はてなキーワード: SuiCaとは
さっき朝ご飯を買いにミスドに行ったんです。イートインは閉鎖しててテイクアウトのみの営業。
トレーにドーナツを取ってレジに向かったら店員はマスクして正面には厚手のビニールシートがかかってるもう見慣れた光景。
そんでレジでお会計してもらったんですが店員さんがいろいろ話しかけてくるんですよ。
店員さんはマスクしてるし目の前にビニールシートもあるから声がこもってて聞き取れないんだけど
いくつか聞き取れた単語から推測すると紙のナプキンが必要かを質問してるらしい。
なのでボロボロこぼれるエビグラタンパイと砂糖がベタつくポン・デ・リングだからお願いしますって言ったの。
そしたら続けてまたなんかモゴモゴ言ってるんだけどぜんぜん聞き取れない。でもおれに何か質問してるのはわかる。
だから身体を近づけて聞こえないですもう一度お願いしますと伝えたら
「レジ袋が有料ですがいりますか?紙袋だけなら無料でお渡しできます」みたいなことを言うわけ。
いやそんなもんデフォルト紙袋だけでいいよ。ビニール袋が必要だったら自分で言うから。と思いながらはいお願いしますと伝える。
そんで支払になって Suica でお願いしますと言ったらまたなんかモゴモゴ言うわけ。
あれ、ミスドって Suica 使えないんだっけ?と思いながらまた身体を近づけて聞き取れないですと伝えたら
「なんちゃらポイントカードはお持ちですか?」みたいなことを言ってるの。ここでもう完全にイライラしてしまった。
いやもうTポイントだかDポイントだか知らねーけど持ってねーよ。なに言ってんのか聞き取りづらいんだからそんなマニュアル省けよ。
気をつかって距離取ってるのに毎回近寄って聞き直さなきゃいけないじゃん。不要不急のマニュアル対応やめてくれよ。
伝えたいことがあるならレジ前に紙を貼り出しとけばいーじゃん。
店を開けてくれてるのはありがたいしマスクで聞き取りづらいのは何の文句もないけどいまこの状況でポイントカードの話は必要?
よくTwitterで見かける、発達障害、または精神病を患った女性が、生きづらさやそれをどう乗り越えているかを、コミックエッセイ風に綴っているやつ
に、ほぼ必ず、理解がありその女性を支えてくれる男性が登場するやつ
というのを非常によく見かける。揶揄する人の言いたいことはとてもよくわかる。
とっても生きづらいけど、良いパートナーのおかげで生きていけている、というのは、パートナーに恵まれない障害や病気を抱える人々を改めて絶望の淵に突き落とすようなものだ。
非常に一般的な考え方として、例外は必ずあるにしろ、基本的に、女性のほうが男性に比べ、恋愛的なパートナーを得る機会が多いのはおそらく確かだろう。その理由はいくつか挙げられるが、ここでは割愛する。
ゆえに、パートナーに恵まれ日常を送ることができている障碍者/精神疾患持ち女性という存在を見せつけられると、同じような状況にある男性のなかに、『では誰にもかんがみられることなく、パートナーに恵まれない自分たちは、どう生きていけばいいのか』と暗澹たる気持ちが生まれてしまうのは仕方がないのではないだろうか。
私の話をしよう。
私は女性である。そして発達障害者であり、精神疾患を持っている。
具体的に言うと、ASD優位のADHD、かつ、うつ病と解離性同一性障害の診断が下りている。
理系の大学院を卒業後、財閥系企業に勤めていたが、病状の悪化に伴い退職した。
そして離婚歴がある。
私の持つ障害と疾患は、両親からの虐待に由来する可能性が高く、主治医の所見もそのようになっている。私の両親は裕福で社会的地位のある人たちではあったが、あまり子供を育てることは得意ではなかったらしい。成人し、うつを発症し、自殺未遂後、弁護士を通して虐待の事実を認める旨、慰謝料を支払う旨、それができないのであれば縁を切る(ことは非常に難しいのだが)協議書を送り、その段階に至り、はじめて自分たちがしてきたことが客観的に虐待に当たると気づいた、なかなか能天気な人たちでもある。
