はてなキーワード: 不審者とは
男がそれやったら不審者になるけど女でもなるんだな害意も見えないけど……
空白12年職歴無し35歳朝刊配達とスーパーでWワークワイ、眠れずはてなダイアる
といっても
新聞配達は出勤前にコーヒーを飲むようにしてから目がシャキっと覚醒した状態で楽しくやれており特に書くことがない
たまに入れ忘れて歯ぎしりしながら経路を戻ること以外はスムーズ過ぎて退屈になり
マンション内で北朝鮮のマスゲームの行進のように歩いたり、デューク更家の歩き方をしたり(ちなみにこれが結構効く)、猫ミームのチピチピチャパチャパドゥビドゥビダバダバマギコミギュビドゥビブーンブーンブーンブーン♪をしたり、エレベーター内で宇多田ヒカルのautomaticのPVの真似をするぐらいだ
傍から見れば不審者だが新聞を小脇に抱えているため不審者ではない
スーパーのバイトは一日の流れを覚え人手が欲しい日への勤務日変更を打診され了承する
派遣あるいは期間工に行ったらスーパーのバイトなんてハナクソに感じるぐらい忙しいんだろうな
休憩なし4時間ぶっ通しでキビキビ動ける体力を付けたいところだ
あとはコミュ力が壊滅的である、仕事上の会話はできるし挨拶はしつこいぐらいやれるし声量も少しずつ増しているものの雑談が壊滅的にアカン
なんだろうな、何とも言えないズレがあってめっちゃ気を遣わせとるわ
すまんな女史方
さて、
ワイの中で役目を終えた新聞配達を今月末に退職するため、新たなWワークのバイトをどうするかが課題である
もう一軒スーパーでバイトするか、それとも当初の予定通り近所の仕出し弁当屋に頼み込むか
仕出し弁当屋は近場なのは最高なんだけど得られるもんがなさそうなんだよな
もう一軒近場のスーパーの同じ部門でバイトできれば楽しそうなんだけどそんな都合よく職はないネ
っていうかマジで寝られないのよ、初期は17~18時に寝て0時に起きて朝刊配達って感じだったのに18時にお布団に入っても寝付けないの
21~22時になるとようやく意識がなくなるんだけど1時起きなの
身体は横になってれば休まる、人が長時間睡眠を必要とするのはストレスによって生じた傷や老廃物を処理する必要があるからだって何かに書いてあったけど
今のワイにはストレスが全くないせいもあるのかしら
(番付の人が十両以下を割愛したようなので今場所も引き取りました。確かに今場所は不作ですね…)→【今回の幕内】
某空や某NPO関連のニュースが棘やXで配信される度に嬉々としてコピペエントリを投稿する増田。
一掲示板に過ぎない増田が他サイトと比べてなぜか「政治・ジェンダー臭のキツい」掲示板に成り下がる元凶となった一人。
複垢フェミと並び党派性臭い増田の代表格。同一人物説もあるが詳細は不明。
詳しくはこちらを参照。すぐ投稿を消すしょーもない煽りカス増田。
死ね先生と並ぶ迷惑トラバ系増田。その名の通り「馬鹿」を連呼する。こいつもウザさでいえば幕内レベルだがキャラ被りが災いしたか?
