はてなキーワード: シュレディンガーの猫とは
本当に、分からない。
あなたがいいって言ってるもののナニがいいのか、僕には分からなくて、
ブラッディって、なにがカッコイイんすか? 血とか嫌じゃないすか 痛いだけじゃないすか
これのどこがカッコイイんすか?
罪深いって何すか? 罪状があると何か得するんすか? それただの犯罪者ですよね?
闇って何すか? 暗ければいいんすか
正義と悪だと、何で悪がいいんすか? 何かそういうデータあるんすか? 悪いから悪なんですよね?
ミギウデが疼くと何でカッコイイんすか
ちゃんと管理できてる方が良くないすか。おいらは立派だと思います
普段力を隠していると何か凄いんすか?
それって、ただの手抜きですよね。隠したりしないで、全力で取り組む人の方がカッコいいと思います
二つ名とか異名とか色々付ける人いますけど、正直めんどくないすか
英語でもなんでもカタカナつけられると、シンプルに見づらいと思います
ギリシャ神話とか聖書とか北欧神話とか日本神話とか、ちょっと調べたくらいでそういう話しない方がいいっすよ
内容もちゃんと教えてくれなきゃ意味がなくて、教えるならちゃんと教えた方がいいと思います
神話に出てくる武器の説明されても、あんまり、おもしろくないっすよ
グングニルも、ロンギヌスも、エクスカリバーも、デュランダルも、天叢雲剣も、意味不明過ぎ
他の用語も謎じゃないすか 原罪とか十戒とか、創世記とか黙示録とかアルマゲドンとか…。
名前がいいだろってどういうことすか。雰囲気で感じろとか言われてもそれはあなたの感想ですよね
相対性理論とかシュレディンガーの猫とか万有引力とか、今の時代ってちょっとネットで調べれば出てくるんすよね
文脈を無視して差し込まれても、何が言いたいのか全然分かりません
厨二って何すか? 厨二ってどういうことなんすか
分かんない分かんない分かんない分かんない! 分かんなーい!!ってな感じで、
タイトル通りの内容について話していく。
日本ではシュレディンガーの猫と並ぶ有名な思考実験であり、それと比べて随分と簡単な内容なのに本質を理解している人が少ないように感じたのが書こうと思ったきっかけである。
まずトロッコ問題の具体的な内容なのだが…説明するのが面倒なんでwikiからコピペしてくる。
線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。
A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?
なお、A氏は上述の手段以外では助けることができないものとする。また法的な責任は問われず、道徳的な見解だけが問題にされている。あなたは道徳的に見て「許される」か、「許されない」かで答えるものとする。
というものなのだが、ようするに5人を助けるために1人を殺すか、何もせずに5人を見殺しにするべきか?という2択から選べというやつだ。
まぁ先に結論から言ってしまうと、これは「功利主義」か「義務論(カント主義)」どちらを支持するか?という倫理学の問題である。
倫理学にはいくつかの流派があって、その中に「皆が幸せならそれでいいじゃない」という考えの功利主義と「正しいことは絶対正しいんだよ!」という考えのカント主義が存在する。
功利主義では「1人が死んでも5人が助かるなら幸福の総量は多いんだからそれでいいじゃない」と1人を殺して5人を助けるほうが正しいと考える。
逆にカント主義では「他人を目的のために使ったりしてはいけない」と考えるので、結果的に5人が死のうがそれを助けるために1人を殺すのは悪だと考える。
ようするに功利主義が正しいと思うのなら分岐点のレバーを引いて1人を殺し、カント主義が正しいと思うのなら何もせずに5人を見殺しにするという至極単純な問題なわけである。
くだらない議論だし、功利主義は「最大多数の最大幸福」という基本原理を掲げてるだけでそれが正しいという根拠はないし、カント主義はカントというドイツのおっさんが「目的のために他人を利用するな!」と言ったからそれが正しいとされてるだけで、その正しさにも根拠はない
ただ日本には義務論的な土壌がないので、直感的に5人を助ける方が正しいと答える日本人が多いと思う。
どっかの高校の教師が授業中にトロッコ問題を出して、とある一人の生徒がカント主義の考えを主張したら冗談だと思ったという冗談みたいな話がある。
これを昔、授業でやったら「なぜ助ける必要があるのかわからない。俺は傍観者だから放置して5人が死んでも責任はない。でも切り替えたら俺の責任になる」と言った生徒がいて衝撃を受けた。確かにその通り。「5人の人に感謝されるメリットよりも、1人の遺族に責められるデメリットの方が大きい」と。 pic.twitter.com/BU9tmtMnMU— とある高校教師S (@hellohellock) April 11, 2019
