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2022-05-02

アニメーションを作る仕事をしていた【後編】

【前編】

https://anond.hatelabo.jp/20220502223251

次は、私が現場で直接に『畜生』と対峙した際の経験だ。「マジでクソだな」の2つ目になる。

あるアニメの記念すべき回の収録(製作委員会の各社代表が参加。弊社からは私)が終わった後、スタジオの待合室で出版社の人と雑談をしていた。この後で飲み会をする約束を取り付けてから、私が座椅子を立ってトイレに向かう途中の廊下で、それは起こっていた。

男性声優(以下「男」とする。声優と呼ぶだけの価値はない)が、違う事務所女性声優の手首を掴んで言い寄っていた。男は、自動販売機の近くの壁に女性押し付けるようにして口説いていた。ご飯に行こうよ、とのこと。女性に逃げ場はないし、顔も近かった。女の敵は権力者だけではない。あらゆる状況において存在する。

私は距離を取って観察していた。考えが誤っている可能性があるからだ。しかし、やはり女性は嫌がっている。顔はこわばり、体は斜めを向いて男と視線を合わせないようにしている。それを確かめて私は、ぐいぐいと2人の方に歩いて行って、声をかけた。

ちょっといいですか。この子は嫌がってるみたいです。やめた方がいいと思うのですが」

「あ?いやいや……おかしいやろ」

歯切れの悪い言葉とともに男は黙った。お互いに顔は知っているが、話したことはなかった。

返答を待っていると、男が「こっちのことなんで。うちら同士のことなんで関係ないでしょ」と、女性声優を連れて移動しようとした。

私の記憶では、「待て!」と叫んでいる。左手で男を制したはずだ。

「やめろと言ったろ。私がどういう立場人間かわかってるよな?」

そう言って睨みつけると、男はまた黙った。

「今回に限っては、この子事務所に報告するだけで済ませる。あなた事務所には話さない。その子の手を離して、もう帰ってくれ」と彼のための逃げ場を用意したのだが、それでも手を離さなかった。

目いっぱいまで男に近付いて、額の辺りを睨みつけた。「帰れ」とだけ告げて、それでまた男の目を見続けた。

すると、男が女性の手を放した。舌打ちをして玄関の方に移動していった。収録の時は大人しい印象を受けたが、こんな人間だとは思わなかった。

女性を見ると、真下を向いていた。鼻をすする音が聞こえる。顔は前髪で見えなかった。

マネージャーに報告しないとだめだよ。難しかったら、私が一緒に行ってあげるから」と言うと、「ありがとうございます」とだけ返ってきた。そういうわけで、その場は事なきを得た。

飲み会前のトイレに行った後、出版社の人とスタジオを出る時、その子マネージャーと一緒にいるのと確認して安堵したのを覚えている。

それで、入口自動ドアを通り過ぎたところで、ある理由マネージャーに呼び止められた。以後数か月の間、さっきの声優の子と色々あったのだが……これは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。



競争嫉妬自尊心

最後に。“競争からまれ嫉妬”について話したい。

まずは以下のサイトを紹介する。エンタメ作品レビューするためのサイトだ。

1回で読み切れる量ではないため、後でまとめて読まれるのを推奨する。

作品データベースドキドキ!プリキュア

https://sakuhindb.com/janime/7_DOKIDOKI_21_20PRECURE/

作品データベーススタートゥインクルプリキュア

https://sakuhindb.com/janime/7_Star_20Twinkle_20Pricure/

概要説明すると、前者はプリキュア暗黒期(2011~2015頃。男児向け作品出身者がプロデューサーだったのに起因するらしい。確証はない)と呼ばれる作品ひとつだ。後者については、「東映アニメーションが若手女性プロデューサーを大抜擢!」というアニメ雑誌の記事記憶に残っている。

上のサイト作品データベース)では、プリキュアシリーズにおいて「非常の悪い」の評価数が多いものがたまに現れる。

ネタバレ回避しながらコメントを紹介していく。『ドキドキ!プリキュア』だと、「主人公が実は一番自己中」「パロディが多く、児童向けとしてふざけている」「赤ん坊になんてことを」といった【作品感想】を見つけた。

同じく、『スタートゥインクルプリキュア』だと、「主人公の声が無理」「追加メンバーの扱いが悪すぎる」「最後のあたりでメインテーマである多様性否定」といった【作品感想】があった。ここまではいい。批判というのはあってしかるべきだ。

稀にではあるが、質的に異なる評価コメントがある。スタッフ誹謗中傷することが目的であり、作品の内容は二の次、三の次といった次元レビューを見かけることがある。プロデューサーの経歴にやたらと詳しく、シリーズ構成や脚本家過去にどんなシナリオを作ってきたかを把握している。業界用語ポンポン飛び出す。

こういったレビューは言うまでもない。アニメ業界内部の人間が書いている。「なぜ私じゃなくて、あいつが評価を受けるんだ。なぜあいつが表舞台に立っているんだ!?」という至ってシンプル理由――妬みや嫉みである

