はてなキーワード: レンドルミンとは
今まで寝てもなんども目が冷めてしまったりとか寝たいときに寝れなかったりとか睡眠の質に問題があった。
仕事にも支障でるしマイスリーだのレンドルミンだのを微量飲んで誤魔化して睡眠を調整していた。
最近、本で睡眠不足で死んだやつなどいない睡眠不足とか気にするなと書かれてるのを読んで
すると睡眠薬なしでも中途覚醒とか寝付けないとかぜんぜんなくなった。
ただ夜になっても眠くないときはほんとに寝ないので翌日仕事でも3時くらいまで夜ふかしして起きてやりたいことをやってたりする。
翌日はやはり仕事中に眠いので途中30分くらい仮眠を取ってる、仮眠を取ればだいたい回復する。
小中学校はずっといじめられてた。みんなが当たり前にできることができなくて、どうして自分にできないのか理解もできなくてパニックになってよく泣いていた。勉強はできなくもないけれど得意な訳でもない。板書が極端に遅くて、授業後はいつも黒板消し係の人に急かされていた。運動は目も当てられないくらいできなくて、友達も少ないから体育の授業の「二人組をつくって〜」で余るのが常だった。中学くらいになるとそういう時に相手を探す行為自体が無意味だと悟ったのでただ時間が過ぎるのを待っていた。そして先生と組む。
学校生活がうまくいかなくても頭がバカなので不登校という発想がそもそもなく、あと学校に行かないと親にクソほどキレられるので学校がある日は半泣きになりながらも登校していた。学校が嫌いだったから勉強も好きになれず、でも勉強しないと親に怒鳴られるので勉強は大嫌いになった。
勉強はしたくなかったから高校は普通科ではない少し特殊な学科を選んで入学した。これがたまたま合っていたのか、成績はクラスでも上位に入るようになった。授業は楽しいしクラスメイトも優しくて、初めて学校でいじめられなかった。高校を卒業したら同じジャンルの専門学校にでも行こうと思っていた。が、ある時担任にこの成績なら大学も視野に入ると言われ、それを親に話したところいつのまにか第一志望が大学になっていた。高三の頃には中学のいじめのフラッシュバックでメンタルが限界を迎え、卒業式も保健室で迎えた。遅刻も多かったけれど成績は維持できていたので、地元のそこそこ良い大学へ指定校推薦で進学した。
大学生活は大変だったけれど今までで一番楽しかったかもしれない。
勉強の習慣がなかったから毎日の予習復習ができるようになるまで二年かかった。基礎もできていないから授業にもついていけない。それでも、今まで学んだことのなかった社会学、心理学、哲学、法律、外国の文化、歴史、英語以外の外国語… 高校でやった普通科目がかなり少なかったのもあるのか、俺は義務教育でやったような国語算数理科社会みたいなやつだけが学問だと思っていたからとにかく衝撃で、全てが新鮮だった。
人間関係は相変わらずカスだったが、何とかグループに入れてもらってその人たちと一緒にいくつか講義を受けたりした。大学は一人でも勉強できる環境はあるけれど、「あの先生の講義は楽」
だの「この授業が面白かった」「課題の提出期限が変わる」「今度こういうイベントがあるらしい」とかの情報があると段違いで勉強しやすくなるから友人はいた方がいい。
大学三年のある日、そのグループの人たちに合わせて一緒に取っていた言語学関係の講義で発達障害の存在を知った。
俺のことかと思った。
俺が発達障害?
