はてなキーワード: 文字とは
ハゲていない限り、人間は頭頂部から足の指先まで全身に毛が生えているわけだが、その中でも個人的に特に不快な毛は何か?と問われたら俺は即答でケツ毛と答える。
やたら太くてゴワゴワしてるくせに見えない場所に生えてて引っ掛かると痛いし、何より排便の時に極めて不快な思いをする。この不快な気持ちを感じる人が1人でも減るように、ホモサピエンスはケツ毛の毛根を消滅させる方向でぜひ進化して頂きたいものだが俺が生きてるうちにはどうしようもないのでこの前思い切って全部抜いてみた。
まず驚いたことに想像の3倍くらい抜くのが痛かった。ケツ毛に限らず抜け毛には根本に白い半透明の塊がくっついていることがあるが、ケツ毛の場合はそれの大きさが尋常ではない。通常の3倍くらいの太さ・長さを備えているのだ。それだけケツの皮膚深くに奴等は鎮座していることの証拠だろう、そりゃ抜く時めちゃくちゃ痛いわけだ。
で、ケツ穴の痛みに耐えながら就寝して起きてウンコしたら驚くなかれ、大便が今までにない勢いで華麗にアナルから発射されたではないか。
久々に味わった快便の喜びに激しく動揺しながら気持ちの良い朝日と共にコーヒーと朝食を摂り、久々のオフライン出勤に向けて気合いの屁をこくと、これも先の大便に呼応するかのようなキレの良いフレッシュな屁をかますことができた。
ケツ毛が無いだけでこれだけクオリティ・オブ・ライフが向上するものなのかと感動しながらいつもの通勤路を颯爽と歩き、最寄り駅のエスカレーターに足軽にステップ・インすると前にはロングヘアーのオフィスカジュアルな服装の女性がおり、腰のくびれから臀部に至る美しい曲線を描いたデカ尻が視界に入ってきた。
そのデカ尻をまじまじと見ているとふと一つの考えが頭に浮かんだ。世の女性はこの快適な肛門体験を何の苦労もなく毎日得ることができるのか、なんと羨ましいことか、と。
そして、この素晴らしい1日の始まりもケツ毛が再生するにつれ失われてゆくのだろうと考えると少し憂鬱な気持ちになり、他の表情筋の死んだサラリーマン達と共に朝の通勤電車の中に私は埋もれていく。
そして徐にスマホを取り出し、Apple musicを起動する。電車の不快な騒音を流行りの音楽とノイズキャンセリングでかき消しながらブラウザに文字を入力する。
「ケツ毛 脱毛 値段」
ほほう、時々耳にするVIOラインというのは正にこの不快な毛が集中しているエリアのことだったのか。スマホは正しく使えばいつも新しい知識を提供し、私を賢くしてくれる。人類文明と科学の進化に感謝しながら検索を続ける。こんな不快な付属物を抹消するためだけにそこそこの費用がかかるのは実に不愉快だが、別に払えない金額ではないということもわかる。だが気になるのは脱毛は痛いという経験者の心の叫びだ。
昨日の人力強制脱毛も相当痛かったが、この痛みを金を払って受けなきゃいけないと思うとなんとも気が進まない。しかし、ケツ毛がない事による爽快感はとても忘れられるものではない。
好きにも嫌いにも理由がある。
そして増田は「興味ない」=「嫌い」としているが、私は興味ないものは好きでも嫌いでもなく、文字通り「興味がない」。そして興味がないものこそ理由がない。
世の中のあまねく色々なものに対して理由なく興味がなく、0点なのがデフォルト。
そして
何らかの理由があって好きになり(加点)、
何らかの理由があって嫌いになる(減点)。
「好き」は不快ではない感情なので、そのままにしておいて問題ない。
「嫌い」は不快な感情なので、そのままだと心身に支障をきたす。
何が嫌なのかを分析して解き明かし、自分が「納得」していい落とし所に落とし込まないと、いつまでもぐるぐるうじうじと気にして(障って)しまう。
なのでほぼ必ず言語化する。
という訳で、好きも嫌いも理由があるが、口から出るのは嫌いな話ばっかり。
それとは別に「期待値」というものがあって、基本的にプラスの値なんだけど(0以下は「見ない」「読まない」「やらない」になるので)、それが大体低め設定の人は実際の感想が期待値を超えやすいので「好きな理由」が出やすいし、大体高め設定の人は「嫌いな理由」が出やすいんじゃないかと思う。
で、期待値が高い(低い)からどうなんだというのはマジ人による(高望みなのか低すぎて失礼なのかおまいうなのか)ので、結論そいつの性格だろで終わり。
と私は考えます。
🇺🇸が1文字とは認めない
iPhoneとOpenAIが連携して、iPhoneにAIが搭載されるってニュースにブチ切れて、「絶対無効化して俺の個人情報は一文字たりとも渡さない!」って言ってる人をXで見かけたんだけど、ここ10年くらいでのネットサービス何も使えなさそうで、ハードモードな人生だなぁと思いました。シークレットモードのブラウザですら個人情報ぶっこ抜いていると言われる時代なのに…。ネットもスマホの解約してどっかの孤島にでも住めばいいんじゃないかな?
そのじいさんが亡くなった。
昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。
安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のBb(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。
そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。
正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。
実家の所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロックの会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律の目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。
母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。
じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合は公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。
じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身で晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから、今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。
寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。
じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。
そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。
その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報を知らされ、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。
そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分の精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任(良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。
それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。
死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。
最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。
最初に友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき、友達がわたしの隣にいないという人はきっといない。
父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。
父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後の最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。
父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEのトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。
亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEをわたしに送ってきた。車というものは私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮の時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。
ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。
(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)
そんな感じの人だったので、この世におおよそ未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかったことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。
こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。
生まれてから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。
生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。
じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。
それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。
ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。
私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省のときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。
ギャグか、ウィットか、エロか、キャラ立ちか、あるあるか、があるとバズるよ。明確なアイディアがないとバズらない。何がバズるのか、バズったもの「のみ」を研究してみるんやで。絵を描く手を止めて、文字にして何のアイディアがバズっているかまとめた方が認識するようになるて
ちゃんと話聞けよ。
相手は冒頭5秒あたりからすでに「説教してやる説教してやる説教してやる」としか考えていない。
「さーて今日も説教かましますかあ!」と意気込んでるから斜め読みして都合の良い文字だけ揚げ足取って「〇〇(引用)だと?調子に乗るな!お前みたいな0が100を得ようなんて傲慢だ!」と脳汁ドバドバ出しながら説教かます。
違うから、全然違うから。100を得ようなんて思ってないから。こっちは30、いや10くらいで良いと思ってる。0から10で良いんだよ。なのに何故か100欲しがってると捉えられて調子に乗るな!とか言われる。こんな奴ばかり。まともに話聞く気ある人いるの?
「ゆうすけ」の候補が100通りもでる文字入力ソフト使ってるん?
なんてやつ?
「ゆう」「すけ」で2回に分けて変換してるのを100通りって言って「一発」って表現してるわけじゃないよね?
