はてなキーワード: 藁人形論法とは
@inumash 16時間
ananの表紙を批判する男性側の言説の多くは、自身が「問題だ」とか「これは嫌だ」と考えるのであれば
まず「○○は止めてほしい」という主張になるはずのところ、
これについて見ていきたいと思います。
これはおそらく違うでしょう。
フェミニスト・表現規制派がanan表紙を批判しないこと」を指摘しているのだと思います。
まず「○○は止めてほしい」という主張になるはずのところ、
そのような主張になるはずはありません。
別の表現たる○○を「止めてほしい」という主張になるのは考えづらいことです。
すでに明らかなように
批判されているのは「○○という表現(今回で言えばananの表紙)」ではなく、
「フェミニスト・表現規制派の表現を焼く行為及び、その際に掲げてきた大義名分の欺瞞」の方です。
であるにも関わらず後者に反論しないのは後者に正対すれば不利になると読めているためで、
かわりに反論しやすい別の相手論陣(「ananの表紙が許せない」「我々も表現を焼きたい」)を捏造しているのです。
「私がなんか嫌だから焼くだけ」と正直な名分を掲げていれば、董卓氏の今回の擁護は成り立ちました。
しかし実際の名分がそうではなかったことは、董卓氏含めた我々全員が知っています。
というものでした。
セクハラはもちろん議論をまたない重罪·人権侵害であるため、セクハラであろうといわれてしまえば責任者や団体に重い圧力がかかります。
しかし
セクシャルに表現された肢体が「好き嫌いの次元でキモい」ではなく「セクハラ問題・人権侵害問題」なのであれば、
そしてフェミニスト・表現規制派が「自分の嫌なものを焼く集団」ではなく「セクハラに立ち向かう人権闘士」なのであれば、
その抗議対象が女性の肢体であるか男性の肢体であるかで抗議の鋭さが激変する(果ては、後者には抗議しない)ことは名分と多いに矛盾し、都合の悪いことです。
anan表紙の表現、イケメンの半裸やその横に添えられたSEXなどの文言には同じ人達からの抗議の声が弱いのであれば、
「あれ、『公共の場のセクシャル表現はセクハラだ』という主張は本心ではなかったのかな」
「単に男性が喜ぶと思われる表現が憎かっただけで、同じような表現でも女性向けであれば看過したり楽しんだりするのかな」
といった疑いの視線が周囲に起こるのは当然ではないでしょうか。
フェミニスト・表現規制派はつまり、そのダブルスタンダードが疑われるような反応の違い·ステートメントの違いを指摘されており、
ひいては「あなた達が表現を焼くときに使った大義名分正義の旗は嘘だったのか」
ということが問われているのではないでしょうか。
「anan表紙が気に入らないの?」
ちょくちょくツイッターやらなんやらのインターネット空間の場で、日本の学校教育(特に公立小中学校)が個性を認めない!学力が正当に評価されない!みたいな話が流れてくる。
まあ実際、そういう個性認めないというか認められにくいというのは場所によってはけっこうあるだろうし全体的には事実なんだろう。
ここで同時に話としてついてくるのは、「日本の教育は底辺(あえてこういう表現をする)に合わせてるせいだ」とか「頭のいい子をそいつらと別に頭のいい子の都合のいいように指導しろ」とか「底辺は底辺だけ集めて指導して学力がある子は学力はある子だけで指導すればよい!」みたいなのとかである。大体は「個性を伸ばす指導をしろ!」みたいな感じでまとめられている。
自分にとってはこれがクソほど不快で大っ嫌いだ。吐き気がする。何が個性を伸ばせだ。気持ち悪い。
他にも、趣旨はさっきのやつと違うが、「暗記をするような教え方が悪い!」みたいな話もついてくる。これもクソほど大っ嫌いな話だ。
まあ、これらの言ってることは確かに理屈は通ってるし正しいかもしれんが、自分はこれらがクソほどに不快で気持ち悪い話ということは終始述べておきたい。
底辺の妬みって言われたらそれまでだが。
まず第一に、この手の話を言ってる奴らなんて勉強できない底辺の実態なんて一切知らないってこと。
基本的にインターネット空間でこの手の話をしているのって高校がいいとこ(ここでは偏差値55以上の高校)で大学も国公立!みたいな志望を持ってる/持ってたような奴らである。(もちろん、例外もある。だけど、この手の話をしている奴らって基本的にそういう「奴ら」なのだ。大学にいた/いることが前提のような「奴ら」なのである)