この虐待由来というところがネックなのか、私の抱える障害と精神疾患は非常に根深いところにあり、もう10年近く投薬を続けているが、治るというよりもただ生きているだけだ。
さて、表題の話をしよう。私の人生において、障害や精神疾患を支えてくれるパートナーはいたかという話である。
結論から言うと、いなかった。これからも現れない気がしている。
そもそも、私は強い気分障害を持っているが、精神が不調の際は自ら抗不安剤(軽いものならソラナックス、リボリトール、ひどければヒルナミン)を飲んで、迷惑をかける前に自分をコントロールしていた。これはたぶん、両親による『人に気を遣わせるな』という強い教育が行き届いた結果だと思う。もちろんこの人という言葉には、家族も含まれている。
解離性同一性人格障害というのは、簡単に言うと多重人格のことで、現在この病名が診断されている患者はかなり少ない。最近は発作もあまり怒らないが、解離時、私にはなんの記憶もない。どこで何をしていたのか、ポケットに入ったレシートや、体についた汚れや傷、SUICAの履歴など、いろいろなものからなんとなく推理するしかない。でもそれがとても怖いともあまり思わない。発作が起こるタイミング、シチュエーションは決まっている。そうならないよう、そういった状況に自らを送り込まないよう注意すれば、ある程度制御できる。
私は精神療養手帳も持っているし、飲んでいる薬の数も種類も途方もない数だが、それでいて、一人できちんと精神科に行き、診察を受け、薬を飲んで生活している。もちろん生活も一人だ。親元なんて考えられないし、世間体のためだけにした結婚は、結局相手が何を考えているのかわからないまま、かつ、相手も私がどういった人間なのかわからないまま終わった。
主治医はあまりこの状況をよしとはしていない。つまり、頼れるだれかが近くにいたほうがいいのではないかという話をされることもある。しかし私は、短い結婚生活のことを思い出す。いつも誰かがそばにいるのに、その人がひとつも自分のことをわかっていないという状態は、単純に一人でいるより何倍もつらい。元夫との生活の中で、私は何度も『大丈夫』と言った。ぐうぐう寝息を立てる元夫のとなりで、絶望が押し寄せてきて一晩中声を殺して泣いた。これではいけないと、元夫に私は何度か自分の話をしようとした。それはかなり勇気のいる行為だった。他人の精神がいびつになるに至る理由を、好んで聞きたがる人はいないし、そのあと慰めるのだって面倒だろう。もし、面倒がられたら、聞いてくれなかったら、と思うと、だれにも言えなくなってしまうのだ。
結果から言うと、元夫は私の話を聞いてはくれた。その間ずっとドラゴンボールかなにかのソーシャルゲームをスマホで遊んでいた。
最初から期待していない分、絶望も少なかったが、たとえ結婚していても、他人は他人であり、興味のない話を無理やり聞かせることはできず、自分のことは自分でけりをつけなければいけないのだとわかった。私は、元夫がしてくれる自分の話を聞くのが好きだった。それは元夫に興味があったということだろう。そしてその逆はなかったということだ。
ちなみに離婚の直接の理由となったのは、元夫の暴力的行為により、私が結婚前に拾いともに暮らしていたネコが、ストレス性の病気になってしまったことだ。ネコは家具が破壊される音を聞き、泣き叫ぶ私の声を聴き、壊れた箪笥を見、過度のストレスで過呼吸を起こし、自らのしっぽをかじり始めた。ネコの異状に気づき、獣医でそれがストレス性のもので、環境を変えるか、抗不安剤を投与するかしかないと聞くその瞬間まで、私は無気力のあまり離婚することすら考えていなかった。動物病院を出た私は、その日のうちに離婚届を手に入れ、元夫に書くように強制した。
元夫は渋っていたが、一連の暴力行為を私がICレコーダーに録音していることを知ると、あきらめたようにぐちゃぐちゃと署名をした。
