はてなキーワード: 「ゲーム」とは
ある種のゲームが楽しまれ、そしてネタで済まされたものは、同じルールを悪質に用いるものが現れた時に破壊される。
これはコンプガチャやその他のゲームにも当てはまることかもしれない。
ここで言う「ゲーム」とはこの世の中すべてのことだ。
アイドルファンもある種のゲームを行なっている。AKBの盛り上がりの根底にあるルールというものは数多の評論家が指摘している通りだ。
ファンやユーザーが自発的にルールを設定、あるいは読み込み行うゲームもあれば、仕掛け人がネタとして楽しめるゲームを提示し、ルールを設定するゲームもあれば、その両方もあるだろう。
しかし、このルールを行なってもっと悪質でもっと過激なアイドルゲームが行われ、そこに陳腐化や悲劇が起こったとき、AKBを始めとするアイドルゲームは毀損されるだろう。
過激すぎると話題になっていたAKBのドキュメンタリーをDVDで見たのだが、俺は2パックの悲劇を思い出さざるを得なかった。
「"DIS"って"ネタだけどリアル感はある"ってゲームじゃなかったのかよ....」と通じるものが、確実にある。
AKBとヒップホップシーンを(肯定的に)比較する評論がすでにネット上にあって、やはりなと思ったのだが、そこには肯定的にしろ否定的にしろ共通するものがある。
と前回書いたけど、思ってたことが起きた。峯岸の丸刈りだ。というか自殺じゃなくてよかったよ。
http://www.youtube.com/watch?v=UlzrIgacADU
ここら辺にしとけよ、まじで。危なすぎるよ。これもろ「2パックの悲劇」みたいなもんだから。
あとAKBを褒め称えてた(俺でさえ危惧していた)この行末を予見できなかった評論家どもを信用するのはやめろよ。
アイドルの女の子が恋愛バレたから死にそうな顔で丸刈りになって謝罪してる高画質映像を配信してて、それがこの国の音楽界の「トップ」なんだから。
日本って何、って言われたら状況説明してこの動画見せたら何となく分かるよ。
つーか、俺は吐きそうになってサムネだけで映像見てないけどよ。
"恋愛禁止"ルールで遊んでるなら、違反犯したらAKBすぱっと止めさせればいいのに
そこに日本文化の嫌な部分の「丸刈り反省」「指詰めで許す」「禊落とし」「体育会系=軍隊系」「学校空間」文化やらが入ってくるもんで超グロテスク。
「若いかわいい子が恋愛禁止なんて無理じゃん」みたいな良識気取りも「さすが峯岸!」とか言ってる小林よしのりみたいな奴らも両方バカ。
無理なのに恋愛禁止を謳ってるから「ゲーム」として成り立つんだろうが。
http://d.hatena.ne.jp/moto_maka/20121220/1355945161
@xxlimuxx 課金で稼ぐのは双方納得してれば、分別ある大人ならある程度は構わない話だと思ってます。好きにすればいいので。それよりも、お金かければ何とかなるって部分に引っかかってました— motomakaさん (@motomaka) 12月 20, 2012
この流れで行くと、ブラック2とホワイト2(さらにすべての図鑑のコンプリートのためにはそれぞれ過去のバージョンが必要な)ポケモンなんて「お金かければ何とかなる」ってゲームの最たるもんじゃないですか。古くはゲームボーイの時代の赤緑から、そう言うえげつないことしてるわけですよ。
最近のポケモンで言及するなら、夢特性(かくれとくせい)ポケモンの頒布方法なんて、いわゆるソシャゲのガチャみたいなもんですよ。
ガチャではないとしても、古いところではポケモンの映画前売り券についてくるポケモンプレゼントも「お金をかければ何とかなる」ところです。
そういや、言葉を濁していますが、つまりこういうことをパズドラに言いたかったわけですよね、きっと、このおっさんは。
http://d.hatena.ne.jp/moto_maka/20120819/1345319086
このブログ書いてるおっさんは、一応いくつかのソシャゲとパズドラと、それぞれ"少しは"遊んだ上で書いているみたいですが、それでパズドラを「ソシャゲ的なアプリ」と認識しているのだとしたら、今後ソシャゲに絡めた買い切りゲームの言及は避けた方が良いと思います。あるいは、それを認識した上でパズドラをソシャゲ"的"と表現しているのだとしたら、よっぽど悪意が詰まっている物の言い方だと思いました。
ポケモンについては金(をどうにか引っ張ってこようとする流れ)の匂いを感じていないのでしょうか? もしそうなのだとしたら、よっぽどポケモンが好きで盲目的になっているか、あるいはそんなにご存じないポケモンについて絡めてエントリを書くのは控えた方が良いのではないのでしょうか。
単純に「俺は弱み(コンティニューを迫られる状況)につけ込んで金を要求してくるのに腹が立ったのでパズドラで遊ばなくなりました」って書けば良いところを
きっと、このメッセージを見ても何も感じない人の方が多いんだろうと思う。
だからこそ、未だにApp Storeのトップセールス上位の常連アプリだし、
ま、それも「娯楽の多様性の一つ」だと言えるんだろうから、別にどうでもいい。
「ゲーム」って、一体何なんだろう?と思うようになり、
また昔のように「ゲーム」で遊びたい、という思いが強くなった。
