はてなキーワード: 依存症とは
ネットde真実君なネトウヨ等はとにかくパチンコを叩くのか気に食わない。マルは日の丸、ハンは恨みの恨(ハン)というところだけを切り取ったスクショをネット中にばらまくような連中が嫌いだ。このマルハンの会長の言葉には続きがあって
『マルは日の丸 ハンは恨みの恨
https://youtu.be/ndoimd5Ysf8?t=5m32s
要するに嘘っぱちなデマを韓国の新聞に書かれたということであることがわかる。
んでもってカジノのためなのかなぜかパチンコ業界がやり玉に挙げられるようになっているのも気に食わない。パチンコ業界は依存症対策のためにリカバリーサポート・ネットワークというのをつくったり射幸性の高い機器の規制、撤去を進めてきた。
少なくとも公営ギャンブルよりも依存症対策は取り組んでいる。公営ギャンブルなんてお客様相談窓口で依存症対策してきましたと言い張る始末だからね。
https://news.yahoo.co.jp/byline/takashikiso/20161228-00065983/
隣のカップルの男が「ストレス耐性は人によって違うから鬱になりやすい体質があるうんぬんかんぬん」と女の方に語っていた。
何かの本に影響されたらしい。
女の方はうんうんへーと聞いているが時々「それってさ……」と言いかける。
あ、この女ただの頷きマシーンの女ではないんだなと思った。
でも男はすかさず「いや、最後まで俺の話聞いて」と遮る。
でもうろ覚えで間違ってる。「アルコール中毒などの依存症は脳内のセロトニンが出すぎてしまっているせいだ」っつってたけど、ドーパミンでしょ依存症の原因は。
マシンガントークの合間に女が何か言おうとすると「だから俺の話最後まで聞いて」と言う。
この男、会話ってものをする気ないらしい。
私がすごいなと思ったのは女の方がそんな理不尽な言われ方をされても「ちゃんと聞いてるよぅ><」って言ってた事だ。
すごいなぁ。
私だったら会話出来ない頭でっかち男とまともに付き合う事なんて出来ないわ。
ただただ純粋にすごいと思った。
22歳くらいの頃、夜眠れないようになり部屋で寝酒を始めた。
最初は缶チューハイ。200ml一本で気持ちよく入眠できた気がした。
家の階段で転んだり壁に頭をぶつけたり、記憶をなくすこともしばしば。
それでも何か楽しくて、幸せな気分で眠りにつけていた、当時は。
仕事に支障をきたすことはなかったし酒代で困窮するわけでもなかった。
そして30歳を過ぎた頃、貰い物のロイヤルサルートが美味しくて赤ワインからチェンジ。
一晩でボトル1/3から2/3も飲むようになってだんだん(これはマズイかも)と思うようになってきた。遅すぎるけど。
家族に隠れて飲んでた訳じゃないし(まあ自分の部屋だけど)昼間は飲まない。手も震えない。
自分はまだアル中じゃないと思っていた。会社の健康診断で問題もなかった。
でもこれからずっと今のペースで飲み続けたらきっと40歳くらいで死ぬんだろうなと思うようになった。
眠れないなら病院で睡眠導入剤を処方してもらえばよかったのだ。
でも当時はアルコールによる多幸感から離れられず、眠るためと言い訳をして酒を止める気は全くなかった。
月並みだが、恋の病にかかり飲食物が喉を通らなくなり、急に酒が欲しくなくなってそのまま飲まなくなったのである。
それ以前にも交際相手はいた。おぼこ娘でも高齢処女でもなかった。
片想いでもなく相手に振り回されていたわけでもないが、なぜかその恋に夢中、胸がいっぱいで何も食べられなくなっていたのだ。
ずっとその状態なら死ぬのだが幸い食欲は戻った。酒だけが欲しくなくなった。断酒するつもりはなかったのに。
なんだかんだ恋にうつつを抜かしているうちに、夜眠れないこともなくなった。
ぶっちゃけ激しい○ックスで疲れ果てあっという間に寝てしまうのだ。
数年後、その相手と結婚しそれから月日は流れたがアルコールはほぼ口にしていない。
アルコール依存ブロガーさんがはてなで話題になっていたのを見てふと自分のことを思い出して書いてみた。
[追記1/29]
上では触れなかったが、飲酒を始めたころからスポーツジムにも通い始めていた。酒以外で眠る方法を探す気はあった。
のめりこむたちなので、かなりムキになって取り組んでいたと思う。
ストレッチ、ランニング、マシントレーニング、エアロバイクなどのメニューをこなし平日は2時間、土日はさらにプールで2kmほど泳ぎ3、4時間もジムにいた。
もともと痩せて薄い体型だったがうっすら筋肉がつき、体脂肪率はずっと17から19%くらい。(女です)
だけどヘロヘロになるまで運動しても逆効果だった。運動のあとは余計酒がうまいのである。
トレーニングしながら、帰って飲む酒を楽しみにするようになっていった。
この頃はスコッチウィスキーのロイヤルサルートから始まって国産ウィスキーの余市、響、山崎など色々飲むのが楽しくなっていたので睡眠導入剤のことは忘れてしまった。
http://www.ask.or.jp/shinkoprocess.html ここの定義だと私は依存症との境界線にいたということになる。
12年もの間大量飲酒しながら境界線にとどまっていられたのだ。危なかった。
断酒から10年近くたったが、その間一滴も飲まなかったわけではない。ビールやワインで乾杯する機会は何度かあった。
やっぱりおいしいと思ったが、一杯で充分だった。元の大量飲酒に戻らなかったところをみると脳のアルコール回路はできていなかったのだろう。
今回件のブロガーさんのアル卒宣言の記事やそのブコメなどを見て、当時の自分がいかに危うい状態にあったかということを思い知らされた。
能天気だった。断酒したのも自分の意志じゃないしなんの努力もしていない。
そもそも断酒する気もなかった。減らしたいなあ、いつかそのうち、お金がなくなったらやめるだろうなあ、みたいなことは思っていたが。
たまたま振り返る機会を得てこうしてつらつら書いてみると、本当にバカだったな。今生きていられるのも運が良かったからだろうな。
ギャンブル依存症の疑いがある人が国内に500万以上いるから反対とう言う意見もある。
あれ?カジノできる前から依存症の人こんなにいるっておかしくない?カジノ反対より先にやることあったんじゃない?