気になるとそのことしか考えられない。
数日後には県内の発達障害を扱うメンタルクリニックを予約していた。初診は1ヶ月後しか受け付けていないと言われたがメンクリでは珍しいことではないらしい。素直に1ヶ月待つ。
「恐らく、自閉症スペクトラムと呼ばれる発達障害の可能性があります」
絶望した。
自分が障害者なのかあんなに知りたかったのに、いざ面と向かって発達障害だと言われるとそこには絶望しかなかった。
俺は「あなたは発達障害ではありません」と言われたかったのかもしれない。自分は普通なのだとその証明を医者から貰いたかったらしい。そのことに、発達障害だと診断されてから気付いた。
今までできないなりに努力もしたつもりだったけれど、お前の能力では努力してもどうにもならないのだと、現実を突きつけられた気分だった。
医者に進められるがままにwaisというIQテストを受けることになった。
waisの結果は最悪だった。
総合的なIQは平均以下の90、特に低い処理速度が65、作動記憶が70。
自分のできないことが数字として可視化され、心理士に読み上げられる。情けなくて悔しくて、でも誰にもこの感情をぶつけることができなかった。
それから投薬が始まって、聞いたこともない名前の薬が沢山出された。
一番飲んでいた頃は一日で
インチュニブ2mg
コンサータ18mg
ルネスタ3mg
レンドルミン0,25mg
を飲んでいた。ストラテラのせいで異様に目が覚めるから睡眠薬で無理やり寝て、それでも3-4時間で起きてしまうから毎日睡眠不足だった。卒論がうまく書けなくてそれを主治医に言ったらこうなった。
大学卒業後、よりによってアスペに不向きな接客業に就職してしまったので結局ストラテラは減らせなかった。仕事はできない上に人間関係も上手くいかなくて、薬を減らしてもっと無能になるのが怖かった。夜は眠れない。朝が来たら仕事に行く。
その状態で一年働いて、心身共に限界がきてついにこの前仕事を辞めてきた。
ストラテラもやめた。
もう嫌なんだよね、俺が何かするたびにおかしい目で見られて、俺が喋ると会話が止まるの。仕事ができないのも悔しくて、だって俺さ、接客業やりたかったんだよ。この仕事に就きたかったんだよ。バイトで接客業やってさ、楽しいなって思って就職して、でもできなかった。やりたいことだったのに、好きだったのに、できなかった。
普通じゃないってなに?
数が多いってだけでお前らが正しいの?
指摘されたこととか、怒られたことを思い出して俺の何がダメだったのか、どうすればよかったのか考えてるんだけどさ、
もう何も考えたくない
何も考えたくないよ
貯金が尽きるまでは本を読んで、ゲームをして、アニメを見る生活を楽しもうと思う。
正しい知識をみなさまにお伝えするため、私はこのメールを書きました・・・。
実際、ラジオやテレビ、放送塔のような感じで脳内に命令します。
吸殻や空き缶や司令には、うるさく口を挟みました。
そんな、口を出すんだったら、自分でしろ!って言ってやりました。
司令されっぱなしは危険です。
みんな、パニックになってしまい、それどころではナイのだと思います。
だけど・・・
私はがんばりました。
分裂症のお薬は脳を鈍感にすることを前提にしています。
しかし、お薬を飲み続けてしまうと副作用で、家事も育児も仕事もできなくなってしまいました・・・。
必要とされないこと。それがさらにどんどん自分を壊して崩れていきました・・・。
ある日決めました・・・。
自分のやりたい事を選びました。
今回は、一番強い電撃反応会話でした。
そして今、ついに・・・
嫌がらせはなくなりました。
「愛は憎しみかと思っていたら愛は優しさだった」・・・。
もちろん、大司令症候群の意志も、もうまったくありません・・・。
大司令症候群の声には、惑わされない!
いま声達はおしゃべりで、夜になると
だから、眠るために、アモバン、レンドルミン、セルシン、デパスを飲んだりしています。
出会えて良かった。と言う言葉をきくたびに、安心がひとつ増えます。
発泡酒500缶2本、栄養ドリンクみたいなサイズのシャンパン1本、既に十分酩酊していた。
過去の失敗やこれからの不安が次々浮かんできて、アルコールの作用で思考が鈍っているはずなのに何だか冷めた、すっきりした気持ちだ。ふと、素晴らしい考えが頭の中に浮かぶ。
処方された二週間分の睡眠薬、残りを全て飲んだらどうなるだろう。
もちろん、死ねないことなど分かっていた。自殺企図を繰り返し、夜は気持ちが乱れて寝付けないことを精神科医に打ち明けるとそんな患者には薬は出せないと断られた。しかしでは、毎日苦しみ続ければ良いのかと食い下がると渋々といった風に安定剤と睡眠導入剤、レンドルミンを処方してくれた。
言っておくけど、と鼻で笑いながら彼は忠告した。この薬をいくら飲もうとせいぜい2日くらい目が覚めないで糞尿を垂れ流して眠るだけだ。変な気は起こすなとのことだった。