ただの「娯楽」でもなくなってるんだな、と実感できた一年でもあった。
みたいに表現するのは「私がパズドラで遊ばなくなった理由」ではないので、常識的な表現でブログを書こうとしているのであれば、やめたほうがいいんじゃないですかね。
大切なのは「どこでお金を使うべきか、お金を使うための判断力を持つこと」であって、まぁ、そこら辺に自信がないのならソシャゲを過剰に忌避するのは当然かも知れませんね。一瞬で約6万円(3DSが3体ととびだせどうぶつの森3本)が飛んでいく御家族さんみたいですので。
> 「ゲーム」で人を集めて、中身(就職先)はSEやPGむけの基本情報技術者試験の勉強をしているような学科だからな。
詐欺だろ。これじゃやる気出んわ。
まじで、その通り。
一種のゲームなんだよね。
「虚構新聞」は新聞という形式で嘘をもっともらしく語る面白さが売りのネタのゲーム。そこにツッコミを入れて遊ぶゲーム。
「また釣られたw」感を楽しむゲーム、あるいはそれに釣られる奴を馬鹿にして遊ぶゲーム。
そして、このゲームは釣りタイトルというルールを用いるゲームだった。
そして、この「釣りタイトル」はアクセス数アップにつながるものだ。
これをまとめサイトが大っぴらに用いるようになった。
まとめサイトがやってるゲームは「虚構新聞」とは違うゲームだ。
単純に、人目のつくようなタイトルをつけてアクセス数を稼ぐゲーム。
まじかよ、と思ってクリックする奴をおびき寄せるゲーム。そして、それが釣りタイトルでしたともネタバレしないゲーム。
しょーもない奴らが同じルールを用いるようになったことで、すでに「虚構新聞」がやってるゲームの正当性は棄損されていたことが、政治ネタに触れて明るみになっただけ。
釣りタイトルのネタ元、虚構新聞のネタ元は「東スポ」だが、なぜ「東スポ」は釣りタイトルをやめろという抗議行動が起きないのか。
あるいは起きても止めずにすんでいるのか。なぜ東スポは「東スポだからなー」で済んで、「虚構新聞」はネタでは済まされないのか。
「東スポ」と同じゲームにもっと悪質な形で参入してくる奴がもっといれば、「東スポだからなー」では済まされなくなっているだろう。
だが、新聞という形でこのゲームに参加するにはかなりの参入障壁がある。だから東スポだからなー、で済まされている。
しかし、インターネットは参入障壁ゼロだ。「U-1速報」というまとめサイトが現れたとき、ある種の衝撃を俺は覚えたが、もっとひどいサイトはいくらでもある。
インターネットにおいて、そのネタをネタとして遊ぶ場を守る障壁はゼロに近い。
それはインターネットそのものの特質でもあるし、最近のインターネット利用者、広告利益の変化によるものでもある。
簡単に言えば「バカが参入しはじめたら、そのゲームは終わり」とも言えるだろう。そして、そういう環境にインターネットはなってしまったということだ。
その障壁をインターネット上に設けるとしたら、閉鎖したSNSでゲームを行うか、一定のリテラシーや用語が必要なゲームを行うかしかないだろう。
ある種のゲームが楽しまれ、そしてネタで済まされたものは、同じルールを悪質に用いるものが現れた時に破壊される。
これはコンプガチャやその他のゲームにも当てはまることかもしれない。
ここで言う「ゲーム」とはこの世の中すべてのことだ。
アイドルファンもある種のゲームを行なっている。AKBの盛り上がりの根底にあるルールというものは数多の評論家が指摘している通りだ。
ファンやユーザーが自発的にルールを設定、あるいは読み込み行うゲームもあれば、仕掛け人がネタとして楽しめるゲームを提示し、ルールを設定するゲームもあれば、その両方もあるだろう。
しかし、このルールを行なってもっと悪質でもっと過激なアイドルゲームが行われ、そこに陳腐化や悲劇が起こったとき、AKBを始めとするアイドルゲームは毀損されるだろう。
過激すぎると話題になっていたAKBのドキュメンタリーをDVDで見たのだが、俺は2パックの悲劇を思い出さざるを得なかった。
「"DIS"って"ネタだけどリアル感はある"ってゲームじゃなかったのかよ....」と通じるものが、確実にある。
AKBとヒップホップシーンを(肯定的に)比較する評論がすでにネット上にあって、やはりなと思ったのだが、そこには肯定的にしろ否定的にしろ共通するものがある。
というか「ハイコンテクストな場を楽しむ」というゲームはどうしたってそういったものを含むのだ。
そして、ゲームは続いていく。
あと、ここまで書いて思ったが、「Web 1.0」的な虚構新聞がCGMに殺られた、あるいはネット上のゲームの変化を読み損なったとかいう話もできると思った(小並感)
http://anond.hatelabo.jp/20120514122336
http://anond.hatelabo.jp/20120516163256
http://anond.hatelabo.jp/20120515220559
楠木坂コーヒーハウスの人が書いている。
