はてなキーワード: 最期とは
犬が亡くなった。
昼休憩の終わりに、母から電話がかかってきた。涙声で犬が死んだと伝えられた。いても立ってもいられず仕事は早退した。
家に帰ると目を見開いたまま動かなくなった犬がそこにいた。
犬は年老いてから腎臓を悪くしていて投薬治療をずっと続けていた。最近は薬だけじゃ足りなくなって点滴も打つようになった。少しづつ元気になって安心していた矢先に息を引き取った。
「まだ柔らかいからだっこできるよ」と告げられ犬を胸に抱いた。首がぐにゃりと倒れしっかり支えていないともげてしまいそうだ。しばらく抱きしめていると犬の冷たい体が私の体温で暖かくなった。まだ生きているみたいに感じて顔をそっと撫でてみた。反応はない。だらんと垂れ下がった舌を触る。まだ少ししっとりしている。肉球を触る。かさついているがやわらかい。お腹を撫でる。こうすると体を仰け反らせて気持ちよさそうにしてたのに。今は虚ろな目がこちらを見ているだけ。甘えたがりで人懐っこくて撫でられるのが大好きだった犬はもういない。
犬をベッドに寝かした。そっとまぶたを閉じさせると安らかな表情をしていた。体が傷まないように氷枕をお腹の下に入れる。さっきまで動かせていた体が硬直してきていた。もう抱きしめることはできそうにない。
私の服を見ると犬の毛がべったり付いていた。いつもなら、すぐテープで剥がすがそのままにしておいた。まだ犬の名残を残しておきたい。
ティッシュの箱が空になった。なんど拭いても鼻水が垂れてくる。犬は腎臓を悪くしてからは鼻水をよく撒き散らしてベッドを汚していた。今は私の鼻水が犬のベッドに染みを作る。
夕方かかりつけの動物病院からお花が届いた。色とりどりの花束を見て余計に涙が止まらなくなった。
従兄弟も別れの挨拶に来てくれた。泣きながら何度も頭を撫でてくれた。
自分の祖父。小学生高学年の真夏。母親に連れられて弟と3人で病院に行ったら祖父がイビキをかいて寝てた。弟と2人で笑ってたら、母親に死前喘鳴の事を教えられた。3〜4時間ぐらい見守って最期は大きくゴロゴロと鳴らして吸った後は力が抜けていった。
同じ大学の学生。大学2回生の晩春。大学近くのT字路で、向かいから自転車で走ってきた女子大生がトラックの左折に巻き込まれて死んだ。正面にいたので詳しくグチャった所は見えなかった。
俺以外に十何人か学生が見てて、悲鳴を上げる者、唖然と見てる者、電話で通報する者と様々でまさに阿鼻叫喚。すぐに冷静にイニシアチブを取れる男子学生に「AED持ってこい」と頼まれた。AEDを渡す時詳しく遺体を見たが、腕とか脚が変な方向に曲がって上半身が右半分くらい潰れてた。もしトリアージする場面なら完璧に黒だった。その後の話は気が向いたら書こうかな。
知らないおじさん。大学2回生の初夏。友達と某駅で電車を待ってたら向かいのホームでおじさんがグモった。事故目撃から1ヶ月も経ってないので、流石にこれには面食らった。呪われたのかとも思った。これは1番よく見える所から見てた。人形みたいに吹っ飛んでった。周りの人間や友達はすぐスマホで撮り始めたので友達には撮影を辞めさせた。駅のアナウンスがなる前にホームから立ち去ってたのでよく見なかったが血はあんまり出てなかったと思う。Twitterには人身事故でトレンド入りして大量に動画や写真がアップされてた。その中のいくつかに俺がスカイフィッシュの様に映ってた。
まだ。長い人生、これから少なくとも何回かは人の死を見るだろうけど、これ以上衝撃的な事故は目撃したくないので老衰とか穏やかなのがいい。
なぜ今になってこの話を書くのかというと、
今、おばあちゃんが亡くなったことを受け入れられたと思ったからだ。
嫁は明日から新しい職場で仕事だからゆっくり寝かせてやりたい。
子どもと俺は別の部屋で寝ることに。
とりあえずトムとジェリーを見せて布団の用意をする。
その後に食器洗い、乾燥機にかけた洗濯物をしまう、リビングの片付け。
