はてなキーワード: 純愛とは
童貞性とか童貞力って別段童貞だけにあるものじゃないんだよ。男性なら誰でも持ってて、たいてい思春期には高くて、歳を経るに従って低くなっていく。童貞を失うと激減するけれど、それも個人差がある。
ざっくり説明してみると、その童貞性ってのは「女性を尊くて素晴らしいものだと思い込み希求する精神」だ。まあ、性欲とかそういうのはあるんだが、その性欲がレイプ的な方向に向かわず、挙動不審になるのは「素晴らしいところである女性に内心を見透かされて嫌われたり軽蔑されるのが怖いから」だ。
長年思ってるんだけど、男性のこの童貞力によって、一番利益を得ているのは女性自身だと思うぞ。デートなんかで優遇されるのもサークルでちやほやされるのも、若年男性に影響力を発揮できるのも、男性のこの童貞性のおかげって部分は確実にある。フェミの人はおそらく「頼んだわけじゃない」「気持ち悪い視線を向けられるのはハラスメント」とか言い出すんだろう。その意見や気持ちも、年取っちゃった俺には理解できる。
けれど、総体を公平に見た時、女性はやはりこの男性の童貞力によって利益得ていると思うよ。アイドルなんていう一部の職業でそれは可視化されるわけだけれど、何もそんな特別な職業じゃなくても、会社の部署や学校のサークルで、あるいは近所付き合いで、ある種の優遇や特別の配慮を受けている女性は多い。というか、若い頃は大抵その種の優遇措置を受けられてるんじゃなかろうか。
性の商品化は断固許さん、とフェミの人は言うけれど、ファッション誌や女性誌を見る限り、自分たちの性の商品化に一番熱心なのは女性自身だよね。じゃなければ結婚戦略に、自分の容姿やセックスを男性に提供する反対給付としてカウントするはずがないわけで。
童貞性にみられる、(おそらくほとんど根拠のない)女性への憧れ、フィクション的に言うなら「女神様扱い」ってのは、おそらくロマンチック・ラブイデオロギーによる教育の結果であって、それって悪いものじゃないと思うんだよ。もちろんすべてが善だなどと強弁するつもりはないけれど、すくなくともその一個前の封建時代における女性は男性の私有財産というところから離陸するのには役立った。
いま、俺たちの社会は長い長い数百年の過渡期にあって、女性の権利ってのは男性と全く同じであるとまだ胸を張って言える状況ではない。けれど、その過渡的な状況の中で、自分の性を商品化して社会の中で地位を高めようとする女性と、女性の加護者として自分を規定したい男性は、思想的には共犯関係にある。童貞性はその思想上のツールなんだよ。
女性は、そのことにもうちょっと感謝してもいいと思う。感謝という言葉が気に障るなら「ちょろく騙されてくれる連中に対する惻隠の情」と言い換えてもよい(その惻隠の情をビジネススキームに落とし込んだのが、アイドルの握手会だと思う)。
童貞いじりも男嫌悪も社会浄化運動も良いけれど、そうして清潔になっちゃった社会に、現代を生きてる普通の女性の殆どは生きられないと思う。なんせ俺ら全員は、過渡期を生きてる過渡的生き物なもんだからね。
ps.俺個人は童貞性を非常に良いものだと思ってるよ。少年性とも接続する。ボーイミーツガール系の物語において、別段大した利害関係もないヒロインに対して、主人公が時に命をかけるほどの献身的助力を行えるのは、まさに童貞性の発露だよ。フェミ的には純愛とか言いたいのかもしれないけれど、その種のナイーヴな純愛こそ童貞性の結実だといえると思うよ。絵面が綺麗な童貞性は純愛だといわれ、絵面が汚い童貞性がキモ男の告白ハラスメントだと侮蔑される。それだけのことだよ。前者の価値を認めるのならば後者を貶めないってのが、反差別だと思うわけ。
女子中高生と恋愛関係になって性行為に及んだとして、それが女子の意思だ!相思相愛だったらいいんだ!と大人側が言い訳するのってやはり難しいと思う。
いや、女子中高生とセックスしたい側はそうであってもらわなくちゃ困るからなんだろうけど。
中高生ってなんだかんだ言って判断力のない子供ですよ。身近な大人に憧れたり(女子校の子がおじいちゃん先生に恋するのなんてのもよくあること)、そのために身体を投げ出すしか無いと思い込んだり、おこずかいのために怪しい店で働いたりセックスするのもいいかも…と無茶をするあたり、実に判断力がない。
小出恵介のアレにしたって、周囲に自慢したり週刊誌にネタをホイホイ売っちゃうの本当に子供でしょ。
ちょっと前に、誘拐された女子中学生が何年も監禁されてた事件について、やたら犯人のカタをもって、「女子中学生は家出!彼はそれを拾ってあげただけで実は純愛!」って言いたい人たちがたくさんいた。マジで13歳の子にそこまで判断力あると思ってるのか?