そもそも虚構新聞って、記事のリンクを開いて虚構新聞だったときのガッカリ感、逆に「これは虚構新聞だろう」と思って開いて本当にそうだったときの勝ち誇った感を味わうような、僕と読者との一種のゲームだったのですよね。昔なら「くそー、釣られたー」か、「虚構新聞余裕でした」の反応をちまちま見ながらほくそ笑んでいたのだけど、最近は人が増えたせいか、本気で怒り出す人が「虚構新聞つぶれろ」とか「死ね」とか言い出すようになって、気持ちが滅入ってしまうことも多かったです。
俺はそういうメディアが虚構新聞だけであるならば、別に「虚構新聞にまた引っかかったー」で済んでいたと思うんだけど、実際はそうじゃなくなった。2ちゃんねるまとめサイトや、他のネットニュース関係の奴等がPV欲しさにそういうタイトルを付けまくっている。虚構新聞は、いちおうソースが「嘘」だと明示してあるだけまだマシだ。それでいうと、2ちゃんねるまとめサイトもソースが「2ちゃんねる」と明示しているだけマシなのだろうか。とにかく、今のインターネットには釣り師が多くなってしまった。昔のインターネットは恐らく「釣り」というのがそれほどメジャーじゃなかったからこそ、こういう遊びが先鋭的であった。既に、もうそんな遊びは先鋭的ではなくなって、ありふれた「悪質なデマサイト(by アンサイクロペディア)」なのだ。(高校生がTwitter上で釣りを楽しんでいるのは知っているだろう)
もはやリテラシーがある層だけを相手にしていればいいという、放牧的なインターネットの時代は終わった。ひろゆきの「嘘と嘘を見抜ける人は」という念仏を唱えていれば防御できる時代は終わった。必要なのは、人を騙しても厚かましい顔をしている性格の悪さだ(言い換えると2ちゃんねる的な性格の悪さだと言い換えてもいいだろう)。そして、「騙された奴が悪いのだし、そういう奴はバカだ」と言う性格の悪さだ。既にインターネットにとって、釣り師の資格とは「ディスプレイの向こう側を楽しませたい」というエンターテイメントではなく、そういう性格の悪さだ。この人は、たぶん見ていて「人がよかった」(人の評判を考えるくらいには、ね)のだろうけど。
どこぞのブログが僕を名乗って「虚構新聞、閉鎖します」とかいう余計にややこしいことを拡散させたせいで、ツイッターが軽く再炎上したけど、閉鎖はともかく、状況が落ち着かないことには、執筆もろくにできないし、そもそもの本業である寺子屋にまで影響しかねません。
既に、「虚構新聞」というゲームは、その内部だけでゲームが完結するものではなくなった。「ソーシャル」、そして「キャズムを超える」ということは、その「ゲーム」を理解しないひとを常に引き寄せるものだ。ネット上で気軽に共有されるという事態は、そのルールを知らない人を常に呼び寄せるものだ。「リテラシーのない層に配慮せよ」というのは、別に「弱者のことを考えろ」ということじゃないんだ。そうではなく、身を守るための防御策であるに過ぎないんだ(リテラシーのない人が騙されて怒るコストは、それをバカにできるほどの性格の悪さがなければ、それなりに減らした方が、自分のためであるというのは合理的な判断だ)。
「虚構新聞」が恐らく「虚構新聞」と読者という簡単な関係で終わらせたかったのだろうと思うのだけれど、そうではなかった。「虚構新聞」のリテラシーは、その外部に持ちだされて、同じルールで殴られた。該当のブログを読む限りだと、そのブログもジョークサイトだと名乗っており、シュールなギャグで埋め尽くされていた。虚構新聞は、そのルールにしたがっている限り、何かしらの混乱が生まれてしまう、ということを認めてしまっているようにも思える。
結局ブログも設立せず、増田に投げ売り堂の4月の結果を書き殴ります。
UU:471
PVが3月より落ちたんですが、増田フィーバー抜きだとこれが今のところ精々ですね。
詳細は以下の Analytics の PDF に。
とりあえず宣伝力等思いつかなかったので相変わらず Twitter 中心の情報発信になりました。
訪問者のうちリファラー無しが3割、Twitter 3割。徐々に Twitter の流入数が増えてきてます。
フォロワーも、明らかにオタ関係興味無さそうな人が増えてきてますが、徐々にその筋に興味がありそうな人が増えて嬉しいです。
投げ売り堂の機能は主に以下の機能を実装したりして徐々に機能を充実させています。
・要望があった 「フィギュア」だけでなく「DVD・BD」「ゲーム」の商品のタブ切り替えで見ることが可能に
とは言うけれども、ほとんどのまともな人は(大人も子どもも)、それが仮想現実であると分かった上でゲームで遊んでいる。というか、仮想現実だと分かっているからこそゲームを楽しめる。
ふつうの子どもや大人にとって、テレビドラマやテレビゲームは、それが「フィクション」であり「ゲーム」であるというメタ・コミュニケーション的了解のもとで果たされる。まちがいなく現実の遊びや観劇の経験である。ここには厳密にいって、虚構と現実の境界侵犯はない。ゲームのなかでモンスターを殺し、あるいは死んでもすぐまた生きかえるからといって、プレイヤーが死ぬということ、殺すということの思い意味を理解しなくなるというのは、あまりに短絡した主張である。
西村清和(1999)『電脳遊戯の少年少女たち』講談社現代新書1472 140ページより引用
ゲームと現実の区別がつかないような人は、たとえゲームを規制したところで他の何かに影響を受けておかしなことをするんじゃないの?
