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はてなキーワード: 世界史とは

2020-01-30

anond:20200130231839

ワイ93やからもっとゆとりだし

そもそも理系から世界史選択じゃないんや

てか今南アフリカの項目Wikiで読んだら本当に名誉白人書かれてて草

アホが外人かぶれ煽るために作ったクソ用語かと思ってた

2020-01-28

anond:20200128150845

医師とかでも、高校では歴史じゃなくて地理選択たか世界史全然分かりませんって人がおったのよ。

山川出版社」とこちらが言っても「何それ?」という感じで、その時に「みんなが歴史に詳しいわけじゃないんだなあ」って思ったの。

2020-01-27

世界史を楽しく学べる教材ない?

高校ときカタカナ挫折した程度のバカだけど最低限の教養として知っておきたい。山川教科書はつまらん。出来事の羅列の資料としては重宝するんだが

2020-01-19

センター試験体験

いつだったか忘れたけど、センター試験を受けたことがある。

当時は今ほど人々のライフスタイル多様化していなくて、学校に言われるがままセンター試験を受ける人がほとんどだった。

親はセンター試験で満点を取ったらしく厳しく育てられたが、私は昔から勉強けが全てではない」と考えていたため、重要視していなかった。

センター試験は受けさせられることになったものの、普段どおりの生活を心がけ、前日も夜遅くまで友達電話した後、その時ハマっていたラジオを聴いていた。

気がつけば3時位だったと思う。

寝て起きたら8時だった。

いつもの休日のように新聞を読んだ後家族とご飯を食べようとすると父親に「お前、今日センター試験じゃないか?」と言われてハッと気づく。すっかり忘れていた。

他の受験者はこういう日は気合入れてもっと早く起きるんだよね。

それでも焦ることはなく身支度をして雪の降る中会場へ行くと、テレビで見たとおり既にたくさんの人でごった返しており、何とか自分教室にたどり着いた。これが「センター試験か。人生で一度くらい経験してもいいかな」と思った。

周りの受験者は直前まで勉強していたが、私は普段試験と同じように気楽に受けた。

センター試験に向けては特に勉強せず、私の生活勉強といえば学校の授業を人並みに聞いているだけだった。

子供の頃から授業で聞いたことは大体覚えられた。

いざ試験が始まってみると「なんだ。どれもこれも授業で習ったことばかりじゃないか」と思ったが、センター試験に命をかけている女学生は教科が終わると泣きじゃくる者もいた。勉強したのに報われなかったのだろう。

私はというと、自分の力は出したが、センター試験対策はしていなかったから、手応えがあるのかすら分からなかった。

結果が返ってくると「こんなものか」と思ったが、東京大学を目指していた友達には「普通勉強していなかったらこんな点数取れないよ」と評価された。

英語世界史は得意だったが、ケアレスミスで何問か間違えてしまったのでそんな評価をされるとは思わなかった。

高校教師には「せっかくだから大学に行ったらどうだ?」と提案されたが、たった1日の出来事で人生観が変わることもなく、大学はいかなかった。

勉強が全てではない」という予感は的中し、今は勉強とは関係のない世界線人生を歩んでいる。

センター試験は今年で終わるらしいが、こんな私が歴史の一ページに加われた事は良い思い出だ。

2020-01-18

世界史B、こんなんで出題ミス扱いにするのか。2次試験ならほっとかれるというか、逆にバランス悪くね?

センター試験の思い出

田舎なので兄の家に泊まり行った。志望校がその国立大学だったので二次試験の下見になったといえば下見になったけど

最寄りが駅が田舎のどっちを向いても上りの始発駅だったので「電車が混んでいる=座席に座れない」な感覚だったので都会の満員電車ビビり3回くらい見送ったのち、「ギチギチだけどこれに突っ込むのか・・・?」と意を決して乗った。

予備校もなく受験情報進研ゼミ国立大学コースみたいなやつだけどそこに「時計は見やす目覚まし時計ベター」とあり、「確かに腕時計などより一覧性が高く一理ある」と目覚まし時計をもっていったが試験会場の大学の大きな教室を見回しても目覚まし時計を持ち込んでるのは俺一人だった。

