はてなキーワード: 川魚とは
[鮭]鮭鱒にいきなり醤油・塩など調味料をかけていただくのはやめてほしいそうです[鱒]
[鮭]まずは鮭鱒本来の味を堪能してからにしていただきたいそうです[鱒]
[鮭]お願いいたします[鱒]
[鮭]特に現在は新型コロナウイルスの影響により保存期間が短い生鮮食品があまっている状況下にあります[鱒]
[鮭]つまりいつもより良い品がいつもより安く手に入るチャンスなのです[鱒]
[鮭]我が故郷である試される大地こと北海道産の鮭鱒は脂ものっていて非常に美味しく脂の口いっぱいに広がる濃厚な甘みを味わうことなく調味料をかけてしまうのは大変もったいない[鱒]
[鮭]我が土地では塩漬けされた鮭鱒しか手に入らないと嘆くアナタも大丈夫です[鱒]
[鮭]鮭を天日干しした「鮭とば」がアナタの舌を満足させることでしょう![鱒]
[鮭]北海道は鮭鱒だけではございません[鱒]
[鮭]今この時期の旬と言えばスケソウダラが物凄く美味しいのです[鱒]
[鮭]そうスケソウダラのタラコも品あまり状態であり高品質なタラコがリーズナブルに食べられます[鱒]
[鮭]当然ながら明太子もいつもよりもリーズナブルで美味しくこの機を逃しては人生の半分を存じているといって良い[鱒]
[鮭]不要不急の排出を控え、北海道の食をお取り寄せし、病原体ではなく美味しさの伝播を日本全国へ広めようではありませんか![鱒]
実家が鰻屋というか川魚専門にやっている魚屋でもあり食事もできるところでもあります。
お店は江戸時代から続いているので、そこそこ老舗なので、物心ついたころからお店を手伝って来た。
あらためて書く必要も無いけど、うなぎが取れなくなってきている。
日本人はうなぎを絶滅に追い込む気か!とはてブで息巻く人も多い。
たしかに絶滅に追い込んでまでうなぎ食べる必要があるか?と言われると無いと思う。
ただ、うちの場合はうなぎを食べてもらわないと、わたしの家族が絶滅するかもしれない。
想像力のない人がコメントで、穴子とか食べればいいのにと言っているが、
私からしたら、うなぎを食べないのも、穴子を食べるのも、増田家絶滅へ一歩近づくだけだ。
これ、
・うなぎを食べるのやめよう!
・その代わりに、鯉をたべよう!
放っておいてくれ、と最近よく思う。
細かく言うなら、よく知りもしないし、知る気もないことに口を出すぐらいなら、いくら怒ろうと悲しもうと、放っておいてくれ。
私は宮城県南部に住んでいた。内陸部だ。仙台に行くより福島に行く方が近かった。
原発事故における福島県内部と県外の被害のあり方はすこし違うように思える。
福島県内部は県内に原発を抱えていたから、影響は当然大きく、放射性物質は「あるもの」として対策を打つところから始まった。
県外は違う。まず影響があるかないかは政治が決める。見て見ぬ振りをするか、対策をするかだ。私の住んでいた地域は農村部だった。放射性物質なんて、農作物の商品価値にとっては致命的だ。
みんな、と書いた。
それは違う。価値観が違う。
たしかに農作物のために、騒ぎ立てたくない人が圧倒的多数だった。
しかし、安全性をウリにしていた農家や、小さい子供を抱える母親は違った。
家庭内で、職場で、自治会で、農協で、学校で、放射能に対するスタンスの違いは、深刻な対立を生んだ。
事故当初の線量は、小学校の砂の校庭で地上1.5mで約0.8μsv/hくらいだったと記憶している。これは5月頃のことだから、ヨウ素よりもセシウムの影響のほうが大きかったはずだ。畑や競技場はもう少し高かった。
でも当時は、除染基準はもっと高く、そして政府もただちに影響はないとしか言わなかった。
みんな葛藤があったと思う。
生計を立てるべく売りたい農作物、保証されない安全、内部被曝と外部被曝の複合的な影響は?この山菜は食べていいのか?自分たちの今までの生活はどこへ行ったのか?この川魚を孫に食わせていいのか?