そういう奴らは基本的につまずくことはあれど、なんとかできる奴であって、底辺みたいに「なんとかならない」奴とは似ても似つかぬものであること、そして、インターネット空間でそういうことを言えるほどの知識、教養がある。
現実でも、インターネットでも、そのなんとかなる空間で集まっている人間が個性を伸ばす教育しろって言ってるのが実に滑稽で腹立つ。
こんな文章を読んでる奴は九九ができない大学生とか聞いたことあるかと思うが、この話のように本当に底辺は「なんとかならない」というのをわかっていない。
そして、これが大事な話だが、たとえ天才秀才でもこの底辺に「なりえる」こと。
これはつまり、今まで天才秀才でいた子が底辺になったとき、その子を見捨てることと同義なのだ。だって、そいつの周りには残った天才秀才しかいないし、底辺は実質そいつだけなのだから。
こんな馬鹿話、「ありえない」と思うだろう。実際、自分もそうだろうと「思っていた」。だって、自分が「そうなった」のだから。
自分語りになるが、自分は地方の高校の名門進学校に通っていた。成績は悪いか良いかと言われたら悪いと思っているけど、それでもテストで高得点をとることはあったし、とある科目でクラス一位をとることもあった(別にイキっているわけでもなんでもない)。
そこまではよかったのだが、高二の冬ごろから精神疾患を患い、授業にもでれず、勉強もできない底辺に成り下がった。本当の本当に勉強ができないのである、読んでも書いても聞いても理解できない、本当に地獄だった。あいにく、自分は教諭のサポート(注意しておきたいが、このサポートは「卒業」に関してのサポートである、決して授業理解のサポートではない)があって卒業はできたのだが、それがなかったら、高校を退学していただろうし、誇張表現抜きで最悪この世にはいないだろう。このように、底辺へのサポートがなければ、今の自分は存在しない。
「それはお前の話だし、そもそも、その底辺でもサポートできるような進学校行けていいじゃないか、何が悪いんだ」や「名門進学校行っている時点で底辺とは言わないぞ」みたいな反論があると思う。
自分が言いたいのは、「底辺を知らない」のことの問題であって、自分個人の問題ではない。確かに自分は名門進学校に通っていてサポートを受けたが、そこで、実際に勉強が一切できないという「なんとかならない」状態になったのである。底辺は「卒業」はできるが「勉強はできない」「理解はできない」。これが、底辺が「なんとかならない」ということである。それを理解してほしい。九九ができない大学生が典型的な「それ」である。
これを知らないで底辺を別に指導できるかって言われたら無理だろう。自分でもどうすればいい?と思う。経験していてもわからないのである。
そして、底辺に落ちた場合、拾ってくれるような人がいたらいいが、拾ってくれないとどうするんだ?底辺が一人増えたところで変わらんとか言われそうだが、いきなり一人増えると増えないとでは大きな差がある。「勉強はできない」「理解はできない」を治せばいいのかもしれんが、なんで「勉強はできない」「理解はできない」のか、理解したことあるのか?理由は精神疾患だけとは限らないのに。
まあ、こんな自分語りと藁人形論法はこれまでにして、次の話に移るか。
次の話は、田舎(ここでは、周りには田んぼしかなく、交通網もバスが少ししかないような地域のことを指す)に住んでる天才秀才をどのように底辺と分離するかだ。
ここで注意しておきたいのは、自分は田舎を侮辱する気は一切ない。両親、親戚が田舎出身なのもあり、侮辱するようなことは自分としては許せないし看過できない。ここで述べられている事項は田舎で本当にあることなのである。
まず、ご存知の通り田舎では人が少ない。そのため、子どもも少なく学校も本当に少ないし小さい。
で、基本的にそのような学校は「公立」である。都市圏に存在するような「中高一貫」という概念なんて存在しない。正直言って地方でもその概念が存在しない場合もある。
そして、田舎で一番の問題となるのが、周りに「進学校」というものも存在しないのである。
周りに「進学校」がないと、どうなるかわかるだろう。長い道を使って遠方の「進学校」に行く必要があるか近くで下宿する必要がある。
先ほどあった自分語りのように、自分は高校の名門進学校に通っていた。そこでも、田舎から片道一時間かけて通っている人はいた。
けれども、その人の通ってた小中学校はどのくらい「進学校」にいったのか?
