2023-07-31

クィアベンディングだ、と何かを責めるほど潔白ではない人間として

百合とかBLとかセクマイとかの「クィア」を客寄せ要素として使ってるけど扱いが不誠実、みたいなのをクィアベンディングと呼んで差別だと指摘する意見がある。

カタカナ語であることからもわかるように英語圏流行り、最近日本でもセクマイを扱ったエンタメ芸能人批判される際に、意識の高い人たちを中心に使われだしている。

百合営業とか腐営業やってるくせに浅いし適当だし失礼なんだよ、みたいなことは昔から日本でも言われてきたが、クィアベンディングという用語を使った場合倫理面での強い批判というニュアンスになり、批判された側は申し開きが難しくなると思う。


私は百合BLを楽しんできたオタクであり、同じジャンルオタク友達の中には、クィアベンディングなどを指摘する人も結構いる。

クィアベンディングにある程度の問題があるということは否定しない。

だが、私は、クィアベンディングであることを理由に何かを責めるつもりにはなならない。私は、客寄せのクィアを散々楽しんできたし今後もそうするだろうからだ。

そして私が認識している友人たち(レズビアンゲイバイトランス含む)や、世間ほとんどの人もそうだ。

(おそらく異性愛者であろう)アイドル同士がMVでほっぺにキスをしあうところや、キャラクターが不意のボディタッチであわあわするシーンや、役者作品中ではなくオフショット共演者にあすなろ抱きや壁ドンしている写真や、Twitterのフォロイーや私たち自身が同性友達とお出かけすることをデート呼称することを、ニコニコしながら……時にはキャーキャーウォーウォー言いながら私たちは楽しんできた。

それらの半分以上はクィアベンディングと呼ばれてもおかしくなかったと思う。でもそれらは燃えなかったかわだかまりなく楽しんでいます、だけど何かのきっかけで燃えた物に対しては、急に真っ当な顔をしてクィアベンディングで差別的だと全力で怒ります、という気持ちにはならない。

ダブルスタンダードとかブーメランとかの指摘が力を持ちすぎる風潮は歓迎していない。人間は考えを変えたり矛盾したりしてしまう生き物だと思うので。

でもそれにしたって、タチの悪いダブスタをやりつつ倫理的に正しい側に立った態度をするのはよくないだろう。

クィアベンディング的な売り方はよくないと学びました、私も悔い改めて今後それらを楽しむことはしません、ということならばわかる。

だが、先月クィアベンディングで怒ってたのに、翌週には2.5次元俳優楽屋での距離の近さにときめいてて、来月出る百合萌えゲームも楽しみだけど、今日はまたクィアベンディングに怒りますというのは、よくないよ。

自分自身セクシャルマイノリティであろうとなかろうとね。


エンターテイメント芸能業やスポーツ含めた興行というのは多かれ少なかれ外道の商いで、売り手も買い手も、私たちはみんなその悪を背負っている。

それでも、悪すぎるものは程度問題として批判され改善された方がいいと思うが、その時話題になっているモノの悪さの程度はどれだけなのかというのをちゃんと考えた方がいい。話題性だけに引っ張られて怒り、クィアベンディングという使い勝手が良くて非難として強い言葉を使い、自分普段の行いを棚に上げて善人面していないか


一般論として読んでほしいから具体名を出すか迷ったけどボカすのも不自然かと思うので名言すると、このエントリを書くきっかけは水星魔女話題である

百合BL尊いとか萌えとか言って楽しんできたし今後も楽しむであろうベンディングエンタメ大好き人間が、水星魔女批判する際にクィアベンディングという用語を使うのはスジが通らないと思う。

批判するなら、以下のような理屈の方が私にはしっくりくる。

まず前提として、水星魔女の作中・作外においての結婚表現の避け方が、余韻を生む効果より、不自然違和感を生むマイナスになっているとする。この前提に同意せず「作品の質を上げるためには結婚表現回避必要だった」という立場もあるかもしれないので。

あの不自然結婚表現回避が、誰かの思想によるのであれば(百合を売りにした作品じゃなかったとしても)同性婚冷遇的すぎてよくないし、海外展開の妨げになるからと勘繰られているのが本当にそういうなら商業主義のせいで作品に不自然さという瑕疵を作っていてよくないし、だいたい婚約指輪を描くのはいいし花嫁花婿と言うのもいいけど結婚と言うのはダメみたいなピンポイント言葉だけ隠せば問題ないという基準馬鹿らしい、などの批判なら、大いに頷ける。

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