はてなキーワード: イオとは
9月9日の開幕戦から、20チームの激闘を見守り続けてきたウェブ・エリスカップ。
50日間の戦いの末に、今日、その所有者が決まる。
4年に1度のラグビーの祭典ワールドカップ、2023年フランス大会も、ついに決勝を迎えた。
47試合の末、ファイナルに駒を進めたのは、南半球、いや世界のラグビーの象徴・ニュージーランドと、ディフェンディングチャンピオン・南アフリカ。
開催国フランスの好調や、ランキング1位で乗り込んだアイルランド、フィジー・サモアなどのアイランダーチームやアルゼンチンの成長などで、勢力図の変化が噂される中で開幕した今大会だが、蓋を開けてみると、決勝はおなじみの最強同士の対戦となった。
ニュージーランドは開幕戦でフランス相手に1試合を落として以降は、圧倒的な得点力で対戦相手を沈黙させてプールステージを突破した上、準々決勝ではアイルランド相手に守備の硬さも見せつけて準決勝に進出。チーム初の優勝を狙うアルゼンチンに完勝して決勝まで勝ち上がってきた。
大会前までは仕上がりを不安視されていた黒衣の軍団だが、オールブラックスに関しては「史上最強」「完全な優勝候補」とみなされていたような大会の方が勝てないことが多く、今回のように「ぱっとしない」と言われる時の方が優勝を攫ったりする。
チームをみると、LOサム・ホワイトロックやSHアーロン・スミスなど、レジェンダリーなベテラン選手が活躍する一方、PRイーサン・デクラーク、ティレル・ロマックス、CTBリーコ・イオアネ、WTBマーク・テレア、ウィル・ジョーダンなど20代のプレーヤーも多く、ベテラン、中堅の経験値と、若手のエネルギーがバランス良くミックスされたチームになっている。
前大会で最強と呼ばれた世代の多くが引退した後、世代交代の最中で完成形が見えづらいままW杯に臨んだが、まさにこのW杯で成長したのかもしれない。
7週間にも及ぶ戦いの中で調子を上げ、持ち前の得点力だけではない守備の硬さ、意外とも言えるスクラムの強さも見せつけてきた。
HCのイアン・フォスターは大会後の勇退が決定しており、スーパーラグビーの常勝軍団クルセイダーズHCのスコット・ロバートソンにその場を引き継ぐことが決定している。
つなぎの世代と言わせず、このチームこそが最強のオールブラックスであることを証明できるだろうか。
対する南アフリカはというと、フィジカルバトルを得意とするチームが集まったプールBをアイルランド戦の1敗以外に圧倒的な強さを見せつけて決勝トーナメントに進出。
フランス戦、イングランド戦の2試合を連続の1点差で制して決勝に進出した。
優勝した前大会の時点で主力メンバーが若かったため、本大会でも優勝メンバーが残り、FWの安定感がチームを支えてきた南ア代表だが、なぜかこのチームに起こりがちな「完全な1本目のSOがいない」という問題に今回も悩まされ、重要な得点源のキックの精度などはイマイチとみなされていた。
そこに、負傷で代表メンバーから外れていたハンドレ・ポラードが、大会中に負傷したメンバーと交代して第4戦目から復帰。
ポラードはあまり華麗なパスを見せる司令塔ではなく、南アらしいキックとFW戦のタクトを振るのを得意としているが、この試合に望むリザーブのメンバーを見ても、南アがどういう試合にしたいのかが垣間見える。というかクッキリ見える。
SOはおろか、SHの替えすらなく、デクラークが負傷した際にはWTBチェスリン・コルビが務めるとアナウンスされるほど。
80分間、FWを惜しみなく使って身体を当て、キックで得点する気満々で、スプリングボクスらしい戦いでオールブラックスを迎え撃つ構えだ。
オールブラックスとスプリングボクスが戦えば、激しいフィジカルバトルに耐えてちょっとの差を掴み取るゲームになるしかない。
決勝のスタット・ド・フランスは雨。
身体をぶつけあうには絶好のコンディションだ。
どちらが「ちょっと」をモノにしてウェブエリスカップを掲げることができるのだろうか。
両国の国歌斉唱につづいて、オールブラックスが今大会最後のハカ、カパ・オ・パンゴを披露し、オールブラックス、ボーデン・バレットのキックオフで試合が始まった。
開始早々、大会を通して南アのスクラムを引っ張ってきたンボナンビが脚を痛めてグラウンドに倒れて負傷後退。
その直後の交錯でオールブラックスのシャノン・フリゼルがイエローカード。
自ボールをキープしてパスとランからゲインをねらうオールブラックスに対して、ディフェンスからキックを蹴らせ、受けたボールを蹴り上げて、キックで前進する南ア。
もとからお互いやりたいことをするとこうなるわけだが、南アがジリジリ前進できている。