首都高でレースすることはできないから、グランツーリスモ5のスペシャルステージルート7で競争して楽しむ。そういうものでしょう。
それから、エロゲに関してよく論点になっているのは、間接的な女性への暴力ではないのかという点など存在そのものを有害視する態度だと思う。
2年以上前に考えていて、まぁ自分なりには納得して終わったことになっていことなのだが、
はてな匿名ダイアリーの書き方をやっとわかったので、もしかしたら有用な考えかもしれないと思うので公開するだけ公開してみる。
以下には私が考える「ゲーム」と言うものに関して、面白さの分析をするための枠組みを整理した。
ただ、これらを満たしていないからダメだと言うものではなく、期待したものとその「ゲーム」が提供するものが
どの程度フィットしているか?と言う視点で分析すべきだと考える。
現在、様々な形式のゲームが存在し、多種多様な楽しみを提供するに至っている。
近年のゲームは洗練され、プレイヤーの参加意欲(モチベーション)を維持するために様々な工夫が施されている。本塙ではゲームの面白さについて議論する枠組みを提供するため、「ゲーム」および「ゲームにおける楽しみの分類」を以下のように設定する。
ひとり以上のプレイヤーが明示的もしくは暗黙的に定められたルールのもとで主体的に活動を行い、各々にとっての最適解に至るプロセスを専ら楽しむ枠組み
使いやすいようにゲームが提供する楽しみの分類6つについて名前を付けておく。なお、これらの用語はすべて私の造語である。
ゲームが提供する楽しみは以下の分類のどれかに大別できると考える。
ゲームにおいて、より最適な解を導くことに直結するゲームのルールのより深い理解や法則の発見や学習による自己成長などの楽しみ
ゲームにおいて、最適解を求めるに当たり、より有利な状況を得る楽しみ
ゲームにおいて、他のプレイヤもしくはその代替との間における駆け引きや協力、また単純な情報のやりとりなど、様々な形での対話による楽しみ
ゲームにおいて、ゲーム内での活動によって発生する反応の刺激によって感じられる楽しみ
ゲームにおいて、物質的もしくはデータとしての報酬によって得られる楽しみ
なお、上記の楽しみを阻害する要因を極力排除されていることが望ましいが、難易度とのバランスは適切に設定されるべきである。
また、これらはプレイヤーが何を最適解と捉えるかにより、多少の判断の違いは許容されるべきであると考える。
(一般的には「インタレスト」を「ゲーム性」ととらえていることが多いと思うが、そこにこだわらない等)
もし論議をする場合、最適解をどう捉えるかの前提を確認することを強く推奨する。
自分がゲームを選ぶ時にもこの分析を適用し、自分がどのような要素を期待しているのか、どのような要素は受け入れる準備があるのかを把握し、
選択しようとしているゲームはどのような要素が期待できるか考えて判断の基準に使うとよいだろう。
もし、批判する場合、当初の想定した要素と実際にはどのような要素が強かったかを整理すれば、より建設的な批判になると考える。
あまりにも投げっぱなしな気がしたので、適用の仕方について、ちょっと追記。
たとえば、「将棋」のようなゲームでは「インタレスト」が支配的で補足的に「サクセス」があるイメージ。
一般的な「ギャルゲー」は「エンタテインメント」や「コミュニケート」が支配的だが、メタ視点のプレイヤがシナリオを深く理解することにより、
行動を変化させ、それが最適解につながるような構造を持っている場合「インタレスト」性があると考えても良いだろう。
「ひぐらしのなく頃に」と言った特殊なものは、本編をプレイ後、ネット等を通じて他者と意見交換すると言う現実世界での枠組みまで拡張して
ゲームととらえることにより「エンタテインメント」だけでなく「コミュニケート」を持ったゲームとして解釈できる。
http://sites.google.com/site/jun1sboardgames/blog/doyourbest
ゲームの勝ち負けとかの話で、「勝ちを目指すべき」ってな話題で、絡んでくるんだけど、このあたりを読み返した。
http://nbgc.blog63.fc2.com/blog-entry-167.html
(コメント欄で議論してる)
端的に言ってしまえば、下らんなって感じ。
例えば、仲の良いもの同士がゲーム中にある程度協力することはありえる。
では、最終局面だからと言って、急に止めるのか?
負け確定して「キングメーカー」の一手になったから、やってはいけないのか?
