はてなキーワード: ニセコイとは
ここ10年以内に始まったジャンプ漫画の殆どは人気が出ても引き伸ばしも無く終わっています。
鬼滅の刃があっさり終わる事を不思議に思うのは、それ以前のジャンプ漫画の印象に引き摺られてるのでは無いでしょうか?
それを示すために以下では2010年以降に始まった週刊少年ジャンプの漫画で100話以上続いた漫画を挙げていきます。
(100話以内に終わった漫画は引き伸ばし云々を語るには適さないため除外します)
タイトル | 連載開始年 | 話数 |
---|---|---|
ニセコイ | 2011年 | 229話 |
斉木楠雄のΨ難 | 2012年 | 282話 |
暗殺教室 | 2012年 | 180話 |
食戟のソーマ | 2012年 | 315話 |
磯部磯兵衛物語 | 2013年 | 256話 |
火ノ丸相撲 | 2014年 | 250話 |
鬼滅の刃 | 2016年 | 205話 |
(ONE PIECE(1997年開始 現在979話)とHUNTER×HUNTER(1998年開始 現在390話)は除く)
タイトル | 連載開始年 | 話数 |
---|---|---|
ハイキュー | 2012年 | 393話 |
ワールドトリガー | 2013年 | 196話 |
僕のヒーローアカデミア | 2014年 | 271話 |
ブラッククローバー | 2015年 | 250話 |
ゆらぎ荘の幽奈さん | 2016年 | 206話 |
約束のネバーランド | 2016年 | 177話 |
ぼくたちは勉強ができない | 2017年 | 158話 |
Dr.Stone | 2017年 | 150話 |
アクタージュ | 2018年 | 112話 |
呪術廻戦 | 2018年 | 106話 |
上記を見ると2010年以降に始まった漫画は300話も掛けずに終わる事が殆どな事が分かります。
現在連載している漫画も300話以上続きそう・続いている漫画は少数派ですし
その範囲だと引き伸ばしが行われていると考えるには話数が短いでしょう。
(私個人の主観でも引き伸ばしを感じたのはBLUE編のあった食戟のソーマくらいだし…)
確かに上の表の作品内で比べれば鬼滅の刃の終了話数は短い方ですが、
それにしてもアニメ・実写と展開した暗殺教室が180話で終わった事や
ぼく勉・ネバランも200話以内に終わりそうな事を考えれば、
鬼滅の刃が205話で終わるのは例外的な事象とは言えないと思われます
よって人気があるからと連載を伸ばす事を編集部に要求されるのは、
少なくとも近年は無いと考えるのが自然では無いでしょうか
「わかり手」さんから広まった「最近のオタクは辛口批評をしなくなった」
論争だけど、「わかり手」さんのひどさが浮き彫りになったよね。
まず、最近のオタクをかじった奴なら、誰でも知ってる反例が1つあるよね。
そう、「けものフレンズ2」だね。その作品に関しては、ネット上では
「いや、あの作品は「叩いていい」という空気が形成されていたから
オタクはその風潮に乗っているだけだ」と。
でも私はそれにもいくつかの反例を持っている。
例えば、「ニセコイ」。
例えば、「弱虫ペダル」。
例えば、「五等分の花嫁」。
曰く、「振ったヒロインの一人にウェディングケーキを作らせるという死体蹴り行為をしている」
曰く、「レース中の回想が多すぎて1週間で現実空間で50mも進まない」
曰く、「主人公との絡みが最も少なく、恋をする強い動機もないキャラクターが
というか、タイトルに戻るけど、
以上に挙げたように、ネット上には
いわゆる「逆張り」に過ぎないんじゃないだろうか。
さほど心配しなくていい
というか、マルチエンドを開発したエロゲ業界はその後どうなったかというと発展したわけじゃなく小さくなった
STGや格ゲー、RPGのマルチエンドと、ノベルゲームのマルチエンドって実はかなり別物で
なぜならノベルゲームは「異なる展開」を作ろうとすると、その別ルートをまるごと新しく作り直さないといけない
RPGのエンディング分岐なんかは、戦闘デザインやバランス等々が本体だ
全体の労力からしたらシナリオのちょっとした分岐程度はそこまでの作業量じゃない
それが、ノベルゲームで二つルートを作ると単純に作業量が倍になる
いやいや共通する部分はリソース共有すればいいじゃないかと思うかもしれない
けど、同じ文章なんて誰も読みたくない。だからスキップで読み飛ばす
じゃあ、スキップで読み飛ばせないような他のメディアで似たようなことをやったらどうなる?
