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2024-02-17

悲報性犯罪者が“トランス”と性自認する数は通常の「2倍」 

https://fumumu.net/428090/

イギリス政府が行なったある調査によると、性犯罪収監された男性受刑者は、ほかの犯罪歴を持つ受刑者の“約二倍”「トランスである」と性自認することが明らかとなりました。

ボストン茶会事件では、342箱の茶箱が投げ捨てられました。この茶箱には、およそ46トン以上のお茶葉が詰まっていました。

ボストン茶会事件は、1773年12月16日の夜に起こりました。アメリカイギリス植民地だった時代に、イギリスによる紅茶税や東インド会社紅茶特権に反対するボストン植民地が、ボストン港の3隻の紅茶船を襲い、紅茶を投げ捨てた事件です。

この事件によりイギリス政府のアメリカ植民地弾圧は厳しくなり、やがて1775年武力衝突となり、アメリカ独立きっかけとなりました。

2024-01-17

これ初動の記事から追っていくとBBC含めてだいたい富士通のせいって感じでイギリス政府郵便局問題ないみたいな論調になりだしてて草

2023-12-24

anond:20231224114244

トランス先進国のはずのイギリスでもセルフIDは終わったしなぁ

よく調べずに乗ると梯子外れそうやね

https://twitter.com/YamakenIC/status/1737253684764103094

スコットランド議会で、診断も何も無しで申請だけで法的に性別変更できる法案GRRが可決した事に対して、イギリス政府拒否権発動したのは合法スコットランド裁判所判断した事について、スコットランド政府控訴しないと決めた

2023-12-20

朗報イギリストランス、終了

https://twitter.com/YamakenIC/status/1737253684764103094

スコットランド議会で、診断も何も無しで申請だけで法的に性別変更できる法案GRRが可決した事に対して、イギリス政府拒否権発動したのは合法スコットランド裁判所判断した事について、スコットランド政府控訴しないと決めた

2023-10-17

シオニズムはザイオニズムとも表記され、英語発音後者である

イギリス政府は、ユダヤ資本との繋がりが強く、拡大に貢献してきた

英国ジャマイカボブ・マーリーが言ったレゲエザイオン神の国)も語源は同じで、左翼的な国を言うようである

しかしある種の帝国主義カルトではないか

左翼強権主義右翼統制主義効果としてあまり違いがない

統制のために、法律武力(あるいは医療)のどれを使うかの違いにすぎないように思える

強権政権固定化やすいかメディア性質にもよる

2023-10-11

anond:20231011121558

ファイサル・ヴァイツマン合意

https://www.un.org/unispal/document/auto-insert-207006/

"Provided the Arabs obtain their independence as demanded in my Memorandum dated the 4th of January, 1919, to the Foreign Office of the Government of Great Britain, I shall concur in the above articles. "

19191月4日付でイギリス政府外務省に宛てた私の覚書で要求されている通りにアラブ人独立を獲得するのであれば、私は上記条項同意するものとする。」

Memorandum by the Emir Feisal, January 1st, 1919

https://en.wikisource.org/wiki/Arab_Memorandum_to_the_Paris_Peace_Conference

よー分らんけど第一次世界大戦後に委任統治領ポコポコまれる状況は認めないだろう。

1月4日付が本当は1日だったり(そう解釈しないと他に当てはまる文書はない)はするけど、

誰が見てもファイサル・ヴァイツマン合意無効だろう。

ファイサル・ヴァイツマン合意は俺も浅学で知らんかったか勉強なったけど、

あのー、なんだろう、嘘つくのやめてもらっていいっすか?w

2023-10-04

悲報中国原子力潜水艦自軍が仕掛けた罠に引っかかって沈没

ソースhttps://www.thetimes.co.uk/article/china-kills-own-sailors-with-trap-set-for-us-and-british-vessels-75wdfkc2p

 

関連:

 https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2023/08/post-102482.php

 https://www.dailymail.co.uk/news/article-12589429/chinese-sailors-trap-yellow-sea.html

 http://www.mod.gov.cn/gfbw/wzll/dbzq/16004988.html解放軍報艦長薛永鵬について)

 

内容:

8月21日に、中国原子力潜水艦「093型(商級)攻撃原子力潜水艦」(東部戦区所属艦長・薛永鵬)が黄海沈没。乗組員55名は全員死亡したものと考えられる

アメリカイギリスその他のアメリカ同盟国の潜水艦をはめることを目的とした罠に引っかかって沈没

("The submarine hit a chain and anchor obstacle used by the Chinese Navy to trap US and allied submarines."(デイリーメール))

中国政府公式には沈没事実否定

台湾国防部報道否定。「台湾国防部報道官は、[8月]22日に台湾報道機関が放送した定例会見の中で、台湾の軍と政府潜水艦事故があったという証拠を入手しておらず、一連の報道の裏を取ることはできなかったと述べた。」(newsweekjapan.jp。[]内は筆者補う)

タイムズデイリーメール報道は、イギリス政府から漏洩したとされる機密扱いの報告書に基づく

 

2023-10-02

プーチンロシア武力美化のプロパガンダが巧み

バイデンウクライナ支援予算を得るために政府を閉鎖する寸前だった

ゼレンの戦域拡大方針が報じられたり、ファインスタイン死亡やミリーの辞任など、何かが少し動いたが

イギリス政府派兵決定の助け舟

  