そんなバカな。
一位と二位の二人がほぼ同じ状態で、最終局面で四位の人が二人に影響力を持ちどちらも勝たせることが出来る。
この時、どの手を打つかは(一位を勝たせるのか二位を勝たせるのか)、四位の人にまわって来たゲーム上の楽しみであり、誰にも奪う権利は無い。
どちらが勝っても負けても、それはそういう状況を作り出した自己の責任であって、決して四位の人の責任ではない。
むしろ事ここに至っては、上位レイヤーでの心理ゲームをこそ楽しむべきで、「空気を読んで止めろ」とか言う方がお門違いだ。
「一位の人にやり込められたから引き摺り下ろすのは納得できる」のだから、ゲーム中すでに上位レイヤーでの心理ゲームは始まっている。
http://www.webcreatorbox.com/inspiration/100ways-better-life/
1. 間違いを受け入れる
あなたは人間です。私たち人間は間違う事もあります。自分のしたミスを受け入れて次はうまくいくように努力しましょう。自分自身に罰を与える必要はありません。間違いを受け入れる事が、罪悪感を消し去る唯一の方法です。
2. 友達のミスを許す
誰かに傷つけられる事もあるでしょう。人間は間違うものですし、自分の間違いを受け入れるのと同じように、他の人の間違いも受け入れましょう。最終的に、あなたの必要なものは彼らからの「愛」です。
3. 新しい習慣をつける
私たちは無意識のうちに多くの物事をこなしています。自分の人生に取り入れたい新しい事をこの習慣の中に結びつけてください。習慣は強力です。自分のためにこのエネルギーを利用してください。
4. 自己規律を作る
誰かがあなたに規律を作るのを待たないでください。早いうちに自己規律を作成しましょう。厳しく聞こえるかもしれませんが、自己規律はあなたの人生の多くの物事を容易にしてくれるでしょう。大変かもしれませんが、自己規律があるということは素晴らしいことです。
5. 新しい友達をつくる
手を差し伸べ、恐れないでください。新しい付き合いを始めましょう。起こりうる最悪の事態は拒絶されることです。そうなった場合は次へと進みましょう。
楽しみを刺激する事は、人生に多くの価値を生み出します。今の仕事に満足がいかないのであれば、新しい仕事につきましょう。収入がなくなるのは一時的なものです。乗り越えましょう。
7. いつも食べている物を変える
毎日の食卓に並ぶ食品を変えてみましょう。新しい食事を試すのは健康とエネルギーのために必要です。ヘルシーなものやベジタリアンである必要はありません。いいなと思ったものを試してみましょう。
8. 日記をつける
思ったこと、アイデア、目標、行った事を日記に書くことは、自分が人生の中で何を行ってきたのかを知るいい方法です。必要な物はペンと紙だけですよ。
今日一日の目標、したい事を「今日の一言」として毎朝作成しましょう。どんなものでも構いません。その目標はその日のうちにきっと叶うでしょう。朝起きて最初に今日の一言を言うだけ。とても簡単です。
10. 遠くへ旅にでる
遠くへ旅に出ることはとてもいいことです。わくわくするし、知りえない出来事に満ちています。
あなたの人生がなんだかつまらないのは…リスクを冒した事がありますか?最後に本当に大変な事に挑戦したのはいつですか?最後にリスクを伴う何かに挑戦したのはいつですか?さあ、やってみましょう。
自分自身を管理しましょう。自分の時間で働きましょう。浅はかな考えに思えるかもしれません。そう、保証があるからと好きでもない仕事をしている人にとっては、浅はかな考えに思えるでしょうね。最初の一歩を踏み出さない限り、何も挑戦できません。
13. 仕事場を変える
机を整理し、模様替えをしましょう。仕事場に新しい色を加え、仕事場を楽しめる場所に変えましょう。楽しめない仕事は仕事ではありません。それをしたいと思えるのが仕事です。
繰り返し挑戦し続けましょう。もしあなたが 10. 遠くへ旅に出る をする予定なら、新しい言語も学んでみましょう。たとえそこへ旅行しなくても、新しい言語を学ぶ事は素晴らしい事です。
15. 同意する理由を見つける
反対ではなく同意。私たちは絶えず論争し合います。それをやめましょう。無理に同意する必要はありませんが、もしその必要がある場合は十分な理由を見つけましょう。
あなたが持っていない物は、他の人に与える事もできません。あなたの中に光がなければ、他の人を照らす事もできません。あなた自身にゆとりがないと、誰かに与える事はできないのです。
17. 早起きをする
これは習慣ではなくライフスタイルです。ただ、目的もなく早起きするのでは効果がありません。早起きし、誰よりも早くチャンスを探してください。早起きするという事は可能性を見つける目を開くという事です。
18. 本質を見抜く力を鍛える
事実上、あなたの考えうることががあなたの現実です。それを賢く使ってください。物事の本質の何処に焦点を当てるかを考え、鍛える事で、あなたが今まで想像もしていなかった方法が見つかります。それはあなたの世界の質を高めます。こうした感覚を研ぎ澄ます事で、あなたの人生はより、すばらしいものになるでしょう。
19. ブログを始める
どんなトピックでも構いません。ブログは何か新しくて価値のある物を作り出すだけでなく、あなたの人生に新しい人々を連れてきてくれるでしょう。ブログは人を成長させるツールです。
あなたは自分に才能がないと思っているかもしれません。しかしそれは大きな間違いです。電子書籍を書いてみることは、自分の才能に気づくいい方法です。トピックはあなたが知っている事、勉強したい事などを選びましょう。楽しいですよ。
完璧を目指して努力し過ぎるとあなたの人生を台無しになってしまいます。 人間であるあなたを作っている不完全さがなくなってしまいます。完璧でないことは、逆に価値のあることなのです。 昨日の自分に向かって言いましょう。「もっとよくなったよ!」
22. 自己妨害をやめる
あなたは自分自身が、どれほど自分の負担になっているかを驚くかもしれません。 多くの場合、無意識のうちに、あなた自身を文字通り自己妨害しています。 もし、あなたの人生が、長い期間ずっとうまくいっていないなら、その最大の敵は、自分自身なのです。
人生は公平ではないと感じているかもしれません。そう、人生は公平ではないのです。しかし、それは素敵な事です。個性的で、美しくて、シンプルで、挑戦的で、甘く、苦しく、二度と体験できない、世界にただひとつのものです。自分の人生を見つめ直し、人生を愛する理由を探してください。
きっとあなたは退屈すぎて悲しくなっているのでしょう。そう考えた事はありませんか?今までしたことのない新しい事に挑戦してみましょう。新しいスポーツを始めたり、いつもと違うレストランを選んだり、いつも観ないジャンルの映画を観たり。
25. 争いをやめる
誰かと争うという事は多くのエネルギーを使います。あなたは相手が間違っていると平然と言おうとしますが、それが間違っています。あなたは誰かの間違いを立証するためではなく、人生の驚きを認めるためにここにいるのです。彼らは間違ってはいません。ただ意見が違うだけです。そして、それが人生です。
26. エネルギーを浪費しない
今すぐしなくてもいいと思う事をしていませんか?エネルギーの無駄です。あとどれほどし続けるのでしょう?なぜ無駄にエネルギーを浪費しますか?