糞尿の処理をするのは嫌なので、オムツの代わりに夜用のナプキンをつけ、フローリングの床に枕だけ用意する。
レンドルミンをシートからプチプチ取り出して、酒のつまみみたいに飲み下していく。2日間眠るだけ。苦痛がスキップされるなら望ましいことだ。それとも、過剰摂取によって頭の中をシンプルにしてくれやしないだろうか。既にアルコールによる酔いでは多幸感も、離人感も得られなくなっているから。
吸収されるまでは時間がかかるので、急に様子がおかしくなることはなかった。心配していた、吐き戻してしまうこともない。同じ体験者がいないかネットで調べていた。記憶があるのはこの辺りまでだ。
粗相があってもいいように床で眠るはずが、気付くとベッドで目が覚めた。今では記憶が曖昧なのだが、恐らくこのときか、眠るとき転倒したらしい。人差し指に血がついている。トイレに向かおうにも真っ直ぐあるけない。便座に座り、下着を下ろすはずが体の制御がうまく行かずズボンを履いたまま用を足してしまった。
これはマズい、と考える力はあった。浴室に行って汚れた服を投げ捨てる。そこで洗面所の鏡を見ると、鼻の回りから出血していた。これが指についていた血の原因か。もう乾きかけているものの、まぁまぁな量だ。何だか面白くなって写真を取り、元彼に送る。
時刻を見ると午後2時、薬を飲んだのが深夜1時だったから、昏睡と呼べるような時間は経過していない。なんだ。こんなもんか、というのが正直な感想だった。顔を洗うと出血はほとんど鼻血だったのか、傷は小鼻の横の小さなものだった。その後も2時間ほどふらつきは残り、2度ほど転倒したが頭ははっきりしたので怪我には至らなかった。
顔の小さな傷と、転倒した際の痣だけが残り、気分も変わらず晴れない。こんな下らないことを繰り返すのも、死ぬ勇気がないからだ。たった一つの勇気さえあれば。
(1)本剤の影響が服用の翌朝以後に及び、眠気、注意力・集中力・反射運動能力等の低下が起こることがあるので、自動車の運転など危険を伴う機械の操作に従事させないように注意すること。
http://www.info.pmda.go.jp/downfiles/ph/PDF/170050_1190023F1024_1_09.pdf
(1)本剤の影響が翌朝以後に及び、眠気、注意力・集中力・ 反射運動能力等の低下が起こることがあるので、自動車の運転等の危険を伴う機械の操作に従事させないよう注意すること。
http://www.info.pmda.go.jp/downfiles/ph/PDF/650168_1124009F2025_1_14.pdf
アレジオン
(3)眠気を催すことがあるので、本剤投与中の患者には自動車の運転等危険を伴う機械の操作に注意させること。
http://www.info.pmda.go.jp/downfiles/ph/PDF/650168_4490014F1025_1_10.pdf
○ハッピーウォーズ
そうえば魔法使いって真面目にしたことないなあ、と思いやってみることに。
とはいえろくに装備もないしなあ、とアイテムボックスを眺めていると
基本バフ:びびり、白:戦士スレイヤー、エンチャントファイヤーの杖を作り何度か協力モードをプレイ。
するとあっさりと今までとれなくて難儀してた
・MVP:最多キル最小デス
・NBL:死なずに30キル
を達成できた。
普段は僧侶メインのサブにエンジニア、サブサブに戦士って感じだったので、
これらはこのままだととれないなあと思ってただけに超うれしいよー。
マルマロが仲間に。
仲間が増えるとやれることが増えて楽しいなあ。
三日目ともなると楽勝。
途中の腕立て伏せ的な奴ではもうオットセイのような自分のキネクト画面を見てただただ苦笑い。
けどまあケイゾクはなんとやらなので頑張りたい。
○ポケモン
○朝ご飯
逆に言うと、ゲームとはいえここまで集中できたのは、この一週間ですごい進歩だと感じた。
この日記を書き始めるまえはずっとそわそわして、何も手につかずただただドアを開け閉めしたり、窓を開け閉めするだけの生活だったのに、
薬を変えるだけでこんなにも、自堕落ながらもやりたいことがやれているのは幸せだなあ。
○昼ご飯
うどんの予定。
○お薬
いつも通り。
朝昼はレキソタン。
朝昼のレキソタンのおかげかなあ、それとももしかしたらそもそもこうして日記を書くという行為自体が少し前向きにさせてくれているのかも。
○午後の予定
近所が花見客でにぎわっていて、出店とかも出てて楽しそうなので覗きにいくつもり。
人ごみはパニック障害がおきやすいから怖いんだけど、散歩がてら気ままに行けるといいなあ。(怖がって外に出れないのは広場恐怖症といってこれはこれで問題らしいから)
ついにアービタルとマスターチーフが会合! これはテンションあがるね。
「悪魔」とまで呼ばれるマスターチーフは常に冷静で本当に格好いい!