英語圏ロシア語圏に武闘派がおり、EUアジア傀儡政治家を見ている

ドイツアジア圏も第二次世界大戦まで、武闘派に振り回されてきたんじゃないか

2023-08-05

anond:20230805115813

イギリス政府規制したんだよ

まぁ規制はどんどん厳しくなると思うよ

性犯罪は顕著に増加してるから

2023-06-11

ノエル・ギャラガー写真久しぶりに見たわ、なんか歳とったな。当たり前か。最初から若々しい感じは無かったし。

そして昔からあんまり変わらず直立不動で歌って、イギリス政府への不満を漏らす。通常営業だわ。

イギリスロックミュージシャンって、特に自国政府への不満ばっかり言ってる印象があって、ミュージシャンってそういうもんなんだな、と思ってた。

2023-02-08

白人抵抗したインディアン英雄たち

投稿です

タスカルーサ~1540

 ミシシッピ先住民首長スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。 

・オペチャンカノウ1544~1646

 ポウハタン族の酋長ポカホンタス叔父1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。

・ササカス1560~1637

 ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ戦争白人虐殺されることとなる。 

・ポペ1630~1692

 プエブロ族魔術師スペイン宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人駆逐したプエブロ族独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペイン降伏した。

ハンコック酋長

 南部タスカローラ族の酋長白人土地侵奪奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。

グレイロック1670~1740頃

 アベナキ族の酋長フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争グレイロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた

メタカムフィリップ王)1639~76

 ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人貪欲土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ戦争1765~66)。メタカム戦死遺体戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人勝利に終わった。

・オブアンディヤック1720~69

 オタワ族の酋長英名ポンティアック交易制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合攻撃しかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。

コーンストーク1720頃~77

 ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人訪問した際に拘束され処刑された。

・ドラッキングカヌー1738~1792

 チェロキー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中心臓発作で亡くなった。

 

・リトルタートル(1747~1812)

 マイアミ族の酋長アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バル大佐戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、戦死者600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティバーズの戦いで敗北し降伏した。

ブルージャケット1738~1810

 ショーニー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティバーズの戦いで敗北した。

・バッコンガヒラス1720~1805

 レナペ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティバーズの戦いで敗れた。

・エグシャワ1726~1796

 オタワ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、フォールン・ティバーズの戦いで負傷した

・テカムセ1768~1813

 ショーニー族の酋長白人侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争イギリスと組んでアメリカ交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領就任するが、わず31日で病死した。

ウィリアムウェザーフォード1765~1824

 マスコギー族の戦士。1811年の大地震白人と戦えというメッセージ解釈し、交戦レッドスティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領就任インディアンへの弾圧虐殺を行った。

・メナワ1765~40頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後土地割譲同意した酋長暗殺するなど強制移住抵抗し続けた。

ピーターマックイーン1780頃~1820頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争活躍バーンコーンの戦いで米軍勝利した。 

レッドバード1788~1828

 ウィネベーゴ族の酋長白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。

ブラック・ホーク(1767~1838)

 ソーク族の酋長白人土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。

オセオラ1804~38

 セミノール族の戦士強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部はフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカ降伏していない

ミカピー1780~1848

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争活躍し、デイドの戦いで100人米兵戦死させた。

ビリー・ボウレッグス1810頃~1859

 セミノール族の酋長オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。

・アビアカ1760~1860

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍勝利した。

 

バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃

 コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。

・ワルカラ1808~55

 ユート族戦士。その知恵と武勇から砂漠ナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教入植者対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。

フレチャス・ラヤダス

 ヒカリラ・アパッチ族戦士。シエネギラの戦いでアメリカ軍を破った

・カミアキン1800~1877

 ヤキマ族の戦士白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒んだ。 

レスキ1808~58

 ニスカリー族の酋長白人土地侵奪に反発し、ピージェット戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。

・テカムタム?~1864

 アサバスカ族の酋長鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。

カイルーク

 モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された

・ヌマガ1830~71

 パイユート族酋長白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人部族平和のために生涯を捧げた。

マヌエリト1818~93

 ナバホ族戦士1860~66年までアメリカ政府土地収奪強制移住政策抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。

アントンガ・ブラックホーク

 ティンパノゴス族の酋長モルモン入植者対立し、1865年ユタパイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた

マンガス・コロラダス1793~1863

 アパッチ族酋長1830年家族や同朋をメキシコ人虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉最中に捕らえられ、処刑された。

コーチーズ1805~1874

 アパッチ族酋長マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。 

・リトル・クロウ1810年頃~63

 ダコタ・スー族酋長白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。

・ドヘサン1790年前後~1866

 カイオワ族の酋長第一アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。

ホワイトベアー(サタンタ)1820頃~78

 カイオワ族の戦士第一アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレンワゴントレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年逮捕され、投身自殺した。

シッティングベア(サタンク)1800頃~1871

 カイオワ族の戦士ウォレンワゴントレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。

・ローン・ウルフ1820頃~79

 カイオワ族の酋長交渉によりウォーレンワゴントレイン襲撃で逮捕されたホワイトベアビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナパーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない

 