フリゼルの反則で獲得したものにつづいて、オールブラックスを押し込んで序盤に2つ連続でペナルティを獲得した南ア。
ロースコアゲームで蹴り勝ちたい南アにしたら上首尾なゲームの入りだ。
オールブラックスがボールを回しながら前進してPGを返すが、南アはFW戦で圧力をかけてペナルティを狙い、PGを重ねて差を詰めさせない。
スコアで突き放されながらも、ゲームが進行するにつれボールをまわす攻撃で徐々に先進し始めたオールブラックスだが、雨の影響でボールが手元で滑り、掴みかけた攻撃のチャンスでボールを失っている。
そしてゲームの流れを大きく変える瞬間が訪れた。
28分にFLサム・ケインがハイ・タックルでレッドカードの退場。
前評判の低かったチームを獅子奮迅の活躍で牽引してきたキャプテンがまさかの決勝の舞台で一足先に試合を去ることになった。
荒れ模様前半はその後、双方がPGを重ね、南ア 12 - 6 NZ でゲームを折り返した。
試合としては前半の25分過ぎからオールブラックスがボールを保持した攻めで南アディフェンスを切り裂き始めており、圧倒されているわけではない。
しかし、ラインアウトの不首尾や、滑る手元、高く入ってしまうタックルなどで得点のチャンスを失うオールブラックスに対して、南アが手に入った機会に過大な結果を狙わず即座のPGで得点を重ねて6点差。
攻めがつながっているので、後半での逆転もあり得る点差だが、相手がそもそもロースコアを狙ってきている南アだなると話が違う。
それに、フィジカルバトルを狙ったオーダーを組んできた南ア相手に人数の不利を被ったのは大打撃だ。
南アにしてみれば、相手のミスに救われているところもあるが、それは要所でうまくプレッシャーをかけて、危機を切り抜け続けているという事になる。
この決勝でも当然のように発揮される南アの勝負強さは驚くべきものだ。
オールブラックスは不利を跳ね返して逆転のトライを決められるのか、それとも南アが得点以外でも前半につけた差を活かして突き放すのか。
得点の匂いがする猛攻だったが、この攻撃のなかで、今度はシア・コリシの頭が当たってイエローカードで退出し、人数のアドバンテージを失う。
後半頭で試合を決めるチャンスを逃した南アに対して、オールブラックスは人数の不利がないうちに攻め込んでいく。
ボール展開すればゴールライン間際まで迫ることができるが、オールブラックスとしては歯がゆいことにスコアまでに至らず、トライラインまで到達したプレーも、ノックオンでチャンスを失ってしまう。
全てがうまくハマる日もあれば、そのピースをはめる時に手がパズルの傍にあるグラスに当たったり、膝がテーブルの下を叩いたりする日もある。
それが起きているのが、4年間の努力の末のW杯の決勝の場で、相手が最後まで勝負を投げない南アだというのが最悪だ。
ズルズルと時間と勝機を失ういかけていたオールブラックスだが、58分、ついにゴールラインを破るトライを獲得。
ここで7点を取れば、ロースコアの試合で果てしなく大きい1点のアドバンテージを得ることができたところだが、決定力の高いモウンガのCVは外れて、リードを奪うまでに至らない。
W杯も残りは20分となり、ゲームの内容としてはボールを敵陣に運べているオールブラックスに傾きかけているのだが、勢いにのってひっくり返したいところで、雨の影響もあってかボールが手に付かない。
ゲームが動かないまま10分がすぎ、1本のPGが勝利に直結する時間になってきた。
オールブラックスはPG1本でも欲しい、南アは逆にこれをとって試合を決めたい。
試合を分ける攻防の中で、南ア・コルビの故意と見做されるノックオンでオールブラックスのPKとなり、またも試合をひっくり返すチャンスが訪れるが、ジョーディ・バレットの重要な1本が外れて1点差のまま。
1プレーで逆転できる1点差が果てしなく遠い。
のこりは5分を切り、最後の攻めのチャンスが巡ってきたオールブラックスだが、ここでも敵陣深くまで迫りながらノックオンでボールを失う。
残り10秒のスクラムに最後の希望をかけるも、必死で守る南アにボールをラインに押し出されて、試合終了を告げるホイッスル。
最終スコア
降りしきる雨、試合開始直後の負傷退場やイエローカード、両キャプテンの反則退出、度重なるハンドリングエラーなど、双方にとってゲームは思惑通りに進まなかった。
しかし、オールブラックスが何度も訪れた逆転のチャンスを悉く掴み損ねたのに対して、ひっくり返されそうになった南アは、諦めずに自分達のするべきことに徹して耐え抜き、ゲームを決める「ちょっと」をものにした。
大会前はアイルランド、フランスなどが見事な戦績を積み上げ、南アもNZも今回は圧倒的な存在ではないと見做されていたが、両チームは大会の中で成長しながら決勝まで辿り着いた。