彼ら彼女らは、特定個人こき下ろす目的公共の場コメントを書き込んでいる。製作スタッフしか知らない内容や、業界人でないと考察できないレベルの内容がつらつらと並んでいるのを見ると、慙愧に堪えない思いをすることがあった。

嫉妬なのだろう。他人成功することで自らの地位が低下するという思考に由来して、こういった行動が起きる。彼らは悲しい存在だ。他人を蔑んでいる時点で、相手自分より優れていることを認めている。このように仲間を大事にできない者は組織大事にしないし、自分すら大事にできないことが多い。

これとは逆に、相手賞賛するというのは、事実客観的に把握したうえで仲間を尊重する行為だ。自分相手組織、という感覚があるから相手自然に認め、褒め称えることができる。仲間が成長して賞賛を受けると自分気持ちいい。そういう原理が働いている。

特に健全で安定した自尊心自分価値があるという意識。誇り。自分は影響力のある、重要存在だという感覚)をもてるかどうかは、りっぱな価値ある仕事自己の内部に取りこみ、自己の一部にできるかどうかにかかっている。

完全なる経営(2001/11/30) アブラハム・マズロー (著), 大川 修二 (翻訳)  P.25



人間は、精神的に未発達な時期がある。少年期~青年期は特にそうだ。自分はすごいと思いたがり、他人はすごくないと思いたがる。常に上に立っていたい。だが、精神が成長すると、人間比較することに大した意味はないことがわかる。

エンタメ業界問題点は、精神的に未発達な人間が多すぎることにある。そういうわけで、公共インターネット掲示板で、同じ会社の仲間を糾弾するといった行動で鬱憤を晴らそうとする。嘆かわしいとは思うが、あくま当人課題であり、私にはどうすることもできない。当人が成長することでしか解決しない。

アニメ業界活躍していきたいと考える人が、有象無象に足を引っ張られない未来を願っている。私には、そういった人間相手にし続けてなお、作品作りへの情熱を燃やすだけの『好き』がなかった。

から、この業界を辞めた。心が限界で、いつしかアニメが好きではなくなっていた。

から地元田舎に帰った。心のゆとりがほしくなって。

から残業が少ない仕事を選んだ。今はしみじみと会社員兼農家として生きている。

以上でこの日記は終わりだ。一万字もお付き合いいただきありがとうデリヘルの人ではないか安心してほしい笑

これまで、私を育ててくれた業界感謝を述べたい。楽しかたことも、嬉しかたことも、悲しかたことも、憎しみを覚えたことも、とにかく多くの経験を与えてくれた。

私はこの業界から去って、田舎で暮らすことを選んだ。けれど、業界に残ったあなた達が、今でも人の心を動かせるだけのコンテンツを作り続けているのを知っている。

これからも、素晴らしい作品を世に送り出せますように。












今季お勧めアニメの紹介

最後に、大人男性向けに春アニメを紹介する。今は5月なので5本を挙げる。

それぞれ400字以内になるよう心がける。順番に意味はない。思いついたものからだ。

1. パリピ孔明

放送前は「まだ0話だけど切るわ」という意見がちらほらと散見された。今では覇権候補として認識されている。

これ子ども向けだよね?と思っているのなら、はっきりいって違うので、ぜひ3話まで視聴してほしい。音楽好きにはお勧めだ。

作品全体として優れている。P.A.WORKSらしい安定した作風である

コンセプトも、脚本も、演出も、作画も、キャラクターもすべてが及第点以上だ。

予算が大量にあるわけではないのだが、悪い点はひとつもない。

孔明の英子への愛情が見て取れる。彼女の歌を1人でも多くの人間に、世界に届けるために奮戦する姿に胸を打たれる。

願わくば中国での規制が外れますように。 

2. ダンス・ダンス・ダンスール

バレエが題材だ。

少年少女が熱情をもって物事に取り組む姿を見ることができる。

こういう独自性のあるアニメは、面白いかつまらいかの二極になりがちだ。当作品は、もちろん前者である

作画はかなりOK人間が動いている感じがするだけでなく、その実際の動きを見ている者がどう視覚するかまで含めて画を描いている。

そういう描写が1話からビュンビュンと飛び出してきて、まさに圧巻だった。

シナリオもいい。作者がどれだけ等身大中学生を描いているか垣間見ることができた。リアルだ。あまりにもリアル。あー、昔はこんなんだったな、と感じてしまう。

課金して原作を読んでみたけど、やっぱり原作者(ジョージ朝倉)の実力が違う。レベルが違うとはこのことだ。

スタッフが本気で作っていると断言できる。というか、今季アニメは当たりが多すぎる。最終回まで残り2ヵ月もある。楽しみだ。

これが好きな人は、『ボールルームへようこそ』も楽しめる。


3. であいもん

こういうのでいいんだよ。こういうので。

4. SPY×FAMILY

覇権枠だ。

製作委員会がそれぞれ大量の資金スタッフを出し合い、平均的なアニメの実に3~5倍以上の予算時間を使って最高のものを作り上げる。これは、そういう類のコンテンツだ。

WIT STUDIOとCloverWorksの共同作品になる。

(「進撃の巨人」と「青春ブタ野郎バニーガール先輩の夢を見ない」の制作会社

原作者は長年漫画家として活躍しており、ベテランの域に入りつつある。

この『SPY×FAMILY』の漫画原作の序盤は、無理やり感のある脚本運びだ。

まりこじつけ的な舞台設定や、シナリオや、キャラ言動が見受けられる。それらは間違いない事実だ。

だが、中盤以降はキャラクターがどんどん生きてくる。

ネタバレはしない主義なので伏せるが、尻上がり的にどんどん面白くなっていく。

このアニメを見続ける価値はある。最初の方だけ我慢すれば、きっと楽しめるようになるだろう。今後の展開をお楽しみに。

5. ヒロインたるもの!

