はてなキーワード: スラックスとは
男である私から股間を当てにいく動きにはかなり無理がある。これはおっぱいを当てるのとはわけが違う。
よって、思いがけず当たってしまったということしかないのだけど、こんなことならあった。
一人はまぁそこそこ仲のいい女性の友人だった。その方を含む複数で飲んでるだか食事をしているときに、私は手洗いに立った。
席に戻るとき、その方も立ち上がっていて、椅子の後ろの狭い通路ですれ違う際、椅子の背もたれにおいていた彼女の手の甲に思い切りムニッと柔らかい股間をあててしまった。薄手のスラックスを履いていたので、確実にイチモツ感を味わっていただいたのではないかと思う。
いつもはそんな感じを見せない方だったので、少しテレた表情がなんとも言えずかわいかった。
もう一人は別の女性の友人というかバイト先の先輩だった。酔うとやたらボディタッチで絡んでくる方だったが、その日は私の隣に座って、話の節々でつっこみを入れるように私の内腿あたりを叩いたり手を置いたりしていた。少し話が盛り上がった拍子にポンと私の足を叩いたつもりが、股間を叩いた。その方も気づいたようで、その後、私の足に置いた手を足の付根にニジニジと近づけて小指のあたりで弄んでくれた。次第に反応してしまった。
別に男になりたいわけでもないが心底自分の性別に絶望している。
歴史小説育ちだから、男性社会に、女性より強い体に憧れ続けてここまできてしまった。
所謂、男尊女卑的思想がこびりついた挙げ句の「男になりたい」みたいな考えを持っている残念な女だ。
私は女子中を出て共学高校に進学しているが、高校では女子に馴染めず半年ボッチを決め込んで、夏休み明けに「この模試の上位にいる奴なんでここに?」と話題になったお陰でようやく勉強ばかりしていた男性陣に馴染むことができたため、ボッチを卒業できていた。
高校では半ばからスラックスを履いている。スカートに抵抗感があったから。
私は男になりたいわけではないと思うが、冒頭の通り、自分の性別に絶望している。
今年は高3になり受験がある。
だがこの春休みを通しても、ずっと女性の生理現象の節目が訪れる度に起き上がれない・怠い・頭が働かない・熱っぽいと体調不良が目白押しで正直うんざりしている。
世の中の働く女性は本当に偉いと思う。
私は一週間血液垂れ流しという状態の自分に吐き気を覚えるし、それが終わるなり訪れる排卵日に倦怠感と腹痛で文字通り倒れるし、生理前はノロ級に腹を下し、生理中は生理痛と倦怠感で死にそうになり、そしてまたすぐに排卵日。
こんなのが50歳くらいまで続くなんて私は一体どうやって受験勉強をし、大学に通い、就職できるというのか。
世の中の女性が普通に耐えていることに、私は耐えられそうにない。
今休学してもきっと治らないのだから、もし学校をやめてしまえば生きている意味がなくなりそうだ。
婦人科にはかかっているしピルも鉄剤も各種サプリメントも服用しているのに、一向に良くなる気配がない。
世の中には不治の難病を抱えながらも前向きに生きている人がいるというのに、私はなんて軟弱な人間なんだろう。
みんな偉いなぁ。
卵巣を残せばホルモンバランスに問題ないらしいし、控えめに言って子宮を切除したい。
子供以前に結婚できるかもわからないのに、こんな意味不明の生理現象と付き合っていける自信がない。
受験以前に高校卒業さえできなかったら一体私はどうやって生きていけばいいのか。
もしかしたら鬱になるかもしれない。そうなるくらいならとってしまった方がいいような気がする。
望む中性にもなれるし。
なんだか疲れてしまった。
2時間寝付けなくて今一気にこれを書いた。
体調崩してたので宿題全くできていない。
全てが勉強したくないだけに聞こえるから自分でも嫌なんだ。疑ってかかられたらもう学校をいさぎよく辞めるつもりでいる。
こんなんで通い続けたところでなんの生産性もない。浮いた学費でさっさと女として機能しない体を手にいれられるなら、大学進学は諦めても、健康的な身体で就活に望める。
疲れはてたクソ女の妄言
じゃあ何をやめたかって、いわゆる紳士服屋で上下揃ってるスーツを買うのをやめた。
セールのはがきもよく届くし、店頭を通ればいつでも何かしらのセールを行っている。
でもそれだといつ買ったら損をしないで済むのかが全くわからない。
もっと安くなるかもしれないし、今回のセールが信用できるかもわからない。
そんなことを考えている間に時期を逃して、気がつけばよれよれのスーツを着ている。
微妙に生地のパターンや色が違うから上下どちらかがだめになれば両方買い直す必要があるのも悩みだった。