女子は16歳になったら結婚出来るんだし…と言いたい人もいるだろうけど、そんなの親が結婚を決めてた時代の名残なだけだからね。まともな判断力を期待されてのことじゃないから。もうすぐ18歳からになるんだっけ?
女子中高生からセックスを迫られたとして、まともな大人ならそれを断らなきゃいけないよ。純愛だと言い張るなら18歳までセックスは待てよ。子供なんて簡単に言いくるめられるんだから。本人の意思?未成年と結んだ契約は無効ですよ。
中高生同士のセックスはもうどうしようもないわ。男子も子供だし。でも大人が子供にそれをしちゃいけないよって思いますね。大人なんだから。
すべて正解ではある。しかし性癖が 「拡張」できるということを知ってるひとは意外と少ない。
例えば普通のセックスAVを見るA君が居たとする。純愛モノのラブラブセックスAVでないとちんこも勃起しないとする。一例としてレイプモノを見せると拒絶反応を起こすレベルだと考える。
中身は違えども人は誰しもA君のような状態である。レイプモノは容認できてもスカトロモノは絶対に容認できないと考えている人は多いと思う。
はっきり言って、これは単なる嘘であることを言っておきたい。
味の好き嫌いを直せるように、実は性癖の好き嫌いも直せるのだ。
しかも性癖というものは味の好き嫌いと違ってもっと自由にコントロールすることが可能だと長年の研究により判明した。
それこそリョナであろうがスカトロであろうが射殺であろうが箱化であろうがダルマ女であろうがすべてのおかずで抜けるようになる。
しかし一体どういった 「メリット」があるのかと考えた人もいるかもしれない。
よく考えてみよう。人は最適なおかずを探すのにどれだけの時間を無駄にしているのだろうか?おかず探しに1時間ぐらいかけた経験を持っている人もいると思う。
これは業界では有名なことではあるがズバリ「おかずの最適化問題」である。
例えばランダムに掴んだおかずが自分が抜くに値する最適なおかずである可能性はかなり低い。
統計的に調査した結果、人がおかずを探してお目当てのおかずにたどり着くまでに平均で動画に4個、画像に60枚かかる。
そこでどんなおかずであっても抜ける人のことを考えてみよう。彼は文字通りどんなおかずでも抜ける。女優が思ったよりブスであってもブス好きの性癖があるので抜ける。逆に美人であっても普通に美人は嬉しいので抜ける。同じ要領でどんなおかずでも抜けることになる。
小林麻央さんが亡くなってからというもの、TVでは毎日のように彼女の報道がなされている。
でも、正直何がそんなに大変かって、元女子アナの綺麗なお嬢さんが夫と子供を残し若くして死んでしまったことよりも、あの成田屋の若奥さんが亡くなってしまったことだ。
歌舞伎を知らない人はわからないかもしれないが、とにかく成田屋は300年以上続いていて、歌舞伎の家の中でも名門だ。上手いこと例えられないが、日本の車メーカーで置き換えてトヨタとしておく。
で、海老蔵はそこの社長になるわけだ。それで、梨園の妻って何してるかって、世間は悠々自適な主婦生活じゃなくて、劇場に挨拶回りして、チケット売りさばいて、お茶だの花だの着付けだの、江戸か明治のお嫁さんかいなって言うくらいの芸事を覚えて、夫に栄養のいいもの食べさせて、不祥事があれば謝り、跡継ぎを生んで育てるって、まぁとんでもない量の仕事がある。非常に言い方が悪いが、夫は商品で、妻は、営業、総務、アフターケアから新人研修まで一人でやってるってことだ。
つまり、歌舞伎界のトヨタの営業、総務、教育係がいなくなってしまったと言うことになる。
だからと言って、「はい、もう続けられません。成田屋は廃業です。お疲れ!」とは言えない。
成田屋は、前述の通り300年以上続く老舗の歌舞伎の一門であり、最近は成田屋は不祥事が多くて、中村屋が結構真面目に頑張ってたから霞んでる部分もあったが、家の格で言えば一番である。
その証拠に、麻央さんの力があったとはいえ、あの遊び人の海老蔵が、先代の團十郎が死んでから熱心に稽古に励んでいると言うではないか。
あのヤンキーが恐れおののいて真面目になるだけのお家だと言えばわかりやすいかもしれない。
つまり、今まで通りにお家を存続させるためには、妻かその代わりになる人の力が必要と言うことだ。
今までは海老蔵の母親が、麻央さんの代わりにその仕事をやっていた。でも、誰でもわかることだが、お母さんだっていつまでも元気なわけではなので、その代わりにも限りがある。
