はてなキーワード: 大国とは
自由意志を否定するの流行ってるよねぇ。主義に背くようなら申し訳ないけど、親露っぽい主張を繰り返してる人もまったく同じような事を言ってて、小国は大国に逆らえるはずがない、強い者の論理に逆らえる弱い者などあるはずがない、という態度を徹底してるんだよね。こういう思想流行ってんのかね?自分たちにしか通用しないヘンな身内向け造語を駆使して糾弾にいそしむ所もそっくりだ。あやつられマウントみたいな感じ?
自由意志などないのだとうそぶくことには明確なメリットがあって、自分はメタなより強い論理を展開しているのだという強そうな雰囲気をかもしだせるし、自分は「わかって」いるんだという演出ができる。でもそれって雰囲気だけで何の反論にもなってないわけで。要は「俺の考える道徳に背いている人間は全員洗脳されているんだ」と主張してるってことでしょ。あんたは道徳を法やルールに先立たせて語ってるけど、それだと収拾付かないからルールを決めてみんなで守りましょうねって話をしてるわけよ。会話が成り立たないよね。ちゃぶ台をひっくり返して議論が成り立たなくすることで勝っているフリをしているというか。
https://www.youtube.com/watch?v=zhtoCmE-lxE
ノルウェーは「石油国だけど石油に依存しないことで成長できた」という話を聞いて、【石油ってプランテーション2.0だったんだ】って気づかせてくれた動画。
これ、今の石油、昔のプランテーションにも言えることだけども…投資を多角化しないと外国の投資に頼ることになる。
というフレーズでしつこく言ってるんだけども…これは利権や組織票に阻まれる。
頭いい人なら中学生でも気づく
「頭いい人なら中学生でもわかる」
と言ったのは、中学生でもプランテーションという言葉はともかく、世界史のさわりの部分は教わるから。
そこで、頭いい子なら
「これ、今でも農業国や資源国、世界の工場であっても自分たちで製品を作れない国は存在するんじゃね?」
と仮説を立てるだろうね
ぼくこの間、「BRICsなんか来ないよ。高校生の時にはもうわかってた」と言ったのはそういう理由。
確かに、人口が多い国、大国からの技術支援がある国は「世界の工場」までは来れる。でも、
という疑問を高校生ぐらいで持ってた。
天才なら中坊で気づく
厳密には「来ない」というよりも、
「金額が大きくて、雇用もたくさん作るようなお仕事を世界の工場になるような国に取られていくが、それ以上上に行こうとすると、高度人材や最先端の分野で勝つ必要が出てくる」
が、より正確かな。
例えば、半導体はその国の得意不得意が分野で明確にわかれてるし
先進国は本来、国内の工場で作るのが難しい、設計や開発の技術革新が頭打ちしてきたら、
「もうその産業は、違う国にやってもらって、自分たちは別の分野でがんばろう」
というふうにスライドしないといけないんだが…今ある仕事にしがみついたり、新しい教育が受けられない人は…抵抗しちゃうのよね
良くも悪くも、先進国が多角化できるし、多角化していかないといけないのは、
「モタモタしていると、賃金が安い・人口が多い国に、仕事を取られてしまう」
ということなんだが…日本でこれがほとんどの人にわかるようになってきたのは、けっこう最近。
今でもわかっていない人が偉い人にもいるけど
本来、偉い人こそもうわかってないといけないんだけどね。
かつては「労働者VS経営者」みたいな構図だったけど、労働者同士でも産業の多角化で折り合いがつけられなくなり、副業をする人も増えたから労働者でも経営者でもある人が増えた。
偉い人が、産業の多角化を理解できてるのか疑わしいと書いたのは「8時間働けば普通に暮らせる世の中に」というスローガンを令和になってから某政党が掲げていたから。
副業する人が増えたり、逆に仕事によっては境目が難しい人も増えた今、「8時間」とくっきり区切れないよ…。
お仕事の多角化は何もフリーターやIT系に限ったことじゃなくて、地方で畑持ってる会社員とか、高齢者で職場からの賃金が少ない人とか…色々いる。