イケメン(顔は知らんけど)ランキングかなり上位に入って来る格好よさだよお。
なんだかなあ。
なんにしろ、あとチャプターは4つ。
長いようで短いなあ。
○花見
このまま一人で家にいるのもよくないので、あえて夜の八時ぐらいに散歩しようかなあ。
今日で一ヶ月たった。
デパス、パキシル、リフレックス、レンドルミンと四つの魔法を教わった。
まず「デパス」
ハンドガンのように常に打てるように携帯して、何か怒ったらすぐ使う。
先生曰く「相手が打ってくる前に打てるようになったら一人前だ」ということだ。
俺はまだ半人前なので、打たれてからしか敵に気づけず打てない。
ちなみに一番美味しい。
次に「パキシル」
こいつは四文字になったけど半濁音が入ってることからも分かるように、状態異常にする魔法だ。
敵をデバブをつけることで戦闘を有利にする。
しかし、あくまでデバブをつけるだけなので、この魔法では敵を直接殺せない。
そのため常に服用し、少しずつ量を増やしていかないといけないらしい。
三番目に美味しいが、どちらかというとまずい部類。
次に「レンドルミン」
こいつは文字数が増えて濁音が入っているくせに弱い魔法だ。
特定の敵ピンポイントでしか効かないので役に立つ実感が全くない。
しかもその特定の敵にも他の魔法の方が有効打が与えられるので、正直駄目魔法。
全く美味しくない。
俺のレベル帯ではとりあえずコイツをぶっぱなしておけば問題は解決する。
もちろんこれは、ポップが一巻で自慢しているメラゾーマみたいなもので、
バーン様と戦っているような増田民やはてなブックマークの連中にとっては、
「今のはメラゾーマではない、メラだ」並の印象であることは間違いないだろう。
だが俺にとっては未だ使いこなすのが難しい魔法のため、ときたま暴発してしまう。
以上が初めて一週間の俺が教わった魔法だ。
誰もが最初はレベル1の勇者だったように、俺もまだレベルの低いぽんこつ魔法使いだ。
だけど俺はいつか、お前達みたいな大魔法使いを目指さずに、ちゃんと社会復帰して、この魔法を二度と唱えることがないよう努力します。
その努力のために、今だけはこの力を使うことをお母さん許してください。
主に出された順。
ジェイゾロフト→診断された時から最近まで一番長いこと飲んでいたが2年ほど経っても効果はわかんない。副作用なのか吐き気がとにかくひどかった。
リーゼ→頓服で出た。やはり効果はわからないので止めてもらったけど、これもある意味副作用なのか、なぜか肩こりが軽くなったのでしばらく処方してもらっていた。
レキソタン→転院前のクリニックで処方受けたらしい。ごく一時期だったので飲んだことすら覚えてない。お薬手帳に書いてあった日付によると、たしか親友の結婚式当日にもかかわらずどうしても気力が出ずに(祝儀や着替えの準備とかができない)「今日一日だけでもなんとかしたい」と医師に泣きついた記憶だけは鮮明にある。
ワイパックス→頓服で出た。これがなんかいちばん効果がある気がする。飲むと気が楽。
レンドルミン→海外長期出張前に時差ぼけ対策でもらったが、やはり効果は不明。トレドミンとこれを間違えて服用してしまったりするので個人的にはややこしい。
愛犬家とか愛猫家とかを自称していて、実際かなり写真を撮ったり口を開けば自慢したりして、可愛がって、なのに死なせてしまった人ってのはどのくらいいるのかな。
自慢するようなことではない。むしろ恥で、だからあんまり「そういう人がいる」と認識できないのだと思うし、本当に可愛がっていたと感じるようであれば、それは不慮の事故とか何かしらの仕方ない理由なんだろうと納得して印象に残らなかったのかも。
3ヶ月くらい前に愛犬が死んだ。
仕事を終えて、新しいドッグフードと賞味期限間近の割引された寿司を買って、晩酌しようと思って帰ったら、もう生きていなかった。寿命にしては早すぎる死だった。
5年は一緒にいたと思う。
学生時代の私の欝がひどいときに家に来て、3年前に独り暮らしをはじめたときも連れて実家を出て、ずっとずっと一緒だった。そして、私の心の支えだった。
世話をあまり見られないほど精神的に弱い時期もじっと、ほとんど黒目の瞳で寄り添っていてくれたのに
仕事がうまくいきはじめて多忙になり、やっと一つ大きな躍進を得た、と考えて帰ったその日にもう手遅れだったことを考えると、もっと何かしてやれたはずではないかとずっと考えてしまう。
依存するばかりの時はそれなりに見ていたのに、驕ったばかりに苦しませて独りで逝かせてしまうことになったのではないか?