そして、歯を食いしばりながら薄氷の勝利を積み上げた南アは、なんとこのW杯の決勝トーナメントの試合全てを1点差の勝利で勝ち抜いて、ついに連覇のウェブエリスカップを掲げる最後の勝者になった。
この大会は前回大会から8年間、時代の主役だったプレヤーたちの多くが代表を去る。
ウェールスのダン・ビガー、アイルランドのジョニー・セクストン、ニュージーランドのアーロン・スミス。
日本代表でも年齢的に堀江などは次の大会で見られないかもしれない。
選手が入れ替わるだけでなく、大会のレギュレーションも見直され、次のオーストラリア大会からは出場チームが24に拡大される。
時代の終わりに少しの寂しさがある。
でも、次の時代の準備はもう始まっている。
自分の話をさせてもらうと、今回は大会が始まる前までレビューを書くか迷っていた。
前大会は日本開催で多くの人が試合を見ることが予想されていたのに対して、今回はフランス開催で試合もリアルタイムでは観戦しづらく、日本代表の苦戦も大会前から予測されていた。
また、自分自身この夏から本業が急に忙しくなったので、1ヶ月半以上毎週レビューを書くだけの気力が続くかという心配もあった。
ただ、やはり4年に一度しかないからと、初戦のチリ戦からレビューを書き始めると、まだ待っていてくれていた人からの応援のコメントや、他の試合をみたトラバなどが寄せられて、ともにラグビーの祭典を楽しみたいという人がいたことにとても支えられた。
(あと、本業の厳しい局面でも「リーチ・マイケルや堀江もあんなに頑張ったしな」なんて思って自分を奮い立たせたりもした)
「ラグビーを見る人の楽しみに少しの助けになりたい」と始めたことが、皆の支えでやり切れて、自分自身がこの4年の集大成を、そして時代の変わり目をしっかり目に焼きつけられたのは感謝の気持ちでいっぱいだ。
ラグビーは身体のぶつかり合いが特徴のスポーツで、試合の感想を語ろうとすると「フィジカルに圧倒された」という話になりがちで、それ以外だと「反則が多かった」「あの選手のあのプレーが」という結果の一部だけを取り上げた議論になってしまう。
このレビューを書く上で意識していたのは、結果の現象だけでなく、双方のチームがどういう強みとプランをもって試合に臨んだのか、キックオフなどのゲームの状況が基本的にどちらに優位に働くのかなどに注目して、「なんとなく身体能力で負けた」「多分ミスで自滅した」「全力を尽くして感動した」よりもう少し理解度をあげて、とはいえ1つのサインプレーなどの細かい話に入りすぎて全体像が見えづらくならないようにと思って書いていた。
自分はいちファンにすぎないので、長年のオールドファンを唸らせるようなレビューは書けないと思っていたけど、日本代表の試合だから見てみようと思った人に、今回少しでも役に立てたなら嬉しい。
もう一度、みなさんありがとう。
最後まで書き切れたのはみんなのおかげです。
またどこかで、会いましょう。
手帳も年金ももらっていないが診断済み、処理速度ひくめのかわいい無職のアラフォーだ(実家暮らし)。
私の持ってるかわいい欠点は多動というより先送り癖が強くて、髪の毛を洗うのに3日くらいかかったりするところ。な?くさそうでかわいいだろ?
あと古着をヤフオクやメルカリで売って糊口を濡らしているが、今年のはじめに夏物の柄シャツを買ったのに出品する前に夏が終わってしまった。
これは私の想像だが太宰も夏物の着物をもらったものの着ることなく秋がきたんじゃないかと思う。私だって夏前に出品するって思ったし。結果そうならなかっただけだし。
精神科に通って20年、診断が下りて2年、どうにかしたいというよりは新しい薬を試してみたいって好奇心で主治医に「わさわさ〜?」って聞いてみた。ドクターはどんなことで困ってるの?というので上記のような話をしたら出してくれた。
んで今週の月曜の朝、飲んでみた。溜まってた古着が目に入ったのでセットを組んで撮影をした。午前中に作業が進むなんてほとんどなかったから自分でもびっくりした。
「あー、アレやんなきゃなぁ…」
みたいな気持ちが
「なんかアレ、やっておこうかな…」
くらいに能動的になった。
あとは家から出る時に何度も戻らなくて済むようになった。今までは細かい忘れ物が多くて玄関とクルマの間を2、3回往復してから出かけていたけど、靴を履く前に必要なものがポケットに入ってる。
頭の中が静かになったりはしていない。ずっと脳内で私が喋ってるのは変わらないのだが、どんどん悪い方向や嫌な過去を掘り起こす感じはなくなって「えー、まぁ…そのぉ〜、んーと…ですから、いや、というよりは…」みたいに何かを話そうとして話せないみたいなまとまらない思考が回っている。それが気持ち悪いっちゃ気持ち悪い。前みたいに嫌な気持ちに支配されて爪を噛むような自分もかわいかった気がしてくる。まぁ今も掛け値なしにかわいいのだが。
