はてなキーワード: すり鉢とは
まだ3回目くらいだけど。
昔から雑貨屋でよくお香を買ってたけど、ふと自分でも作れんじゃないかとYoutubeで検索するとそれっぽいのが出てきたからやってみることにした。
最初は公園に落ちているヒノキの葉を持ち帰って、4,5日くらい感想させて、すり鉢ですり潰してぬるま湯をちょっとづつ足しながら粘土っぽくなったのを手で円錐の形に整形して、それをまた4,5日乾燥させる。
火を付けると、すり潰し足りないのか、乾燥しきれていないのかすぐに消える。
2回目は粉末状になるまですり潰し、お湯も少なめで作った。
だけど、香りはヒノキのいい匂いがするが、煙が多いのか、煙たく鼻の奥がチクチク痛くなる。
次は公園に生えていたローズマリーを取ってきて、同じように乾燥+すり潰し+整形でやってみたけど、おなじようにいい香りよりも煙が鼻に来てしまう。しかも色々検索しているとお香はベンゼンやホルムアルデヒドなど発がん性物質が発生し、体に良くないらしい。蚊取り線香やお線香も同様だと書いてある。お寺の人は大変だな。
今度は煙を出さないお香があるか調べたら、茶香炉という、古風でおしゃれな陶器とロウソクの炎で間接的にお茶っ葉を暖めて香りを出すというのがあった。
100均でキャンドルホルダー、ロウソク、小皿を買ってきて、皿の上にお香を置いて熱すると、煙は出ずローズマリーの香りだけする。なんか紅茶の香りを嗅いでいるような暖かさもある。
しかも直接燃焼させていないから、灰にならず長く匂いがしている。いつまで匂いが持つんだろうか?
ほかにもベランダで杉の葉とネムノキの葉も干しているから、これからいろんなお香を作れるのが楽しみた。いまは金木犀もいい匂いが漂っているから、近所の公園でいっぱい落ちている花を拾って作ってみたい。
すり鉢でゴリゴリすり潰して、木綿の手拭いで包んで、流水のなかで絞ると、なんということでしょう、あんなにあった味噌が消えてしまいました
ありのまま今起こった事を話すわぜ!
お昼休み定食探検家の私が月が変わって新しく献立表が変わってので飛び込み前転で入店して今月の日替わり献立リストをゲットしたの。
あれを地で行くような感じで
今月も月初献立表を無事ゲットして今日の日替わり定食をいただいたの。
そしたら、
以前私がいた会社、
今でもたまにお手伝いさせられるでお馴染みのあの会社ね。
バレたみたいで、
私がお昼代出すよ!って社長が私のテーブルの伝票を持っていったの。
ラッキー!って思う反面
一応はいえいえ恐れ入ります!大丈夫ですって1ターンぐらいはお断りする往復をするじゃない。
で結局私のテーブルの伝票は奪われて社長が払ってくれることになったんだけど、
社長のテーブルに違う人のテーブルの伝票が置いてあっておかしいと思ったのか、
その伝票が私の所に戻ってきて普通に私は奢られる予定だったはずだったけど
無事自分でお支払いをしてお店をあとにしたのね。
あれはなんだったのかしら?って思う私の秘技!忍法「奢り伝票持って行かれた伝票を奪い返すの術」を使ったと思われたら厄介よね。
奢られると思って社長に押しつけた伝票が戻ってきたでござる!
にんともかんともって感じだわ。
あれ仮にも
社長に伝票戻ってきたのでテーブルに置いておきます!って社長に突き返し押しつけるのはさすがに失礼よね。
トミーフェブラリーさんが掛けているでお馴染みのお利口さんに見える黄色い縁の眼鏡!
トミーフェブラリーさんが掛けているでお馴染みのお利口さんに見えるのは赤い縁の眼鏡の方よ!
なので、
私は奢られるはずの伝票を手に持ちながら、
昼あざーす!って一声掛けてお店を出たの。
私が手に持ってる伝票見てくれたかしら?