それで選んだのはユニクロ。
しかも上下セットのスーツではなくて、スラックスとジャケットはバラバラに購入。
価格面でのメリットがもちろん大きいのだけど、そもそも上下を合わせる必要がないという発想は色々なものから自由になれた。
3種類のスーツを着回すより、上下3パターンずつで9種類着回せたほうが単純にパターンが増える。
それに加えて、どれかがだめになってもその都度補填できるのが強みだ。
意外だったのは、これによって最も恩恵を感じられたのは精神的コストだった。
どこで買おう、何を買おう、流行りはなんだろう、予算はどうしよう。
スーツ一つ選ぶだけでこれだけ憂鬱になっていたにもかかわらず、ユニクロにいけば最低限の選択肢から選ぶだけで事が済んだ。
しかも、単価が単価だけにダメならまた買い直せばいいという心理的余裕も大きかった。
いっその事カジュアル方向に転換したといったほうが客受けがいいだろうという判断だったのだが、今の所好評で、取引先の人も真似をしたいと言ってくれている。
クールビズとかもいいけど、いっそのことスーツが不要な世の中になってほしい。
今の所超快適。おすすめしたい。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1956636.html
男女平等の観点から女子生徒のスカートが消滅の危機に瀕している。
大げさかもしれない。記事中では「スカートかスラックスか自由選択可」とされているが、これは終わりの始まりかもしれないじゃないか。
憂慮すべき事態だ。
なぜなら俺は女子高生のスカートが好きだからだ。誤解なきように申し添えておくが、収集しているわけではないし、痴漢ではない。
記号としての女子高生のスカートがなんとなく好きなのだ。だから、収集した女子高生のスカートはもはや女子高生のスカートではないし、スカートを履いた女子高生は痴漢の対象にはならない。
ピクトグラムが好きだからと道路標識を収集することはないし、ピクトグラムに欲情することはない。それと同じ。
女子高生のスカートが好きだ。スカートを履いた女子高生が好きだ。
なぜなら俺が好きだからだ。
多様性は素晴らしいことだ。みんなちがってみんないい。
だけど女子高生のスカートに限っては保守的でいなければならない。
なぜなら俺が好きだからだ。
女子中学生のスカートや女子大生のスカートは駆逐されても構わない。
なぜなら好きだからだ。
だけど、もしも君も女子高生のスカートが好きなのであれば、心の中で構わないから強く願おう。
男女平等とか性の多様性よりも大切なものがあるという信念を貫こう。
常識にとらわれるな。わがままで構わない。「俺が好き」以上の動機があるだろうか。
俺は女子高生のスカートを愛している。なくしてはならない最上のものとして認識している。
君はどうだ?
身バレ上等な内容、支離滅裂、纏まりがないが我慢の限界なので載せる。メモ書きのようなもの。
追記修正予定。
幼稚園小学校は特殊な私立で、中学は平均的な女子校に通っていた。
女子校から半男子校(私のクラスは男女ほぼ半々の割合)に移ったことから、様々な既成概念を覆されることになった。
私がこの記事を書くことにした理由は「男尊女卑」だの「性差別から逃れたいと疲れた女性」「痴漢冤罪を恐れる男性」を沢山見てきて疲れてしまったからだ。
私はその高校に進学してからすぐに、軽く犯罪めいた男子の言動により、元々快く思っていなかった女性性に拒否反応を示すようになってしまって、その後も色々あって今は制服をスラックスに変えてもらっている。「中性的」「アイツという生別」という認識を持って貰えて幾分生きやすくなっている。
髪も短いので、黙っていれば中学生男児には見えるだろうし、よく「最早男」とからかわれるくらいだ。
そんな私は、制服がまだスカートだった2年生の春を最後に痴漢に遭っていない。
むしろ制服や日常の服装を男性的に変更してから2度冤罪を食らっている。
「あなたの見た性別が私の性別」というスタンスなので、男子と勘違いされたらさせたままにしている。
人において重要なのは、英語でいうところのsexではなくgenderの方の性別、そしてsexualityだと思う。
私はNonbinaryのAsexual(どちらかというとQueerplatonic寄り)の人間だ。
自分を「性別がないもの」として考える。そして「性欲も恋愛的な感情を持つこともない」。
憧れはあるし、まだ若いから、将来心境の変化はあるかもしれない。
でも、今、自分自身のそれらを考えようとすると憂鬱な気持ちになる。
