はてなキーワード: 収束とは
4月に都内で挙式披露宴を予定していました。緊急事態宣言が出てしまい当然延期を決断。
実施か延期か心底悩んでいた時期だったから、緊急事態宣言が出てくれて正直ホッとした。なかなかふんぎりがつかなかったけど「国がこう言ってるんじゃ仕方ないね」って自分たちを納得させることができた。
延期した先は9月。「半年も経てば収まってるよね」「夏には落ち着いてるよね」って根拠はないけどそんなムードが世の中的にもあったと思う。
でも今、こんなありさま。春の流行は前座だったのでは?ってレベルで増え続けてる。go toキャンペーンも始まっちゃって少なくとも9月の収束は無理だと思う。
私の親族は地方にいる。屋内での飲食。感染拡大中の東京。マスクをしたままの記念撮影。ゲスト同士お喋りを控えた進行。こんな披露宴やる意味あるのかな…と思い、再延期。
次は来年の3月。ほぼ1年後。さすがに再々延期はモチベーション的にありえないから、次の3月もこんなコロナ状況だったら親兄弟だけでこじんまりとやる予定。
もしそうなったら(というかそうなりそうだけど)悲しくて悔しいなぁ…。本番2週間前に延期を決断したから準備自体はほぼ終わってたし、脳内リハーサルも何回もやってさ。本当に当日を待つのみって感じで。
どうしてこうなった。結婚式を去年の秋に挙げていたら。今年の冬からコロナが流行ってたら。春のうちに徹底検査→隔離の仕組みが整って夏には落ち着いていたら。考えても仕方のないことばかり考えてしまう。
私個人としては、ガチガチの自粛はしていない。外食するし仕事は週3出社だし友人とも会ってる。マスクと手洗いと密回避を気をつけてるくらい。
だけどこちらがホストとして披露宴を執り行うからには、ゲストの安心安全を考える義務があると思って延期の決断をした。お祝い事だから、もし不安に思っても断りづらいと思うし。
だからこそ10月に披露宴決行予定の友人にモヤモヤしてしまう。大好きな友人の晴れ姿をお祝いしたい気持ちがある一方で、私はまだドレス着れてないのにな…お祝いしてもらえてないのにな…ていうかこの状況で決行するって選択肢があるんだ…という気持ち。
すくなくとも コロナ騒動終息宣言をだして、経過観察期間を確認するまでは自民党時代だと思うし野党も全力で協力するだろう。非常事態発生後から収束、経過観察終了までというのはそういうこと
何で「ベンチャー経営者」みたいな人たちは、ああも俺俺理論を発表したがるのでしょう?
様々な専門家や国家含め公共機関が、この新しい感染者に関する我が国や国際的な状況について連日のように発表をして解説をしていますよね。
気になってるのは、Twitterとかを見てると世のイケイケ経営者たちが「この感染者は○○だ」というような独自の論調を展開している事。ひどい人になると指標Xと指標Yを掛け合わせた「指数」を生み出して、「この指数が○○になったら安心できる。俺は日々この数字だけを追っている」と言っている人もいる。
確かに、彼/彼女らの仕事は「経営」なので、それに関わるあらゆる要素…社会情勢や世間の経済活動について、頑張って情報を収集して確固たる判断をしていく必要があるのは理解します。
ただ、見ていて「???」となるのは、この人たちが何故「俺の持論」を展開しなきゃ行けないんだ〜というところなんです。
経済が、社会が〜を読もうとするのは分かる。あだ、感染症自体がどういうものか?とか、どのようなプロセスで感染するか?収束するか?とかは、門外漢でしょう。病気の専門家や公衆衛生の専門家より「何を知っている」というのかなぁーと思ってしまいます。