有名どころだと「涼宮ハルヒの憂鬱」の第二期が、他にもいろいろな事情があったが、見事に沈没した
似たようなことを繰り返してたら、人間は飽きる
では、と飽きないように前と違う要素、異なる展開を入れるとすると、当然ながら労力がかかる
異なる展開、二つめ、三つめぐらいは、元々の作品ポテンシャルが高ければアイデアも湧いてファンもついてくるだろう
四、五、六、と続いていくとネタ重複も気になりだしファンも飽きがくる
そもそも同じ時間を反復するのは時間が先に進んでいくのより考えるのが難しい
新しい要素が極端に入れづらくなる
新たなエピソードを重ねていくのも難しい、新キャラを投入するハードルも上がる
唐突に降ってわいた過去エピソードや、ポッと出の新キャラが話の展開で重要、なんてのを何回も繰り返してたら、
最初のうちは許容してたファンも次第に無言になってく(あるいは信者化して批判を耳にいれなくなる
僕勉の作者の前作はニセコイのリブートだったが、ニセコイの人間関係や記憶は受け継がれていない
恋愛における公正とは、執念の順に望みのものをゲットするということです。
みっともない、正しくないものです。
たとえば「相手が幸せであれば自分のものにならなくてもいい」というのは
ライバルを押しのけてもいじましいアピールをしても相手を手に入れたい。
それが恋愛です。
具体的に何が言いたいのかといえば
『5等分の花嫁』のあの勝者は私には面白くないということです。
道徳的です。
姉妹のうちで最も心が清いと言ってよいでしょう。
長い期間片思いというなの執着を燃やし続けたり、
こういう欲望と恐怖と勇気を見せてくれた人に勝ってほしいでしょう?
そういう人を差し置いて、後から来て物語終盤で恋愛感情を自覚した人に余裕綽々でホイホイッともっていってほしくないんです。
5等分で言ったら、
途中から好きとか言い出して、誰が見ても突っ込みたくなる恥さらし状態で
自分でもディスアドバンテージを自覚しながらそれでもがんばるという人とか、
姉妹の中でお姉ちゃんとして常に自分を抑えて大人の振る舞いをしていたのに
ちょこちょことせこい贈り物作戦で好感度稼ごうとして反応に一喜一憂していたり
途中からぶっ壊れて妹達に変装して情勢操作をもくろむという大反則に打って出る人とか、
そういう人の方ががぜん応援したくなるんですよ。
あの勝者の子は何ですか。
見苦しい手や汚い手を一度も打たなかった。
誰に対しても恥ずかしくない振る舞いしかしなかった。
ライバルの姉妹を出し抜いてでもアピールするような心がなかった。
こんな子に勝たせちゃダメでしょ。
男の方も不見識です。
ただただ一番自分のことを支えてくれた、害を及ぼさずに利益を与えてくれた女を選ぶんです。
なんてつまらない男でしょう!
ストーカーやヤンデレ、腹黒属性のあるキャラが必ず勝っていつも正ヒロインになってしまうってのはちょっと…多様性がないと思わんかね
あーもー長々例示つきで書いたのにこういう全然わかってないレスが来るとがっかりしちゃう
ヤンデレとかストーカーとかそんなもんなんにも面白くないんだよ
それらはそういうジャンル、キャラ造形として最初から設計されて宣言されて受容されるっていう退屈なお遊びだよね
ちゃんとまともな社会的人物として生きてきた、普段そんなことしない人として立てられたキャラが、
そこを踏み越えて汚いことや恥ずかしいことをしちゃう、そういう総体がいいんだよっていってるでしょ
というかねえ、ヤンデレだのストーカーだの腹黒だの、人の人格をそういう極端な類型で説明してしまうような創作はあんまり程度高くないと思いますよ
そんなんばっかり読んでるからもう少し解像度の目の細かい話してる人間に向かって「つまりヤンデレやな?」みたいな粗雑なまとめでかえしちゃうんですよ
あなたの脳が粗雑な創作によって型にはめられているってことなんですよそういうのは、もっと危機感持った方がいい
イカちゃんも期待してたんだけどまさに粗雑なヤンデレキャラという第一印象のままフェードアウトしてしまってもう影すらない
ジョバーと化して小学生や大天使にすら負けるし、女子最高の才能とはなんだったのか・・・
kuzudokuzu 残念ながら増田の言い分自体が「俺には執念がある!だから俺の執念を通せ!!」なので、それに気づかない人ぐらいしか「よしやってやろう!」と話に乗ることはない。
2020/02/18
誰が「俺の執念」とか、私個人の話やリアルの話をしてるんですか。
「よしやってやろう!」というのも何をやってやるのかわからないし。
上の雑な人と違って何言ってるのか全く分からない。
