はてなキーワード: バアルとは
ナナがハチになるとか知らんかったけど、女性向け漫画って名前被りが多い印象あるよね。
イケてない喪女とイケてる同名のキャラとかけっこーありそうじゃん。
で、やっぱりあだ名を付けられたりする場合も結構あって、大抵イケてない側が付けられる。
そう考えればちはやふるの男サブキャラの扱いも結構納得することもできなくはない。あだ名を付ける意味、あだ名を付けない意味。出てくるんじゃないかな。誰にでもあだ名を付けるキャラがちゃんと名前で呼ぶ人とか意味深~。
ま、それはどうでもよくて。
同名キャラが出てきてあだ名が付けられる場合、大抵片方なわけじゃん。
ひとつを除いて。
それは電脳コイルなんだけど。
主人公…ダブル主人公なんだけど、どっちも読み方が「ユウコ」で、漢字の違いから「ヤサコ」「イサコ」に振り分けられるんだよね。
いやダブル主人公だから同格だし付ける付けないで上下を出さないために~とか特殊事例ではありそうなんだけど
名前被ったから両方本名と違うあだ名な!って作品、そんなに無いんじゃないかなぁ。
あだ名付けじゃあないんだけど二人とも同じ名前でそれぞれ別の偽名名乗ってるのも名前被りにはなってるな。内容にそんなに影響するわけじゃないけどな。
でも創作で名前被りなんて意図的にしてるものだから二人の扱いを「上手くやってる」なんてそうそうなくてあだ名を付ける行為に好意的な印象とか普通は持ち得ないのかもな。「ファンタジーな秘密」が無ければ別々の名前を付ければいいだけだし。結局格差・落差を演出したいのが基本なんだろうな。
エルサレムのおとめたちよ
野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください
愛がそれを望むまでは
愛を呼びさまさないと。
大学2年生をしている。
キリスト系の大学に通ってるんだけど、神学的な講義がぜんぜん意味不明だった。
なので、一生に一度と思い、聖書に挑戦してみることにした。
率直に感想を述べる。
長かった……とにかく長かったー! ぜんぶで2000ページ以上もあった。
そのうえわたしは、本を読むのが遅い。なので、1ページに平均3分ちょっとかかった。詩編だと2分くらいかな。
なので、1ページにつき3分とすると、2000ページで6000分=約96時間も読んでいたことになる。こんな読書体験は初めてだ。
得られる物はもちろんあった。半年もかかって読み終えたのだ。成果なしでは悲しすぎる。
全文引用はちょっとどうかなと思うところもあったけど、この聖書の発行元は、250節までは引用OKとしている。
なので、この2編だけグサッとまるまる引用する。ほかにもちょっとだけ引用している。冒頭の詩は、『詩編』(追記:雅歌の間違いでした)という閑話休題的な部分から取らせてもらった。(私が持っている)旧約聖書の1052ページに載っている。
子どもの頃、こんな題名のドラマを観たことがあるかもしれない。
放蕩息子のたとえ
また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどのパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
最初は意味不明だった。お前は何を言ってるんだ? そんな気分だった。
さて、解説サイトを巡ったところによると、この掌編というのは――父親を神に、放蕩息子を(いつも罪を犯しがちな)迷える人間に喩えているらしい。
なるほどと思った。イエスの説話にはたとえ話がよく登場するが、たとえ話の中でもたとえを使っているのだ。
神は寛容な存在だ。聖書においても、寛容さが重要な徳であると述べた個所が多くある。
現代社会においてもそうだ。昔に比べると、個人に対する寛容さが求められるようになっている。傍目では愚かに見える行いであっても、当人の意志を尊重する。自己決定権というやつだ(うろおぼえ)。
聖書というのは、なんかもういろいろと今の社会を先取りしているのだ。いや違う、普遍的というやつだ。どんな時代でも共通する大事なことを、ひとつひとつ、じっくりとしっかりと述べている。
イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
――ルカによる福音書 16.1-13(16章の1節~13節) P.140
「それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?」という、中学生の時に読んだ漫画の台詞を思い出した。
