はてなキーワード: よっちとは
そら極一部のいるかどうかもわかんないマトモかもしれないファンも、厚顔無恥に被害者面する害悪共も揃って「〜〜自体に罪はない!」なんて言うけど
それが無かったら、害悪は生まれなかったんだよね?それが存在したからこんな事になったんだよね?
じゃあ、そいつは罪ありき、しかも罪の中の罪たる「原罪」を背負ってるんじゃないの?
逆にやっちまった人間が作ったり関わった作品もまた、「〜〜罪はない!」って言われるけどさ
考えて?自分の罪がバレぬかとビクついてたり、俺は悪くないもんと無神経に考えてたり
場合によっちゃ今日はどんな不法行為しようかとムラムラワクワクしてる奴が作ったり演じたものに罪はないと?
共犯者だよね、罪ありき
働き方改革だの残業削減だの言ってるけど、営業マンだけは一向に定時で帰れないのはなんで?
未だに見込み残業代というサビ残前提のクソみたいな制度でゴリゴリ残業させて、場合によっちゃ飲み会、お付き合い、挙句の果てに安い日当で出張させて。
なにが働き方改革だよ。働き方改革するなら、まずクソ労働時間が長い営業マンを全員定時で帰らせてから言ってくれよ。
朝9時から夜9時~10時まで働かせるなんて普通じゃねーぞ。家族との時間はどこにあるんだよ。刑務所の作業時間より長いじゃねーか。
「18時なので帰りますね」
「あ、もう時間ですね。ではこのへんで…」
とお互い定時で営業マンを帰らせないと駄目みたいな空気になれよ。これこそ働き方改革だろ?
なのに現実は「営業マンに定時なんて無いぞ。ハッハッハ」みたいなクソみてーなオッサン営業マンに合わせなきゃいけなくてよ。
動物が好きな人に悪い人はいないとか、どういう理屈だよって思う。
動物病院にくる客の何割かは、痛い人だ。
捨て猫を保護するのは良いことだから、ペット禁止のマンションで猫を飼うのは悪くない、くらいのことを言う。
「生活保護じゃペットを飼うなと言うのか」要するに「安くしろ」みたいなことを平気で言う。
生活保護費の枠の中なら、ペットを飼おうがパチンコに使おうが勝手ですけど、離婚してシングルマザーのはずなのに、旦那さんも一緒にくるのって、認定通るための擬装離婚ですよね?
それはどうかと思いますよ。
さて、デリケートな話題だけど、殺処分ダメ、ゼッタイ!みたいな風潮、どうなんですかね?
殺処分ゼロを目指して、結局できなくて過密飼育で動物虐待になった団体あるじゃん。
里親を探すったって、無理なもんは無理、見つかんないものは見つかんないでしょ。
見つかるまで冷凍保存、くらいのことが出来るならとにかくとして、飼えなくなるタイムリミットがあって、それまでに見つけられなかったら、処分しかないでしょ。
獣医だったら里親探しに協力してくれて当然、みたいなこと言う人いるじゃん。
いやあ、協力するのも躊躇するよ。
人によっちゃ、里親に興味があるなんて言った人の家まで押しかけるじゃん。
もっと酷い人だと、「獣医さんが飼って」くらいのこと言うじゃん。
普段から、「動物虐待する人を法が裁けないなら、俺が裁く」みたいなことを言うヤバい人だったけど。
二元論で考えるのをやめて、全てのことは時と場合による、と考えられるようになれば、世界の紛争の1割くらいは減ると思いますよ。
100歩譲って、二元論で生きててもいいさ、他人に押し付けなきゃ。
殺処分ダメゼッタイでも、かわいい動物は保護すべきでも、どんな神を信じてようが、どんなポリシーだろうがいいけど、他人に押し付けるのはやめたほうがいいと思うんだ。
教科書として手頃とはずいぶん失礼な話だな。
実際に取り組んでいて、過去の遺物として仕舞われるどころか、今でも歴史的価値に恥じない凄さがあるから人気を保ってるのだと思うけど。
てか、そんな見解が許されるのなら、近現代の楽曲はそれこそラーメンで言ったら二郎みたいなもんじゃん。
そんで下に書いたように、見方によっちゃゲテモノ嗜好な代物を無闇矢鱈に押し付けてくる手合が本当に多い。
音大受験ではほとんどの管楽器が古典派の楽曲を吹かされる(例えばトランペットはハイドン、オーボエやファゴットはモーツァルトとか)ことからして、プロが古典の曲をまともに吹けないのはダメだろう。
一方でアマは遊びでやってるんだから好きなのやれっていうのは正論だが、現実に大抵のアマオケでは管楽器の近現代嗜好ばっかり優先されるじゃん。
そうしたくなかったら、管楽器の人数を極端に絞って、かつトロンボーンとチューバは必要に応じてトラ呼ぶような「室内管弦楽団」にでもしないと無理なわけ。
ハッキリ言ってウザい。
全員が全員、近現代やドビュッシーシベリウスをやりたいわけじゃないのに、どういうわけかそういうのばっかり取り上げられる。
でもオケの中核である弦の人間で、近現代ばっかりやりたい奴なんて変わり者扱いだから。
そういう「弦の縄張り」であるはずのオケを、好き勝手に蹂躙するのが管楽器という認識なんだよね。
せめて「(美味しいところがたくさんある)オケの曲を吹きたい」じゃなく「(豊かな響きを作る)弦と一緒に吹きたい」くらいの意識で来てくれれば、少しは違うんだろうけど。
お互いの高校時代のアルバム一緒に見てたら、嫁が突然「この頃Aちゃんと付き合ってたんだよね」と言い出した。思わず「えっマジで?」と聞いたら「女子高だし普通だよ?」だそうな。マジかよ。
Aとはまだ付き合いがあって(多分恋愛的な意味はない、と思いたい)、家に来たこともあるし、俺を含め何人かで出掛けたこともあるし、嫁とAの二人で出掛けてることもある。
なんか気になって、何で別れたの?って聞いたら、大学のころセックスしたらなんか違うなと思ったかららしい。ヤっちゃってるのか。というか、高校から大学まで付き合ってたのか、場合によっちゃ俺より長くない?
