はてなキーワード: 黒歴史とは
「生物学上は女」、インターネット老人を布団の上で転がり回すことができる殺人ワードだと思ってたらまだ現役なんだ
あれは「私はキラキラした女の子らしい女の子じゃないです」っていう自虐の意味だったり
女の子らしくおしゃれやリアル恋愛を楽しむことができない自分は異常者なんだという苦しみの表現であり
今と違ってオタクと非ヲタが分断されていてオタクへの風当たりも強かった時代の産物で
本気で「性自認が男」っていう意味で使ってた人はいなかったと思う
最近は小中学生女子に人気のとある歌い手グループに性同一性障害の子がいて
憧れを抱くファンの間でLGBTを名乗るのが流行ってるって話を聞き齧ったことがあるから同じフレーズでも今は使われ方が違うのかな
「幼馴染」という単語が出てくるたびに、「幼馴染=仲がいい」という前提だけど、嘘というか逆だろうと思う。「仲がいい」ことの理由として「幼馴染」が出てくるだけで、実際は「幼馴染=仲がいい」はレアケースだろうと思う。むしろ、「幼馴染」であるがゆえに修復不能なほど深刻に仲が悪くなることも多い。XJAPNやチェッカーズなどが代表例。
というか、「幼馴染」と大人になっても変わらずに友達付き合いを続けるって、普通に考えて不可能だというのが個人的な実感。黒歴史が多いし。大学で幼稚園からの幼馴染と同じ学部になったことがあったが、4年間一言も口をきかなかったし、すれ違ってもお互いに無視だった。そんなものじゃないだろうか。
私は才能にも恵まれたこともあり、幼少期から俺TUEEEEEな人生を送ってきた。
勉強、運動、音楽など、適当にやれば平均以上なので持て囃される。親からも。
それが当たり前だった私は、自分にしか興味がなく、全ての人間は私を讃えるために存在すると思っていた。
正直、才能のない人たちを見下していた。
しかし、私の能力がイマイチ評価されない分野があった。ネット上の2次創作だ。
私は美術の成績は良かったけれどそれは写実的な絵画の話であり、マンガ的表現や、いわゆる絵心は皆無だった。
小説も嫌いで一切読んでこなかったので、文章力も皆無だ。センター試験の国語は小説セクションだけ点数が低かった。
オタクのことはキモいと思っていたし、アニメにも興味なかったが、昔からゲームはやっていたのでその2次創作をネットでちらほらと見ることはあった。
そこから興味が湧き、この私の才能なら創作界隈でも無双できるのでは?と思い、長文SSを掲示板へ投稿した。
「こんなに否定されたのは初めてだ。顔が見えないとこうも攻撃的なことを言えるのか。批判した奴らの顔を見てみたい。どうせ、会った瞬間にあっ察しとなるような、キモい見た目と態度なんだろうなあ。
総合的に見ればこの私の方が能力的にも社会的地位でも上なのだ。底辺のくせに何様だ。この私を上から目線で批判する資格があるのか?」
ツイッターでの活動も始めた。界隈の書き手をフォローし、持ち前の人当たりの良さ(初対面だけ)で友好関係を広げていった。
全ては私の作品を称賛させるためであり、相手の作品に全く興味はない。だが、さすがにしばらくは人付き合いで他人の作品を読み感想を送り、馴れ合いを続けた。
しかしながら、それは長く続かなかった。自作が掲示板でこき下ろされるたび、私はツイッターで荒れた。その批判は正当か?とか、批判した奴出てこい直接話せ、とか。
そうでなくても元々私は隙あらば自分語りするタイプだし、他人との交流を楽しむという発想がない。それに加えて暴言やネガティブツイートばかり。当然、周囲は離れていった。
いや、離れる前にこちらから勝手に憎悪を膨らませ、ブロックした方が多かったか。
なぜお前はあの作品を賞賛する?あの作品より私の方が優れているのに。
なぜ界隈であの作品が話題になっている?私の作品の方が先にそのテーマに言及し、クオリティも高いのに。私の作品が当然先に評価されるべきだろう。おい、リツイートしたそこのお前も同罪だ。」
などなど。上記のことは直接発言こそしていないが、匂わせることは言った上で、ブロック。
そうこうしてるうちに、相互フォローは一桁になった。
だが、数年も経てばそんな感情も忘れ、承認欲求が高まってくるものだ。
今度は小説だけでなく、絵も始めた。絵心がなく正直ヘタクソだが、小説に比べると圧倒的に反応がいい。リアルタイムでいいね数が増えていく快感は私を満足させた。
前回の過ちを繰り返さないよう、私はツイッターではいい子ちゃんぶっていた。そのほうがいいね数を稼げるから。
また、作品の内容も界隈に媚を売るようになった。トレンドを盛り込んだり、わかりやすい百合要素を入れたり。そのほうがいいね数を稼げるから。
元々、人の輪に溶け込むのが苦手な私は、孤高のご意見版みたいなポジションを目指した。実際、「頭良さそうな人」みたいなイメージは持たれていたと思うがしかし、界隈の有力者とは仲良くなれずにイマイチ地位を確立できない。
実力で叩き伏せるほどの画力はないし、小説はそもそもあまり読まれない。
次第にいいね数に限界が生じてきた。ヒット作を生み出すも、それが当然のラインとなり以降の自分を苦しめる。
血迷った私は色々なものに手を出した。クソコラも作ったし、楽器も演奏したし、音ゲーのプレイ動画も作った。だがどれも反応はイマイチ。
次に私は、そのゲーム(アイドルもの)のリアルイベントに行くことにした。
アイドルのライブにこの私が行くだと?キモいと見下していたが、まあいい。住む世界の違いを見せつけてやろう。オタク達から見れば、何か育ちの良さそうなキレイめな奴が来た、いけ好かねえ。と思われるはずだ。それで私の承認欲求は満たされる。
臭い。なんだこの人たち。これは誇張ではなく本当に臭かった。
運動部の男子更衣室のむさ苦しさとは少し違う。オタク特有の臭さだ。ネット上で言われてるようにホントに風呂入ってないの?