ローマン・ノーズ1830年代~68

 シャイアン族の戦士強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマから白人から酋長であると誤解された。

レッドクラウド1822~1909

 ラコタスー族戦士ララミーからモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウド居留地に入り晩年キリスト教改宗した。 

ハイバックボーン1820~1870

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。

 

ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府平和交渉に当たった。

キャプテンジャック1837~1873

 モードック族の酋長居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワードキャンビー少将殺害されたため、インディアン戦争米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏絞首刑に処されたキャプテンジャック遺体見世物とされた。

スカーフェイスチャーリー1830頃~1896

 モードック族の戦士モードック戦争に加わり、サンビュートの戦いで勝利した

・アイアン・ジャケット1790前後~1858

 コマンチ族の酋長スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。

・ペタ・ノコナ1820頃~1864

 コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシアパーカー誘拐、妻とする。1860ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。

2022-11-19

映画メモ:RRR

あらすじ:

1920年インドの民はイギリス植民地として圧政に苦しんでいた。

森で生活するゴーンド族の少女マッリは幼いながら卓越した芸術センスの持ち主で、村を訪れたイギリス総督一向をもてなしていた。

しかしそれが仇となり、総督の妻に気に入られ無理やりデリーに連れ去られてしまう。

ゴーンド族は温和な民であったが仲間に危機が訪れた時、虎にも屈せずに仲間を助けると噂される羊飼いという存在があった。

羊飼い青年ビームはマッリを救うため、仲間と共にデリーへと向かう。

そして時を同じくして、インド人でありながらイギリス政府の警察官として内なる炎を秘めて立身出世を目指すラーマの姿があった。

ビームラーマはひょんな事から強い絆で結ばれ、互いを兄弟同然に呼び合うほどの親友となる。

はたしてビームはマッリを救い出すことができるのか?

イギリス政府に忠誠を誓い職務遂行するラーマの本当の目的とは?

二人の運命いか!?

総評

早く映画館行って観ろ!!!!!!!!!!!!!!!

もう終わっちまうぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

個人的ベストシーンはラー兄貴親友を逃すところですね。

2022-10-06

白人抵抗したインディアン英雄たち

タスカルーサ~1540

 ミシシッピ先住民首長スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。 

・オペチャンカノウ1544~1646

 ポウハタン族の酋長ポカホンタス叔父1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。

・ササカス1560~1637

 ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ戦争白人虐殺されることとなる。 

・ポペ1630~1692

 プエブロ族魔術師スペイン宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人駆逐したプエブロ族独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペイン降伏した。

ハンコック酋長

 南部タスカローラ族の酋長白人土地侵奪奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。

グレイロック1670~1740頃

 アベナキ族の酋長フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争グレイロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた

メタカムフィリップ王)1639~76

 ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人貪欲土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ戦争1765~66)。白人たちは彼がインディアン君主であると決めつけ、フィリップ王と呼んだが、実際は調停役に過ぎなかった。メタカム戦死遺体戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人勝利に終わった。

・オブアンディヤック1720~69

 オタワ族の酋長英名ポンティアック交易制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合攻撃しかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。

コーンストーク1720頃~77

 ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人訪問した際に拘束され処刑された。

・ドラッキングカヌー1738~1792

 チェロキー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中心臓発作で亡くなった。

 

・リトルタートル(1747~1812)

 マイアミ族の酋長アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バル大佐戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティバーズの戦いで敗北し降伏した。

ブルージャケット1738~1810

 ショーニー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティバーズの戦いで敗北した。

・バッコンガヒラス1720~1805

 レナペ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティバーズの戦いで敗れた。

・エグシャワ1726~1796

 オタワ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、フォールン・ティバーズの戦いで負傷した

・テカムセ1768~1813

 ショーニー族の酋長白人侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争イギリスと組んでアメリカ交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領就任するが、わず31日で病死した。

ウィリアムウェザーフォード1765~1824

 マスコギー族の戦士。1811年の大地震白人と戦えというメッセージ解釈し、交戦レッドスティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領就任インディアンへの弾圧虐殺を行った。

・メナワ1765~40頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後土地割譲同意した酋長暗殺するなど強制移住抵抗し続けた。

ピーターマックイーン1780頃~1820頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争活躍バーンコーンの戦いで米軍勝利した。 

レッドバード1788~1828

 ウィネベーゴ族の酋長白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。

ブラック・ホーク(1767~1838)

 ソーク族の酋長白人土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。

オセオラ1804~38

 セミノール族の戦士強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部は最期までフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカ降伏していない

ミカピー1780~1848

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争活躍し、デイドの戦いで100人米兵戦死させた。

ビリー・ボウレッグス1810頃~1859

 セミノール族の酋長オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。

・アビアカ1760~1860

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍勝利した。

 

バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃

 コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。

・ワルカラ1808~55

 ユート族戦士。その知恵と武勇から砂漠ナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教入植者対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。

・カミアキン1800~1877

 ヤキマ族の戦士白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒否した。 

レスキ1808~58

 ニスカリー族の酋長白人土地侵奪に反発し、ピージェット戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。

・テカムタム?~1864

 アサバスカ族の酋長鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。

カイルーク

 モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された

・ヌマガ1830~71

 パイユート族酋長白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人部族平和のために生涯を捧げた。

マヌエリト1818~93

 ナバホ族戦士1860~66年までアメリカ政府土地収奪強制移住政策抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。

