はてなキーワード: 球場とは
僕は3年ほど前、仕事で精神的に参ってしまい無職になった。そのまま1年をかけて僅かな貯金を食いつぶし、しかし再び働くことができず困窮していた。
足繁く球場に通うほど野球観戦が好きだったが、その頃には最早テレビを通して見ることすらままならないほど精神的・金銭的に追い詰められていた。
早い段階で実家を頼れば良かったのだろうが、ほとんど家出のような形で実家を出たためどんな顔をして頼ればいいかわからず、とうとう僕は自殺を視野に入れた。いつ死のうか、どこで死のうか。そう考える毎日だったが、ある日突然父からメールが来た。
元気か?会えるなら会おう
僕はここが人生のターニングポイントだと確信した。ここで父を頼らなければ僕は本当にこのまま人生を終えてしまう。僕は死にたくもあったが、やり直せるならやり直したくもあった。
そこで僕は腹を括って現状を赤裸々に伝え、あの日、今まで育ててもらった感謝の言葉もなく飛び出して行った僕の非礼を詫びて、頭を下げて、頼らせてほしいと伝えた。
その日、父は僕を実家に連れ帰った。
久々の実家は気まずかったが、父は僕が実家にいた時と同じように野球中継を流しながら晩酌をする。僕は居心地悪くそのそばに座って、母の出す料理を食べていた。
父は何も聞かなかった。僕がずっと何をしていたのかも、どうしてそうなったのかも。ただひたすら大好きな焼酎を飲み、テレビに視線を送っていた。
僕は父に合わせて野球中継を見る気になれず、そそくさと食事を終えて席を立とうとする。するとそこで、テレビから大きな歓声が流れた。
その日、阪神タイガースは東京ドームで巨人戦を行なっていた。巨人の先発は菅野で、そんな試合はいつも負けるはずだった。なのにその日は、阪神は菅野をこれでもかというくらいに打ち崩したのだ。
それまで無言だった父は立ち上がろうとした僕を呼び止め、こういった。
「阪神も菅野を打ち崩せたんだ、お前も出来る。俺が応援するよ」
しかし僕は何か言葉を発したらそのまま泣いてしまう気がして、無言で席を立った。
僕はその1ヶ月後、小さな町工場で働くことが決まった。ゼロからのスタートでしんどかったが、家に帰ると父はいつも通り野球中継を見ながら晩酌をしていて、それが僕の心の支えとなっていた。
早く今の職場に慣れて、父の好きな焼酎とそれに合うグラスを贈って、あの日のお礼を言おう。それから出来たら、一緒に甲子園で試合を見よう。
そんな矢先だった。
コロナ流行の最中、父は肺炎のような症状が出た。すぐに病院で検査をしてもらい、その結果が肺癌だった。末期だった。
母は父のいないタイミングで僕にそう告げ、あと数ヶ月だって、と言いながら涙を流した。
ビデオの早回しのように父は一気に老け込み、僕は会うのが恐ろしくなってしまった。
野球中継を見ながらの晩酌はなくなり、父は時折散歩に出る以外はベッドで寝て過ごしている。
僕は毎日仕事帰りに実家に寄って夕飯を食べ、父の顔を見て家に帰っている。しかし確実に弱りつつある父をいざ目の前にすると、なんの言葉もかけられなかった。
阪神があの日のように強くいてくれれば、あの日の父のように僕は父に声をかけることが出来るのかもしれない。励ますことができるのかもしれない。
2020年6月にZoomを使って公式開催されたオンライン応援イベントに参加した。有料だったが即チケットを購入した。
ゲストにチーム大好きな野球声優がいたのが一番大きな参加理由。
球場で応援するのがすごく好きな人間なのでコロナの影響で球場に行けなかったのが非常に辛かったし、めちゃくちゃありがたい企画だった。正直思ってたよりめちゃくちゃ楽しかったし盛り上がった。応援団が応援歌歌ってるZoomに参加できて、応援バット振るだけでめちゃくちゃいい運動になった。見ている中継映像が人それぞれ違うからネタバレが起きるとかは仕方ない。
ところでゲストとして参加している声優さんが昔参加していたユニットに関係する、モラルを欠いた発言を執拗に行う参加者がいた。正直やっていいこと悪いことの分別が全くついてないレベルだった。
オンライン応援はZoomの映像が球場ビジョンにそのまま映る。つまり中継にも写ったりする。コレ自体は悪くない。選手に声は出せなくても応援していることを伝えられる(たぶん伝えられている…?)というのはファンとしては嬉しいことである。Zoomでのチャットもビジョンに映されたりする。これもまあうん。