読み始めは、聖書らしい勧善懲悪を期待していた。読了後は、こいつやりたい放題だな! と感じつつ、この物語は何を意味しているのだろう――今度は自分で考えることにした。
こたつ机の上で、通勤途中の自転車で、トイレの中で、サイゼリヤでの雑談中に、神学のWeb講義中に、何度も考える機会があった。
わからなかった。結局。
それで、解説サイトを巡ってみることにした。どうやら聖書のたとえ話の中でもメジャーな作品らしい。
しかし、わからない。どの解説サイトを読んでもしっくりこないのだ。
どのサイトにおいても、「どんなに苦しい状況の中でも、神の国に行くために最善の行動を取ることが大事」と書いてあった。不正にまみれた富でいいので、いつか最後の審判が訪れて、永遠の国に住む時のための友達を作っておくべき、みたいなことが書いてあった。
例えば、主人が召使い3人に、自分が留守の間お金を預ける話がある。3人の召使いの中で、そのお金を資産運用によって一番増やした人が主人に一番褒められていた。お金を土の中に埋めておいた人は、主人の命でそれを取り上げられ、一番増やした人に渡ったうえ、彼は外の暗闇に追い出されてしまう。
(だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる)
でも、その一方で、「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」みたいなことを述べた箇所が同じ新約聖書に3つ以上はある。
約二千年前に作り始められたわけだから、矛盾する箇所も当然あるだろう。しかし、それにしても不正な管理人の話には納得がいかない。
そうこう考えてググっているうち、こんな本をアマゾンで見つけた。
要約すると、長い年月に渡って聖書が写本され続けた結果、当初は存在しなかった物語や解釈や意図が入り込んでいった、とのことだ。
ならば納得できる。この『不正な管理人のたとえ』の真実は、こうだ。昔、聖書を写本していた権威ある人が、「このネタ入れたら面白いんじゃね?」的なノリで挿入したシュールギャグだったのだ。それが不正な管理人のたとえの正体である――解決。
解説サイトやヤフー知恵袋なんかでこの掌編を肯定している人は、もしかして、あれじゃない? 権威に弱い人なんじゃないか?? おかしいものはおかしいとして、はっきり言わないといけないんじゃない??? と、わたしは思いました。(小学生並みの感想
聖書を読んでよかった。
はっきり言おう(ここイエスを意識している)。わたしにとって収穫だったのは、多くのコンテンツの原典・元ネタであることを確認できたからだ。以下のようなものがある。ネタバレ防止のため、どの作品に派生しているかは原則述べない。
例えば、①エジプトの王宮でのモーセ&アロン VS ファラオの対決時に、お互いの杖を蛇に変えてバトルする場面とか、②サムソンが今わの際に両手で二本の柱を押し倒して数千人を巻き添えにして死ぬところとか、③ペルシャ王クセルクセスが、「王妃エステル、どうしたのか。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」って2回も言うところとか、④大岡裁き(どちらが本当の母親か決めるやつ)の元になった母親2人の諍いの話とか、⑤ダビデの三勇士の一人イシュバアルは、槍のひと突きで800人を殺してしまうとか、サラっと書いてあって思わず吹いた……。
ほかにも、ここには挙げきれないほど多くの漫画や小説やゲームの元ネタに会うことができた。これだけでも読んだ甲斐があるというものだ。
特に、士師記のサムソンには笑わせてもらった。スラップスティック・ギャグコメディの原型が聖書にあったなんて! 高橋留美子も、これを読んで『うる星やつら』の肥やしにしたのかもしれない。
聖書というのは、宗教書というよりは総合文学の書であって、これを基に、その人がどう人生を生きるか考えるきっかけにする、みたいなコンテンツなんだと思う。
聖書は、各編によって色あいが相当違う。格調高く綴られた世界創造の語りだったり、長い旅と王国の繁栄の中で主人公が次々と交代していく群像劇のようにも見えるし、小説上のジャンルはだいたい網羅している(冒頭の詩は兄×妹の恋愛ものだ)し、どんな生き方が正しいのかという論じ合いもあるし、お笑いな感じの喜劇もあるし、いきなり箴言集になったりするし、詩もたくさん出てくる。
ところで、聖書に出てくる神は、その時々によって寛容だったり不寛容だったりする。人によらずとも、矛盾していると感じることがある。