27. 無視する事を学ぶ
これは学校で教わるべき事です。私たちは多くの物に焦点をあて、多くの事をしていかなくてはいけません。人生はそういった物に悩まされているのです。物事をこなす事はいいことですが、無視することはもっといいことです。
あなたが最後に「ありがとう」と言ったのはいつですか?それは心から言った言葉でしたか?みんな感謝する事は成功の鍵だという事は知っていますが、多くの人が実行できていません。
29. 負けん気を持ち続ける
あなたの目標のために負けん気を持ち続けましょう。あなたの中にある強い思いを声に出しましょう。負けず嫌いの気持ちはあなたの一部であり、今以上に強くなるために、それを決して否定してはいけません。
触ってはいけない、食べてはいけない、チャンスを掴もうとしてはいけない…あなたが何か本当に欲しい物があったときに、このような言葉が駆け巡るでしょう。こういったもう一人の自分が頭の中であなたを守ろうとします。それを解き放てばよりよい生活を送れるでしょう。
31. 掃除する
楽しいものです。そしてそれはあなたにとってもいい事です。家の掃除をする習慣をつけて楽しんでください。部屋の乱れは心の乱れ。整頓するだけです。簡単なことです。
32. 目標や行動方針を書き記す
あなたはここにいる理由があります。どんな小さな、ささいな事でも、あなたには目的があります。将来の成長する為に必要な目標や行動方針を書いてみてください。それが人生の明るい道しるべとなります。
あなたができると思っている事は、あなたが本当にできる事の半分程度です。それはあなた自身に対してネガティブな考えを多く持っているためです。それらを解決し、可能性を秘めている事実を受け入れ、行動しましょう。
34. 異なったスキルを磨く
学ぶことをやめないでください。ひとつのキャリアにとどまらないでください。たったひとつのキャリアなんて、退屈で、制限のあるものです。今までしてきたこととは全く違うスキルを磨いてください。いつそれが必要になるかわかりませんし、何よりも楽しいものです。
お金と同じように時間を管理するとどうなるか、考えた事はありますか?なにに時間を費やしているのか、どれほど時間にゆとりがあるのかを見てみましょう。
36. 運動する
新記録を作るとか、そういった事はしなくてもいいんです。ただ定期的に体を動かしましょう。体は健康に、頭はすっきりします。よりよい人生を送るための簡単で、取り組みやすい方法です。
37. 親になる
子供を持つことはあなたの人生を大きく変えます。永久に持続的な愛とあたたかい気持ちをもたらします。愛に生き、多くのことを学ぶでしょう。
38. 一日にひとつ、家にあるものを捨てる
きっとあなたの人生は何かの物によって息を詰まらせている事でしょう。思い切って捨ててみましょう。寄付するのもいいでしょう。
39. 週に一度、本を読む
ブログ記事でもかまいません。あなたの心のアンテナを安定させるでしょう。 読書は脳にとって良い食材です。それなしでは怠けてしまい、健康的とは言えません。良い食材と良い関係を持ちましょう。
40. 月間目標を作る
物理的で、精神を安定させ、社交的な生活を送れます。 30日間であなたの人生に何か新しいものを取り入れましょう。 新しい始めることによって、新しい方法を利用して、健康的な生活を送りましょう。
41. 古い友人に電話する
長年連絡をとっていない人と話しましょう。さあ、今直ぐ電話してみてください。素敵な思い出話と新しいチャンスが待っているでしょう。今までの関係を無駄にしてはいけません。
42. 偶然に身を任せる
いえ、偶然なんてありえないですね。嘘をつきました。全ての物事には理由があります。偶然と思える出来事に遭遇したら、それは本当に運がいい事です。それを信じて、身を任せましょう。すべてはうまくいきます。
43. 遊ぶ
どんなものでも構いません。ただ子供の頃のように楽しんでください。目標なしではただのプレッシャーに感じるかもしれません。全ての物事を「ゲーム」だと思って楽しんでください。苦しい時もあるかもしれません。でも大丈夫、ただの「ゲーム」です。
44. 許す
過去に嫌な思いをしたことを、いつまでも根にもってはいけません。恨みを取り除くのは難しいでしょう。しかし、長年の恨みを取り除くのはより困難なものになります。許して自分を開放しましょう。
45. 必要のない問題を解決しようとしない
あなたは粗探しをするためにここにいるのではありません。日々を楽しむためにいるのです。本当に重要な問題のみを解決する事に集中してください。
46. 古くからの敵と和解する
許す事よりも、仲の悪い状況を変える事が重要です。和解し合い、友人となってしまいましょう。それは簡単な事ではありませんが、うまくいくものです。敵の数を減らし、友人の数を増やしましょう。
47. 約束をして、それを果たす
大した事ではなくても構いません。誰か特別な人とでなくてもいいんです。もちろん、難しい事でなくても構いません。約束をし、果たしましょう。気持ちいいものですよ。
48. 本当に嫌いな人とは縁を切る
なんとなく縁を切れないでいる嫌いな友人がいるでしょう。別れてしまいましょう。あなたに、あなたが長年失っていたと思っていたもの(勇気)を運んでくるでしょう。
49. 長年欲しかった物を手に入れる
「お金や時間がなくて我慢している物」…思い切って手に入れましょう。自分を高めるだけでなく、長年あなたを悩ませていた欲望を解放してくれます。
50. 批判するのをやめる
誰かの、そして自分自身の批判をするのをやめましょう。過度の批判はあなたの情熱を失わせます。心を明るくし、人生をそのまま受け入れましょう。
51. クローゼットの中身を変える
自分が着るものがどれほど限られているか知らないと思います。クローゼットをあけて、暗い色ばかりなら明るい色を足してみましょう。簡単に変えることができますよね?
