はてなキーワード: 姉妹とは
家って変だな〜と思う。
私は母親とその祖父母と暮らしていて、父親という存在の事を全く知らない。顔も名前も知らない。「お父さんが〜」とかそういう話を聞く度になんか不思議な気分になるけどそれはまぁよくて、自分の父親にはさしたる興味もない。知ろうとも思わないし、会いに行こうとも思わない。向こうも困るだろうし、新しい家庭とかもあるだろうし。知らない存在は知らないままの方がいいと思う。
夕飯の時間もバラバラだし、朝に至っては同じ家に暮らしてるのに誰とも会わない。同じ屋根の下で、マンションみたいな暮らしをしている。ご飯を食べろとも言われないので今日の私の夕飯はそこら辺に買ってあったピザパンとクラッカーだった。母親とは普通に仲がいいので母親の部屋でテレビ見ながら1人で食べた。
食育という言葉と縁遠いから、個食で孤食だ。家族の温かみとかそういうものに真っ向から喧嘩を売る生活をしている。
産まれてこの方、休日に揃って昼食を食べた記憶も無い。これでも小学生の頃は夏休みには家族で旅行に行っていた。でもそれも私の従姉妹がいたからだと思う。彼女が忙しくなってからというもの、旅行という言葉は出なくなった。反抗期というわけでもないような気がする。ほぼ関心がないというのが本当のところで、祖父母ももう私のことを諦めているんだと思う。
同じ家に暮らしているだけで家族だというならそうなんだろうけど、別に絆とかそういうものはない。
綺麗な言葉で言えばそれぞれの生活を尊重しているということになるだろうし、あけすけに言えば誰も他人に興味を持っていない。本当に時々夕飯の時間が被ると内心めんどくさいと思っている。多分それは母親もそうで、揃って夕飯を食べなきゃいけないときの私と母の暗黙の了解は話を広げようとしないことだ。
面倒なのだ、老人が概ねそうなるように同じ話がループする。「○○さんが〜今日は〜……」知らないし。誰だそいつ。機嫌を損ねるような事をするのも面倒なので聞き流す。右から左にふわ〜っと。ひたすら目の前のブツを胃に流し込む作業。めんどうだからほっとこう、ってよくアイコンタクトしてる。
こうなった事に特に理由はないんだと思う。物心ついた時には、そういう風になっていた。疑問を抱いたこともない。
理想の家族って、正しい家族の形ってなんなんだろう。多分、一生私とは縁がないんだろうな。同じ考え方ができるか、差異を認めて丁度いいぬるま湯みたいな場所を見つけられる人じゃないと一緒に暮らすこともできないと思う。ご飯の時くらい、とか言われても私は知らないからだ。家族の団欒とか言われても、揃ったら会話はほぼゼロだから。私は、祖父母といるとなんだか緊張するのだ。下手なことを言ってはいけない、自分のことを話すのは悪手、言いたいことは言わない。面倒を避けることに労力を割いた方がマシ。
なんだかよくわからなくなってきてしまったのでやめる。1人でクラッカー食べながら飲むお酒は美味しいしくっそ寒いベランダで吸う煙草もいいものだ。もしこの取り留めもない下手な文章を読んでくれた人がいたらありがとう。文字にできて良かった。ばいばい。
頼む。これ読んでくれ。増田、割と今人生の岐路だぞ。お願いだから読んでくれ。母が変わったのではなく、増田が変わってきている。増田が父に似てきている。母は増田に対して優しく接して、増田を優位に立たせることで、夫のような性格に変えようとしている。母自身はそれに気づいていない。今までそういう環境で生きてきたことで、自然とそういう環境を生み出そうとしている。君主に気に入られ、忠誠を尽くし、従えない者をないがしろにする。もしあなたが次の君主になれば、あなたに関係する誰か(兄弟姉妹、親戚)を傷つけ始める。母はいびられプレッシャーをかけられて精神を病んだのではない。あなたを傷つけることで、自分の精神を病まないよういままで保ってきた。増田に優しいのではなく、自分の幸せのために増田を利用してきた。母は、優しい人に戻ってる。それは正しい。でも増田が言う本来の優しい母という表現は違う。増田の母は、夫と義母に虐待され、増田を虐待してきた今までの歴史全てであって、今の一部が母の全てではない。増田を変えようとしている今の母に気づいて欲しい。憎むべきは夫と義母だが、母にそれを伝えると、今度は増田を加害する母に戻るだろう。