2020年10月26日の日記

2020-10-26

誕生日がどんどん無意味ものに変わっていく

高校生の時なんかは毎回部活メンバー誕生日ごとにイベントしてて楽しかったなぁ〜。同期15人に祝ってもらえるの嬉しかったなぁ〜

大学生になってから誕生日になったら何人からラインきて、友達プレゼントくれて、家に帰ると親がケーキ用意してくれて最高だったなぁ〜

社会人数年目までは、誕生日には旧友から今度飲みに行こうとかなって、お店でケーキとか予約してくれてて嬉しかったなぁ〜

でもみんな結婚して子供ができて、私の誕生日なんて気にする人いなくなっちゃったなぁ〜

初めて誰からラインこなかった時はすごく悲しかったのに、最近は来ることを期待することもなくなっちゃったなぁ〜

むなしいなぁ〜

いっそのこと誕生日なんてなくなればいいのになぁ〜

anond:20201026001947

当たり前だろ。市販品の方がウイルスシャットアウトするに決まってんだろ。娘のこと考えたら手作りだろうと捨てられて当然。あたまおかしいんじゃねえの?

左車線が空いてるなら、さっさと左によって譲っちゃえば良いのに

仕事出張が割と多く、個人的にもクルマ運転も好きなので自分の車は1.8万km/年は走るし、出張すれば社用車で片道50kmはザラ。

運転のもの仕事でないのに2万km/年は多分に平均よりはクルマを走らせてる人に当たると思うが。


多分東名事件の頃からか。それともスバルのアイサイトをはじめ、車間制御オートクルーズが普及し出した頃からか。

後ろの状況も確認せずに、別に早々に右への分岐や右折や左車線が駐車で塞がれてるでもないのに、右車線にどっかりと居座るのと、「あおられる」と言うのをよく聞くようになった気がする。


個人的には、右車線に入るのは極力

・間も無く右折や右分岐

・車種や行きたい方向に対する車線指定

・追い越しや追い抜き

・左車線がなんならの事情で塞がってる

に限るようにして、

"車線変更する時は後ろの車にブレーキを踏ませないように極力可能範囲で速やかに加速する"

"後ろから速い車が来たら、可能な限りさっさと左に寄って譲る"

を周囲の状況に応じて徹底してると、あおられることなんて、年で数えるほどもないけど。


煽られてるクルマを見ると、だいたい"無意味に右側居座り系だよね" "無理に割り込んで急ブレーキかけさせてその後に制限速度を大幅に割ってる左車線と絶妙に抜かせないペースでだらだらと適切の何倍というかもはや死ぬほど車間確保してりゃ、そりゃ後ろのドライバーは怒るよね" という感想ばかり。


この辺りも教習所もっときっちり教えときゃ良い&取締すれば良いのにと運転しててよく思う。

陰キャール作戦

陰キャール作戦” に一致する結果は見つかりませんでした

anond:20201026001925

彼氏を下に見て満足するタイプの女だね。自分がどうしたら気持ちいいのかちゃんと伝えてお互い良くなればいいのに、それをせずに見下してバカにしてる。彼氏真実を知ったらきっと傷つくだろうね

anond:20201024161115

界隈語りにシフトするともう単体の応援じゃ無くて界隈を見るだけになるから関心が薄れちまうんだよね

ミライアカリエンタム→界隈語り→興味無しと偏移した俺の経験上ね

anond:20201025224002

おまえのように一方的情報しか見ないで正義棒振りかぶってる陰キャがきらいなだけだよ。

anond:20201026003507

そんなとき増田だよ!どうにもならない日記を垂れ流すとスッキリだよ!たまに優しい人がコメントくれるよ!

anond:20201026002746

実は言われたことある料理裁縫趣味から気にすんなって何回も言ったんだけど、悲しい。。。

日本から捨てられた土地で生まれ

この話をフィクションと思われてもいい。嘘松認定されてもいい。誰かの目に触れるだけで嬉しいから。

私は北国の相当の田舎で生まれた。コンビニも車がなければ行けない場所にあるようなところだ。当然電車なんて走っていない。ファミレスもないし、地方都市象徴と言われているイオンなんてものはない。地方都市とも言えない部類の地域だった。