ニコ動出身クリエイターユニットHoneyWorks』の楽曲スピンオフアニメ

ハニワというと、やはり「女性向け」を想起する人がおられるだろう。

これは、男性も楽しめる作りになっている。ハニワは女性メンバー主体だが、男性も一緒になって創っている。安心してほしい。

主人公はいい子だ。ドジなところにも明るさがあって、人生への本気度があって、好感が持てる。

私が好きな社会心理の本に、「男性カタログシチュエーション萌え女性物語関係性に萌える」という文言がある。

まず、女性向けという観点でいうと上の相関関係合格点を超えている。細かくは述べないが、人間関係は大変濃いうえに、ドロドロすることもある。

男性向けという観点からは、「シチュエーション」を挙げよう。第3話のMV撮影回において、とある胸糞描写がある。終わりの方で、まさに倍返しとばかりの展開があるのだが、これがまた爽快だった。この回で全話視聴しようと決意した。芹澤優の演技がバッチリはまっていた……。

2021-07-16

木屋町にあるキャバクラ黒服仕事をしていた その3

 この体験を経て、私はある理解を得た。「正しい戦略は、その時々の環境文脈空気によって異なる」ということだ。世の中にはいろんなルール常識、慣習があるけれども、それらをストレート適用すべき場合もあるし、必要ならばかなぐり捨てないといけないこともある。

 アブラハム・マズロー欲求の五段階ピラミッドの人)の『完全なる経営』にこんなことが書いてある。

‟彼らの心理学によると、最善の思考や最善の問題解決ができるかどうかは、問題を含んだ状況を、期待や予想、憶測などを交えることなく、この上なく客観的な態度――先入観や恐怖、願望、個人的な利害などを交えない、神のような態度――で見ることができるかどうかにかかっている。…(中略)…解決すべき問題とは目の前に存在する問題であって、経験によって頭の中に蓄えられた問題ではない。頭の中に蓄えられた問題は、昨日の問題であって今日問題ではなく、また、両者は必ずしも一致するものではない‟ p.129-130

さら範囲を広げれば、家庭生活、すなわち妻や夫や友人たちとの関係についても、この方法を当てはめることができる。各状況における最善の管理方法とは、各状況において最もよく機能する管理方法のことだ。どの方法が最善であるかを見きわめるためには、予断や宗教的な期待を排した、完全な客観性が求められる。現実的な知覚は現実的に行動するための必要条件であり、現実的な行動は望ましい結果を生むための必要条件なのだ。‟ p.132

 マズローは、物事ありのままに見つめて、現実的に考え、行動することが成功への鍵だと言っている――と私は解釈した。

 イケメン先輩は結局、条件付きの免職処分になった。黒服が嬢と付き合った場合の店への罰金50万円と、Tちゃん彼氏への慰謝料として50万円、計100万円を返済したら辞めるという処分だ。店長は、翌日のミーティングの席において、みんなの前でイケメン公言した。「約束を破ったら組に売る」と。店に対する裏切り行為は許さないという態度を明白にしたのだった。

 これと、上の引用文がどう関係あるのかというと……この後すぐ、私と同学年のアルバイトの子が、S店の備品を盗んでいたのが判明した(立命館大学に通っていたので、以下リッツとする)。定期的に、ヘネシーなどの高級酒(そのうち廃棄される飲みかけ。キッチンに置いてある)や、午後の紅茶炭酸水チーズその他をくすねていたらしい。その犯行を見つけたのは、皮肉にもイケメン先輩だった。

 そのリッツは、イケメン先輩の時と同じく、閉店後に一番奥の席につかされた。最初の数分は、あの時と一緒だった。坦々とした、もの静かな事情聴取だ。その近くにM主任が座っていたのも同じだ。

 違ったのは、私も主任と一緒に丸椅子腰かけいたことだ。リッツ普段の行動に関する参考意見を述べることになっていた。

 別にリッツは、良くも悪くもない、普通の奴だった。口数は少なかったけど、まあ真面目かなという印象だった。サボっている様子はないし、店の女の子に声をかけるなどの御法度もないし、当日遅刻や欠勤もなかった。

