はてなキーワード: 歌舞伎町の女王とは
「ネット民の力を信じる」「スゴイ一体感を感じる」的なノリに冷静に距離置かせるカバオコピペがあったので2chは良いって棘が人気だけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2258034
そのコピペって2ch全体で貼られてた訳じゃないぞ。当時の2chは全能感全開だったぞ。
そんな中で特異だったのがこのコピペで、隣組破りというか異端というか、かなりの軋轢があって叩かれてたぞ。
元の「スゴイ一体感を感じる」の投稿がされたのは毎日新聞変態英字記事に対する炎上の中だったのが、この毎日の記事は単独のものじゃなかった。
当時、毎日のWEB版では時々変な性的な記事が載って一部の好事家の間で話題になっていた。
例えば愛染恭子というポルノ女優が居るんだが、彼女が紙面で夫婦間のセックス指南をしたり、関係が無いような社会現象でセックスが原因だからとまたセックス指南したりと結構訳が分からん記事を書いていた。
昭和40年代に「表現者」というアングラジャンルがあって、自分の性的な事を全面に出して芸術や芸能と結びつけるという表現形式が流行っていた。
三島由紀夫の聖セバスティアヌスとか『薔薇刑』とかはこの流れのものだ。宮台真司なんかがやたら自分の性体験を赤裸々に語るのも同じ流れにあるし、国民的アングラ女王椎名林檎の『歌舞伎町の女王』とかもそうだな。
多分この延長で「赤裸々な性」のコンテンツを目指したのではないかと思われる。
また紙の方に載っていたかも未確認だ。紙の新聞の日曜版は風変りな特集記事が載るし、また折り込み形式の特別版ともなれば全然新聞記事っぽくない、ミニコミ紙みたいな記事も載る。
そういう垣根で分かれていない、フラットなWEB版ではそれらはとても奇妙な記事群だった。真面目な記事と並列で愛染恭子などのセックス相談が載ってるというアレな状態だ。
炎上後直ぐに記事が見れなくなって増田は見てないのだが、そういう記事が英語に翻訳されて居たのではないか?という気がする。
ネットvs.旧メディアの図式でそれらのうち、「日本の娘はセックスが好きで」みたいな記事が炎上し、ROM人という法科大学院卒の人物が中心になって行ったのだが、当時の2chはかなりの全能感の中にあった。
郵政選挙で小泉純一郎は旧弊な既得権益に侵された日本vs.本来性を目指す右派革新という図式を提示して勝利し、2chもこの流れに乗っかっていた。今から見ると非常に紅衛兵っぽい。
変態記事想騒動は2008年の初夏であるから、この熱気支配されていて、迂闊に疑念を表したりすると叩かれてパージされてしまう。だから反対意見を態々いう者はほぼ居なかった。
また、大事なのは、犯罪予告連続逮捕事件群が2008年の冬にあった。「よーし、お父さん埼京線の上野駅で連続殺人しちゃうぞー」「学校の校庭で小女子を焼き殺します」が有名だ。
この事件群の以前には、ネットでの犯罪予告は全く逮捕されていなかったのだ。だから責任感とか全く考えず、その場の勢いで法人や個人を罵倒したりいわれのないデマ書き込みしたりが放置されていた。
これも全能感を加速させた。「あの新聞のこの記事は自分の一昨日の書き込みに反応したものだ」とかいうヤバゲな奴とか大量にいた。
そんな感じで冷や水を掛ける人がいない環境であった2chだが、幾つかの例外があって、その一つがガイドライン板、通称ガ板だった。
ガイドラインと言いながら運営上のガイドラインを議論するんじゃなくて、あるテーマに沿った面白コピペ収集やバカレスの晒しが大半だ。
ガ板ではそんな2chの全能感に水を注すようなコピペ収集が以前からされていて目を付けられていたんだが、「スゴイ一体感を感じる」のレス転載は一連の運動を馬鹿にするのが見え見えだから当然「〆る」つもりの反発も食らった。
だが、「スゴイ一斗缶を感じる」とか「すごい水上置換を感じる」とかの改変が多数行われると面白過ぎて盛り上がり、隣組圧力を突き放す形になった。
そもそも法科大学院を出た後にちゃんと就職しておらず、身分も精神も不安定であった。渦中の毎日新聞を提訴したのだが、そもそもこういう日本人の名誉=自分の不利益というのは反射的利益であって原告適格性を認められない。その法的文書も酷くて法科卒とは見えないレベルだった。
