はてなキーワード: 座談会とは
ようするに「俺が消したいから消すんだ」というのをなんとか正当化したいんだろ?それをまとめサイト問題と混ぜるのはどうかと思うなあ。
それに、その根拠を著作権で押すのは悪手だと思うぞ。
問題になるのは、その記事にレスした記事をどう扱うかだ。それは書いた奴がそれぞれ勝手に判断すればいいでしょー、と思うところだが、これらの記事は元増田の記事があってはじめて成立するものであるから、ツリー全体が共同著作物であると主張することも可能(たとえば、座談会や討論会は共同著作物である)
だが、もし共同著作物とみなすという合意ができたら大変だ。ツリー参加者全員の合意がないと自分の記事の書き込みも消せなくなる。それはちょっといやじゃない?
これと、まとめサイトのアフィリエイト収入が不愉快だという問題は、はっきり切り分けて考えるべき。http://anond.hatelabo.jp/20130311140828を読む限りでは、はてな経由でクレームつけられると思うんだが…。
あー失礼、これは誤解を生みますね。
1、あなたが強くお勧めしたアマゾンもDMM通販も店舗と同じ、流通から商品を卸してくる
その通りですが、違うのは「特典商法から離れられる」ということ。
ちゃんとリピートが出る、作品の評判が利く販路もあるんですよ。
2.正確なところは誰にも分からないでしょう。
ソフ倫には小売り別は分からないし、流通はDL、直販を把握できません。
例えばVの卸データだったら、その座談会みたいな話になるでしょう。
もちろん自分も憶測ですけど、出回るデータは必ず「部分」なのでその「部分」の外がありますよ、と。
3.タイトル数だったらとっくに2割で済んでません。
ソフ倫で「2割に迫る」になったのは2010年度で、2011年度は微増。
伸びはあまり期待しない方がいいかもしれませんが、だからそこは言ってません。
なんかあずまんにつぶやかれたしQ見て良かったわ。
https://twitter.com/hazuma/status/270937897249693696
https://twitter.com/hazuma/status/270943010051719169
それはさておき、庵野はひどい。
ヱヴァQは間違いなく凄い、主人公をどうしようもない加害者に叩き落としたという点でどうしようもなく凄い映画だと断言できる。
ひどいのであって、凄いのかどうかは判断が別れる所だと思う。
座談会でも言われていたけど、なんの理由があってシンジにこれだけのものを背負わさせるか…
共同戦線はっていたはずのミサトやアスカは勝手に成長して実年齢的に大人になってしまうし。(アスカは精神だけだけど、それがまたキツい。グロい。
90~00年代のセカイ系の覇者であるエヴァがこれだけまっすぐに残酷なセカイ系的いじめをシンジに押し付けるというのは、ある意味では圧倒的に正解。
「君を失いたくない、そのためにセカイが滅びてもかまわない!」という無茶な行動に普通のセカイ系作品ならハッピーエンドで答える。
破で新鮮だったのは「それをあのエヴァがやるなんて…」という意外性に尽きる。その意外性に大して庵野がどう答えるか?これはもうわからんね→といった所でこの裏切り。また旧エヴァかよ!この構造はたしかにシビれる。坂上がシビれるのもわかる。圧倒的な新規切り捨て、古参いじり。
さておき、ヱヴァQおよび庵野が凄いorひどいのはセカイを代償にレイを救わせようとしておいてセカイもだめになっちゃったしレイも違うレイになっちゃったしと、ALL代償をシンジに押し付けたその点に尽きる。このひどい代償、並のアニメがやっていたら一笑に付されて終わりだろう。そんな壮大なおしつけ成立するはずないだろ!と。だがエヴァの場合これが成立する。なんといってもセカイ系の覇者なのだから、これくらいの壮大さじゃないとむしろ釣り合わないくらいだ。
そう考えると、「庵野監督が旧エヴァの狂気に対抗するために理詰めで導き出した回答」という点はかなり納得が行く。庵野さんは狂気と理論を同等に扱うことができる天才なのだろう。
だからここで俺が気になるのは、あずまんがシビれるくらいの解答というのはどういうものなのか、に尽きる。他は正直どうでもいいのであしからず。
