はてなキーワード: 原始宗教とは
正解だが間違ってる。
宗教に、社会を維持したり、倫理をもたらしたりする機能がある(かのように働く)のは間違いないよ。
でも宗教があるからそれらの効果が得られる、とか、それらの効果を得るために宗教が作られた、とかではないんだよね。
例えば、火山が爆発する→なんで爆発したんだろう?→山の神が怒っているからに違いない→山の神宗教の発生、このように宗教は作られたはず。
重要だったのは、「なんで爆発したんだろう?」と疑問に持つ能力、因果関係を類推する能力を、人間という生物が保持していることが、宗教の発生原因だ(と思われる)。
で、疑問を持つ能力が起点にあるという話は、他の全てとに言えて、
なんで子供を育てないといけないんだろう?→神がそれを正しいと言ってるからです
なんで地域で助け合うべきなんだろう?→教会が伝統的にそうしてきたからです
このような説明がされる。
結果的に人々は「宗教があるからそうしている」ように見えるのだが、
別に宗教が無くなるまえからそれはやっていた。宗教が無くても持って生まれた善性や教育で、そういうことはやっていたはずだと思われるのだね。
宗教が無くなったことで、なにか倫理が無くなったかのように思われるのは、実際には無くなっているのは「宗教」ではないはずだ。
菅野完さんと小山晃弘さんのYouTubeでの会話がとてもおもしろい! はてなーのみんなに菅野完さんのご意見をぜひ聞いてみてほしい! 素晴らしいご意見を言ってらっしゃるから!
https://twitter.com/noiehoie/status/1673990676134912005
https://www.youtube.com/watch?v=QE4plzDP5no
10:29~のやり取りが最高! そんな発想があり得るとは思わなかった! これはすごい知性の持ち主ですよマジで。
(労災が男に偏っているのは男性差別、という小山さんの発言に答えて)
菅野さん「相撲取りは100パー男なわけですよね。女の相撲取りって聞いたことないですよね」
菅野さん「いや俺はそれは女性差別とは言わない。俺はそれは女性差別とは言わない。だってそんなもん女性がまわし着けたらクリトリスを刺激して相撲にならないんだから。そんなことはどうでもいいんですよ」
す……すごい! 女性を相撲に携わらせない理由は「流血が伴う生理現象をケガレ扱いする世界各地の原始宗教にみられる悪しき文化を現代に受け継いでしまっている伝統」以外に答えを思いつけなかったんだけど、そんな単純にして明快な理由があったなんて! まさにコロンブスの卵だ!
うーんこれは女性が排除されてても仕方ない! これまで「土俵に女性が上がれないのが不当なのと同様に、男性が立ち入れない車両があるのも不当だろ」と思ってたけど、そんな生っちょろい思考を吹き飛ばすだけのインパクトがありますよ! 女性専用車両にケチをつけるみみっちい弱者男性を粉砕していこうな!
そして論敵に対して流れるように「自分はモテる」自慢! か……かっこよすぎる! これこそ真の「漢(ルビ:おとこ)」ってやつだ!
