はてなキーワード: 教授とは
GWでなんとなくアニメ見始めたけど、絵柄が少し古いなと思った以外は丁寧でいい感じだと思った。
いい点は、イングリッシュガーデン的な庭や風景、壁紙、インテリアのデザインが丁寧なので
ターシャチューダーのコーギー絵本とかウィリアムモリス壁紙好きな俺は楽しめた。
アマプラ批評で辛い点つけてる批評は、結局「オッサンが未成年女子を飼育するみたいな話じゃねえか気に入らん」と
言っているみたいだった。マイフェアレディと同じで、キモオタのヒギンズ教授がイライザを型に嵌めてチョコレートで依存させるような
話じゃないか、みたいな批判と同様のこと言われるのはわからなくもない。
でもお金の力で暮らしと精神を安定させた上で文化力と自我が成長していくのはそんなに悪いことではないと思える。
言われるほど嫌悪感はない。
地元の医学部に入学しそのまま母校の附属病院で勤務という、いわゆる地元の秀才コース。数年前まで同地域の大学病院に勤務していた。
研修医の大学離れが叫ばれて久しいが、働き方改革でそれに拍車がかかっており、人的リソースは多くの医局において現在進行形で悲惨なことになっている。
大学病院を辞めて時間が経ち、自分が辞めた理由を冷静に振り返れるようになったので、備忘録的に記載してみる。
多くの方がそうかもしれないが、辞職の理由は単一の理由ではなく、複数の要因の組み合わせである。
一つのことであれば我慢できても、同時期にいろいろな問題が重なるとその場に居続けるのが難しくなってしまう。
大学へ行く前から、化学や物理の実験の時間が苦手だった。当時から実験計画を立てて正確に遂行していくのに興味がなかったように記憶している。
大学病院勤務なので、研究の真似事や学会発表、論文執筆は細々としたが、何年やっても面白くならなかった。
仕事だから嫌々やっている状態で、達成による金銭的なインセンティブもなく、全くモチベーションが湧かなかった。
そんな折、大学より「来年度から各講座への研究費は教員当たりの論文数を参考にして支給する」旨の通達があった。
つまり論文数が少ない医局員は講座のお荷物になるということと同義である。
今後、論文数が減りこそすれ増えることは全くないことを自覚していたため、大学から離れる理由の一つとなった。
・地域医療への貢献ができないこと
弱小医局ゆえ、県内の主要病院への医師派遣も行きわたっていない状態が続いていた。
例年、研修医として回ってくる若手をあの手この手で勧誘し、少しでも人員不足を解消しようと全医局員が願っていたように思う。
しかしボス(教授)より不意に、「来年度からA県のB病院へ一名派遣することにしたから調整よろしくー」とぶっこまれた。ちなみにボスはA県出身である。
いやいや先生、まだ県内すら充足していないのに隣とはいえ他県に人を出す余裕はないっすよ、と繰り返し伝えたが、
「もうB病院の先生と約束しちゃったんだよ。同じ大学の先輩なんだよね。非常勤でいいから。お金はしっかり出してくれると思うよ。」と取り付く島もなし。
やむなくスタッフを説得して派遣。B病院の事務と交渉したが、給与はむしろ当県としては安いレベル。
前項のようにボスは気分や口約束で仕事を拾ってくることが多く、悩みの種であった。
科内の方針変更だけであれば不平不満をカバーすることもできるのだが、他院や他科も絡むと厄介この上ない。
あるときボスから、「C科と共同して新しいプロジェクトを進めることにしたからよろしくね。D教授とは話がついているから。C科の先生たちと調整してね。」
明らかに業務量が増えそうな内容であったが、自分の科の医局員にも勉強になりそうであり、資料集めを行った(一部は実費で)。
それからC科の先生方と何度か調整を行い、C科としても非常に前向き。必要な人員やコストを見積もれたのでボスへ報告。
で、返答は「思ったより負担が大きいねえ。うちの科としては無理じゃない?やっぱりやめようか。D教授には直接伝えないけど、医局員同士で話をつけといてね。」
いやいやいや・・・もうC科の先生方は割とやる気ですよ、そのつもりでいますよ、と話したが覆らず。
この辺りは言うに及ばず。
筆頭はやはり夜間の緊急性が極めて低い呼び出し、夜間帯は当直医に運ばせる薬剤、採血や点滴をやらない看護師、あたりか。
挙げればきりがない。
・医局員への不信
まず先に、自分が所属していた医局は非常に雰囲気がよく、医局員も非常にまじめだった(と少なくとも自分は思っていた)。
年々ボスの要求が強まってきているのを、皆が不穏に感じてはいたが。
上述の幾つか不満が頭の中でグルグル回っていた折、決め手となる2つの事態が発生した。
患者さんの病状に関わるような内容ではなかったものの、精神面には少なからず影響を与えそうな事象であり、明らかにこちらに非があった。
自分はその後輩のオーベンという立場で繰り返しフォローを行い、なんとか訴訟にならずに済んだ。
なお外来主治医はボスであったが、フォローの場には一度も顔を出さなかった。
もう1つは自分が出張で不在中、および不在後のトラブル。コロナ禍の真っ最中であり、どこも入院ベッド確保に苦労していた時期である。
自分が長期にフォローしている外来患者さんが、自分の不在時に具合が悪くなったと受診希望があったようだ。
その日の当科救急担当の後輩(上述の後輩とは別の医局員)が電話を受けたが、満床で来院を断ったと。
自分が出張から戻ってきて数日、他院他科の先生から連絡があり、その患者さんが急変して亡くなったとのこと。後輩からは何も報告を受けていなかった自分は、電子カルテを開いてようやく状況を把握した。
「満床なのは分かるが、長期フォロー中の患者の具合が悪くなったのであれば、まずはフォロー中の病院で患者を受けて病態の評価をしたのちに十分な情報提供と共に依頼をするのが筋ではないか」と至極真っ当なお叱りを頂いた。
