はてなキーワード: 一点豪華主義とは
ゲームあんま興味ないし、本文もあまり精査して読まずに書くんだけど、
どこかのアニメ監督さんだったかな?インタビュー記事だったかで読んだ記憶がある、うろ覚えなんだけど、
劇伴やらせるなら、音大とか出てないと駄目、独学から出てきたような人は採用しない、って言ってたんだけど、
それって、もっともなことだと思ったんだよね
劇伴、要はアニメとかドラマのBGM、効果音的にも使われたりすることもあるわけだけど、
ああいう仕事をするのに、それこそバンド活動から音楽理論独学してはい上がって来たような人がいたとしても、まあ駄目だと思うんだよね
あらゆる楽器に精通してないといけないし、オケの知識とか必要だし、厚い音楽理論や経験に裏打ちされてないとならない
そこに、突飛さは求められてなくて、監督さんが、というか、シナリオ上こう悲しいんだ、こう嬉しいんだ、こう絶体絶命で、こう快進撃で、
みたいなあらゆる要求に、それに適した楽器とか編成とか、もちろん楽曲を用意しなければならない、あらゆる手配もしなければならない
すごく失礼なこと書くけど、自分は最近は八十八ヶ所巡礼みたいなの好きだし、古くはたまみたいな日本のプログレだって好きだし、
あぶらだこみたいなのも好きだし、ヒカシューみたいなのも好きになっちゃったし(みんなオーガス2のせいだ)、
なんか既存の音楽のセオリー、テンポ、楽器編成、何かを壊してほしいと思ってる
でも、そういう人たちは、劇伴の世界では求められてないと思うんだよね
ギターだけが上手い人、タンバリンやカスタネットだってとんでもないほど奥が深い楽器だということを承知で書くけど、
パーカッションだけ特化した人、一点豪華主義、ギターベースドラムボーカルできますみたいなバンド世界だけの人、
劇伴はそれじゃ駄目だと思うんだよね
もっと、あらゆる楽器に精通してて、音楽理論とかの正規の教育に裏打ちされてて、
だって、最終目標は監督の要求に応えること、というか、音楽は主役ではなくて、あくまでその物語を盛り上げる道具にすぎないわけで、
だから、道具に突飛さを求めるなら、それこそ独学だったり、ちょっと頭おかしい狂ってる(誉め言葉)人を採用するべきなんだろう
そういう人を音大や芸大に求めるのは間違っているんじゃないかな?
端的に言えば、彼らは指示通りに動くわけだから、指示を出してる人、監督さんとかゲーム本体を作ってる側に問題があるのでは?
彼らに求められるのはクライアントのあらゆる要求に応えることであって、突飛なアイディアを出せとか、客の目を引き付ける変なものを作れとか、そういうことじゃないんじゃないかな
音大や芸大を出ている彼らはプロフェッショナルではあるのだろうから、プロにはちゃんとプロに適した指示を出さないと、クライアントは望んだものが得られないと思うよ
つまり、ここから木の枝にタイヤがぶら下げられてるとか、ジェットコースター🎢とか、顧客が本当に必要だったのはガンダムでもジムでもなくてボールだったとか、
逆に序盤は器用貧乏なモノばかりで、終盤になってようやくシンプルな一点豪華主義が出てくる作品のほうが俺は好きかな。
ただただ純粋でストレートで、結果として使いにくいんだけど、その単純明快さに感動を覚えるような代物が出てくるのがいい。
ただただ硬いとか、ただただ火力があるとか、ただただ速い、ただただ大きい、ただただ軽い、そういった純粋で不自然な進化をしたビーカーの中で産まれてその中でしか生きられない逆方向のキメラのような怪物を、夢見てきた理想のビルドのパーツとして組み込んで、その使いにくさと心中すると心に誓ってラスボスに挑んで、やっぱ無理だとバランス装備に切り替えてクリアしてから、ちょっと後悔する。
そういうのこそ、体験って呼べるんじゃねーかな?