それでも地域住民の大多数は「風評被害」を生まないために沈黙を守るべきだとした。
知ろうともしない人は、当事者意識すら持たなかった。
でもそうではない人もいた。
近所の人に、本当の理由を告げられぬまま、私たちは引っ越した。自主避難だった。
あれからもうすぐ6年が経つ。
勘違いがないように言っておくが、もうおおよその農作物は安全だ。
放射性物質もほとんど検出されていない(きのこや山菜はまだ基準値以上のものが出たりする。まれに)。
あのとき近所に住んでいた人たちがガンになったとか、そんな話も、幸い耳には届いていない。
けれど、あの時の私たちの判断を、誰が責められるというのだろう。
6年。
その間にいろいろな言説を目にした。
ただ今、どうしても気になるのは、こういう地元の葛藤を一切意に介さず、遠くの安全圏から声高にそして意気揚々と、口汚く意見してくる声だ。
ふざけるな。ふざけるなよ。
それでもあの当時、何も信頼できるものがないあの状況で、我々がした判断は間違っていたか?
結果論じゃないのか?
線量の落ち着いてきた今ならまだわかる。
けれど事故当時にすら、放射脳と、呼んではばからない奴はいた。そこらじゅうに。
あなた方は、私たち当事者の、その中の多数派意見に味方し、少数派を徹底的に叩きのめす。
それで正義のつもりになってるんだ。
あなた方は、私たち当事者が抱えざるを得なかった葛藤を知らないし、知ろうともしない。
下手をすると、放射線の影響や、過去の事例、現場がどれくらいの線量なのか、それすら知らずに、声が大きい当事者たちの味方をして気持ちよくなっている。
それなら何も言わないでいてくれ。
頼むから。
地域共同体としての我々は、意見対立からズタズタに引き裂かれてしまった。
もしあなたたちがここに来て、本腰を据え、じっくりこの問題に取り組み、当事者の1人になってくれるなら、いくらでも意見を聞こう。
でも、そうじゃなかった。
非難の声はだいたい的外れだった。放射脳と叫ぶ声だけでなく、危険だ危険だと叫ぶ声もそうだった。何も知らないんだろうな、と思った。
これは一例だ。
そしてその無責任で乱暴な声は、落ち着くどころかどんどん声高になっているようにすら思う。
「辺境」に押し付けなければならない問題を扱うとき、安全圏からモノを言うのはやめてくれ。
沖縄の基地問題、反対派の抗議活動に、「県外の人間の仕業。地元民はみんな賛成しているのに、邪魔」とか、賛成派のインタビューに、「政権側の印象操作。反対派が大多数だ」とか、見ていてものすごく苦しくなる。
どちらもいるに決まってる。
そしてどちらが多数派だからと言って、少数派を徹底的に叩いて排撃していい理由にはならないのだ。
再稼働問題もそうだ。「どうして対岸の都市が口出しをするんだ」とか、「援助金をもらっているから文句は言えない」とかもうやめてくれよ。
そもそも援助金がもらえる自治体だけがリスクを負えばいいかもしれないが現実そうじゃなかった。
放射性物質は自治体の境界を越え風に乗り山に飛びそして海にも拡散されてゆくと、知らないのだろうか。
知らないだろうな。
口出しするなら、せめて当事者意識を持ってくれ。
我々の葛藤を意にかけてくれ。
少数派だからといって口汚く罵るのはもうやめてくれ。
この世界は水戸黄門ではない。善悪二元論は成立していないのだ。
残念ながら。
壁が通すのは水と光と空気だけだ。
どこかで誰かが調査しているのかも知れないが、外に出られるまでは時間が掛かるだろう。
幸い一部の通信機器は生き残っているからこうしてあなたに手紙を送ることは出来る。
ただ外部との接続は時間の流れがぐちゃぐちゃで、途方もない過去からの手紙や、遥か未来からの手紙が届いたりする。