アントンガ・ブラックホーク

 ティンパノゴス族の酋長モルモン入植者対立し、1865年ユタパイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた

マンガス・コロラダス1793~1863

 アパッチ族酋長1830年家族や同朋をメキシコ人虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉最中に捕らえられ、処刑された。

コーチーズ1805~1874

 アパッチ族酋長マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。 

・リトル・クロウ1810年頃~63

 ダコタ・スー族酋長白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。

・ドヘサン1790年前後~1866

 カイオワ族の酋長第一アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。

ホワイトベアー(サタンタ)1820頃~78

 カイオワ族の戦士第一アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレンワゴントレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年逮捕され、投身自殺した。

シッティングベア(サタンク)1800頃~1871

 カイオワ族の戦士ウォレンワゴントレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。

・ローン・ウルフ1820頃~79

 カイオワ族の酋長交渉によりウォーレンワゴントレイン襲撃で逮捕されたホワイトベアビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナパーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない

 

ローマン・ノーズ1830年代~68

 シャイアン族の戦士強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマから白人から酋長であると誤解された。

レッドクラウド1822~1909

 ラコタスー族戦士ララミーからモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウド居留地に入り晩年キリスト教改宗した。 

ハイバックボーン1820~1870

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。

 

ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府平和交渉に当たった。

キャプテンジャック1837~1873

 モードック族の酋長居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワードキャンビー少将殺害されたため、インディアン戦争米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏絞首刑に処されたキャプテンジャック遺体見世物とされた。

スカーフェイスチャーリー1830頃~1896

 モードック族の戦士モードック戦争に加わり、サンビュートの戦いで勝利した

・アイアン・ジャケット1790前後~1858

 コマンチ族の酋長スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。

・ペタ・ノコナ1820頃~1864

 コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシアパーカー誘拐、妻とする。1860ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。

https://anond.hatelabo.jp/20221007130539

2022-09-09

イギリス政府は『マーガレット・サッチャー葬儀4月17日セントポール寺院で、エリザベス2世女王エディンバラ公フィリップ王配の参列を賜る準国葬にする』と発表した。その一方で、イギリス各地では首相在任中のいわゆる『サッチャリズム政策によって圧迫された、労働者階級や元教員の間で『彼女の死を祝賀するパーティ』が見られた。

多くのロンドン市民が沿道に詰めかけ、『鉄の女』の最後の別れを見送る一方で、『サッチャー葬儀のために我々の血税を使うな』という大規模抗議デモロンドンで起きた。

マーガレット・サッチャー - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC

エリザベス女王が出席する国葬に準じた扱いで、国内外要人ら約2300人が参列。女王が英元首相の葬儀に参列するのは1965年チャーチル氏の国葬以来となる。

葬儀にはキャメロン首相英国政界要人をはじめ、米国のチェイニー前副大統領キッシンジャー国務長官日本森喜朗元首相らが参加。

鉄の女サッチャー葬儀要人2300人 英女王参列で国葬に準ず: 日本経済新聞

https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM17069_X10C13A4FF1000/

このへんが先行事例としてちょうどいいんちゃうかな。

2022-07-26

anond:20220726212652

顔の広いイギリス政府あたりが手を打って、クルド人ロヒンギャ自分たちの国を建てる土地を確保できないんだろうか。

2022-07-16

anond:20220716133256

イギリスからアメリカ移住した初期の移民の多くはイギリス政府から逃れて来た清教徒だったりするし、彼らは所謂 nonconformist (非遵奉派?非国教徒?)だから政府べったりになるのを良しとせずに距離を置こうとする。だから弾圧されて逃げて来たわけだし、今でも米国キリスト教会メソジストやバプテストクエーカープレスビテリアンが多い。

一方、アメリカ独立革命の主流派は、啓蒙思想自然権思想の信奉者たちであって、独立宣言もまさにフランス革命宣言文のような文章である。もちろん市民革命特にフランス革命)に於いて教会アンシャン・レジューム側であり、革命からすれば敵であった。だから革命後は政教分離が徹底された。(特にフランスで)   「信教の自由」が強調されるのもそういう背景あってのこと。

そういう事情もあって、アメリカでは政府一般国民の間の緊張感・不信感みたいなものが割と強く、それが陪審員制度や銃を持つ権利の強い擁護などの背景にある。(お前らの勝手にはさせないぞ的な)  また、何かと政府陰謀論が取り沙汰されるのもそういう背景があってのこと。UFOとかケネディ暗殺とか。

タイのことはよく知らん。

2021-11-23

https://twitter.com/gigazine/status/1462631985831362564  

エビカニタコ感覚を有する生物」とイギリス政府認定、生きたままゆでる行為を禁じる法案成立に向け前進

欧米は駄目な時期だ。ポリコレで頭おかしくなってる。

我々のお手本になるような合理的で正しい欧米は今は存在しない

2021-10-09

anond:20211008011809

そういう後ろ向きな姿勢でなくてどうやったら村上春樹ノーベル文学賞を獲れるのか考えようよ?

どういうふうにしたらいいの?

ロシアに行ってプーチン喧嘩売ってKGBに追われる身になったらいいの?