その他の一言しかコメントしない増田たち。「シコって寝るか」「今夜もカレー」「大崎甘奈」「波打ち際に毛球あり」など。
もうめんどくさいので全部ここにまとめて終わりにさせてください。
こちらも2020年から現在まで「かるさりかんに」というトラバを延々と伸ばしまくっている謎増田。同一人物の仕業かどうかも不明。
ちなみに駐日フィンランド大使館のTwitterによると、意味はフィンランド語で「自宅でパンツ一丁になって酔っ払うこと」らしい。
同カテゴリー参照。架空のサッカークラブと思われるネタニュース記事を連載している増田。
5chのドメサカ板でも2019年頃から同名のコテハンが活動しているようだが、無関係なスレにもこのネタを書き込むため、顰蹙を買っている。
誕生日が7月らしく、タイトルは加齢に伴って「増田♂51歳の日常」→「増田♂52歳のナントカ」→「増田♂53歳のなにイよんならぁ」と変遷している。
集団ストーカーの被害者を自称し、報道や法整備を求めている増田。お察し。
SNSを目の敵にしており、「マスコミは芸能人のインスタ投稿を元にしょーもないコタツ記事書くぐらいなら集ストテク犯を特集しろ」が持論。前半部だけなら一理あるが…
「イルミナティのガブリエル」を名乗り↑の集団ストーカー増田に嬉々としてトラバを行う増田。
最近はガブリエル本人の投稿よりもファンらしき増田による「ひいまた夢でガブリエルが出た」などのエントリが目立ち始めている。
同カテゴリー参照。「自称インテリ語録」として他増田のエントリを引用している増田。
本人語りによれば障害者の就労移行施設に通っていた過去があり、それが理由でインテリや「弱者男性」という語への嫌悪感を強めたとのこと。
何かにつけて「とにかくニュージーランドに来るのはおすすめしない」増田。
この増田に限らず、ピアノマンや寿司ギャル増田など増田→note移住組は投稿が途絶える傾向にある。やっぱりあっちは注目されづらいのだろうか。
回文になっていない回文から始まる増田。水曜日以外もすいすいようび。
一見するとタイトルにタグ「アタック25」がつけられているように見えるが、最初に日付を書いてしまっているため、カテゴリーとして機能していない。
「謎増田シリーズ」と称して↑を突っ込まれた際には本人からコメントがあったらしいが、その後もこの謎スタイルを踏襲している。
寒くて雪が多くて除雪で腰は痛いし暖房費もかかるし大変だけど冬一番好きで冬終わってしまったのが寂しすぎて泣いてる
路面のアスファルトはもうほぼ出てて冬靴の底がすり減るし今日ついに夜歩いても全然寒くなくて本当にちょっと泣きながら帰ってきた
寒くて雪が多くて暖房費もかかるし除雪も大変だけど冬はヒグマもマダニもハエも出ないし(クモは出る)不審者も出足が鈍くて森も街も夜遅くまで気にせず歩けるサイコーの季節(ただし猛吹雪の日を除く)
川辺の道はきれいだし河畔の雪原には青紫の影がくっきり落ちてウサギとか狐の足跡が延々続いてるし街の道を歩いても小型犬中型犬大型犬の足跡がずっと続いてて散歩の記録がいつまでも残ってるから何が歩いたかありありとわかってかわいいし夜降ってくる雪は見上げればいつまでもずっときれいだし雪の結晶も肉眼で見られて外灯できらきらして最高だしコート着てればその下の格好はあんまり気にしなくていいし毛も剃らなくていいしあったかいコーヒーは常においしいし遠くのスーパーから溶けるのを気にせずアイスを買ってゆっくり歩いて帰ってこられるし汗かかないから街中まで1時間以上歩いても平気で行けるし冷凍パスタも溶けないしストーブの前でぬくぬくしてた猫の思い出もよく蘇ってくる
こんなにも冬最高なのに毎年終わってしまう
悲しい
日陰の雪を探して踏みに行っては名残を惜しむ三月
春くんな
何かきっかけがあったわけではないが、ふと思い出してしまったので書く。
子どもがまだ幼稚園に通っていた頃、父の日あたりに父兄参観のようなものがあった。親子で一緒になにか紙工作みたいなものを作りましょうというやつだ。正直、知らない人がたくさんいる空間は苦手なのだが、子どもも楽しみにしていることだし、せっかくの機会だからと行くことにした。結論から言うと、僕はその催しを台無しにして、子どもを深く傷つけることになる。