おそらくこれを読んで私に好意的な気持ちを抱く人は少ないと思う。それは私が完全に自己完結しているからだと自分でも思う。私は折り紙付きの障碍者で、精神疾患を抱えているが、誰にも頼りたくないと思っているし、私が求めているものは、他人に求めるにはあまりにも重たいものだという自覚がある。
私はネコと暮らしている。ネコは私がいなくてもおそらく生きていけるだろうが、私はこのネコがいないと生きていけない。ネコは私の話を聞いて頭をなでてくれるわけでも、そっと抱きしめてくれるわけでもないし、「つらかったね」とかそういうことを言ってくれたりもしない。ただ生きていて、日向ぼっこをして、昼寝をして、ノートPCに向かう私の邪魔をチョコチョコとしてくるだけだ。
でもそんな存在を私は心から愛し、どの人間よりも深い信頼を抱いている。
誰にも愛されない、だれも愛すことができないと思い、絶望している、私と似たような境遇の人がいるとしたら、まずネコを拾うことを強くお勧めする。
さいきんSUICAならここだ、はやくピッてやれどこおすかわからないんだろ?ここださっさとぴってやれ!っていう店員が増えた
前回の記録
https://anond.hatelabo.jp/20200229040956
まだ 1 ヶ月も経っていないが、またあの美容室に行った。実のところ、切らなければいけないほど伸びてはいなかったのだけれど、美容師に告白されたことがずっと気になっていたのだ。
「好いていいですか」
入店するなり、その美容師は輝くような笑顔で迎えてくれた。少なくともあの言葉が偽りではなかったことがわかって少しほっとした。
髪を切られながら、いろんな話をした。天気のこと、コロナのことなど。若い女性とこんなにじっくりと話をすることはなく、充実した時間だった。
しかしピンチが訪れた。財布の現金が少ないことを思い出したのだ。Suica か PayPay が使えればよいのだが。無粋とは思いつつも尋ねた。
「ところで、電マは使えますか」
「えっ」
変な空気になってしまった。若い人たちは電子マネーを知らないのだろうか。あるいはこの美容師が知らないか、現金主義なのかもしれない。なんて古風なんだろう。ますます愛おしくなった。
「まあ、自分も時々使うだけなんですけどね」
何とか濁したつもりだったが、あまり反応がなくて心配になった。本当は毎日使っていることが見え透いていたのだろうか。
「好きますね」
銀座線の駅にあるやつ。
一見、オリンピックに向けて海外旅行者にも買いやすいようにしたのかな。
いま調べたら、2018年3月27日から導入されてる、その名も「旅行者向け券売機」!
でお金投入して発券。
まあSuicaで通れば良いんだけど、切符買うときは最短の150円か170円買って、降りる駅で乗り越し精算だね。
券売機で行き先までの料金表示とか言ってるけど、
「んーいくらですかねー」とかなって、券売機占有されるじゃん。
東京は色々接続してるし、切符を買う旅行者は、行きたい駅で降りて乗り越し精算とゆう名の後払いが良かったんじゃないかな。
乗り越し精算機は無い出口もあるよね。
今日の2000まで、渋谷山手線ホームの日清どん兵衛の有人店舗があったあたりで、「無人ラーメン店舗」を標榜した店舗があるので、興味ある方は行ってみては如何?
まあ、ワタシ的にはラーメン一蘭みたいなのを無人で展開しているのかな?と期待して行ったところが、高校生の自由研究や文化祭的な感じでした。。
流行りの技術をくっつけてみる、期間限定のお祭りみたいなものなのね。
・有人で2人いた。手順案内も有人で、ちょっとしたサポートどころか、人がいないと回らない。
・棚から自分で一般店舗のように自分でカップ麺を取って、決済ボタンを押してSuicaなどで決済。ブルボン自販機よりも手動。
・なんと、自分でカップ麺の蓋を剥いて、普通のポットから自分で湯を注ぐ。コンビニと同じ。
・席が5つあるけど、満席かわかりにくい(席に人がいなくても、まだダメ、と前述のサポートの人に言われたり)決済を一時停止したり、空席案内くらい表示できるでしょ?
