はてなキーワード: 内輪ノリとは
もう一歩進んで「老いへの恐怖」という感覚に目を向けてみよう。
売る側は「老いへの恐怖」さらには「老害に見られたくない」という感覚を把握していて、商品に「若者向け」のタグを貼り付けているのだ。
そして「お若いですね」と言われたい老人が「若者向け」のタグに飛びつく。
中にはお世辞を真に受けて「若者に人気なんだ」と思い込むものまで出てくる。
実際には感覚のズレというのは真逆で現場の人間の感覚のほうが正解なのだろう。
そして「求められているのはエンタメ」とのことだが、現代のアニメは純粋なエンタメからも離れていってる。
現代のアニメは内輪ノリ(テンプレ、お約束)に流されて変質していってしまった。
「お客さん」を持ち上げていい気にさせるために随分なリソースが注ぎ込まれているわけだ。
すなわち現代のアニメのダサさとは「接待」「媚び」「ご機嫌取り」に類するダサさなのだ。
そういえば昔、高校の文化祭の出し物で森のくまさんをやったのを思い出した。
確か同学年の出し物が、
・音楽展
だった。
紅茶喫茶は、いろんな紅茶を楽しめる喫茶で、本当にいろんな会社と紅茶の種類を揃えていて、自由にブレンドして飲めるやつだった。
自家発電ヨットレースは、水に浮かべたヨットには路面電車みたいな電線につながっていて、自転車を漕いだらヨットが進むという結構アグレッシブなやつだった。
音楽展はいろんなCDを揃えていて、自由に音楽が聴けるっていう暇つぶしに最適なやつだった。
ワニワニパニックは結構凝ってて、教室の左右に大きな穴を開けた壁を作って、高校生が頭をだすからそれをピコハンで叩いて遊ぶチームゲーム
そんで映画:森のくまさんは、まんま森のくまさんの歌詞の内容を映画にしたもので、その意味不明なストーリーを見せられるというもの。映画と言っても20分くらいのもので、歌詞の意味不明さを視覚化して見せるとそのシュールさが逆に面白いんじゃないかという映画。
俺は映画のキャストになってわかったんだけど、映画って脚本やセリフ・キャストが9割なんだな。まあ脚本も元ネタがあるからそこまで時間かかんないはずだったんだけど、流石に歌詞のまんまをやると数分で終わるから、本筋に影響を与えないようなセリフとストーリーを追加してカルピスを薄めまくった。森のくまさんに決まったときは完全に内輪ノリだったんだけど、撮影初期からもう内輪ノリも限界で、最後の方は「これつまんなくね」って雰囲気がやばかった。実際おもんなかったし。マイクって大事なんだな。普通に撮っても素人がボソボソ喋ってるようにしか聞こえないし、大きめな声で話すようにすると音割れというか何言ってるのかわからなくなるし、キャストごとに声の大きさが変わってボソボソと怒鳴りが交互でただただ何言ってるかわからないしうるさいだけだった。
当日は上映スケジュールに沿って上映するだけ。客の出入りを仕切って、再生ボタンをオン。作業人数はクラスの半分くらいのやつしかやってなかった。
私の好きなコンテンツは、なんだかんだでもう10年くらい続いている。
漫画(アニメ)で10年ともなると、ファンもヘビーユーザーが多くを占めているものもあるだろう。
私が好きなものも例に漏れずその一つ。最近になってまた色々と企画が増えていたが、思うことがある。
アニメのファン=その作品の声優のファンで当たり前などと公式さんが勘違いするのはやめて欲しい。
もちろん嫌いなわけではない。
原作から入った自分も、初めてアニメを観た時はどのキャラクターも声がぴったりで驚いたし、可愛く魅力的に息を吹き込んで下さる声優さん達には感謝の気持ちでいっぱいだ。
だけど、そのアニメのファンは全員声優さんだけが出演するイベントに行きたいと思うものなのだろうか?
周りはそういった方が非常に多いので、たまに自分がおかしいのかと思ってしまう。
そして何より、ファンコンテンツに必ず声優さん関連の特典を付けたり、アニメの中に実写で登場させるのはどうかと感じた。
前者は興味がなければ避ければ良いだけだし、何度も言うが声優さん自体は嫌いじゃないし…寧ろ好感を持っている方だ。
でも(プロの歌手ではない)その人達のライブにお金を出して行きたいかと言うと自分は違う。
好きな映画に出ている女優さんや俳優さんの「お茶の間ファン」みたいなものだと思っている。
要するに自分は作品と声優さんを、別のコンテンツとして分けて見てしまうという事です。
もちろんその辺の好きの度合いは人それぞれなので、そういった声優さんのライブにお金を落とすファンの方々を否定するつもりは毛頭ありません。
先日公開された新作のアニメの中で、キャラクターが声優さんに変身するという演出があった。
「そういうストーリー」「ギャグ」と言われると何も返せないけど…私はそこに劇的に萎えてしまいました。
それもその新作アニメのシリーズは「初心者向け」と謳っている。
ヘビーユーザーばかりになってしまったコンテンツに新規ファンを取り込もうという意図も少しはある…と信じたかったのだけれど、新規の人はきっと突然キャラのコスプレした人達が実写で画面に現れても、ポカーン…じゃないのかな。
最悪、この人たち誰?まであるでしょ。
ツイッターで周りのファンの感想を見たら、みんな結構喜んでいてちょっと驚きました。
それから、あまり公式さんが声優さんとキャラの同一視を促すのもちょっとどうかな、と思いました。
今はそういう時代なのかもしれないけどね…
ごちゃごちゃ書いたけど結局は
みに○り第2話のノリはドン引きしたけど周りは喜んでるから言えない!