全て終わらせて布団に横になったとき、ふとおばあちゃんのことを思い出した。
思い出したのはおばあちゃんが喜んでる顔だった。
婚姻届の証人欄はおばあちゃんに書いてもらいたいと言ったときの驚きと喜びに満ちた顔。
嫁に俺が小学生のときの写真を見せながら思い出話をする嬉しそうな顔。
おばあちゃんがカラオケ大会に出場したとき、俺と嫁が一緒に選んでプレゼントしたブレスレットをつけると上手く歌えたという話を何度もしているときの顔。
でももういない。
二度と会えない。
そう考えると不安な気持ちに襲われて、居ても立っても居られなくなった。
癌を患っていた。
亡くなるまで全く気づかなかった。
なぜ癌だと気づかなかったんだ。
おばあちゃんは最期まで俺に心配をかけまいとしていたのだろう。
亡くなる直前まで、二度会えなくなるとは思いもよらなかった。
正直、混乱していた。
声が震えて、それしか絞り出せなかった。
想いを伝えるには遅過ぎた。
翌日、息を引き取った。
まるで俺の帰りを待っていたかのようだった。
現実味がなかった。
おばあちゃんちに行けば「よく来たねえ」って迎えてくれる。
そんな気がしていた。
不思議と涙が出なかった。
あまりにも突然過ぎて亡くなった実感がなかったせいかもしれない。
仕事や子育て、モンハンで忙しい日々を過ごしていたからきちんと整理する暇がなかったせいかもしれない。
なんというか、うまく言葉にできないけど、おばあちゃんが亡くなったことから逃げてたような気がする。
でも、今はもういないということを心で理解できたと思う。
おばあちゃんとの思い出を思い出すとまだ涙がたくさん出てくる。
でも、うまく言えないけどそれでいいんだと思う。
近藤誠死去かあ…普段は「死者に鞭打つな」と言っていた人達がここぞとばかりに叩いているな
ほんと、ネットの知識人達によって「代替医療」や「反ワクチン」といったものって、いつでもどこでも無条件に叩いていいサンドバッグになってるよな
つくづく思うんだけど、そんなに近藤誠の主張に問題があるとしたら彼から医師免許を剥奪しろと主張すべきだし
そういう訴訟でも起こせばよかったのに。
ネットの知識人達は「代替医療を信じるおろかな患者」を叩く事はしても、そういう代替医療の医師に医師免許を許している国や医療行政の方はさっぱり批判しないのが不思議でならない
悪いのは医師免許を取り上げられずに最期まで医師をやる事を許した側であって、近藤誠個人ではないだろう
木下優樹菜の時もそうだったけれど、医療が統一見解を出さないのが明らかにおかしいのに
『新世紀ヱヴァンゲリヲン・序』では、旧作より遥かに強力になった使徒が登場するが、最期に彼は敵と刺し違えようとするかのように芦の湖湖畔の二子山と思われる山の半分を融解させた。今回はこの暴挙にどれだけのエネルギーを消費するかを概算する。
まずは地図を引っ張り出し、二子山の体積を計算する。今回は等高線ごとに面積を調べて積分するという方法ではなく、円錐と仮定して近似する。標高は上二子山とした場合1091m、麓はおおよそ800mである。裾野の半径は600mとして計算すると、
1/3×6002×π×(1091-800)[m3]
となる。以下これをVと置く。(有効数字については後で)
次に山の質量を求める。これは岩石の主成分である二酸化珪素で代用する。すなわち2200kg/m3である。
今度は溶かすために必要な熱をもとめる。これには1gの物体を1K(この場合摂氏でも構わない)温めるために必要な熱量である。それは二酸化珪素の場合1.0×103J/(g・K)である。また岩石の融解温度は溶岩の最も低い温度摂氏700度とする。簡便化のために気温は0度とする。
以上より、求める熱量は、
なんだペタジュールって……。
実感を得るためにあげると、現在の日本国の総発電量は一兆kWh。一秒当たり1.0×1015Jであり、ラミエルがそれだけのエネルギーを一秒で放出したとすれば八十四倍のエネルギーと勝負することになる。もし零号機が旧世紀版と同じく17秒耐えたとすれば、SSTOの底では勝負になるまい。