だけどその、私の後悔を誰も責めない。
本当は私だってよく知らない人に「お前が仕事仕事でろくに面倒を見なかったから・・・」「ふれあいを含む世話を放棄したのなら、それは既に虐待で・・・」と言われたくは無い。
私には私なりの事情や考えがあったので、それを前提として知っているくらいの親しい人には叱って欲しい。
しかし、ある程度私と親しい人は、私を責めたりしない。
私のバックグラウンドを知っている人は「大変だったね」とか「突然でショックだろうけど」とか、言葉をまず選び、
そしてともすれば、「きっと没頭できる仕事を見つけたから、天国で待っててくれるように先に行ったんだよ」などとのたまう。
私が欲しいのはやはりそういう言葉でもなくて、なぐさめや例えや、擬人化した勝手な代弁ではなくて、
事実を事実として同じ過ちを繰り返さないようにとかいう建設的でシンプルな答えなのだけど、
どういうわけかそれにすら触れてくれる人は少ない。というか、いなかった。
(もっとも「できるならば時を戻したいが、それをするのは不可能である」と分かっているのが一番のジレンマではあるのだけど・・・)
火葬した日のうちかその次の日に近くの医者に行った。昨日犬が死んだ、眠れない、不安だ、と言うとデパスとレンドルミンを処方された。
人間でもないのに急なことで1日職場から休みをもらったから(夏の暑い日だったから、腐敗するのも早いだろうとすぐ火葬を手配した)あんまりのんびりせずに復帰しなければならないと思った。それに、じっと自室にいるのも嫌だった。
死体があったからではなくて、静かすぎて、色々考える余地ができてしまうから。
眠剤を飲むのも久しぶりだったが、案の定おねしょをした。金縛りにあったように眠るので、それ自体はあまりショックではなかったが、
困ったのは現実感が薄れていることで、ふと餌をやろうとしてしまったりする。
それ自体はよく聞く話でもある。
ただ薬のせいなのか、しばらく夢に生きた飼い犬が出てきて
、実感としては朝じゃれたり舐められたり餌をやったりして、風呂に入り仕事に行き、帰ってきて骨壷に100均で買ってきた線香を上げるような毎日。
よくわからないままに1ヶ月・・・2ヶ月・・・と過ぎてしまった。
眠剤を処方されなくなってしばらく、とてつもなく恐ろしい気持ちがこみ上げてくる。
一目見ただけではわからないような、生きたような死体に触れて「死んでいる」を目の当たりにした時もわんわん泣いた。しかし、その直後から「死」の実感は消え去っていた。
それが、最近やっと「死」を実感しつつある。
じっくりと薬なしで向き合ってたくさん泣くべきなのかもしれないし、そんなことをしていたらいつまでも終わらないのかもしれない。
思いつくままに書いておそらく時系列めちゃくちゃだし推敲もしてない。明日も仕事なので寝るけど、腰を据えて考えながら、起きて落ち着いたら見直そうと思う。
うつ病歴8年。既婚子持ち無職。引きこもりではないが、人と会ったりしたあととか長い鬱期から気分が上がると夜興奮して眠れない。今日もそう。
いろいろとしたいことが頭の中に浮かんできて、とても眠れそうにない。
就寝前の薬は
と、ここ2年変わっていない。
ここでいつも悩むのだが、眠れないなら鬱で手が出ない片付けものとかして少しは有益な時間を朝まで過ごすか、規則正しい生活をするために、夜飲む薬をもう一日分追加で飲んで(ODだけど)夜はしっかり休むか悩む。
後者だと薬のんでも結局眠れずに眠気だけが朝まで残ってしまう。
夜眠れないと焦燥感が高まってつらいんだよね。
ここを見られてるドクターの方、眠れないことを極力気ににせず有益な活動をした方がいいのだろうか。それとも、勝手に薬を増やして無理矢理寝た方がいいのだろうか。一般的にはどうなのでしょう。薬足りないとかあるのでしょうか。