 でも、人間とはそういうものなのだ。裏で何をしているかからない。人間言葉ではなく行動で判断すべきという金言があるが、それでも不十分だ。どんな人間にも裏がある。

 10ちょっとが経過した。私の供述も上の通り述べていた。その間、盗んだ物の確認と弁償代の話をしていたように思う。お店で無くなったとわかっているもの時価8万円相当(私の個人的計算では3万円~4万円相当)とされて、ほかにも盗まれた物があると仮定して、倍額の16万円を1か月以内に弁償すれば警察被害届は出さないという内容で決着した。

 最後店長は言った。「リッツ君。今日最後の勤務日だ。もう来なくていい。けど、ほかのお店に情報共有とかしないから、働きたかったら別のキャバで働いてもいいよ。今回は残念だったけど、また成長したあなたの姿を見たい。それで、いつかまたお客さんとしてうちに来てくれたら嬉しい」という言葉でお開きになった。

 当時の私は、「おかしいのではないか!?」と思った。当時のS店の黒服に課せられる罰金額は、記憶の限りでは以下のとおりだ。

・当日遅刻 5,000円

・当日欠勤 10,000円

窃盗その他の犯罪 250,000円+被害

・嬢と交際した場合 500,000円

・店の売上に影響するトラブルを起こした場合 時価(これが上記慰謝料

 リッツ規定どおりの罰金を科されなかった。被害額のみだ。しかし、イケメン先輩は規定どおりの罰金のうえボコボコにされている。

 当時の私は腑に落ちなかった。後に推測したことだが、店長には以下のような思考順序があったのではないか

リッツを殴って、25万円+16万円を請求したうえで脅す(イケメンと同じ対応

リッツ立命館大学学生課もしくは先輩もしくは親に相談する

相談先が交渉の窓口になる

罰金は減殺される可能性が高い。警察通報されたら逮捕リスクあり。

 上記①~④が成り立つならば、リッツに対して甘い対応をするのが正しい。そう読んだのではないか

 店長は、自他の権益に対してストレートな人だった。取れるモノはきっちり取っていく。悪く言えばがめつくて、善く言えば組織のことを考えている。

 今回の件だと、警察被害届を出してもS店には一銭も入らないし、リッツ問題行動を起こしたことをほかの店に情報共有するメリットはないし、彼がほかの店で問題を起こしても当店には関係がないし、リッツが負い目を感じていれば社会人になってからS店でお金を使うかもしれない。

 ※社会人になった今では、このような考え方は極めて短期的かつ自己本位的なものだと感じる。木屋町風俗営業を行うすべての店の利益を考えれば、リッツ警察に突き出すべきだったし、他店にも情報を共有すべきだった。こうした当たり前のことができないほどに、風俗業界というのは生存が厳しい世界なのだ

 憶測だが、店長には過去に痛い経験があったのかもしれない。16万円でも十分に得をしているからそれで済ませる。そういうことだ。

 一方で、イケメン先輩は、いわゆる「身分がない」タイプ社会人だった。だからルールに則った対応を採る(暴力のうえ正規罰金を課す)のが正しかった。

 私は今、地元広島地方公務員をしている。この仕事は、公平とか中立とか平等が叫ばれる業界ではあるが、確かに市民企業を公平に扱わないことが正しいケースがあるのだ。例えば、地元を盛り上げる活動をする部署が大きいイベントを開催する折には、成功キーパーソン及びその所属団体に対して相応の便宜を図る。近年の例だと、「全国菓子大博覧会」や「広島てっぱんグランプリ」といったものだ。

 上記の「成功キーパーソン及びその所属団体」について、関係者を良好な立地に出店させたり、相応の額の契約を用意したり、行政組織要職に就けたりする(教育委員など)。

 一般市民企業不公平に扱いたいからやっているのではない。公平に扱うのが長期的には一番正しい戦略なのはわかっている。これは、組織目的を達成するために必要不可欠な過程であると上の人間下の人間も判断たからそうなっている。

 反対に、戸籍課や税務課や医療課などの住民対応を行う部署においては、「融通が利かない」などのクレームをどれだけ食らっても、ひらすらに法律や要領に従って仕事をやり続けるのが正しい戦略ということになる。特定の人をひいきしても自治体にとってのメリットは薄いし、逆に訴訟リスクがあるからだ。

 キャバクラでの仕事は正直キツかった。嫌なお客さんには絡まれるし、たまに一気飲みを要求されるし、人が殴られるのを見ることがあるし、ホールに立ちっぱなしで足の裏が痛いし、キッチンものすごく忙しいうえに鼠とゴキブリだらけだ。

 でも、勉強になった。夜の歓楽街での仕事が、今の地方公務員としての自分の糧になっている。あの時、求人情報誌を開いてよかったと今では思える。



大学回生

 この春から時給は1,800円になった。昇給の際、店長からは、「お前以上の時間給をもらっている大学生は木屋町にも祇園にもいない。お前を評価している。就職活動中もシフトに入ってくれ」と言われた。※多分これが目的で時給を上げたのだと思う。これまでと違い、昨年比で増えた仕事もないからだ。

 この辺りからシフトに入ることが少なくなった。これまでは、週に4日、たまに5日という具合だった。でも、公務員試験勉強もしないといけないので週に3日の勤務になっていた。