元カレとの付き合いはまったくない癖に元カノとは十五年来の交遊深めてますか、マジですか。
嫁がバイだったのは置いといて、パートナーが元恋人と深夜までLINEしてたり二人きりで会ってたりするのって、離婚事由にならないかな?
俺は言及した増田なんかいちいち見に来ないから、見るやついないと思うけど書いとく。
なんか冗談半分って言ってるやついるけど、性別逆にして考えてみてよ。夫が元カレとちょくちょく会ってるって状況だぞ。歓迎するのは腐女子だけだ。
今の配偶者に向かってそんなこというやつはデリカシーないし、俺は冗談だとしても嫌だ。
嫁にとってはただの友達で悪気なく言ったのはわかってるんだけど、遠い過去にでも恋愛対象になってたやつと二人きりで出掛けてるのは7割くらい浮気だと思ってしまったんだよ。
まぁ、普段からPTAタイプの人は、昨日の水曜日のダウンタウンに思い切り噛みついてるの別に矛盾してないし通常営業っすねって話でしかない。
AKBグループの選抜なんちゃらとか、乳の形丸出しのVTuberが解説するなんちゃらだって、見る人によっちゃそれなりにグロテスクだと思うのだが、恐らく男性それも非モテ派の発言力が強いはてな界隈じゃそういうものもグロテスクだとは認めないだろうが。
クロちゃん企画にブクマ民はすごい怒ってる、怒ってないにしても強く関心を抱いてる人がいる、見てもないと腐しながら見てもないものに馬鹿にした体で関心を示している。
そもそもこちらは、元ネタ(テラスハウス)も、そもそも地上波TVでプライベート恋愛感情まるだしなのも(虚実は知らんが)すげー下品だと思うわけだが、テラハはなんで怒られなかったんだろう。私は十分アレも嫌いだった。
さらに、それを言えばそんな感じのTV番組なんて大昔からあるしその手の番組を経てタレントになってる人もいたりするし、日本に限ったことでもない。リアリティ・ショーといえばTVの定番人気コンテンツである、現職の米国大統領も出てたぐらいだ笑。
広めにくくったらもっとある。ドッキリ系の番組とかマネーの虎的なものとかラップバトル的なものとかガチンコなんとかとか、枚挙に暇がなく、そういうのにPTAメンタリティの人が怒るのは論理的帰結である。まぁそうでしょうね。
もっと広めにくくったら、質の低いYoutuberなんてのもそのたぐいだろう。ネットは関係ないなんて言うなよ、今やネットよりもYoutubeの方が子供が見てる。
twitterで色々反応を見てたら、もっと昔には完全な素人が告白タイム!とかやってたらしいじゃないか、セミプロ(クロちゃん含む)やワナビーを集めてやってるだけまだ人道コンプライアンス的に幾分はマシなぐらいだ。一応時間帯もプライムまで落としてるから視聴者配慮もしてた。もちろん、としまえん近隣住民に著しい迷惑をかけたのはノット・コンプライアンスではあるが。
私は水曜日のダウンタウン自体は面白い企画やほのぼの企画もあるので家にいるときは好んで見ている。でもあの企画は嫌いだったので始まるとTVを消したり流れでつい見てもすぐ耐えられなくなりTVを消す程度のつまみ食いではあった。だがつまみ食い情報だけでもお腹いっぱいのグロテスクさではあった。
いつだかたまたま見ちゃった回で、非モテモンスター・クロちゃんは「自分が一番有名人で自分ありきの企画なのだから、自分の思い通りにして当然だ」と、そのリアリティショーの他の出演者にかん高い声で恫喝まがいの言葉をまくし立てていた。それで、うひゃーこれもうバラエティと言うよりもホラー・メタ・ドキュメント作ってるつもりなんだろうなーと思って、逆に興味が沸いた。
なので最終回をつい見た。面白おかしいバラエティ番組ではなく、世界のグロテスクさを伝えるドキュメンタリーから目をそらしてはいけないのでは、という謎の義務感を持って見た。
ドキュメンタリー番組で流れる世界のグロテスクさについては、おお酷いと正義の場から嘆く人はそれなりに多いだろうと思う。だがこの手の「非モテ・ホラー・ドキュメント」って、ドキュメンタリーがまだ進出してない分野なのではと思う。たぶんだが、「非モテ」の部分が人道的には扱いづらいテーマだからではないかと邪推しているのだが、非モテモンスター・アイコンを擁してお笑いの仮面をかぶれば可能ということになる。「そういう仮面がありゃ番組作れるんだな」という、社会全体の構造(そういう企画が通るということは、そういう社会でもあるということでもある。現実はそのようにグロテスクだ)自体が、本当にグロテスクなわけだが。