『女性の人生は既婚か未婚かよりも子供のある無しで変わる!? 〈刊行記念特別対談〉酒井順子『子の無い人生』×安倍昭恵』
https://www.bookbang.jp/review/article/509688
「元来、努力家ではなく、目標が定められない性格なんです。それがずっとコンプレックスでしたが、こと、子どもに関してはよかったのかもしれません。
頑張れば妊娠できたのかもしれませんが、でもすごく真面目で努力家の友人が今月もダメ、翌月もダメでというのを繰り返すうちにうつ病になってしまったり、
別の友人は不妊が原因で離婚してしまったりしたので、私は諦めてよかったのかもしれないと思ったりもしました。主人が「絶対に産んでくれ」と言わなかったことにも救われた気がします。」
こういうふうに子供が出来なくとも奥さんを責めず離婚するも事なく夫婦二人で最期まで添い遂げたっていうのは
それが政策に生きれば良かったのにね
英語の小説を挫折せずに読む方法というエントリをこの前書いた増田だよ。その後『月と六ペンス』を英語で読み続けて、とうとう今日読み終わったよ。めちゃくちゃ面白かったよ。
サマセット・モームの小説はテンポがよくて、英語も簡潔で読みやすいよ。エンタメ要素が多くて普通に楽しいよ。人物描写がとにかく上手いよ。
ロンドンで株式ブローカーとして40歳までわりと平凡に暮らしていたストリックランドという奴が、絵を描きたいとか言ってパリに失踪して、その後タヒチに渡って絵を描き続けて、死後になって美術の世界に革命をもたらした偉人扱いされる話だよ。このストリックランドという画家はポール・ゴーガンがモデルになっているらしいよ。
バルガス=リョサもゴーガンを題材にした『楽園への道』という長編小説を書いていて、そっちの方を先に読んでいたから、『月と六ペンス』を読んだらなにかしら既視感があったよ。こっちの方が時代的にはもちろん先の作品だね。バルガス=リョサはモームの作品についてどう思っていたんだろうね。
それはともかく、『月と六ペンス』の前半はストリックランドという男がどれほど周りの意見を気にしない自己中心的な男で、どれほど他人を残酷に扱ってきたか、嫌というほど読ませられて、強烈な印象を受けるよ。それで小説の後半はストリックランドの死後に周りの人間の傍証をたどる形で、色々な人の声が挟まれていく文体になっているよ。いわゆるポリフォニー小説だね。
ストリックランドは最後はタヒチでハンセン病になって、まったく治療を受けず壮絶な最期を遂げるんだけど、この描写がかなり強烈だったよ。ストリックランドが追求し続けた世界を作者は垣間見させようとして、けっきょくよくわからないので、読んでいてもどかしい感じがするよ。
小説の始めの方で、ストリックランドの(最初の)妻は、ストリックランドが他に女を作ってパリに駆け落ちしたと思っていたんだけど、じつはそうではなく、恋愛絡みではない理由で自分が捨てられたと知ると、この女はストリックランドを激しく憎むよ。
小説のラストシーンは、それから20年ぐらい経って、語り手がロンドンでこの妻に、ストリックランドの最期を告げるシーンだよ。この時になったら妻の態度はガラリと変わっていて、すっかり有名人になったストリックランドと自分との関係性を周りに触れまわりたそうにして、馴れ馴れしくストリックランドのことをチャーリーとか呼んで、家にきたストリックランドの研究者からノリノリでインタビューを受けているよ。この妻の俗物ぶりがとにかく胸糞悪いよ。この胸糞悪さは、それだけモームによる小説の構成がうまく行っている証だと思うけど、それにしても胸糞悪いよ。
最後の最後にストリックランドの家族が聖書を引用して何か言って、語り手がそれをうけて自分の思いを語って終わるんだけど、これはぜんぜん意味がわからなかったよ。
たぶんこの小説はまたいつか読むと思うよ。
