はてなキーワード: 名言とは
普段は情けないギャグ要員なのに映画になると名言連発するギャップが評価されてるだけ
普通の有名アニメ・漫画の父親キャラは、最初に威厳のかたまりみたいなカッコいいキャラとして登場しても次第に人間味あふれて緩さが表れてきてカッコよさがなくなる
なんか「お嬢様」って書いたら嘘松っぽさ出るけど、お嬢様以外に表現のしようがない。細かくは書かないけどフェイクは入れてない。
自分…超難関ではないけど大学名言ったら「おお~!」って言われるレベルの大学生、地方出身、奨学金借りてる
自分とお嬢様が属してるコミュニティ…色んな大学の学生が混じってる。趣味で集まってるので都内実家勢・地方出身勢、実家太い勢・細い勢まぜこぜ。
お嬢様…自分と同じ大学。都内実家(エレベーター付き)だけど家賃3桁のタワマンに一人暮らししてる。
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タイトル通りなんだけど、貧乏ごっこしてるお嬢様に自分含めたコミュニティのメンバーが悩まされている。
すんごい雑に言うと、コミュニティに性格やばいというか何もかもやばいやつがいてしんどい。
お嬢様はガチのお嬢様なんだけど、偽貧乏アピール+偽障害者アピールがやばい。
例:「貧困層だから今日も学食しか食べられない😢」「実家全員障害者で親ガチャはずれすぎて辛い…」など。
でもインスタとかではタワマン住み・高級レストラン通い・幼少期から英才教育を受けていたことなどを隠さない。(指摘すると「あのレストランに来たのが1万人目らしくて貧乏人でも食べれたの☺️」とか言う)
SNSだけでそれやってるならいいんだけど、それでリアルのコミュニティを荒らしててやばい。
例えば、バイトの話になって「今週バイトたくさん入れたよー」みたいな話をほかのメンバーがしたら
そういうのにほかのメンバーが反論というか優しく諭すと、「ほんとに貧困層なんだよwwひどいよww」って笑ってる。
「〇〇ちゃんは住む世界違うからなあ」と言うメンバーに「なんで?障害者だから?ひどくない?ww」とか言ったりする。
「うちの実家借金まみれなの😢ラーメンも食べられない…」とか言う。借金まみれ、というのは事業の融資だったり不動産のローンの話だから1%くらいは本当なんだろうけど
多分ADHDなのは本当なんだろうけど、障害者連呼しすぎててやばい。いや、ADHDというよりも性格がやばすぎるだけなんじゃないかと思うけど。
ちなみに弟さんのことも本当は自閉症じゃないのに自閉症って言ったりしててもうわけがわからない。
まじで何が目的なのかわからない。ただ、ガチの貧乏人をバカにしたいだけならわかるんだけど、それなら金持ちとつるんでバカにしとけばいいわけで
わざわざみんな楽しくやってる中につっこんできて荒らす意味が分からない。
しかも自分を下げて遊んでるだけならいいけど、たまーにバカとかブスとか普通にバカにしてるからもうほんと意味わからない。
このお嬢様が原因でもはやコミュニティは崩壊しつつあるし、みんなもっかいお嬢様抜きでやり直そうという話になってる。
でもそうするとまた「障害者差別された😢悲しい😢ひどいよお…」とか言ってくるしついてくるんだろうなあと。
自分に対しても、「〇〇(自分)の方が絶対お金持ちだよお」「家庭教師のバイトってそんなにもらえるの?私頭悪い障害者だからできないつらいよお😢」とか言ってきて本当に本当にもう〇んでほしい。
百合とかBLとかセクマイとかの「クィア」を客寄せ要素として使ってるけど扱いが不誠実、みたいなのをクィアベンディングと呼んで差別だと指摘する意見がある。
カタカナ語であることからもわかるように英語圏で流行り、最近は日本でもセクマイを扱ったエンタメや芸能人が批判される際に、意識の高い人たちを中心に使われだしている。
百合営業とか腐営業やってるくせに浅いし適当だし失礼なんだよ、みたいなことは昔から日本でも言われてきたが、クィアベンディングという用語を使った場合、倫理面での強い批判というニュアンスになり、批判された側は申し開きが難しくなると思う。
私は百合やBLを楽しんできたオタクであり、同じジャンルのオタク友達の中には、クィアベンディングなどを指摘する人も結構いる。
クィアベンディングにある程度の問題があるということは否定しない。
だが、私は、クィアベンディングであることを理由に何かを責めるつもりにはなならない。私は、客寄せのクィアを散々楽しんできたし今後もそうするだろうからだ。
そして私が認識している友人たち(レズビアン、ゲイ、バイ、トランス含む)や、世間のほとんどの人もそうだ。