まあ私とて、夏場の寝起きはこんな感じで脂ギッシュで汚いのだが、そのまま家を出てきたのかこの人たちは?
ライブ自体はまあ楽しかったが、周囲が気になって集中できなかった。
その後も何度か行ったが、やはり周りが不愉快でしんどかった。臭いだけじゃない。行動も発言内容も気持ち悪いし、たむろして迷惑かけたり、なんていうか、幼い。
自分も大概なのだが、自分の黒歴史を見ている気分になってしまった。
この中にいると、私もキモく見えてくる。
ライブ終了後の全体写真には絶対写りたくなかったし、握手会も一度も行かなかった。自分で自分がキモく思えてしまうのが嫌だから。アイドル自体に罪はないし、パフォーマンスそのものは良かったけど。
かつて私に批判コメントを送っていた連中の顔は、おおよそこんな感じなんだろうなあ。
奴らを見下すことで、承認欲求を満たすつもりだったが、なんか微妙な気分になってしまった。
そして、これまでの自分の行いを振り返り、自分が嫌になった。結局私は特別な存在でもない。みんなと同じく、普通のキモい人間だ。
これまで俺TUEEEEしてイキってきたつもりだったが、周りからはあっ察し状態だったんだろうなあ。
そう考えると途端に恥ずかしくなってきた。
というか、このプロセスすら、大なり小なり誰しもが経験し大人になっていく過程なのではないか?
それが遅すぎたのだ、私は。もう、30歳を超えているというのに。
私は2度目の垢消しをして、引退した。
その数年後、結局別の界隈で再開したけど。
今は壁打ち垢のみで、誰とも関わらずに気が向いたときだけ投稿している。
いいね数は一桁。
結局断ち切れていない。でも、こうやって少しずつ大人になっていくんだろうと思うことにする。
・顔は平均以上。若い頃はモテたが、しかし中身が幼いので、大人になってからはパッとしない印象。さらに薄毛も始まり、現在は美形とは言えない。
こう列挙すると嘘くさいが、本当です。
・写実的なのが得意とは言っても、そこまでレベル高いわけではない。模写が得意なだけで、2次創作には向かない。背景とか武器ばかりやたらリアルになってしまいキャラがお粗末。
こうやって増田に投稿することも承認欲求を満たすため。何も本質的に変わってはいない。
拡散されて特定されることを恐れつつも期待している自分がいる。キモいな。
久しぶりだこの高揚感。初めてSS投稿したときのことを思い出した。
自己愛野郎は、賞賛だろうが批判だろうがとにかく構ってもらうことが重要。というかそれしかコミュニケーションの手段がない。
掲示板の荒らしに構ってはいけないとよく言うけけどその通り。無視が一番効く。
ということで、いい気分転換になった。
ちなみに書いてあることは本当。
↓こっちの記事も私が書いたんだが、少し誇張している。実際は会社では苦戦している。努力を知らないので、大学院を出ておきながら何の知識も積み上げていない。社会性がないので人脈を築けないし、成長も遅い。でも年功序列と人手不足に助けられ、ヒィヒィ言いながらも管理職としてなんとかやっていけている。
https://anond.hatelabo.jp/20210710112952
私の両親も似たようなタイプで、顔と才能で一切挫折せずに生きてきたようだ。私が子供の頃は私と一緒になってよその子を見下していた。私が就職決まったことを告げると、即、私の目の前でその企業の就職偏差値を検索し、上位であることを確認し満足していた。
いわゆる毒親なのかな?と思いつつも、別にそうは思わない。別に嫌な思いはしてないし、仲もいい。私がこの先も勝ち続ければいいだけの話だ。
しかし、私自身は子供を作る予定はない。人格面を育てられる自信はないし、才能だけで無双できる時代でもなさそうだし。不幸にしてしまいそうで、怖い。
黒歴史アアーってなったので吐き出し。
小学4年生の頃図工の時間に「あなたが好きな本のワンシーンを描きましょう」って課題があって「チーズはどこへ消えた?」を選んだ。
チーズとネズミと小人と壁しか出てこなくて描きやすそうだったから。
もっと他に好きな本もあったけど、草とか木とか城とか描くの大変そうだったし。
いつも授業時間過ぎても描ききれなくて、今回も持ち帰りで描くの嫌だったし。
むしろ話は嫌いだった。
新しくチーズ探しに行っても見つからないかもしれないじゃないか…たまたま見つかっただけじゃないか…見つからなければ行き倒れじゃないか…
ていうかなんでそんなに明るい考え方なの?説明が無いんだけど…
小人は今までどうやって生きてたの?何故かチーズがいっぱいな場所があるとか、おかしいなって疑問に思わなかったの?