逆に、すでに仕事の土台を作り上げて労働時間が少ない人もいる。
それを「8時間働けば」と言うのは、産業の多角化について考えてないか逆行してる
ただ、政治情勢のややこしいところは
「政治家本人はわかっていても、今ある組織票や利権に配慮しないと当選できない」
社会がかなり合理化した現代においても無能な老人が高い地位について高給をせしめて若者に負担を強いている現状を見るに、生産能力のない老人を養うために本来自分の食い扶持ぐらい稼ぎ出せるはずの若い労働力が売りに出されたりしたんじゃないのかね
父の実家が代々続く田舎の農家で曾祖母が実権を握って嫁や長男以外の子たちを奴隷のように扱ってた時代の話を聞くと、老いて体力がなくなって思考が曖昧になってもなお尊大であり続ける祖父母や父母の意に反して山に捨てるなんてことができたとは思えんのだよな
確かに90年代後半の自分は毎日精神の天気予報が「曇り時々晴れ」だった。今の自分のネガティブ思考もあの頃がコアになっている。
ただ、バブルの頃の余韻も忘れられず、うまくすればまたあのバブルが戻ってくるのではないかというささやかな希望はあった。
1999年にはノストラダムスの大予言とかもあり、世紀末感はあった。
ただ、コロナ以降の世界情勢やニュースの内容の方が終末感やら世紀末感がある。
もうエヴァの呪縛からも開放されたが、自体はもう首が回らない状態まで悪化している。
少子化も挽回できない程に進んでしまい、輸出大国だった過去はもう無い。
今の日本政府にもなんら期待は出来ない。
中破した船が沈まないようにだましだまし浮いている。けれど、水はどんどん船に入ってきて、あとはいつ轟沈まで椅子取りゲームをするのかみたいなのが今。
思想としてサヨは「平等」「反格差」、ウヨは「国益」「反共」などを言うが、釣りの旗でしかない
ズル大国のアレでは、極○が戦争やテロや統制を煽りながら、経済派が武器やメディア営業をする(紛争国を中心に二手に分かれる)
核兵器が使われることで世界が終わるかは誰にも分からないと言うべきだろう。だが少なくとも、我々はその可能性を真剣に考えておくべきだとは言える。
自己保存と心中は核抑止戦略では表裏一体の概念だ。冷戦末期の確証破壊戦略などはまさにそれである。
自分が先制核攻撃を受けても反撃によって相手国を完全に破壊(心中)できる能力を保有し、その事実を相手に確実に認識させることで安全を確保している。
核兵器が使われたら世界の終わりだ! みたいなのは妄想に過ぎない。
核兵器による世界の終わりの典型的なシナリオは、相手国を完全に破壊できる能力を保有した二国間の紛争のエスカレーションが制御不能となり、最終的に全面的な核攻撃に突入するといった展開だろう。そういった事態が発生する可能性はむしろ高まっていると考えるべきだ。
米国の軍事的なプレゼンスの低下に呼応して、核の力を背景に現状変更を図る国家が現れている。これは核を持った大国間の軍事的な衝突のリスクが増大することを意味している。
ロシアはウクライナ侵攻において核使用の可能性を繰り返し示唆している。仮に核が使用された場合、NATOによるリアクションがさらなる核使用を招く可能性については(お花畑ではなく)軍事畑の核コミュニティの中でも真剣に議論されてきた。
中国は急ピッチで核戦力の増強を進めており、2030年中盤にアメリカとの相互確証破壊を達成すると予想されている。両国の政治的な対立の構造は根深く、戦略的不安定性を解消できるかは未だに見通せない。
エスカレーションの管理は本質的にチキンレースの構造であり、リソースの限られた少数の人間の決断に依存している。それが予測不能な帰結をもたらす可能性は常に存在する。
自立型兵器などの新たなファクターを軽視すべきではないのは当然だが、だからといって核兵器の持つ破壊力が低下するわけではない。
繰り返しになるが、核兵器が使われることで世界が終わるかは分からない。誰にも。
それは核のボタンを握っている当事者にすら分からないことだ。だからこそ、私達自身がその可能性を真剣に考えておくべきなのだ。