やっぱ弱者男性ってのはモテない僻みを女性にぶつけてるだけの存在ってはっきりわかんだね。とにかく、菅野完さんはやはりジェンダー問題に対する深い理解と豊かな見識をお持ちである方であると再確認させていただきました。
元増田さんはこの歌詞が歌われている曲を知りたいのだろうけれど、それは生憎存じ上げないのだが。
ただ、宗教というものを考えると、開祖がいる宗教は、その開祖が作ったわけで、それは「手作りの宗教」と言えるのかも知れない。そう思うと原始宗教のような自然発生的に生まれた信仰以外は全て手作りなのかも知れない。
はたして自分が神様を作ってそれを信仰することができるのだろうかということも考えてしまう。
俺は自己評価が低いタイプの人間なので、自分が作ったものには一定の不信感というか、どこか間違っているんじゃないかという疑念を完全に払拭することができない。仕事で客先に製品を納品した後も「何かチェック漏れがあるのではないか」と思っていて、客先から電話があったりするとドキッとしてしまう。しかし仕事であればそのくらいの用心深さがある方が良いとも思っている。
だから自分で神様を作ることができたとしても「この神様どこか間違ってるんじゃないだろうか」と思ってしまうだろうからうまくいかないだろう。信仰は盲信することが必要なのに。
しかし世の中には、自分の考えていることや自分のやっていることは完全に正しいと信じて疑わない人もいる。自己評価の高い人。彼らは、自分の行いや考え方の正しさを信じて疑わない。己を盲信しているとも言える。
そういう人が神様を作れば「これは完璧な神様だ」と何の疑いもなく思えるんじゃないだろうか。
しかし自分が作ったものというのは自分という創造主よりも下位にいるわけで、そうなると信仰のような気持ちを持てるだろうかという気もする。やはり神様は絶対的な上位にいてそれを崇めることで信仰は生まれるだろうから。ブッダもキリストもムハンマドも神を作ったわけではなく、神という存在は既にあって、その解釈や神様に近付くための教義を作ったといえるのかも知れない。
それでも敢えて神様を作るとすれば、どういうのがいいだろうか。世界中にある宗教の良いところを抽出して採用して、受け入れられない禁忌は除外していく、そういう方法が良さそうだ。
豚肉は好物なので食べてもいいことにしよう。
日曜日は遊びに行くか休みたいので、教会にいかなければならないみたいなのもなしで。
婚前交渉はあってもいいでしょう。ありで。
あまり自堕落にしていると軽い天罰みたいなお叱りはあった方が良いかもしれない。
こんな風に考えていくと、基本的に自由でいさせてくれて、堕落しそうな時は叱ってくれる。そしていつも暖かく見守ってくれる。そういう神様が良さそうだと思ったけれど、それってオカンやん。
https://anond.hatelabo.jp/20180529210858
アニメは見てない。軽くググったが、
ウマ娘って完全に人間の上位互換だよね。つまり前史において人類はウマ娘たちの【家畜】で、ウマ娘からの解放過程が人類史なんじゃない?
◇人類前史
○古代文明
農耕により人類もウマ娘も人口と生活環境が安定。ウマ娘の高い能力により、富がウマ娘側に蓄えられていく
ウマ娘、富の集積と その高い身体能力≒戦闘能力から王権を確立。
とはいえ、ウマ娘の性格は概して穏やかなため支配者というよりは共同体の合意に基づく代表者のような王だろう。
王族としてのウマ娘達と半家畜としての人類がセットになった複数の小共同体が移動しながら地球上に生活圏を広げていく。
ウマ娘を信仰する原始宗教発生。ウマ娘はエルフのようなモノらしいので、
神そのものというより、神に仕える神官のような立場になり、その立場を独占
この時代からの権威と憧憬が作中世界の現在でのアイドル(偶像)的活動の源流に。
○戦争
直接戦闘だけが戦争ではない。政治的外交的目的を達成する為の手段として戦争が行われる。
王族としてのウマ娘達の為に臣下の人類は戦う。(勿論、現実の人類史と同じように共依存的)
王族としてのウマ娘達は その高い身体能力を駆使し同共同体の人類と協力して戦略拠点を整備。
戦闘前には その走力を生かして敵対ウマ娘達と情報収集、威力偵察を含めた駆け引きを行う
直接戦闘は随伴する人類の役割。勝敗は人類の数も重要だが、事前のウマ娘達の活躍も勝敗の趨勢を決め得る。
ウマ娘は王族だし、その決定的移動能力戦闘能力は希少で変えが効かないため、直接戦闘には加わらざるを得ない時点で敗勢。
いきなり現代現実世界の航空戦+陸上戦のような戦争形態になると想像する
▽(面倒臭くなってきた…)後は、現実の歴史と同じように統合分裂を繰り返しながら徐々に国家が作られていく
その走力から情報伝達も支配するだろうから金融さえウマ娘が支配するだろう。
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変化が起こり始めるのは遠洋航海技術の発展から、これにより人類は大量輸送,移動手段を獲得する
物資の独自大量輸送手段を獲得した人類は、必ずしも自国家の支配種であり共依存にあるウマ娘に頼る必要がなくなる
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ここで、遂に火薬発明! 人類とウマ娘の戦力差が大きく縮まる。戦争におけるウマ娘の重要性が低くなり
人類主体の議会の力が強くなる。元々 ウマ娘達は穏やかな為、自国内の不和が広がるのを良しとせず
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そうこうしている内に内燃機関発明! 遂に種としてのウマ娘の優位性は失われた…。
結果的に人類の支配種として振る舞わなければならなかったウマ娘達だが、
その生来の温和さもあり、歴史と共に人類への支配,管理は常に穏やかに変化し続けた歩みでもあった。
しかし、遂に人類はウマ娘の軛から解かれ、生物としては対等に、
太古からの憧れはレースと歌として楽しめる真(心)のパートナーになれたのだ!!!