そして自殺予告や未遂を起こし、あまりに精神不安定さに同居家族がネットに書き込んで「これ以上持ち上げないで」と懇願するに至った。
因みに彼も1000万円を超えるカンパを得ている。
最近では見る事が少なくなったが、ネット中毒を拗らせて精神を病む、人格が社会から完全に乖離する、ゆえに破滅するというのは良く見られた。彼もその一人だ。ネットから引き離さないと直らないという典型的な状態だ。
こうして運動の方は自然消滅していった。カンパの1000万がどうなったかは知らん。
だから「すごい一体感」は2chの冷静さじゃなくて、全能感や一体感の隣組的圧力を意に介さなかったガ板の冷静さであった、ということ。
更に「ネット民の力を信じるすごい一体感を感じる」的ノリというのは、恥ずかしいもの、では済まず、結構悲惨で親族や本人の人生を巻き込んだ大仰な結果に至っているのだ、ということ。
椎名林檎が売れ始めた頃、現在のように各家庭にインターネットは普及していなかったと思う。
だから当時アーティストの生い立ちは、テレビやラジオなどの媒体を通して知るしかなく、メディアに露出していないアーティストの情報は発売された楽曲から想像するしかなかった。
この楽曲が発表されたころ、当時中学生だった私は椎名林檎は元風俗嬢なんだと思い込んでいた。
インターネッツが発達し彼女の情報を容易に得られるようになり全く違うのだということが分かったけれど。
当時は椎名林檎という元風俗嬢が書いたセンセーショナルな歌詞を聴き、林檎嬢の生い立ちを想像することに夢中になっていた。
〽
十五に成ったあたしを 置いて女王は消えた
毎週金曜日に来ていた男と暮らすのだろう
「あたし」は15歳。中学校を卒業する頃、母に捨てられ祖母と暮らしている。
母は歌舞伎町で働きながらシングルマザーとしてあたしを育ててくれてたけど、毎週金曜日にボロアパートに連れ込んでいた男とある日突然どこかへ消えた。自分の父親は誰か知らない。たぶん、歌舞伎町で働いていたころのお客さんの誰かなんだろう。知りたいと思わないけど。
18歳になり高校を卒業したあたしは、祖母の元を離れ母が働いていた歌舞伎町へ行くことにした。
クソみたいな母親だったけど、上京した当時は母に会えるかもしれない、なんて淡い期待を少し持っていたように思う。
〽
"一度栄し者でも必ずや衰えゆく"
消えて行った女を憎めど夏は今
歌舞伎町で女王と呼ばれていた母に瓜二つだったあたしは歌舞伎町に足を踏み入れてすぐ声をかけられた。
スカウトってやつね。どこに入るか悩んだけど、たまたま最初に声を掛けられたのが当時売上ナンバーワンの店だった。
もちろんスカウトを受けてそこで働くことにした。
あたしがその店でナンバーワンに昇りつめるまで、そう時間は長くかからなかった。
歌舞伎町のお客さんは優しかった。どうしてこの仕事はじめたの?って聞かれて「行方がわからなくなった母を探しに来た」なんて言うとお客さんは「またまたぁ、面白いこと言うね」なんて茶化してくる。歌舞伎町で働いている人間なんてみんな訳ありだ。
〽
女に成ったあたしが売るのは自分だけで
同情を欲した時に全てを失うだろう
Oh Oh
母に憎しみをぶつける機会など訪れることなく、歌舞伎町でナンバーワンになってしまった「あたし」
そんなあたしを世間の人はかわいそうだと言うだろう。だけど、同情なんかほしくない。
同情されたとたん何かが崩れ落ちてしまいそうだ。
母があたしの前から姿をくらましたときに、私は何者にでもなれた。
だけど、そうしなかったのはなぜなんだろう。
あたしを捨てた母なんかに負けてないって証明したかったのかもしれない。
いや、そんなことよりたぶん、どんな気持ちであたしのこと見てたのか知りたかったんだと思う。
母の目から何が見えてたのか、あたしがどう写ってたのか確認したかった。
大前提として、2016年紅白は近年まれに見る失敗回であり、大敗北だった。「いやいつもつまんないでしょ。今回だけとか騒ぐのセンス悪すぎ」というあなたは正論だがフシ穴だ。
