そう、俺も今なんだか思えてきたことがあるんだけど、
みんなゲームから離れつつあるような気がするんだよ。
ゲームじゃなくて遊びっていうか、ゲームは高度なものだけど、遊びはより敷居が低いでしょ。ボール蹴るだけで遊びになるんだから。
そういうところにいってる気がするんだよね。
ゲームってスポーツと同義だと思う。いや、スポーツがゲームと同義か。
全て身体性に行きつくんだよ。たとえば格闘ゲームとかだと、これは予想だけどおそらく相手の出方を予測する力だとか、技を出された時にとっさにどういう行動をするかみたいな反射神経とか、全部スポーツに必要な能力なんだよね。
つまりゲームはスポーツ。よりゲームらしいゲームほどスポーツに近づいて行く。
で、近づいて行くとどうなるかといえば、訓練が必要になる。訓練が必要になれば、そこでギブアップする人が出てくる。すると、マニアック化というのはスポーツに近づいて行くことで、いわば高度になっていくってことなのか。
それを、高度になっていたのを単純化してより幅広い層がプレイ出来るようにしたのが好きま時間でプレイ出来るソーシャルゲームというわけか。
確かにゲームとは違う。
ゲームというよりは、遊び。数字遊び?いや、もっと単純なところまで行きそうな気はする。おそらく感情を動かす遊びというか。
確かにゲームではないね。でも、原点回帰と呼びたくないは違うと思うよ。
ゲームの原点は遊びでしょ?遊びは極めて単純なものだし、ゲームが原点回帰するとすればそれは遊び以外にないじゃん。
だからゲームから遊びへと変化していってると考えればソーシャルゲームもゲームと同じ軸線上にあるんじゃないかな。というか、「ゲーム」の意味するところがどんどん遊びよりになっていってるんじゃないかと。ソーシャルゲームのおかげで。ソーシャルゲームをソーシャルゲームと呼ばなければ、あるいは登場しなければ、ゲームはもっと遊びから遠ざかったままだったと思う。
意味不明になってきたからここでやめる
箱庭系なんて、まさにゲーム性をソーシャルで補ってる例だと思うけれどね。 本当に庭を造るもの(大昔に結構流行った)から、農場、城、町とか様々だけれどさ。 例えば「国盗り」で...
そう、俺も今なんだか思えてきたことがあるんだけど、 みんなゲームから離れつつあるような気がするんだよ。 ゲームじゃなくて遊びっていうか、ゲームは高度なものだけど、遊びはよ...
まー、今はそういうもともと携帯電話なりが持っていたポテンシャルをゲーム性に反映させようとした結果ああいうのができてるだけだ、という認識でいいんじゃね。 なんだかんだ言っ...