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▽最悪の敵。そう、他ならぬ人類同士の戦いという対価を支払い続ける事にはなるのだろうが……。
(アニメ見てないから分からんけど、エルフという比喩があったので、エルフと同等程度に希少な種族であるという前提で書いたわ。)
(疲れた…。)
てきとうと言うまとめブログで吉水神社の宮司が極右レイシストだった件の記事(http://blog.livedoor.jp/googleyoutube/archives/51864154.html)を読んでいたら、嫌儲民が「他の宗教には弱者救済のシステムがあるのに神道にはない」と言う話をしていた。本当だろうか。
本当なら不思議な話だ。弱者のための、民衆のための宗教でないのならば、なぜこんなに長いこと存続したのだろうか。今はそうではなくともかつては、神道もちゃんと民衆のための宗教だったのではないか。もしそうなら原因は想像つくよね。国家神道だ。
もともと神道は原始宗教だった。権力者と民衆という構図が成立する以前の宗教だったわけでしょう。それが人々の生活の変化に適応するために、自らの不足を仏教から補ったのではないか。仏と習合することで原始宗教の域を脱し、民衆のための宗教になったのではないか。そして近代の始め、明治の神仏分離令および廃仏毀釈によって仏教が無理矢理引き剥がされてしまう。神道は切り刻まれ、権力者のための宗教、国家元首を現人神として崇める事実上の一神教として再編成される。神道が民衆のための神々を失ったのはきっとこの時だ。
仏教をはじめとする他宗教が弾圧、破壊され、神道すらも必要なものを根こそぎ削ぎ落とされてしまった。日本人が総カルト化するのも無理ないよね。あれだけ派手に敗戦し、現人神の幻想が消し飛ばされたにもかかわらず、神道は元に戻る気配がない。戻る場所がないんだ。元の姿は明治に破壊されてしまった。明治以前に何を祀っていたか、もはやわからなくなってしまった神社もあると聞く。
もしこれらの推測が正しいのなら、神道には宗教改革が必要だろう。神道を権力者の手から奪還し、民衆の手に返さなくてはならない。できないなら国教カルトに戻るだけ。
http://www.tokuteishimasuta.com/archives/7385048.html
「宗教信じてる?」 「いいえ」 「じゃあ持ってるお守りハサミで切って」 「できない」 「は?」
最近、上の対談がすごく話題になって、件の大学教授が叩かれているが、俺はこの大学教授を叩いてるやつが理解できない。
この記事で大学教授を叩いてるやつは大体以下のどれかに分類されるが、3以外全て批判として的外れだ。
1. 日本は八百万の神っていうアニミズムの信仰があるのをこの教授は理解していないよね?
2. 宗教と信仰は別だろ?無宗教であっても、こうしたアニミズム信仰を持っているのはおかしくないし、その点で無宗教と信仰は両立可能。
3. 「思い入れ」があるから切りたくないだけで宗教の問題じゃないんじゃね?
これって「ものを大切にしたい」という道徳感情に由来しているだけなんじゃないの?
4. そもそも他人のものを切ろうとすること自体がおかしい。この教授はキチガイ。脅迫罪。お守りの金払え。
つーかそもそも、この教授は自分の母親の遺影を無宗教なら壊せと言われたら壊すの?
5. なにこいつドヤッってんの?ムカツク。
1.日本は八百万の神っていうアニミズムの信仰があるのをこの教授は理解していないよね?