何が言いたいかわかりにくいだろうがこれは私からコンサータに送るラブレターだ。(個人的な定義で申し訳ないが好意を伝達するメディアではなく、気持ちを認めた文字列のことを私はそう呼んでいる。)あなたのおかげで20年間追い求めてきた「ちょっとだけマシな状態」が手に入った。
何かが変わったわけじゃないし、IQは低いままだし、今も金に困っている。父の介護、母の介護、水はすでに膝下まできている。
未来は未だ夜明け前だが「ちょっとだけマシ」を積み上げていけばいずれマシマシになれるかもしれない。そうなればオーデイオーナイマシマシエブリデイだ。
いやー、薬とか脳内物質ってすごいね。何が本当の自分かわかんなくなっちゃうよ。まぁ偽物の私も比肩するものがないほどかわいいのだが。
いやー俺は「どういうことですか」って聞くけどね でも何が都合が悪いんだか、絶対答えてくれずになんか怒り出すんだよなあ 自分の発言なのになんでかなー()
どう見ても相手を煽って怒らせてる(もしくは相手が怒ってると決めつけてる)タイプだろなって感じだから「シーライオニングだろ」と言ったんだけど、
それを増田は「今のこのやりとりがシーライオニングだと言われているんだ」と勘違いして「まだ1ターンしかやりとりしてない」と返したわけだ。
こういうのがまさに日本語が読めてないやりとりというか、思い込みで解釈してガーッと暴走してしまう例なんだよな。
もちろん「はいシーライオニング」というレスが言葉足らずなのも原因なんだけど、
そこで前言どおり真面目に「どういう意味?」とか「どこがシーライオニングなの?」と聞き返せばいいのに、
「1ターンでそう言われると質問=悪になっちゃうよ いいの?」みたいな煽りたいあまりちょっと意味不明な返しをしちゃう。
典型的だよな。
ある人は黙示録を読んで予言の書だと考察するし、またある人は少年漫画を読んでこれはボーイズラブだと解釈をします。
今話題になっている介護されたいオタク騒動も、「自分は歳だから介護にみえちゃうんだよね〜」という個人の感想だったら良かったのですが
「これは身の回りの世話をしてほしい高齢オタクを狙った作品ですね〜上手い!」
などという他人へのレッテル貼りに終始していてファンに対しても作者に対しても失礼だと思ったのでこのエントリをあげました。
英語圏最大のオタクコミュニティに MyAnimeList (MAL) があります。MALにおいてもフリーレンは人気で、現在放映中のアニメ210(注)作品中で2位、スコア8.93と高評価をつけています。フリーレンの登録者数は21万人。
MALにおける面白い機能の一つに Rcommendations があります。これは「このアニメが好きならこっちもおすすめだよ!」という作品をユーザーが自由に登録できるシステムです。つまり Recommendation に何が登録されているかを調べることで、フリーレンがどのアニメに似ているとユーザーは考えているのかを知ることができます。
以下、 Recommendation に登録されていた作品一覧です:
ヴァイオレットは戦場で大切な人を失った。兵器として育てられた彼女には、その最後の言葉は理解できないものだった。
戦後、手紙を代筆する仕事に就いたヴァイオレット。人々の手紙を通して様々な愛の形に触れていく・・・
ある日、地上に”球”が投げ込まれた。その使命は地球上の全てを記録すること。球は”不死”と名付けられ人々と共に生きていく
弱く愚かで、時に間違いながらも懸命に生きていく人々。不死の目線から数千年にわたり人類を見つめ続ける。
一人々はあまりにも弱く無力な命たち。それらはやがて集まり歴史となり、伝承となり、文明は紡がれていく・・・
3users 以下は作品数が多すぎるので勝手にカテゴリ分けしてまとめました:
TRIGUN (1users)
魔女の旅々 (3users)
キノの旅 (3uers)
蟲師 (2users)
狼と香辛料(1user)
少女終末旅行(1user)
魔法使いの嫁(2users)
鋼の錬金術師(1user)
以上をまとめると多分こんな感じでしょうか:
(ヒンメルとフリーレン)
必ず置いていかれる運命のエルフと人。それでも人と関わり続けようとするエルフ
魔法の設定周りが魅力
あまり使いたくない表現ですが萌え豚アニメではなく、質アニメとか癒し系アニメ寄りの傾向があります。
kou-qana 逆に、介護されて楽しい!って作品あるんだろうか?介護ほどでなければおにまいとか?あのフリーレン評のお世話され願望説、賛否はともかく何を指してるのかピンとこない…オギャり欲を指してる?