アフガンに行ってタリバン突撃取材して首をチョンパされたら死後に受賞できるの?

そしてカズオ・イシグロが選ばれた政治的理由ってなんなの?イギリス政府政治犯として指名手配でもされてるの?イシグロは?

2021-09-06

原始人がネックレスをつけた理由 パート1

概要

貨幣前身は、言語とともに、初期の現代人が他の動物解決できない協力の問題解決することを可能にした。これらの原型は、非フィアット通貨と非常に特殊な特徴を共有しており、単なる象徴や装飾品ではなかった。

お金

17世紀イギリスアメリカ植民地では、当初から硬貨の不足という問題があった。イギリスの考えは、大量のタバコ栽培し、世界的な海軍商船の船のために木材を切り出し、その見返りとしてアメリカ人の労働力として必要物資を送るというものであった。つまり、初期の入植者は、会社のために働き、会社の店で買い物をすることになっていたのである投資家王室は、農民要求に応じてコインで支払い、農民自身物資を買わせ、さら天罰として利益の一部を確保するよりも、この方法を好んだ。

植民地の人々の解決策は目の前にあったが、彼らがそれを認識するまでには数年を要した。原住民お金を持っていたが、それはヨーロッパ人が慣れ親しんできたお金とは全く違っていた。アメリカン・インディアンは何千年も前からお金を使っていたし、新しくやってきたヨーロッパ人にとっても便利なお金であった。しかし、ニューイングランドの人々は、銀も金も使わず自分たち生活に最も適したお金を使っていた。その代わりに、彼らは獲物の耐久性のある骨組みという、その環境に最も適した貨幣を使っていた。具体的には、ワンパムと呼ばれる貝(ホンビノスガイ)とその近縁種の貝殻をペンダントにしていた。

貝は海でしか採れないが、ワンパムは内陸部でも取引されていた。アメリカ大陸の各部族には、さまざまな種類の貝殻貨幣存在していた。イリコイ族は、貝の生息地に近づかずに、最も大きなワンパムの財宝を集めることができた。ワンパムを専門に製造していたのは、ナラガンセッツ族などほんの一握りの部族で、他の何百もの部族(その多くは狩猟採集民)がワンパムを使用していた。ワンパムのペンダントは、長さとビーズの数が比例しており、様々な長さのものがあった。ワンパムペンダントの長さは様々で、ビーズの数は長さに比例しており、ペンダントを切ったり繋げたりして、支払った金額と同じ長さのペンダントを作ることができた。

入植者たちは、本当のお金とは何かという問題を克服すると、ワンパムの取引に熱中した。貝(clam)は、アメリカでは「お金」の別名として使われている。ニューアムステルダム現在ニューヨーク)のオランダ人知事は、イギリスアメリカ人の銀行からワンパムで多額の融資を受けた。しばらくすると、イギリス当局もこれに同調せざるを得なくなった。1637年から1661年にかけて、ニューイングランドではワンパムが法定通貨となった。植民地の人々は流動的な交換手段を手に入れ、植民地貿易は盛んになった。

ワンパムの終わりの始まりは、イギリスアメリカ大陸に多くのコインを出荷するようになり、ヨーロッパ人大量生産技術を応用するようになってからである。1661年になると、イギリス政府はワンパムの製造を中止し、本物の金や銀、そして王室監査を受けてブランド化されたコインで支払うことにした。この年、ニューイングランドではワンパムは法定通貨ではなくなった。1710年にはノースカロライナ州一時的法定通貨となった。ワンパムは、20世紀に入っても交換手段として使われ続けていたが、その価値西洋の収穫・製造技術によって100倍にも膨れ上がり、貨幣発明された後に西洋で金や銀の宝飾品が行き渡ったように、よくできたお金から装飾品へと徐々に変化していった。アメリカ貝貨言葉は古風な遺物となった。百貝は百ドルになった。「Shelling out」とは、コイン紙幣で支払うことを意味し、やがて小切手クレジットで支払うようになった。我々は、自分たち種の起源に触れてしまたことを知らなかった。

収集

ネイティブ・アメリカンお金は、貝殻以外にも様々な形があった。毛皮、歯、そして後述する特性を持つ他の様々な物体も、交換手段としてよく使われた。12,000年前、現在ワシントン州で、クロービス族は、驚くほど長い角岩の刃を開発した。しかし、すぐに折れてしまう。これでは切ることもできない。火打ち石は「楽しむため」に作られていたのか、それとも切ることとは関係のない別の目的のために作られていたのか。後述するように、この一見軽薄に見えることが、実は彼らの生存にとって非常に重要であった可能性が高い。

しかし、ネイティブ・アメリカンは、芸術的ではあるが役に立たない刃物最初に作ったわけではないし、シェルマネー発明したわけでもない。ヨーロッパ人も、昔は貝や歯をお金にしていたし、牛や金、銀、武器なども使っていた。アジア人は、それらすべてを使い、政府が発行した偽物の斧も使っていたが、この制度も輸入していた。考古学者が旧石器時代初期の貝のペンダント発見しており、それがネイティブ・アメリカンお金の代わりになっていた可能性があるからだ。