十代もYouTubeばっか観てるし、自称勝ち組の2世3世の10代も小泉進次郎と何が違うんだって育ちっぷりにしかならないだろうし、
小学生未就学児も保育園はそんなに解決してねーしエアコンすらねーし
いまさらプログラミングとかやらないよりマシだけど正気かって感じだし
一点豪華主義と一発逆転でムーンショットとかマヌケ政府は言っちゃうし、
このバカどもを乗せてこの船はこれから40年くらい彷徨わないといけないってすごいな。2025-2045って財政的にもいちばんヤバイのにバカしかいないから盛り返す芽すらないんだもんな
かといって今から種籾を撒いても中央も地方もモヒカンしかいねーし
ということはいまのバカ国体としての日本国家が消滅したあと2100年代くらいにやっと暮らし向きが明るくなるってところかな
やっぱ3代で潰すって本当だな国にも当てはまるんだな
まず、かつてのオタクと腐女子は別物として扱われていたという論点が抜け落ちている。
(そもそも腐女子という名称が存在して普及しているという事実がその証拠である)
本稿では時系列によるオタク定義の意図的な改変を主題として取り扱っている。
それを見落としているということは、おそらく冒頭しか読んでいないのだろう。
最後まで読めば、そのような混ぜっ返しが意味をなさないことは言うまでもない。
意図的な改変が行われたあとに腐女子の字面を嫌った腐女子がオタクを名乗りだしたとすれば説明がつく。
ついでに言えば「結婚とオタク活動は別」というのもラフ過ぎて意味が絞れない。
(「別」というのは両方の意味に取ることのできる曖昧な言い回しである)
「オタク活動」の定義も不明だし、仮にそれが「現実世界での活動」に類するのであれば瑣末な点でしかない。
「オタク活動」とやらがあろうがなかろうがオタクはオタクである。
オタクであるか否かは主体的な「活動」ではなく「判断」によって決定づけられる。
そして、それは「オタク活動」などという限定された領域ではなく日常生活全般においてジャッジされる。
さらに言えば気に食わないのであれば「自分なりのオタク定義」の代案を挙げるのが筋である。
現代オタクに対してありがちな批判として「お客様気分」「主体性のないアンチ」といったものを挙げることができる。
俺も昔ほどは高い店に行かなくなったよ。
それこそ地元のショッピングモールのユニクロとかZARAとかGAPが、半ば行きつけと化している。
なんだか若い頃よりも物価の高さが身にしみるようになった。だからキモカネおっさんなんだが。
たとえ若い頃ぼっちであっても、年をとると自然としがらみってキツくなるんだよな。
それでも、それなりに値が張るもののほうが、自分に似合うものが見つかりやすくてね。
そうはいってもセレクトショップで買ったものは、身につけているアイテムのうちの1個か2個だけどな。別に一点豪華主義とかじゃなく。
全身ファストファッションで、そこら辺が捗る人は羨ましいわ。
そもそも、一点豪華主義のやつを排除できない時点で、そういう見分け方だけに頼るのは危険だ。
指標の本来の目的より、指標の結果それ自体が目的になってしまうのだ。
試験なんてだいたいそうだ。試験をする側は、学習内容を把握しているかどうか知りたいのに、
受ける側は内容なんてどうでもいいから、とにかく高得点を取ることを優先する。
試験の形式やカリキュラムを変更しても、この方針だけは絶対に変えられない。
入学試験から性格検査に至るまで、この世に対策のされないテストなど存在しない。
それから「結婚願望のない男の見分け方」なんてものがインターネット上にも転がっているが、
おそらく世のヤリチンどもは、そういう対策の対策をして、相変わらず遊ぶはずなのだ。
「いわゆるサブカル系ロックバンドのファンに背が低い女の子が多い現象」といった記事を読んでも読まなくても、ほんわりと感じていたことなのだが、いわゆるキャスケット(wikipedia)をかぶって街を歩いている日本人の男女がどうもちんちくりんな外見の人が多いのは、なぜなのだろうか、という問題について考えてみたい。
太めで大きな体の男性がキャスケットをかぶっていたら、この帽子の丸いシルエットがうまくマッチして、なかなか愛嬌のある外見になるが、ほとんどそういう人はいない。キャスケットをかぶっている男性はほとんどがひょろっとした体型で、以下の属性に分けられる。