 時間はあっという間に過ぎていって、夏が終わる頃に内定を得た私は、「自由だあああぁぁ!」とばかり、夜の街で遊びまわるようになった。

 私には小さい名誉があった。木屋町先斗町のいろんなバーに行ったが、S店で黒服をしています、付け回しの仕事を任されていますと言うと、大抵の店員さんや夜の街の常連の顔つきが変わるのだ。「こいつはやばい奴だ」という顔をする人もいれば、軽蔑した視線を向ける人もいれば、逆にすり寄ってくる人もいた。

 バーにはよく行ったが、キャバクラにはほとんど行かなかった。S店で働いているとわかったら追い出されるリスクがあったからだ。それに、私はKFJ京都風俗情掲示板)のお水板において、当時木屋町で№1とされていたS店で何年も働いている。お客さんに「おごってやるから来いよ」と誘われて他店に行ったことはあるが、なかなか満足がいかなかった。S店の子接客されたことはないが、それでもわかる。歴然とした『差』があった。

 今思えば、承認欲求というやつが足りていなかったのだろう。シロクマさんの本で言うと、「認められたい」というやつだ。当時は、自分をスゴい奴なんだと思いたかった。実際はぜんぜんそうではなかったし、逆に、本当にスゴい奴ほど自分を大きく見せたがらない。

 そういう人は飽きているのだ。ちやほやされることに。褒められることに。子どもの頃から自分パフォーマンスの高さを周りに認められるのが当たり前だった。だから調子に乗ったり、偉ぶったりしない。それだけのことだ。

 11月になった頃だった。M主任退職することになった。時期は来年の3月。田舎に帰るらしい。

 トラブルを起こしたわけではない。円満退職だ。夜の業界で7年も働けば、体はボロボロになる。普通は3年もてばいい方だが、M主任はそこまで働いて、十分すぎるほどの結果を出していた。私は「今までありがとうございました」と、お店の終わりに2人だけになったところで伝えた。

 この時のM主任言葉脳裏に刻んであるし、忘れた時のために日記にも取っている。重ねて言うが、この記事でところどころの描写がやたらと詳細なのは大学生当時の日記ベースにしていることによる。

 以下、M主任言葉になる。

「おう。〇〇ちゃん、お前もな、元気でな。ええけ?(※方言が入っている。いいか?の意味)〇〇ちゃん仕事ができる奴になれよ。仕事ができんかったらな、人間は終わりやぞ。どこに行っても生きてかれんようになる。仕事だけはな、ちゃんとやって一流になれよ。お前もこの店で何人も見てきたんやないけ、どうしようもない根性なしの連中を。ええけ? お前は悪い奴じゃない。でもな、どっか気が抜けて、間抜けなところがある。そこが好きなんやけどな。とにかく、仕事ができるって言われるようになれ。俺からお前に言えるんはそれだけや」

 呑みに行きましょう、と誘うつもりだった。でも、誘えなかった。私の中で、M主任はそれだけ偉大な存在だった。神だった。神を呑みに誘うことはできないのだ。

 その翌日。営業時間中の夜10時くらいだったか店長ともう1人、灰色スーツを来た人が紙袋を携えてS店にやってきた。「ちょっと時間あるか」と、上の階にある事務所に連れて行かれ、その人から名刺を渡された。

 このS店の母体である芸能事務所の人だった。取締役ナントカ部長だった。ソファに座らされてからの話の内容は端的で、「私を社員として採用したい」という話だった。

 部長の話には説得力があった。説得力要諦とは、ロジックにあるのではない。本人が持つ、その考えや判断への自信や信仰、そして意見を伝える際の胆力や粘りの強さが、本人の口を通して迫力となり、相手に伝わることで説得力生まれる。

公務員はこれから厳しい時代になる。お金問題ではない。本質的意味で割に合わなくなる。

あなた就職する自治体初任給は16万円だ。うちは基本給だけで26万円出す。

・S店での働き次第では本社に来てもらう

日本芸能界を盛り上げる一員になってほしい。それだけの才がある。

・お客さんも仲間もあなたを支持している

 今思えば典型的リップトークだ。なぜかといえば、上の内容の半分以上は私をほかの人に置き換えても、ちょっと修正するだけで通用するからだ。

 でも、当時の私は大学生だった。この時すっかり、S店で働こうか、それとも地元公務員になろうか迷い始めていた。もし、これが公務員試験を志す前であれば、この会社で働いていたかもしれない。

 特に最後にやつ。あれにはやられた。部長ソファの脇に置いていた紙袋から手紙を取り出した。十枚ほどの。小封筒に入った、そのひとつひとつを私の前にゆっくり差し出すと、それが――すべて嬢から手紙であることがわかった。

「〇〇君。試しにひとつ開けてみて」

 ある嬢からの簡潔なメッセージが入っていた。「これからも〇〇さんと働きたい」「〇〇さんに店長になってほしい」「卒業してもいなくならないで」。こんな言葉が認められていた。