1990年代後半、考古学者のスタンリーアンブローズは、ケニアリフトバレーにあるロックシェルターで、ダチョウの卵の殻やブランク、貝殻の破片でできたビーズキャッシュ発見した。これらのビーズは、アルゴン-アルゴン(40Ar/39Ar)比を用いて、少なくとも4万年のものとされている。スペインでは、この時期に穴の開いた動物の歯が発見されている。また、レバノン旧石器時代初期の遺跡からは、穴の開いた貝殻が出土している。最近では、南アフリカのブロンボス洞窟で、さらにさかのぼって7万5千年前に作られたビーズ状の貝殻が発見されている。

現代の亜種はヨーロッパ移住しており、紀元前4万年から貝殻と歯のネックレスが登場している。また、オーストラリアでは紀元前3万年から貝と歯のペンダントが出土している。いずれも高度な技術を要するものであり、もっとから行われていたと思われる。採集や装飾の起源は、解剖学的に現存する亜種の原産地であるアフリカである可能性が高い。人類が常に飢餓と隣り合わせの生活をしていた時代に、貝殻の製造には膨大な技術時間必要だったのであるから収集してネックレスを作ることには重要選択利益があったはずである

実質的貿易を行っていない文化や、現代的な貨幣使用している文化であっても、事実上すべての人類文化は、ジュエリーを作り、楽しみ、実用性よりも芸術性や家宝としての価値を重視している。我々人間は、貝殻のネックレスやその他の種類のジュエリーを、純粋に楽しむために集めている。進化心理学者にとって、人間が「純粋に楽しむため」に何かをするという説明は、説明ではなく、問題提起なのである。なぜ多くの人が宝石を集めたり身につけたりすることを楽しんでいるのか?進化心理学者にとってこの問題は「何がこの楽しみを進化させたのか?」ということである

進化と協力、そして収集

進化心理学は、ジョン・メイナードスミス重要数学発見から始まる。スミスは、発達した集団遺伝学の分野から共進化する遺伝子の集団モデルを用いて、単純な戦略的問題ゲーム理論「ゲーム」)で使用される善悪戦略コード化できる遺伝子を提唱した。スミスは、これらの遺伝子が次世代への伝播を競っている場合競争相手提示する戦略問題に対してナッシュ均衡となる戦略進化させることを証明した。このゲームには、協力の典型的問題である囚人のジレンマ」や、攻撃とその緩和の典型的問題である「鷹と鳩」などがある。

スミス理論重要なのは、これらの戦略的ゲームは、近距離表現型間で行われているが、実際には、究極のレベルである遺伝子間のゲーム、つまり伝播されるべき競争レベルで行われているということである遺伝子(必ずしも個体ではない)は、あたかも拘束された合理性生物学原材料過去進化歴史考慮して、表現型が表現できる範囲内で、可能な限り最適な戦略コード化する)と「利己的」(リチャード・ドーキンス比喩使用であるかのように行動に影響を与える。遺伝子が行動に与える影響は、遺伝子が表現型を通じて競合することで生じる社会的問題への適応であるスミスはこれらの進化したナッシュ均衡進化的安定戦略と呼んだ。

性淘汰や血縁淘汰など、それまでの個人淘汰説の上に構築されていた「エピサークル」は、このより一般的モデルの中に消え去り、コペルニクス的な方法で、個人ではなく遺伝子を理論の中心に据えることになる。このようにドーキンスは、スミス理論説明するために、「利己的な遺伝子」という比喩的でよく誤解される言葉を使っている。

旧石器時代人間のように協力し合う種は他にほとんどない。雛の世話、アリ、シロアリハチコロニーなど、動物が協力するのは親族からであり、親族にある自分の「利己遺伝子」のコピーを助けることができるからである。非常に制約の多いケースでは、進化心理学者が「相互利他主義」と呼ぶ、親族以外の者同士の継続的な協力関係存在する。ドーキンス説明によると、好意の交換が同時に行われない限り(場合によってはその場合でも)、どちらかが不正を行うことができる。そして、普通はそうする。これは理論家が「囚人のジレンマ」と呼んでいるゲーム典型的な結果である詐欺師と吸血者の集団では、常に詐欺師が勝つ。しかし、「Tit-for-Tat」と呼ばれる戦略を用いて、相互作用を繰り返すことで協力するようになる動物もいる。この報復の脅威が継続的な協力の動機となる。

しかし、動物世界で実際にそのような協力が行われる状況は、非常に制約が多い。主な制約は、少なくとも一方の参加者が多かれ少なかれ相手の近くにいなければならない関係限定されていることである。最も一般的なケースは、寄生虫とその体を共有する宿主共生体に進化した場合である寄生虫宿主の利害が一致し、どちらか一方が単独活動するよりも、両者が一緒に活動する方が適している場合(つまり寄生虫宿主にも何らかの利益をもたらしている場合)、Tit-for-Tatゲーム成功させることができれば、両者の利害、特に世代間の遺伝子の出口メカニズムが一致した状態である共生体に進化する。そして、1つの生物となるのであるしかし、ここでは協力だけではなく、搾取も行われている。それらは同時に起こる。この状況は、以下で分析する人間が開発する制度、つまり貢ぎ物に類似している。