当日、まずは親子で教室へ集まりクラスごとにかんたんな朝の会をする。基本的には園児一人につき保護者の参加は1名までとなっていたが元々広くもない教室はすでに満員御礼となっていた。
朝の会のあと、なぜか園児全員でグラウンドに集まり園長先生のお話を聞く時間があった。園児たちはグラウンドに並び、保護者達は端の方でそれを見守る。そう、そこまでは別になんの問題もなかった。問題はその直後に起きたのだ。
「それではお父さんお母さんと一緒にもう一度教室に戻りましょう」
司会の先生が告げた途端にワッと散開するおよそ200人の全園児とその保護者たち。右に左に移動する人、人、人。あっという間に僕は我が子を見失った。
ひとまず建物入り口の辺りに立って、自分の子どもを探す。周りには仲良く手を繋いで教室へ向かう園児と保護者たち。この時点では僕は、自分の子どもも僕を探しているに違いないと信じて疑わなかった。だってさっき先生が言ったばかりだ。保護者と"一緒に"教室へ戻りましょう、と。グラウンドからは人が減っていく。我が子はいない。まだ見つけられない。焦りが募る。どこか物陰で遊んでしまっているのか。もしかして何かを間違えて園の外に出てしまったのではないか。いやさすがにそんなことはないか。頭の中でぐるぐるといろいろなことを考える。
そして気がつくと、外にはもうほとんど人がいなくなっていた。先生たちが遠目にチラチラと見てくる視線が痛い。あの人大丈夫かな、不審者だったりしないかな、そんな声が聞こえてくるようだ。恥ずかしさと戸惑いと、とにかく頭の中はもうパニックだった。どうすれば良いのか、もうわからない。
念のためと思いながら園舎に入り、階段を上がった先の教室へ向かう。果たして我が子はそこにいた。廊下でひとり、鼻歌を歌いながら何事もなかったように遊んでいた。
「なんでひとりで行っちゃうの?」
極力怒りを抑えた(つもりの)声で子どもに問う。子どもは黙り込んで答えない。何が問題だったのかわかっていないような様子だった。この時点ですでに他の子たちは保護者とワイワイ楽しそうに作業を始めている。僕がいつまでも外で子どもを探している間に今日やることの説明などは終わってしまったらしい。当然、教室内にはもう我々が入り込めそうなスペースなど残っていない。
保護者と一緒に行ってって言われてたよね?なんで勝手にいなくなっちゃうの?パパ何もわからないんだよ?このあとどうするの?そんなようなことをまくし立てた気がする。子どもはうつむき、答えは返ってこない。周りのチラチラと様子を伺うような視線だけが突き刺さる。恥ずかしい、いたたまれない、どうして自分はこんなところでずっと晒し者のような扱いを受けているのか。このあとどうすれば良いのか。何もわからない。そして僕は「もう知らない」とだけ告げて子どもを置き去りにして家に帰ったのだ。最低だということは百も承知。子どもの泣き叫ぶ声が聞こえたがしかし、それに構えるような余裕はもうなかった。
その後のことは詳しくは知らない。幼稚園から徒歩3分の距離にある自宅に帰り、驚いた妻が慌てて幼稚園に向かって後を引き継いでくれたこと、泣きじゃくる子どもに先生がつきっきりでいてくれたということだけは聞いた気がする。
あれから6,7年が経った。今でもこうやって思い出して自己嫌悪で気分が沈む。妻が上手くフォローしてくれたこともあり、謝って仲直りをしたものの、おそらく子どもにもこの件は嫌な記憶の上位として残り続けることだろう。
あのとき一体どうするのがベストだったのか。おそらく「最初から行かない」ことが唯一の正解だったのだろうと思う。当時の僕には誰の助けもない中であの状況を上手く立ち回ることは到底できなかった。でも行かないという選択肢を選ぶこともまた少なからず子どもを傷つけることになっただろう。だから結局のところはわからない。
これを読んだ人には世の中にはこんなクソ親エピソードがあるってことをぜひ反面教師にしてほしい。僕みたいにこの先一生後悔し続けるような失敗を避けられるなら、それがきっと一番だから。