キーワードとなるのは「狂気」や「世界(セカイではない)」だと思われる。あとおそらく「狂気」は必要条件であって十分条件ではない。
「おおかみこどもの雨と雪」をあずまんが絶賛したのは「狂気」は関係ない。彼はあの作品に普遍的なものを見ていた。
普遍的なものとはつまり、親であるかそうでないかなどに関わらずすごいと感じられる作品だ。
「おおかみこどもの雨と雪」は一見すると親である人間のほうが多くの感動を得られるが、そうではない。
では何が良かったのか。人間と自然の関係か。はたまたジブリ的な「生きる」ことの素晴らしさか。
俺はそれらのどれでもないように感じた。あくまであずまんのツイートからだが。
おおかみこどもの何が良かったのか、ヱヴァQには何が足りなかったのか。言葉にするとそれは普遍性、または世界に通用する何かなのだろうけど、あずまんの口からそれはまだ具体的に語られていないように思う。ていうか正直よくわからないのでゲンロンカフェとかで語ってくれたら嬉しいです。
ヱヴァンゲリヲンのQをみた。東信者である俺は村上裕一×坂上秋成×さやわかによるQ最速座談会ももちろん聞いたし、風花でのあずまんと坂上村上ustも見たし、はるしにゃんとあずまんのtwitterでの絡みもチェックしたし、文学フリマでのQの感想を言いたくて仕方ない空気もしっかり感じた。相変わらず、文学フリマは「東浩紀不在の存在感」しかなかった。
さてQの感想はというと最初は「あれ?もう終わりか」というあっさり感。やけにシンジとカヲルいちゃついてんな、くらいが印象的だったのと、短いのもあってまるでTV版を見ているような感覚だった。劇場は満員で、上映が終わった後の観客の態度もなんだかしっくりきてなく見える。ロフトのイベントに出る直前のQを見たあずまんの感想が「僕には退屈だった」というのもあり、まあこんなものなのかと大して感動もないまま家に帰る。
避けていたネット上の色んなネタバレ感想をチェックしているうちに、Qは旧エヴァを見ている人間ほど思う所が強く、新劇場版から入った人間ほど低評価、という傾向にあるようだ。低評価の人間に多く共通しているのは「ミサトさん達ひどい」だ。シンジに共感している人が多い。確かにミサトはレイを助けるシンジの背中を押したくせにあれだけシンジに嫌悪感を見せるのはひどい。他のヴンダーのメンバーも気持ち悪いくらいシンジを否定している。そりゃサードインパクトを引き起こした張本人を前に友好的になれってのは無理な話かもしれないが、シンジだって使徒止めたしニアサード引き起こしたのはマークシックスなんちゃうん…あとシンジがエヴァにさえ乗らなければフォースインパクト起きないんだからちょっとは優しくしとけよ。自分だけ14年置き去りにされて(28)や(43)にあんだけきつくあたられたらそりゃネルフ側に行くわ…と突っ込み出したら切りがないが、14年という年月の間に明かされてない事が多いのでどうとでも解釈できる。ミサトさんもヴンダー立ち上げるまでに色々あったんだろうし43なら更年期障害とかあるかもしれんし、部下の前で弱い所も見せれんかったのかもしれん。
ひと通りネット上の感想を見た後で坂上村上さやわかQ座談会も聞く。三人とも旧エヴァからのファンで、Qにかなりの衝撃を受けた直後からの感想が生々しくて実に良かった。彼ら的にはQは決して高評価でなく、エヴァを見続けている人間として胸をえぐられた気持ちになり、傷つきつつも、座談会を通して次作のシンエヴァを待つ気持ちにようやくなれたということらしい。しかし他の低評価の人たちに比べたら随分高評価だと言える。聞いていて庵野信者とはこういうものか、と納得できた。
その後続けて風花のあずまん坂上村上ustをみる。こちらはゼロ年代の風景が再びといった面子で東クラスタ的には涎が止まらない。重要なのは坂上がtwitter上で思想地図β2の震災特集号の巻頭言に大して上から目線感想をし、あずまんがカジュアル破門をし、その後坂上が宇野常寛陣営に下った後の初の二人の対面という構図だろう。