そう、そこが気になっていました。介護されたいという願望がピンとこないんですよね
misafusa 無自覚を検証したらそうなったという話だろうから、本人が『介護物』と捉えているかどうかはこの際無関係。なんかボーッとしてるけど実はスゴい主人公が若い弟子に面倒をみてもらう話を『介護物』と定義しただけで。
楽園の魔女のエイザードとかか・・・ でも、あの手の魅力は「普段はダメそうなやつがいざという時ギラっと強くなる」というところにあるので、お世話してもらいたい欲とは関係ない気がします。弱いエイザーどんとか、頭の悪い後藤隊長とか嫌でしょ?
あーーロキシー先生か・・!あの無表情(?)具合もたしかに・・・
見当違いだったらごめん。ハガレンもどこに入れたらいいかよくわかんない
versatile ここは、BLAME! でしょ!w
お芋をいただいたのサツマイモよ。
猿山のお猿さんのご飯にサツマイモたくさんリアカーから供給されるのを見ると、
サツマイモって生でも美味しいのかしら?って私も思っちゃうけど、
あれってとても美味しそうに見えるじゃない?
でも
食材に火を入れることで、
その栄養価の高さから爆発的に大幅に活動範囲を広げられて地球各地にそれなんてサツマイモ?ってサツマイモの分布地は世界中にあるようにと言っても適当なことを言ってるからソースもデータも花も飾る言葉もないぐらいそれなんて居酒屋木の実ナナアンド五木ひろしって感じなんだけど。
さて困った
私はこのいただきまくりまくりすてぃーのサツマイモをどうしようかしら?って
1本もらったとて、
どう調理して良いのかそれなんてリンナイガス器具?って思うけど
私はこないだ新米をもらった矢先だったので、
なんでも粥にしてにてしまえば、
調理したことない食材でもリンナイガス器具の火力の前には全て粥になるのよ!
見ろ!米が粥のようだ!って褒められるぐらい上手に出来ると良いな!
はい、
「手軽さと簡単さと食べ応え強さ」を元に
今回衣は多少ちょっと食べ応え強さを増し増しにすべく、
鶏の挽肉なんかもちょっと追加ね。
レシィピはいつも通り
0.5合のお米に
ちょっと固めのと言うことでお水少な目ね。
そんで、
沸いてきたらコトコトコトコト弱火で20分!
味付けはお塩小さじ半分弱。
もうこれだけね。
鶏ひき肉のパンチとサツマイモの甘みが絡み合って深い味わいを出しているわ。
お粥ってあんまり具材が多くなると逆に美味しくなくなる境界線があるので、
すっかり忘れていたけど
気が向いたらお粥が捗る季節になっていただなんてもうなんて秋の祭典スペシャル?って思うぐらいお粥が捗るわ。
結構さー
お鍋でお粥を作るばかりになっているわ。
多いと言えどもどんなに食べてもご飯1合もないので
これは秋の食べ過ぎ要注意警報発令にもとずく食べ過ぎを防止するためにも
意外とサツマイモ初登場だったけど
良い仕事していたわよ。
もうその選択肢はサツマイモかジャガイモかぐらいしかないけれど
ジャガイモでも成立するか試してみたいところだわ。
うふふ。
昨日半分夜ご飯にいただいたサツマイモのお粥を残りの朝食でいただく、
炊いたあとの冷えて味がしっかり固まった感じがして、
味わいが深い様な気がして、
涼しくなってきたので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
鳴く梨がジアとイオしかないように私にはまだ他に増田もあるわよって言いたいところだけど本当に臭覚と味覚がないなんてもはや人生の8分の5チップを失ったようなものだと思える山脈に向かってヤッホー!って叫ぶわ!
って違う違うそうじゃないの!
そう言っちゃいそうな今日この頃。
昨日熱が出て一応コロナとインフルエンザの検査をしてきて陰性だって話しをして安心しまくりまくりまくりすてぃーって事だったんだけど
なんか気付いたら
匂いがしないのよ!
プレーンホッツ白湯ウォーラーの匂いも!ってこれはもともと無臭よりのホッツだけど。
いや本当に匂いも味もしないのよ!
あの口腔内に直撃する歯磨き粉のグリーンミントがペンギンなクールミントの香りですら無風!
もの食べても味がしないのよね。
味がまったくしないわけでもないけど、
味が遠くにいるって感じ!
そうは言ってられないのよね。
これってやっぱり実質コロナ?ってこと?の症状?なのかしら?誰かエロい人教えて?って感じ。
まったく本当に匂いが無くなるとは!
変な感じよ!
そう言えばさ
昨日熱が出ていたときに冷たい緑茶ウォーラーを飲んで冷たくて美味しい!って思っていたけど
その時からすでに味がしていなかったような気がするの。
あれもしかして
鼻の奥の臭覚ボタンをリセットされたから今まで生きていた匂いのデータがリセットされたのかなと思ってまた匂いデータを学習し直すの?って
よくさー
ボールペンとかの細いところで刺してリセットする機器ってあるじゃない。
あの方式!