彼はひねくれていたから敢えて俺を困らせようとした可能性は濃厚だけど、彼が本気でそう思っていたのかはさておき、そういう意見が出てくる授業というのは「良い授業」だと思う。周囲も衝撃を受けていたけど、どう受け止めたのかは未知数。それが良い点であり怖い点でもある。授業はまさに生き物だ。— とある高校教師S (@hellohellock) April 11, 2019
仮にも大卒の教員が問題の意義も知らない上に、それを生徒に出題するなんてアホだと思うが、それだけ「トロッコ問題」という名前だけが独り歩きして本質が理解されていない例だと考えている。
ちなみにこのトロッコ問題に関連する事柄があって、5人を助けるために1人を殺しても許される。と考えるならば「5人の臓器移植しないと助からない患者のために、1人の健康な人を殺してその臓器をそれぞれ5人に移植しても許されるはずだ」という論調が存在する。
トロッコ問題では「1人を殺してでも五人を助けるべきだ」と直感的に答えた人の数が多かったとしても、臓器移植の問題になると罪悪感を覚えるのか、五人の為に1人を殺そうと考える人が急激に少なくなる。
トロッコ問題も臓器問題も「多数の幸福のためならば少数の犠牲を厭わない」という功利主義の原理は同じなのだが、前者と後者で人間の善悪の判断は変わってくる。それはなぜだろうか?
と、このように「功利主義」と「カント主義」どちらを支持するか?でなく、その根拠になる人間の善悪や罪悪感の基準はどこにあるんだろう?といった話に繋がる思考実験なのである。
いやシュレディンガーの猫は『分かりやすく否定しようとした寓話』だろ
「確率って何?」というのは全然難しい話じゃなくて、「これは確率です」というのは「(互いに異なる)状態がいくつかあって、それぞれに1より小さい正の数が割り当てられていて、その数を全部足すと1になる」という構造があるということを言っているに過ぎない。サイコロの目は1,2,3,4,5,6があってp1, p2, p3, p4, p5, p6という正の数(ただし p1 + p2 + p3 + p4 + p5 + p6 = 1となる)が割り当てられている。普通の偏ってないサイコロならp1=p2=p3=p4=p5=p6=1/6と考えるアレだ。「状態」と「状態に割り当てられた正の数」のセット、ただし数を全部足したら1。それだけ。この数が確率であって、これをコルモゴロフの(古典)確率論と言う。これは人間の直感にも合っててよく理解できる。
でも自然現象はめんどくさい奴で、物理的な「状態」、例えばなんかの粒子が位置xにいて速度がvですというな状態だけど、に対して正の数pを割り当てて「状態(x,v)が起こる確率はpです」という風に記述しようとするとどうしても上手くいかないんだな。何かもうちょっと巧妙な記述の仕方をしないといけない。そのために生み出されたのが量子論で、これが信じられないくらい上手くいったというのが20世紀の物理学の金字塔の一つなんだよ。でも量子論の構造はコルモゴロフ的な古典確率論とは大きく異なっていてあまりにも人間の直感に反するものだから(なにしろ「状態」はヒルベルト空間の元でそのノルムが確率ですなんていうものだ。しかも古典確率論と混在して状態が密度行列になったり、観測理論まで行くと作用素値測度がどうとか言い出すことになる)、その有り様をどうにか分かりやすく伝えようとして色々な寓話的表現が行われた。その代表格が(哀れな)シュレディンガーの猫という話。
それ量子の話じゃないからシュレディンガーの猫でも何でもないぞ
密封された容器に入った食品(例えば、レトルトパック)の賞味期限は、「賞味期限(開封前)」などと書かれていたりする。
しかし人間は、それを開封してしか賞味に耐えうるか観測できないであり、その点で上記表現は「シュレディンガーの猫」的だと言える。
つまり、開封前の賞味期限を記すことに何の意味があるのか?ってわけですよ。
その期限は語義上、開封した時点で何の有効性も持たないのだから、「開封前の賞味期限前に食べてみたところ、賞味に耐えうる味ではなかった」というシチュエーションが生じたとしても、
「ああそれは、開封『前』の賞味期限なんで、開封したら有効じゃないです」と言われるだけなので、結局は商品に記載する意味が無いように思う。
半々。 だから、シュレディンガーの猫は1/4で存在する。