人間関係においても時間という薬は効き目が抜群で、あずまんと坂上もあのカジュアル破門の一件から一転して普通に話している。しかしどこかギスギスしている所は否めない。坂上の立場としてはとても難しい。宇野との関係がある以上あずまんと必要以上に交流したら立場として面倒くさくなるのは明白だ。それでもこのustで坂上が冗舌なのは彼だって東信者だからである。あずまんを尊敬して、でもあずまんの強烈すぎる人格性に耐えられなくて逃げて、それでもあずまんが諦めきれないのだ。俺がustの一連の坂上の発言から読み取ったのは「俺を認めてくれあずまん!」というメッセージに尽きる。でもあずまんはもう坂上に大して興味がないしQにも興味がないのだ。坂上が言うQの解釈というのはあずまんにとって遊びでしかない。ゼロ年代的な言葉遊びに辟易した彼からしたら坂上の仕事は頑張っているとは言えても世界を変えるまでには至らない、とるにたらないものだろう。それでも坂上の仕事はあずまんの影響下にあるもので、「よく出来た劣化コピー」のような、あずまんから見たら愛憎交じるアンビバレントな思いもあるだろう。だから彼はゲンロンカフェの話を持ちかけた。これは坂上にとって良い話なので、当然受けるだろう。これは同時にあずまんから宇野に対する牽制でもある。仮面ライダーの話をした点からも明らかだ。坂上の「仮面ライダーなら村上さんも語れますしね…」と力なく呟いたのが印象的だ。そこは明らかに宇野の名前が出るはずなのに、出なかった。出せなかったのだ。まったくもってめんどうくさい話である。
あずまんはなぜQに感動しなかったのか。彼と坂上および村上の間で共通している見解としては「庵野が旧エヴァのような事を再びQでやった」である。破で宮崎駿や押井守に負けるとも劣らぬクオリティの高いエンターテイメントを提供した庵野が、敢えてそれをぶち壊すような所にシビれ、憧れたのが坂上であるが、あずまんはそこに反応しなかった。いや、一定の評価はした。そんなことをしてしまう庵野さんは誠実な作家だし、評価されるべきではある、と。しかし、旧エヴァのようなことをして、それで出てきたものがこれだった、それだけの話だと。つまり、あずまんは庵野が破で得た物を失う覚悟で旧エヴァ的な事を再びやろうとしたQを理解している。坂上と見解は一緒なのだ。その上で退屈だったと評しているのだ。ここでのあずまんのQに対する低評価は謎だ。新規のエヴァファンが破のようなエンタメを期待してQでがっかりするのとはわけが違う。旧エヴァからのファンが庵野の再暴走に困惑されながらもさながら90年代の頃のように「それも庵野の手の平の上で踊っているにすぎない」と自覚しながらも難解な解釈を並べ悦に浸る様子とも違う。旧エヴァからのファンでもあるあずまんはすべてをわかっている上でQを評価していないのだ。そこには坂上と同等かそれ以上のエヴァに対する愛がある。愛がある上での諦め。庵野さんはこの程度だった、という残念感。それはなんなのか。あずまんは純粋に作品から狂気が感じられなかったとも言っている。一方で坂上は破を見せつけた上でこんなことをしてしまう(旧エヴァからのファンに大して14年時間を飛ばすという暴挙を突きつけてしまう等)庵野さんからはやっぱり狂気を感じた、と村上さやわか座談会で述べている。坂上が感じたこの狂気はゼロ年代的である。あの作品があったから感じられる庵野さんの狂気、という文脈ありきの話である。これは言ってしまえば島宇宙内での狂気、カタルシスだ。座談会でも述べられていたが、Qは海外で評価される可能性は限りなく低いだろう。ガラパゴス化したエヴァファンの間で熱狂的に批判され、評価され、むさぼられるのは目に見えている。あずまんが興味があるのは世界を変えるレベルのことなのだ。Qによってその可能性を落とされたエヴァに対して興味が薄くなっているのも無理はない。彼がエヴァで興味のあることとしたらそれによって動員できる人員、客および金と若い芽くらいだろう。シンエヴァによって変わる可能性も否めないが、現時点ではわからない。
大量に書いてしまったが、この二つの座談会とustを見ることで俺個人では感じれなかった旧エヴァ時代からの熱いファンの解釈を知ることができた。それが何よりの収穫だ。みんなも罵倒しながら見るといいんじゃないかな。
感想を読んでいると全体的にパクリっぽいだの、時代考証が出来ていないだの、編集者いわく酷い作品ばかりだった。
そこで何度か編集者の方が「書く時間と同じくらい、構想に時間をかけて欲しい!」と言っていた。
自分もたまに小説(といっても短いけど)を書いて遊んでいるのだが、構想はかなり時間をかけている(かといって出来が良いわけでもないが・・・)