キリスト者を迫害した人や、信心や律法の罪を犯した人を赦す場面もあれば、かの有名なオナンさんはあっさりと殺されるし(彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。)、聖者エリシャを「禿げ頭出ていけ」と詰った子ども達42人は、突如現れた熊2匹によって皆殺しに遭っている。
同じ人でもやることなすことに筋が通っていたりいなかったりすることがあるし、理不尽だと感じた運命が後に自らを利するものであることがわかったりするし、法律や常識に反した行動がみんなの共感を得ることだってある。
わたしが若者でいられる時間は少ない。あと10年以内には若者ではなくなってしまう。それまでには、ひとかどの人物になっていたい。今回、半年がかりで聖書に向き合った経験が生きたらいいなと思っている。
最後に、物語の背景を知らなければ厨二な詩としか思えない台詞を書き留めて結びとする。
サタンの弄びにより、死に等しい皮膚病に冒されてしまった義人ヨブの独白の一部だ。
○ご飯
朝:なし。昼:海鮮丼。サラダ。夜:ほうれん草と玉ねぎとエノキと豆腐とたまごのスープ。納豆。チーズ。○夜食:天一。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、うーむ。
1時間ほど散歩して寝ようと思ったのだけど、寝付けずうだうだしてた。
そしたら夜中に天一が食べたくなり行っちゃった。
あーあよくないよくない。
○グラブル
ゆぐゆぐHLは、餌が美味いので日課
メドゥはメドゥ琴が終わってるしアニマも割とあるので、足りなくなったら考える。
バアルはマグナじゃ使わないかな。バアルアニマはあんま無いので覚醒レベルを誰をどれだけは整理して考える。
ゴブロはゴブロ剣がまだ0本なので使い道はともかく自発はしておこう。マグアニいくらあってもいいしね。
ギルガメはアニマがマジで無いし、英雄王の槍はイクシード目当てで使うかもだし一応自発フルオートぐらいはしとこう。(いやこれよく考えるとイクシードだけならゴブロ短剣あるのか。まあ方陣背水だから英雄王の槍の通常攻刃の方が奥義ワンパンならマグナでも英雄王の槍の方が有用か。)
ガレオンは重要そうなので優先度上げて自発だけじゃなく連戦も考えておこう。
多分、風のマスカレードで呪文唱えてツイ救援とかもしたほうがいいんだろうけど、ツイ救援苦手なのでまあ。
あとは、ガレオン効率化のために、風六竜武器も並行するか。シャトラ使うたびにビーク欲しいなあと思ってたのでちょうどいいな。
○ご飯
朝食:なし。昼食:ポークチャップ定食。夕食:雷豆腐と炒り卵、小松菜、人参、大根、ソーセージの炒め物を和えたもの。納豆。
○調子
むきゅーはややー。
ブレグラのプラウドプラスを終わらせた。20T討伐は無理なのでクリアしただけ。
1戦目は、スパルタジータ、アルルメイヤ、カリオストロ、μ's1年生。2戦目はカオルジータ、浴衣ジェシカ、クリマスナルメア、バアル。3戦目はカオルジータ、サラ、水着ヴィーラ、マキラ。
これで古戦場までにやれることは一息かなあ。
天司の4凸とか、ムーン4凸とか、エウロペ琴もう一本とか、めぼしいEX2ジョブ取得とか、やれそうなことはたくさんあるけど、あるけどだなあ。
武器編成は、メイン枠(水七星剣orよんぞう水斧or四天刃)、リヴァ短剣5凸一本、リヴァ短剣4凸一本、エウロペ琴4凸二本、水マグナ終末(奥義上限)、無垢剣(or無垢杖)、バハ武器枠、ゼノコキュ琴、天司3凸SSR。アーカルム石はムーン3凸SSR。マグナ石は4凸。
キャラは剣パなら、カオルジータ、リミカタリナ、ランスロット、水着サンダルフォン。
杖パなら、ウォロジータ、SSRリリィ、リミエウロペ、フォリア。
ワンパンなら、ベルセルクジータ、ヴァジラ、ルリア、シルヴァ。ヴァジラ1アビ3アビ、ベルセルクジータミゼラブルミスト、アマブレII、レイジIV、シルヴァ1アビ3アビ、フレカツオの7ポチ1しょうかんで2100万。いやはや……
三連休中、タヌキックマスターの二次創作(超大作)を書いていたんだけど、完全に、タヌキックマスターをキックの達人として描いてた。
それが、そうではないらしい。
私が(一部の)腐女子だったら、長文でお気持ち表明しているところだが、そんな才能はない。
代わりに、考えていたネーミングを晒しておく。
高速放火魔 チャーリー・チャッチャット・チャッカニン(自転車)
タヌキックマスターのライバル コンバットマスター(狐のバット使い)
禁忌の変態(キンキー)科学者 "泥被り"マッド・"サイエンティスト"・デイネー
○朝食:カップヌードル
○昼食:おもち、お吸い物
○夕食:ほうれん草、ブロッコリー、里芋、ハム、牛乳をシチューの素で煮込んだもの(シチューでは?)