チーズが古くなったことに気づけとか、別にチーズが古くなったからってお腹壊した描写とか無かったじゃないか…その世界だと別に古くてもいいっぽいじゃないか…
と思ってあんまり好きじゃないなと感じてたけど、ラクに描く誘惑には逆らえなかった。
いっぱい売れてるって帯にも描いてあったし。
お父さんとか大人が読む本で読書感想画を描いたらかっこいいぞ…私は大人が読む本を読んでるんだぞ…
と思って選んだ。
そうやって好きを偽り見栄を優先しラクな方に逃げた結果、授業時間2時間の内1時間で描き上げることが出来た。
早く絵の具セットを洗いに行きたかったけど、先生にからサボってると思われるのが嫌だったから適当に時間を潰した。
廊下に貼り出された全員の絵を見て「やっぱりこんな大人な本読んでる子は私以外いないな…」って心の中でドヤった。
あああああああああああああああ
そもそも本の伝えたい事わかってないじゃん
あれは「起業とか新しいチャレンジをしたいけど勇気が出ないから背中を押してほしい」人向けの本じゃん
それをわかっててツッコミいれたり、好きで絵の題材に選ぶのはいいけど、わかってないならただの勘違いした間抜けやーーーん
本当にその本が好きなら勘違いしててもまあいいよ。でもお前その本嫌いじゃん!!!!!!
「大人が読んでる本を読んでるなんてかっこいい」ってその選び方が限りなくダサいもーださい。かっこよさくらい自分で考えて見つけてーーー保育園の子でもやってるよーー
出来上がった絵もしょぼいよーーーー明らかに描き込み足りないじゃん迫力無いじゃん周りと比べて浮いてるよーーーー「壁の色塗ったよ?白紙の部分がなけりゃいいんでしょ?」ってそういう問題じゃねえーサボるなーーー線が!足り!!ないの!!!
ネット見てると今でもたまに「チーズはどこへ消えた?」を勧める文を見ることがある。
その度にこれを思い出してウワアアアアってなる。
もちろんその文の作者が私みたいな雑な考えで勧めてるとは限らない。けどもうどうしようもなくウワアアアアってなってしまう。
いちいちウワアアアアってなるのが嫌なので供養。
学校みたいに「普通」でいることが求められる場に馴染めたことがない。まあ、ありふれた話ではあるんだが。そりゃもちろん適応する努力はするんだけど、距離感と感覚が異常すぎてすぐにキモさが露呈するし、かといって異常な部分を隠すためにコミュニケーションを拒絶して何も話さないというのもそれはそれでキモいのでもうどうしようもなくなる。
個性的に見られようとして常識外れの振る舞いをするのが最近の流行りらしいが、本当に異常で「普通」の場において周囲の誰とも馴染めない人って惨めさに苦しみながら必死で泥臭く足掻いている人がほとんどだと思う。共感性や常識、趣味趣向などは歪みに歪んでいる一方で、自分を客観視する能力はある人間が、「普通」の場で自らの存在意義を証明するためにできることは基本的に二択になる。自分はキモくないと必死で叫び続けるか、自分を否定してひた隠しにしながら周囲に合わせようとするか。そのどちらかしかない。
でも、どちらにせよそんなことを続けていたらすぐに限界が来る。適応障害こじらせて頭が回らなくなり、仕事や勉強についていけなくなったり、コミュニケーションに失敗していじめに遭ったり。で、インターネットに逃げ込んで黒歴史を大量生産したり。
そして社会が助けようとするのは社会における多数派が共感できる弱者だけなので、俺を含めたこのような人たちは社会からまともに扱われることなく惨めに死んでいく。精神科で与えられた「社会不安障害」「鬱病」といった烙印を抱えながら。そのような現実を生気のない目で見据えながら。「普通」の人間に怒りと憧れを感じながら。