それはさておき賞に応募するくらいの量ならば、構想に時間をかけなければ途中から破綻してしまうだろうに、
どのようにして作品を書いているのだろうかと思った。
まさかはじめの設定とオチや見せ場を決めて、あとはテンションで!・・・だったりと勝手に想像。
そこのところどうなのでしょうか。疑問に思いました。
■冒頭文
この著者はいつも「欧米は出版物の発行額が減ってないのに、日本だけ減ってる! 日本は異常!」と言ってるが、本当にそうか疑問がある。
日本は大衆にまで出版文化が広まった数少ない国であり、その移り気な大衆が今インターネットに移行しているというだけの話ではないだろうか。
一方の欧米ではそもそも日本ほど一般大衆にまで出版文化が拡がっていない。
人口あたりの出版物発行額を見れば一目瞭然で、つまり日本の80年代~00年代が出版バブルだったというだけの話である。
それをこの著者は「失われた○年」などと大仰に語る。
著者が地場中小書店の立場でのポジショントークに堕しているとしか思えない。
■1:出版科研の売上推移
単なるバブルの崩壊の図だ。「表出している出版危機」などではない。
■2:コミックの売上推移
月刊誌・週刊誌は半減しているが、コミック自体は健闘している。ブックオフなどがなければもっと良かったんじゃね?
という分析は正しい。
まあ、80年代からずっと売れ筋のコミックが書店を支える構図はあったから今さらではあるが。
この項目はひどい。
大型店が地方に出て商店街がシャッター通りになるなんて事例は山ほどある。その書店版が起こっているだけという話。
品揃えも悪く、不便で、綺麗でもない店が潰れるのは単なる淘汰の結果であって、当たり前のこと。
しかしこの著者は「大型店はいかん!」と言うばかり。著者がひいきにしてる中小書店は潰れるかもしれないが、それは健全な競争の結果でしかない。
また、「大型店が出来て小商店を潰すと全体の売上が減る」というトンデモ理論を展開している。
出版物発行額が減少してる問題と、この問題は全くリンクなどしていない。
中嶋の「定価10%増・書店マージン6%増」という提案は書店の苦境を救うにはいい提案だと思う。(ナショナルチェーンが更に元気になる結果となり、中小書店が増えるわけではないが)
あとは再販制が崩れた際に、大型店に対抗する形で、コンビニ型の「やや高いけど近くにあって品揃えも新鮮で綺麗で明るい小さな書店」という業態が成り立つ可能性はあるかも知れない。片岡の言う「生活圏の書店」というのはそういう方向になるだろう。
「書店の知の機能」などという、現状が全く見えていない論点ボケボケの文章なのでスルー。
このクロニクルの著者もあずまんの文の内容については完全スルーしているところが可笑しい。
もちろん時限再販・買切の世界がやってきたら、このクロニクルの著者が肩入れしてる中小地場書店はより激しくなる競争に勝ち残れずに潰れるけどね☆
ただ、提案の3にある付録の件は地味に意味があると思うし、4については新古書店問題も絡めて警察と連携して取り組むべきだとは思う。
■7:取次の立場
日販の社長なら2/12の話なんてどうでも良くて、2/23日経の「買切を増やす」って話の方が100倍も重要だろうに。
(1)書店の売上総利益率を35%と約10ポイント高くする代わりに、返品する場合の返金額は仕入れ代金より低くする
(2)一定期間がたてば書店が小売価格を決められる(時限再販)一方、その後は返品を認めない
あたりの提案についてこのクロニクルの著者は言及すべきだった。
■8:『スティーブ・ジョブズ』
ただ、個々の書籍の事例は別にして、大勢としては今後この数字が上がることはあっても下がることはないという点が重要。
ま、どっちも起きるだろうけど。
これはつまり、電子書籍規格の乱立によるamazonの一人勝ち状態を防ぐというのと、上記の価格破壊を起こさないようにするためのもの。
ここは著者の妄想が素晴らしい。
「出版デジタル機構が出版社を代行し、取次や書店に電子書籍を卸売りする」とか。アホかと。そんなお花畑みたいなこと考えてるのかとがっかりする。
ただ、著者の言う「出版の魅力は許認可でないその自由、民間の知と力によって生じるもので経産省など官の下とかちゃんちゃらおかしい」という主張には心の底から同意。
■11:MARC
「公共図書館の理念なき膨張が書店を潰した」という著者の主張にも同意。