この辺りで急速に、力が抜けていくのを感じた。しばらく腑抜けた状態が続いた。
大学病院とはこういうものだ。ボスも業務が多くて忙しいのだ、仕方ない。後輩も日々がんばっていた上で、トラブルを起こしたり満床ゆえ断ったりしたのだ、やむを得ない。
結局、自分のフォロー患者の急変報告を受けて数か月後、大学病院を退職。
それから数か月は仕事をせず過ごして、今は臨床研修指定を受けていない小規模の一般病院で働いている。
全く苦労がないわけではないが、仕事に関する不満はほぼない。
家に帰ってから、ボスからの要求や他科の先生との交渉、他院の先生からのお叱りが頭の中をグルグル回って眠れないこともない。
子供関連のイベントはほぼ皆勤賞で出席できるようになった。運動習慣がついた。酒が減った。
もしかしたら上述した要因のうち、いくつかがなかったら、まだ大学病院で働いていたかもしれない。
それでも間違いなく言えること。
追記:
あと「学歴で当たり散らす修士博士課程」はこの増田の言及にあるIQ関連だと学歴に発展して荒れるかという文から、どーせこの時期で一番焦燥しやすい、そんで新卒市場から需要少ないのはFラン文系院という推測。理数系は正直知らん、工学系から院に行くやつは教授のコネもらうしな。世間知りなよ。
すんごいニュース&当てずっぽうだね。当たってるかどうか知らんけど随分と詳細だわ。あたかも見て来たかのように。
「教授に嫌われてる」「学歴で当たり散らす修士博士課程くん」「しかも休学という措置を取らない」「プライドが高い」「また虚言重ねるだろう」
論文書き上げられそうにない、教授に嫌われてる、就職に逃げるもES通らずに就活ままならない、学歴で当たり散らす修士博士課程くんの季節。数年前のコロナ期間で採用減少を言い訳に就活失敗して数年前に院行った人かな気の毒。しかも休学という措置を取らない当たりはプライドが高いFラン文系院か。また虚言重ねるだろうしどうでもいいか。もう無理だよ詰んでる。
意地悪なベンチ バス停にも公園にも 公共の場で増殖する「排除アート」 | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス...
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1142116
いくら外面は綺麗に着飾った芸術作品でも、アーティストやパトロンの性根が腐っていたら、醜悪さが滲み出て悪臭を放つ。
市民はお互いの違いを認めあえるような、多様な出会いを求めて公園に来ているのに、行政側が勝手に忖度して「邪魔」「迷惑」と思われそうな市民を追い出している。
ここは人権問題や多様性問題に詳しい新聞社、弁護士、教授などが連携して、排除アートの方を公園から排除したい。
自治体職員の首は人事的に難しいかもだけど、せめて意地悪アーティストだけでも追い出したいね。
公園がちゃんとなったら、ホームレス男性・女性と、地域の女子児童・男子児童の交流会なども新聞社の支援のもとで定期的に開催したい。
マンガのじゃりん子チエに出てくるような、貧富もジェンダーも年齢も子どもの有無も経歴も国籍も軍籍も肌の色も関係なく、市民がお互いに交流できる公園を創っていきたい。
スープストックトーキョーだと武蔵大学社会学部教授が断言なされていた
功罪あるが、罪のほうが実害が殆どないもののため、親しみやすいワードによって社会的な認知度向上を図れている(という印象、ただ空飛ぶクルマ、というキャッチーなワードでなかったら舞いあがれで取り上げられていたかどうか)ため功のほうが大きいというのが私見。
欧米をはじめ海外では、日本よりもはるかに防犯意識が高い国が多い。それは街づくりに表れており、住宅街から公園、トイレ、歩道橋、駐車場に至るまで、「入りにくく、見えやすい」、つまり犯行をあきらめさせる構造になっている。
そう話すのは世界92か国を巡り、『写真でわかる世界の防犯――遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館)を出版した、立正大学文学部社会学科教授の小宮信夫さんだ。
まず、公園に関していえば、子供向けエリアと大人向けエリアを明確に分けているケースが多い。遊具は子供向けエリアに集中させ、そこをフェンスで囲んでいる。フェンスは、ディフェンスという言葉から派生したことからもわかるように、守りの基本形だ。
子供が誘拐されるケースのほとんどは、子供がだまされて、自分からついていく。しかし、海外の公園なら、犯罪者が子供専用のスペースに入るだけで、子供も周囲の大人も警戒するので、だまして連れ出すことは難しい。
さらに、ベンチを置く場合は、フェンスの外側に、外向きに置く。こうすることで、犯罪者が、遊具のそばのベンチに座りながら、親しげに子供に話しかけ、だまして連れ去る手口を防げる。また、遊具を背にしたベンチなら、遠くから子供を物色している犯罪者に、いち早く気づける。
犯罪が起きやすいトイレの防犯対策も徹底している。男性の犯罪者が女児を個室に連れ込むのを防ぐため、海外では、男性用トイレと女性用トイレをかなり離すことが多い。
男女の入り口が建物の表側と裏側にあったり、通路を挟んで反対側にあることも珍しくない。
物理的に近接していても、視覚的に男女の区分が明確であれば紛れ込みにくい。「うっかり入ってしまった」と言い訳できないからだ。日本に多い男女共用のトイレは「犯罪の温床」と海外では認識されているという。
どうやら海外と比べて、日本の防犯対策は遅れているようだ。安全と危険のポイントをしっかり理解したうえで子供たちに伝え、子供の「景色解読力」を高めたい。
https://www.news-postseven.com/archives/20170801_600039.html?DETAIL