実感がこもっている
元々の増田の言いたいことも部分的にわかるし、大学とかで過ごしにくいだろうなってところは同情するんだけど昇進がどうこうとかはなんか被害妄想をこじらせすぎで現実と乖離してる感じするよな。妄想で書いてるまである。
今の日本社会って上から徐々にアファーマティブアクションを推し進めてるから、上流の企業に行くほど、末端〜管理職あたりまで女のほうが楽に上がれるんだよな。そこから更に上の幹部とかになるとき男のほうが有利になる実感があるけど、最近はそこも少しずつ変わりつつあるし、そもそもそのレベルまで到達する人は男女問わずほとんどいないからレアケース。
俺は研究業界にいるんだけど女の優遇はエグいよ。研究費取るためには女性比率を上げる必要があったりするのに業界の女性比率が低いから、何一つ成果をあげたことがなくても、女というだけでありとあらゆるプロジェクトに参画できて、ありとあらゆる表彰を受けてる。受賞対象も男女比を是正しないと国に怒られるから女だというだけで2回も3回も毎年表彰されてた人もいたな。あんま業績なくても関係ない。運営側としても女が受賞して男女比を調整しているという実績が大事だからね。
分野によるとは思うけど今の俺の分野だと女というだけですべてが許されるし、いくらでも賞やお金が降ってきて、管理職ポストまではほぼ確実に男の同期最優秀クラスと同等のスピード出世が約束されてる。機械ならたぶん似たような状況じゃないか?文字通りの無双ができるよ。絶対就職したほうがいい。
【TL,DR】
【注意】
【序章5/13】
大和のアパートは2回目だから前回と同様にスムーズにいくはずだったが、まさかの契約者番号ではじかれるという意味不明な事態となった
ダイワリビングは去年あたりから解約に関してそれまでの手続きサイトから別のサイトで手続きをする仕様になっている
それっぽい「SMSを見ろ」というメッセージに従っても書いていない
あらゆるページを確認するもどこにもヒットしない
特に意味が分からないのは、契約番号を入力するところに「上部賃貸契約番号を入力」とでているが、そもそも上には何も書かれていない点
当然、そこに契約書に書かれている番号を入れてもヒットしない
唯一わかっているのが7桁なだけ
当然問い合わせているけど、ダイワリビングは数年前から極度に対応が遅くなっているので、下手すると数か月単位で待たされる
これで退去日を大幅に過ぎてもその分だけ請求されたら普通に訴えるレベル
こんなひどいシステムを作っているところと早く分かれたい
というか引っ越しさせてくれ
【追記5/13】
わかったことがある
恐らく契約番号が解約サイト(新My-Droom)のIDと紐づいていない
試しに以前住んでいたアパートの契約番号を入力したら、解約申請中と出た
以前住んでいた大和リビングのアパートをA、今住んでいるのをBとして
Aは何故か解約サイトと紐づけられて認識されているけど、Bはそうではないということだ
解約したいはずのBは元々存在したMy-Droomでは情報が出てくるが、それと直接関係のない新My-Droomには載っていない
ようはこれらの新旧サイトがうまく連携しておらず、古い情報だけ残っているから俺は一生解約ができない
なぜこうなってしまうのかは予想がつく
新My-Droomのサイトは「氏名・生年月日・電話番号」だけを入力して登録する仕組み
つまりこの時点で現在住んでいるアパートの情報が自分の名前等と紐づいていないと、いくら契約番号を打ってもヒットしない
普通は契約者番号に各種契約者や電話番号がぶら下がっているはずだけど、ダイワリビングの場合は氏名や電話番号の持ち主をキーにしているらしい
この主キーに現在のBの物件がぶら下がっていないので、永遠にヒットしないわけ
たぶんシステム担当者が登録時に氏名や生年月日等が間違っていたんだと思う
契約者側にとっては契約番号等を調べる必要がないから安全に思えるが
そもそも業者側が入力ミスをしているか、データを紐づけていないということになればこんな事態になるんだよな
担当営業所とはここ数か月まともに電話も通じていないので、おそらくこの非常事態にも対処できないと思う
というか本社の担当者にこの状況を説明しても通じるとは限らないんだよね
ダイワリビングって3年ほど前に組織編成があって結構変わったらしいので、昔のようなきめ細かいサポートは一切ないと思う
【原因判明5/14】」
以前のアパートAと現在のアパートBで何故か解約専用のサイトにIDがそれぞれ作られていて、自分はAのIDで入っていたから無効になっていた
しかしそもそもダイワリビングのUIUXが酷すぎることを無視はできない
松屋のタッチパネルが分かりづらいと一時期話題になったが、そんなものを遙かに超えるえげつない仕様だ
ただし、解約専用のサイトを合わせると計4つも必要となるのはどう考えても混乱の元だ
しかも解約サイトは単に契約番号を入力して解約するものを申請する機能くらいしかなく、マイページ等に住んでいる建物の情報とかがあるわけではない
Amazonも大概分かりづらいけど、少なくともそのアカウントが何を買ったりしているかは分かるようになっている
ダイワリビングのはわざわざ解約専用サイトを作っておきながらそこを見ても何も分からない
これが自分が混乱した一番の原因だった
エラーメッセージも明らかに不親切だし、IDが2つあることを理解しても探すのが非常に大変だった
結論:大和ハウスのDroomの契約システムは悪すぎるので自己防衛するように
【第2ラウンド5/14】
さて入力がだいたいすんだね
あ、退去日は日曜で申請したけど駄目なのね
土曜日にするか
じゃあ最初に戻ってやりなお……「解約申請中のため再申請できません。申請内容を修正したい場合は担当営業所へご連絡ください。」
ちょっとまてやおまええーーーーーー
解約申請のUIもかなり酷いのだが、そもそも俺は解約申請の内容を保存をしただけで申請ボタンを押した記憶は一切ないんだが???
内容を一度保存したらその後の修整を一切受け付けないし、あまつさえサイトを使えないから営業所にいけだと?
おまえんところの営業所は日中ほぼ不在だしどうやっても連絡つかないんだよ
というか何で、申請が中途半端なのに受付終了しているんだ?????
解約申請専用のサイトなのに解約申請が死ぬほど難しいってKFCでもこんな下手くそなシステム作ってないぞ
もう二度とDroomつかわない
【幕間】
なんか伸びているけど、結局は営業担当に電話することでしか解約できそうにない
というかその営業と繋がらないってのが困っている
なんで?
繋がらないからシステムでやろうとしたらフリダシとかまじで労力の無駄
なんだこの罠の多さ
解約詐欺ってのがあるけど、これは純粋にシステムが酷すぎるだけ
【補足】
色々言われている中で「不動産屋に行け」というのがあるね
ダイワリビングが管理している(たぶん)している物件を街の不動産屋ではなく、直接営業所を通した契約しています
【第3ラウンド】
さて良いお知らせと悪いお知らせがあります
まずは良いお知らせから
あちらも忙しかったのでしょう