さあ、数えてみましょう。笑顔は正直で、とても強力です。多くの人が嫌な出来事に涙していますが、強力な笑顔だけがその気持を取り除く事ができます。次は一日20回の笑顔を目指しましょう。
53. 黒歴史を消し去る
中1の時のノート?十代の頃書いた寒気のするポエム?もう捨ててしまいましょう。難しいかもしれませんが、過去に囚われていては素敵な人生を歩めませんよ。
54. 観葉植物を育てる
数カ月に一度は部屋に緑を与えましょう。潜在能力を高めてくれるでしょう。また、植物の成長する様子を見る事は、自分の成長にも繋がります。さあ、始めましょう。
55. 違う街や国へ引っ越す
そろそろ生活環境を変えてみませんか?違う街や国へ引っ越してみましょう!最初は戸惑うかもしれませんが、本当にいい刺激になります。
バイクサークルや、話し方教室など、なんでも構いません。新しいグループに参加しましょう。熱中する何かを発見でき、コミュニティー力もアップします。
57. テレビを観るのをやめる
まずは一週間、その後一ヶ月、テレビを観るのをやめてみましょう。その間あなたの精神状態がどのように変化するか感じてください。きっと驚きますよ。
58. 全く違う趣味を見つける
マッチで列車を作ってみたり、コブラを育ててみたり、小さな瓶に船を入れてみたり…。自分の抱えている問題を忘れて、新しい事を始めましょう。
59. 道端で見知らぬ人にハグ(挨拶)を
少し危険かもしれませんが、ハグを返してくれる人もいます。いい刺激になります。
※Mana注:この記事は海外ブログを翻訳しています。海外のフリーハグの文化を指しており、日本では挨拶程度にしておいた方がいいかもです…
サプライズパーティーはいつでも楽しい気分にさせてくれます。あなたが落ち込んでいる時、もしくは友人が落ち込んでいる時に効果的です。友達を誘って、友達にはその友達を誘ってもらいましょう。新しい出会いが待っています。もちろん、楽しむ事が大切です。
61. ハイキングへ行く
週末、ハイキングへ出かけましょう。人工のものより自然のもつ力は強力です。休息が必要であれば、外にでて、自然とふれあいましょう。
62. ペットを飼う
鳥でも、ハムスターでも、犬でも猫でも構いません。落ち込んでいるときの癒しになります。ペットの世話をすることは、人間関係よりもたやすいことです。例え相手がペットでも、愛は愛です。
例えそれを送れないとしても、感謝の気持ちを書き記す事が肝心です。過去に助けてくれた誰かの事を考えながら、その人に言いたい事を書き始めましょう。あなたがどれほど感謝に満ちた人生を送っているのかを知ることができます。
64. 毎日瞑想する
簡単に始められます。心を空にして、感覚に身を任せましょう。難しいテクニックなどはありません。あるがままに瞑想しましょう。
知っている人にでも、知らない人にでも、何か素敵な一言を言ってみましょう。その人の反応から喜びと感謝の気持ちを得る事ができるでしょう。あなたも誰かにそうされたら嬉しいですよね?
誰もあなたに素敵な事を言ってくれないなら、自分自身に言ってみてはどうでしょう?あなたにふさわしい一言を、付箋に書いて机に貼っておくのもいいでしょう。自分に優しく生きてください。
67. 思いついたままに行動する
行動する事を恐れていては何も解決しません。考えすぎると、あなたを余計に混乱させます。流れに身を任せ、自分の思いつきのままに行動してみるのもよいでしょう。無意識の行動によって、本当の自分に驚かされます。
68. 結果に対して議論しない
結果に対して議論しないという事は、争いを避けてくださいと言っているわけではありません。議論から生まれる結果は、勝つか、負けるかしかありません。あなたの望む通りの結果にならずとも、結果が決まったものは受け入れて、それに従う事が人生を円滑にする手段です。
ごまかす事は簡単です。世間は建前や偽りでできていて、時にはあなたもそうする必要があるでしょう。それをやめて、正直に生きる事が大切です。悲しみも、楽しみも、どちらもあなたの人生です。
70. 目標を設定する
明確な決意表明であり、あなたが本当にしたい事です。あなたは目標がありますか?熱中する事がありますか?