大丈夫なのかこの人。
「お話の中ぐらい公正世界を求めたい」はフィクションに対する愚弄である。フィクションは現実的であってもなくても理想的であってもなくてもよいのだ。皆、好きに作るべきだし、私も好きに読むし、君も好きに読め。
こんなの勿論私の趣味・私のお気持ち表明であってこれが世間のルールになるべきとは思いません
ただ自分の趣味をこうやって整理して熱弁したらみんなもその趣味をどう思うかとか自分の趣味はこれであるとか言ってくれるでしょう
これは確かに断りを書き忘れた私の落ち度です
学園ラブコメで言ったらライバルをいじめの対象にして蹴落とすとかそこまで行ったら肯定しません。
また、ジュビロはそもそも恋愛を描いたのではなく「執着が人を不幸にする」という世の真理の方を描いたと思います。
一時期萌えおじさんになって恋愛を描いてましたが(蛇足と言われてるけどあの村の3姉妹とか好き)、
「行き過ぎた執着で自分も周りも不幸にした悪のおっさん」を描くことのほうがずっと多いです。
設定的にはその通りなんですが
ぶっちゃけ作者から「この子の目はありません」という目配せのような扱いのギャグさがあったのと
マリーを例にすると特定のキャラへの思い入れで言ってると思われそうなので
まぁ押しが強いキャラって、当て馬というか、主人公にガンガンアプローチすることで正ヒロインがやきもち焼いたり、気付いていなかった恋心に気付かせる役割ばっかりなので、まず勝てないってのは哀しくはあるな…。
その問題は原因が3つあると思っていて
1.積極性が強い=「遊び人」「フシダラ」という古来の非難や敵視の目線
3.押しの強さの中で粗密やドラマを作るという複雑なことに挑戦出来なかった技術不足
ですが、
そういう意味では2が本当の敵かなと。
ごめんなさい、truetearsとschooldaysがまじったタワゴトを書いてました。
どっちもしってて全然違うのになんだこれ怖い。
あの漫画の中で最も執着と献身性、純白の狂気を見せてくれたのは千葉県さんだからね、しかたないね
恋愛は執念ではないわ。見た目等の自分の売りのステータスを伸ばし相手の好感度を上がる選択を選ぶのが大前提!突き進むだけの猪では現実でもバウムクーヘン確定よ。/変態仮面は清楚では無い二号ヒロイン選んだな。
恋愛ゲーのあのシステムも一面の正しさを含むかも知れないけど、それ以上にあのはっきりしたステータス主義の結果として「そうか、中スペの自分に恋愛は無理なんだな」と考えて身を引く奥手男性を結構生み出したのではないかと思っています
ステータスを伸ばしてからどうこうっていうのがそのまま役に立つのは恋愛というよりむしろ婚活のような気がしますがボリューム世代で未婚が増加した後の日本ではもう手遅れなかんじ
伝説の藤崎詩織さんのあの振る舞い(デフォステータスでは一緒にいるのが恥ずかしいといって偶然出くわして一緒に下校することすら拒む、ステータスが上がると寄って来るし高ステータス時にデートに誘わず放置してるとキレる、これで問題のある高慢ヒロインではなくメインヒロインという設定)を作った人
恋愛工学創始者並みに恋愛をシニカルに嫌悪しながら見てたのではと思う
お前の攻撃には執念が足りんぞ
あの概念凄く好きです
昔の少年漫画で敵が言ってくることとして相当凄いですよね
お前の攻撃には欲望が足りん、執念が足りん、そういうアドバイスが出てくる世界
その後の無想転生は我執を捨てた境地ですが
読んでみます。
いやそういう話じゃないって言ってるでしょう。
あなたがそんな読解力のないコメントをするのは意外だし残念です。
書き換える前のコメントの方が良かったな。
完全にストーカーの理論やんけ、怖いわ。むしろ恋愛がもたらす煩悩的な執着をしないほうを人は選ぶよね、というメッセージとして作品が成り立ってるのに。自分だって執着するだけの相手選ばないだろ…知らんけど
この人達は「ノーマルな恋愛」を清いものだとかいかぶっていると思います。
ちゃんと読んでないからアレなんですが、あれは恋愛漫画じゃないと思います。
確か宇宙人の妹がハーレム志向を提唱しだしていたとおもいますが
一種の優しい世界としての勝ち負けなしのハーレムで終わればいいんじゃないですか。
そういう風に終わったのかは知らんけど。
五等分の花嫁は読んでないけど、「ただただ一番自分のことを支えてくれた、害を及ぼさずに利益を与えてくれた女」って主人公に一番尽くしてるってことじゃないの?公正さを求めるなら、むしろ選ばれて当然なのでは。
「私の考える」「恋愛における公正」がなんなのかは文頭で説明しましたよね?