母の幼少時代のエピソードはどうだったか。母も親から精神的に虐待を受けて、その性格がエリート夫を引き寄せた可能性もある。子供っぽい、無邪気になったという印象が増田にあるなら特に。とにかく、増田が母に吸い寄せられたら、今度は増田が加害する側になってしまう。増田は、優しいと思う。母の全てを愛そうとしてる。大丈夫、あと少し。葛藤は吐き出せ、力に変えてもいい。母の生きてきた歴史を知り、幸せに生きていく。親が子に求めるのは、幸せに生きることだけ。全ての選択肢は増田の中にある。幸せになれ。たのむ、自由であってくれ。人格破壊の連鎖を止めてくれ。書いてくれてありがとう。読んだだけでなんでこんな心臓バクバクするのかと思ったら、うちと似てる。自分に書いたのかも。増田ほど大変ではないけど、母のすることなすこと当たり散らしてた父が、子どもが独立して、実母が死んでから急に母や帰省したうちに優しくなってね。優しいというか、気持ち悪いくらい屈託ない笑顔を見せるようになった。こっちが仲良くすると、また目の前で母に当たるようになったから、ほっといたら、最近は帰省するたび「死にたい、ばあちゃんのもとに行きたい」とか笑顔で言い出した。正月に父の過去をもう少し探ってみるよ。増田のお陰。ありがとう。
先住犬がいるので、もちろん相性が良さそうであれば、トライアルをしたかった。
その犬は今年の春に亡くなった犬と雰囲気が似ていて、ペットロスであり続けている妹の一目惚れだった。
会ってみたら、おっとりしたところが本当に亡くなった犬のようだった。
犬が飼い主のことを好きすぎて転生し続ける映画・ワンダフルライフシリーズを観ているからか、
保護犬は亡くなった犬と年齢が一緒だからそんなはずないんだけど(というか生まれ変わり自体ないけど)、
姿や雰囲気が似てる犬はだれでも生まれ変わりのように思えてた。
もともとは殺処分リストにいた犬で、その犬を里親会から引き取れば、別の犬が里親会によって保護され殺処分リストから救い出してもらえるというシステムも響いていた。
そういう経緯があり、さきに妹と一緒に犬に会ってきて、話を聞いて、動画をとって家族に送った。
了承をえるのは動画を見せて聞いた話を伝えてからと思って。じゃないと説得しにくいだろうなと思って。
でも先住犬がかわいそうだから無理だと言われた。
相性も確かめずに、先住犬も保護犬も不幸になるだけだって決めつけられた。
なんなんだろこの人達、ってなっている。
残ったもう1匹をそのぶん愛そうとは思ってるし、実際そうしているけど、亡くなった犬のかわりにはなれなくて、喪失感は薄れないんだよね。
別に私は従姉妹の彼氏が籍を入れなかったのを責めたいわけじゃないのですが何か?従姉妹だって籍を入れて結婚してくれる相手を望んでいるならその人と別れて別の人を探せば良かっただけの話です。
むしろ親族の前で籍を入れないことを明言したのは立派だと思います。のらりくらりと同棲を長引かせることもできたのに、あえて彼女の親族の顰蹙をものともせず自分の意志を宣言したのですから。従姉妹のお婆ちゃんは激怒したそうですが、「女はお嫁に行ってなんぼのもん」の世代の人ですから古い価値観に合わせる義務はありません。
彼氏と従姉妹が両方納得していれば籍なんて入れても入れなくてもどっちでも良いのです。ただ、元増田は結婚願望が強いようなので、「相手のプロポーズなんか待ってるとそのままオバさんになっちゃうよ」と言っておきます。
確かに元増田が一言も書いてないことを想像で勝手に補っちゃってましたね。フォローしていただきありがとうございます。元増田は自分の収入とか専業主婦願望に触れてないので、あまり余計なことは書かない方が良かったですね。
ただ、このケースを読んでいるとずっと彼氏と同棲していたのに入籍することなく別れてしまった従姉妹を思い出します。彼氏はいわゆる非正規雇用で、「自分の立場と収入では彼女の人生に対して責任とれません」と彼女の親族に宣言して籍を入れなかったと聞いています。元増田の彼氏も同じように考えたんじゃないでしょうか。自分が彼氏を生活費を稼いでくれるATMと思っているんじゃなくて、彼氏と一緒に生きていきたいのだと言い聞かせないと同じ結末が待っているように思いました。
