はてなキーワード: 核廃絶とは
実際20世紀までは被害者全力だった。被害者ムーブの教育をめちゃくちゃ受けたよ。
問題は、そのような訴えがマジで本当に無意味だということ。それがバレた。
一般県民にもいちおう国際ニュースや新書から情勢を理解する知能はあって、そういうムーブが核廃絶に対して全然無意味で、それで終わってる限り核廃絶など絵空事ってことが広まってきている。
ビートルズのイマジンみたいな、「世界全員が核の被害を反省したら核も戦争も無くなるね」という絵空事が信じられなくなっている。
口だけ核廃絶を訴えておいて、「G7では何も成果がなかった」、もないもんだ。
何もしてないんだからそりゃあ何も成果はないだろう。
流石のヒロシマ県民も、核廃絶の訴え、とやらに核廃絶を訴える効果がないことぐらいわかってる。
被爆者が求めているのは、実質ただの現状維持、しかも「自分が被爆者として活動できている現状の維持」でしかない。
核廃絶に本気だったら、完璧な対ミサイル兵器の開発とか始めているはずなんだよね。
まあ被爆者活動家は、自分が本気だと勘違いしてるだろうけど。1億円の豪邸たてるために500円貯金やってるから本気ですみたいな錯誤がある。
核兵器が使われることで世界が終わるかは誰にも分からないと言うべきだろう。だが少なくとも、我々はその可能性を真剣に考えておくべきだとは言える。
自己保存と心中は核抑止戦略では表裏一体の概念だ。冷戦末期の確証破壊戦略などはまさにそれである。
自分が先制核攻撃を受けても反撃によって相手国を完全に破壊(心中)できる能力を保有し、その事実を相手に確実に認識させることで安全を確保している。
核兵器が使われたら世界の終わりだ! みたいなのは妄想に過ぎない。
核兵器による世界の終わりの典型的なシナリオは、相手国を完全に破壊できる能力を保有した二国間の紛争のエスカレーションが制御不能となり、最終的に全面的な核攻撃に突入するといった展開だろう。そういった事態が発生する可能性はむしろ高まっていると考えるべきだ。
米国の軍事的なプレゼンスの低下に呼応して、核の力を背景に現状変更を図る国家が現れている。これは核を持った大国間の軍事的な衝突のリスクが増大することを意味している。
ロシアはウクライナ侵攻において核使用の可能性を繰り返し示唆している。仮に核が使用された場合、NATOによるリアクションがさらなる核使用を招く可能性については(お花畑ではなく)軍事畑の核コミュニティの中でも真剣に議論されてきた。
中国は急ピッチで核戦力の増強を進めており、2030年中盤にアメリカとの相互確証破壊を達成すると予想されている。両国の政治的な対立の構造は根深く、戦略的不安定性を解消できるかは未だに見通せない。
エスカレーションの管理は本質的にチキンレースの構造であり、リソースの限られた少数の人間の決断に依存している。それが予測不能な帰結をもたらす可能性は常に存在する。
自立型兵器などの新たなファクターを軽視すべきではないのは当然だが、だからといって核兵器の持つ破壊力が低下するわけではない。
繰り返しになるが、核兵器が使われることで世界が終わるかは分からない。誰にも。
それは核のボタンを握っている当事者にすら分からないことだ。だからこそ、私達自身がその可能性を真剣に考えておくべきなのだ。
https://anond.hatelabo.jp/20220321014214
これがロシアのウクライナ侵攻前だったら、まーたネトウヨの妄想かよで済ましてたと思うんだが、
例の琉球新報の「ロシアの悪魔視をやめよ」を書いた人が、一昨年の北朝鮮訪問について話した講演録を読んで、
ネトウヨの妄想にそのまま合致するような人が実在することに愕然としてる。
http://chikyuza.net/archives/113658
この講演録に二点ほど、筆者の乗松氏が今回ロシアを擁護せざるを得ない伏線があった。
一つは核廃絶運動に参加しておきながら北朝鮮の核開発には一切触れない点、
もう一つは北朝鮮が朝鮮戦争を「祖国解放戦争」と呼ぶことに何の疑問も抱かない点の二点だ。
この人は信じがたいことに、金日成が日本帝国主義とアメリカ帝国主義を倒した英雄であるという100%のフィクションを受け入れているのだ。
特に後者だが、朝鮮戦争はほぼソ連の傀儡であった北朝鮮が韓国に突然侵攻する形で始まったことは今では広く知られている。
分断されたスラヴ民族を西側の傀儡政権を倒すことで統一するというロジックと瓜二つだ。
もうとっくに滅びたと思っていた親北ユートピア左派がしっかり生き残っているだけでなく、
マスメディアにまで登場しているということ。
世界は核廃絶を謳ってるのに急に日本が核武装出来ると思ってる?