あと図書館・図書館員・図書館担当に異動してきたただの公務員を、貸出数で評価するのはやめるべき。
MARCはどうでもいいが、デファクトスタンダードになってるTRCに統一すればいいと思う。官が税金を使ってJAPAN/MARCをごり押しするとかマジ勘弁。
司書の問題もあるが、上記の通り司書や図書館担当の公務員を評価するシステムの問題が根本。
どうでもいい。
「雑誌とともに形成されてきた、多くの近代の「趣味の共同体」そのものが消えていきつつある」などと著者は書いているが、単にその共同体がネット上に移動しただけの話。
むしろ、雑誌を編集してきた人のような囲碁界周辺の「囲碁を見る側のプロ」が減るのが問題だ。ネットの集合知が代替できる気もするけど。
クロニクルの著者は「何となく楽しい」などとボケた感想を書いて終えているが、これは重要な話題。
出版物の流通経路が、他の流通経路と比べて圧倒的に効率的(返品を抑えられる場合)であるという面を見逃してはいけない。
小売価格の70%近くが販売者に入る流通って他にはほとんど無いのだ。
つまり、見る者が見れば、出版流通は美味しい経路だと言うこと。これは今後更に利用してくる会社が出てくるだろう。
これは書店が生き残る道の一つかもしれない。
■16:著者の宣伝
過去の出版業界について記す人はいてもいいと思うので、まあご自由に活動なさって下さい。
いつも恐縮です。
某出版社から「東大」に対する偏見や誤解をまとめた本を出すことになりました。そこで、インタビューさせていただける東大卒の方を探しております。以下、詳細になります。例えばですが、
(1)東大卒の人に対する偏見パターン(http://d.hatena.ne.jp/shanaineet/20110211#p1)
(2)東大脳(http://amzn.to/fDbs5P)
(3)東大生ノートは美しい(http://amzn.to/dVbZQS)
↑え、私のノート汚かったけど……
なんて思っているそこのあなた!「東大って変な偏見で見られてるよなあ」なんて釈然としないあなた!ぜひインタビューさせてください。
【インタビュー日時】
2月~5月中(予定)で、あなたのご都合の良い日時に合わせます。6月なら…と言う方もお問い合わせください。
【場所】
【募集対象】
男女、業種職種問わず。20代以降の東大卒の方で、仕事をしている(あるいはしていた)方、国家公務員の方、研究者の方。学部卒、院卒、どちらでも可です!
【謝礼】
【グループ参加】
可能。大勢でいらっしゃる場合は、座談会形式にしちゃいましょう。
【身バレ危惧ついて】
詳細を伺いますが、身バレしないようにお話を一部加工するなどいたします。
【連絡先】
メール fmmasu★livedoor.com (★を@に変えてください)
ツイッター http://twitter.com/fmmasu
・些細なご質問でもお寄せください
物心ついた時から「勤行」「御本尊様」「座談会(俺の地域では学会員が10人程度集まって、信心して良かった事を言い合ったり、お菓子を食べて世間話をしていた)」「勝利(「目標の達成」の意味らしい)」というような言葉が溢れていた。
北海道新聞に加えて聖教新聞、公明新聞もとっていたし、それが普通だと思っていた。
母親は学会員、父親は無宗教。俺は「創価2世」だった。
小学校ぐらいで創価学会というものを理解し、宗教団体であること、池田先生がトップであること、戸田先生、牧口先生という人物がいたことも理解した。
俺は純粋だったので……というか「こういう環境」で育ったせいもあるが、創価学会というものに何の疑いも持たなかった。
周囲の婦人部(おばさんの学会員を総じてこう呼ぶ)の人達、青年部(青年男女の学会員を総じてこう呼ぶ)のお兄さんたちはとっても親切で優しくて、母親にくっついて座談会に来ている俺を可愛がってくれた。
ある時、俺が「俺は学会に入らなきゃだめなの?」と座談会で発言したことがあった。
みんなは「それは〇〇ちゃんが決める事だよ、お母さんが学会員だからって無理して入らなくてもいい」と言い、また、
「入っても入らなくても、みんな〇〇ちゃんの事が大好きだよ」とも言った。
俺は創価学会の人が大好きだった。
中学の頃、ネットで創価学会の悪い噂を知った。それは多分、噂じゃなくて真実で、実際創価学会は悪い。