「もうわかるね。〇〇君はみんなに慕われている。社会あなたを認めている。こんな大学生、ほかにいないよ」

 部長はA4サイズの用紙をボールペンとともに手渡してきた。

 『雇用契約書』とあった。裏面には雇用条件的なものが書いてある。これを片手に取って私は、ボールペンを握りしめた。

 右上に日付を書いて、ずっと下の方にある住所欄に個人情報を書き始めようとする。ボールペンをあてどなく前後に振って、書くのを静止しようとする脳と、書くのをやめたがらない右手が小さいラリーを繰り返していた。

 私は思い切って、ボールペンを紙面に押し付けた。そして、インクが紙に付いた途端――心臓から流れ出た血が、冷たい何かとともに押し戻されて、再び心臓へと逆流するのを感じた。私の指先は動くのをやめた。

 その場で立ち上がって私は、「残りを読んでから決めます」と告げて、手紙を抱きかかえてS店に帰ろうとしていた。事務所の扉を開けて出る時、舌打ちのような音が響いた。

 手紙ほとんどはテンプレートだった。ひな形がきっとあって、嬢はそれらを真似ている。そういう罠だった。手紙はぜんぶで11枚あって、その中でテンプレでないのは3通だった。そのうちひとつを挙げると、ヘタクソな文章で、私のこれまで4年間の行動や仕草がつらつらと書いてあった。

 私に対するポジティブ言葉も、ネガティブ言葉もあったけど、この3通の手紙には共通していることがあった。「地元に帰っても頑張って」。そんな内容だったかな……? 初めに読んだ1通はTちゃんからだった。

 彼女ハーフで、日本語がそこまで上手くはないのだが、それでも一生懸命な筆跡だった。何度かミスって修正液で消した跡があった。Tちゃんらしくて、不器用だけど愛が籠った手紙だった。

 一昨日それを読み返した時、ふいに涙が零れた。

 あの部長姑息な手を見抜いてから一週間後、私は2月末でS店を辞める旨を店長に告げた。残念そうにしていたけど、これは当然の結果なのだ

 私は地元公務員として働く道を選んだし、芸能事務所だって私が本当に欲しかったわけではなく、おそらくはM主任の代わりとしてだった。もし本気ならば、大学4年生の春までには声をかけている。

 最後の勤務日は静かだった。普通職場だと、辞める人には花束贈呈とかがあるんだろうけど、S店にそういった慣習はない。ただ普通に、最後の客が帰って、照明の光度を上げて、ホールキッチンを片付け始めて、嬢がみんな帰って……。

 最後に、このS店に初めて来た時に見た、この分厚い扉を閉める際に、「お疲れ様です」と小さく呟いた。私は、夜が明けてほんのりと水色の空が見える河原町通りへと歩みを進めていった。

(次が最後です)

 https://anond.hatelabo.jp/20210716220545

2020-09-05

anond:20200904203318

アブラハム・マズローの書いた『完全なる経営』(日本経済新聞出版 大川修二訳)という本こそが、精神的に不健康コンテンツだという話じゃなかったのか。

原始的暴力忌避するあまり、過剰医療的な暴力モラハラで満ちたナルシスズム社会になったんだからな。

2020-09-04

精神的に不健康作品コンテンツについて考えてみた

続き

https://anond.hatelabo.jp/20200911202150

アブラハム・マズローの書いた『完全なる経営』(日本経済新聞出版 大川修二訳)という本を読んだ。

その中では、精神的に健康人間というものが語られている。平たく言うと、自己実現できる人のことだ。

自己実現とは、本に書いてあった内容によると、こんな感じの人だ。

・今の状況をありのままに捉え、不確実な状況でも耐えることができる

創造的やユーモアがある

自分自分に関わる人間幸福を願う

・夢中になれる物がある

自分能力を惜しげなく発揮している

この対極にあるものとして、精神的に不健康人間についても述べている。

本文の中で、精神的に健康人間と不健康人間が対比されている描写は以下の3つだ。

相当高い発達段階にいる人間は、破壊よりも創造を好むものだ。創造する喜びは破壊する喜びよりも大きい。

ただし、破壊する喜びは確かに存在するし、そのことは看過されるべきではない。とりわけ破壊から強い喜びを得るのは、発達段階の低い人間、つまり神経症患者、未熟な人間衝動コントロールできず無意識的に行動を起こす人間サイコパスなどである。 P.63

彼は予想外の事態に直面しても怖れる気配を見せない(強迫観念にとらわれた硬直した人間は、予想外のできごとを怖れる)。創造的な人間にとって、計画とは先に進む道を探すための足場以上のものではなく、それゆえ、後悔や不安をともなうことなく、やすやす放棄することができるのである。 P.319

どのレベル動機づけによって生きているかを判定するには、さまざまな方法がある。たとえば、どのようなユーモア面白いと感じるかによって判定するというのも、その一つだ。低いレベルで生きている人間は、敵意のこもった残酷ユーモア――老女が犬に噛まれる話や精神遅滞の子どもが他の子たちにいじめられる話など――を面白いと感じる傾向にある。リンカーンが示したようなユーモア――哲学的教育的なユーモア――は抱腹絶倒するような類のものではなく、むしろ微笑を誘うものであるが、これには敵意や征服といった意味合いがまったく込められていない。このようなレベルの高いユーモアは、低次の欲求レベルにとどまる人間からは、まったく理解されないものである。 P.367

この3つの中で、一番下が気になった。

精神的に不健康人間は、残酷作品が好きらしい。

それって、どんなコンテンツだろうか?自分もこれまでに楽しんだことがあるのだろうか?