コロナとインフルエンザとで合計4回も耐え抜いたゆえの臭覚リセット現象かと思ったけど、
鼻の奥にそんなボールペンの先で押さなければいけないほどの小さなリセットボタンってあるのかしら?
鼻から抜ける食べたときの美味しいさのポイントとして臭覚も重要なんだな!って思うから
多分ルービーとか飲んでも美味しくないのかも酔うは酔うのだけれど、
これからどうなるか自らが出て自分を観察していきたいところよ。
そんで、
熱は下がったし喉は痛くないし咳も出ないし。
私だけ世界から独り取り残された感じの美味しいカラ揚げとルービーも美味しく味わえないと思うそんな世界なんてルービー飲みながらゲームするのが楽しいんでしょ山脈に向かってヤッホー!って叫ぶわ。
でも逆に考えたら
酔うは酔うけど美味しく楽しめないのならルービー飲む必要も無いしカラ揚げも食べる必要ないからダイエットチャンスかも!って思うけれど、
味はしなくとも何かを食べなくてはいけないのよね。
味がしない匂いがしないからって食べ物を食べなくていいそんな食事なし生活はあり得ない不健康よね。
こう言うのって
ヒットポイントが減った!とか
マジックポイントが減った!とか
この場合どちらでもなんか上手く当てはまらないようなロールプレイングゲームのステータスの異常ってどう表現すれば良いのかよく分からないそんなパラメーター異常なのよね。
SAN値は違う?
なんかミルクボーイさんみたいな、
なになにと違うかーって彷徨っているけれどそんな感じで
私の失った味覚と臭覚を取り戻す旅に出たいと思うわ。
なんかこれって物語性があって楽しめそうじゃない?
違うかー?
うふふ。
ホッツヒーコーにミルクたっぷり入れて飲むのをいただいたんだけど
上記の通り
ただただ牛乳はその栄養価の高さから牛のミルクと言われている栄養を摂取している作業とでしか感じられない感じよ。
シュワシュワの感じは爽快なんだけど
あれは味覚でも臭覚でもなく
どちらかというと物理的な炭酸の泡の弾ける物理的な刺激だからまだましなのかしらね?
本当に臭覚と味覚を早く取り戻したいわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
大学在学中はSFに飢えていて、「AKIRA」とか「エヴァンゲリオン」とかを観ていたのだけれど、「ラーゼフォン」にはハマることができなかった。問題は長さなのではないかと思い、26話も見る必要のない映画を手に取った。
この作品が好きだったのは、クラークやイーガンが好きだった自分が求めている、別の惑星の風景描写があったことだ。僕が映像作品を評価するのは、どれくらい思いがけない風景を見せてくれるかだ。火星の大地や、木星とイオのあいだにかかる雷の橋が美しかった。ヒロインからの携帯メールにも確かクラークへの言及があった。
また、日常の美しさを切り取った言葉を、詩のようにつなげていくアニメを見たのは初めてで、そこも新鮮だった。
敵方の宇宙人が、鏡像となって話しかけてくるところなど、露骨にエヴァの影響を受けているし、詩的な文章も村上春樹のフォロワーに過ぎないと感じはしたものの、この監督の作品をもっと見てみたいと感じた。
「僕と彼女の猫」は忘れてしまった。珍しく自分が好意を寄せている女性視点の失恋の話だった気がする。
僕が好きな要素がとにかく詰まっていた。架空の歴史、知的に早熟だけれども情緒的には年相応の少年少女、そして天にそびえる真っ直ぐな塔。東京からも見える北海道のメガストラクチャーという、自分の想像力をはるかに超えた世界を見ることができた。
もちろん、欠点もあった。ヒロイン・佐由理を救うか世界を救うか決断を迫られる主人公・浩紀は、セカイ系の典型例に感じられて冷めてしまったし、あと、これは前にも書いたのだけれど、主人公のやっていることはテロリズムの肯定だ。
テロ組織の名前も、北海道を手に入れるためなのにアイヌ解放戦線じゃなくて、サハリン・樺太の先住民族ウィルタ解放戦線だ。ヒロインの祖父の名前ツキノエはアイヌ系の名前だが、そこには一切触れられないし、朝鮮半島のように南北に別れた家族の悲劇は、ごくわずかしか触れられず、プロットには絡んでこない。つまるところ、政治は装飾でしかない。いいのか。
にもかかわらず、この作品を好きになってしまった。アニメで精密に描かれた東京の景色は、当時の僕の生活圏とかぶっていた。自分の暮らす世界の彩度を高めた景色は、ぐずぐずとした感傷に僕を引き込んだ。何にもでもなれると、まだかろうじて思い込めていた頃だった。
そして、テーマ曲があまりにも切なく、これがずっと頭の中で流れ続けていた。過剰なまでに作中で繰り返され、露骨でさえある。しかし、悔しいけれども切ない気持ちになるのをやめられなかった。ラストで虚無に飲まれる北海道の美しさで息をのんだ。