71. 他人を助ける
手を差し伸べ、誰かを手助けできるか考えてください。聖者になる必要はありません。誰かに与えるようにみえて、実は自分がもっと多くのものを受け取っているのです。
72. 社交的に
外に出て誰かとふれあいましょう。新しい人と出会うのに慣れましょう。その習慣を身につければ、新しい事を始めるのにも慣れてきます。目標はいいネットワークを作ることではなく、なるべく多くのエネルギー源とつながり、それを手にすることです。
73. 一人の時間をつくる
あなた自身のために必要な時間も十分にとってください。新しい観点に気づくでしょう。あなたはどこにいますか?今後どうなりたいのですか?少し立ち止まって、辺りを見渡してみましょう。
74. 自分で何かを直す
お店に修理に出さず、壊れた窓や車の傷を自分で直してみましょう。どれほど周りのサービスに頼っていたかがわかるでしょう。汗を流して自分
そう、俺も今なんだか思えてきたことがあるんだけど、
みんなゲームから離れつつあるような気がするんだよ。
ゲームじゃなくて遊びっていうか、ゲームは高度なものだけど、遊びはより敷居が低いでしょ。ボール蹴るだけで遊びになるんだから。
そういうところにいってる気がするんだよね。
ゲームってスポーツと同義だと思う。いや、スポーツがゲームと同義か。
全て身体性に行きつくんだよ。たとえば格闘ゲームとかだと、これは予想だけどおそらく相手の出方を予測する力だとか、技を出された時にとっさにどういう行動をするかみたいな反射神経とか、全部スポーツに必要な能力なんだよね。
つまりゲームはスポーツ。よりゲームらしいゲームほどスポーツに近づいて行く。
で、近づいて行くとどうなるかといえば、訓練が必要になる。訓練が必要になれば、そこでギブアップする人が出てくる。すると、マニアック化というのはスポーツに近づいて行くことで、いわば高度になっていくってことなのか。
それを、高度になっていたのを単純化してより幅広い層がプレイ出来るようにしたのが好きま時間でプレイ出来るソーシャルゲームというわけか。
確かにゲームとは違う。
ゲームというよりは、遊び。数字遊び?いや、もっと単純なところまで行きそうな気はする。おそらく感情を動かす遊びというか。
確かにゲームではないね。でも、原点回帰と呼びたくないは違うと思うよ。
ゲームの原点は遊びでしょ?遊びは極めて単純なものだし、ゲームが原点回帰するとすればそれは遊び以外にないじゃん。
だからゲームから遊びへと変化していってると考えればソーシャルゲームもゲームと同じ軸線上にあるんじゃないかな。というか、「ゲーム」の意味するところがどんどん遊びよりになっていってるんじゃないかと。ソーシャルゲームのおかげで。ソーシャルゲームをソーシャルゲームと呼ばなければ、あるいは登場しなければ、ゲームはもっと遊びから遠ざかったままだったと思う。
意味不明になってきたからここでやめる
箱庭系なんて、まさにゲーム性をソーシャルで補ってる例だと思うけれどね。
本当に庭を造るもの(大昔に結構流行った)から、農場、城、町とか様々だけれどさ。
例えば「国盗り」で追加された、城下町を作るゲームは、リアルの移動がメインだよね。
その「移動」に動機付けするのが、住民が増えたりしますよ、と言う奴。
住民の数でパーツを置ける範囲が増えるんだが、その移動結果の住民増加数を、金で買うアイテムで一時的に上げたりできる。
はてさて、こういうのって、「ゲーム」なのかね?
大昔の庭を造るのもそうだけれど、足しげく通って(アクセスして)、水をあげたりすると立派な庭が出来たりする。
ソーシャルに繋がって、他人に庭を公開したりするわけだけれど、これらの場合「ゲームがしたい」のだろうか?
「人付き合い」や「移動」がメインで、ゲーム(と呼べるか怪しいけれど)は付属物だよね。
儲けるツールとして、ソーシャルゲームはよく出来ていると思うよ。
でもそれは、メールや掲示板と一緒で、繋がったり旅行したりする事の付帯物であって、メインではないよね。
原点回帰とは呼びたくないし、ゲームとしては退化だと思うけれどな。
お前らにいいことを教えてやる。
ヘルスとかのイメクラとかのサイトで女の子のプロフィールがあるだろ。
そこで趣味の欄に「漫画」と書いてあったらその子は高確率でオタだ。
自分の趣味とあう子を見つければ、チンチンいじってもらいながらオタ話に花を咲かすことができるぞ。
夢みたいだろ。
あとは趣味の欄に「ゲーム」あるいは「映画」と書いてあるのもいいぞ。
「映画」単体の場合だと映画好きの皮をかぶった無趣味のおそれがあるが
「映画」に「漫画」や「ゲーム」がくっついて記載されている場合
店側の用意したプロフィールはスリーサイズやら性感帯は嘘八百だったりするが
趣味欄はわりとうそつかないぞ。
良かったなお前ら。