頑張ってね
悪い知らせは、そこはもう賃貸関係やっておらず、中央オペレーターに繋ぐよう言われたことです
そこ、繋がらないんだよな〜
もうさ、町の不動産屋通じていないからオペレーターと話すしかないんだよ
内容証明送るにしてもどこだよって感じ
まだまだ続きそう
【ほぼ解決】
とりあえずオペレータに繋がって、現時点で解約申請は完了していることが分かった
正直、あの画面で申請が完了しているとは全然わからないんだけど、ショートメッセージを見たら確かに受付済みとなっていた
立ち合いの日程は変更可能なようだけどそれは別に営業所から連絡来るらしい
なので一応解決
また自分のようなケースに該当しない人もいるだろう
ただ、やはりあの解約サイトの作りはとても悪いと思う
改善点がいくつもあるので列挙していく
【結論】
素人からみても即興でBootstrapで作ったような見た目と、きちんと仕様を理解しないで動けばよいやの精神で実装したと思われる杜撰なUI
これらを解約したいというたった一度きりの行為のために熟知して使いこなすってのはやばいでしょう
マニュアルやヘルプ機能が充実していれば良いんですが、全然ないか役に立ちません
2つサイトがあるのは契約関連全般を新しいシステムに統合する過程なのかもしれません
しかしそもそも従来のサイトでスムーズにできていたことをわざわざ分ける理由が利用者にはありませんし、解約システムだけで全て完結もできないので無意味なシステムです
きちんと統合するかしてほしいです
また、この解約システムの苦情は営業も結構な件数受けてるらしいですが、改善する気がなさそうです
営業所さんには電話でねーって言いましたが、あれから2回くらいやって繋がりましたし、問い合わせにはきちんと答えてくれたので大変助かりました
【オチ】
なんだかんだ言って解約申請はスムーズにいったのはちょっと驚き
というか何千件と扱っている大手はマンパワーで何とかしちゃえるんだろうな
やはりというか営業所もこのシステムの評判の悪さは重々承知らしい
さらに自分の場合は契約した営業所が賃貸業務から撤退して問い合わせ先が変わるという珍事にも見舞われるし、過去にDroomの契約があったりとよくない条件が色々とそろっていた
いろいろと調べて解約周りの情報が出てこなかったけど、ほとんどの人は解約なんてのは興味ない作業だし、多少不便でもスルーするからでしょうね
ほとんどの人は「いくら退去費用を請求された」や「建付けが悪い」という部分だけ見ているので、こんな解約システムがよくないとか書くわけがない
解約詐欺と言えば導線が複雑で一向に解約につながらないという、狙った悪意が問題になるけど、今回のは単純な手抜きや未整備の問題なのでそれ以前かと
というわけで全人類みな大和のD-roomを人生で一度は契約しよう
寂しいな
??「えっと、君が買った戸建てね。あれ、ダイワハウスの建物だから」
………
もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事の書類ばかりとなった昨今。
でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。
書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。
生まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖の詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。
頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初の感想だった。普通に文章だったからだ。
調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで
「韻」という言葉もその時初めて知った。
井上靖の詩集を手に取ったのは、国語の教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。
というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初の詩集だった。
小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。
季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなものが短歌や俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。
特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平の短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉のニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。
幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。
自分の世界の表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。
例えば、雪という詩がある。
雪
―― 雪が降って来た。
―― 鉛筆の字が濃くなった。
こういう二行の少年の詩を読んだことがある。
みつけた詩だ。雪が降って来ると、
私はいつもこの詩のことを思い出す。
中学生の私は、なるほどと思った。
詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉のなかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。
鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。
当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。
いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。
ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。
山頭火は面白い。普通の俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。
定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌のエントリーポイントとなって、
しかし俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。
いつしか手にしていたのは、興津要の解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。
剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代の言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。
その後は巴毎晩組み敷かれ
木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代の川柳で妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい。
一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。
俵万智のサラダ記念日がベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。
例えば、こんな一首。
あさま山荘事件を起こした連合赤軍の幹部、坂口弘が収監中の東京拘置所から毎週のように短歌を朝日歌壇に投稿していた頃だ。
朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌の表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。
風花って知っていますか
渡辺松男と太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇をリアルにみていた人にしかわからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱が発酵すると詠んだりする太田美和。
実生活で恋をしていた私は太田美和の言葉に自分を重ね合わせた。
でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。
大学を卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。
生活が一変した。
書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。
世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。
山頭火も武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接と資格だ!という日々。
就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。
たまに思い出しては、現代短歌の最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。
若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。
それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。
そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。
思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分が死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。
中年になっていいかげん自分の限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。
―― 雪が降って来た。
―― 鉛筆の字が濃くなった。
この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖の感覚がとてもよくわかるようになった。
これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。
詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。
どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。
鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯な子供の姿を思い浮かべる、という
文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワインと食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。
ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種やビンテージ、気候土壌などさまざまな情報がある。
しかしワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのときの話題、体調などに大きく左右される。
水だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。
マリアージュという言葉があるように、ワインは一種の調味料として機能するため、食べ合わせは重要だ。
ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見のワインでしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。
逆に偽の情報を表現豊かに補完してしまえば、コンビニで販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。
ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的な規律として表現することはできない。
詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。
井上靖が「小学校の教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき、井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。
その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。
どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときのメンタル、いわば偶然の力だと思う。
渡辺松男と太田美和が並んで歌壇に掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。
失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会。
そのときに自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。
