はてなキーワード: バタフライ効果とは
仏教には「縁起」という考え方がある。この考え方は簡単で、すべての物事には理由があり、自分が何かをしたら、巡り巡って、それが思いもよらない他の事象を引き起こしているかもしれない、という考え方だ。科学的には、バタフライ効果と呼ばれているものと似た考え方だ。今日、蝶が一回羽ばたいたら、それは、遠く離れた土地のハリケーンの原因かもしれない、というやつだ。
仏教は、縁起を大事にする。あなたが生きていることが、巡り巡って、誰かの死に繋がったかもしれない。あなたが道を歩いていたら、道を歩いているあなたを他人が見たことによって数秒、その車の進みが遅れ、その遅れによって、他の人が交通事故で死ぬかもしれない。
この考え方を突き詰めていくと、全ての人間は、誰かの死の原因になっているかもしれない。つまり、私もあなたも、生まれてきた瞬間に誰かの死の原因になっている可能性がある「人殺し」なのだ。だから、真の仏教徒であるならば、「人殺し!」と詰られても、憤ってはいけない。それは、真実の姿であるからだ。我々の社会で、明確に人を死に至らしめるという「意思」を持って人を死に至らしめた人間のみが「人殺し」として処罰されるのは、単に、社会ではそういうルールにしておかないと誰もが簡単に人殺しになってしまって社会が成り立たないからで、本質的には、全ての人間が、誰かの死の原因になっているかもしれない「人殺し」なのだ。社会において「人殺し」となるのは、あくまで「裁くのが能力に限界のある人間だから」という理由で、あなたの行動と他人の死との間の因果関係を、他人が明確に認識できる場合に限定されているだけである。人間を超越した世界では、「人間が認識できる因果関係」という概念は無意味だ。
人間が認識できようが出来なかろうが、因果関係は超自然的な力によって決められていて、そのうち、人間が認識できたものだけが、人間社会では人間の都合によって裁かれているというだけだ。超自然的な世界では、人間社会の都合など考慮されるはずがない。たとえ、人間社会では罰せられなかったとしても、それは社会を成り立たせるための法律のルールによるものであって、仏教的には、全ての人間のすべての行動は、他人の死に繋がる/繋がった可能性があるかもしれないので、全ての人間は「人殺し」なのである。
なんかいつのまにか「漫画家」ってことになってるらしいけど、あの騒動以前に彼女を「漫画家」として認知していた人間がどれだけいるのか。
職業漫画家やイラストレーターじゃなくて、絵を描けるレイシストって(よく知らないけど)多分いっぱいいる。
おそらく、差別的な絵ってのはこれまでにもいっぱいあった。そしてそのほとんどが話題に上らず消えてきた。
そんななかで、なぜ「アレ」だったんだろうか。
なぜ「アレ」はそこまで「特別」になれたんだろうか。
そもそもみんなよく彼女を叩けるなあ、と思う。
彼女がかわいそうだから、だとか、擁護に値するから、ではない。
まったく理解不能な人にしか見えないからだ。もっといえば、病院に入ってるべき人にしか見えない。リアルに。
そういう人を叩いたところで病気が治るわけではない。それが一定の勢力を持っているならともかくほとんど無視されてる一個人であるなら無視したほうが経済的な気がする。
彼女はまあレイシストなんだろう。それにしたって属しているコミュニティ、立ち位置がわかりづらい。
在日朝鮮人やアイヌを差別するならわかるし実際彼女もやっている。わかりやすい。共感はしないが理解はできる。しかしシリアの難民である。なんでそんなものに(間違った)当事者意識を持てるんだ? そしてそれを叩いたところで彼女は何を得られるんだ?
レイシストにはレイシストの合理性がある。一番わかり易いのは「あいつらのせいで俺らが損をしている」だろう。
しかしどうみたってシリアの難民は何も奪えやしない。風が吹いたら桶屋が儲かる程度のバタフライ効果はあるかもしれないが、そんなもん誰が気にする?
その非合理が彼女をローンウルフなレイシストに見せている。彼女はおそらくレイシストとしてマジョリティではない。どころか、一人ぼっちかもしれない。素朴なネトウヨと繋がってないこともないが、彼女はたぶん中核ではない。
アンチレイシストの立場からしたって、アレを潰したところで何が得られるのか、よくわからない。
まあ見えてしまったゴキブリを潰したがる心情はわかるが、それにしても腑に落ちない。
誰も彼も非合理に動いて火の手だけがふくれあがっている気がする。
http://anond.hatelabo.jp/20141229013147
クソリプ(?)で申し訳ないんだけどバタフライ効果の話を聞くたびにずっと思っていたことがあって
正しくは「ブラジルで1匹の蝶がはばたくとテキサスで竜巻が起こるか?(反語)」だよ
http://eaps4.mit.edu/research/Lorenz/Butterfly_1972.pdf
もし一匹の蝶の一回の羽ばたきが竜巻を引き起こせるならば、
同じ蝶のひとつ前の羽ばたきも、一つ後の羽ばたきも、
そして他の何億もの蝶の羽ばたきも、
もし一匹の蝶の一回の羽ばたきが竜巻を引き起こせるならば、同じように竜巻を止めることもできる。
決してランダムではなく、決して発散するのではなく、
極めて初期値に敏感で、長期の予測が不可能なのにもかかわらず、
あるアトラクタの内部に囚われ続ける。
しかし、アトラクタを解析することで、カオスの中に秩序を見つけ出すことができる。
そこが面白いところなのに、
ただの「風が吹けば桶屋が儲かる理論」だと思われるのは悲しい。
私からは以上です。
統計の世界には Garbage in, garbage out という格言がある。これは、「ゴミのようなデータを使っていくら解析しても出てくる結果はゴミばかりだ」という意味