同じ所で試験を受けた兄に最寄り駅から大学の行き方を聞いたら「馬鹿でもぜったい分かる」と言われたが、たしかセンター試験受験生と思しき人のながれと駅のコンコースから門が見え横断歩道を渡ればすぐだった。しか大学敷地に入ってからがクソ長くて10分くらい歩いた。

田舎高校なので全体の偏差値より学内偏差値の方が高く、全体だと60後半なのに学内だと70オーバーだったりしたが、世界史Bは満点だったにも関わらず学内偏差は50だった。もちろん、その年度でセンター試験世界史Bを選択したのが100人近くいて俺一人だけだったから。

2020-01-16

anond:20200116190353

すまん。情報追えてないんだけど、その「中田氏による中田氏世界史」に対しての反論とされる記事がどれなのかのリンクをくだされ。

ちゃんとまともに反論してるんならいいんだけどな…論どころか人格否定してんのばっかだろうなってのは容易に予見できるで。

anond:20200116184803

世界史関連は統一見解は無いとした方が正しい。

新潟の西にある海の呼び方すら地域によって異なるわけだしな。

anond:20200116053701

理想的共産主義」は政治において無意味概念ですね。なぜなら政治現実解決するためのものからです。

というのも高校レベル世界史勉強したらどの国も最初理想的共産主義を目指していたはずで、なのに成功した国は結局現れなかったわけです。というか共産主義を実現しようとすると自動的集団管理概念が混ざってこざるをえない。あるいは思想洗脳か。

マウント仕草から入ってごめんね。本題として、増田に欠けてるのは、守るべきもの・守られてほしいものの優先度かなと思う。あとは他人という尺度。「自分はこの権利をいらないと思うし、他者にもいらないと思う」ものとか、「他人のこの権利はいらないと思うけど、自分から奪われると困る」とか、そういうので権利の優先度を明確化した方がいい。

2020-01-14

世界史日本史の学び方

興味はあって大きめの本屋に立ち寄ると

つい活字主体の堅めの歴史本を買うのだけど、

毎回、序盤も序盤の古代で匙投げちゃう

文明が栄えてきて宗教が乱立して、

色んな派閥勢力争いし始めると、

途端に頭がショートして睡魔に負ける。

学生時代と同じく事実の列挙だと全く楽しくない。

やっぱ小説映画マンガゲームの方がいいのか。

なにか良い方法ねえですか?

古代ローマ史に詳しい奴とかたまに居るが、

どうやって知識を会得したんやろか。

2020-01-12

30過ぎのおっさん他人への共感もなくして「世界史勉強しろ世界史勉強すればふつーやろ」って言い出すのは悪、忘れてなに考えるなって感じ。世界史勉強した意味がない。残念だ。