多分気付いてくれなくてもいいの。
奢ってくれようとした社長、
正しい伝票を正しく戻した店員さん、
そして通常通りのお昼の日替わり定食を美味しく食べて普通にお支払いをした私。
だれも悪くないわよね。
あの
奥さんは時計に似合う金の鎖を買おうとして髪を切ってそのお金を工面しつつ、
旦那さんは妻に似合う髪飾りを買うために時計を売って髪飾りを買った。
そしてお互いのためを思って贈ろうと思ったプレゼントは役に立たなかったけど、
つってそんな感じの
そうね、
名称を付けるなら
そうよ
誰も悪くないのよ。
私は思いやって美味しくお昼をいただいただけだもん。
うふふ。
美味しいのよね。
チキンとタマゴは美味しいといつもここで言ってるかも知れないわね。
世の中そんなものよ。
美味しいものは美味しいと!当たり前のことが言えるこの世の中なのよきっと。
何でもないようなことが幸せだったと思うって
256章ぐらいまで歌いたい気持ち!
なんか甘い甘みを感じるのよ?
思わずお代わりしてみたのよ。
それでも甘かったから
無味なホッツ白湯なのに甘いってどゆこと?って思う今日の今朝の朝の出来事よ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
手法はカレーヌードルにお湯を注ぎ、2分経ったところで追加の手製スパイスを加え、1分よくかき混ぜるというもの。
混ぜすぎでは?と思うかもしれないが、けっこうダマになって香りが出ないという結果が出たので混ぜる時間を重視する。
全てホールで用意し、調理直前でミルサーなりすり鉢なりでよく粉末状にし、2分経ったカレーヌードルにふりかけてよく混ぜる。スパイスは個体差が激しいため「多過ぎない?」と思った場合は減らして欲しい。カルダモンとクローブは気持ち多めである。
上位2つはよくあるスパイスカレー店で多めに配合されている気がしたので選定した。
辛さは重要である。辛くするだけでそれっぽくなる。そしてダイレクトに風味に影響する。山椒も引き立て役として重要である。入れてみればわかる。嫌いなら入れなくていい。
5つ目以降は特に入れなくても問題ない。だが、スパイスは相乗効果があり色々な種類を入れることで風味が引き立つ。これも入れてみればわかる。
総評: 1回目(カルダモンとグローブのみ)に比べて満足感の高い結果となった。唐辛子や山椒は単なるカラシビ要員だと思われがちだが、風味にも大きく影響することが確認できた。また複数のスパイスを加えることで特定のスパイスが突出せず、押し付けがましくないスパイス感を出すことができた。
ザクロは一粒一粒に種が入っているので食うのがめちゃくちゃ面倒なのだ
一粒取って、口先のあたりで指で実を潰して液を飲んで、種を出すみたいなのを100粒連続でするのが嫌だからだ
ただ例年は木に二、三玉なれば多い方なのだけど、今年は10玉以上なっていて、何ならいまだ小さい玉が増え続けている
さすがに放っておくのはもったいないかと気まぐれに一玉とって、ジュースにした
厚い皮を剥いて、ボールに一粒一粒とる
赤い粒に付着した白い皮をなるべとり、水に浸して浮いてきた皮やカスを取り除き、ざるで水を流す
すり鉢に水気を切ったザクロの粒を入れてすりこぎでつぶし、小さな粒の中の果汁をもれなく押し出していく
最後はざるで濾して、ようやく小さな湯呑一杯分くらいのピンクの液体となった
風呂上がりに冷やしておいたザクロジュースを飲むと、これがまあ美味かった
ザクロ特有の香りなどを感じるわけではないが、あまりにもすっきりとしたのみ心地で、風呂上りにぴったりだった
母にジュースにしてみたら美味かったよというと、母は5玉ほどを一生懸命剥いて、ミキサーで種とジュースに分離し、少し砂糖を入れて煮ていた
正直美味しくはあったのだが、ザクロ液自体に香りやコクなど強い個性があるわけではないので、清涼飲料水を固めたみたいな味のゼリーになってしまっていた
「ゼリーにするには砂糖を入れないと甘さが足りないと思うが、そのせいでザクロのスッキリとした持ち味が失われている」というのが私の感想で、母も苦労して作った割には個性のない味だと同意していた
