箱庭系なんて、まさにゲーム性をソーシャルで補ってる例だと思うけれどね。
本当に庭を造るもの(大昔に結構流行った)から、農場、城、町とか様々だけれどさ。
例えば「国盗り」で追加された、城下町を作るゲームは、リアルの移動がメインだよね。
その「移動」に動機付けするのが、住民が増えたりしますよ、と言う奴。
住民の数でパーツを置ける範囲が増えるんだが、その移動結果の住民増加数を、金で買うアイテムで一時的に上げたりできる。
はてさて、こういうのって、「ゲーム」なのかね?
大昔の庭を造るのもそうだけれど、足しげく通って(アクセスして)、水をあげたりすると立派な庭が出来たりする。
ソーシャルに繋がって、他人に庭を公開したりするわけだけれど、これらの場合「ゲームがしたい」のだろうか?
「人付き合い」や「移動」がメインで、ゲーム(と呼べるか怪しいけれど)は付属物だよね。
儲けるツールとして、ソーシャルゲームはよく出来ていると思うよ。
でもそれは、メールや掲示板と一緒で、繋がったり旅行したりする事の付帯物であって、メインではないよね。
原点回帰とは呼びたくないし、ゲームとしては退化だと思うけれどな。
そう、俺も今なんだか思えてきたことがあるんだけど、 みんなゲームから離れつつあるような気がするんだよ。 ゲームじゃなくて遊びっていうか、ゲームは高度なものだけど、遊びはよ...
まー、今はそういうもともと携帯電話なりが持っていたポテンシャルをゲーム性に反映させようとした結果ああいうのができてるだけだ、という認識でいいんじゃね。 なんだかんだ言っ...