はてなキーワード: ビルマの竪琴とは
タイトルがうまくこなれた表現にならなかったけど、例えばベルギーのアントワープといえば『フランダースの犬』だけど、あれ原作はイギリス人だし日本人はアニメでよく知ってるけど、全然ベルギー発じゃねえし、ベルギー人はあの話よく知らねえらしいし、みたいなの。
他にどんなのあるだろ?
自分がおもいついたのは、
・オベラのカルメン
すげえスペインのイメージで、曲もよく聞くけど、作曲したのはフランス人のビゼー。
情熱的なロマの女・カルメンが世界中でスペイン女のイメージに強く影響与えちゃってることに、ちょっと辟易してるスペイン人も結構多いらしい。
あ、花じゃなくて曲ね。なんとなくオーストリアの曲だと思ってる人がいるらしい。元々、ミュージカルのサウンド・オブ・ミュージックの曲だからアメリカ発。
以前、オーストリア大統領がアメリカを公式訪問したとき軍楽隊がこの曲を流したことがあるらしい。なんか傲慢な失礼さ加減アメリカっぽい。
これは日本国内限定だけど、テレビで中国とか中華料理関係の映像流れるときにやたら使われてる。
どんな曲か知らないって人も、https://youtu.be/iP9mmbki1ro のオープニングと2:59あたりからのやつは、聞きたことあるはず。作曲は大島ミチル。
ドラマの方は視聴率が振るわず、予定を早めて終わったらしい。自分も見た記憶がなく、この曲がドラマのサントラなのも最近までしらなかった。中国人はほとんど知らない曲だと思う。
どっちも現地にはないらしい。
ある世代以上の日本人はビルマ(ミャンマー)の坊さんは竪琴もってるというイメージからいまだに抜けきれてないが、ビルマの仏教では戒律で僧の歌舞音曲は禁じられているので、竪琴も持ってない。作者竹山道雄の想像の産物。
他にも色々あるはずなので、探していきたい。
販売中止に至った理由は関係者以外にはわからないことも含め多々あるとは思うけど、今回の件で個人的に思ったのは以下三点。
1、「作中で描かれること」と「グッズ化すること」との違いを十分理解しないまま商品化が企画された。
2、グッズ化する商品が作中で差別を象徴するものであると同時に現実の差別を象徴するモチーフと類似していた。
まず1、「作中で描かれること」と「グッズ化すること」との違いについて。
漫画の作中で悲惨さ・凄惨さ等のいわゆる「負の部分」を描くことは、全く非難を受けない訳ではないけど、
現実のできごとを馬鹿にしたり面白おかしく伝えるような描き方でなければ、
販売停止とか発禁処分みたいな厳しい対応にはならないのが普通だと思う。(グロテスクさや露骨さの度合いにも寄ったりするけど)
でも、今回はその「負の部分」を商品化した。
悲惨さや凄惨さを伝えるみたいな文脈を持たない、一部分を切り取って、商品化した。
するとどうなるか。
現実の世界にそれを売っている光景と持っている人が現れる。(今回の件では受注生産だけど、転売等の可能性もあった)
欲しがって買う人の笑顔や、買って着けたり飾ったりして嬉しそうにツイートしたりすることが現実の世界で現れる。
作品の中で描かれれば、それを直接知るのはその作品に触れた人だけだけど、
いろんな人が現実に現れたその作品の一部を見たり聞いたりすることになる。
作品を知らない人からすれば、「あれは何だ?」「〇〇に似てるな」「馬鹿にしてるのか?」
とどんどん悪い方向に話が飛躍していってしまうことも十分ありえる。(意図してそういう方向に持っていこうとする人もいるだろう)
もしそうなったら、ビジネスとしての商品化は明らかに失敗だし、原作の評判にもキズをつけてしまうことになる。
作品の中で描かれることと、作品の一部を切り取って現実の世界でグッズ化することにはこういう違いが存在すると思う。
次に、グッズ化されたのものが差別の象徴であったことについて。
いくら「作品の中での差別だから現実の差別ではない」といっても、
それは作品の中でならの話。
1で書いた通り、グッズとして現実のものにするとなると、話が変わる。
とにかく、作中で「架空のキャラクター」が「架空の差別の象徴を身に着けること」と、
「現実の人間」が「実際の差別の象徴と誤解されかねないものを身に着けること」とは大きな違いがあるはず。
今回の件では特にグッズ化のマズさに拍車をかけた点が2点あって、