気になって考えてみた。

以下は、私の主観で選んだ『精神的に不健康人間が好きなコンテンツ』だ。

あなたが好きな作品があったらごめんなさい。



漫画

1980年代後半~1990年代前半までのCLAMP作品

 この頃のCLAMPトンガっていた。今の作風からは信じられないほど『精神的に不健康コンテンツ』だったといえる。個別作品ネタバレはしないので安心してほしい。

 人間の手足が千切れる、〇〇の頭部をもぎとって〇〇に見せる、これまで信頼していた人が裏切って主人公ボコボコにして作品完結だったり、自分部族が皆殺しになるのを割と涼しい顔で眺めている〇〇がいたりと、今に比べれば殺伐とした作風だった。(※もちろん例外はある。「CLAMP学園探偵団」「20面相におねがい!!」「学園特警デュカリオン」など)

 このような作品商業誌で描くということは、当時のCLAMP精神的に不健康人間の集まりだったのか?と私は思った。

 そのとおりだと思う。

 CLAMPに関する情報を集めれば集めるほど確信を深めるようになった。どんな情報を集めたかは言わない。彼女達の名誉を傷つけるおそれがあるからだ。あの〇〇〇〇〇〇を作った奴はどこのどいつだろう。訴えられればいいのに。

 CLAMPが今のように精神的に健康コンテンツを作るようになった境は、『魔法騎士レイアース』『カードキャプターさくら』の辺りだと思う。

 この頃からCLAMP作風が急に丸くなる。魔法騎士レイアースシリアスな場面が多いが、これまでの作品に比べれば緩い。ギャグも多いし、家族同士の愛情恋愛もしっかり描いている。

 ※もちろん今でも殺伐とした物語を描くことはある。BLOOD-Cが好例だ。

 作品内容がジェノサイドな方向に行ってしまうというのは、何もCLAMPに限ったことではない。他の有名漫画家にしてもそうだ。それは雁屋哲だったり、板垣恵介だったり――眉月じゅんのような若い作家でもそうだ。

 初期の作品というのは、どうしてもそういう方向になってしまう。それは、自分がこれまでに受けた苦しみや、社会への恨みや、一発当ててやるといった決意がそうさせるのだろう。

 漫画家として食っていける人間というのは、若いうちは苦労しがちだ。サラリーマンに適合するタイプ人間ではないので、学校で仲間外れにされたり、いじめられたり、日陰の存在になりがちだ。

 そんな環境の中で作品を描く力を磨き上げた人間というのは、自分を虐げてきた社会に対する不満を創作活動を通してブチまけてしまうのかもしれない。

 あくまで推論に過ぎない。デビュー作品も、今の作品殺伐とした雰囲気が少ない作家もいる。大御所だと高橋留美子だ。あの人の作品は、初期の物も今の物も人間愛に溢れている。

 一般的には、一山当てて名前が売れたり裕福になったりすると、作品内のグロテスクな傾向は薄まっていく。

 精神的に不健康状態から精神的に健康状態になるのだ。

 名前が売れると承認欲求が満たされるし、印税が入って裕福になれば、食事旅行ファッションに、いろいろと楽しみ放題だ。

 「恒産無き者は恒心無し」という故事があるが、まさにこれを地で行くのが人間の性だと思う。

 以上は、ほとんどの創作者に当てはまる傾向だ。若い頃に殺伐辛辣ジェノサイドを描いていた人が、有名になるにつれて人間同士の繋がりを大切にした作風に変化していく。

アカメが斬る!

 ここでは個別具体的な作品を扱う。ネタバレはしないが作品の感じは伝わってしまうだろう。

 2010年から月刊誌で連載が始まった作品で、2014年アニメ化された。原作タカヒロだ。

 この物語のいったいどこが『精神的に不健康』なのかというと、

グロテスクなシーンがよくある。身体の欠損や理不尽な死は基本。

②読者に残虐なシーンを読んでもらうことを目的とした話がある。特別編の3人娘など。

グロ以外にも人権を軽んじる描写多数(特に女性田舎者に厳しい世界だ)

 こちらのタカヒロ氏は、ほかに勇者であるシリーズex結城友奈は勇者である)を手掛けている。この作品も、真面目でいたいけな少女を痛ぶることで読者や視聴者プレイヤーを楽しませることを目的ひとつとしている。

 人は、一体なにが原因でこのようなコンテンツを考えつくのか?