でも、息子には未来の團十郎になるための一種の帝王学を教え、娘には梨園の女としての教養を身につけさせる役割は誰がやるのだろうか。
もし海老蔵がやるならば、彼は團十郎になるための時間はとれるのだろうか。
もし再婚するとするならば、そして、その女がエゴイズムの塊で跡継ぎを生むことに執着したなら、そして生まれてしまったら、成田屋にお家騒動が勃発するかもしれない。
そうであるなら再婚は避けるだろうが、あの成田屋の團十郎に妻がいないこともそれはそれで問題ではないか。
ただの俳優ならこの純愛を貫き通すのが粋なのかもしれない。なぜ歌舞伎はそれが出来ないのか。そんなの理屈なんてない。
海老蔵もきっとわかっているだろう。
だからこその、あの涙の会見だったのだろう。
きっと、海老蔵は麻央さんをこれからも大事にし続けていくだろう。それと同時に、麻央さんが大事にしてきた成田屋を守っていくためにも、新しい奥さんをもらわなくてはいけない…。
世間はもしそうなっても海老蔵を(もしかしたら團十郎になっているかもしれないが)叩かないでほしい。
それが、一般人には理解できない、成田屋の当主としての務めになるのだから。
できることなら、麻央さんに海老蔵が團十郎になって、息子が海老蔵になって、夫がまたちょっとした不祥事を起こして麻央さんが謝ってるのを見て、おい旦那、ふざけるな、とか言いたかった。
久しぶりに中学の頃好きだった子の名前で検索したら結婚してた。一瞬頭がぐらっときて吐き気がした。
大学生のときにも調べたことがあって、mixiやFacebookやサークルのホームページで彼女の神々しい名前を見た。高校時代に付き合いはじめた男とずっと付き合ってるらしかった。
その男と30になってやっと結婚したみたい。相手は慶応の医者。一人の男としか付き合わずにそのまま結婚したんだからその点は素敵だなと思った。いまどき珍しい純愛。とても素敵なカップルだ。
でも今回とにかくびっくりしたのが、彼女が思ったよりはるかにブスだったということ。原型がない。会っても誰なのかまったくわからないはず。
中学の頃はものすごい美少女で異次元の存在だと思っていたのに。いまはもうその辺にいくらでもいるただの幸せそうなおばちゃんだった。
大学生時代のmixiやFacebookやサークルの写真見たときも、「あれ?」って思った。記憶よりはるかにブスだったので。自分の記憶では、キモオタの自分がちらと見るのも犯罪的なのではと思うくらいの聖なる光を放つすさまじい美少女だったのに、ネットに掲載されている写真ではその辺にいる普通のブスでしかなかった。でもmixiの友達からのコメントでは彼女のことを「美女」などといっている紹介文も書かれていたりした。うーんよくわからない。まあでもネットのやりすぎで美醜の判定基準が厳しくなってるんだろうと思うことにした。実際ネットではそれほどブスでも不細工でもない男女が嘲笑される傾向にある。自分はそういうのに染まっていないとは思いつつやはり気づかぬうちに染まってしまったんだなと反省すらした。これが世間の「美女」基準なのだ。美女は多いほうがいい。
でも今回夫婦の写真や検索して出てきた企業ページ見てさらに衝撃を受けた。まだ30歳超えたばかりなのに、40代でもおかしくないような容姿。幸せ太りなのか妊娠なのかなんなのか、だらしない姿。その姿はまさに人間そのもの。
いままでの自分の中の彼女はいったいなんだったんだろう。中学の頃から30歳過ぎる今日に至るまでずっと彼女のことが好きだった。ずっと憧れてた。大学のときの写真を見てもまだ揺るがなかった。でも今日すべてが終わってしまった。何もかも無かったことになった。すべては嘘だった。自分が見ていた世界はただの幻だった。存在しなかった。彼女は世界のどこにも存在しなかった。かつて一度も存在したことがなかった。
じゃああなたは一体誰なんだ。記憶の中のあなたは。弱い心が作り出した幻想。何もかも虚構。現実など自分は見ていなかった。何も知らなかった。盲目だった。
世界は汚いものだと思っていた。そんな世界の中で彼女だけが輝いていた。でもその彼女も現実に吹き消されてしまった。彼女もまた現実へと戻った。こんな世界でどうやって強く立って生きていけるだろう。この醜い世界で、醜い人間たちのささやかな幸せを見ながら。
今まで好きで好きでつらかった。生きてたらいつか会えるんじゃないかと思って自殺もしなかった。でもあなたはあなたではなく、あなたはあなただった!