○間食:からあげクン(常々思ってるけど、ナゲットクンじゃね?)
○調子
はややー。
お正月休み最終日なので、むっきゅりしようと思い、Netflixで13の理由というドラマを見ていました。
ただ、これがお正月休み最終日に見るような甘っちょろい作品じゃなく、ガチなやつだったので見るのを途中でやめました。
明日からお仕事再開ですし、何やら年末に不穏な空気も流れていたし、何よりきたる二月末には地獄が待っているので、気合い入れてがんばるぞいや!
●iOS
○グラブル
リミテッドロゼッタを使いたかったので、石マルチのバアルにソロで挑戦してみました。
サブメン全員総動員したものの、勝てました! いえーい!
とはいえ、別にこのボスが落とすアイテムが欲しいわけでもないので、周回する気は起きないなあ。
○明日やりたい楽しいこと(すっかり忘れてたけど、お仕事も始まるので再開です)
よかった。
色々あったけど生きてきてよかった。
突然わけのわからない怖いのに襲われても笑顔で歌を届けるフレイアで泣いた。
ハヤテがフレイアに助けられた、と最初から一貫して言ってるなんかこう支え合いみたいなアレに泣いた。
生きてるとどうしようもない生活の垢がたまるし、時間はたつし、昔は感動できていた色々なものに「もうみた」と思いがちだけど、
劇場のスクリーンで、ワルキューレのライブが観れて、劇場でかがやくフレイアが観れてよかった。
カナメさんの歌を聴けてよかった。
激情のワルキューレは、テレビ版をみていたときの若かった私の、そのときの気持ち、もう失われて日常の中では絶対に思い出さない大事な気持ちを呼び起こしてくれた。
一話のライブシーンを見て、これはすごいアニメが始まったぞとワクワクした気持ちと、
バアル化した兵士を撃っちゃいけんとフレイアが命がけで守って、フレイアが歌えるように守ったハヤテの優しさや絆と、
ハヤテが飛べるように歌を届けるため飛んだフレイアの勇気と愛と、
テレビ版を追いかけて毎回感動してた私の気持ちが、劇場中盤の一話リバイバルなライブシーンで爆発して、「生きててよかった」と思った。
ワルキューレの歌は、次元を超えて、時間を超えて、ずっと私を支えてくれたんだと分かった。
美雲さんがみんなと歌いたいって言って泣かない人いる〜〜!?!?
ミラージュさんもかわいくてとてもよかったです。
マキマキはいつでもみんなを明るくしてくれて、テレビ版では女子親子にもサービスシーンが喜ばれてたけど本当に老若男女に親しめるかわいいアイドルだと思うし、
レイレイがそんなマキマキとかかわって柔らかくなるまでの軌跡も劇場で観れてとても贅沢でした。
前情報でカナメさんとメッサーくんが好きな人は観たらいいと言われていたけど、本当によかった。
カナメさんがメッサーくんを遠くの空で見送るだけでなく、受け止められて、よかった。ありがとう。
ひくほど泣いた。鼻も出た。
観終わった後「最高」「どう考えても最高」としか言葉が出なかった。
すばらしい物語、そして歌、命でした。
http://anond.hatelabo.jp/20100607121955の続き。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D9%A5%EB%A5%BC%A5%D9%A5%D5?kid=297518
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D0%A5%A2%A5%EB
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A8%A5%F3%A5%EA%A5%EB?kid=297506
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%EB%A5%B7%A5%D5%A5%A1%A1%BC?kid=297505
情報源が
というのは中立的ではないよね。