1つは上記の通り、作中で描いた差別の象徴が、現実での差別の象徴と類似あるいはそれを想起させるようなものだったこと、
もう1つは、世界的な情勢としてBLMやらanti-Asian violenceやらチベット・ウイグルのあれやこれや等で差別にとても敏感だったこと。
現実での差別との類似あるいは想起っていう燃えやすい材質を使って、
そりゃ燃えるよね、って話。
3つめは、グッズが主にコスプレ向けのものだったことについて。
エロやグロでも、世間から「芸術」とみなされれば批判は受けてもそこまで燃えない。
裸婦画とかゲルニカ、官能小説やビルマの竪琴とか。(エログロの音楽ってあるのか?あるんだろうなぁ……)
たぶん、良からぬ意図があると疑われにくいいジャンルほど燃えにくいんだろうっていう感じ。
だから、絵画より文学のほうがやや燃えやすいし、そもそも芸術として認めない人も多いようなジャンルではもっと燃える。
コスプレはどうだろう。
もう十分文化ではあると思うし、「作品」として十分成立する芸術的なクオリティのものもたくさんあるんだとは思う。
でも、ただの「作品」じゃだめなんだ。
悪くいえば「お高くとまったような芸術」みたいな地位じゃないと、
「芸術」としてはまだまだ批判を受けるジャンルなんだと思う。(映画、漫画、ポップスやロック音楽等もそうだとおもう)
その中でもコスプレは好き嫌いがはっきり分かれるものだと思うし、
作中での文脈なんて知らねーって人がいる以上、
「現実での差別を利用して金儲けをする原作側も、差別の象徴を身に着けて喜ぶオタク共もけしからん!」、
ってなる人が少なくないのも無理はない話、というかそれが現実だってことは受け止めないといけないと思う。
理想と現実も当然区別しないとそもそもお互いに議論にすらならないから。
大切な人が怪我しそうなら止めるのと一緒で、
最近、メディアでミャンマー情勢を聞くことが増えている。軍部のクーデターで情報統制が敷かれ自由が奪われ、国民が弾圧されているというのだ。ニュースを聞いていると、少し昔にミャンマーを旅行したことをふと思い出したので、備忘録的に増田に書き残しておく。
2014年、私はミャンマーを旅してた。この前年、ゴールデンウィークに旅していたウズベキスタンの乗り合いタクシーで偶然出会ったベテランバックパッカーから、『早めに訪れるべき国』と紹介されたのがきかっけで興味を持ったのだった。曰く、「数年前からテインセイン政権が民主化をすすめていて、外国からヒト・モノ・カネが流入しだしている。そう遠くない時期にマクドナルドやコカ・コーラ等の海外資本で町が埋め尽くされ、純朴な国民性が拝金主義に染まり、メジャーな東南アジアの観光地のようにつまらない場所になってしまう。”素”のミャンマーが見れるのは今の時期しかない」とのことだった。その翌年だっただろうか、ANAがヤンゴンに新規就航した。クレジットカードのポイントで『丘マイル』がたまってきていたので、今しかないと思ってミャンマーに飛んだのだった。
ところで、私が旅を決めた2014年当時、ミャンマーの情報は書籍上にもネット上にも乏しかった。(今でもかもしれないが。)非常にベタだが、自分なりにミャンマーの知識を得るために、『ビルマの竪琴』を読み、高田馬場のミャンマー人街を訪れ、増上寺のミャンマーフェスに参加し旅の前に気分を盛り上げた。それら事前に集めた情報をもとに旅程を決めた。最大都市のヤンゴン、古都マンダレーとパガンを3泊4日ですべて回る。そのためにルートづくりは難航したが、夜行バスや、エーヤワディ川の水上ボート等を組み合わせて何とかめどがついた。
初めに訪れたのはパガン。初日にヤンゴンから夜行バスで向かって、到着したその日の朝に到着。その足で宿に荷物を降ろし、仏教遺跡にむかう。パガンの仏教遺跡は当時、全く観光地化されていなかった(今はわからないが)。滅びた過去の王朝の栄華を残す草原に埋もれた遺跡で、地元の仏教徒が花やろうそくを備えて信仰のよりどころにしている。そんな感じのところだった。遺跡は非常に広大なため、効率よく回るために宿で中国製の電動バイクを借りたのだが、これが曲者だった。バッテリーの残量メーターが適当で、まだ半分ほど充電が残っていると思っていたら、バッテリーがふいに止まり、南国の強い日差しのもと10km近い距離をただの重りと化した電動バイクを押して帰る羽目になったのだ。