相関と因果は一致しない 女性平均寿命 NHKの放送受信契約数
「相関が無い事の証明」は可能か - Interdisciplinary
期待された発電量が得られず、消費電力が発電量を大幅に上回ることを説明しなかった
視聴率10パーセントの時の誤差は±2.4ポイント、視聴率20パーセントの時の誤差は±3.3ポイントである。
1)犯罪者の98%はパンを食べている
4)パンは中毒症状を引き起こす。被験者に最初はパンと水を与え、
後に水だけを与える実験をすると、2日もしないうちにパンを
異常にほしがる
6)18世紀、どの家も各自でパンを焼いていた頃、
平均寿命は50歳だった
例えばフォーブスの世界長者番付にランクインするような億万長者が1万人の市に引っ越してくれば
平均年収はつり上がってしまうが、年収の中央値はほとんど変わらない。
男女間パワーゲームに負けつつある女子の保守化、それに伴うフェミニズムの減退。
結果として男性の発言が許される空気になりつつある、と思ってる
特に女子高齢化は痛い。基本的に男性は女性に「若さ」を求める(女性は男性に金を求める)。
団塊Jr女性ももう40代半ば。 彼女達が若かった時代にはいろいろ女性にも勢いがあった。 が、今はない。
団塊Jr女性が子供を作って入れば、もう少し状況は変わったのかもしれない。
例えば女の子を持つ親が女性の社会進出を望むみたいな感じで、勢いを残すこともできたかもしれない。
が、そういう未来はもうない。40を越えて出産はあまり望めないだろう。
10年くらい前は男性が結婚生活を肯定するのははばかられる空気があった。
どうしても男女の性役割的な話になってしまい、「男社会を肯定するのか」みたいな話になりがちだった(フェミニズム華やかなりし時代です)。
男がね幸せでも、いっちゃいけないのです。
結果として男性の非婚化が進み、婚活市場に女性が供給過多になり、女性の市場価値が下がることになってしまったが。
今でもまぁ「男性の感じる幸せ」みたいな事は匿名掲示板にしかかけないか。
会社だとどうしても独女に気をつかわざる得ないし。
すっげーどうでもいい話だけど景気が上向いてくると パチンコの収支が儲かりだすような気がする。 バタフライ効果みたいな話かもしれないけど。
辞書通りの意味にしか言葉を解釈しないのであればおかしな文章かもしれないけれど、
私的には日常会話の中で、風が吹けば桶屋が儲かるの同義語としてバタフライエフェクトという
単語を使うのはありだと思う。
「バタフライ効果の表現にはいくつかのバリエーションがあるが(後述)、いずれも、ある場所での蝶の羽ばたきが、そこから離れた場所の将来の天候に影響を及ぼすという内容である。」
すっげーどうでもいい話だけど景気が上向いてくると
パチンコの収支が儲かりだすような気がする。
バタフライ効果みたいな話かもしれないけど。
http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20110307/p1
子供の殺人事件が減っているのは事実で、厳密には人口当たりとか色んな尺度で見ないといけないけど、「悲惨な事件が増えている」というマスコミ等の情報はデマに近い印象が強いのでちょっとうんざりだが、こいつの主張はちょっと待て。
明らかに、1980年代などと比べても、いまどきの方が子供への監視は厳しくなって、保護者は目を離すな、が徹底している。
※例外とか地方差とかそういうのはあるが、日本全体でいえば明らかに厳しくなった。
昔なら子供だけで遊ばせていたのに保護者がつくようになったり、子供がほんのご近所の友達のうちに行くのにも保護者が同伴したり、子供だけで自宅で留守番させたり、ちゃんとしたデータを見たことがあって言うわけではないが、絶対に増えている。
※子供、とひとくくりにしたが当然年齢・学年によってさまざまだが、子供と呼ばれる範囲ならどの年齢でも多かれ少なかれ上記傾向があるのはかなり自信を持って言える。
さて、「子供の殺人事件」の発生率と、上記のような「子供の監視強化」の関係をまともに論証した研究は存在するのだろうか?いや、きっと探せばまったくないことはないだろうが、
「監視が今のように厳しくなかったらもっと犯罪が増えていた可能性」はないのか?
その可能性を理解しないで「子供から目を放しても大丈夫」と言ってしまうのは無神経ではなかろうか。
しかしながら、一方で、上記のような子供の監視強化は、明らかに保護者の負担を増やしている。(場合によっては保護者以外も)。少子化の原因はいろいろあるが、子育ての大変さも要因の一つではある。特に共働きと子供の監視の両立の負担の大きさはいろいろ言われるが、その要因の一つになってやしないだろうかという不安はある(唯一の原因ではないし、どれほど主要な要因かは資料を知らないが、要素の一つにはなるとは断言できる)。
「子供の保護」にかかっているさまざまなコストに対して、今の社会の傾向がそれにはたして見合っているのかどうか、ちゃんと検証されているのだろうか。
※昔に比べて子育てしやすくなった要素もあるのだが、その有無は今の文脈では結論に影響しない
実際問題、「子供保護社会」が「どれほど子供を救うのか」について、「じゃあどうすべきかなんて簡単じゃん」と言えるほどに明確な因果関係が研究で立証されることはたぶんない(殺人事件数の増減だけを例にとっても、それにはあまりに多くの要因が絡んでいて、風が吹けばおけ屋がもうかるとかバタフライ効果みたいな例を持ち出すまでもなく、これに限界があるのはどうしても仕方がない)。しかし、「子供の監視強化」が正しいのか間違っているのかについて、科学的根拠もなく印象論で向かっていく世間の情勢には大いに疑問を感じざるを得ない。
みんな、正気になってくれ。