・席に着くと、マイクロソフトのAIが顔認識していて、湯を入れてからの5分タイマーが自動で画面表示される。AI活用はこれだけ。無人写真プリンタみたいな間違い探しゲームどころか、システムの紹介やエースコック製品の動画とかもなく、待ち時間がただ表示されるだけ。5分って結構長いね。昭和のそばうどん自販機は30秒で生麺が出てくるよ。カップ麺も美味しいけど、昭和自販機はいわゆる生麺だし具も乾燥品や油揚げ品ではない生タイプ。
・退席時に自分でボタンを押して(顔認識使わないのか?)、自分でごみを返却口に持っていく。お掃除ロボットが動くらしいが、食べこぼしは自分で取ってください、だって(苦笑)。私なら、くら寿司のびっくらポンみたいな丼回収システムをトリガーにして、ホワイトボードみたいに机のテーブルクロスを巻き取り、ほかのゴミを回収しつつ裏面を洗浄する仕組みにする。
とにかく、「未来の店舗」を連呼している分、未来店舗というやつにガッカリしてしまいました。。AIは、センサーの化け物でしかなくて、システム設計は今後も人間が切磋琢磨して組む必要があるのよ。あなたはどう思われます?
GAFAや米国の思惑で、リブロ通貨などを欧米追従の出世競争で思考停止している財務省員の一部みたいなのが日本国内にゴリ押ししてくるのが懸念。
嫁が友人と出かけ、私もそろそろ出かけようかなと思った時にお義父さんから電話があった。
「財布忘れてるで」
まじすか。
その後LINEで送られてくきた画像は、お義父さんと財布のツーショットで「もらうで」というメッセージが書き込まれていた。
すんませんと平謝りし、財布はこっちに送ってもらうことになったが一時的に無一文。
ペイペイがあるがスマホでSuicaが使えないので、電車に乗れないし、今日友人と飲みに行く店は現金しか使えない。
なら事情を説明して延期してもらうとか、金を借りるとかすればと考えたが、友人は一時的に帰国しているので今日を逃すとしばらく会えない。友達に金を借りるのは絶対に嫌だしキャッシングなんかしたくない。
どうしたものかと思ったのも束の間。徒歩2分の所に質屋があったのを思い出した。キャッシング寄りはまだ罪悪感が少ないと思った。そして話のネタになるだろうと思い質屋へ行くことにした。
質に入れる物は、
の3点に絞られたが、結婚指輪は言語道断。カメラは今日使う。ギターは今日は弾かない。
というわけでギターに。
めっちゃドキドキしつつ、ギターに申し訳ない気持ちや、なんだか情けない気持ちが混ざり合い興奮状態に。
引き戸を開けると眼鏡をかけたおじさんがいて、「いらっしゃい。どうしたの?」と聞かれたので僕はカンタみたいにンとギターを差し出した。緊張のあまりにだ。
「質でいい?」と聞かれはいと返事をしたが他に何かあるのかと思ったら、買取もしているようだった。
「今日はなんできたの?」とか色々聞かれるのかと思ったけど、ギターを受け取って5分もしない内におじさんは「15万円まで大丈夫だよ」と計算機を見せてくれた。
この時初めて知ったけど、限度額が15万円なだけであって、その範囲であれば1000円でもいいそうで。
「あ、じゃあ2万円で」
その後僕は身分証明書を渡し、用紙に記入し2万円と質札を手に入れた。
高い。
財布が届き次第返しに行くつもりだけど、質屋だろうがやっぱり誰かから借りた金というのは持っていて落ち着かないなと思ったし、話のネタにもならない。。。。
補足