(おそらく異性愛者であろう)アイドル同士がMVでほっぺにキスをしあうところや、キャラクターが不意のボディタッチであわあわするシーンや、役者が作品中ではなくオフショットで共演者にあすなろ抱きや壁ドンしている写真や、Twitterのフォロイーや私たち自身が同性友達とお出かけすることをデートと呼称することを、ニコニコしながら……時にはキャーキャーウォーウォー言いながら私たちは楽しんできた。
それらの半分以上はクィアベンディングと呼ばれてもおかしくなかったと思う。でもそれらは燃えなかったからわだかまりなく楽しんでいます、だけど何かのきっかけで燃えた物に対しては、急に真っ当な顔をしてクィアベンディングで差別的だと全力で怒ります、という気持ちにはならない。
ダブルスタンダードとかブーメランとかの指摘が力を持ちすぎる風潮は歓迎していない。人間は考えを変えたり矛盾したりしてしまう生き物だと思うので。
でもそれにしたって、タチの悪いダブスタをやりつつ倫理的に正しい側に立った態度をするのはよくないだろう。
クィアベンディング的な売り方はよくないと学びました、私も悔い改めて今後それらを楽しむことはしません、ということならばわかる。
だが、先月クィアベンディングで怒ってたのに、翌週には2.5次元俳優の楽屋での距離の近さにときめいてて、来月出る百合萌えゲームも楽しみだけど、今日はまたクィアベンディングに怒りますというのは、よくないよ。
自分自身がセクシャルマイノリティであろうとなかろうとね。
エンターテイメントや芸能業やスポーツ含めた興行というのは多かれ少なかれ外道の商いで、売り手も買い手も、私たちはみんなその悪を背負っている。
それでも、悪すぎるものは程度問題として批判され改善された方がいいと思うが、その時話題になっているモノの悪さの程度はどれだけなのかというのをちゃんと考えた方がいい。話題性だけに引っ張られて怒り、クィアベンディングという使い勝手が良くて非難として強い言葉を使い、自分の普段の行いを棚に上げて善人面していないか。
一般論として読んでほしいから具体名を出すか迷ったけどボカすのも不自然かと思うので名言すると、このエントリを書くきっかけは水星の魔女の話題である。
百合やBLを尊いとか萌えとか言って楽しんできたし今後も楽しむであろうベンディングエンタメ大好き人間が、水星の魔女を批判する際にクィアベンディングという用語を使うのはスジが通らないと思う。
まず前提として、水星の魔女の作中・作外においての結婚の表現の避け方が、余韻を生む効果より、不自然で違和感を生むマイナスになっているとする。この前提に同意せず「作品の質を上げるためには結婚表現の回避が必要だった」という立場もあるかもしれないので。
あの不自然な結婚表現の回避が、誰かの思想によるのであれば(百合を売りにした作品じゃなかったとしても)同性婚冷遇的すぎてよくないし、海外展開の妨げになるからと勘繰られているのが本当にそういうなら商業主義のせいで作品に不自然さという瑕疵を作っていてよくないし、だいたい婚約指輪を描くのはいいし花嫁花婿と言うのもいいけど結婚と言うのはダメみたいなピンポイントの言葉だけ隠せば問題ないという基準は馬鹿らしい、などの批判なら、大いに頷ける。
りゅうちぇるさんが世の父親たちに投げかけた名言を振り返って追悼しよう。
感謝されたいって甘えすぎじゃない?パパとしての心構えが足りないのでは
平日は朝食、週末は洗濯、風呂掃除、夕食を自分が担当し、妻が一人の時間を取れるよう子どもたちと外出もして専業主婦の妻を支えているが、感謝されるどころか要求だけがエスカレートしているという父親へのアドバイス。妻が専業主婦でも家事はやれるだけやるのが当たり前!普段家事をして仕事をさせていただいている妻に感謝をするのが先で、自分から感謝を求めるのは甘えだぞ!
育休からの復帰を渋る妻に対して不満を持つ父親への言葉。父親は働いてるだけじゃ駄目だけど、女が家庭に入ることは私らしさ!ママの生き方を尊重できない男は父親失格だぞ!
これはまあ普通に正論なんだけど、JTCだと会社でもそんな感じだし家でもそんな感じなんだろうな、みたいなおっさん結構職場にいるよね。
役割分担は各家庭それぞれ、仕事と育児、家事適材適所で協力して回していくのが家族だし、一週間家に帰らず妻にワンオペさせてでも仕事をこなすのが父親ってもんだぞ!
https://veryweb.jp/kids/301785/
https://news.yahoo.co.jp/articles/372f1c2a87fb6552e7a75ee15a83fae4217f25dd