はじめてiPhoneのBooksアプリだけで英語の長編小説を読んだら、まずまず快適だったよ。英語のわからないところはその場で辞書を引けるから楽だったし、新しい語彙をけっこう覚えたよ。
歳をとると人生が有限であることを意識し出す人は多いけど、若いうちから有限だと自覚して生きてない限りそれで何かが変わるわけじゃない
あと夏を何回迎えられると指で数えられるようになってもテレビを見て、昼寝して、おしゃべりして無意な一日を過ごす人が多い
やることは大体変わらない
けどご飯はあまり食べなくなって、一日中沈んだような表情で、何もない最期を暮らす
これまで何もやってこなかったんだから仕方ないよな〜って思いながら、いつもアイスを出してあげる
でもこれって私刑なんだろうなとも思う
だいたい辛そうにしてるから
やりたいことがあるからたくさんあるけど、何かしらの理由でできなくて
それでも元気に走り回ってた夏
あなたはあれから何度も夏を迎えたけれどあの時やりたかったことはできたのかな
あと1週間
どうか夢の中で叶えてね
もし日本で安楽死が認められる様になったら、実際どの位の人が申し込むのだろうか。
尊厳がある死として安楽死が認められているスイスでは、年間1000人(!)もの人が安楽死を選んでいる。
スイス連邦統計局他のサイトへによると、国内の自殺ほう助による死亡者は増え続け、2017年末では1000人を超えた。65歳超が大半だが、若年層も増えてきている。この数値には国外居住者が含まれておらず、実際の数はさらに多くなるとみられる。
https://www.bfs.admin.ch/bfs/en/home/news/whats-new.assetdetail.11348852.html
調べてみて衝撃だったのが、実際に日本人がスイスで安楽死を選択し最後を迎えていたことだ。
2年後の18年、インターネットで見つけたライフサークルにメールで連絡を取り、診断書と自殺ほう助を希望する手紙を送った。承諾の返事をもらうまで、時間はかからなかった。
既に自殺ほう助の承認を得た患者でも、医師がこの面談で患者に健全な判断能力がないと判断した場合、承認が取り消されてしまう。
記事を読むと両親を説得とあり、どうやら医師の面談を受け、医師から許可を得られれば団体所有の建物内で自殺ほう助を受けられるとある。
元々顔見知りの猫だった。とっても人懐っこい地域猫で、信号もちゃんと待って人と一緒に横断歩道を渡るような賢だった
でも事故に遭っちゃった(赤信号で車が突っ込んで来る様な交差点。信号待ち出来てもやられる)
仕事帰りに歩道で横たわってるのを見て、大急ぎで自宅に連れ帰った
お医者さんに診せたところ頭部の損傷があるが手術出来る状態でもない。出来るだけの処置をして貰い、その他の検査をする
自宅には先住猫が2匹居り一緒にする訳にはいかないので、保護した子は隔離して面倒をみることになった
その後、頭部を負傷していながらも何とか生き抜いて元気に暮らしていた
こちらが顔を見せるとものすごく喜んで懐いていた。お世話されるのも嬉しそうだった
しかし翌年の夏、突然脱走した
今まで逃げようとしたことなんてなかったのに
びっくりして呼ばわりながら探し回り、何とか確保した
まあ…猫飼いならば大体想像がつく通りだ
あの子はその時もう相当具合が悪かったのだ
けど連れ帰った
入院まではしないものの食事が殆ど出来ない為に連日点滴だ(というか、入院したところで点滴くらいしか手が無かった)
病院に連れていくのも負担になるだろうということで自宅で点滴し数日おきに通院することにした
どんどん悪くなっていく
衰えてグッタリしているあの子に「じゃあまた明日の朝ね」と言った翌朝、虹の橋を渡った
けれど、そんな日でも仕事はある。出勤しなんとか一日を終えて憔悴して帰宅する途中
車の前を一匹の猫が横切った
ひどく驚いた
ほんとうにそっくりだった
その子は元気に走り去っていった
だいぶ昔のことだけれども、よく覚えている