私達の町だけではなく、全ての町が分断されているのだ、と分かったのもそうやって届いた情報からだ。
私の町は何もない場所だった。
それでも恵まれていた、と思えるようになったのは世界が分断されてからだ。
私の町には大きなダムと水力発電所、広い農地に畜産場があった。それから山と、学校に病院、工場。
おかげで町からの出入りが出来なくなっても、電気や水に困ることは無かった。
米も野菜も肉も、川魚の養殖場に綿の織場まであるこの町は、生きていくには最適な場所だった。
かつて都会を支えるために存在していた町は、今は1万人の住人を支えるためだけに稼働している。
それでも時折繋がる通信網から、少しづつ自給自足の手がかりを得ようとしている。
ただっ広い土地を持つこの町は、新しい何かを作り出す設備にはこと欠かないのだから。
時折閉塞感を感じることはある。
将来の夢の多くは、本当に幻になってしまった。
それでも危機感からなのか、私達の繋がりは前より濃くなった気がする。
町が閉じられてから三年目、出生数が死亡数を超えた。
私達の住む山あいの小さな町は、かつて限界集落とか、過疎の町だと言われてきた。
緩やかにいつか終わりが訪れるのだろうと、この町の未来をどこかで諦めていた。
諦められて見捨てられた終焉の町が、私たちを逃がさないために壁の内に閉じ込めたのだろうか?
いつか返事が届いたら嬉しいです。
土の上にぴちぴちと打ち上がったそれは4、5cm位の小魚だった。逃した魚は大きいというので、本当はもっと小さかったかもしれない。見た感じメダカっぽくはなかった。何かの稚魚の様で、ミミズみたいにのたくっていた。
うちの庭は農業用水路と隣接しており、その時の私は用水路に浸入していた雑草を引き抜く作業をしていたのだ。どうやら魚は水の中で腐った雑草の根や茎の間に隠れていたらしい。
私の実家の方では川魚の稚魚を農業用水路で見かける事は殆ど無かった。用水路の水は井戸水由来だからだ。今住んでいる地方では、用水路の水は近くの川から直接引き込んで来るようなので、こんな事があるのだろう。
用水路に戻したところで、元いた川に戻れるのだろうか?どうせ長生きしないんだろうなぁと思ったが、可哀想なのですぐに用水路に戻してやった。
悪天候続きなのを言い分けに、草むしりをサボっていたら、思いもよらず興味深いものを見てしまった。
けれども用水路に雑草が引っ掛かるのは近所の稲作農家に迷惑をかけてしまうので、真面目に草むしりを頑張らねば。
今年の5月のある日、忙しさにかまけて雑草を放置していたところ、知らないお婆さんがやって来て草刈りを始めた。
私の家族がお婆さんに話し掛けると、お婆さんはうちのすぐそばの田んぼの持ち主だった。
毎年田んぼに水を流す前に、農家の人達は用水路の端から端まで辿っていって、用水路に隣接する家屋の庭の伸びすぎて水路に入り水の流れを塞き止めそうになっている箇所を、草刈りして歩くのだと、お婆さんは言った。
そういえば毎年田植え前の時期、家の庭が用水路の側だけやけに綺麗になっているが、私はそれは大家さんがしてくれているのだろうと思っていた(うちは借家だが管理費は取られていないので、庭の世話はなるべく自分達でするようにしている。大家さんは気にしなくて良いと言っているが)。そうか、農家の人だったのか。
私も田舎の出なので、地域の稲作にはささやかながら協力するとか、農家に迷惑をかけないという意識は一応あるのだが、ずぼらな性分なので、つい。
農家のお婆さんは
「町内会で堀浚いは毎年お願いしているけれど、今時それ以上の事は頼めないでしょう?皆農家じゃないんだし、自分と関係ない仕事をするのは誰でも嫌だよね」
と言った。
確かに、村の田んぼじゃなくて個人の田んぼだもんなぁ。協力する義理は無いっちゃ無いのかもしれない。