彼女は羊水のような穏やかな愛のある声で笑っていた。あの声はその辺のおばちゃんになった今でも変わらないんだろう。すべてを包んでくれる大いなる海のような深い声。うふふと笑う美少女だった。
一昨日飲み会(男4人/女2人:30~44歳)で、「ドラゴンボール」「スラムダンク」「筋肉マン」「赤すぎんチャチャ」「天使なんかじゃない」「ママレードボーイ」「NANA」でおだやかに盛り上がっていたところ、火力MAXで『狂四郎2030』についてに語ってしまい、セクハラになってしまったのではないかと結構マジで悩んでいる35歳オッサンの私にはあまりにタイムリーなので書かせて下さい。
っていうかここの住人には説明不要だよね?ネットではカレーのおかわりで有名なこの漫画、ジャンルは「近未来SF冒険SEXYバイオレンスラブロマンスせんずりコメディちんこ漫画」です。「SF冒険SEXYバイオレンスラブロマンスせんずりコメディちんこ漫画」と書いて「純愛漫画」と読みます。もう一度言います。「SF冒険SEXYバイオレンスラブロマンスせんずりコメディちんこ漫画」は純愛漫画と読みます。
演じてる男女が純愛設定のものであれば、それなりにあるとは思うよ
別の枝で話題に出ていた「AVセックス」であることも多いとは思うけれども
もっと言えばSMプレイであっても純愛設定なものもあると思うけどね
ただ、(男性全般なのか俺個人なのかはわからんけど)AVを見るときにドラマなんてほとんど気にしていない、ドラマ部分をすっとばして部分部分だけ見てしまうという使い方がほとんどなので、正直なところドラマパートのシチュエーションを重視していないというのはある
純愛ものの恋愛作品って、行為そのものではなく恋愛物語として楽しむものだしなあ
ぶっちゃけ凌辱やショタは男性向けとして出した方が売れるし、買う方も男性向けも見るんだよね
男性にも売れるものであれば、やっぱ男性の方が購買力遥かにあるから
特にショタは同人だと作るのは半分くらいが女性だけど買うのは9割が男性、なんて言われてるし
商業も似たようなもんだろうな
童貞なんだけど
大人の場合はどうやら彼女ってのは告白してできるもんではないらしく
気づいたら横に寝ているのが普通という話を聞いて
どう解釈したもんかなと悩んでいたんだ
よくよく考えれば告白から始まる大人の純愛ってストーカーと何が違うんだって話だけど……話をしたいのはそれじゃなくて
よく耳にする話としては知人の紹介で付き合いはじめたってのがあるじゃん
そこから一歩踏み込んで考えると
まず学生の頃から付き合ってる恋愛にこなれた感じのカップルが2組以上いて
そいつらのスワッピングのネットワークに入れないと社会人になったら自然な出会いがほとんどないループに陥る
つまり告白の文化がある学生の頃にカップルになっていないと俗にいう「知人からの紹介」は存在しない
学生時代から恋人がいることで他の恋人達と交流が続いていること(恋愛的人脈とでも言うのか?)