ここ数年、マンネリ紅白は、それでもなにがしかの爪痕を残していた。「千の風」など販売面での掘り起こし、サザン、長渕などのサプライズ、Perfume、金爆、ももクロに代表される抜擢人事、あまちゃんオールスターズなどNHKならではの組閣などなど。
で、2016のこの無風具合はなんだ。
なんだといえばこれは、会社組織でもストーブリーグでもなんでもいいんだけど、典型的な「世代交代の失敗」である。
高報酬の高年齢層をリストラし、未知数の若年層登用を止め、見た目の効率のいい中年層とコネ人事で固めた結果、全員が自分の数字と派閥の力学しか見ない「無責任モード」になってしかもそれが悪い方向にしか働かなかった。
よく見すぎる失敗。
北島三郎、鳥羽一郎、和田アキ子、小林幸子、美輪明宏そしてSMAP! こういったハイレイヤーのいわゆる「精神的支柱」機能を甘く見積もりすぎ。
サブちゃん祭りしかり、ジャニ勢だって「最後はSMAPさんが」という心づもりがあってこその馴れ合いが可能だった。
高年齢層のリストラは必然だし粛々と進めるべきなのは確かだが、それにしたって0にするのは急すぎた。
五木はAKB喜び組で満足しちゃってるし、美輪明宏代役の大竹しのぶにしても、幸子代役の三森にしてもアッコ2.0のAIにしてもまだカリスマにはほど遠かった。
そして「新しい血」登用の停止だ。
お気づきだろうか。今年アニソン/声優枠は0、ネット枠も0、V系枠も0、アイドル新規も0だ(RADとXは勘定に入れづらい)。
近年の紅白の下がり続ける価値を、辛うじて上げ方向に下支えしてきたのが彼らだ。「他人が憧れるものに人は憧れる」。「紅白」を「オーヴァーグラウンド」の象徴としてとらえ、いまどき珍奇なことに「紅白に対する憧れ」を冗談でも口にし、紅白出場をフリでも盛り上げてきた彼らの功績を全切り捨てした罪は、単純に「驚きと喜びの低下」として番組に表れた。
後に個別に触れるので、軽くにとどめるが高中堅層のプロモっぷりはひどかった。低中堅層のフレッシュ、冒険の少なさっぷりも。
巷間ささやかれる「リハ不足」はいつものことだ。これはさらに大元の、個別の企画力の低さが原因だ。
前半出番のぶった切り編集演出は大成功だった。新曲初披露というフリを経ての「期待の裏切り」「紅白という『枠』のメタ視」「フレッシュさ」で群を抜いており、TVギャグとしても定番が故の爆笑があった。
そして圧巻は後半のPPAPフロイデremixだ。前半の原曲で「いかんせん大舞台には音薄すぎで向かないよね」との印象をすべて覆す音圧。
そして前半のアッちゃん絡み、タモリ絡み、ゴジラ絡みと、2016紅白の演出側ストーリー全てを引き受けたカタルシス(大したものでなかったとしてもストーリーは必ずカタルシスを生む)。
フレッシュさ、裏切り、時代感、引き受け具合、芸としての確かさ、音楽の喜び、笑い、めでたさ、我々がNHK紅白に求めるすべてがそこにあった。
文句なしの「今年の顔」。
ワンショットがMVPを取ってしまうのは、チームとしての紅白にとってもちろん悲劇でしかない。
サプライズという意味ではあれだけガッキーに振っておいてあの体たらくは、座組み側の失策。きっちりガッキーをキャスティングできていればMVPだった(あの恥じらいながらしょうがなくやらされるのがタマラン!というご意見は共感するが、マニアの見立てだ)
芸の確かさを見せた。
AKB五木以来、近年紅白演出が気に入り始めている「ソロ+応援出演」とかいうクソ手法を、本物の芸と華で打ち返し、格の違いを見せた。
子役とかソロダンサーの人は残念な見栄えだったが演出側が悪い。
周りが凹みまくる中、アンセムを堂々とやりきった。
This is 歌番組というセット、演出、選曲で、この中では逆にフレッシュだった。
ライブパフォーマンス単体として見れば2016紅白最高水準。でもそれ紅白ちゃうよね。
歌舞伎町の女王が西新宿の政治家になりました、という何の面白みもない追認劇。
かろうじて演出はフレッシュさがあったが、楽曲パワーなし。そして演出も結果TOKIOと二回まわしするという貧乏くささで台なし。
いやこれは東宝も新海も悪くないし、庵野組に至っては大変仕事したと思う。NHKなに考えてんの感。
「歌合戦」にワンフレーズもなし、来日ツアー告知だけのケータイ動画とかなめてんのマジで。