だからここに書きました。
ファンの中でも信者化が激しく、近年は異を唱えにくい雰囲気が出来上がっております。
こっち系のオタクになる前ですが、内輪ノリや信者ばかりになって新規が入れなくなり、潰れていったコンテンツを沢山見てきたのでとても心配です…
作品のファンではあり続けますが、アニメ関連はこれから一歩引いて見ていようと思います。
ファンコミュニティに怒ってるとかじゃなくて、例えばアニメ本編の中でキャラクターが中の人に変身するとか、作品の特典に必ず声優さん絡みのものが付属しているだとか、ラジオはチェックして当然みたいな公式サイドの促しや悪ノリが嫌になっただけです
ろくでもない文章ですので、1ユーザーのゴミの掃き溜めとしてここに置かせてください。なんべんもいわれてることなのですが別に公にしたいわけじゃないから許して……自省の意味もこめてます。
メギドに対する否定的意見をあげつらって笑いものにする文化が土着してないかなと思った次第です。
私自身、キャラ解釈に対するお気持ち長文の意見には相容れない立場なのですが。
個々人の感性であるわけで、別に直接言われただとか、公の場を借りて言ったわけでもなし、個人の単なる掃き溜めをわざわざひっぱりあげる必要はないかな〜と。結果的に晒す形になってるんですよね。
あと、すきあらば何でもネタにする姿勢が傾向として少なからずあるとは思いますね。ジョークとしてはあまりにも侮蔑的だったり、内輪ノリだったり………
いろんなジャンルで〇〇な人のマナーが悪いから嫌い やら 〇〇な人こんなことしてくるからキモい みたいなことを目にする。だいたいそういうときは
「あぁ、この方の周りの人にマナーが悪い人がいたんだな…」
と思うのですが、
メギドに関してはそういう「周りの人」に限って声が大きくなりがちだと思っています
なんだろう。前見ていた作品でこういうこととか全くなかったからわからなかったんだけど、メギドって「ムラ化」の傾向がちょっとあるんじゃないかな。
界隈自体が狭いコミュニティで形成されていた感じ。告知系のツイートとか比較的RT数とか少ないしね。
賞も取ったし、昔みたいなディープな層だけ引き入れられるものではナンセンスだから、若干大衆向けにゲームも変わってきたんじゃないかと思います(耄碌なのでそう思ってます)。
他の学童所の子供たちや保護者などが一同に介するため、ある意味では学校より盛り上がっていたかもしれない。
「ハテナ学童のカンくん、これは速い! 一輪走の関門、魔の直角コーナーを何なく曲がっていく!」
「ははん、当たり前田のクリケットや! ワイほど一輪車をこいどる人間は、この世に誰一人おらん!」
あくまで学童所での交流が目的であるためか、競技性を重視しないものが多かった。
「ブクマ学童のシオリ先生は、素手で瓦を一枚割れる。○か×か」
「そんなの知らんがな」
「まあ、でも一枚くらいなら割れるんじゃない?」
「じゃあ○の方に行こう」
「正解は……シオリ先生、実際にどうぞ!」
「せいっ!……痛い」
「ヒビすら入ってないじゃん」
保護者が参加する、障害物盛りだくさんのパン食い競争なんてものもあった。
「マスダくんのお父さん、全身を紙テープと粉まみれにしながらも、堂々の1位でゴール!」
「ぜはっ、ぜえ……げほ……」
「デスクワークのくせにやるじゃん、父さん」
「子供の前だからって、パン食い競争で本気出し過ぎじゃないか?」
「はあっ……母さんがいれば、もう少し楽に勝てたんだろうがな……」
「父さん、そういうノリ、こっちも反応に困るからやめてくれよ」
「すまん……」
「湿っぽい雰囲気出すのもやめてくれって。変に含みのある言い方するから、周りには離婚したとか、母さんが死んだとか思われてんだよ」
「そうなのか……おえっ……ほら、餡パンだ」
「いらねえよ、歯形ついてんじゃん」
思い返してみると、この頃の父は少しテンションがおかしかった気がする。
母が戻ってくるまでの間、最も辛い思いをしていたのは父だったのかもしれない。
俺が参加したのはリレー。
「コマの回転は全くゆるまな~い!」
まさか学童が暇つぶしにやっていたコマ回しを、こんな風に活用させてくるとは思いもよらなかった。
「おい、何やってんだよタイナイ。ゴール近いんだから、そんな丁寧に巻かなくてもいいだろ」
「僕の腕じゃあ、中途半端に巻いての手乗りは無理なんだよ。どじょうすくいだってギリギリなんだから」
