まず、かつてのオタクと腐女子は別物として扱われていたという論点が抜け落ちている。
(そもそも腐女子という名称が存在して普及しているという事実がその証拠である)
本稿では時系列によるオタク定義の意図的な改変を主題として取り扱っている。
それを見落としているということは、おそらく冒頭しか読んでいないのだろう。
最後まで読めば、そのような混ぜっ返しが意味をなさないことは言うまでもない。
意図的な改変が行われたあとに腐女子の字面を嫌った腐女子がオタクを名乗りだしたとすれば説明がつく。
ついでに言えば「結婚とオタク活動は別」というのもラフ過ぎて意味が絞れない。
(「別」というのは両方の意味に取ることのできる曖昧な言い回しである)
「オタク活動」の定義も不明だし、仮にそれが「現実世界での活動」に類するのであれば瑣末な点でしかない。
「オタク活動」とやらがあろうがなかろうがオタクはオタクである。
オタクであるか否かは主体的な「活動」ではなく「判断」によって決定づけられる。
そして、それは「オタク活動」などという限定された領域ではなく日常生活全般においてジャッジされる。
さらに言えば気に食わないのであれば「自分なりのオタク定義」の代案を挙げるのが筋である。
現代オタクに対してありがちな批判として「お客様気分」「主体性のないアンチ」といったものを挙げることができる。
本当はどうでもいい。 でもあえて言えば、腐女子=女オタク亜種という認知が世間一般的である以上、 幻想性を必ず選択する、という文言は全然実態をあら合わしてない。 現在の認識...