私は小さい頃から勉強ができた。少なくても幼稚園の頃にはひらがなはかけたし、繰り上がりの足し算も誰にも教えられずにできた。漢字は一度見たらすぐに覚えた。だから読んでいた物語に出てくるような高学年向けの漢字も2、3年生の頃には書くことはできた。周りがなぜ同じようにできなかったか理解できなかった。

そんな私を親も当然理解できなかった。周りの大人は中卒と高卒しかいなかった。学校を出れば男は工場だの大工だの漁師だの農家だのになるもの、女はさっさと結婚して子供を2、3人は生むのが当たり前で、勉強なんてする必要のないものだった。スーツを着る仕事といえば役場の人か車のセールスマンぐらいだった。親も親戚も半分高卒もう半分は中卒という環境だったから、私は突然変異のなにかだったのだろう。私が勉強ができることを何か嫌な目で見ていた。私は親から勉強をしているところを見られるのが嫌で家で勉強をすることが全くできなかった。

家にはパソコンが無かった。インターネットも当然なかった。私の情報手段テレビ新聞学校図書室だけだった。町には本屋もなかった。

私は決して学校勉強から遅れることはなかった。地元中学校から高校に進学するにあたっては、地元に一つある高校ではあまり偏差値が違いすぎたため、バス電車を乗り継いだ地方都市にある校区の最上位高に進学することになった。通学時間は片道2時間以上かかる場所にあった。私の中学校からそこに進学する生徒は数年ぶりだったらしい。交通費がそれなりに掛かる場所にあったが、親は文句一つ言わずお金を出してくれた。ものすごく感謝している。

あと、高校進学とともにスマートフォンが手に入った。ただ、当時スマートフォンを使っている人など一人としていなかった。都会では当たり前だったけど、田舎にはそんなものがなかった。私はインターネットをするためにどうしても必要だった。ガラケーでいいと主張する親をどうにかなだめて、スマートフォンを買ってもらった。iPhoneなどではなく、Androidポンコツだったが、インターネットにつながるというだけで私には十分すぎるものだった。町の中で完結していた私の世界が急に広がった。Twitterを初めてオバマ大統領アカウントフォローした時には、テレビ新聞世界を飛び出した自分が誇らしい気持ちになった。ただ、Twitterでは痛い発言をして、炎上というほどではないクソリプをもらって恥ずかしくなってアカウントを消すという10代の恥ずかしいことも経験した。

同時に高校では人間関係も様変わりした。周りの子たちはよく勉強をよくやっていた。そこで初めて予習復習の必要性を知った。教科書にかかれていることだけやっていては不十分だということだった。大学受験ではそれ以上の問題が出てくるという。私は教科書は一度読めば覚えるものだったので、まともに勉強したことがなく、それだけでは点数が取れない、という経験を初めてやった。参考書も初めて買った。高校があった街は私の住んでいたところよりは何十倍も都会と呼べるところだが、いわゆる地方都市の一つで本屋さんはショッピングモールに一つあるだけだった。私は午後6時にはその街をでないと家に帰れないので、学校が終わっての僅かな時間本屋に向かい、そこで少ないお金で買える参考書立ち読みしながら一つ選んで繰り返し繰り返し勉強した。何冊も買う余裕はなかったし、予備校に通うような時間もなかった。また私は乗り物酔いをしやすいので電車ではともかくバスでは本を読めず、スマートフォン参考書自分朗読した音声を吹き込んでそれを聞いて覚えるようにした。

その後私は大学受験をする。私の地元にはそんなことをする人は誰もいない。私の親は大学受験することは認めたが国公立大学限定した。仕送り必要だし、お金がないからだ。奨学金だって借りる必要がある。私はどうしても東京に行きたかった。東京じゃなくても東京に近い横浜でも千葉でも埼玉でもどこでも良かったが、とにかく都会に住みたかった。田舎の何もなさにうんざりしていた。私は映画が好きだったが、映画というのはテレビしか見れないものだった。運良く私の家はBS契約してくれていたのでNHK BSでやっている昔の名作などを録画しては見ることができたが、面白そうな新作映画テレビYoutube予告編しか見れないものだった。アカデミー賞カンヌを取るような映画は大抵東京最初にやって、その後に地方に回ってくるが、それも大都市限定される。私の住んでいたところはツタヤもなかったのでレンタルすらできなかった。私の憧れは渋谷ミニシアターヨーロッパのどこかの映画を公開初日に見に行くことだった。今思えばそんなつまらない理由だったが、東京に住むという強いモチベーションになった。また、東京には私のような地方から出てきた学生優遇してくれる寮もあった。一人暮らしなんて贅沢はとても言えなかった。

