという接着剤が盛大に残るので、上から塗装するかそのままにするかを判断する必要がある。
マンションリフォームの事例集で綺麗なコンクリート壁がでてくる場合があるが、あれはもう一回壁を仕上げなおしている。
余談だが世の中のほとんどのコンクリート打ちっぱなしの建築は、コンクリの上から打ちっぱなし風の塗装をしている(安藤忠雄のように本物のコンクリートで打ちっぱなしを仕上げるのはものすごく難しい)。一般人はその塗装をみて「やっぱコンクリート打ちっぱなしはかっこいいねー」と言っている。それは塗装だ。
たまに「コンクリート打ちっぱなしって寒くないの?」と聞かれるが、それは断熱が入っていない建築をイメージしているから。なので安藤忠雄の住宅は夏暑いし冬寒い。なお忠雄本人はタワマンに住んでいる。
マンションの場合、隣や上階に部屋があればそこが断熱として効くので打ちっぱなしでも大丈夫。
ただし床は例外。熱伝導率が高いので皮膚が触れたときに同じ温度でもコンクリートやタイルのほうが冷たく感じる。
壁面はGLボンド撤去の上、塗装。一部モルタル塗り直し。一般の壁はAEP塗装の白マット仕上げ。寝室とクローゼットはモイスという調湿建材。壁紙はきらいなので未使用。
海外勢のデカイ食洗器をいれよう。パナソニックのビルトインは買ってはいけない。あれは卓上タイプよりも食器が入らない。
海外食洗器をキッチンをいれるときは、床から天板の下端までの高さに注意してほしい。日本だとミーレがデカい顔をしてぼったくり価格で売っているが、これは高さが80cmでギリギリ日本の一般的なシステムキッチンに入る寸法だからだ。AEGやボッシュは82cm以上を要求するので、日本の一般的な85cmの高さのカウンターだと入らないことが多い。逆に言えばとにかく下を82cm確保すればどのメーカーでも入る。AEGはカゴがリフトアップする。ボッシュは耐久性が高い。ガゲナウはボッシュの見た目をかっこよくしただけ。IKEAはAEGのリフトアップを削除した廉価版。ミーレはぼったくり(2回目)。
中華料理命!でなければIHをオススメする。加熱時に上昇気流が発生しないから油が飛び散りにくいし、使っていないときはフラットだからほかの用途に使える。勝間和代氏はIHのガラスの上でうどんこねてた。
コスト削減のためシステムキッチンは購入せず、天板だけ買って大工さんに施工してもらった。天板の下は無印の収納を突っ込んでいる。これで百万ぐらいコスト削減。天板はシゲル工業で作ってもらった。スクエアシンクって手で溶接するからめっちゃ高いんだけど、ここはプレス品だから安い。
スクエアシンク | ステンレスワークトップとキッチンシンク製造のシゲル工業
その他に検討したのはキッチンハウスのグラフテクト。今でもグラフテクトはアリだと思っている。
GRAFTEKT -グラフテクト- | 家具のようなキッチン・システムキッチン
水栓はLIXILのナビッシュA6。濡れた手で触らないので、水栓周りがよごれにくい。
https://www.lixil.co.jp/lineup/faucet/navish/
換気扇はパナのDEシリーズかフジオーにしよう。メンテがしやすい。
パナはDWという10年掃除不要と謳っている製品を推しているが、あれは代わりに一切のメンテができず、10年で本体交換を必要とする地雷。
IHもパナ。グリルまでIHにしている唯一のメーカー。このグリルが優秀で、オーブン代わりになるし、パンもおいしく焼ける。おかげでヘルシオとバルミューダトースターが不要になった。
水栓は垂直面から生えたやつにすべし。立ち水栓は根本が汚れる。ダブルボウルは便利だが、なくてもなんとかなる。
LIXILのYL-537を2台設置。洗面台と水栓が一体型で、かつ壁から水栓が生えている。本来は公共施設用のものなので耐久性が高い。それでいてシステム洗面台より安い。いいことづくめ。唯一の弱点は排水トラップが真下に生えるから下の収納に制約がでる。
脱衣所にガスコンセントを引いておくと、ガスファンヒーターで冬の風呂上がりの寒さや洗面所の足元の冷えを解消できる。乾太くんやガス炊飯器もそうだが現代のガス機器は優秀なのにマイナーなのでもっと評価されるべき。
安さに惹かれてパナのアラウーノにしたが、失敗した。パナはアラウーノの素材のことを「有機ガラス系新素材」とか言っているが、これは単なるプラスチック。普段は自慢の泡洗浄で汚れを防いているが、一度洗剤が切れると陶器の数倍の速さで汚れる。しかも洗剤の消費ペースが早く毎月補充が必要。めんどい。やはりトイレはTOTOにすべきだった。パナは商品設計はとても誠実なのに、どこかに弱点があると言葉のあやでごまかそうとするのがムカつく。パナソニックが聞きなれない単語を使い始めたら要注意だ!