こんばんは。医療の現場で働いてる増田だよ。あなたの家族に英一郎氏みたいなのがいたとして、助かるには家族全員で患者を見捨てて逃げるか、家族がそれを許さないなら自分一人で逃げ出すしかない。
病院の事務方(夜勤)をやってると、徐々に限界を迎える精神疾患者とその家族を目にする機会が沢山ある。十年で二十組くらいは見たかな。大体は冬か梅雨にアイツらは活発になる。日照時間が短いとやっぱダメなんだろうね。大暴れして家を飛び出して何故か僕の職場に来る。僕は掃除用のモップとか放射線科に置いてある三角コーンとかを駆使して無力化を試みる。まあ大体はブン殴られて滅茶苦茶になるんだけど。無力化できたら僕が警察を呼ぶし、出来なくても殺すつもりでしがみついて時間を稼ぐと、その間に看護師とかドクターが警察を呼んでくれる。
暴力を振るってた場合は警察がすぐに患者を拘束してくれる。大声程度だとそうもいかないらしく、警察がどんどん応援を呼んで、十人くらいでジワジワと患者を囲んで少しずつ動くことで患者を移動させ、二時間も三時間もかけて病院の建物から出してくれる。
気付くと患者の家族が到着して、患者が暴れなかった場合は引き取っていくこともある。大体の場合は「御迷惑をおかけしました」の一言もない。別に腹は立たない。最初の頃は患者がアレなら家族も大概だなと思っていたけど、違うのだ。家族はもうとっくに限界を越えて疲弊しているのだ。やんわりと事情を聞くと、ポツポツ話してくれる。初回はかなり曖昧な話しかしてくれないけど二度目・三度目になるとその家族の苦しみが溢れ出たように話し始めることが多い。
家族は患者に殴られ、金を取られ、病院への受診を拒絶され、いつ何時大声を上げて暴れ出すか分からない中で生活しているのだ。金を与えなければ暴れる。食事が気に入らないと暴れる。病院へいこうと提案すると暴れる。疲弊し切った家族にできる事は、患者が暴れ出すきっかけになるような何かを徹底的に避けて顔色を伺いながら接することだけだ。患者だけがデップリと肥えて、家族は皆痩せていて、カサカサしている。
家族はどうするのが正解なのかというと、金目のものだけ持ってどこかに逃げるのがきっと正しい。携帯の番号も全部変え、患者に持たせたカードも止めて、逃げるのだ。運がよければ警察なり福祉が介入してくれる。そこに至る過程で他人へ危害を加えるかも知れないがそこはもう仕方ない。殺されるよりはマシだと思って患者を捨てるしかない。
もし家族の誰かが患者を捨てられないと主張し続けるなら、あなただけでも逃げるのがいい。例えばあなたの兄弟や姉妹が患者で、両親のどちらかであったり兄弟や姉妹の誰かが患者を捨てることに反対した場合、だ。大体の場合、患者よりも先に家族に限界が来る。一人倒れ、二人倒れ、自分が倒れるまでに何らかの解決がもたらされればまだマシだけど、それを期待して何年耐えなければならないかも分からないままあなたの人生をすり減らすべきじゃない。
患者家族にそんな話をやんわりとする。あの家族は母親が倒れるまで頑張ってしまった。あの家族は両親共にダメになって、お兄さんがまだ頑張っている。あの家族は弟が自殺してしまった。あの家族は患者以外全員が去年よりずっと痩せている。全部覚えている。警察と病院の人間に頭を下げるその仕草が、歩くときの動きと同じで完全に体に染み付いてしまったあの感じは忘れられない。あんな風になって欲しくないから、無責任でいいし患者が救われないかも知れなくていいから、一人でも逃げてほしい。
サウジの友達しかいないから他のイスラム圏の話はわからんのだけど、サウジの奴らによるとお婆ちゃんとかお母さんとか姉妹が奥さんになる予定の人を見てきて決めるって言ってた。
複数ヒロインもののラブコメの終盤といえばファンの間で煽り合いになるのが常である。
俺妹は刑事事件になるまで発展したが、そうでなくともニセコイの惨状や政宗くんのリベンジ(最終巻の表紙を師匠にしたのは許していない)の局地的な荒れ具合、綺麗な終わりを迎えた神のみですら荒れたことを見ていればわかるように、概ね人気作品であれば炎上はするものである。当たり前だがそのキャラが好きな人がいなければ炎上などしないからだ。
ラブコメの炎上とは作品がどれだけ愛されているうちに終われたかのバロメータと言い換えてもいいと思う。(ハヤテとかハヤテとかハヤテなんかは荒れすらしなかった)