私はどうにか大学受験をして東京とある国立大学に進学することができた。親は私の入学式に出るために人生で2度目の東京の土を踏んだ。私がそんな都会で暮らすことに不安を覚えたらしいが、進む大学も住むところも何もかもすべてを一人で決めてきた私に言えることなど何もなかった。私は親の手には負えない存在だった。

初めての東京に私は圧倒されることになる。一番驚いたのは電車だった。SUICAや本数のことではない。広告の多さだった。駅も電車内も外も広告で満たされている。歩いているだけで色んな情報が入ってくる。私が子供ときに見ていた日曜日昼の番組中吊り大賞などというのがあって週刊誌記事を色々取り上げていたけど、中吊りというものが何だったのかを恥ずかしながらそこで初めて知ったのだった。とき週刊誌卑猥コピー小学生の頭の上で揺れているのにも衝撃を受けた。電車で立っているだけで世の中のことについて情報が入ってくる。それが東京最初に印象に残ったことだ。

私はよくありがちな大学生としてサークル活動も始める。そのサークルインカレでいろんな大学の人とつながることになった。私の出身地のことを話しても誰も知らなかったので、自己紹介では東京から私の町までどうやって行くのかを話すのがつかみとして大いに受けた。

そこである東大慶応学生たちと出会たことが、私の人生そして性格にも極めて大きな影響を与えることになった。お互いの情報交換をするなかで家庭の話になった。私の父は町の工場で働いていた。トヨタなどの大企業ではなく、ただの町工場従業員として何十年も変わらない仕事をしていた。それを話す私のことを動物園の珍しい爬虫類を眺めるような、そんな目でみんなは見ていた。そんな人は誰一人としていなかったからだ。ある男の親は商社マンだった。私が「商社ってなんですか?」と聞いたら何言ってるんだこいつ?って明らかに馬鹿にされたような顔をされた。私は三菱商事三井物産を知らなかった。三菱といえば車か銀行だった。三井遊園地だった。またある女の親はファンドマネージャーで、別の女の親は広告代理店、ある男は外資系企業渡り歩いているらしかった。全員都内実家があった。

私は、自分と彼らの家庭環境のあまり格差の違いを見せつけられる事になった。最大の違いは勉強する目的だった。何を勉強するとどのような仕事につくことができるのか、そのためにはどんな資格を取る必要があるのか、その仕事につけばどれぐらいの年収が得られて、どこでどんな生活ができるのか、それらを彼らは親や親族仕事から知っていたのだ。私はテストで点を取る以上の目的がなかった。テストで点数を取れればこれぐらいの高校大学に行ける、それ以上の意味がなかった。さっき書いたが親兄弟を含めて全員中卒か高卒なので勉強をすること仕事というのはほとんど無関係と言ってよかった。せいぜい工業高校で乙4を取れば、ガソリンスタンド仕事ができるぐらいの意味しかなかった。私は大学に入って、彼らと知り合うことで、大学によってその後の人生が大きく変わることを知ったのだ。

他にもある。勉強する環境だった。彼らは小学校から塾に通って勉強をして私立中高校の一貫校に行っていた。私は中学受験というものも知らなかった。そして中高一貫校では高校1年生などで高校カリキュラムを終え、その後の2年間で大学受験勉強をひたすらにするということも知らなかった。更に学校帰りには予備校に行き、夜遅くまで勉強をするのだという。私は興味があって、知り合った一人から予備校テキストを見せてもらった。そのテキストは私が受験勉強で解けなかった問題を非常にわかやす説明していた。こんなテキストは私の手に届く場所にあった本屋にもなかった。そのテキストを読んだときに私は涙をこぼしてしまった。彼は動揺していた。私は気づいてしまったのだ。