被害者の書き込みを目にする度に、申し訳ない気分になったし、創価学会の親を持った事、創価学会の知り合いがいる事が恥ずかしくなった。
思春期だったことも手伝って、座談会にも行かなくなったし、仏壇の前で手を合わせることも無くなった。もともと創価学会に入信してはいなかったので、フェードアウトは簡単だった。
近所で学会員の知り合いにあっても無視をしたし、母親に創価学会はダメだ、ネットにこう書いてあった、と力説し、「もう創価学会には関わりたくない」と告げた。母親は、〇〇が決めたことなら、とだけ言った。
今俺はフリーターをしている。専門を出た後会社に勤めたが、劣悪な労働環境で精神を病んで退職した。
バイト先と実家の往復で、だらだらと日々を浪費していると死にたくなる。妹は東京に行き、それなりの大学で勉強している。引け目はあるし、定職に就きたくないわけではない。ちょっと人生を休んでいるだけだ(と思いたい)。
最近外に出て散歩をする事が多い。近所を歩くと馴染みの婦人部の人に会うことがある。
「今日はお休みなの?」とか「仕事はどうしたの?」とか、そんなことは訊いてこない。世間話をするだけだ。それと、昔の話。
俺は今まで、ただの一度も、創価学会の勧誘を受けたことはない。嫌がらせも受けたことはないし(学会員の息子だからかも知れないが)、周囲の学会員はいい人ばかりだ。
青年部のお兄さんは飲みに連れて行ってくれて、病気の俺を「大丈夫だ、なんとかなる」と励ましてくれる。婦人部のおばさんは会うたびに手作りのお菓子をくれたりする。
「学会員じゃないのに」と俺が言うと、みんな「学会員じゃなくても〇〇くんが大切なんだよ」と言う。
「創価学会」ってなんだ? 一部の学会員が迷惑な事をして、創価学会は叩かれる。
俺は創価学会が嫌いだ。調べれば調べるほど最悪だし、正直自分がそんな目にあったらと思うとぞっとする。だけど、少なくとも俺の周りの創価学会員はそんな事をする人たちじゃない。
気を配りあって、助けあって生きているし、彼らはそれを信じている。俺が環境に恵まれていたのかも知れない。もしくは、俺が洗脳されているのかも。
創価学会を一纏めにして叩かれると哀しい気持ちになる。仕方ない事なのだと思うし彼らは実際迷惑なんだと思う。
だけど俺は、小さい頃頭を撫でて遊んでくれたおばさんに、たとえネット越しでも「草加市ね」とは言えない。
別に、おいお前ら、創価学会員にはいい人もいるんだから叩くのはやめようぜ、とか言いたいわけでもないんだけど。うーん。なんだかなー。モヤモヤ。
>ひはん 0 【批判】
>(1)物事の可否に検討を加え、評価判定すること。
>「学説―」「―を仰ぐ」
>(2)誤っている点やよくない点を指摘し、あげつらうこと。
1.当然あることとして
創作物を公表すれば批判はあるものである。その際の定型的な文句としては「批判されるのが嫌なら公開するな」と言う言論。これは正当であるし、創作側は批判を覚悟しておくべきだと私は考える。しかし、それは批判をすることの良し悪しとは関係がない。「鍵を締めていなければ泥棒に入られる」「裸の女が歩いていればモラルなんて吹っ飛ぶ」「無防備国家は侵略される」、これは当然起こりうることとして考えなくてはいけないが、泥棒もレイプも良いことではない、当たり前だが私が考えるには悪いことだ。鍵を開けて外に出る家主は泥棒を覚悟すべきだが、泥棒は鍵を開いていることを理由に盗みを働いて良い理由には成らない。同じように創作物を公開すれば批判されるのは当然あることとして創作者は覚悟すべきだが、だからといって批判して良いという物ではないのではないか。
2.批判という手法
創作行為に対して批判をする理由は幾つもある、個人個人で様々であり一概に藻言えない、その中で創作者への好意的な理由として用いられると私が考えるのが「改善させるため」と言う物がある。確かに欠点は指摘されなければ気付かない事もあり、またその指摘が強い物であればより強く受け取ると言える。しかし、改善させるためならば、リクエストとアドバイスという方法もある。「こういう風な方が好きだ」「こうなったら面白そう」そう伝えることにより創作者に道行を示すことも出来る、また「こうした方が良いのではないか」「ここをこうするというやり方もある」そういった提案をすることによって改善を促すことも出来る。これは、どの手法が良いという物ではなく、様々な手法とそのメリットデメリット、中でどの手法を選び、その必要性と優位性。それを考えることが出来るということだ。