…最近話題の「女しかいない世界」、男性的職業、心の性別のズレによるいじり、痴漢、痴漢冤罪、強姦未遂。
程度は軽い方かもしれないが、私は全て経験してきた。
3年間の女子校時代、高校で取った土木・電気系の資格、女だと思われていれば絶対にその場に持ち出されないような猥雑な話題、尻を意思をもって這う手、「触りましたよね?」と話しかけてくる女性………………私を組み敷いて、「女性の君に抵抗はできない」と脅す中年男性。
…全ての道理が繋がらない。
ちぐはぐだ。
sex的男性、女性という括りは、トイレと浴場、体力的限界のある現場以外に、本来必要あるものとは思えない。
女性専用車両は関西で起きた痴漢による事件によって全国的に普及することとなった。
乗車率の高くなる平日の都会の電車で、女性、子供、障害を持っている方、つまり混雑から「弱者」を保護するための措置として存在している女性専用車両。
これは差別ではない。
女性や子供よりも、一般的に力のある男性と同じ水準に彼らを持っていくには、混雑時間帯の車両を1つくらい「専用」にしないと間に合わない。
そもそも痴漢がいなければ「女性」専用車両とはならなかったかもしれない。
もっと言えば、痴漢被害に遭うのは女性だけではないし、痴漢を冒すのが男性だけでもない。
「痴漢」は女性だけのものではないし、「痴漢冤罪」もまた男性だけのものではないのだ。
「痴漢」は「男性」なのではなく、「犯罪者」という括りになる。
ここの主語の違いが、差別だ、差別じゃない、の議論を生むことになる。
私は女性専用車両に賛成するし、女性だけの世界を片隅で考えてしまう気持ちもわかる。
また、冤罪に怯えるのも、男性を排斥せんとする思想に嫌悪感を示したくなるのもわかるのだ。
でも私はその議論が発生する時、どちら側にもいない。
必ずしも分けなければいけないものではないことを、はっきり大きな主語で分けることは、極めて危険なことである。
「痴漢をするのが男性だから男性を排除せよ」なんて、まるで全ての男性が悪、みたいな言い方をすることはないではないか。
それを突き詰めた時に発生する議論は、「人間という生物は犯罪を冒すから人間がダメ」だ。
それがおかしいのはわかるだろう?
「社会」「国家」「法」を持った人間については、人間がダメなのではなく、法の下の「犯罪者」がダメなのだ。
論点を誤り続けた先にあるのは、底無しの泥沼だけだ。
疲れる。疲れた。
2/4
思っていたより反応があって嬉しいです
一応言っておきますが女性専用車両が男性も一応乗れることは知ってます、見解を述べる上で最低限の下調べくらいしますから
「女性専用車両は男性も乗れる」ことと上に既に述べたことから女性専用車両は差別だとは思っていません
ここまで書いといてそんな議論展開するコメつくとか思ってませんでした
ちゃんと一字一句読んでたら思ってはいてもそんなコメント残さないと思うんですが生きてる年数の問題なんですかね?
夫は服に興味が無い。
彼にとって服とは逮捕されないための口実と防寒具に過ぎない。
最重要なのはTPOに反しない事、次にストレスフリー、そして最低限の値段。
夫が最高に輝くのはスーツを着てる時。スーツはすごい。形も色もほぼ決まってる。なのに着るだけで男度10倍。
仕事着だから多少の出費も夫は文句を言わない。その上店員さんに「この人のサイズに合うスーツください!」って言えばそれで済む。ローリスクハイリターン。
問題は休日だ。スラックスの窮屈さにうんざりしてる夫はとにかくオーバーサイズチノパンをこよなく愛す。そして服を買い替えるコストを嫌いクタクタになるまで着る。
その姿はどこに出しても恥ずかしくないおっさんである。最低限の清潔感だけかろうじて保っているおっさんだった。
だが近くにバカでかいユニクロがあると知ってから世界が変わった。
ユニクロはとにかく安い。2000円前後で服が買える。お金が勿体無いと渋る夫にも2000円だよ!と言えば大体稟議が通る。
そしてサイズが豊富だ。ボトムは色んなシルエットと素材のものがある。
試着室も広い。狭くて面倒だからいいよこれでと言いがちな夫も文句言わずに入ってくれる。これでジャストサイズが手に入る。
着心地が気に入ったら色違いだってたくさんある。裾上げもしてくれる。
裾上げの間にあれこれカゴに突っ込む。ワンフロアに下着もインナーもアウターも全部そろってるから楽ちんだ。
商品券も使える。クレジットカードのポイント交換で手に入れた商品券があるよと言えば渋っていても大体通る。
お陰様で最近の夫は平日も休日も死角無しのかっこよさである。私の幸福実感度がうなぎのぼり。