寄生虫宿主が同じ体を共有して共生体に進化するのではない、非常に特殊な例がある。寄生虫宿主が同じ体を共有し、共生生物進化するのではなく、同族ではない動物と高度に制限された縄張りを持つ、非常に特殊な例がある。ドーキンスは、クリーナフィッシュを例に挙げている。この魚は、宿主の口の中を泳いで出入りし、そこにいるバクテリアを食べて宿主の魚に利益をもたらす。宿主である魚は、クリーナーが仕事を終えるのを待ってから食べるというズルをすることもできる。しかし、そうはしない。両者とも移動可能なので、潜在的には自由関係を断つことができる。しかし、クリーナフィッシュは個々の縄張り意識を非常に強く進化させており、偽造しにくいブランドロゴのように、偽造しにくい縞模様や踊りを持っている。宿主魚はどこに行けば掃除してもらえるかを知っているし、もし不正をしたら、新しい不信感を持った掃除魚ともう一度やり直さなければならないことも知っているのだ。この関係入口コスト、つまり出口コストが高いので、不正をしなくてもうまくいくのである。それに、クリーナフィッシュは小さいので、それを食べることで得られる利益は、少数の、あるいは1匹のクリーニングで得られる利益に比べて大きくはない。

最も適切な例として、吸血コウモリがある。その名の通り、獲物である哺乳類の血を吸う。面白いのは、良い夜には余剰分を持ち帰るが、悪い夜には何も持ち帰らないことだ。彼らの暗躍は非常に予測不可能である。その結果、幸運な(あるいは熟練した)コウモリは、洞穴の中で幸運でない(あるいは熟練していない)コウモリと血を分かち合うことが多い。彼らは血を吐き出し、感謝している受取人がそれを食べる。

このようなレシピエントの大部分は親族である。屈強な生物学者G.S.ウィルキンソンが目撃した110件の血反吐のうち、77件は母親子供に食べさせるケースであり、その他のケースもほとんどが遺伝的な親族であるしかし、親族間の利他主義では説明できないケースも少なからずあった。これらが相互利他主義のケースであることを示すために、ウィルキンソンは2つの異なるグループコウモリ個体群を組み合わせた。コウモリはごく稀な例外を除いて、元のグループの旧友にしか餌を与えなかった。このような協力関係を築くには、パートナー同士が頻繁に交流し、お互いを認識し、お互いの行動を把握するような長期的な関係を築く必要がある。コウモリ穴は、そのような絆を形成できる長期的な関係コウモリを拘束するのに役立つ。

人間の中にも、非常にリスクの高い不連続な獲物を選び、その結果得られた余剰分を親族以外と共有していた者がいたことがわかるだろう。実際、人間は吸血コウモリよりもはるかに大きな範囲でこれを達成している。その方法が本論の主題であるドーキンスは、「お金は、遅延した相互利他主義正式トークンである」と示唆しているが、この魅力的なアイデアをそれ以上追求することはない。我々はそうする。

人間の小集団の中では、世間の評判が一人の個人による報復よりも勝って、遅延型互恵主義の協力を動機付けることができる。しかし、評判を信じることには2つの大きな誤りがある。どの人が何をしたかについての誤りと、その行為によって生じた価値や損害を評価する際の誤りである

顔や好意記憶する必要があるというのは、認知上の大きなハードルであるが、ほとんどの人間比較的容易に克服できると考えている。顔を認識するのは簡単であるが、好意を受けたことを思い出すのは難しい。また、好意を受けた人にとって、その好意がどのような価値を持つものであったかを思い出すことは、さらに困難である紛争や誤解を避けることは、不可能なほど、あるいは法外に難しいことである

パート2: https://anond.hatelabo.jp/20210906120933

パート3: https://anond.hatelabo.jp/20210906125926

パート4: https://anond.hatelabo.jp/20210906130017

パート5: https://anond.hatelabo.jp/20210906130125

パート6: https://anond.hatelabo.jp/20210906130158

2021-08-26

イギリスの「実証実験音楽フェスで600人超が感染

https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4345520.html

イギリス政府はこうしたデータをもとに、各種大型イベント運営ガイドラインを整備していく考えです。

実験でこういうことをやっちゃう国すごいなぁ

2021-08-24

anond:20210824110418

英国 サッカー欧州選手権観戦 6000人超が新型コロナ感染

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210822/k10013216431000.html

イギリス政府は、大規模なイベントの再開に向けて、新型コロナウイルス感染実態を調べるため、ことし春以降、イベント一定の条件のもとで大勢の観客を入れることを認める調査を行い、20日、その結果を公表しました。」

身元確認まではしてないようだけど、ある程度把握はしてる。日本はどうかな

2021-04-17

https://anond.hatelabo.jp/20210417031322

https://anond.hatelabo.jp/20210417030900

お前らも暇人だな。言った手前、気になって少し調べてしまたから参考にしてくれ。

日本外務省見解はこうだ。

https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pchazardspecificinfo_2020T137.html

感染症危険レベル2で、中国台湾ニュージーランドと並んでいる。

(1)レベル2:不要不急の渡航は止めてください。(レベル引き下げ)