余りにも料理するには手の込む食材だと難儀していたのだが、ネットで鶏肉ザクロ煮というアルメニア料理があると知り、作ってみた
簡単に言うと、皮付きの鳥のもも肉を塩コショウよく焼いて、鶏油を取り出し、その鶏油で玉ねぎとクミンを炒め、そこに鶏肉を戻して、ザクロの実と白ワインをくわえて煮込むというもの
仕上げに生のディルとパクチーをちぎってのせて、生のザクロの実をひとまみかけて完成
味付けは塩コショウとクミンだけというシンプルさながら出来上がったソースは絶品だった
甘酸っぱいカレーソースと言ってしまえばそれまでだが、口当たりがよく、何口でも食べたくなる
クミンの複雑な香りがあり、鶏油のコクがあり、それでいてザクロのスッキリとした風味がクセをなくしている
バターチキンカレーからバターも唐辛子もトマトもニンニクもショウガもヨーグルトも抜いているようなレシピなのに、「このソースってバターチキンカレーの味に負けてなくないか?」と思った
何なら辛みもないのでより口に運びやすい
甘みも酸味もちょうどいいのでご飯にかけても不自然さはなく美味い
生のディルとパクチーの青臭い香りが薬味として機能しているのは、料理自体に甘さがあり、スパイスをクミンしか使っていないから生のふたつのハーブの香りを足しても香りが複雑になり過ぎないからだろう
ゲテモノかなと思って調理したが、材料選択に無駄のないレシピの完成度を感じる結果となった
煮込めば中の種も柔らかくなり、種の苦みがスパイスのように感じさえするとレシピでは紹介されていたが、アルメニアとはザクロの種類が違うからか、火の加減を間違えたからか、ザクロの種は食すのに邪魔になるくらいの硬さになってしまった
これは次回はザクロの粒を絞ってジュースにしてから料理に使うことで改善できると思う
硬くて味の濃い地鶏より柔らかいブロイラーの方がたぶん美味くなると思った
三点目の失敗は鶏肉を煮る際にあまり煮汁に浸っていなかった点だ
これは火加減の間違いともかかわるかもしれないが、ソースの味があまり鶏肉自体には染み入っていなかった
煮込む際に鶏肉が鍋の下の方に行くように調整すべきだったし、その方が鶏肉自体も柔らかくなっただろう
今回は一枚肉をそのまま使ったが、一口大にした方が火も味も入りやすいかもしれない
(※諸説あります)
「ざっくり」と「ばらり」という擬態語を合わせたもの。江戸時代から使われ出した
巾着に由来
猫がうんちを砂をかけて隠すところから。ババはうんちのこと
丈は1.7mであり、丈夫は成人男性の意。そこから、大丈夫は立派な男性→しっかりしている→間違いない と意味が派生した
如何様(どのように)から、いかにもその通り→いかにも本物に見える→インチキ の意味になった
「うん」は返事で、すんは語呂がいいから付け足された
すり鉢の溝の詰まりをとる道具を切匙(せっかい)といい、他人の内に入り込もうとする様から。節介は当て字
田んぼのスズメを追い払うために魚や動物を焼いて追い払った「嗅がし」が語源
江戸時代のお菓子「胡麻胴乱(ごまどうらん)」の中身が空洞だっため
似せて行う、家業を継ぐという意味の「使似す(しにす)」から。老舗は当て字
明治時代の八百屋の長兵衛の通称「八百長」より。長兵衛が囲碁でわざと負けて相手のご機嫌をとっていたため
粘土(へな。質の悪い土)のお猪口(ちょこ)、つまり出来損ないのおちょこという意味から
江戸時代の手古舞(てこまい)の音が「てんてんてこてこ」と鳴り、明るく踊る様から意味が転じた
江戸時代の小型船を「ちょろ」と呼び、その運転が簡単だったところから
よく寝るため「寝子」と呼ばれた、または「ねーねー」と鳴くため「ねー子」と呼ばれたことから
チャラチャラしているの略語。「ちゃら」は江戸時代から使われており、おしゃべりな人の話ががちゃらちゃら聞こえるところから
昔は冷蔵庫がなく鯖を早く売る必要があり、適当に数えていたことから
平安時代に、大軍が動いて鎧が触れ合うと「びんびん」と鳴り「びびる」音と呼んでいたことから
江戸時代の矢場(射的場)で売春が行われており、「役人から目をつけられたら危ない」ということから
江戸時代に小雨が降り続く様を「しょぼしょぼ」と表したことから
あと一つは?