自分が責任を持つ会社について、その「ぼくのかんがえたさいきょうのかせつ」で判断し動かしていくのは勝手ですが…それをSNSとかのパブリックな場に出した段階で、胡散臭さを感じるのを禁じ得ません。ね、ぼくちん頭いいでしょ〜を振り撒いているかのような。
デマってこういう風に生産されていくのかな、のんて危うさすら覚えます。ジブンノアタマデカンガエヨウは大事だと思いますが、権威のある人の取り組みや発信に対して(特定方面に)影響力を持つ人がカウンターやアルタナティブな物申しを行うのは、慎重になって欲しいと願うものです(もっとも、彼や彼女の中では「世の真理に最も近い洗練された視点を与えよう」という気持ちがありそうなので、慎重さは満たされているという事かも知れませんが)。
単に検査についてさかのぼり調査を多くして、無症状、軽症で療養隔離に入っているからの可能性がある。早期に療養に入るから重症化しない。
とすると「検査を網羅的にして早期隔離療養」こそが社会としての解となる。感染拡大防止という側面のみならず、重症化防止という面でも。その局面は狙ってもいない。
無論様々な可能性がある。弱毒化が原因だとするなら、弱毒化する仕組みを確かめて対策しないとならないし、弱得化を前提に手を緩めると再び重症化患者が生まれる。
ちょっと前はロックダウンなしでも感染が抑えられる手段があるはずだ!とか言ってたじゃない。K値なるものがあってすでに収束し始めているとか言われてたじゃない。
けど、そんな手段はなくて感染は着実に進んでいる。K値は収束を示すものでもなんでもなかった。たまたまいま重症が少ないかもしれないが、きちんと調査して結果が出無い限りは楽観的構想は持たないほうが良い。
日々新型コロナウイルスの感染者が増えていくなかでもはやグダグタなGo to キャンペーンが強行されたり、とか毎日めちゃくちゃだなぁ、と感じますが皆様如何お過ごしでしょうか?
東京では今日も過去最高の感染者数だそうで4連休の不要不急の外出を自粛するよう呼び掛けがあったとかだけど連休だけ外出自粛して平日はまた満員電車で通勤になってほんとにそれ意味あるの!??
夜の街もそうだけどウイルスって夜と休日だけ感染するわけじゃないですよね!??
しかも休日に外出する人を相手に商売とかする人はどうなるの?その日の売り上げは?生活は?
その辺りの補償はせずに自粛だけを呼びかけて感染が減らなかったら自粛するように言ったのにみんなが感染対策しなかったから、みたいになるのいくらなんでもセコくない???
みんなさ、手洗いうがい三密を避ける、とかもう普通にやってるでしょう…
何よりこの流れ3ヶ月くらい前も見た!!!!
ここまで書いたけどわたしは都民でも何でもなく近畿地方のそれなりに田舎に住んでるOLなんですがそれはそれとして田舎もつらい
すぐに特定されるとか家に石を投げられるとか
信じられる?令和2年だよ?嘘であってくれ
そんな田舎でもぽつぽつと感染が確認されて最初はこの広い田舎で一人感染が確認されたぐらいで騒ぎすぎでは?と思ったけどやっぱり周りの雰囲気に呑まれて息苦しさを感じてきた
わたしは実家住みだけど家族も周囲もみんな県外に出かけるなんてありえないって感じでGo toなんてとてもむり
隣県に買い物に行くことすら叶わない
あ〜〜〜つまらん!
でももしどこかに出かけて感染、なんてなったら会社にも居場所がなくなるしとても怖くて出かけられない
やだよ〜〜〜都会に遊びに行きたい
会いたいは友だちはみんな都会に住んでるから全然会えない、寂しい……
去年週一くらいのペースで遊んでた都民の友だちにはもう半年会ってない
あまりに友だちに会いたくても会えなさすぎてツ……テ4章のラストで泣いたもん
もちろんそんなこと言ってもこんな状況だから我慢しろって言われるんですよ
毎日Twitter上で会話してても普通に会って話したいわ!!!!!!!!!