ミャンマーの古都マンダレーへは翌日の早朝に向かった。ミャンマーを流れる大河、エーヤワディー川を観光ボートに乗って移動するのだ。朝日が昇る前に、宿の主人にお願いしてエーヤワディー川のほとりの船着き場に送ってもらい船に乗り込む。乗客はほとんどが欧米系観光客で、日本人は私一人。東南アジアでよく見る中国系・韓国系の旅行者は一人もいなかった。船に乗り込んですぐに、日の出を見ることができた。大河から見る朝日は非常に美しく、カメラのシャッターを切りまくった。だが航行時間は10時間以上と非常に長く、暇を持て余す。近くの旅行者に話しかけるとドイツ人だった。大学時代に習った片言のドイツ語で、「Ich lerne Deutsch bitte.」と話すと猛スピードでドイツ語会話が始まり、まったく聞き取れなかったので英語に切り替えてもらってコミュニケーションをとったりしていた。
10時間を超える船旅を経てマンダレーに到着した。マンダレーの市街地は船着場から離れていたのでタクシーを借りて中心地に向かう。旅程に余裕がなかったので、そのままタクシーで主要施設を回ってもらい、観光をこなす。そのまま勢いで長距離バス乗り場へ向かい、マンダレーからヤンゴンに向かう高速バスに乗り込む。ヤンゴンにはその日の夜10時ごろに到着。夜間の異動で治安が不安だったが、特に問題もなく宿に到着。最終日に備えて睡眠をとる。
ミャンマー滞在最終日。最大都市のヤンゴンで街歩きをし、国民食のモヒンガーを食べたり、過去のイギリス統治時代の建築物を見たりして過ごす。町中の家には見たことのないような巨大なパラボラアンテナがつけられており、台風対策で軽量化する必要があったからだろうか、日本で見かけるものとは違い皿の部分がメッシュになっているのが印象的だった。街歩きついでにミャンマー国鉄で市内を移動したりもした。東京でいうところの山手線に相当する環状線がヤンゴンにもあり、Circular Lineと呼ばれているものだ。料金は非常に安く、日本円で10円くらいだっただろうか?車内に外国人は一人もいなかった。パガン~マンダレーで見たような欧米系の旅行客はタクシーをチャーターして市内観光をしているのだろうか?しばらく客車に乗っていると、私が日本人とわかったのか日本滞在経験があるというミャンマー人に話しかけられたのだ。観光地で話しかけてくる現地の人は、たいていお金目当てなので警戒してたのだが、悪い人ではなさそうだったので聞くだけ話を聞いてみたら、バブル期に名古屋で期間工をしていたらしかった。
駆け足でいろいろな経験をしながらミャンマー観光を終えた私は日本に戻った。実際に現地を見てきたことで知的好奇心を満たされた私は、しばらくミャンマー情勢から興味を失っていた。が、最近またニュースで日々ミャンマーの情報を見聞きするようになり、ふいに旅行した時のことを思い出したのだった。当時であった人たちは今も元気にしているだろうか?数年後にコロナが収束しても、軍部主導の政治体制で外国人が自由にミャンマーを旅行できる時代が再びやってくるのだろうか?今はただ、遠く離れた国を思い出しつつミャンマー国民の無事を祈るばかりである。
その際、アンチ・アウン=サン=スーチーさんなミャンマーの方とたまたま1時間ほど話す事ができました。運よく連絡先もゲット。
勉強不足だということが主な原因ですが
いままでニュースで聞いた話しとはガラッと異なる内容で興味深かったので下記、まとめてみました。
長いですが、よければお付き合いください。
また、事実かどうかは不明ですが、ひとつひとつ調べていると遅くなるので、とりあえずは記載。
事実と異なる場合は随時加筆したいと思います。聞いた話を書いているので「~とのことです」が多いのはご勘弁ください。
2011年、ミャンマーでは市民に対して友好的な派閥の軍部が政権を取った後、
今回の選挙もそれほど大さわぎするほどの話しではない、また、同じ理由で国内の混乱は少ないとのことでした。
今では思想の弾圧も無く、携帯電話や車の購入も解禁され、ワイロでの不法な移民の入国は鳴りを潜め、
ダム建設など国家事業の是非も国民の意見を取り入れる良い政府になったそうです。
当初から2020年までの大規模な民主化計画が練られているとのことでした。
#確かに、特にヤンゴン市内では乗用車は比較的新しいものが多く走っており、ラッシュ時にはひどい渋滞になっていた。バスやトラックはボロボロのものが多かった。