あなたが言ってるのはあの子が一番性格が清くて善だということです。
あなたも私の話をよく読んでください。
増田は根本的に勘違いしている。これは読者層で違うんだよ。少年漫画なら、控えめな優しい女が勝つ。少女マンガなら、努力する気丈な女が勝つ。例。「恋はつづくよ どこまでも」 / 男の願望と女の願望は違う。
そうでもないです。
少女漫画でも気丈に努力してアピールしてきたハイスペ美人が振られて途中まで「あいつのことなんてどうも思ってないし」とかとぼけたこと言ってた主人公が勝ったりします。同じくそばでジッと主人公を狙ってた男もよく振られます。
「ヒロイン失格」はどうや?イケメンの幼馴染という特別な地位に甘んじて舐めプしてた主人公がノーマークの地味喪女にBSSされたショックをバネに物凄い顔芸を繰り出しながらイケメンに縋り付くパワー系ラブコメ。
あれの作者は主人公もイケメンも偏差値低そうな人間ばっかり自覚的に描くのがすごいですね
アマゾンレビューで主人公が卑しすぎるとか最終巻表紙の笑顔がマジキチすぎるとか怒ってる声多いけどわたしは楽しみました
ただし逆転で捨てられた地味子がベタなメンヘラビッチになるのだけはいらなかったと思うけど
主人公とイケメンのやったことがそれぐらい人を傷つけることだと作者は自覚し認めてるんですよね
同作者の次の漫画がまた主人公も友達もイケメンの先輩(たしか留年)も全員偏差値低そうな感じで笑いました
あれはフィクションでやたら予定調和的に上手く行く「あえてきついことを言って奮起を促す」コミュニケーションが実際は上手くいかんやろみたいな試みですよね。
ただあの子は最初はそんなことしようと思ってなかったけど全然取り付く島がなくてああなったんだし怪我のことも知らされてなかったしあの場のコミュニケーションを間違えたというより最初から上手く行く選択肢が出てなかった感じ。
そしてあの球児のほうは何の誠実さもなく甘やかしてくれるだけの青田買い打算女に励まされて復活するのですが、次の試合ぐらいでメタくそに打たれて敗退することが別の話で示唆されています。
スネイプ先生はしょせん最初から最後まで死者を追い続けてるので自分は何も報われずに死すところまでが美しいんですが、
ハリーが女生徒だったりスネイプ先生が女性だったりしたら一点してキワキワの危険人物になった可能性ありますよね。
そのケースの生の匂いと厄みが増大したスネイプ先生も見てみたかったです。
あそこはあんまりそういう目で見てなかったので「え!?」ってなりましたよね。
潔子先輩が大好きなんですが、それゆえに後日談でもあの中の誰かとくっついたりしないだろうなと思ってたら
え、田中? 一途に頑張れば普通に手が届く存在だったんだ???
単独ヒロイン全盛の中、複数ヒロインラブコメのトップランナーとしてアニメ化まで辿り着いた五等分の花嫁とぼくたちは勉強ができないがクライマックスを迎えようとしています。
最終回が間近に迫る中で当然主人公が心に決めた相手が明かされるわけですが、ラブコメ炎上の歴史をなぞるかのごとくこの2作もまた荒れに荒れています。
直近でいえばニセコイが記憶に新しいところですが、人気のあるラブコメの終盤というのは必ず荒れます。ネットのない時代は荒れる場所もなかったでしょうが、いちご100%もスクールランブルも神のみぞ知るセカイも政宗くんのリベンジも俺妹も荒れに荒れています。ハヤテのようにグダグダにならない限り、ラブコメの終盤は荒れるのです。
荒れる原因として愉快犯による煽りがあることは間違いありませんが、決してそれだけではありません。選ばれなかったヒロインを推していた読者が展開批判をすることも多いのです。
そのような方々は結論はいいけど展開が雑とか物語としてダメとか言って批判していますが、まあほとんど戯言です。本人の中では完全に正しい批判をしていることになっていますが、要は好きなヒロインが選ばれなくて腹が立つということを、客観的にこの展開はおかしいから俺は批判しているのだと装っているだけです。
かくいう私も政宗くんのリベンジでは師匠派ですが、終盤の展開は酷いと思いますし客観的にも正しいと思っています。批判者の主観では完全に正しいのですが、同じような展開でも推しヒロインが主人公と結ばれていれば批判はしないはずです。同じ作品の違うところを見て俺は正しいと思いあっているわけです。不毛ですね。
このように荒れてしまうのは「愉快犯による煽り」と「自分は正しいと信じる読者の展開批判」の2つが主なものです。
愉快犯による煽りはどうしようもありませんが、ではなぜ読者からこのような批判が起きて、ラブコメの終盤は荒れてしまうのでしょうか。