手洗い器は洗面所と同じで、垂直面から水栓が生えているやつにしよう。その点でサンワカンパニーはダメ。あいつらインスタ映えすることばっかり一所懸命でメンテのことを忘れてる。
人類は太陽の動きと連動して暮らす生活を何万年と続けてきたので、極力それに合わせた照明を計画するのが基本。究極は「日が沈んだら寝る」だが、現代人には無理ゲーなので「夕日が沈むのを遅らせる」のを目的とする。なのでだんだん暗くできる調光可能な照明をいれる。夕日の代わりなので暖色にする。色温度が変わる機能は不要。
増田は風呂や納屋も含めて調光可能にした。深夜になにかを思い出して、納屋やトイレに行ったときにバチっと全開でライトが付くのは不快だ。パナソニックがまさにそういった夜間だけ暗くなる人感センサースイッチを出している。
[トイレ壁取付]かってにスイッチ(換気扇連動・ほんのり点灯モード対応) | アドバンスシリーズ | スイッチ・コンセント(配線器具) | Panasonic
聞きなれない言葉かもしれない。これはタスク=作業場所とアンビエント=環境照明は別々に計画しましょうということだ。真っ暗な部屋でスマホライトをを下向きにすれば手元が照らされ、上向きにすれば部屋がぼんやり照らされる。照明は向きによって機能が変わる。食卓やキッチンなど何かしらの作業が発生する場所には下向きのライトで必要な明るさ確保、それだけでは全体が暗いので、上向きの間接照明で明るさを補うといい感じになる。食卓の上にペンダントライトを吊るのはタスクライトのためであってオシャレのためではない。
この「何かしらの作業が発生する場所」はライフステージの中で結構変動するので、照明の位置や向き、数を可変できる「照明ダクト+スポットライト」が増田のオススメ。白くて丸いシーリングライトは、タスクに必要な明るさを確保しようとするとアンビエントまで過剰に明るくなる。すると眼の光彩が絞られて手元が暗く感じる→さらに明るいシーリングライトを買ってきて・・・の無限ループに陥る。親のいる実家がどんどん明るくなるのはそのせい。シーリングライトは法律で販売禁止にすべき。
タスクライト→天井に配線ダクトをつけまくり、MAXRAYのレトロフィットスポットライトMS10481-44にウシオ電機のCシリーズの電球。
LDR6/5 E11 φ65 ロング(スポットライト) | 照明器具のマックスレイ | ウシオライティング(製品サイト)
信頼できるメーカーで調光可能で演色性が高くてそれなりに安いとなるとこのへんになる。ウシオ電機は一般にはあまり知られていないかもしれないが、建築業界ではとても有名な照明メーカー。器具自体はデザインでお好きにどうぞ。よく「LEDは10年もつぞ」と言われるが、その前に5年ぐらいで制御基板が壊れるので灯数が多い器具は電球が分離できるやつにしておいたほうがいい。
アンビエント→リビングはコイズミの棚上照明。商品名の通り壁面収納の上を間接照明にして天井を照らしている。
Shelf’s Compact Line|シェルフズコンパクトライン|コイズミ照明株式会社
寝室は壁面にパナのホームアーキの壁面ブラケット。天井には照明無し。
HomeArchi(ホームアーキ)|ブラケット|住宅用照明器具 | Panasonic
基本スイッチはすべてパナのリンクプラスで遠隔操作可能にした。正直高くついたしアプリは超クソだが、PSEを遵守したなかで選ぶとパナしかない。Philips Hueなどのスマート電球でリンクプラスの代用とすることも可能だが灯数が多いときはあまりオススメしない。演色性が低いのと基盤がすぐ壊れる。
アプリはクソなので(2回目)、これらをArduino+Homebridgeで自動制御しているが、詳細を書くとこの日記が3倍に膨れ上がってしまうので、そのうちQiitaにでも書く。
なお照明は製品設計としてそれなりに奥が深いので(インバーター周波数とか演色性とかカンデラとルクスとルーメンの違いetc)なるだけパナか照明専業メーカーのものを使おう。安いからってアイリスオーヤマとか買っちゃダメ!