→理解しています。
この教授は「神を信じている?」ではなく「宗教を信じている?」と学生に質問している。
その「宗教」のなかには当然、日本の伝統的なアニミズム信仰が含まれている。
この学生とのやり取りの本質は、自分が宗教的であることに無自覚な学生の中にも、そうしたアニミズム信仰が生きていることを明らかにすることにある以上、
その教授に対して、「日本の八百万の考え方を理解していない」などと叩くのは明らかにおかしい。
2.宗教と信仰は別だろ?無宗教であっても、こうしたアニミズム信仰を持っているのはおかしくないし、その点で無宗教と信仰は両立可能。
→これは一見まともに見えるが、宗教学における「宗教の定義」を理解できていない。
一般人は、キリスト教のように「神」を信仰していないと宗教じゃないと思ってるやつが多いがそれは間違いだ。
宗教といえば神、みたいな浅はかな発想がこうした勘違いを生み出す。
宗教学では、アニミズムは原始宗教に分類されるように、アニミズムも立派な「宗教」の一つだ。
だから、アニミズムは宗教じゃないとか言ってるやつは大間違い。
繰り返すが、宗教といえば神みたいな馬鹿な発想は無知を晒すだけだから、さっさと捨てたほうがいい。
3.「思い入れ」があるから切りたくないだけで宗教の問題じゃないんじゃね?
これって「ものを大切にしたい」という道徳感情に由来しているだけなんじゃないの?
これは上の2よりも「宗教とは何か」という「宗教の定義」の問題に密接に関わってくる。
結論を言えば半分間違いで半分正解だ。
宗教の定義は細かな部分で未だに議論が続いているが、近代宗教学の親とも言われるオットーは『聖なるもの』のなかで宗教の本質をヌミノーゼという言葉で表現している。
オットーによればヌミノーゼとは「それ自体が非合理なもの」で「概念として説明できないもの」であり、また従って、「それは、ある種の特定感情によって人間の信条を捉え、動かすようなもの」だ。
これだけだと、何のことか分かりにくいという奴も多いと思うが、次の例を読めば大体理解してもらえると思う。
荘厳な儀式を見て、いつもと違う気分になった。
森の中を一人で歩いていたらなんだか不安になってきた。森の中に視線を感じる。
これって宗教でもなんでもなくて、ただの「感情」じゃね?って思うやつがいるかもしれないが、それは半分正解で半分間違い。
結局宗教体験も人の経験である以上、感情的なものと切り離すことはできないし、そういうただの感情がアニミズム信仰の「原型」だというのが、現在の宗教学とか文化人類学での基本的見解。(以下追記)
儀式、葬式、森といった対象がいかにして(宗教的)感情を喚起するのかは専門的な議論になるため省略(11/1追記)
4.そもそも他人のものを切ろうとすること自体がおかしい。この教授はキチガイ。脅迫罪。お守りの金払え。
つーかそもそも、この教授は自分の母親の遺影を無宗教なら壊せと言われたら壊すの?
このやり取り自体を教授は「いやがらせの質問」と言っているが、別に本気で学生にお守りを切ることを強要しているわけではない、
教授は別に学生がハサミでお守りを切ることを目的にしているわけでもないし、それを望んでいるわけでもない。
むしろ、この教授はこの学生にハサミでお守りを切ってほしくない とさえ思っている。
なぜか。それはこの教授の目的は、自分が宗教的であることに無自覚な学生の中にも、そうしたアニミズム信仰が生きていることを明らかにすることにあるからだ。
もし学生が、本当にハサミでお守りを切ったら、教授の目論見はあえなく失敗に終わる。
もしこの教授が、嫌がって泣き叫ぶ学生に対して、お守りをハサミで切ることを怒鳴り散らして強要していたとかなら分からんでもないが、
本人が「いやがらせ」と自覚してやっている行為を「脅迫」というのは言い過ぎ。
5.なにこいつドヤッってんの?ムカツク。
(以下11/2追記)
有名な神はイエスキリストが作り出した、全ての責任を転嫁させる抽象概念のこと。
科学などが発展していない時代に、この世の因果関係や現象を説明するのに全て神様が○○したと話したことから生まれたのだと思う。
あるいは、盗んではいけないといった共同生活するうえでの規律などを守らせるための、共通認識としての役割のために生まれた文化的な装置なのだと思う。それゆえに、神は絶対ですべてのルールでありうる。だから、神に祈れば絶対の神が助けてくれるし、悲しみも癒してくれる。一神教では、多かれ少なかれこういった類。
日本の神道や原始宗教だと多神教だけど、基本は一緒。太陽が街を照らすのは太陽の神様のおかげ。
雨が降るのは雨の神様というような・・・。とまぁ、それっぽいことを書いてみた。