なんかさ?緊急事態宣言が明けたあと、テレビとかで少しずつ日常が戻ってきて、とか新しい日常が始まって、とか言ってたけどさ、ほんと?
ほんとに日常戻ってきてた?わたしは全然!なんにも!戻ってきたって感じてない!!
わたしにとっての日常っていうのは毎月夜行バスに乗って東名阪を行き来するとか
そのままいろんな地方から集まってる友だちとファミレス行って今日も楽しかったね〜、て話したり写真見てあ〜今日もかわいいね〜ってキャッキャして終電までの時間を潰すとか
友だちと夢の国に行くとか
もちろんすぐに全部戻ってくるなんて思ってなかったよ?
でもせめて7月とかになったら東京だって大阪だって会いたい友だちに会えて一緒に笑って話せると思ってたよ……
遊びたい!!!!!!とにかく遊びたい!!!!!もうずっと仕事しかしとらん!!!!
仕事なんてわたしにとってはソシャゲの周回みたいなもんなんですよ
周回も必要かもしれんけどストーリーはそこにないの!休日に友だちと会って、ライブに行って、そこがストーリーなの!
周回しか出来なくてストーリーが楽しめないソシャゲなんてすぐユーザー離れてくわ!!!!!!!ばーーーかばーーーか
ていうかさ〜〜〜〜あの緊急事態宣言の2ヶ月間は結局なんだったの?
ねえ???あんなにみんな大変な思いして家に篭ってたのにさぁ???今あのときより感染者数も増えてしまってあの期間の頑張りは何?虚無では???
感染者数が増えたのも最初は検査数が増えたから(これってもっとはやく増やせなかったんですか?)とか重症者数は減ってるから、って言われてたけどここまで増えてしまってまだ大丈夫って言えるの?
緊急事態宣言中は芸能人とかもみんなステイホームステイホームって言ってて
今あの頃より感染者数が増えても誰もステイホームって言わないけどそれでいいの??
あのとき頑張ったのは虚無じゃない、ステイホームはしなくてもいい、て言うなら安心できる根拠を説明してほしい
あの2ヶ月さ、わたしは遊びに行く予定がなくなったくらいだけど新入学とか新生活を始めるタイミングだった人や結婚式の予定があった人やメジャーデビューが延期になったとかもっと人生にダイレクトに影響与えられた人もたくさんいるじゃないですか……
2ヶ月っていう長い時間の生活をこんなに踏みにじられてていいの?わたしは踏みにじられた、と感じます
そこにとても怒ってます
この先イベントやライブなんかも少しずつ発表されつつあるけど本当に開催できるんだろうか?
わたしはそこに行けるんだろうか?
地方から都会に行けない、都会から地方に行けない、医療関係の仕事をしてるから諦めざるを得ない、そういう人もたくさんいると思う
じゃあイベント開催をやめろ、延期しろ、というのもそこで働いて生活してる人がいることをわかってるからそんなこととても言えない
よく政府の偉い人が断腸の思いで、っていうけど聞くたびにほんまにか!?と思う
3月にオリンピックが延期になって急に東京の感染者数が取り沙汰されて家族に反対されたり仕事のことを考えて考えて悩んでボロ泣きしながら推しの出演する舞台を諦めたときのわたしの方がよっぽど断腸の思いだったわば〜〜〜〜〜〜〜(略)〜〜〜〜〜〜〜〜か!!!!!!!!!
(ちなみに推しは先月所属事務所を退所したので例え再演があっても推しの演技はもう見られません!こんなことから行けばよかったね悔しいね!!!!!!)