ラブコメが終わる間際の祭りのような雰囲気が大好きだ。恋が叶わないことが分かりきっているヒロインをそれでも応援したいし、九割九部九厘結ばれるであろうヒロインがそれでも結ばれるか不安になりたいのだ。真面目な考察を読んだり掲示板を見たりして感情を揺さぶられたいのだ。
単体ヒロイン全盛の時代にほぼ同時期に開始し、どちらもアニメ化までした人気作品の「五等分の花嫁」と「ぼくたちは勉強ができない」がどちらもクライマックスを迎えようとしている。
私にしては珍しくどちらも推しヒロインが結ばれそうでドキドキしているが、同時にこの後に夢中になれそうな複数ヒロインものが見当たらず、終わった後のことを考えるとふと寂しくなる。(真面目に早乙女姉妹くらいしかないような気がしてる。末期だ)
彼女達の百合心ってその大半がリリアン女学園のスールという限られた関係性の中でのみ息づくものでしかない
もちろんリリアンを離れても友情は永久に続くと信じてるけど(百合豚心)
ガチレズっぽいのはガチレズ濃厚の聖様周りの人物を覗いて殆ど見当たらない
こういう女子校という特異点の中で育まれる特殊な関係性を百合として見ると儚いのよね
以前うちの母親が、「思春期の女生徒の中には自分がレズだと勘違いする(もしくはそういうロールを演じる)人がいる」と言っていた
中にはきっと霊感少女と同じ類いの中二病患者も含まれるんだろう
実際僕の記憶でもやけに同性のクラスメートにベタベタしてる女生徒はいた
かくいう僕もファッションホモ野郎だったので他人のことは言えないが
マリみてにおける百合描写は女生徒同士の特別な友情に近いものなんじゃねーかな
一部むしろ女性のホモソーシャルに近い異性排他的な描写も見受けられたし
近年は「同性愛は一過性のもので最終的に抗うすべなく異性愛に回収されまーす」的な描写は(ポリコレ的にも)好まれない傾向にあると風の百合豚に聞くが、マリみてでは特段世間的な異性愛を引き合いに出して作中人物達が想いを確かめ合うような描写はなかったのでこれには当てはまらないだろうな
しれっと子供作ってるし可南子は感動してるしで流石にあの回だけはビックダディ系大家族が醸し出すついていけない感に近い心的な隔たりを感じてしまった
可南子、強く生きて
まゆげ最高。まゆげがダイブツマスクに変身して大怪獣ドシャーク・ズレーと戦うクライマックスシーンは涙無くしてみられなかった。
あの日見た花の名前はあおいというのだわたしは知っているぞって感じの映画だった。主人公からしたら、え、私が花だったの!? って感じかもしれんが。もともと幸せだったお姉ちゃんがさらに幸せになる話なので、陰鬱な見た目に反してめちゃめちゃハッピーにあふれている。
マリー作品、だいたいいつもしあわせのかたちが花に仮託して語られる。失って初めて気づく過去の幸せな時間はあの日見たまだ名前を知らない花だし、孤児たちが夢見る幸せの形は決して枯れない鉄の華だし、ともに過ごした日々が幸せであったとこれからもずっと覚えていようと約束するのはさよならの朝に贈られる約束の花だった。その上で空青はタイトルの時点で既に私にとって花はあおいであると知っていると高らかに宣言している。あおいこそは私の幸せなんだと。
これは幸せを求める人の話ではなく、すでにそこにある幸せを大切にして生きている人の話だ。
さよ朝が子供を育てる子供の話だとすると、空青はその反対の、子供に育てられた子供の話で、さよ朝が子育ての話なら、空青は子育てのあとの話。そう考えると、マリーワールドの「子供」はオルフェンズで子を生んで、さよ朝で育てて、空青で子育てが一段落して、ようやく恋愛をする余裕が出てきた。
相生は、広辞苑曰く「二つのものがともどもに生え育つこと」だって。
ここさけが横瀬の方の話だったんで、今回はその反対のミューズパークの方の話。あの花は市の中心部の話だったんで、同じ秩父とはいえ実は毎回微妙に舞台が違ってる。
個人的な話だけど、秩父の相生町(主人公の住んでるとことはまた別の地域、じんたんとかの住んでるあたりに近いかも)に親戚がいるので、なんかそれだけで親近感が湧く。あとわりと年上の独身の超美人(重要)の従姉妹とかもいるので、そのへんの親戚と相生姉妹が重なって見えて、これは私のための映画だって勝手に感極まってた。