NewsWeek日本版によると、インドで新型コロナウイルスの新たな変異株「デルタプラス」が「懸念される変異株」に指定されたそうだ。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/06/post-96559.php
かつてインド株と呼称されていた変異株がデルタ株であることは把握している方も多いであろうが、デルタプラス株とは何かNewsWeekの記事では説明されていない。
調べてみると、インドで2番目に発行部数が多いという地元英字新聞のザ・ヒンドゥーには既に3日前にデルタプラス株の解説記事が出ていたようだ。
ザ・ヒンドゥーによれば、デルタプラスはAY.1またはB.1.617.2.1と呼ばれていたもので、デルタ株(B.1.617.2)の変異株だそうで、これまでに143のゲノムがAY.1としてラベル付けされ、インド以外にもネパール、ポルトガル、スイス、ポーランド、日本、ロシア、トルコ、イギリス、フランス、アメリカ、カナダからも報告されているそうだ。
つまりネーミングから察せられた通り、デルタプラス株はデルタ株の変種であり、既に日本を含む多くの国で確認されていることになる。
(ここまで普通の内容)今後の状況推移が気がかりであるが、既存事例を参考に占ってみよう。(以降、大喜利)
●事例1「ラブプラス」
「ラブプラス」は恋愛ゲームとして異例の20万本を超えるヒット作となり、その後各種シリーズが製作された。
最新作となる「ラブプラス EVERY」は当初は2017年冬の配信を予定していたがクオリティアップを理由に遅延を重ね、2019年10月31日に配信開始された直後、不具合により一か月以上のサービス停止が発生したようだ。そして、配信開始から1年も持たずに、2020年8月5日にサービス終了となった。
この事例に則れば、デルタプラスも20万以上の患者数が発生する可能性がある一方で、1年以内に収束する希望が持てると言えるかもしれない。
●事例2「C++」
C言語の発展形としてオブジェクト指向が導入されたプログラム言語である。
ベースとなったC言語そのものも含め、多くの場面で現在も利用されている。さらにC#のような発展形も存在する一方で、JavaやPythonなども広く利用されており、開発言語として支配的な立場を維持し続けているわけではない。
この事例に則れば、デルタ株もデルタプラス株も長期にわたって相当数の患者を生むことになるだろう。加えて、デルタシャープのようなさらなる変種が一定の猛威を振るうリスクにも備える必要があるだろう。
●事例3「ラプラス」
多くの理系学問の基礎理論を支えるラプラス変換やラプラス方程式の人気はいまいちであるが、ラプラスの悪魔はシュレディンガーの猫と並び中二病患者に人気である。
このような背景を踏まえると、理系出身者は一定程度の抵抗力を有する可能性、または逆に親和性が高い可能性のいずれも否定できない。中二病患者が罹患した場合の重症化リスクも不明である。
見た側の一番良い線は、見た人間によって変わる。シュレディンガーの猫みたいなものである。
ということで色々理由を付けて迷っていたシンを(昨夜)見てきた。ありがたいことに良かったとも悪かったとも明確な感想は流れてこなかったので割とニュートラルには見られたのだと思う。ただ、否定的な意見もなさそうなので折り合いを付けたのだろうな、と。だからもう最後に「おめでとう!」とかやられても納得するぐらいの覚悟はしていたつもりだった。
だけどさああああああああああ。
もう今更、謎の新用語がわからんとかは言わない。だけど結局、これってコミュ障の親子喧嘩でしたって話だったの?それ旧劇でやったよね?まだネタバレ感想も考察も全く読んでない状態で全く理解できていないと思うけど、結局そこかよ?!しかもなんで今更ネオンジェネシスってタイトル回収してるの?テレビ放送アニメの最終回かよ。そんで結局やり直し?いやそれもテレビと旧劇でやったよな。あの学園編は最高だったな。そんで円環の理ってオタクはどんだけループが好きだと思われてるんだ。もうループとシュレディンガーの猫と粉塵爆発とバタフライエフェクトはそれだけで安っぽく見えてしまうので二捻りぐらい入れて欲しいわ。マイナス宇宙とか裏宇宙とかもうギャグでやってるだろ。解説音声付けて欲しい。
そしてラストシーン。
こっちは初回放送時が正に14歳ど真ん中、あれからもう25年、四半世紀経ったんだよ。シンジくんがようやく大人になったというのに俺は妻や子どころか恋人も居たこと無い小汚いおっさんになってしまったんだよ。
25年も経ったあとの総決算がこれですか。
シュレディンガーの猫ってそういう話じゃないけど…ネットにはこういうアホアホシュレディンガー解釈があふれているのでお前の頭がポンコツなのかお前が参照した情報がよくなかったのか分からんな