3.対人問題と芸術への問題
創作物への批判の良し悪しを考えるときに2つに分けて考える必要があると私は考える。言う相手との人と人と付き合いとして批判することの良し悪しと、批判が創作活動に対して及ぼす良し悪しだ。
対人問題として良し悪しを考えるときに、やはり相手の嫌なことを故意的に行うことを良いとは私は判断しづらい。相手にもよるが、殴られたってマゾヒスト以外喜ばないし、マゾヒストだって誰から殴られたって良い物でもなく、叱られるのであっても親から教師から友人から間柄があってこそ感謝が出来る。無遠慮に見ず知らずの人が乗り込んで嫌なことをしても良くはないと私は感じる。誰にでも良い物ではなく、相手を良く知った上でその人その人に合わせて批判と言う手法が適切であるか考えなくてはいけないのではないか。批判という手法は基本的には良くないと個人的には考える。
創作活動に批判が良い影響を与えるか悪い影響を与えるか。メリットと言えば、よりよき物が生み出される可能性や創作者の欠点が改善される可能性。デメリットで言えば、創作者の意欲が落ちる可能性や創作活動をやめてしまう可能性。メリットに奮起してやる気が上がる可能性もあるが、もちろんデメリットに間違った方向に進んでいく可能性があるが、そういうものは希な物として私は考えている。さて問題なのは創作活動が落ち込むほどに指摘することが、そのデメリットを覆す程にメリットがあるかどうかだ。上に記したように、アドバイスやリクエストという手段がある。より活動を落とさない手法があるのに、批判という手法をとるメリットは無いように私は感じる。
もちろん、受取手は創作物に感想を持つことは当然の権利であり、またその感想を口に出すことにも権利がある。そして、その口に出す感想をどこまでも発信する権利が創作者がそうしたようにある。しかし良し悪しとはまた別にあり、その中で考えなくてはいけないのは口に出す感想をどこまで伝えるのかという問題だ。まず受けて独り言を出すのに何も問題はなく悪いはずがない。次に仲間内で話す、ここで問題になるのは仲間の中に好意的な感想を持っている人を嫌な気持ちにさせる可能性がある、それを意識的に行って良いかどうかは、その仲間内の人と人との関係である。さて創作者に向かって伝える、ネットや出版社が間に入ってることもあるが、例えば目の前に作者が居て「お前の作品は駄目だ」と伝える、蹴っても良いよね。軽く軽く。次に、公に向かって発信する、これは創作物であり、他人を公然とあげつらって良いとは私は言えない。
個人でならともかくとして、他人が関わってくる時には行為が他人に与える力を考えなくてはいけない。嫌な気持ちにさせることを何の状況判断もなしに行うのは浅慮と言える。権利を有していても、その行為をすることが悪いことはあり、行為は時と場所を考えて行わなくてはいけない。
5.出来ることと出来ないことの間に
ネットではとにかくとして、出来ることと出来ないことが判断の基準になっていることを私は多く見る、その次に法律と各々のサイトのルール。「出来るんだからやらせろよ」「やらせたくないなら出来ないようにしろよ」「法律にないじゃん」。語調は私が書きやすい語調であり他意はない。単純に言えば「ウェッブルールもクソ喰らえ」「無断リンク禁止」問題か。可能不可能で言えば、プリントアウトしても無断でリンクしても問題はない。しかし相手を嫌がらせていることが消えるわけでもなく、嫌がっていることを故意的に行う人間性を良いとは個人的には言えない。悪し様に文句を言ったウェッブの人も無断リンクの人達も問題はある。
パソコン通信からインターネットになり、企業や国の公的なサイトと個人サイトやブログがある。個人対個人であり、公人でなく私人であることが最近は特に多くなってきた。インターネットに存在する物は全て公的な存在として考えるべきかどうかは社会学者に任せるとして、個人対個人の場合というのはやはり人付き合いなのだと私は考える。