しかし、農地と宅地が入り雑じって存在し、その間には農地を守るための壁も垣根も無い。そこかしこに建っている建物の形は変わっても、昔ながらの農村と大して変わらない風景が広がっている。
地域の皆の理解と協力がなければ成り立たない事を、今農家の人達は理解も協力もなくやっているのだ。
それでも農業を続けるのがいけないのだろうか?だが農業は人々の生活を支える大事な仕事ではないか。
ともかく、草むしりはちゃんとしようと思う。
たぶん……。
いや、やります。
ある山のだだっ広い公園にドライブで寄ったら散歩道みたいなのがあったから二人で山の中へ歩いていくと、どんどん整備されてない道になっていったんだけど引き返すのも面倒だからそのまま進んだ。
お昼を過ぎてお腹がすいてきた頃一軒の民家風の食堂が目の前に現れた。
周りには一面山菜や香草が生えていてビニールハウスもあったからどうやら栽培しているらしい。
休憩がてら昼食にしようと彼女と入り何にしようか二人で悩んでいると、従業員のおばちゃんが出てきて栽培してるんですよーと話をしつつ山菜の天ぷらをオススメされた。
周りをみてもなるほど名物なんだなと分かったのでそれくださいと注文。
おばちゃんと結構長めに山菜について話して彼女も美味しそうだと言っていたのでおばちゃんも俺も「私もそれを」という返事を予想していた。
おばちゃんも俺も「お、おう」という反応。
犬派猫派ってあるじゃない、
あれって、うかつにいきなり自分は犬派!とかって言う人は要注意だわ。
猫派の人が居たら後から言い出せないじゃないって空気になるのよね。
先日、私犬派猫嫌い!って言う人がいて
ふーんって聞くだけだったけど、
こういう難しい話は、
よく周りの様子をうかがってしゃべるべきよね。
まあ、私は犬派でも猫派でもないんだけど。
どっちかって言うとザリガニ派かしら。
ザリガニが脱皮した直後に
私は、子どもなりに川魚って超TSUEEEEEEって思ったわ。
切ない思い出ね。
だからといって、
川魚派とはそりが合わないって言ってるわけじゃないわよ。
さて、出かける支度をしなくっちゃ!
サクッと作っちゃうわ。
やっぱり冷たいの朝一で飲むと目覚めるわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
昔から父親に虐げられて生きてきた。
食事の時に、マナーがなってないと言われてよく殴られた。食べるのが遅いと殴られて、箸の持ち方がおかしいと殴られて、茶碗の持ち方がおかしいと殴られた。
配膳の仕方がなっていない、ご飯茶碗は左で味噌汁が右、焼き魚は頭が左で海魚は腹が前・川魚は背中が前、かちゃかちゃ音を立てて食べるな、
箸は先っぽ2センチ以上濡らすな、言われたことができないと殴られた。
だから食事の時間が楽しくなかった。食事の時間=殴られる、という方程式が自分の中で確立していたし、給食の時間は友達の食べ方を見ながら、
あの子がうちの子だったら5回は殴られてるな、みたいなことを考えてしまう。
母は殴る父を止めてくれた。でもそれで一時的に殴るのを辞めても、またしばらくしたら父は手が出てしまうので全然意味がなかった。
口答えをすると殴られた。怒られて、なぜそうなったのか経緯を説明したりすると父からは詭弁だとよく言われた。何かを父から聞かれて、
すぐに答えられないとまた殴られるから、頭でよく考えずに思いついたことをすぐにいう癖がついてしまっていて、その内容が父の思った通りのものじゃなかったりするとやっぱり殴られた。
脊髄反射的に返答する癖は今も抜けない。
中学生くらいになって、うちのお父さんはほかの家のお父さんと様子が違う、と思うようになった。