[B! 家電] ブログ アイリスオーヤマのLEDシーリングライトのチラツキが酷い
パナのアプリがクソで思い出した。パナソニックの玄関ドアホン、これもアプリも超クソだった。ピンポーンとなってからスマホで出るまでに30秒はかかる。 30秒もまたせたら相手は留守だとおもって立ち去ってしまう。それじゃあ、と思ってアイホン、Google Nest、Alexa Ring、も買ったが同様に遅延がひどい。どうしろと!!
→結果、Aqara G4でなんとかジプシーを卒業できた。今んとこまともに機能するスマホドアホンはこれだけかも。
安藤忠雄は好きです。
一日目
ああ、やっぱり。のどが痛い。咳が出る。風邪を引いた。前日のお客さんとの飲み会が終電近くで、帰宅したのが夜中の1時前だったからだろう。そういえば飲み会前からのどに違和感があった。幼稚園に通う子ども二人がそれぞれ所かまわず咳をしていた。彼らも幼稚園から風邪をもらってきたのだろう。そして見事に私にうつり悪化した。これは少々面倒くさいことになった。
風邪を引いたことを妻に悟られてはいけない。なぜなら、露骨に不機嫌になるからだ。これは昔から、そう、結婚するはるか前からそうだった。私が風邪を引くなど体調を崩すと露骨に態度を変える。急に不機嫌になる。病院に行け薬を飲めとやかましくなる。こちらも、体調不良の程度に応じた選択をするのだが(例:病院に行く、市販の薬で済ませる、家で寝るなど)、その選択とその理由をいちいち説明して納得させるのに労力を要する。そしてたいていの場合、仮に筋の通った説明ができたとしても、不機嫌は治らない。労りの言葉などない。旦那が弱っている姿は本能的に受け付けないのだろう。また結婚して子どもが生まれてからは、家事育児子どもの相手の負担がすべて自分にかかることも不満なのだろう。
のどが痛く咳をしたいが、妻の目の前ではできるだけ我慢する。前日が飲み会だったことで、二日酔いという体でスポドリを所望する。これはできるだけ早く寝るに限る。幸い前日が飲み会で寝不足だったことから、それを言い訳に子どもと一緒に早めに就寝することにした。熱がある気がするが、体温計は使えない。使う姿を見られたら風邪を引いたとばれるからだ。また、うまく見つからないようにこっそり使用できたとしても、履歴が残ってしまう。電源を入れると前回測定した体温が表示されてしまうのだ。仮に高熱を計測してしまい、何かの拍子に妻が体温計を使ってしまった場合(子どもが風邪ぎみなため、なおさら使う可能性がある)、うっかり前回の高熱を目にしてしまうことになる。こうなればもう、発狂である。
21時前に就寝し、0時前に一度目を覚ます。ああ、これは熱がある。おしまいだ。妻はまだ寝室にはいない。一人でリビングでYoutubeを見ているのだろう。と思ったらちょうど寝室に入ってきた。ポカリをがぶ飲みしていたせいでトイレが近い。ふらふらになりながらも、妻に悟られないようにできるだけ自然に布団から起き上がりトイレに行く。よし、成功だ。まだばれていない。
二日目
いつものように娘に起こされる。時間は朝の6時。体調は良くないが、睡眠時間をたっぷりととったおかげでかなりマシになった。娘とリビングに行き、朝ごはんを作る。幸い今週はすべて在宅勤務だ。体調がもどらないうちは最低限の仕事だけしておこう。だるさと頭痛が残っていたが、家にあった頭痛薬を飲んでみたら両方ふっとんだ。これはすごい薬だ。2リットルのスポドリが無くなりそうだったので、スーパーに行く予定の妻に所望する。妻が買い物に行っている間に体温を測ってみる。37.4。ああ、やっぱり熱があったんだ。この履歴が残らないように、体温計を脇に浅くはさみ本来よりも低い値が出るように調整してもう一度体温を測る。36.3。よし、子どもたちの平熱より低めだがこれで問題ないだろう。成功だ。