もしかしたら、その小中学校は頭いい人が多く「進学校」に行っている人も多いかもしれない。
けれども、田舎は「子どもも少なく学校も本当に少ないし小さい」。
もし、そこで底辺と天才秀才を分けて指導しようとする、するとどうなると思う?
田舎の学校という人が少ない場所で、底辺と天才秀才を分けれるような人数いると思うか?
それに、もし天才秀才がいたとして、そいつを指導するための知識提供者が周りにいないだろう。たとえインターネットや本で情報を得ようとしても、地方や都市圏と比べて情報の取得量は格段に少ない。
底辺と分離しようとしたら、答えとしてたどり着くのは、田舎から「出ること」である。
田舎から「出ること」、それはつまり、田舎では底辺と天才秀才の「分離ができない」ということの意味そのものを指している。
そして、田舎には天才秀才というものは消えていく。人も消えていく。残るのはなんだろうか。廃墟か?
結局のところ、これの最終的に行き着く先は階層の再生産なんだろう。
底辺が残ることで底辺が同じ場所で一生を過ごし、そしてそこで新たな底辺を生み出す。逆に天才秀才は場所を移動して、その場所で新たな天才秀才を産み出す。同じ人間で同じ人権を持っているはずなのにこんな差が生まれる。
かなり暴力的な表現だが、親の文化資本と学力や成功の関係を見ると必然的にそう考えざるを得ない。
個性を伸ばす指導を行うためには田舎を捨てる必要がある。だって、田舎では底辺と天才秀才の「分離ができない」だもん。
自分は地方でも周りに進学校があるような割といいところに住んでたし、言うのもあれなんだが、中流階級(安定した場所に住んでたことと割と安定した収入を持った父親がいたのでそういう分類にした)であったので、本当はこのような田舎問題を語る資格はないかもしれない。
けれども、「個性を伸ばせ!」と言っている奴らは田舎問題のことは無視してスマートフォンやパソコンの画面を光回線が繋がった家や整備されたアスファルトの上または電車の中で見ながらこういうことを言っているのである。腹立たしい。
最後に、「暗記をするような教え方が悪い!」の言及だけして終わりにするか。
これね、一個目で言ったように底辺は「勉強ができない」「理解ができない」。たとえ、方法やその原理を教えたとしてもそれらができないせいでまともにその方法を使えない、いわば、馬の耳に念仏、猫に小判のような状態になっているんですよ。
だから、その底辺に有効な手段としては暗記が一番で、暗記がなければ底辺はまともに覚えることすらもままならない。
もちろん、一個ずつ丁寧に教えれば理解するかもしれんが、それにいくら時間かける必要がある?誰がやるの?そして底辺全員にできるの?これらの問題を全て解決できますかと言われたら無理でしょう。
(追記:あなたの批判記事に付いたブコメを見ると「私は今でも反対だ」系のコメントに賛同が大量に集まっており、反対を「少ない」と思ったのは私の思い違いだったようだ。)
ブコメで済ませたかったのだが、書ききれずこちらに返答しようと思う。
「一斉休校に反対すること」
はイコールではないということだ。
「やることなすこと遅いし思いつきで社会を混乱させることばかりで本気で無能。準備せずにチャーター機で迎えに行くとか感染者を公共交通機関でリリースとか。来年度予算コロナ対策費0円。疎開で祖父母に感染ありそう 無能内閣 安倍晋三 自民党 バイオテロ内閣 貯金0家庭は? 片親家庭は?幼児は? 1ヶ月何してた?宴会 法的根拠は?予算は? 準備してからやれ」
これって
と言い捨てられるのだろうか。主張は「1ヶ月何してた? 準備してからやれ」ではないのか。
他のコメントについてもそうだ。最初に書いたとおり「唐突な一斉休校に対してその影響についての懸念」と「一斉休校に反対すること」は違う。そういうのは言ってみれば藁人形論法だ。
私などは当時、後手になったのを挽回する為に急な決断になったこと自体には理解と安堵の意見が多いものと予想していたので意外だったが、基本的には件のブコメに書いたように「後手後手だったから」批判されているのがほとんどだと思う。
たしかに「記憶の書き換え」というのは紋切り型の雑な揶揄で字数が少ない中つい使ってしまったのを反省したい。正確に言うと「批判」=「反対」と思ってしまう人には記憶を書き換えるまでもなく、最初から反対派が多数であったのだから。
それから以下で言われてることについて
で、bumble_crawl さんさあ。
あんたの出した記事は相当わざと操作しないと出てこない記事だよな?