「何でお前が」ってなるでしょ?
平和で無害が売りの日本が核武装なんかしたら評判ガタ落ちになるよ? イランや北朝鮮を見て分からないかね。
今回のロシアの件が例外なだけ。焦る気持ちも分からんでもないけど落ち着けって。座ってお茶でも飲んでくつろいでくれ。
正直あんなロシアみたいなのが来たら核を持とうが持たまいが終わりだし、そんなことはロシアもしない。利がないから。威嚇はするけど攻撃はしない。ロシアだってギリギリ。北方領土でどうこうというのも攻撃ではなくて防御。息も切れ切れ。攻められやしないから餅でもついとけ。
そんな外部からの侵攻に恐れているより今の日本の学力水準の低さに恐れた方がいいね。
YouTubeのアンケートで「核武装すべき」が「しないべき」を上回ってるのを見て、この国も未来がないって思った。
YouTubeは若い世代が見てると思うけど、若い世代がそういうんじゃ世も末。
確かに憲法改正とかは議論の余地があるよ。そこは否定しない。でもいきなり「核武装すべき」って話が飛びすぎてるよ。しかも核を落とされて核の悲惨さを人一倍わかってるはずの国がそんなこと言うっておかしいよね。世界とは真逆の方向に進もうとしている点で日本人の平和ボケ具合も伺えるし、極端すぎる。もっと防衛費を増やせとか議論すべき課題は他にあるよ。それなのにいきなり「核武装について議論すべき」とか脳内フラワーパーク開園しちゃってる。入場料いくらですか?笑
日本が核を持つこと自体おかしいし、持つとしたら何発持てばいいの。核だってタダで出来るわけじゃない。ロシアは6500発持っている。日本が1発や2発持ったところで何の抑止力にもならず、ちゃんと抑止力として働かせるためには日本は莫大な税金で核兵器を製造する必要が出てくる。しかも製造したところでそれらは使わない。維持費だって目が飛び出るぐらい高額。使わない核兵器を維持するために苦しい生活を強いられる。無駄すぎ。核武装なんて外交面からも経済面からも議論の余地は無い気がするのですが、何か間違ってますかね?「平和ボケしてる馬鹿」と散々核武装反対派を賛成派がコケにしていますが、理想論ばかり語っているのはどっちでしょうか? 本当に平和ボケしてるのは、どっちでしょうかね???