夕方になると咳がひどくなる。さすがに妻の前でも我慢ができない。「風邪ひいたの?」と不満げに聞かれるが、「いや、そうじゃない」とだけ答える。かなり怪しまれているが、明言しないことが大切だ。今日も早めに寝ることにする。よし、今日もばれずに乗り切った。成功だ。
三日目
朝起きると体がずいぶん軽くなっていた。寝ている間に熱が引いたのだろう。だがまだ本調子ではない。咳と鼻水は続く。相変わらず娘に朝早く起こされ朝ごはんを作る。ドラム式洗濯機から洗濯物を回収する。そういうえばのど飴がキッチンにあることを思い出して、口にする。咳とのどが楽になる。これはすごい飴だ。のど飴を口にしたことがばれると面倒なため、ごみはキッチンのごみ箱の奥に押し込む。夕方になるとまた咳がひどくなる。ここでようやく「風邪ひいてたんでしょ」と冷たく妻が吐き捨てる。ほら、だから言いたくなかったんだよ。幸いもう熱は引いている。高熱が出ていたなんて知られたらそれどころではなかった。危ない危ない。洗濯を終わらせて早めに就寝する。ついに風邪を引いたことがばれてしまったが、ソフトランディングには成功だ。
四日目
子どもと妻にうつすことなく(というか子どもからもらったのだろう)なんとか乗り切れた。相変わらず咳は続くが、生まれつき気管系が弱く風邪を引くと咳だけ長引くのだ。咳止め薬もあまり効果はない。あと一週間くらいかけて徐々に落ち着くだろう。ふう、がんばった。何とか今回も乗り切った。
振袖は着たくない。
大学卒業を控えた今のわたしも、やっぱり袴は着たくないと思っている。
2年前は自分でもよく理由が分からず、親や祖母は一生に一度なんだから着ればいいのに、と言い続けた。
だけど、成人式=振袖の構図に乗っかるのはありきたりだから嫌だとか、親のお金で選ぶ=途中でやっぱやーめた、とかできない、心理的閉塞感が自分のファッション美学に反するだとか、適当な理由を並べて回避した結果、それでも一応新しく買ったワンピースで、中高の同窓会みたいなやつに出た。(地元に友達がいないので式自体は出ていない)
わたしの振袖が見たいと主張していた祖父は前年に死んでいたから、わたしの主張に強く反対する親戚は誰もいなかったからだ。
そうして2年が経ち、現在卒業を控えているわけだが、袴はやっぱり着たくない。
最初は、2年前着られなかった振袖で出ようかとも思った。白地にバーンとでっかい鶴に椿とかを背負ってカッコよく決めたいな、なんて考えて、一度はその気になってフリソデモードに足を踏み入れてみたり、伊勢丹の貸衣装を覗いてみたりした。
けど、親が寝た後の暗いリビングのテーブルに、ぽつんとパンフレットが置かれているのを見て、やっぱりなんか違うな、と唐突に思った。パンフレットの幸せそうなモデルさんにイライラしてきて、もらってきたばかりだけど丸めてゴミ箱に突っ込んだ。
表紙を一枚捲ると、「お母さんに感謝を」的な、そういう文言が書かれている。
お母さんに感謝。
一理あるかもしれない。女手一つで育ててもらって、一貫に通わせてもらって、私大に入れてくれた。そのおかげで、悪くない職にもつけたと思う。いまいち活かしきれてないかもだけど、それはまずはありがとう。
けど、わたしは忘れない。忘れていない。
幼稚園の時にヘアゴムを無くしたら、夜中までリビングに立たされて、父親が帰ってくるまで怒られたこと。裸足で踏むフローリングの冷たさ。布団に入っても温まらない足を手で握って擦っていたこと。
両親が離婚して、変わった苗字を学童でからかわれて悔しくて、帰り道泣きながら母親の背中に話したら、「そのくらいで泣いててどうするの?」と逆に怒られたこと。自転車の後ろで、溢れる涙を押し殺して、声だけは気丈に振る舞ったこと。