自分の青春に満足できていなかった僕は、この甘ったるいテーマ曲の映画に呪縛されていた。批判しつつも、フィルムブックとノベライズを買ってしまうほどだった。これが感傷マゾなのか。
退屈さを感じる場面や、冗長な個所もあった。でも、日常の風景を美しい色合いで描くアニメを他に知らなかった。第2話冒頭の、貴樹が空想する巨大ガス惑星が空にかかった惑星の風景は、僕が創作していたSF小説の舞台として何度も用いた。
そして、第3話で流れた「One more time, One more chance」ですべてを持っていかれた。ヒロイン・明里と結ばれないラストを見て「そうなんだよ! これこそが人生なんだよ! はっはっは!」と快哉を叫んだ。「鬱エンドだ」「悲しい」と言っている連中を笑っていた。なんてこじらせた大学生だったんだ。これもノベライズを買った。
振り返ってみれば、主人公はいつまでも明里の幻影に惑わされており、サーフィン少女・花苗の気持ちにちゃんと向き合っていない。独り身の期間が長かった自分は「応えてやれよ!」とあとになって思ったものだった。そりゃあ、思春期だから初めての感情ばかりで、あまりにも未熟で、だから人間関係で目も当てられないような失敗を繰り返すんだけれど、「結局お前モテてんじゃん!」と怒りが湧いた。
後に、貴樹をはじめとした新海アニメの主人公たちはどうやって童貞を卒業したのかな、夜のお店かな、などと根拠のまったくない最低な空想をするようになってしまった。自分がそうだったからって投影するなよ。
統一感のない固有名詞(※僕はファンタジーで名前を付ける際には一貫性が必要だと信じている。だからアルカンジェリ、ケツァルトル、シャクナ・ヴィマーナと複数の言語圏から安易に引っ張ってくるのを良しとしないし、文法的に怪しいヴィータクアやフィニステラという語も納得できない)、ジブリの表層だけをなぞったような描写、主人公・明日菜が地上世界と地下世界の両方の血を引いているという重大な設定が劇中ではほとんど描写されないなど、自分が気に食わなかった点は多数あるが、最大の問題点は悪役の森崎(ムスカと揶揄される)のサブプロットのほうが面白く、新海誠が思い入れを持っているように感じてしまったところだ。
愛するものの喪失を受容せず(子の喪失ってキーワードも村上春樹フォロワーっぽい)、代理品や依り代を求め、神々なり悪魔なりと契約する姿は碇ゲンドウともかぶり、なんにせよ強烈なキャラで、明日菜を食ってしまっている。いっそ明日菜いらなくないか?
冥界をめぐり、禁断の知識の代償として盲目になるのは神話的でちょっと良かったけどね。
しかし、作者の意図や性癖が透けて見えるというのは一方的に親しみを感じる契機でもある。不完全にゆえに見透かせるものがあり、理解者になれたと錯覚できてしまい、結果的に作品を愛してしまうことがある(※これは新人賞を取った作品を読むときもそうなんだけど、「作者はこういうことをやりたいんだろうな。なら、ここをこうすればもっとよくなるだろうな」と考えつつ読むことが多い。創作をしていた人にありがちなことなのかな?)。
言いたいことはたくさんある。
けれども、最大の欠点は「何でもかんでも台詞で説明してしまうこと」だ。
最後のタカオとユキノが見つめあう場面で、高まった気持ちをぶちまけるのだけれど、音楽と映像がうるさいなので、台詞なんていらない。
新海監督は文章を書く能力はあるのは認めるけれども、「説明は小説でやれ」と感じる。「なんでも説明するのをやめてくれ、映画の受け手を見くびるな」とも感じた。
そして、鮮やかな色彩がわざとらしく感じられ、反発を覚え始めた。
ただ、この頃から日本の古典を扱いだしたのは嬉しい。ささやかな愛国心が満たされる。
僕は海外文学が好きなので、逆に外国の人に日本の詩を知ってほしい。
観ていない。
「言の葉の庭」の一件もあったが、ハッピーエンドになったということを聞いて、寝取られ性癖(というかBSS、「僕が先に好きだったのに」?)を抑える優秀なプロデューサーがついたんだな、とシニカルに考えていた。売れるようになった、大ヒットを飛ばすようになったとも耳にして、新海誠が自分からどんどん離れて行ったように感じた。そして、もう二度と新海アニメを見ることはないだろうと思った。友人や尊敬するSF作家が見ていると聞いても、耳を塞いでいた。
「君の名は」の予告の「スカート注意、男子の目線!」といったセリフにも、新海誠の性癖が透けてみるのだけれど、徐々に作者のあけすけな欲望に対して嫌悪を感じるようになっていた。