毎年なので言うに及ばず。とくに嵐の「政治だねえ」感は周囲の状況もあっての結果だがひどかった。新王誕生の祝賀とは到底見えない。
よりによって「メドレー」と称してデビュー2曲だけかよ。hi hiとかサンライズとかいくらでもあったろ若番なのに引き受け過ぎ。その後も何もないし。
LEDダンサー自体もう数年前の技術だし、「人数ふやしました!」と言われても…
キメの2階席同期ロトスコープ演出もカメラが追えてないという体たらく。
あと満島出すとこまでがんばれよNHK。
映像出しそんなにもったいつけてひっぱらなくてもよくね。新海がサボったのか、バンドが嫌がったのか、いずれにしろエゴの匂い。
無料投票で40万とかヤバくない? 票の実数を出したことで凋落が見える化された。
天人五衰。圧のなさがすごかった。
魔法も何度も見せられれば慣れる、とはいえ今回は福山林檎にすらアイディアで負けててライゾマ何やってんの弾幕薄いよ!ってなった。
そして有村架純は今さらのあまちゃん演出でのん(能年玲奈)代役だったことが判明。地獄。
秋にNHKであれだけ圧巻のステージ見せたのにまさかの中森明菜枠。地獄。
コメント切りのタイミングで「マジか」顔してたのがさらにつらみ。
もちろんSMAPという政治劇に巻き込まれた結果、目論見が外れたというのもあるでしょう。2016紅白は新帝王SMAPの戴冠式になるはずだったのは明白でした。それにしたってリカバリの仕方は他にあったし、それ以外の面でも粗だらけ。
結果、ゆく年くる年後に東京国際フォーラムから放送した生さだのほうが生放送音楽ショーとして5万倍良かったというすばらしい皮肉。さだまさし×岩崎宏美、生バンドバックの「夢で逢いましょう」の多幸感、スペシャル感、客席との一体感たるや、「ああ、年初から思いがけずいいもん見たな」と思えました。
異論歓迎。
椎名林檎がデビューしたのは、今から10年以上前である。デビュー後たった3年のうちに、「無罪モラトリアム」「勝訴ストリップ」という2枚のアルバムを発表、空前のCDブームにも相まって大ヒットした。
それが、最新のアルバム「三文ゴシップ」の売り上げは20万枚強。CD不況の中、この数字は決して悪くはないが、全盛期と較べるとやはり人気は落ちていると言わざるをえないのではないか。
そもそも、彼女の人気は一体何に由来していたのだろうか。見通しをよくするために、(多分に主観的だけれど)以下で整理するとともに、最近の低迷の原因を探ってみたい。
「勝訴ストリップ」あたりまでの楽曲の歌詞には、主に次のような特徴があると思う。カッコ内の曲名はその代表例。
1 不安定な自我、死への接近(「同じ夜」「浴室」「アイデンティティ」など)
2 恋愛という二人きりの「閉じた」関係への指向性、濃密な情念(「ここでキスして。」「本能」「ギブス」など。この特徴は初期椎名林檎の大部分の歌詞に共通している)
歌詞世界以外にも、人気の理由として以下の特徴が挙げられる。
4 命を削るような、刹那的で独特な歌い方(「同じ夜」「罪と罰」などで顕著)
5 セルフプロデュース(あまりにも有名な看護婦のコスプレや虚言癖、破滅的なロックスター像の演出などによる、エキセントリックなアイドル「椎名林檎」像の構築)
アルバム「絶頂集」前後を境に、上記の特徴のうち、彼女は1と5、部分的には2と4を放棄していく。代わりに新しく加わった特徴は、歌詞の多様化(「茎」「りんごのうた」など多数)とロック以外への音楽性の拡張である(但し、初期の東京事変ではロック性が強いし、また「無罪モラトリアム」ではロック以外の楽曲も多い)。
人気絶頂期の主な支持層が少女から若い女性であった事を考えるに、オンナノコのカリスマとしての椎名林檎を成り立たせていた上記の要素を大部分放棄したことは、彼女の人気の低下につながったといえよう。
加えて、
・ロックからの乖離(アルバム「加爾基 精液 栗ノ花」「娯楽」など)
・東京事変における作曲の部分的放棄(メンバーが作った曲を歌うことが多くなった)
は、稀有なシンガーソングライターかつロックスターである‘椎名林檎’を支持してきたファンをも失望させた。これが、近年椎名林檎が失速している理由である。
…個人的には、今の林檎が一番好きですがww