結論から言えば、他の多くのジャンルと違い、ラブコメは結果が重要だからです。過程は重要ではないのです。
他の多くのジャンルでは重要なのは過程です。結果は重要ではありません。
読者はルフィがワンピースを見つけることを知っています。コナンや金田一は犯人を捕まえますし、信と政は中華を統一します。結果はわかっていてもその過程を楽しむのです。
スポーツなどのジャンルでは一番になるとは限りませんが、目標に向けて努力する過程で何かしらの目標を達成します。結果が明確にわからなくとも、目標を達成する以上、過程に価値があることに変わりはありません。
またスポーツなどの勝ち負けはあくまでその時点のもので、将来的にどうなるかわからないという想像の余地があります。
もちろんこれらのジャンルにも例外はありますが、概ね結果自体は想像の範囲内に収まることが多く、その過程を楽しむためにあるのです。
なお単独ヒロインのラブコメも過程を楽しむものになります。そのヒロインと結ばれることはわかっているので、どう結ばれるのかを楽しむのです。
一方、複数ヒロインのラブコメは違います。このラブコメにおける過程とは女の子の魅力を見せるためのものであり、主人公とヒロインが結ばれる道筋を描くものです。
展開が雑という批判はほとんど戯言と言いましたが、これが展開が雑と言われる余地を生む理由の一つでもあります。ラブコメの特性上、ヒロインを明らかに決め打ちして描くような方法は許されません。どのヒロインと結ばれてもおかしくないような過程を書くわけですから、特定のヒロインのイベントだけに着目していた読者にとって、そのヒロイン以外と結ばれる結末は「雑」と写ってしまうわけです。
ラブコメ読者の多くは推しヒロイン以外のイベントは推しヒロインのそれと比べて軽いものとみなしてしまいます。恋は盲目なのです。だから同じような展開でも推しヒロインと結ばれれば「雑」と思わないし、推しヒロイン以外であれば「雑」と思ってしまうのです。
またラブコメ特有の課題として、将来を想像する余地がないということもあります。様々な事件を経て結ばれた恋人同士が将来別れたとなっては興ざめですから当然です。どんな読者もこれだけは許しません。ですから将来どうなるかわからないという想像の余地はないわけですね。
他にラブコメの炎上が激しくなる理由としては、ラブコメの批判が内向きになることにあります。
バトルやスポーツでは勝ち負けは敵と仲間の間に生まれるものですが、ラブコメではそれまで仲良くしていた少女同士の中で生まれるものです。つまり勝ち負けによる批判が外向きではなく内向きに起こるわけです。コミュニティ内で好きなものを批判するわけですから当然反発も酷くなります。
このようなラブコメが荒れる理由はラブコメがラブコメである以上避けて通れないものです。構造上の問題であって個々の作品の問題ではありません。あれほどちひろを選ぶ理由を積み上げてきた神のみですら荒れるのです。避けて通る方法はほぼありません。
多くのジャンルは結果(目標を達成するということ)がわかっていて、過程(目標を達成する手段、努力)を楽しむものです。
一方ラブコメは過程(ヒロインが魅力的であるということ)がわかっていて、結果(どのヒロインが結ばれるか)を楽しみにするものです。どちらも未知のものを楽しむわけですね。
ですがこの楽しむものが違うことも荒れやすい原因との一つです。読者が期待を裏切られるタイミングが違うのです。
多くのジャンルで未知なものは結果ではなく過程ですから、つまらない過程になればその度期待を裏切られたと感じます。読者によってつまらないと感じるタイミングは違いますから、不満が出るタイミングも読者によって違います。不満があっても分散されるのです。それにこの後また面白くなるかもしれないと思えば今後に期待を持つことも出来ますので、直ちに不満が爆発することもありません。
ラブコメで未知なものは結果ですから、結果が出た段階で一斉に期待を裏切られます。不満が出るタイミングがどの読者でも同じなのです。そのため不満が余計に重なりやすく、また結果が出てしまった以上、今後に期待を持つことすら出来ません。不満が爆発してしまうのです。
これもまたラブコメがラブコメである以上避けて通ることができない構造上の問題です。途中で付き合ってイチャイチャし始めてからも続くのはもはやジャンルが違います。格闘マンガから異世界ファンタジーになったタカヤと同じレベルですから読者はついてこれません。
このように何かと炎上しやすい構造にあるラブコメですが、しかしそれもまたラブコメの良さなのです。