これは男子高出身の僕がそうだからかもしれないけれども、僕には、男性監督が女子高生をじろじろ見て偏愛していると気づくと、鬼の首を取ったかのように指摘してやりたくなる悪癖がある。岩井俊二の映画を観たときもそうだし、「ラストレター」を観たときは「俺を振った女は不幸になればいい」という怨念を感じた。庵野秀明が俳優やってたのはめっちゃ面白かったけどね。
ある女性が新海アニメが好きで、じゃあ一緒に見に行こうということになった。ただし、彼女が好きだったのは「君の名は」以降だった。
「お手並み拝見」と思いながら(なんだかんだで楽しみにしていた一方、不安でもあった)観てみると、極めてまっとうな少女の成長映画になっていて驚いた。
被災者のすずめが「死ぬのなんて怖くない」と言っていたのが、逆に震災の記憶と向き合い、心底死を恐怖し、逆に生きる実感を取り戻す構成が素晴らしかった。自分を助けに来た謎の女性が自分自身だったってのも良かった。周囲の支援が必要なのはもちろんだけれども、傷付いた自分を癒すためには、どこかで自分の力を信じて自分の足で立ち上がらないといけないのだ。
ロードムービーとしても優秀だし、周囲の人々が善意にあふれてすずめに手を差し伸べてくれたのも、叔母の環が思わず激高して負の感情をぶちまけるシーンのための溜めだと感じ、よく計算された素晴らしい脚本だと感じた。
今まで肯定的だった(あるいはマスコットでしかなかった)猫が、ダイジンという善悪の不明な存在になったのも面白い。
今まで別の災害という形で間接的に東日本大震災を扱ったと聞いていたが、正面から向き合ったのはとても立派だ。このタイミングでなければできなかっただろう。
恋愛要素を薄めたのも大正解。「シン・エヴァ」を観たときみたいに、「監督は大人になったんだな」と感じた。
それでも無念な個所はある。人口が希薄になった土地を神々に返すというモチーフと、地震を封じる要石というモチーフが、完全に噛み合っているわけではない(人口が減少している時代だから出てきた発想では? なぜそこから厄災が漏れ出る?)。少しぶれている。また、震災は人力で防げる、つまり東日本大震災は防げた、という誤った読解を誘発しかねない面もある。
あとは、震災の描写がリアルだし、緊急地震速報が頻繁に鳴るので、観ていてずきずきと頭が痛み、かなり気分が悪くなった(御茶ノ水近辺も学生時代生活圏内だったし)。昔は「アルマゲドン」みたいなパニック映画で大都市がぶっ飛ばされるのを見たり、「地球大進化」の大隕石で地殻津波が起きて日本列島が引き裂かれるのを見て気分爽快になっていたのだが、ある時点で感受性が「まっとう」になってしまったらしい。
ところで、この作品は村上春樹「かえるくん、東京を救う」のオマージュだとよく言われるけれども、「海辺のカフカ」のパロディも仕組まれている。東北まで中古車でドライブする芹澤青年が車内で流すのが「夢の中へ」だが、「海辺のカフカ」でも星野青年が何を探しているのかもわからない中田老人を連れて車で高松をドライブしながら、「探し物は何ですか~」と口ずさむのだ。誰か気づいてないかな。
そのくせ、村上春樹はオマージュにとどめ、影響下からは完全に脱しているように感じた。
疑問点。すずめの三本足の椅子、過去の自分に手渡されたことで、時間の輪っかをめぐっていないか?
どの作品かは伏せるが、主人公が僕の名前と同じで、ヒロインから名前を呼ばれるたびに恥ずかしいくらいに動揺してしまった。
当時流行っていたラブプラスをやっていたら、おそらく引き返せないことになっていただろう。
あと、「すずめの戸締まり」に関するウェブ記事で、新海監督が#MeTooのこともあるしパンチラを封じたと聞いて、機を見るに敏だなと感じ、何となく気に食わなかった。正しい判断だと思ったけど、商業性に屈したようにも感じたのだ。正確には、「雲のむこう~」みたいに政治的を雰囲気に使うのをやめたのが、なんとなくタイミングが上手すぎて、逃げ足の早さを感じるのだ。
でも、とっくに青春コンプレックスこじらせオタク向けのクリエイターから、国民的監督に変わってしまったのだ。寂しい。あんなこじらせた作品を書くのに既婚者なのも納得できない時期があった。
こういったことを、友人に対してつらつら語っていたら、「それはお前、もう立派なアンチだよ」と指摘された。「アンチじゃない、愛情と憎しみの両方を持っているだけだ。複雑な感情をも抱えているんだよ」と反論すると、「お前が複雑な感情を抱えていない対象なんてあるのか」と笑われた。ひどくない?
これだけ複雑な感情を抱えているので、「君の名は」「天気の子」を見るのがずっと延期になっている。諸般の事情でラブコメ苦手だし。