はてなキーワード: 机上の空論とは
こういう主張は珍しくない。
至適な形容が見つかってないが、一種の「秩序感覚」によるのだろう。
つまり世の中のあらゆる問題について誰がどう対処するのか完全にルールとノウハウが整備された究極状態があり得、今はそこに向う過渡期の一点であるという、いわばシーケンシャルな社会観に立脚した感覚。
共産主義の人間性開放の神話みたいなものとも相似形である。歴史・社会には到達すべきハッピーエンドがあるという考え方。
しかし社会はただ不断の変化を続けているだけであってそれは進歩ですらない。永久に不完全なシステムの中で取りこぼされる誰かの困りごとが根絶されることはない。
その永遠の泥縄的パッチ作業に自ら能動的に手を染めようというのがボランティアの考え方でありまたリベラルという姿勢である。
シジフォスの苦役と違うのは、どうやったら楽にうまく岩を転がせるか常に工夫するエンジニア的思考が必要ということ。
そもそも「いつか正規の救援制度ができる邪魔になるから、困ってる人が居ても何もしないでおくべき」というのは頭で想像しただけの机上の空論である。
コタツでネットを介して見聞きするのでなく、リアルにそういうシチュエーションを経験すれば「自分には何ができるのか」と考え出すのは人間の本能と言って過言ではない。
高島屋のクリスマスケーキ崩れにブコメ「ケーキの配送って元々無理がある」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2281003
今回は訂正されて順位逆転されてるけど何かあるとすぐブコメは「仕組みに問題がある(仕組みで解決しろ)」と言いがち。
IT屋さんの発想なのかな?
一見正論で理想的だけど現場や現実を知ってるとトンチンカンだなーと思うことがほとんど。
そもそも問題に詳しくないのに何かそれっぽい解決策をコメントしようとするのが良くないんだよ
「誰も解決できない難問に俺が鮮やかな答えを提示して皆が拍手喝采」
【追記】
なんで「なら精神論がいいというのか!」みたいな反応になるんだろ。
でも現実にかかるコストも要件も無視してるんじゃ机上の空論でしかないよねって話。
なんていうかリスペクトがないんだよね。
まとめサイトがはやってホットエントリに載り始めたのは2010年や
つか、実際に当時からブックマークやってて実体験で言ってるんだよ
机上の空論ならひっこんでろ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88
『安楽死』の『安』と『楽』の文字の意味分かってる?自殺で訪れるのは苦しくて困難な死であって、全く安楽死でないの。自殺では安楽死の代わりにはならないの。
自殺に失敗する恐怖とその後の後遺症の可能性を考えない机上の空論でしかないのにさも正論かのように言い放つ人達の多さって一体何なんだろう。
今の日本でいつでもどこでも個人の選択で簡単に自殺できるキットのような物が市販されてるとでもいうのなら別だけど、どう考えてもそうじゃないからね。
大体、自殺教唆はそれ単品で立派な犯罪だからな?自分達の言ってる事が分かっているのか?
刑法202条 人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、六月以上七年以下の懲役又は禁錮に処する。
勿論特定個人相手でない以上罪には問えないが、他人に対して「自殺すればいい」と言うのは「殺されればいい」と言うも同じ加害発言だという自覚は持った方がいい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/52376327.html
tastasto まあ自分が楽に死にたいから賛成とか言ってる奴がいる内は議論にすらならないよね。そんなに死にたいなら今だって自殺できるのにしないんだからその程度なワケで、他人がわざわざ手を貸してやる必要もない
natumeuashi いや、頑丈な紐かそこそこの高さがあれば自殺はできるんだから個人で勝手に死ねばいいでしょ‥制度でヘタレのケツ拭く必要はない。貴方は鬱病でQOLが低いから臓器提供がお勧めですなんて医者に言われる方が鬱陶しいわ
rci 自殺ではだめで安楽死を導入しなければならない理由がわからない。自己決定が大事なら他人に幇助させず自力でやるのが筋では?そのくらいのハードルは設けてほしい。
Domino-R 安楽死は本邦では自殺幇助になるから罪なので、今でも自分で死ぬ事は別に犯罪でもなんでもないよ >安楽死したい人。/「尊厳」も考えすぎると原理主義的になるからな。「価値のある生/ない生」を導きかねない。
tikani_nemuru_M 「自分はこれこれこういう状態になったら自殺する」とか抜かしている連中は、いざそうなってもまず自殺しない。未来の自分ですら他人事であり切り捨て対象なのである。この手の連中を僕は絶対に信用しない。
大きなかぶという昔話を知ってる?
あれ、不思議やん?