昨今のネットで炎上するのは大抵が政治や不正や犯罪です。負の話題です。そんな中で作品の内容そのもので盛り上がることができるようなジャンルがどれほどあるでしょうか。
個々の作品で盛り上がるものは少なからずありますが、ラブコメほど盛り上がりやすいジャンルはありません。ファンの熱量がどんなジャンルより高いのです。
推しが結ばれたことに歓喜する読者、推しの美しい失恋に涙する読者、推しが選ばれなかったことに納得行かず不満を吐き出す読者。ラブコメのクライマックス時期のネットには、喜怒哀楽の感情が吐き出されるラブコメ特有の熱量があります。このライブ感を感じることもラブコメの醍醐味の一つのように思っています。
ラブコメで好きなヒロインが結ばれれば最高ですが、そうでなくとも素晴らしいものです。
鶫の泣きながら思いを吐露するシーンも、西野の懸垂告白も、八雲の悟った瞬間も、ちひろの頬を染めながら茶でも行かんと誘うところも、吉乃が覚悟しながらもキスをしたことも、桐乃が素直になってはいと答えるところも全てが素晴らしいのです。
単独ヒロインもののお互いが結ばれるまでも見守る優しい空間も良いものですが、やはり感情が大きく揺さぶられる複数ヒロインものが好きなのです。
比較的移行の遅かったラノベ界でも単独ヒロインものが増加しており単独ヒロイン全盛の流れは続いています。
しかしながらカッコウの許嫁のように次世代の芽も生まれています。漫画に比べると影の薄いラノベ界にも幼馴染が絶対に負けないラブコメなど複数ヒロインの人気作が現れてきています。
シンデレラの、マシーナリーのやつ。あれ。微笑ましく見ていたけど、女性向けコンテンツでやったらめっっっっちゃ荒れそう
部外者にわかりやすく言うと、マシーナリーとも子というネットで有名なライター?Vtuber?が池袋晶葉の大ファンで、とにかくずっと布教していて。それも助けになったのか、2019年のシンデレラ総選挙で晶葉はそこそこ健闘した。そしてこの年末のゲーム内イベントの限定カードにフィーチャーされたのだが、そのカード名が「ナシーナリー☆ドール」で、私信やん!これ私信やん!!!ってなった
(演じてるマシーナリードール……オートマタとしての)という意味なんだろうけどえっちな意味としてしか捉えられない私は邪だから…… pic.twitter.com/753TWjEYGU— マシーナリーとも子@3日目南エ13a (@barzam154__) 2019年12月24日
ただ、まあ中にはこんな↓お気持ちもある
誰が悪いという話ではないんだが、(架空の)アイドルに布教の熱心さで有名なファンがいて、まあ周囲も「あのアイドルについての周りのイメージがあのファンになるの複雑だけど、同担だしな」と思ってたら、なんか直球でそのファンを匂わせるフレーズがアイドルの公式で使われ始めたの、相当しんどそう— かめいた (@ka_ma_ta) 2019年12月24日
アイドルの出番で特定の個人が話題になるのはあんまり好きじゃないんだよな。
なんというか...その人のためだけのアイドルで、他の担当Pが有象無象みたいな風潮が苦手。
自分しか担当Pがいないって世界観を持ってるのにそれを世論が否定してくる感じで息苦しい。
Pじゃなく空気を作り出す周りが苦手。— すいら (@suirasan_kudoP) 2019年12月24日
WORKING!!といえば伊波まひる。当時からなんで人気があるのか分からなかったが、理不尽暴力ヒロインが苦手/嫌いという考えが主流の今じゃ絶対考えられんキャラだな。
男主人公も問題を抱えているがそれでも登場人物内ではまだ常識的な方。ゲスさスケベさの薄い家事が得意な草食系。
それを「男だから」「近づいたから」「照れ隠しで」で殴るとかどうなん?男性恐怖症という過去を差し引いても恐ろしすぎる。
これがラッキースケベに対する反撃なら昭和的ギャグとして理解もできるが、そのラッキースケベもない。因果関係の無い、一方的な、納得のいかない暴力が「我々の業界ではご褒美です」とか本気で言ってるんだろうか。
そして「男は女を殴ってはいけない」という昭和的フェミニズムにより反撃も許されない。では女が男を理由も無く殴るのは許されるのか?蛸壺屋が書いてた男主人公が思いっきり殴り返す同人誌は最高だった。
武器を持たない相手に刀を振るう女も、ただの怠惰女な店長も、可愛さをを感じないうざいだけの山田もやべーよ。
まあこれは高津カリノ作品に限ったことじゃないけどな。昔に流行った理不尽暴力ヒロイン全般(ルイズ、ハルヒ、ISの女キャラ全般というかあの世界観、俺妹、禁書目録、フルメタ、ラブひな含む赤松健作品全般、ニセコイ、とらドラ等)はもう現代では受けないでしょ。