ほぼリアルタイムでZoomの映像をそのまま球場ビジョンに流している。これは人間の善意ありきで成立しているシステムだと思う。そして悪意に本当に脆弱であるとも感じた。
こういうオンライン応援の取組みをなくせとも思わないし、むしろ積極的にやってほしいのだが、悪意のある人間がその場に紛れ込んだらそれだけでろくでもないことが起きるよ。例えば有害なもの写したりね。
リアルイベントだったら明らかにヤバい人間はスタッフがマークしておいたりできるけど参加型オンラインイベントだとそうはいかないっていうのが見えてきて怖くなった。
この記事は2018年8月に書いたものですが、ブログを削除することにしたため、匿名記事化することにしました。
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突然、うつになった。
原因は仕事だったので休職することになった。休職すると何もすることが無かった。今までの趣味をする気にもなれないし、しようとしても頭が働かなくてできなかった。
幸い、夫が身の回りのことを全てやってくれた。私は昼過ぎに起きて、夫が帰宅するまでソファに座ってぼーっとテレビを眺めている生活を送ることになった。
あるとき、同じ時間帯の他の番組を面白いと思えなかったから仕方なくプロ野球中継を見ることにした。細かいことは思い出せないけれど、阪神戦だったのは覚えている。
野球のルールなんてほとんど知らなかった。「投げる人が投げたボールを打つ人がバットで打って、良いところに飛んだら点が入る。客席に飛んだらホームラン」という認識だった。選手もイチローとダルビッシュくらいしか知らないレベルだった。
うつになって以来、楽しい方向へ動くことが無かった私の心が「おぉ!」とほんの少しだけれども確実に弾んだ。それ以来、プロ野球中継があるときは必ず観るようになった。我が家はサンテレビが映るので、地上波とBSでほとんど毎日阪神戦を観ることができた。平日の夕方が、少しだけ楽しみになった。
野球の基本的なルールをなんとなく把握しスタメン選手の顔と名前と背番号を覚えられてきた頃、解説者や観客が何かのカウントダウンをしていることに気付いた。
鳥谷選手に興味がわいて、Wikipediaで経歴を調べたり過去の映像を見たりした。休職以来テレビを眺めることしかできなかったのに、はじめて「Webで調べること」ができた。「顔の良いおじさん選手」との認識を改め、鳥谷選手は「とても凄くて顔も良いベテラン選手」になった。そして私も毎日カウントダウンをすることにした。平日の夕方がとても楽しくなった。夫からも「笑顔が増えてきた」と言われた。
野球の良いところは、素人でも楽しく応援できるところだと思う。ヒットを打って走ってホームベースを踏んだら点が入る。投手の球種がわからなくても、ワイルドピッチとパスボールの区別がつかなくても、フィルダースチョイスってなんやねんと思っていても、それでも楽しめる。
さらに、選手や本気で応援しているファンには申し訳ないけれども、負けてもヒットが出なくても「試合は明日もあるから良いじゃん」と思えた。だから応援やカウントダウンをしていても、心に負担なく楽しく応援できた。(これ、うつだから、とても大事)
そして遂にその時がきた。
観客席で泣いてる人がいた。長年応援してきた人なんだろうなと思った。ファン歴数ヶ月の私ですら、とても嬉しかった。私は何一つがんばっていないけれども、とても達成感があった。
この頃にはもう、引き籠っていた私が家の外に出られるようになっていた。遠出はできないけれど、医師の指示で歩数計を持って散歩をするようになった。未来の目標を立てると医師と夫から「がんばるな」と言われてしまうから黙っていたけれど、甲子園で観戦したいという目標ができた。そのために、動くことが嫌いだけれども散歩を続けることができた。
結局、2017年のシーズンは甲子園に行くことはできなかったけれど、家で鳥谷選手のユニフォームを着たり、2000安打達成記念Tシャツ(夫が買ってくれた)を着たりしてテレビで楽しく観戦できた。
今までできていたことが何一つできなくなってしまいソファに座って一日を過ごしていた私が、「選手みんなも今頃練習してるかな」と思いながら散歩をして、「試合開始までに済ませよう」と思いながら家事をして、夕方からはテレビで楽しくプロ野球を観戦するところまで復活できた。