そしてねずみが加わったくらいでどうして抜けたのか。
そのあたりの謎を、参加者の戦闘力という観点で順番に考えてみた。
まずじじい。
メンツを一通り眺めてみると、もっとも戦力になってるように見える……、が、それが大きな間違い。
というか歳をとってるからじじいや。
じじいになるほど歳を重ねていればな、必ず人生で一度くらいは腰をいわしとる。
腰をグキィッといわせて悶絶し、数日寝込んだことがあり、その経験がトラウマになっとる。
ついでに肩の柔軟性も低下しとるやろね。
四十肩や。
こりゃ腕を使う作業には致命的や。
たしかにじじいはリーダーとしてがんばっとる、そこは認めなあかん。
が、心の底には、また腰をいわせてまうんやないやろかというビビリがある。
そうなると無意識のうちに手を抜く。
へっぴり腰になる。
そんな腰の入っていない手抜き仕事ではかぶを抜けるわけが無い。
次はばばあ。
じじいと同じ加齢による戦闘力低下の要因がもちろんあるやろね。
たとえ本気を出したところでせいぜい劣化じじいといった程度のパワーやろ。
せやけど他の問題もあるんや。
普通はそう思うやろ?
これが落とし穴よ。
ばばあっつうのはな、男に頼りっきりの人生を重ねとる。
どうせ最後はじじいが力仕事や汚れ仕事を引き受けるんや、という甘えがある。
ばばあという生き物は、男が一緒におると甘えが出て一人前の仕事をせんのや。
じじいをヌクのは得意でも、かぶを抜くのにはまったく役に立たん。
形だけ適当に参加したふりして力仕事をじじいに押し付け、かぶだけうまうまといただくハラや。
ばばあはだいたいそう、目の前の仕事に責任をもって真剣に取り組まず、かぶをどう食うかだけ考えとる。
一人前の戦力にはならんのや。
ねこは論外。
はっきりいって、このメンツでは最も役に立たん。
ネッコ=ザッコ。
じゃあなんでこいつがやってきたかっつうとな。
他の奴らが楽しそうに遊んでると思って、交じりたくて来ただけや。
チャラい参加や。
わっしょいわっしょい言ってるけど、お祭り気分で引っ張っとるふりしとるだけや。
やつはな、適当にちょろっとやって、そのうち飽きて疲れてやらなくなるに決まっとる。
みんなががんばっとるのをニヤニヤ眺めながら、屋台で焼き鳥喰ってビール飲んどる、そういうタイプや。
それがねこや。
戦力になるうちは、じじい、ばばあがケツモチになるから、ねこもおいそれとは手が出せん。
下手に手を出せば、うちの舎弟になにしてくれとんじゃい、ということになる。
そうなると晩飯はねこ汁うどんになるやろね、もちろんかぶの入ったやつな。
せやけどな、ねずみが戦力外通告を受けて一家から破門されればもうじじいやばばあは守らん。
督戦隊であるねこがいる以上、ねずみには死がかかっとるから、本気で戦うんや。
火事場のクソ力や。
まあ、ねずみ単体では小さいからさほど大きな戦力とはならなかったやろ。
自然界の常識は、でかい=強い、であり、小さいねずみは必然的に弱いんや。
だが、いぬがすでに全力で引っ張っとって、かぶとパワーの均衡を形成しとる。
弱小勢力が綱引きのパワーバランスの要になってなぜかキャスティングボードを握ってまう、そういうことあるやろ。
他は頭数だけ。
日本のIT屋は、こうやって無駄に頭数を増やして請求する人月を水増ししとる。
そうやって、その売り上げで実勢よりも株価を膨らませとる。
まさに、大きなかぶ、ちゅうわけやな。
整形外科はじじとばばあで混雑しまくってひたすら待ち時間、要は作文したくなるくらい暇なんや。
増田のみんなも、腰は大切にな。
・相席食堂
・机上の空論城
など
好きな芸人は千鳥、かまいたちなどで、かまいたちのYouTubeチャンネルは何個か見たことあるけど、それだったらかまいたちが出てるテレビ番組の方が面白いなぁと思う。出演者の面白さに加えて、企画・演出なんかの面白さが合わさって相乗効果が生まれる感じ。
私が知りたいのはテレビには全然出てないけどすごい面白いYouTuberがどこかにいるんだろうなぁということ。
見たことあるYouTuberはあっちゃんのYouTube大学とかひろゆきとかホリエモンとかメンタリストDaiGoとか。勉強になったり、なるほどと思ったりクスッと笑えたりするのは見たことがある。それはそれでいいんだけど、もっと純粋にただただ笑えて見終わった後何も残らないようなのが知りたい。
お笑い好きとは言っても王道というかめちゃくちゃ売れてる人しか知らないから、売れてない芸人さんのチャンネルでもいいし、YouTubeは面白いけどダメな人のチャンネルとかなんかとにかくオススメいたら教えてもらえませんか!!!!!