作る側だって分かっているからそういうヒロインは絶滅寸前。少し前に流行った「主人公を無条件に愛するチョロイン」は古くなり、今の主流は一緒に夢を追いかけたりあるいは戦うような男女平等系。
「強い女」とか書くと急に臭くなるが、ギャーギャー騒ぐだけで全く何の役にも立たない昔のハリウッド映画のヒロインみたいなのは男視点でも嫌悪の対象になる。
まあそういうトレンドの変化に追いつけず古い価値観のままアップデートできていない例もあるけど。一部のなろうとか、戦×恋とか
複数ヒロインもののラブコメの終盤といえばファンの間で煽り合いになるのが常である。
俺妹は刑事事件になるまで発展したが、そうでなくともニセコイの惨状や政宗くんのリベンジ(最終巻の表紙を師匠にしたのは許していない)の局地的な荒れ具合、綺麗な終わりを迎えた神のみですら荒れたことを見ていればわかるように、概ね人気作品であれば炎上はするものである。当たり前だがそのキャラが好きな人がいなければ炎上などしないからだ。
ラブコメの炎上とは作品がどれだけ愛されているうちに終われたかのバロメータと言い換えてもいいと思う。(ハヤテとかハヤテとかハヤテなんかは荒れすらしなかった)
ラブコメが終わる間際の祭りのような雰囲気が大好きだ。恋が叶わないことが分かりきっているヒロインをそれでも応援したいし、九割九部九厘結ばれるであろうヒロインがそれでも結ばれるか不安になりたいのだ。真面目な考察を読んだり掲示板を見たりして感情を揺さぶられたいのだ。
単体ヒロイン全盛の時代にほぼ同時期に開始し、どちらもアニメ化までした人気作品の「五等分の花嫁」と「ぼくたちは勉強ができない」がどちらもクライマックスを迎えようとしている。
私にしては珍しくどちらも推しヒロインが結ばれそうでドキドキしているが、同時にこの後に夢中になれそうな複数ヒロインものが見当たらず、終わった後のことを考えるとふと寂しくなる。(真面目に早乙女姉妹くらいしかないような気がしてる。末期だ)
自分はポスター擁護派だが乳袋表現は一般的になって欲しいわけではない。
今回の議論では相手の考えかたのバックグラウンドに対して極めて勉強不足なまま理屈の通らない批判をしている例がフェミニスト・オタク双方に見られる(先に攻撃したのはどちらかはおいておいて)。
まずは「乳袋」なるタームを使う前に最低限の意味を調べて欲しい。
https://dic.pixiv.net/a/%E4%B9%B3%E8%A2%8B
https://dic.nicovideo.jp/a/%E4%B9%B3%E8%A2%8B
前者では乳袋を巨乳表現の技法であるとのみしているのに対し、後者ではそれを特別に性的にエロく感じる層もいることを指摘しており、意見が分かれている。
だが今回の議論にそれ以上に重要なのは両者とも乳袋表現を不自然と感じて好まない層がいることに言及している点である。
ここも無理解な人がいる点であるが(主に男性向け、ものによっては女性読者もそれなりにいるタイプの)ラブコメというのも幅の広いジャンルであってWorkingあるいはニセコイのようなエロに主眼を置かないものからラブひなやゆらぎ荘の幽奈さんのようなちょっとエッチいものから、ToLOVEるのようなエロ漫画に近いものまで存在するジャンルである。そして宇崎ちゃんはかなり前者(エロに主眼を置かない)に近い部類の作品なのだ。
そのため全く性的ではない(そもそも性的でないヒロインというのはあり得ない)という意味ではなく後者とは明確に区別されうるものだという視点で「宇崎ちゃんはエロくない、性的でない」と主張するファンが相当数いる。そこが誤解を招いているし、詭弁で性的でないと擁護する人とひどく混同されている。
そしてその非エロ派ラブコメのファンの中には乳袋表現を好まないあるいは嫌っている人もいる。はてなのようなオッサンオタクが多数いる場であればかなりの数だろう。そのような人にとってあの絵は全く性的でない(宇崎ちゃんが巨乳であることを示すための稚拙なデフォルメ表現であって絵自体は魅力的でない)と表現することはオタクとしての主義主張の表現であるし、目が大きいとか鼻がないとかそういうのと同レベルの漫画的表現を取り締まるのはちゃんちゃらおかしいという主張になる。そういう派閥もいること、理解して欲しい。
シャフトの新作TVアニメ『アサルトリリィ Bouquet』が発表された。
【#アサルトリリィ交流会】
✨ビッグニュース!✨
シャフト制作による新作アニメーション『アサルトリリィ BOUQUET』制作決定!