思っていたより早く元気になれたのは、無料で見れるプロ野球中継と、にわかな私にもわかりやすく野球の面白さを教えてくれた鳥谷敬選手のおかげだと思っている。(鳥谷選手はそのために野球やってるわけじゃないんだけどね。ごめんなさい)本当にワクワクさせて貰えたし、夕方が楽しみになったから生きることができた。当時の環境でプロ野球観戦に出会えなかったら、本当にどうなっていたかわからない。まだソファに座っていたかもしれない。
2018年になった。私は迷わずファンクラブに入って甲子園開幕戦のチケットを取った。
初めての甲子園球場はとても楽しかった。少し暗い通路から観客席に出たときにぱっと開ける空とグラウンドの眺めだけで感動した。球場での観戦はとてもエネルギッシュで格別だった。私にとって記念すべき日だったのに鳥谷選手のユニフォームを家に忘れてきてしまったのが心残りだ。
球場での観戦が大好きになったし有料動画配信サービスも充実しているけれど、やっぱり私は地上波・BSでやってくれるプロ野球中継に感謝している。野球中継が無かったら阪神ファンになれなかった。今でもメインはテレビ中継での観戦だ。お世話になってます特にサンテレビさん。
鳥谷選手もスタメンではなくなってしまったりしているけれど、代打等で出てきてくれた時は本当にテンションが上がる。ワクワクするし元気になれる。
まだ私は抗うつ剤を飲む必要があるし治ってはいない。仕事もしていない。けれども夫が驚く程のスピードで元気になっていっているし、活動範囲も広がった。私を元気にしてくれてありがとうプロ野球。ありがとう鳥谷っていう話でした。
最後に。
うつになってから文章を書くことが無くなっていて、このブログの記事がうつ発症後のはじめての長文になります。読みにくかったと思います。ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
そして、私の球場での初観戦のときに出会った2人のおじさんへ。
焼き鳥に並んでたら話しかけてくれた白髪が似合うダンディーな岩田稔選手のファンの方。「誰のファン?」って聞いてくれたのにあの時はなんだか恥ずかしくて「まだ特定の選手のファンじゃない」って嘘をつきました。ごめんなさい。がっつり鳥谷ファンです。最近は植田海選手のユニフォームも買いました。ミーハーです。
アルプス席で隣に座っていて風船をくださった方。風船をくださり本当にありがとうございます。風船はファンが買って用意するものだと、あのとき初めて知りました。風船だけでなく、点が入った時にハイタッチするのも楽しかったです。この間の甲子園での観戦時に、隣の方があの時の私同様風船持ってなかったのであげました。
今週末は初めての京セラドームでの観戦です。楽しみだ!!
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この記事を書いてから状況が大きく変わって鳥谷選手は阪神からいなくなってしまったし、コロナウイルスのせいで今季はまだ開幕できていません。
プロ野球の近鉄、日本ハム、楽天で監督を務めた梨田昌孝氏(66=日刊スポーツ評論家)が新型コロナウイルス感染を調べるPCR検査で陽性反応が出たことが4月1日、所属事務所から発表された。本人が異常を訴えて前日(3月31日)に大阪府内の病院に入院し、この日検査の結果が出た。
【写真】阪神・矢野監督の肩に手を置き、直撃取材を敢行する梨田昌孝氏
同氏は3月25日に倦怠感を覚えて静養していた。28日に発熱し、30日に呼吸困難となり病院で受診。翌31日に重度の肺炎にかかっていることが判明した。そのまま別病院でPCR検査を受け、この日、同ウイルス感染が判明した。
普段から評論家、解説者として球場に足を運びながら活動していたが、プロ野球の開幕が延期、予定された講演もほとんどとりやめになったこともあり、自宅で静養する日が続いていた。
梨田氏は72年に近鉄入りして17年間プレー、正捕手として活躍した。監督として指揮をとった01年は近鉄、09年は日本ハムでリーグ優勝を遂げた。
まず、1950年代〜1970年代を通してみると、日本シリーズはセ19勝(うち巨人15勝)パ11勝である。
パに指名打者(DH)制度が導入されたのが、V9終了後まもなくの1975年である。
ただし巨人が勝てなくなったのは、V9メンバーの高齢化もさりながら、
1965年のドラフト導入により新戦力を思うように補充することが難しくなったからだろう。
(とはいえその後も巨人はセ・リーグの盟主としてコンスタントにリーグ優勝していくのだが)
※指名打者(DH)…投手の代わりに打席に立つ打撃専門の選手のこと。一般に投手はバッティングが良くないので、DH制を導入すると打線が強力になる。