極端な話し通学路にさえそういう施設もあるわけだし、依存率が高いとか掛け金が多いとかもうね。カジノの1つや2つできても今更変わらないでしょ。
やる人はやるしやらない人はやらない。現にそういう施設の収益も年々下がってるわけで、日本人も馬鹿じゃない。
まぁテレビでもスポンサーにもなってて悪く言えなし、それで困る政治家もいるから仕方ないか。
「精神に作用する化学物質の摂取や、ある種の快感や高揚感を伴う行為を繰り返し行った結果、それらの刺激を求める耐えがたい欲求が生じ、その刺激を追い求める行為が優勢となり、その刺激がないと不快な精神的・身体的症状を生じる、精神的・身体的・行動的状態」
勉強はどうだか知らないけど、仕事依存(ワーカーホリック)というのは症例として認定されてる。
とかいうと「WHOの定義も曖昧だ」とか「例がないから依存症じゃないのはおかしい」とか重箱の隅をつつくようなことを言われそうだけど、依存についてはいくつも論文があって回復のためのプロセスも世界的にかなり研究が進んでる。
関西で泊まった正月の宿で、混むからと言われ朝食会場に早めに行って開くのを待ってた時に来た関西の方と思われる老夫婦。
旦那さんの方が様子がおかしくて、奥さんの言動から推測するとどうやらアルコール依存で奥さんが寝てる間にどっかから酒を調達して飲んじまったらしい。
並んでいた私たちに機嫌良く話しかけてきて、しかしフラフラでまともに立っている状態をキープするのが難しいように見えた旦那さんは、奥さんから座ってて!と言われて床に座ったり転がったりしていた。我々への軽口と楽しげな表情やしぐさは、確かに酔って陽気になってる人のようにも見えたが、意外にも酒臭かったりはしなかった。
そうこうしている間に開場待ちの列が本格的に出来始め、旦那さんは他の人達に合わせるためか立ち上がろうとした。その時バランスを崩し後ろに転倒、そこにあった立て看板を背中で吹っ飛ばし破壊はしたが、更に後ろにあった壁の前にうまく倒れたため幸い壁や床に頭を打つことは免れた。
周囲の男性陣に助け起こされた旦那さんに奥さんは怒り、嘆き、その身体を叩いた。合間に周りに謝り倒しながらおそらく壊した看板の件を謝りにフロントに行くためか、旦那さんの腕を掴んで壁の横のエレベーターに乗って去って行った。
(ちなみに立て看板は元々半壊状態をテープで修復していたものだったので、多分弁償と言う話にはならなかったと思われる)
二人とは朝食後にチェックアウトを済ませて乗ったエレベータで再会、再び謝られた。一時間以上経っていたからか、フラフラがマシになっていた旦那さんは普通の状態に戻りつつあったように見えた。こっちに手を振るまだ機嫌の良い状態の旦那さんと、頭を下げる奥さんに見送られて宿を出た。
「依存症の旦那さんが、おそらく奥さんが寝ている間にホテルの自販機で酒を買って飲んだ。酒臭くないのにフラフラしていたのは服用している薬との飲み合わせのせいで身体の症状が強く出ているため」
明らかに依存症の旦那さんはまあ「わかる」。一生断酒は大変だろうなと思う。我慢できなかったのだろうなと思う。
朝食会場の前で、奥さんは旦那さんに向かって半泣きの声で訴え、私たちに謝りながら「この人治療中なのにまた飲んだんです、また病院に行かないと」「もう、どうしてまた、飲んじゃったの?ねえ、どうして」と言っていた。
見た目は『懲りずにアルコールに手を出してしまう夫に苦労させられている可哀そうな奥さん』だった。
でも何故か私が感じたのは『奥さん迂闊やなー』だった。
なんで治療中なのに旅行?旅行って酒を買う機会・口実を与えるようなものではないの?