▶アサルトリリィプロジェクト公式サイトOPEN→ https://t.co/DCydMWQpBv#アサルトリリィ #シャフト pic.twitter.com/1TR1bg4cRC— アサルトリリィ公式 (@assaultlily_pj) 2019年10月13日
今後追加スタッフの発表でも名前がなければ、シャフト制作でメインスタッフに彼がクレジットされていないTVアニメは2006年の『REC』以来十数年ぶりということになる。(ソースはウィキペディアなので情報の正確性に疑義あり)
シャフトは2004年の『月詠 -MOON PHASE-』以降、新房昭之が中心となってテレビシリーズを制作してきた。
多くの新房昭之監督作品では副監督やシリーズディレクターを別に立てることが多く、近年では彼が総監督としてクレジットされ、別に監督が立てられるパターンが多い。
2007年以降に制作されたTVアニメの全てにおいて何らかの形で彼が関わっている。
そんなシャフトのTVアニメから新房昭之の名前が消えるというのは、ちょっとしたニュースなのでは?と思った。
まあ、実際のところは……
シャフトは2001年〜2005年の間にGAINAXと共同で制作を請け負っていた時期があり、『アサルトリリィ Bouquet』の佐伯昭志監督はその時期に『この醜くも美しい世界』『これが私の御主人様』で監督をしていた人物である。
つまり、今回の制作はその頃のGAINAX×シャフトの座組みのようなものと考えるのが妥当であろう。
佐伯昭志はGAINAX所属であるが、ガイナはご存知の通り現在は制作部門がほぼ機能していない状態なので、元請けとしてはシャフトが単体となった、というのが素人目で見て考えた真相かと思われる。
ドラクエ5でヨッメ選びを悩んだことがない。正妻がフローラというのは私の中で確定している。というか青年時代になってからビアンカを選びたがる人の気持ちが正直よくわからない。ビアンカしか選べないってやつはチョロすぎだし無責任すぎでは?
誰も聞いてないけど私の好み書いとく。キャラの好みとストーリーの好みは別。基本的にはストーリーの好みが優先する。
fateにおいてはheaven's feelシナリオが圧倒的に好き。幻の第四ルートがあったとしてもたぶん桜シナリオが一番好みだったと思う。ちなみに間桐桜自体は全く好きじゃない。
月姫では琥珀さんが一番好きだけどアルクウェイドルートが正史という立場。
武梨えり、佐々木少年、磨伸映一郎……このお三方はみな現在も商業作家として活躍中であり、同時に、シエル先輩ファンであった。当時、武内崇は「シエル先輩が好きな作家さんは漫画力が高い人が多い」というような趣旨の発言をしていた
White Album2においてはかずさシナリオのみが真実であって雪菜ルートは嫌い。キャラクターとしてもかずさのほうが好き。雪菜は化け物過ぎて怖い。喰われる。
「わたしはずっと、本当の春希くんを知ってる」
「三年間、ずっと遠くから見てきた。二年間、ずっと側で見てきた」
「かずさの気持ちが変わらなくても、春希くんは変わってしまったんだって、どうして思えないのかなぁ」
「かずさは、春希くんの欠点をどれだけ知ってる?」
「わたしは、嫌なところも駄目なところも沢山知ってる。それ以上に、いいところも、素敵なところも、数え切れないくらい知ってる」
「かずさが五年間、ずっと夢の中で描いてきた春希くんなんかとは違う… 本物…なの」
「たとえあたしの五年間が全部夢だったとしても、それでもあたしはこの数日間、現実と戦ったんだ…」
他なんかあったっけ。
ニセコイの実写映画はジャニーズの中島を推すための映画で地味なやつの知名度を高めようと有名原作を使ってのアピールでしかないし
とはいえジャニーズが金を出してる以上そいつらのために映画があるし観客も動いてるジャニーズが見られればいいわけで需要と供給は合致してんじゃねえのその手の映画は
映画ファンが日々そういう映画が出てくるたびに「これでは日本の映画は終わってしまう!」って嘆いてこの世界の片隅にを推しまくっていたわけだが(片隅は海外で普通な評価で終わりましたとさ)
そんな中、映画ファンの一部が馬鹿にしていた是枝がカンヌ取ってしまったし映画ファンの戯言なんて聞いてても仕方ないってもうすでに証明されているのよさ
ゴールデングローブ賞ノミネートしてた未来のミライが日本でボロカスなのも日本人のリテラシーが低いせいなわけだけどそれについては何も言わないし