 ストレスにほかならない。生きていることが苦しかったり、面倒くさかったり、人が憎いと思ったり――そんな観念が繰り返し脳裏に浮かぶ度に、その邪悪な何かを外に出そうとする。あるいは、他者を自らの仲間にしようとする。

 タカヒロ氏のインタビュー記事可能な限り読ませてもらった。記事内では、常識的言葉作品をPRしているように思える。しかし、毒がある。不満であるとは言明しないものの、コンテンツに関する何かに対して、さりげなく毒を吐いている。

 さりげないから目立たないだけで、さりげなくない表現を使うとコンテンツ関係者ケンカを売っていることになる。そんなインタビューひとつ以上あった。

 精神的に不健康コンテンツを作るのは悪いことではない。それが面白いという人がいる限り、価値あるものだ。

 私も昔は、そういうコンテンツが好きだったと思う。でも、大人になるにつれて、社会で果たす責任が大きくなっていくにつれて、精神的に不健康コンテンツよりも、心を健康してくれる、浄化してくれるコンテンツが好きになっていった。(一例として、のんのんびよりニコニコ動画再生数を見てもらえれば、私の言っていることが伝わると思う。ニコ動で一番売れている有料アニメだ。あれから一時的無料期間があったので今は判然としないが、当時は少なくとも1話あたり3000再生は売れていた)

ゆっくり虐待

 精神的に不健康コンテンツの最たるものだ。

 2010年代の前半辺りが最盛期だったと思う。当時は、ふたばチャンネルニコニコ大百科pixivなどにゆ虐のイラスト漫画を上げる絵師がいたり、ゆっくり虐待小説を専門に投稿する掲示板があった。

 このコンテンツにおいて示唆されている行為は何なのか?ゆ虐の作品を何度も覗いたことのある方ならお気づきだろう。

 人間虐待だ。

 ゆっくりというのは、愚かな人間メタファーだ。そのメタファーを痛めつけたり殺したり、漫画という形で傍目から眺めることで精神的に不健康人間欲求を満たしている。

 精神的に不健康人間はこういったコンテンツを好む。一言でいえば、人権侵害をテーマにした作品や論評や意見を好む。

 同じ時代でいうと、mixiニュース引用日記だ。ニュース引用して記事を書くことができ、投稿すると下にある引用記事一覧に載る。

 今は廃れた光景だが、障がい者生活保護受給者ホームレスタクシー運転手教師公務員などを扱った内容がmixiニュースで取り上げられる度に、心無い誹謗中傷を述べた日記投稿するのを楽しみとする人たちがいた。

 障がい者事件を起こすと「殺処分せよ」、生活保護受給者不正問題になると「貧乏人は死ね」、タクシー運転手が客とトラブルになると「タクシー運転手社会の最底辺」など、差別の例としては完成され尽くした日記投稿する層が一定数いた(しかも彼らは連帯を組んでいる。反論コメント徒党を組んで煽ったり馬鹿にすることで潰す)。

 一番ひどい例だと、東日本大震災が起こった際に、携帯電話絵文字津波に流される人々をアスキーアート風に表現した日記投稿する人がいた。その人自身も、心に問題を抱えているように思える文調だった。

 mixi運営も、一定数の通報が集まるとそういう日記を削除し、ユーザーアカウントも凍結していたようだが、さほどの効果はなかった。

 こうした人権侵害を行う人に共通しているのは、「社会に恨みを持っている」ことだ。

 私が観察したところ、上記mixi日記の数名の投稿者は以下のような環境にあった。

・幼少期に親から虐待を受けている

・夢に破れて外国から帰ってサラリーマンをしている

いい大学を出ていい会社に入ったものの、嫁が公然浮気をしていて、でも子どもいるか離婚できないという葛藤を抱えている

 とにかく強いストレスに晒されている人たちだった。



アニメ

・該当する作品について

 公衆放送アニメでは該当がひとつもない。

 ※後日追記 強いていえばBLOOD-Cだが、あれはどちらかというとシュールギャグアニメなのでは・・・?という印象がある。

 なぜかといえば、公衆放送なので当たり前なのだが、人権侵害コンテンツなど流せるはずがないからだ。

 上記で挙げたアカメが斬る!についても、だいぶマイルドになっている。

 アニメ企画する会社や、アニメ制作スタッフらが自主判断グロシーンをマイルドにしたり、描写自体をなくしている。

 あの3人娘は死なない。むしろ最終回生存描写がある。この改変には痺れた。原作者が精神的に不健康人間であっても、スタッフには良心があったのだ。

 CLAMP作品もそうだ。初期の作品である『X』には、地震ビルなどが倒壊し、多くの人が犠牲になるシーンが幾つかある。グロシーンも多数だ。

 こういう描写問題になり、漫画版のXは最終回を迎える前に編集から強制ストップがかかった(もちろんCLAMPは続けたかったらしい)。

 アニメ版はだいぶマイルド描写になっている。残酷なシーンはあるが、気持ち悪さを感じるほどではない。放送コードの力は偉大だ。

 ※劇場版は見ない方がいい。比較にならないほどグロいので。

 昔のアニメだが、まだ配信されている。興味のある方はぜひ。

 今回はこれくらいで。

 需要があるようであれば続きを書きます

 小説編と、ゲーム編と、あと何かを予定している。

 
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