#また、観光地バガンでは貧困層と思われる観光用の馬車の御者ですら携帯電話で連絡を取り合っていた。
その方の話しでは、アウン=サン=スーチーさんの元カレはイスラム教で彼女は思想的に親イスラムなので、
バングラデシュからの移民のロヒンギャ族に市民権を与えるのではないか、とのことでした。
なので、今回の選挙の結果は生粋のミャンマー人としては本来ならあまり歓迎できる話しではないそうです。
それを知っている人は少ないそうですが。
また、彼女の父はイギリスから独立するために戦ったのに、彼女自身はイギリス人と結婚した事にも、不信感を持っているそうです。
ロヒンギャ族は、バングラデシュから2011年より前の腐敗した軍へのワイロでミャンマーに流入し、
現在は西部のラカイン州で、人口の80%を占めるまでになったそうです。
これに付随して、結婚などで地元住民が無理やりイスラム教に改宗される問題も発生していまい、
熱心な仏教徒の多いミャンマーでは、大きな問題となっています。
また、元々130以上の少数民族がいるミャンマーでは、それぞれの民族が独立自治を目指しており
そこにロヒンギャ族の問題が加わったため、状態がさらに悪化の一途をたどっているとの事でした。
ソビエトがロシアに変わった途端にバルト三国などが独立し、国土が狭くなった事を例にして、ミャンマーでも今後同じ事が起こると話しています。
しかも、ミャンマーは小国で、アウン=サン=スーチーさんは親欧米派のため、
これまで以上に中国からの風当たりが強くなるのではないか、とのことです。
いままでの軍事政権は中国と仲が良かったため、この危機を防いでいました。
お話をしてくれた方がアウン=サン=スーチーさんに投票した人たちになぜ投票したのか聞くと
「彼女はミャンマーを変える!」という答えが返ってくるそうです。
しかし「どう変えると思うの?」と聞いても
「分からない。でも彼女は変える!」としか答えられない、と嘆いていました。
#観光地では平日路上で仕事をしている子供も多く、国内の教育の水準が低いことが一因かもしれません。
以上です。お話を聞いて、とても興奮し、より多くの方とこの知識と共有せねばと思い、こちらに投稿いたしました。
ちなみにこの方、軍の方でもなく、市井で一般的な商売をしているミャンマー人の方です。英語で会話しました。
私のつたない英語で聞いた話しなので、上記が誤っている場合は、私の英語力の無さが主な原因な気もします。。
現在のミャンマーの政治は腐敗している、アウン=サン=スーチーさんがそれを変える、となぜか確信していた自分を恥ずかしく思います。
ちなみに観光地としてのミャンマーは実感としては、高速道路が無く、舗装された道が少なく、電気・ガスがあまり通っていないため不便ですが
ものを落としても追いかけて渡してくれるくらい安全、敬虔な仏教徒が多いためか穏やかな気質の方が多く、西洋人の観光客でごった返している、という感じでした。
30年くらい前は日本人だらけだったそうです。。「ビルマの竪琴」の影響か?
なお、はてなダイアリーには今回初めて投稿しました。調べながら頑張って書いてみましたが、見づらい、間違っている点などありましたら申し訳ありません。お知らせください。
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2015/12/2 7:30ごろ追記
コメントたくさん来てた。トラックバックも。ありがとうございます。じっくり読ませていただきました。QAすごい。。。
厳しいご意見が多いので反省ばかりです。皆様のおっしゃるとおり、今までそこまで関心はなく、ニュースも触りだけ読んできました。
1. 匿名ダイアリー間違ってましたか。ふらふら来て書いてみたのですが、ちょっと浅はかでした。匿名ダイアリー内の空気読めてなくて、すみません。
ふつうのはてなダイアリーが正しいのかしら。もし、そちらが正しいようでしたら、そちらに転載いたします。自分で調べろカスって言われそうですが。
2. セルビア、ご指摘ありがとうございます。これは完全な記憶違いでした、申し訳ありません。上記、バルト三国、と記載を改めました。
3. 360度変わった方々:煽りっぽいタイトルで期待させてすみません。タイトルを「変わる」ではなく「変わった」にしました。