シュレディンガーの猫というのは、大雑把に言うと猫の入った箱に50%の確率で毒ガスを噴射するボタンがあって、そのボタンを押したときに箱の中の猫はどうなっているかという実験。
その答えは、蓋を開けてみるまで50%の確率で生きていて50%の確率で死んでいるというもの。
面白いのは、それが「そういう考え方」なのではなくて、それこそが「真実」だという点にある。
二重スリットの実験でもわかるように、世界というのは観測されるまで決定されないということこそが真理らしい。
にわかに信じられる話でもないし、未だにちゃんと理解できている話ではないけど、この「観測されるまでは決定されない」という考え方にとても衝撃を受けた。
それでどうなったかというと、物事全てを決めつけることをしなくなった。
いま世の中に起きていることを俯瞰して、大体何%くらい真実で、何%くらい嘘かを考えるようになった。
例えば陰謀論的なものがあるとすると、その理論そのものを正誤判定するというよりは、その周辺にある情報をもとに何%くらい真実だなという判断をするようになった感じだ。
言い換えると、自分の視界の外は常にもやっとした霧でうまっていて、全ての出来事は確率でしか存在していない。そこに目を向けたときにはじめて事実が決定されて、それまでは絶対に事実を知ることはできない、という感じの理解だ。
そうすると、何かを決定づけること自体が無意味だという考えになり、人に話をするときにも確率に関わる情報しか話をしないようになった。
自分の意見を求められれば、どれくらいの確率かは答える。しかし断定することは滅多に無い。
自分を取り囲む情報が変化すれば、当然確率も変化するし、そもそも確率でしか物事をとらえないので変化にもすぐに対応できる。
そういう話し方にやきもきする人もいるのは確かだが、そういう人とは反りが合わないのだろうとこちらからは気にしないことにしている。
それで割と行きていく上でのバランス感みたいなものが保たれているので、情報過多の世の中を生きていく上では割と大事なことかなと思っている。
漫画でいいだろ。
「頑張れ炭治郎!頑張れ炭治郎!僕も一緒になって応援していた。僕は彼のように頑張れるのだろうか。僕には弟がいる。弟がいじめられているとき、僕はこうやって立ち上がれるのだろうか。僕の兄さんは、普段は僕らに意地悪をする……もっと言えば虐めてくる側だけど、本当に酷いやつが現れたら僕らを守ってくれるのだろうか。分からない。きっと僕たち兄弟は本当に怖かったら逃げてしまうんじゃないだろうか?でも、もしかしたら立ち向かえるのかも知れない。その、シュレディンガーの猫みたいに重なり合う二つのもしかしたらのうちで、格好いい方の姿が炭治郎だ。僕らも炭治郎になれるかも知れない。その気持ちが、僕に素直に心から頑張れ炭治郎!と心のなかで叫ばせるんだ!頑張れ!頑張れ!誰かを守る時に僕の背中で炭治郎が僕に頑張れと叫んでくれたらどんなにいいだろう。そんなことは無いけど、僕の心の中では僕に頑張れ!をくれるかも知れない。だから今、僕は精一杯彼を応援する。この頑張れ!がいつか僕に返ってくるかも知れないと思いながら。そして、ただ純粋に炭治郎に頑張って欲しいから。頑張れ炭治郎!」
とかでいいだろ。
それじゃ駄目なのか?
理由は?
どこ住?
シュレディンガーの猫=観測するまで確定されない=観測するまでは可能性だけの存在で構わない=観測していない宇宙の大半は可能性の存在でしかない=可能性同士は隣り合って互いに干渉する=干渉した結果が生み出されるまでに時間差が発生する=それが宇宙のレンダリング速度であり光速の限界
お互いが光速に近い速さで近づこうとしても、レンダリング速度に限界があるために処理落ち状態=時間が歪む。
そう考えればドップラー効果も起こらないことになんの矛盾もない。
じつはビッグバンの正体って、それまで確定宇宙だったものが可能性宇宙に変わった瞬間なんじゃないかなって思ってる。
そうしたら質量保存の法則も成り立つ。
だって、質量が実際に増えてるんじゃなくて、可能性だけが増えているだけだから。
観測した瞬間だけ質量があると見せかけているだけで、じつは質量なんてものは存在していない。
実在していなくても観測ができればそれはもう実在と同じなんだよということ。
相対性理論も割と矛盾なく説明できると思うのだけど、どうでしょう。
ちなみに補足すると、レンダリングというか仮想レンダリングにちかい。
出来事の可能例の連鎖だけが起こってて、その伝播速度が光の速度の上限。
その可能性を観測しようとしたときに、実際のレンダリングが起こる。
これってゲームにも応用できると思うのだけどどうなんだろ。
これは広義でのシュレディンガーの猫ですか?