2012-05-16

虚構新聞は誰でもなくインターネットに殺された。

楠木坂コーヒーハウスの人が書いている。

そもそも虚構新聞って、記事のリンクを開いて虚構新聞だったときのガッカリ感、逆に「これは虚構新聞だろう」と思って開いて本当にそうだったときの勝ち誇った感を味わうような、僕と読者との一種のゲームだったのですよね。昔なら「くそー、釣られたー」か、「虚構新聞余裕でした」の反応をちまちま見ながらほくそ笑んでいたのだけど、最近は人が増えたせいか、本気で怒り出す人が「虚構新聞つぶれろ」とか「死ね」とか言い出すようになって、気持ちが滅入ってしまうことも多かったです。

俺はそういうメディア虚構新聞だけであるならば、別に虚構新聞にまた引っかかったー」で済んでいたと思うんだけど、実際はそうじゃなくなった。2ちゃんねるまとめサイトや、他のネットニュース関係の奴等がPV欲しさにそういうタイトルを付けまくっている。虚構新聞は、いちおうソース「嘘」だと明示してあるだけまだマシだ。それでいうと、2ちゃんねるまとめサイトソースが「2ちゃんねる」と明示しているだけマシなのだろうか。とにかく、今のインターネットには釣り師が多くなってしまった。昔のインターネットは恐らく「釣り」というのがそれほどメジャーじゃなかったからこそ、こういう遊びが先鋭的であった。既に、もうそんな遊びは先鋭的ではなくなって、ありふれた「悪質なデマサイトby アンサイクロペディア)」なのだ。(高校生Twitter上で釣りを楽しんでいるのは知っているだろう)

もはやリテラシーがある層だけを相手にしていればいいという、放牧的なインターネット時代は終わった。ひろゆきの「嘘と嘘を見抜ける人は」という念仏を唱えていれば防御できる時代は終わった。必要なのは、人を騙しても厚かましい顔をしている性格の悪さだ(言い換えると2ちゃんねる的な性格の悪さだと言い換えてもいいだろう)。そして、「騙された奴が悪いのだし、そういう奴はバカだ」と言う性格の悪さだ。既にインターネットにとって、釣り師の資格とは「ディスプレイの向こう側を楽しませたい」というエンターテイメントではなく、そういう性格の悪さだ。この人は、たぶん見ていて「人がよかった」(人の評判を考えるくらいには、ね)のだろうけど。

どこぞのブログが僕を名乗って「虚構新聞、閉鎖します」とかいう余計にややこしいことを拡散させたせいで、ツイッターが軽く再炎上したけど、閉鎖はともかく、状況が落ち着かないことには、執筆もろくにできないし、そもそもの本業である寺子屋にまで影響しかねません。

既に、「虚構新聞」というゲームは、その内部だけでゲームが完結するものではなくなった。「ソーシャル」、そして「キャズムを超える」ということは、その「ゲーム」を理解しないひとを常に引き寄せるものだ。ネット上で気軽に共有されるという事態は、そのルールを知らない人を常に呼び寄せるものだ。「リテラシーのない層に配慮せよ」というのは、別に弱者のことを考えろ」ということじゃないんだ。そうではなく、身を守るための防御策であるに過ぎないんだ(リテラシーのない人が騙されて怒るコストは、それをバカにできるほどの性格の悪さがなければ、それなりに減らした方が、自分のためであるというのは合理的な判断だ)。

虚構新聞」が恐らく「虚構新聞」と読者という簡単な関係で終わらせたかったのだろうと思うのだけれど、そうではなかった。「虚構新聞」のリテラシーは、その外部に持ちだされて、同じルールで殴られた。該当のブログを読む限りだと、そのブログジョークサイトだと名乗っており、シュールギャグで埋め尽くされていた。虚構新聞は、そのルールにしたがっている限り、何かしらの混乱が生まれてしまう、ということを認めてしまっているようにも思える。

から虚構新聞改名するべきだ。どんな名前かって?そうだな、「はちま起稿」とかいいんじゃないかな。

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    まじで、その通り。 一種のゲームなんだよね。 「虚構新聞」は新聞という形式で嘘をもっともらしく語る面白さが売りのネタのゲーム。そこにツッコミを入れて遊ぶゲーム。 あるいは...

  • 虚構新聞は、第二の倖田來未にされるだろう

    虚構新聞が面白い。 虚構新聞の件が投げかけるすごく重要な話 虚構新聞は誰でもなくインターネットに殺された。 虚構新聞の中の人  「あんな新聞書いてる人間なんか、神経...

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