テストの振り返りがちゃんとできていないといって、窓ガラスに向かって投げ飛ばされたこと。ベランダに締め出されたこと。投げ飛ばされたときは、これでわたしが大怪我でもすればお母さんも肝が冷えるかな、なんてのんきに考えていた。ベランダに出されるのは慣れっこだし、じっとしていればそのうち「なんで入ってこないの」て迎えにくるから大丈夫。
正直、これを書きながら涙が止まらない。
ぜんぶ完璧に乗り越えたと思っていたけど、全然まだ、わたしのきずとして残っている。
「お母さんに感謝を」というキャッチコピーを見た瞬間、わたしはそのことを理解した。
母とわたしは今では普通に仲良しだ。だけど、今までの人生で、何度も辛い目に遭わされてきたし、わたしはそのことを許していない。だから、母親に、「普通の母親が享受できるはずの幸せ」を与えたくないのだ。だから、振袖を着たくないと思ってしまうのだ。
メカニズムを把握した瞬間、振袖に対するもやもやした未練は消え去り、親への復讐という素晴らしい目的のためになんとしても今回も、袴および振袖を回避せねばならない、という使命感で高揚してきた。というか、今までの所業を「振袖姿を見せない」だけで精算してやろうというんだから、わたしは相当心が広いんじゃないかとすら思えてきた。だよね?
言って仕舞えば後もう一つ理由はあって(似たようなことだが)わたしは結構完璧主義なのだけど、「振袖とは心から完璧に祝いの気持ちで着るものだ」と信じている。だけどわたしは卒業を大してめでたいことだと思わないし、親には複雑な感情があるしで、そんな状態の人間が振袖を着てニコニコするというのは言うなれば振袖というものに対する「解釈違い」なのだ。だからやりたくない。
ここに書いたことは流石に母本人には言えないが、誰かに聞いてほしいのでここに来た。ご清聴ありがとう。
丸めてゴミ箱に突っ込まれたパンフレットをみて、翌朝の母親が少しでも心を痛めることを願って。
生まれは地方の港町。5人家族、3人兄弟の3番目(姉、姉、自分)。
平屋の町営住宅で、トイレは和式のぼっとん便所。そんな家に俺は生まれた。
それが母親の口癖だったように思う。事実、実家を出るまでわたしは実家が裕福だと感じたことはただの一度もない。
高校生の時、友達が遊びに来た時「お前の家のトイレ臭せぇ」ってとても遠回しに言われたことを覚えている。(うちのトイレはハエ取りキンチョールスプレーの匂いが常にしており、なんとも言えない匂いを放っていた)
父親は公務員だが酒飲みで、自宅にはよく借金取りが来た。夜、2人組の男を母親が玄関先でを追い返したことを今でも覚えている。
父は家の中でよく暴言を吐いた。そして暴れた。
狭いリビングの中で大声を出して暴れることもよくあり、皿が良く家の中を飛び交った。
「やめてよ!!!」という声を出して、裏庭に逃げたこともある。
隣人の森田さんに何度かその話をしたことがあったが、自分の親よりも年上だった森田さん。今思えばすべて事情を把握していたのだろう。
「大変だねぇ」みたいなことを言われた記憶が何度かある。
欲しいおもちゃも満足に買ってもらえなかった。
1980年代生まれなので、ファミコン、スーパーファミコンドストライク世代。
自宅ではスーパーマリオの動く紙芝居みたいのを作って、その上でキャラクターを模した手作りの置物を動かして「ぽよーん」とか「キノコゲット!」とか言っていた。
だから母親が牛乳配達をしていたため、どうしても余る牛乳パックを重ねてひな壇を作って、その上に包装紙を貼って「おひなさまできたー」みたいなこともやった記憶がある。
注。一応私は男です。
小さな港町。裕福な家庭なんてそうそういないのだが、自宅から歩いて100mくらいのところに、たまたまお金持ちの同級生が住んでいたことも、「うちは貧乏なんだ」と思うことを加速させる一因にもなった。
彼の家は一軒家、3階建て。広い庭あり。
冬休みは家族みんなでハワイに行く。よくお土産をもらっていた(その時にもらった野球鉛筆はいまでも捨てられずに保管してある)