1980年代〜1990年代に巨人と入れ替わるように西武が黄金時代を築き上げるが、
この西武の強さは「寝業師」と呼ばれた根本陸夫が主導した、有望選手の強引な囲い込みによると言われる。
また、1980年代前半の広島の黄金期、1990年代後半のヤクルトの黄金期などもあり、
1980年代〜1990年代を通して見ると、日本シリーズはセ10勝パ10勝(うち西武8勝)で意外に拮抗している。
西武の囲い込みへの批判から1993年に「逆指名制度」が導入されたことなどがあり、
1990年代後半から西武は弱体化、代わってダイエーが台頭していった。
※逆指名制度…のちに自由獲得枠→希望入団枠と変遷。1球団2名にかぎり、大学生・社会人のアマ選手が自分の希望するプロ球団に入団できる制度。それ以前は、有望な選手を親会社に入社させて囲い込み、あとからドラフト外で獲得するなどの裏技が(主に西武で)横行していた。
2000年代の日本シリーズは、やはりセ5勝パ5勝で同数であり、また特定の球団の連覇もない。
2000年代中盤には「交流戦」「クライマックスシリーズ」「希望入団枠撤廃」「育成選手導入」と大きな変化があった。
逆指名制度を使って戦力を確保していた巨人やダイエーなどの球団が打撃を受けたとされる。
(ついでに2004年にダイエーがソフトバンクに変わっていったん弱体化した)
また交流戦はパ・リーグ優位であるものの、勝敗数でそれほど差がついているわけでもない。
※希望入団枠撤廃…逆指名および自由獲得枠・希望入団枠では、高い契約金を出せてブランド力もある人気球団に、有望な大学生選手が集中したことが問題視された。さらに、有力選手に指名してもらおうと裏金が横行し、それが発覚したために希望入団枠は廃止された。
※育成選手…若手の育成を目的に「一軍の試合には出場できないが球団に所属できる選手」の枠を設けたもの。それ以前の似た制度には「練習生」があったが、有望な選手を練習生として雇って囲いこむ裏技が(主に西武で)横行していたので廃止された。
日本シリーズはセ1勝パ9勝(うちソフトバンク6勝)とパ・リーグが圧勝している。
交流戦の勝敗数で差が付くようになったのも2010年以降にソフトバンクが台頭してからである。
以上から考えると、パ・リーグ優位の原因としてDH制度を挙げるには、その導入があまりにも古い。
その原因としては、2000年代中盤から「きちんと選手を育てねば勝てない」ようになったことで、
豊富な資金により育成環境を整備したソフトバンクが頭一つ抜けることとなったため、という説明が妥当だと思う。
昔と比べると、現在の選手は軒並み筋力が上がり、球速も遥かに増している。
選手の育成に力を入れ、トレーニングを充実させるようになったことで、
「パワーで押すピッチャー」や「パンチ力のある下位打者」の増加につながり、
それが「DH制度」や「広い球場」といったパ・リーグの要素と半ば偶発的にマッチしたのではないか。
今後の変化を長い目で見ていきたい。
古いからってデカイ顔してるだけで純粋な大きさとか機能性ではそのへんに建ってるビルに遠く及ばない パルテノン神殿もコロッセオもアンコール・ワットも
新宿とか梅田に無造作にある名前も知らんオフィスビル、あれが1000年前からある遺跡だったらたちまち世界一人気の観光地になるよ(鉄筋コンクリートは千年保たない、というのはここではどうでもよくてデカさの話 古さが同じだったらどっちが偉いかということ)
俺が言いたいのはだから世界遺産はクソだということではなくて、世界遺産に向けるくらいの目をそのへんのビル(とか球場とか空港とか)に向けるのもいいよね ということです。実際デカくてすごいよ 全部世界遺産と思って街を歩け
この花火を見るのは3回目だけど
こんな珍しい花火大会も少ないのでは?
普通花火大会と言えば河原や池や湖や海や大きな公園でやる事が多いが
しかも街のど真ん中だから、チケットを買わずにまともに見ることができない
野球のついで?に花火が上がることがあるが、基本あれの豪華版だから、考えてみたら当たり前だ
だけどいつでも球場の周りに人はごった返す
これも珍しいけど、歩行者天国ではない
何か警察が道を開けているけど、あれは救急車用で、徒歩は満員電車のような道を通っていかなければならな無い
つまりチケット買えということだ(でもチケット数も限界があるよね)
確か観客数は90万人と言う噂だけど本当だろうか??