ネチケットやネットマナーというは基本的に気持ちが悪く一笑に付される存在である。技術も変わり環境もたえず変わりネットには新しい人が絶えず足を踏み込み、共通の感覚というのが未だ成熟していない。自分と相手の間に、どこまで足を踏み込んで良い物なのかおっかなびっくりである。直接出会う人ならばどうするかといえば試行錯誤をしながら足を踏み入れていくところだ。さて創作者とはどうか。ネットにより、以前より際だって創作者と受取手が直接交流することになった。しかし、ニコニコ動画やぴくしぶは、それまでの出版社やプロダクションなどに属していた状況と違い、より個人対個人の交流に成ってきた。それはテレビの前でぶつくさ言ったり、手紙を出すのとは違い、モニターと言うテーブルを挟んだ座談会だ。それを今までと同じように感想を述べて良いか、これは先ほど書いたように時と場合が違うことを思い出さなくてはいけない。ネットマナーやネチケットは分からないが、人と人との付き合い方ぐらいは分かっているものではないのだろうか。
6.駄サイクル(ださいくる)
漫画家、石黒正数先生の作品より。身内で、作る→褒められる→見る→褒める→作る→褒められる、を繰り返すださい駄目なサイクルの事である。これを見るに、批判は必要なように思えてくるが、駄サイクルの問題は閉じた世界で満足していることであり、開いた世界で褒められるならばそれは傑作である。そして無理に批判をしなくても褒めないという手もある。
7.個人的な結論として
創作して公表すれば批判されるものだ。創作者は、それを排除してはいけない。しかしそれは創作者の態度である。受け手の態度はまた別である。創作物を受けたときに批判という手法は良いのかどうなのか。私は積極的にはとるべき態度ではないと考える。さて、しかし、上で記したアドバイスと批判というのは実は曖昧な物である。アドバイスと思っても創作者は不快に思うかも知れないし、どこからどこまでが批判とも言えない。そこで重要なのは受取手の感情で、嫌がらせる目的でやらないことなのだろう。
そして、批判をする側が「制作者はかくあるべき」と言うことを言い訳にしないこと。その言い訳は自身の行為を正当とはしない。ただ独り自身の行為として良し悪しを自身の倫理で考えるべきであるとして、私の考えを締める。
「百聞は一見にしかずだ!」と某大手クリニックに適応検査に行ってきました。
建物は大きく綺麗で、検査は3時間ほどかかったもののすんなり終わり、
最後に「問題ないので、手術の予約をしますか?」と訊かれたのですが、
考える時間が欲しかったので、後日連絡をすることにしました。
その後、もう少し調べてみようと深めにググッた結果、冷静に探せば探すほど怪しいこの業界。
・一般サイトを装った、検索対策・啓蒙サイトがあまりに検索上位に多い
(わざわざドメインをとってそんなサイトを作る個人…いないですよね、普通)
・アンチサイトを装った(!)、検索対策・啓蒙サイトもかなりある
(アンチなのにクリニックのキャプチャ付きでリンク掲載しないですよね、普通)
・普通にネットサーフィンをしていても目につく大量のWEB広告
・やたら芸能人を引き合いに出す
(大手なのにどういうこと?)
ということで以下、私が見つけた参考になりそうなリンク集です。
こういった内容は上記の対策で検索の後ろに回ってしまっているので
調べてもたどり着かない人が多いかも。
あくまでもネットの情報なので、記述の真偽の判断は観覧した皆様にゆだねます。
・レーシック難民 座談会 http://www.lasik-049.com/interview/
・LASIK(レーシック)手術の副作用・後遺症 http://anond.hatelabo.jp/20080427111737
・近視手術の後遺症対策研究会 http://www.optnet.org/syujyututaisaku/
・レーシックで失敗しないクリニック口コミ情報 http://www.viva-lasik.com/
・レーシック相談室 http://www.nakamura-lasik.jp/
【ちょっと踏み込んだキーワード】
・過矯正
・角膜移植
よく考えて見ると、大手レーシック業者にある
松竹梅と手術コースが分かれていることはおかしいですよね。
最善を尽くさなくてはいけない手術なのですから。
成功してルンルンな人の意見に流されてしまいそうですが、
これから受ける人たちがもうちょっと考えて業者を選べば
早く安全にレーシックを受けられる日が来ますように!