ネトウヨおっさんが「俺は世界史勉強してて世の中の愚民自分土地戦争に囚われていて哀れよ」って慈悲を与えてくれてるんだろ。まあ、ありがたく受け取っておこうや。

なるほど、賢い人っているもだな。俺は世界史俯瞰してるから人の感情なんて知らないわ、だが俺は日本に住んでるけどな!ってフリーライダーやな。すっきりした。

anond:20200112010357

当たり前だろ世界史勉強したらそんなこともわかんなくなっちゃうのかよ

anond:20200112005015

でこれが「世界史あるていどかじってる人間」の普通発言とは思えないんだよね。

anond:20200112004652

俺のじいさん戦争で腕がなくなったりしてるから世界史ある程度かじってますんで」みたいな視点がアホに見える。

2020-01-07

国内少数民族」と「外国人」の混同、あるいは「日本人」の定義

国内少数民族」と「外国人」を混同している人を見かけた。

政権に就いたことのある世界少数民族政党 - 歴ログ -世界史専門ブログ- 』

https://reki.hatenablog.com/entry/190107-World-Minority-Party

日本では外国人選挙権被選挙権が認められていないため、国や自治体政治において国内少数民族利益代表する政治団体というもの存在しません。

この文章はおそらく国政政党として「琉球民族党」とか「アイヌ人民党」とかそういったもの存在しないことを指摘しているのだろうとは思うが、

少なくともその理由は「外国人参政権がないから」ではない。

また文末には以下のような記述も見える。

急速に「移民」が増えている日本でも、いつの日か外国人選挙権被選挙権を与える日が来るかもしれません。諸外国の事例をしっかり学んでおきたいところです。

ここに至ってこのブログを書いた方が「外国人」という単語をおそらくは「異民族」くらいの意味合いで用いていることが読み取れる。

ただし、この記事目的上記ブログの誤りを指摘することではなく、

誤った認識の背景に心当たりがあるのでその点について話したい。

  

結論から言えば、「日本人」という言葉が2つの定義を持ってしまっている点に問題があるように思う。

1つは、国籍帰属

日本国籍を持っている人を「日本人」と呼ぶ。

当然、少数民族だろうが何だろうが日本国籍を持っていれば「日本人」であり、現時点で既に参政権があり、結社の自由もある。

  

2つ目は、民族的帰属

大和民族和人などとも呼ばれる。歴史的経緯としては縄文人弥生人の混血らしい。

  

これらははっきりと区別するべきだ。

もっと言えば混乱を避けるために前者(国籍)の意味においてのみ日本人という単語を使うべきだ。

逆に、日本国籍を取得したにもかかわらず肌が黒いとか白いとか、目が青いとかそういった理由で「日本人」とみなさず、

外国人」と呼ばれる人々がいるのはかなり不合理で、差別的ですらある。

おそらく上記ブログ執筆者勘違いもこの辺に原因があるのだろう。

  

とはいえ自身民族的出自愛着や誇りを感じていて、ぜひ名乗りたいという人もいるだろう。

そのような場合国籍帰属とは分けて、

大和日本人」とか「フィリピン系日本人」とか、あるいは「ブラジル系」「朝鮮系」「琉球系」「アイヌ系」等々、好きなように名乗ればよかろう。

もっとこだわりがあるなら「ブラジルルーツもつアフリカ日本人」などと名乗ってもよい。

(逆に例えば大和日本人が日本国籍離脱してアメリカ帰化したなら大和米国人がよかろう。歴史的には日系と呼ばれているが)

  

まとめ

  

単語を再定義すべき時が来ている。

2020-01-05

anond:20200105121629

1. お前の脳内世界史には西洋極東しかないのか?

2. お前の脳内西洋にはWASPしかないのか?