私の父は私が家に友達を呼ぶのを極端に嫌がった。友達が家に来ているときはすごく人当たりのいい父親で、ケーキを買ってきたりちょくちょく話しかけてきたり、
友達からはいいお父さんだねなんて言われることもあったが、友達が帰ると正座させられ、なんで連れてきた、配慮が足りない、部屋が汚れた、掃除をしろと怒鳴られた。
気に入らないことをすると、死ね、ととにかく言われた。死ねと言われたのが悲しくて泣くと、俺は金を稼いでいるから偉い、金を稼いでいない奴は稼いでいる奴の言うことを
聞くしかないんだから何を言われてもあきらめろと言われた。何で生まれてきたんだ、とか、お前は俺の子供じゃない、とか、生まれてきたのは失敗だったんじゃないか? とか、
お前は人間のクズだな、とか、お前みたいなクズは社会にとってゴミでしかないからせいぜい人の迷惑にならないように生きろ、とか、そういう類の言葉は何回言われたかわからない。
食費光熱費学費はすべて母が払っていた。母も働いていたので払えないことはない。が、焼酎と日本酒とワインとウイスキーとビールが常備されていないと父は怒り出す人だったので、
酒をほとんど飲まない母が自分の給料でそこまで賄わなければならないのは多分相当きつかったと思う。父ももちろん働いていたが、おそらく家のローンを毎月払っていただけで、
我が家は、父以外は貧乏な暮らしをしていた。誰も好きな服や靴は買えなかったし、私はお小遣いももらっていなかったので友達と買い物に行くとか
どこかへ遊びに行くこともほとんどできなかった。
母に負担をかけてはならないと思ったのと、高校中退の父をどうしても見返したくて、高校受験は死に物狂いで頑張って、都立のそこそこ良い高校に受かった。
でもどこの高校に受かったかは父には言わなかった。父がうちの子供がこんな高校に入れたんですよ、なんて近所の人に自慢したりしたら嫌だと思ったからだ。
もうその頃には、私は父の子ではないという意識がかなり強く根付いていた。
でもどこから聞きつけたのか、父は私の高校をつきとめて、近所の人とか親戚とか、いろんな人に自慢し始めた。あんなに私を人間のクズ呼ばわりして蔑んできたくせに
何で自慢なんかしてるんだ。お前の評価を上げるための材料に私を使うな。そんな感じのことを、父に言った。やっぱり父は怒って、そんなふざけた口のきき方をするやつは
俺の子供なんかじゃない、と言った。
私は、望むところだと思った。
しばらくして、父が仕事を辞めた。経営者が変わって、衝突が絶えなかったらしい。父の収入は激減した。父はもともと家にそんなにお金を入れていなかったから
私たちの生活にはさほど影響がなかったけれど、父にとっては大打撃だったと思う。
途端に父はすり寄ってくるようになった。今まで私達が食べていたものは「豚の餌」と称して一切口にせず、食事は別にしていたのに、急に一緒のものを食べようとしだした。
たまらず、豚の餌なんだから食べないほうがいいんじゃないですか、と言うと、そんな嫌味言われるんなら食わねえよ! と言って自分の部屋に戻って行ってしまった。
そのうち、絡まれるようになった。急に「お前は人に対する口のきき方がなっていない、社会に出てもやっていけない、人間のクズだ」と言われて、咄嗟に
「俺はお前を育てた覚えはない」
「まあ、学費も出していないし、食費も出していませんもんね」
「そうだ、だってお前は生まれてきたことが失敗なんだから養う義務もない」
「でもあなたがいたから生まれてきたんですよ。人間のクズを生み出したことについて責任とか感じないんですか?」
「なんでお前の責任を俺がとるんだ。俺は俺の子供のことなんかどうでもいい」
「無責任ですね。自分の子供の責任も負えないような人だから、仕事で責任なんか負えるわけないですよね」