たくましいイケメンがキャスケットをかぶっている姿はまず見かけない。かぶっているのは大抵の場合、ひょろっとした体型で、顔の作りがあまり良くない男性である。そして、キャスケットに合わせようとしている服や靴のセンスはぱっとしない。
これは次のように説明できるのではないか。
もともとファッションセンスがあまり良くなく、外見にもあまり自信のない男性が、オシャレしてみようと考えると、なにか他の人と違っていて、オシャレっぽく見えるものとして、キャスケットという選択肢がある。が、体を鍛えておらず、猫背で、しかもトータルコーディネートの技術に長けてはいないため、キャスケットのみが目立つ。その結果、全体的に、貧相で、うさんくさく、むさくるしいというイメージが、意図せず演出されてしまう。
若くして禿げてきている男性が、減った頭髪を隠すために帽子をかぶるが、少しでもオシャレにしようとして、キャスケットをかぶっている。しかし1.と同様の理由で、トータルコーディネートがうまくできていないため、一種異様な印象を与える。
私自身の周りで、キャスケットをかぶっている女性は、男性よりもさらに顕著な外見的統一性がある。
彼女たちは総じて背が小さく、痩せていて、顔の造作は地味であり、また浅黒い肌の割合が高い。
上記の体型をした彼女たちがかぶるのは、男性よりも輪をかけてサイズの大きなキャスケットであり、低身長とコントラストをなして、ひときわ、ちんちくりんとしか言いようのない外観を呈する。
この現象は次のように説明することができるのではないか。
彼女たちには、男ウケのする、Viviやcancamに載っているような、ギャル系の服を着る選択肢は最初から与えられなかった。
次の選択肢は、リンネルやOZmagazineに出てくるような、ナチュラル系かつ文化系女子を目指すことだが、この路線でナチュラルビューティーを達成するには、相当なリサーチ力とファッションセンスを要する。
とはいえ、ジーンズに、中途半端なフリルがついた寸胴型のチュニックを着ているだけでは、喪女たちの中に埋没してしまう。
このようにしてキャスケットをかぶることになるが、そのことによって全体的なコーディネート力がアップしたり、顔の造作が変わったりするわけではない。もっとわかりやすく、オシャレ感を出そうとすると、キャスケットのサイズがどんどん大きくなる。
こうして、身体の大きさにキャスケットの大きさが反比例してゆく。
以上のことから、キャスケットをかぶるという行為は、男女ともに、もともとの外見やファッションセンスというリソースの不足を最大限に補おうとする努力の一端であることが伺える。しかし、彼(女)らはもともと、異性に見せるための服と割りきって自分の服を選んだり、髪型や体型を変えたりすることがあまり得意ではない。その結果、キャスケットをかぶるという行為は、一点豪華主義または局所最適化的な解答になっている。
6歳の頃からピアノを始めるとかの意味を政治家さんは勘違いしている。
6歳の頃からXXを始めるというのは、ただ単純にXXをやっているのではなく
受験勉強に使う1日に4時間なり8時間を、全部XXに当てている。という一点豪華主義の事を指しているから
当たり前だけど、英語もやり、理科もやり、数学も社会も国語もやって、それらすべてを東大生レベルでやって、東大に合格したうえで、XX能力が!!みたいな話ではない。
もとから、東大に合格できる人間が、5教科を最低限偏差値55ぐらいまで、落として、それで出来た時間をXXにつぎ込んでいる。みたいな世界だ。
だから、そんなことをするには好きでなきゃ出来ない。
それに、パソコン教育自体は30年ぐらいまえから活発に行われている。にも関わらずこのザマだ。それは6歳から始めなかったからじゃない。
そもそも、教育の内容が学校で教えているレベルが 大学レベルで 中学・高校生のトッププログラマー未満という教育レベルの問題なんだ。
そして、これから必要なスキルはプログラムにとどまらず、デザイン、音楽など 多岐にわたる専門家が必要だ。英語やプログラムなど多数に時間を使えば使うほど凡人が出来上がる。