ところで、先日、Yahooの芸能ニュースをみていたら、TBSのプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人が俳句の先生から5点と酷評されたと報じていた。
消しゴムが 白き水面に ボウフラを
というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味を説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。
ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人の俳句が酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組の演出・脚本としてはそれがオチなのだろう。
演出もさることながら、これは、他の出演者の俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。
虹の下 クレヨンの箱 踊り出す
天王山 黒ずむ袖に 薄暑光
薫風や 隣の君と 教科書を
こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。
バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージで作品のクオリティが補完されてしまうのだ。
しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校の児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。
消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月の番組で文房具だからまだ気持ちはフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。
ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。
それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。
いいかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。
一方で白い水面(ノートの隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。
ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。
と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ。
ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。
また、どんくさいもの、弱者がボウフラというノート上のより小さい存在に視線をフォーカスする、という手法は小林一茶の方法とも通じるところがある。
番組の評者は、この芸人の俳句を酷評したうえ、次のような添削をしたという。
夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。
しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組だからね。
ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界は一種のルッキズムだ。夏休みとかいって勝手におめかしさせようとするんじゃねーよ。
そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつの動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語や川柳で身につけたものだろうから、ゆりやんの一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。
これは脳が目一杯機能してそのように見えるように工夫しているかららしい。
そのときに色の認識をしているのは視覚の中央部分だけでその他は白黒なのだが、
目は周囲をスキャンした映像をつなぎ合わせて上手いこと世界がフルカラーに見えるような映像に変換してるらしい。
これすごいよね。
同じことを機械にやらせるとなったらなかなか大変なことだと思う。
とすごいすごいと言ってればいいわけでもない。
というのは人間が世界を誤認識してしまう理由も同じ機能によるものだからだ。
要するに見えていないものでも見えているように錯覚させてしまうのだ。
ちょっと試して欲しい。
実際、視界の中で見えているものと思い込んでいるものがどれほど見えていないかを。
ここまでは見えていると思っているものでも案外と人間の視界は狭い。
それでも我々が周囲のことを把握している思っているのは脳がそのように錯覚させているからだ。
セクシーな女の人の写真の背景にゴリラが写っていても気づかないみたいなのとかもそれ。
一時停止して右を見て左を見て何も来ていないから右折。
いったいこの車はどこから来たんだ?
なんて経験がある人もいるのでは?
これなんかは典型的な錯覚で見えていないものが、なかったことにされている現象だ。
要はね、焦点がどこに当たっているか?を常に意識する必要がある。
見えている範囲で言えば真ん中のことしか実際には見えていない。
そのことを忘れないことは大事だ。
このスマホの画面はどのような仕組みで表示されているのか。
スマホに触れている指の先っぽの爪、これはなんで伸びるの?
ほとんどのことを何も知らない。
でも、生きているとそういう知らないということを意識することが出来ない。
なのになんとなくわかっているような気だけはしている。
脳がそのような働きをするからだ。
スマホにはタッチスクリーンが内蔵されていて電位的なものと感圧を測定して……
これは生成AIが嘘を言うのと同じ仕組みだ。
(と断言したがもちろん同じ仕組みなのかどうかは知らない)
だから、天才になる人っていうのは、なんで?なんで?って子供の頃質問を連発する。
これは逆説で天才だからなんで?って聞くんじゃなくてなんで?なんで?って理由を確かめる人だけが天才になれるんだよ。
なんか話がズレたな。
とにかく人間というのは焦点を合わせた物事しか正しく認識することは出来ないということだ。
その他のことは生成AIが連想するように物事を勝手にでっち上げて「現実」だと認識させている。
人間が自信を持って嘘を言うのもそういうことだ。
勝手に連想して勝手に内容をでっち上げてそのことに反論している。
反論を書く前に、ちょっと待って私はタイトルしか読んでない!、と気づかないといけない。
アンガーマネジメントなんかもそう。
怒り沸騰しているときには、「怒りの出来事」に心の焦点が当たりきってしまっている。
そのことに気づいて焦点を他のことに移す。
とにかく焦点。