ここまで言ったところで、私に皿が飛んできた。すごい音がして、私の座っていた木の椅子にいくつか破片が深く刺さった。
そのあとのことはあまりよく覚えていない。
父親に人間のクズだと言われて、私は長いこと私自身を人間のクズだと思っていた。死ねと言われて、本当に死んでやろうかと何度も思った。本当に死ねば後悔するだろうか、
それともあーせいせいしたとか言われるんだろうか。せいせいされたら困る、自責の念に駆られてほしい。あんなこと言うんじゃなかったと思ってほしい。
ずっとそんなことばかり考えていた。
「24時間以内に首でもつって死んでくれ」と言われて本当に死んでしまった子のニュースを見て、他人事とは思えなくて思わず書いてしまった。長すぎて申しわけない。
でもどうしても吐き出したかった。
横増田だけど。
生肉好きだけど、まぁそういう感じかな。
何事にもリスクはあって、その中で、自己責任で楽しんでる、もしくは、使っている。
もちろん、注意喚起はありがたいし、そういう注意喚起を知ってる・理解してる上で、かつ、その土地の法令・倫理の範囲内で楽しんでるのなら、別にいいんじゃないかと思うけど。
たとえば生肉以外にも、食べ物ならカキの食あたり、川魚の寄生虫(海魚もだけど)、加工食品(特に、輸入冷凍食品)、アルコールの飲み方・愉しみ方。普段の生活でも、実用品として&レジャーとしての自家用車、同様に水泳、海水浴、スキー、釣り、ハイキング、などなど。どれも、適切なリスク管理を設定しないのはアホだけど、かといって、適切なリスク管理をしても事故が起きる時は起きる。
生肉を食べることを、レジャーの1つとして捉えれば、必要以上に他人に迷惑を掛けない範囲での自己責任として許容されるべきで、そうカッカすることはないと思う。
(追記)
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/080622/sty0806221928005-n1.htm
これを読んで思い出したのだけれど、毒キノコ図鑑か誰かのエッセイか何かで読んだ話で、キノコ取りの名人は毒キノコを覚えるわけではなく、食べられるキノコ(と、それによく似た食べられないキノコ)を覚える。というのがあって、つまり安全側に振っておけということだ。
そもそも、人が食べておいしい、無害というのは、品種改良の結果か、あるいはそういう戦略だったかというだけで、例外的なことだ。戦略というのは、捕食対象になることにより、消化されない種が広まったりだとかそういうことで、それ以外のものは、もちろん無害のものも多いけれど、腹が緩くなる程度の弱い毒まで含めると相当数の植物が毒をもつ。
たとえば、トウガラシはあきらかな刺激性を持ち、なぜか好きこのんで食べる動物、人間がいて、その結果栽培されるようになり、戦略的には成功したわけだけれども、これは本来動物に補食されないためのものだったはずだ。
そういえばもう一つ思い出話で、ぼくは昔、加熱処理したそこら辺にいるカタツムリを食べたことがあるのだけれど、これは結構危ないことらしい。寄生虫の宿主である可能性があり、他にも細菌感染する可能性もある。それにそんなに美味しいものでもない。
とにかく、健康的な生活をしたければ、そこいらでとってきたものを容易に口に入れてはいけない。山菜やキノコや、もちろん鳥類、魚類などの動物も自分で採取、捕獲して食べる場合には十分な知識を持って当たるべきだ(個人的には川魚を生食するのはそれがちゃんとした店で出されたものでもかなり躊躇する)。
(このあとに、害のある自然礼賛主義に対する批判が400字ほど続くのだけれど、今回の本題ではないので省略)