釣りにしてももちょっと丁寧にやれよアホらしい。

anond:20200105120358

なんで日本とか中国とか極東ばっかなんだよ選び方が恣意的すぎる。もっと世界史の流れで中心に近い地域の話をしろよ。

2020-01-01

100分de名著シリーズバックナンバー約100冊を読破したら人生変わった

補足書きました

思った以上の反応を頂いて驚いてます

コメントへの返信など、追記しようかと思ったのですが、長くなったので別記事しました。

興味あったら見てください。

https://anond.hatelabo.jp/20200102201209

はしがき

釣りっぽく書いたけどほんと。

結構色んな意味読書知識というものに関する意識が変わったので、なんかアウトプットしたくなった

なお、名著そのものを知ったことに関する感銘とかは今更私が言うまでもないので省きます

書きたいのは100分de名著シリーズ対象にした読書を集中して実施したことに関するメタ効果に関して。

ちなみに、読破したと言っても読破したのはあくま解説本。

スペシャル版とか、ブックス版はもう少し厚いけど。どれも約120ページで、読書慣れしてる人なら2-3時間で読める量だと思う。

いやそれじゃ読んだことにならないだろ原典あたれよ、って思うよね。私もそう思っていた。

から最初20冊くらいは解説本を読んで、原典にあたって、と繰り返していたけど、以下の2つのことに気づいて一気に解説本を読む方向に転換した。

原典を読むのは、それが終わってからでも遅くないと感じた。

本の解説で繰り返し取り上げられる要素(人名思想歴史上の出来事など)があることがわかった

勉強とか、何でもそうだと思うんだけど、繰り返し出てくるものって記憶に定着しやすくなる。

さらに、その要素が「影響を与えられた」もの解説として出てきたり「影響を与えた」もの解説として出てきたりする。

何でもそうだと思うんだけど、流れというか構造の中にある知識って単発の知識より遥かに定着しやすくなる。

なので、バックナンバーの中で関連のありそうな同時代、同地域、同分野の本をグループ化して間開けずに読んでいくのが効果的に思えた。

原典が全16巻とか(おまけに明治時代の訳だったり)あるものがあった

まぁ要するに、それを読むだけで半年とかかかりそうなものがチラホラあったということ。

そこに突っかかっているうちに飽きて来ることを懸念した。

実に20年ぶりくらいに読書エンジンがかかっていることを実感していたので、これに水を指したくなかった。

約1年かけてバックナンバー読破して効用として感じていることは、、、


文系学問価値理解できるようになった

ちなみに私は理系出身

よく「文系は作者の気持ちでも考えてろ」と言われるけど、「本気で作者の気持ちを考える」ってのは実に尊い活動だと考えられるようになったこと。

今みたいにリアルタイム意見のやり取りが出来るわけでもないのに、驚くほど人間の考えや意識ってのは「繋がって」いることがわかった。

ある偉い人がいいことを言うに至った過程を忘れてしまうのは人類の損失だなと。というか、理系と一緒なんだよね。

アインシュタイン相対性理論だって洞窟暮らしていたアインシュタインがある日突然思いついたわけじゃない。

それに、曖昧さを嫌い、論理にはもととなる論理が明確に存在する理系学問「ですら」そうなんだけれど、

現時点の主流見解は現時点の正解ですらなくて、考え直しが迫られるのはよくある。

そういうとき、どこから間違っていたかどこから考え直すためにも歴史的な思考の経緯は絶対に失わせてはいけない。

文系学問の究極の目的は、新しい思考を生み出すことと思っているけど、新しいものを生み出すために今までの流れを知ることも必要だ。

果実を生み出すのがポンと生まれてきた天才的な作家哲学者だけれど、

天才誕生を待つ間その過程を丁寧に残すのがむしろ普通文学者役割で、

アカデミズムとしての文系学問の真髄はそちらにあるのかもしれないと思った。

これ、理系ブレイクスルーを起こす天才待ちと同じ構図だよね。

天才、と呼ばれる人間自身の業績についてちょっと違う視点物事を捉えただけ、とかちょっと違う組み合わせを思いついただけ、と語るのはよくあることだ。)

大学教育意味について捉え直せた

バックナンバーの消化も終わりに近づいたことろ、私は思った

「かなりいい勉強になった」

大学生の頃にこういうことをやっておくべきだった」

「というか大学でこういう講義あってもいいのに」

「あ、でもこんな事やってたらそれだけで四年間終わっちゃうか?」と。

そこで計算した。

100分deというくらいなので上記解説本一冊は、約100分の映像となる(補足説明踏めると1-2割、解説本のほうが情報量多い気がするけど)。

以下、とても雑な計算だけれど。

大学はだいたい15時間講義で1単位とされる。

まり900分だ。上記解説本でいうと、9冊。

100冊なら、約11単位計算してみて驚いたが、たったそれだけ。

一般的大学生は1年に20-30単位取得するだろうし、卒業には120単位程度必要だ。

定義サボり気味の大学生の半期分程度の勉強しかしていないことになる。

嘘でしょ?