アジア韓国シンガポールタイ台湾中国香港マカオ含む)、ブルネイベトナム

大洋州オーストラリアニュージーランド



イギリス政府が参考にせよとリンクを貼っているページによればこうだ。

参考)https://www.gov.uk/foreign-travel-advice/china/coronavirus

日本

https://travelhealthpro.org.uk/country/114/japan#COVID-19

中国

https://travelhealthpro.org.uk/country/49/china#COVID-19

台湾

https://travelhealthpro.org.uk/country/218/taiwan#COVID-19

ニュージーランド

https://travelhealthpro.org.uk/country/162/new-zealand#COVID-19

まとめると、

日本リスク

中国リスク

台湾リスク

ニュージーランドリスク

---

で、改めて結論だ。

面倒くさくなったんでこの辺で止めるが、中国は少なくとも日本よりはコロナ抑え込みで健闘していると自分は見ている。「抑え込めた」と曖昧に断言するのは良くなかったよ。そこはすまんな。

2020-03-22

[] 英国集団免疫カルトから離脱しています

小野さんの記事でも読んどけガイ

英国在住研究者 「集団免疫獲得という出口は変わってない」

ガイジ 「集団免疫獲得じゃないもーーーん」


たぶん本気なんだろうな

ちなみにそれがキミの教祖かい

[MIT Technology Review] 英政府独自の新型コロナ集団免疫戦略修正

https://www.technologyreview.jp/nl/the-uk-is-scrambling-to-correct-its-coronavirus-strategy/


英国政府に助言するため専門家グループが新たな

報告書をまとめた。英国政府が出した新型コロナウイルスSARS-CoV-2)に対する「集団免疫アプローチは、結果として25万人もの命を奪う可能性があり、保健医機関崩壊阻止にほとんど役立たないと、厳しく評価している。


インペリアルカレッジ感染症疫学を率いるアズラ・ガーニ教授3月16日に、「集団免疫を獲得できると期待していましたが、集団免疫アプローチでは事態対処できないことがわかりました」と記者団に語った。新たな報告書代替策として、他の多くの国と同様に、一貫して感染者数を低く保つ積極的政策ウイルス抑制することを提唱している。

[BBC]Coronavirus: UK changes course amid death toll fears(3/17)

なぜイギリスは方向転換したのか

https://www.bbc.com/news/health-51915302

https://www.bbc.com/japanese/amp/features-and-analysis-51996098


方向転換をするか、さもなくば25万人が死ぬか。このまま行けば新型コロナウイルスの「破局的な流行」で、国内でそれだけの大惨事になる。これほどはっきりした警告など、そうそうない。


新型コロナウイルスによる感染症COVID-19」がどう伝染し、それによって国民保健サービス(NHS)がどうやってパンクして、その結果として何人が死ぬのか――。これの展開をシミュレートしてコンピューターモデルを走らせていた研究チームが、イギリス政府にそのように警告したのだ。


そのためイギリスでの状況は劇的に変化した。平時において自分たち生活がこれほど変化させられるなど、私たち経験したことがない。


冷や水を浴びせられたような認識の変化は、 16日の政府発表 までの数日間であっという間に起きた。


しかしそのずっと前から、多くの科学者世界保健機関WHO)は、ウイルス対策には総力戦で臨まなくてはならないと警告していたのだ。




[BBC] イギリス独自ウイルス対策、「国民の命を危険に」と多数の科学者反対(3/15)

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-51894727


なすがまま」的態度

公開書簡署名している英バーミンガム大学のウィレム・ファンシャイ教授微生物学)によると、集団免疫効果を目指すには、イギリス国内だけで少なくとも3600万人が感染回復しなくてはならない。これが最大の問題になると教授は言う。

「どれほどの人的コストがかかるのか、予測ほとんど不可能だ。しかし、控え目に見ても数万人、場合によっては数十万人が死亡する」

対策成功させるには、NHSがパンクしてしまわないよう、数百万人の感染長期間わたり散発的に起きるように流行期間を引き伸ばすしかない」

ファンシャイ教授は、「ウイルスに対して、なすがままのレッセフェール自由放任主義)的な態度)」をとっているのは欧州イギリスだけだと指摘する。




[人民網] 鐘南山氏、感染対策集団免疫に頼ってはいけない

http://j.people.com.cn/n3/2020/0319/c95952-9670037.html


感染対策集団免疫に頼ってはいけない

政府主席科学アドバイザーであるサー・パトリック・バレス氏はこのほど、英政府感染拡大を防止する策略の一つとして、十分に多くの人に免疫力をつけさせること、すなわち「集団免疫であると述べた。鐘氏はこれについて、「コロナウイルスによる死亡率が高い。今回のウイルスが1度の感染永遠免疫力をつけられるという証拠は今の所ない」と述べた。


集団免疫ワクチン必要

「急性感染症について、最終的に集団免疫形成するにはワクチン必要になる」。

(略)

鐘氏は、「どの国がワクチンを開発するとしても、全世界供給する量はないに違いない。相互補完することで、全世界供給できるようになる」と強調する。


免疫とはなにか?の説明をしても理解が得られる気はしないのですごくシンプルにお伝えしたい


中国武漢の封じ込めに成功、終息に向かっていますが、これは中国人の7割が感染たからですか?もちろん答えは、『いいえ』です



なお、集団免疫を唱えた人物(Sir Patrick Vallance)はちゃんとプレッシャーをかけられましたし、撤回した後、庶民からツッコミを入れられましたが、アカデミアの人間として恥ずべき言動は取っていません。でも日本は?

参考になりましたでしょうか?

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