彼のおじいちゃんはとても野球好きで、彼にとても情熱を注いで野球を教えていた。(親が子供に野球を教える。。。のおじいちゃんバージョン)
俺の家ではとうてい変えるはずのない、ティーバッティング用のネットを自宅に用意し、休日も野球の練習が出来る環境があった。
彼の家にあるものが、うちにはない。
彼の家では誕生日に豪華な食事が出るが、うちではケーキと父親が居酒屋で買ってきた七面鳥くらい。
小学校でも「びんぼーびんぼー」といじめられていた記憶がある。
うちは、家も狭いしシャワーも無いし、トイレはぼっとん便所だし。
服だってほしいものも変えないし。ビンボーなんだ。そうなんだ。 本気でそう思っていた(今でも多少はそう思っている)
父に対して「お母さんに手を出したらぶっ殺すからな!(黒歴史)」と言って家を出たのも、あの狭い平屋の町営住宅だった。
社会に出て20年。自分は実家のことを「金持ち」だと思ったことはただの一度もない。本当にただの一度もない。
ただ最近「うちって貧乏だが、実は実家が太いというやつなのでは?」と思うようになった。
この年齢になってくると、やれ親の介護だ、やれ両親が亡くなった。家族の問題、毒親だの、いろいろな話を聞く。
職場でたまたま一緒になった同い年のヤツも、在宅勤務なのだが、その理由が母親の介護らしく、事実業務中に「(親の介護用の)アラートが鳴ったから」との理由でちょくちょく業務を中座する。
今日久しぶりに再会した、前職の知り合いも「何の前触れもなく父親が亡くなって、実家の仕事を引き継ぐことになった。加えて、兄が認知症っぽくなって、その対応に一人で追われていた」とたった1年なのに、とてもやつれた顔をしていた。
この時思った。
「家族が健康で、かつ自分に口を出してこない(なんなら必要なときに金銭的な支援をしてくれる」というのは相当な資産なのでは? そしてそれは「実家が太い」と言い表していいのではないだろうか。
実は、「家族の健康は資産」という言葉は、数年前に知人に言われた言葉である(その知人とはもう連絡が取れない。あぁ。悲しい)
もちろん家ガチャもあるだろうし、家族ガチャ兄弟ガチャもあると思う。
うちの家庭は前述の通り、借金まみれ、貧乏、父は酒飲み(のちに自己破産)、姉2人はそれぞれ違う新宗教に入っているなど、傍から見ると普通の家庭では無いと思う。母も、新宗教ではないにしてもある宗教の熱心な信者だ。この話を他人にすると「へえ。凄いね・・(消え入りそうな声)」とよく言われる。
土地も無ければ、財産もたぶんない。人脈もコネも学歴も無い。両親は2人とも大学に行っていない。母親は確か高校にも行っていない気がした。
世間的な定義に照らし合わせるならどう考えても太い家では無い。それどころかただの貧乏家庭である。
それでも、その両親はわたしに何の干渉もしてこず、かつ80近くになった今でも子供に迷惑をかけることなく元気である。
父80歳。母76歳。
父はちょっと弱弱しくはなったが、それでも電話をしたら2人ともはきはき話す。母親にいたっては今でも畑仕事に精を出す。おかげで足腰は元気だ。
もし、仮に死ぬことになった場合は、費用も含めて手筈は整えているらしい。わたしとしては当然ながら生きながらえてほしいが。もっと一緒にいたい。
ただ、正直ありがたいとも思った。
実家、家庭で問題が無いという事は、それだけ自分のことにフォーカス出来る。集中できるという事を指す。
そしてこの「家庭、家族の問題に振り回されることなく自分の人生に集中できるという事は、当たり前のことではないんだ」ということに、最近まで気づかなかった。
ここ最近、職場など様々なシーンで関わる人と我が家を比較してみて、「実家が太い」とは必ずしも財産、資産などの有形資産のことばかりを言うのではないのだなと感じた。
経済的には貧乏なんだろうけれど、それでも太い。そんなわたしの実家の話し。