驚いたついでにもっと攻めた想定をしてみる。

こんなことを意識している大学生はほとんどいないと思うけど、15時間講義には、30時間の事前学習と30時間の事後学習が想定されているらしい。

http://www.ohshiro.tuis.ac.jp/~ohshiro/univlaw.html

1冊辺り6時間程度の読書時間が追加で想定できるわけで、

原典には上記したとおり全16巻あるものもあれば、100ページもないものもあるから、慣らすとだいたいそれで読めてしまうとする。

するとつまり大学とは本来

「最も頭の冴えた4年間に」「専門家が選んだ良質なテキストを」「専門家解説付きで、必要なら質問し放題の環境で」「1200-1300冊読んで理解する」

場所だ、ということだ。

ああ、確かにそれをこなせば立派な「学士様」になれたろうと思う。

私は修士を持っているが、この10分の1も学士になれた気はしない。俺はなぜあん無駄時間を、、、

可能なら、放送大学なりでもう一度大学生をやってみたいと思う。

叶うなら今度こそ、学士になりたいものだ。

読書習慣と、読書をする体力を取り戻せた

なんというか、これから実施していきたい諸種のおもーい本を含む読書に挑む筋トレというかジョギングと言うか、基礎体力を作ってくれた感ある。

活字を追う体力、意味を捉え続ける体力みたいなのがないと、ほんとうの意味読書趣味にすることは出来ないと思った。

ていうか、楽しむ余裕がない。

スポーツと一緒で、やる気と勢いだけでやっても続かないと言うか。

この1年やってきたことは運動部の1年生が実施するような、練習をするための練習。これがまず必要だったとろこで、その役割果たしてくれたと思う。

練習のための練習として、この「解説読破」が有用だったと思う理由は以下の2つ

2-3時間で1冊終わること

週末、朝と夕方に一時間読む気でいればその日のうちに「また1冊読めた」と思って寝れる。

平日でも、風呂に入ってる30分で読めば25%終わり、はっきりと進んだ位置しおりを挟んで寝ることが出来る。

進捗が目に見え、さらにすぐ終わりが見えるというのは精神的に楽だ。

無駄足にならないこと

価値保証されている書物を、その書物についての深い理解があることが保証されている著者が解説する本であるということは、

読んでいた時間無駄になることはない(たとえ激烈につまらなくても3時間で終わるし、つまらなければ原典を読む必要はないという判断ができるということだ。)

という確信を持って取り組めるということだから、これも精神的に楽だった。

つらいだけのうさぎ跳びとかしたくないのよ。

今後読書を続ける動機づけになった

いろいろな本の中で語られていたことだが、

日々「モヤッと」してることはたいてい昔の人も同じこと感じていることがわかった。

下手の考え休むに似たりではないが、自分程度が疑問に思ったことはきっと昔の頭の良い人が一生かけて考え抜いているので

自分の中で結論出そうとするより同じ疑問を持っているであろう偉人の著書にあたったほうが

考えを前進させる上でコスパが遥かに良いことが芯から理解できた。

実はこれが一番の収穫だと思っている。

これから

というわけで、これから年末にかけていよいよ原典にあたっていこうと思う。

の前に

山川日本史世界史を買った。

解説読破の中で出てきたいろいろな付随知識、これがまとまりそうで纏まらなかった。

これをまとめてからの方が、今後の知識吸収速度が格段に上がりそうな気がすると思って、適切な本を暫く求めていたが結論まさか高校教科書だった。

今読むととんでもなく面白い本だ。まさに私の求めていたものだった。無論完璧じゃないが、知識統合がすすむすすむ。

なぜ俺はあん無駄時間を、、、と思うけど、おそらく解説読破と順番が逆じゃだめだったろう、OKOK。

さて、年末山川をやっつけたあと、原典の中で特に気になっていたものを30冊ほど買った。解説本で実施した筋トレ効果で読むスピードが上がっているが、

途中で気になった関連書籍とかその年気になった本とかをはさみつつ、100冊(巻数でいうと200近い)読み終わるのは3年後くらいの想定だ。

来年シリーズは続いていくので、積ん読もどんどん増えるだろう。

やりたいことが増えていくともっと若くからやっときゃよかったと思うことばかりだけど、

何もすることが無いよりはいいか、、、

とりあえず、今買った30冊とプラスαくらいは、今年の年末までに読み終わっておきたいところだ。たぶん出来る気がする

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