発表当初の反応なんか人気順でソートして日付を気を付ければ間違いようがないんだよ。
わざわざこんな2日後の、反応も少ない、別の主題の記事を持ち出したのは故意にインチキを図ったよな?
インチキを認めたくなければ
一応言っておくと、「https://bit.ly/2AvsDkw」というようにgoogleで一斉休校の周辺1週間くらいをソートしてトップに出てきたのがあのページだ。この記事を書き始める直前まで再現されたが、なぜか今やるとあなたの引用したページがトップで私のはトップどころかどこにも出てこない。まあ私が検索能力共にくだらない人間なのは事実なのでインチキで構わないが、ブクマ数400オーバーは充分人気記事だし一斉休校についての会見なのに「別の主題の記事」というのもよく分からない。発表直後の脊髄反射的なページしか許さないというのもどうだろう。2日後で何が変わったのだろうか。
ちなみにその脊髄反射的なページはさらにメタブクマされていて、そちらには次のようなコメントが人気に並んでいる。俯瞰して見た休校自体への賛否は私はこちらの方がよくあらわしているのではと思う。そしてやはり「批判」を「反対」と読み違えている向きが多いように感じる。
おとといの基本方針で「一律の自粛要請はしない」と言っておきながら翌日と今日にすっかりそれを覆してるから場当たりとしか言えない。1か月前にすれば効果あったかもしれないけど、何もかも遅い&急すぎ。
たとえば基本方針に学校を閉鎖すべきと書いてあって、先週末あたりにこの話が出てきたならそこまで大きなショックは受けないよ。準備期間がなさすぎる。こりゃ日曜までにスーパーから商品が消えるな
数日前には政府基本計画が思い切った対策になっていないと非難轟轟であったのに、いざ自らの身にその「対策」が降ってくるとコレである。呆れるほかない。
あれだけ日本の対策は甘いと言っておいて他国と同じことしたらこれかよ…。満員電車にしても「禁止しろ!(俺は乗るけど)」ってことなんだね。ひどい話だ。
ブコメのこの反応は意外…北海道の臨時休校で親が子供見れないって道新の記事のヤフコメでは逆に親の方がぶっ叩かれてた。ヤフコメ民もそこまで言うことねえだろと思ってた矢先のはてながこれという
無意味な策だ、とは言わない。只段階を踏むべき策ではあった。食料の消費が増えるから、急に大量に買い込まないといけなくなったりするし。これよりか経営者に始業時間ずらせと言った方が支持されたと思うで
[B! 医療] [B! COVID-19] 全国の小中高 臨時休校要請へ 来月2日~春休みまで 首相 | NHKニュース
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/12180557/
これ野口健で言い換えたら「エベレストに登ってないときは他の山でゴミ拾いしてるのかと思ってました」「うちの近所の山がゴミだらけなんですがなんで掃除に来てくれないんですか」とか言われるようなもんじゃん。
そもそもフライトシェイムは「なるべく飛行機に乗らず電車などに乗ろう」という運動であって「二酸化炭素を出す全ての乗り物をなくせ」というようなものじゃない。
勝手に「過激な環境活動家」を想像したうえで「実際にやってることは過激じゃないから矛盾してる」と言い立てるのは藁人形論法以外の何物でもないだろ。