「自分でコントロール不可能なものを全部諦めれば、ストレスはなくなります!」
みたいなIQ90ぐらいの人がIQ90ぐらいの人特有の自分がIQ150ぐらいあって他の人間がバカに見えるという思い込みから来る妄想垂れ流しのよくあるパターンみたいなのたまに見るけど、いい加減見苦しいんで一度コテンパンに論破することにした。
あのな、「コントロールが完全に不可能なもの」については皆もうそれなりに諦めてんだよ。
でも社会でちゃんと働いてる人はいつも「コントロールが不可能ではないけど、そのために必要なエネルギーが莫大すぎて諦めたモノ」に振り回され、そうして何度となく「滅茶苦茶頑張ってコントロールしておいたほうが良かったのでは」という確執に囚われるわけだよ。
自分がソコに対して「いやもう無理だから割り切ろう!」となっても、今度は上司が「お前、死ぬ気で頑張ればコントロール出来たのでは?」みたいにほじくり返してくる。
そこで「上司の考えはコントロール出来ないから割り切ろう」とはならんのよIQが95以上ある人間はな。
何故なら実際に自分が滅茶苦茶頑張ってたら状況がコントロール出来たのは事実で、それは上司がどう思ったかどうかとは無関係に実際にそこに「コントロール可能だった過去・現在・未来」として確かに存在するから。
リソース配分の判断ミスとしてクレバーに処理すればいいかと言われると簡単じゃねえわけよ。
結局は麻雀における「回し打ちで先に上がるべきか、ベタオリするべきか」みたいな「確率論においてさえ無限の仮説を立てることが可能でモアベターがどっちだったかさえ永久に答えが出ないけど、そこを掘り下げていくことを辞めたら勝率を今より上げることさえ諦めることになること」なわけな。
人間が失敗を乗り越える方法って結局は「転んだけど、どういう時転ぶか学んだから次は上手くいくぜ」と信じることなんだよ。
んでさ、世の中の多くの物事って「丁寧に時間をかけまくったけど取り越し苦労だった気がする」と「もっと丁寧にやっていれば失敗しなかった気がする」ばかりなんだよ。
「ちょうどいいバランスの準備でちょうどよく終わって完璧な塩梅だった」なんてのはそうそう存在するもんじゃない。
大抵は「拘らなくて良い場所にエネルギーを使いすぎて他で失敗した」「目先のコスパにとらわれて手を抜きすぎて失敗した」のどっちかになるわけ。
それが凄いストレスなんだよね。
過程をコントロール出来たからこそ、もっと上手く出来た可能性がちらつくし、次はもっと上手くやりたいって気持ちが湧き上がるからアレコレ考えまくって疲れるわけよ。
「コントロール出来ないものに皆悩みすぎキリリ」は自分の妄想の中の都合がいい藁人形しか見てない奴の戯言だよ。
みんなちゃんと「コントロール出来るもの」に対して滅茶苦茶悩んでるし、それで滅茶苦茶ストレスを感じてる。
人生はコントロール出来ることが滅茶苦茶多くて、そしてそこに正解を見出すことが難しいものだらけなわけよ。
答えは出ない。
考えすぎるだけ無駄だけど、あと一歩考えていればもっと上手く出来たなと感じることばかりで人生は溢れてる。
このバランスさえも、コントロール可能だからこそ滅茶苦茶に悩ましいわけ。
そこに皆悩んでるの。
「皆コントロール可能なものに対して滅茶苦茶悩んでる」ってことだよ。
「コントロール不可能なものに悩んでいて、それをやめたらストレスから開放される人」なんてのはお前の雑な机上の空論の中にしかいねーんだよ。
まあさ、そういう机上の空論がぶてる所を見るにお前のIQが70とかじゃないのは分かるよ。
でもそれが机上の空論だってわからない時点でIQ90ぐらいなわけ。
そこを認めろよ。
ルッキズム批判とは、「人間を判断するのに容姿は関係ないね」という主張。
○○(任意の事項)に容姿は無関係だろうが!と言っているのであって、
関係ないことに容姿を適用するな、では一応あるのだが、"関係あること"は存在しないのであり、お前の思っているような感じじゃない。
冷蔵庫を買う時の要素に、冷蔵庫のデザインって判断基準のひとつにするじゃないですか。
翻って、人間を選ぶ時の要素に、デザインを気にしている人たちがおりますが
現実に適用できない。ヒトの本性を考慮していない。机上の空論みたいな理屈。
したがってルッキズム批判も、このツリーでされているように、「現実にそんなの無理だし、お前矛盾してるよね」で批判されることになるよ。