こないだの総裁選で岸田さんの当選が決まった時、地元の広島はそれなりに盛り上がった感を演出してたわけよ。
それなりだけどねあくまで。
俺なんか地元民なのに、あの人に対する印象なんか、それこそプラスもマイナスも全然なかったし。
それでどっかのニュース番組が「新総理に期待すること」みたいなのを街頭アンケートしててさ。
ああいうのにありがちな、円形のシールをみんなでペタペタ貼っていくやつだったんだけど、その中で「核廃絶」には数えるほどしか入ってなかったの。
シールが貼られてたのは「コロナ」とか「景気対策」とか「社会保障」とか、そういうのばっかり。
まあ当たり前っちゃ当たり前だけど、これが現実なんですよ。
もちろんね、「この際日本も核武装しましょう」とか、別にそういうわけじゃないの。
今でも広島で「あなたは核廃絶に賛成ですか?」って聞いたら、たぶん他県出身者含めても8~9割は行くよ賛成。
そりゃそうなるよ。みんなそうだから。もうタブー化してるから。
でもそれは単に上の世代から信仰とタブーを形だけ受け継いだからそうなってるだけで、お経の具体的な中身なんか割とどうでもいいわけ。
たまーにそんな空気に異論挟もうとする奴がいて、そういうのは今でも結構ボコボコにされるんだけど、
それだって自分の感情を込めてるというよりは「みんなそうしてるから」「ローカルルールに違反したから」「和を乱したから」みたいな理由でしかなくて、みんな無心で無表情でそいつ殴ってんの。
怖いよね。
当面捨てるつもりはないし、表向きはそりゃもう大事にしてるんだけど、本当のところ強い思い入れなんか持ってなくて、優先順位で言ったら相当下の方でしかない。
そのうちモノホンの仏壇みたいに、親が死んだらいよいよ持て余して、今の憲法と一緒に捨てることになるかもしれない。
だから当事者の生き残りが今でも必死になるのはよくわかるんだけど、例えばあのICANとかああいう人らって、まあよほど生活に困ってねえんだろうな。
一般庶民のレベルだと、他に気になること心配することが多すぎて、そこまで考えてらんねえもん。
うらやましいわ正直。
ヤフコメの関連ニュースに「日本も核武装を」とか頓珍漢なこと書いてる人が散見されるのを昼間見てたんでなんとなくそれについて思うところを……。
その昼にもエントリ書いたんだけど、日本が核兵器禁止条約に批准しないのは「禁止条約批准国たちというくくりに入るほうがリスク」だと勝手に思ってる。あと、あの条約を締結することで保有国や他国軍を世論で牽制しあってる生ぬるい集団の中にわざわざ非戦国家が入って行くか? と言われれば、なんか違うよなあと感じるけどどうですかね。
ところで、再び日本に核攻撃が来るかと言われると「21世紀に入ってから今までの流れ考えると微妙」というのが自分の意見。日本列島というのは大陸から見ればまあ欲しい立地なのはわかる。ミサイルを持っている周辺国、中露韓(半島全体も考慮に入れる)は攻撃を仕掛ける理由は十二分に持っている。しかし、ここで列島に攻め入るのに核弾頭を東京にすぐ落とすかと言われると微妙で、あんまり現実的ではなさそう。単純に面積が必要とされているのではなくて「太平洋に面する使い勝手のよい港」とか実用的なものを求められているのではなかろうか。だとすると核攻撃なんてしたら、土地が使い物になるまでに待ち時間が必要なので、撃つ側も核攻撃を有効な選択肢の最上位に置いてはいないと考えてる。
日本にまた核が飛んでくるという可能性は「無」ではないが優先順位は低い、として、じゃあなんで争いの当事者でもないのに核廃絶のメッセージをずっと発信してんだっていうのは「現場に立ち会って唯一知っている立場なので知らせるのも唯一この国しかない」っていう単に責務としてだと思う。軽んじている訳ではなく、救われたり称えられるものでもなくても背負わないといけない使命なんだよね、という、なんか月並みな落としどころですんません。
会議へのオブザーバー参加にも言及されましたが、昨年もあったように条約批准を求める言及がなされました。
2日前のニュースで菅総理が「批准する考えはない」旨を発表したそうですが、想定される答えです。
平和宣言では「被爆国の立場として世界をリードすべき」という考えのもとでああいう文面になったかと思いますが、核兵器に関連することだからといって特例で国際会議のなかで日本が優位もしくは上位の立場で発言をすることはおそらくない(というかそれを許さないという声が必ず出る)です。
また条約批准国どうしというくくりに入ることで、かえって唯一の被爆国という立場が軽んじられるやもしれません。
核兵器が関連する・しないにかかわらず、大きな集団に入ることで「独立した意見の消滅」やそれ以外のリスクがあると考えています。
そりゃあ核廃絶が進まないわけですよね