俗にアリジゴクと呼ばれる虫は、ウスバカゲロウという虫の幼虫である。成虫のウスバカゲロウは繊細でスマートな形をしているが、幼虫のアリジゴクは不気味に大きな牙を持ち、ウスバカゲロウからは連想できないほど、醜くグロテスクな格好をしている。そして、地面にすり鉢状の巣を作り、その奥に潜んで、巣に落ちてきたアリを牙で挟んで捕えるのである。アリにとっては、文字どおり「地獄」なのだ。
不意を突かれてアリジゴクの巣に落ちてしまった彼女は、必死によじ登ろうとするが、砂が崩れて脱出するのは容易ではない。
砂を山盛りにしたとき、砂が崩れず安定している際の斜面と水平面の成す最大角度を安息角(あんそくかく)という。実は、アリジゴクのすり鉢状の巣は、砂が崩れない安息角に保たれている。そのため、小さなアリが足を踏み入れただけで限界点を超え、砂が崩れ落ちるのである。
しかも、安息角は一定ではない。砂が湿ると崩れにくくなるので、砂が崩れるギリギリの角度は大きくなる。そこで、アリジゴクはそのときの湿度に合わせてこまめに巣の傾斜を調整しているのである。
すり鉢状の巣に落ちれば、一巻の終わりだ。アリは必死に足を動かす。はい上がってもはい上がっても足元の砂は崩れ落ちてくる。
ただ、アリは垂直な壁も登れるほど鋭い爪を持っているので、砂が崩れても崩れても、足を動かし続ければ、アリジゴクの巣から脱出することも可能だ。
http://blog.livedoor.jp/yuki1420/archives/1060335543.html
https://twitter.com/T_marohiko/status/1110534201344958469/photo/2
近所のトンカツ屋だ。実は一回も行ったことは無かったのだが、以前から気になってはいた。
コロナなのに毎日元気に営業している姿を見て勇気や元気を貰っていた。佇まいも良いし、雰囲気も好きだなと思っていた。
そこで先日、満を持してトンカツ屋に行ってきた。
トンカツを頼むと、何故かまず初めに小さなすり鉢に入ったゴマが出てきた。
何の気無しにゴマを擦り始めた。ブチブチとゴマが割れていく。ある程度擦ったら粉末状になった。
でもゴマを擦っていると手持ち無沙汰が無くなって良い。
ゴマの擦り方によって食感や風味が変わってくる。
たくさん擦りたい人、そのまま味わいたい人、いろんな人のニーズに応えられる。
良い時間の稼ぎ方だ。
何て素晴らしいシステムなんだと思っていたら、トンカツが出てきた。ロースカツ定食だ。
ゴマを擦っていたおかげで出てくるまでの時間は全く苦にならなかった。
ああ、流行り出す前に行っておいて本当によかった。
まずそもそもとして、別の食器で別の料理として出されたものを混ぜるのが下品であるとされているから、味噌汁とご飯がそれぞれどういう器に入っているかが判断基準として重要なの。
例えば味噌汁が急須に入って、茶碗の横においてあったら、ご飯にかける前提の設計になるし、大きいすり鉢に味噌汁が入った状態で持ってこられたら、やっぱりご飯の上にかけることが想定されていることになる。
いずれの場合でも、味噌汁が入っている器が「そもそも注ぐことを想定した形をしている」か「椀物として扱うことができないサイズ感」であるれば、それ単独で食べることはあまり想定されてないってことになる。
同じような話で、お店で鍋の〆に雑炊を頼んだ場合、よほど寒い居酒屋でもない限りお米は「おひつ」に入って持ってくることが多いじゃん。
あれも茶碗に盛られたご飯はそれ単独で成立している一品料理であり、それを鍋に入れることは下品とされているから。
洗う手間を増やしてでも、おひつにご飯を入れて、そこから鍋に入れて、出来上がった雑炊は茶碗に入れて提供される。
この辺の器による感覚って結構みんな何となくは持ってると思うんだよね。
例えばカレーソースを普通の椀に入れられたら「これはそういう汁物料理なのかな」って思って、ちょっとご飯にかけるのを躊躇するでしょ?