この先あと何度こんな思いをしなきゃいけないんだろうな……ライブやイベントじゃなくても友だちに会う予定でさえ
9月に夢の国に行きたいなぁ…
結局のところ今後どうなっていくのが正しいのかわたしにはわかりません
ただまた緊急事態宣言が出るなら(各業界や国民に必要な補償がされる上で)それに従うだけ
前回の失敗や抑え込みに成功してる諸外国から学んでしっかり徹底的にやってほしいと思う(とは言っても前回の給付金も緊急事態宣言終わったから振り込まれたしそのあたりに全然期待できないのが悲しい…)
とにかくもう思いつきみたいなその場凌ぎの政策はやめてほしいし一人一人が感染に気をつける、は当たり前としてそれには限界があるのをわかってほしい……
わたしたちみんな生きててそれぞれに大切なものとか少しずつ犠牲にしながら今生きてるので
一人一人の足並みを揃えるように手配して足りない部分を補う
久しぶりにメール送るか〜〜
このままコロナの蔓延が収束せず、ワクチンの効果も微妙な感じになるとしたら、人が集まるイベントは全部非合法になるのかしら。
文化的なものもスポーツとかも全て合法的なものは無観客配信のみで、様々な闇イベントが開催されんのかな。
もし一年前にさ、半年後にこの世界は感染症が蔓延し、マスクなしでは出歩けなくなるなんて言ってたら基地外扱いされただろうな。
CPUやGPUを大量に並べて並列で殴る学習、収束がゆるやかにでもいい方向に進み続ける学習アルゴリズムさえ見つければ…って感じでロマンあっていいよね
1750億のパラメータはどうあがいてもGAFAMしかできなさそう
藤井新棋聖のフィーバーを受けて、将棋を観始める人に、ここが将棋を観る上でのの魅力、ポイントというのを言いたくなったので書いてみる
それはずばり、最終盤から投了までの棋士の佇まい、投了後の第一声だと思う
それまでの序盤、中盤は、最後の瞬間に感情移入して見られる程度に追っていればよい
盤面はわからなくてよい
解説を聞いてなんとなく情勢がわかる程度でよい
どうしてこの瞬間か
運の要素のない完全情報ゲームだから、自分の負けは即ち自分一人の責任になる
読みが甘かったから、気を抜いたから、能力が不足していたから、負ける
ウォーズ2級程度の腕の私すら、頭が火照るほど悔しい時がある
多くのプロ棋士は、小学生の頃からその地域の大人はまず敵わない
そんな天才が全国から集まり奨励会に入り、プロになるのは年数人の天才の中の天才だ
ちなみにプロ棋士の中でタイトル獲得まで至るのは一握りだし、タイトル保持を続けて覇権を握るのは羽生九段など、さらに限られた存在となる
そんな天才たちが何時間もの対局時間をかけて、生活の多くの時間を対局に備えて、人生を将棋に賭けてきた棋士が負けた時の悔しさは業火に焼かれるような感じだろうか
想像も出来ない
もちろん、ずっと勝負の世界に身を置いてきた棋士達が取り乱すわけではない
それでも、溢れるものがあるように思う
投了のずっと前には敗勢を認めて、
棋士によって潔く首を差し出したり、泥臭くあがいたり、幾重にも罠をはったり
そうした中で逆転もある
勝っている方は一手のミスでこれまでの時間が台無しになってしまうプレッシャーの中、極限の緊張と興奮の中で読み抜けている筋はないか探し続ける
そんな時間には、身体を揺らしたり、頭を掻きむしったり、ぼやいたり、はたまた微動だにせず盤面を見続けたりと、棋士それぞれの色が出る
それでも、局面が進むに従って盤上にあった可能性は一方の勝ち、一方の負けという形に収束する
負けを認めるまでに、選ばなかった選択肢を思ったりするのだろう
そして、戦い自分を負かせた相手に敬意を表して、着衣、姿勢を整え投了する
暫しの間を置いて、一局の中で生じた別の展開の可能性について話し始める
この過程が将棋を見ていてどうしようもなく美しい、これが魅力だと、個人的には感じている
もちろん、好きに観て楽しめば良いのだけど、ただ藤井新棋聖一人に注目するよりも対局者二人の物語を感じた方が将棋は面白いんじゃないかと思って