まあ、結果としては3位だったが、タイナイが言うには2位だったらしい。
「今でもマスダは、この日のことを根に持ってるよね」と、よくタイナイは語る。
弟は缶ぽっくり競争に出場。
「おーっと、次男のマスダくん。これは速い、圧倒的だ!」
ハテナ学童内でもダントツだった弟の缶ぽっくりは、外でも変わることはなかった。
普通に走るのと大差ないスピードで、他を寄せ付けることなくゴールにたどり着いた。
「あれ、もう終わり? 短っ」
「さすがといったところだな、弟よ」
「兄貴の作ってくれた缶ぽっくりのおかげさ!」
「いや、缶に穴を開けて、紐を通しただけだから誰でも作れるぞ」
だが、あの時の俺たちは本気でやったし、その結果に一喜一憂することができた。
二次創作してる分際で声がでかいオタクは何様だよって話だけど事実そうなのだ
拡散力のある声のデカい大手に好まれなければ自分の作品は数あるオタク・二次創作の中に埋もれていってしまう 勿論輝く才能を持っている人はそれだけで注目されるだろうけど全ての人間がそうではない
ここからは自分語りになるが私も大手に気に入られて作品を拡散されて一時舞い上がっていた それでと段々自分が書きたいものと違っていると感じ始めたことと、その大手の趣味の方向性と異なり始めたのでブロ解で縁を切った が、その後はそこそこにいたフォロワーはポツポツ減り始めて作品のビューワー数も落ちていった 結局自分は有名どころの○○さんの推している人だからという付加価値しかなかったんだと酷く落ち込んだが自分なんかその程度だったんだと落ち込んだけど冷静にもなれた そして今年私は二次創作界隈から足を洗う
この世界には中学生から十年ほど浸っていたが昔に比べて横繋がりが重視されているように感じることが増えた コミケなどの即売会は基本サークルの仲間と来てサークルの仲間と帰るようなものだったが最近は会場前の挨拶回転寿司に始まり終了後の大規模アフターなどオフでの関わりが積極的に行われている 内輪ノリと言えば昔からあったがその内輪の規模が大きくなっているのだ 例えるなら中高生のグループで活動するテンションがそのまま二次創作・オタクの中で行われているのだ 何度か参加したが初めて会うような大勢の人達と食事をしてもあまり楽しくなかった 正直公共の場でオタク・トークをし散らかすことに抵抗があったので酒やつまみを飲みくらいながら高速・オタク・語りをするオタク達には少しだけ引いた それでも根はいい人達だと思って最後までいた
ここまで書きたいことを思い付くままに書いたせいでまとまりのない文章になってしまったがここまで読んでくれた人にはお礼を申し上げる これはただオタク・横繋がりに辟易して大手と縁を切ったらその囲いにもブロックされ界隈を撤退するはめになったつまらない二次創作・オタクの独白である 二次創作・オタクなんて出版社に見逃してもらってる分際で他人の褌で相撲を取りながら一丁前に産みの苦しみ面をするヤバい奴等(全ての二次創作・オタクがそうとは限らない)なのだがもしそんな世界に足を突っ込みたいと思ったら大手に気に入られることをおすすめする
高速・オタク・語り、終わり
こういう運動は「乗るしかないこのビッグウェーブに」「どこまで警察をおちょくれるか」的なIT業界の内輪ノリ的な部分が大半を占めていて(Twitterでも面白がってるレスしかみない)、「こういう運動で警察が反応してくれたり、社会の認識が変わってくれたらラッキー」程度にしか思っていないと思う。
ただ、もし警察上層部があなたの言う通り「痛くも痒くもない」と思っているのならそれはそれで既に判断ミスというか楽観的すぎて、こういう風に「日本のサイバー警察は無能」という趣旨の運動はのちのち効いてくるというか、少なくともインターネットの歴史には残るし、検索すれば出てくる汚点となる。こういうのが言わゆるデジタルネイチャー世代の人間は当然のように知ることになると思うし、警察に失望するし、優秀な学生が警察に入ることはないし、ますますサイバー課が発展する未来は暗くなる。優秀な情報系学生が果たして兵庫県警サイバー課に就職したいと思うだろうか?
それによって割を食うのは若い世代なので、警察上層部は定年で逃げ切る認識での「痛くも痒くもない」だとするとそれは個人の生存戦略としては正解だとしても、そこに正義はないし屑のムーブだとは思う。