宿では24時間自販機から酒を買えるのに?(知らなかったのかもしれないけど)
耳にした言葉のイントネーションから関西の方のようにみえた。墓参に伴う宿泊だったのなら日帰りもできたのではなかろうか?なんでこんな展開になるかもしれない状態の旦那さんを連れてわざわざ宿泊したのだろうか?何で?
何でフラフラで歩くのも覚束ない状態の旦那さんを朝一で食事に連れ出す?まともに食べられるとでも?連れ出すとしたら薬もアルコールの効果も薄れそうな朝食時間終了間際の方がどう考えてもマシなのでは?
等々、ずっとモヤモヤしたまま家に帰ってきて、Wikipediaのアルコール依存症のページを見てみたら、奥さんが典型的な「イネーブラー」「共依存」のパターンだと知ってモヤモヤは晴れた。
ほんの少し前まで情報垢をやっていた。というか今でも垢消しはしていないので戻ろうと思えば戻れるのだがしばらくはいいかな、と思っている。
情報垢とは主に個人情報、プラ画(主に遭遇)、コンサートの音源や動画などを物々交換するアカウントのことである。これは違法だ。犯罪だ。そんなことを私はしていたんだなあと、やや他人事のように思っている。
情報垢を知ったきっかけは、友人がはじめて「○○の住所を教えてもらった」と言われたことだった。それで情報垢を見てみたけれど、「こいつらなに犯罪してるんだ」としか思わなかった。
しかし、それから1ヶ月もしないうちに私のヲタ垢が情報垢にフォローされた。情報垢を見たときはログアウトもしたし、すごく普通のヲタ垢なので何故フォローされたのか未だに謎である。それでなんとなく自分もやろうと思った。自分よりたくさんのことを知っている人が羨ましかった。
はじめてみると、すぐに麻痺をした。「犯罪なんてバレなきゃいいじゃん」って思った。依存症のようにヲタ垢なんて放置してずっと情報垢にこびりついていた。次から次へとバラマキ企画と呼ばれるいろいろなものをもらえる企画に参加した。丁寧な言葉遣いで好かれるように、迅速な対応で不便をかけないように心がけた。なんの頑張りだったのだろう。
情報垢で流れている情報が嘘なのはわかっている。でも、はじめの私はわかっていながら病んだバカだった。風呂場で泣いた。バカみたいだと思って情報垢を辞めた。
でも、辞めると自分の行っていないものがわからない。レポでは言葉しかわからないが音源では喋っている。大違い。何もかもを知りたくて、知りたくて半年も経たずに出戻りした。
その時には完全に嘘だと理解した上でやっていたので全く病むことはなかった。1度目の経験を活かして企画も行った。自発の動画も流した(一応言っておくが盗撮ではなく遭遇のものだ)。最終的にフォロワーは500人を超えた。この前のツアーでは高画質の動画をいくつももらってそれを交換した。すごくかわいくて、すごくよかった。再生するときの背徳感が逆に楽しくなっていた。「○○ないですか?」と一言呟けばリプやDMが10人以上は来た。舞台の音源もコンプした。調子に乗っていた。
企画をするのが面倒になって、ヲタ垢のほうが楽しくなって、やめることにした。でも垢消ししたらなんか言われそうだから垢消しはしない。
もしこれからはじめる人や新規の人がいたらとりあえず企画をしておけばいいと思う。フォロワーが増えれば信用が増してフォロバ率が上がる。すると協力してくれる人が増える。リストはなるべく早く作ること、まめに更新すること。返信を早くすること。些細なことでいいから協力すること。
礼儀や敬語を学べたのは今後役に立ちそうだなと思っている。今は糧をたまに見てまったり楽しんでいる。
いくら嘘とはいえいろんなエピソードで夢をぶち壊されたはずなのに、コンサートへの思いなどを見て感動してしまう私はやっぱり幸せなヲタクだな。
かまってくれてありがとうって所がとくに。恐ろしく自信の持ち方わからないんだ。
増田は親に自尊心を与えられないどころか奪われたと思っていい。
自分と同じ苦しそうな人間を見て安心したし、貴方がいてくれてよかったって思ったよ。
同じ依存症とか悩みの人が集まるのって一人でない安心感の為にあるらしいんだ。
私は貴方に伝えたいことを自分には言えないだろうし貴方もそうだと思うんだ。
一般人が持ってる安心感とか生きてていい心地が与えられてないんだ。
私がするような話を否定する人もいるけれど。
そういう人と距離をおいて本当の自分に優しくする時間を作らないといけないらしいんだ。
ネット越しの通りすがりってだけで大きな支えをすることは出来ないけど、
母がしんどいって本は読んでて傷つかない本だったから貴方にもおすすめしたいな。
同じ悩みを持ってる人がいるって結構心強いんだ。