私は東京に生まれて彼らと同じ環境にいれば東大合格できた。

私にとって東大というのは雲の上で超天才がいく学校という印象だった。東大過去問を一度やってみたことがあるが、ほとんど解けなかった。それは私が頭が悪いからだとずっと思っていた。まあ、国公立大学に入れるぐらいなんだからそれでいいよね、というのが私の自分への評価だった。でも違ったのだ。私は勉強をするにはあまりに彼らと環境が違いすぎていた。勉強する友人にも小学校のうちからまれていた。誰も勉強ができることをバカにしたりはしない。親も勉強への投資を惜しまない。彼らが望まなくても英語勉強のために夏休みカナダ語学留学をさせて、ネイティブ発音などを身に着けさせていた。私は英語勉強が好きだったが、流暢な発音馬鹿にされるものであり、英語などは隠れて勉強していた。小さな声でMP3ダウンロードした英語スピーチを繰り返していた私とは違った。彼らは圧倒的重課金と、息をするだけで情報が入ってくる恵まれ環境により、私よりも進んでいただけだった。私が布の服と木の棒で戦っている間に彼らはトマホークミサイルを連発して、敵を木っ端微塵にしていたのだ。

私は自分人生を激しく呪うことになる。生まれ場所が違うだけで、家庭が違うだけでなぜここまでの差をつけられなければいけないのか。彼らは別に頭がいいわけじゃないが、環境だけで私よりもずっと高い学歴を獲得していた。それが悔しくて仕方なかった。私が入った大学別に悪い大学ではない。学歴としては十分に評価されるところだ。でも私は環境さえよければもっと上に行けたのだと。

私はショックだったが、私が住んでいたのは寮だったので部屋に一人で閉じこもって泣き崩れることもできない。私は一人でどんどん悪い考えに蝕まれていった。そして一つの結論に達する。私の住んでいた町は日本から捨てられた土地なのだと。

私が出会った家庭環境に恵まれた彼らは手に入れた学歴武器にこの後は一流企業就職したり官僚になったりするだろう。日本というのは東京大阪に住む一部の裕福な家庭から出てくる人たちで回せるのだと。私のようなど田舎に住んでいる人間そもそもいらないのだと。だから勉強する環境手段も与えられることはない。だから黙って地元で油にまみれて仕事をするか、子供をぽこぽこ産めと。

私が大学卒業した後の話だが、昨年文部科学大臣大学試験について「地方学生はそれなりに」といった発言をして相当問題になった。あれは政府本質なのだと思う。東京に住んでいる人間だけで日本は十分なのだ地方土地以上の価値はないのだ。今地方はどんどん衰退していっている。政府は口先では地方創生などと口走るが、実際はただただ衰退しているだけである高齢化が進む町にだって子供はいる。彼らを救う手段を国が与えたことがあっただろうか。

また、インターネットがあればどこにいたって勉強ができるという発言もよく聞く。あれは戯言だ。東京で使うインターネット地方で使うインターネットはまるで別物であるインターネットを使いこなすためにはまず存在をしらなくてはいけない。例えばPCプログラミングというもの存在を私の田舎認識することは極めて困難である。ただ、都会に住んでいれば、今となっては子供プログラミング教室などに通って小さいころからそういうもの存在を知ることができる。あるいはさっき書いた駅の中吊り広告だっていい。色んな情報が目に入るのだ。田舎では色んな情報存在を知る事もできない。そのような情報格差がある状態インターネットを使ったところで、格差が開く一方なのは容易に想像がつく。インターネットがあれば壁を超えられるというのは、何もわかっていない持っている立場人間発言に過ぎない。孫正義が優秀な子供奨学金を与えたりしているけど、田舎の子供は目立つ手段も知らなければ、そういう行動も取ることができない。結局ああいうので評価されるのは都会で恵まれた親からまれ子供だけである田舎の頭がいいだけで何も知らない子供はただだた埋もれていくだけだ。

話が脱線してしまったのでもとに戻す。

私は田舎を飛び出して東京まで来てしまった。田舎に私を受け入れる場所はどこにも残ってはいない。そして東京にも私が必要とされている場所はない。私のような田舎もの必要とする会社があるのだろうか。私は結婚をすることができるのだろうか。私は鬱々とした気持ちを抱えながらも、彼らに負けたくないと勉強に励むことに大学時代を費やした。奨学金も借りたしバイトもした。得たお金で高い専門書を買って、もとを取るように読みまくった。英語勉強も授業以上に独学でやった。ただ、海外に行ったのは一人でいった卒業旅行の一回だけで、そのときは非英語圏を選んだ。英語は今のところ仕事では役に立たないけど、日常生活での情報収集には役立っている。

とにかく必死だった。帰る場所必要とされる場所もないのであれば、自分で作るしかないのだと。そうがんばれたことが私にとって一番幸運だったということが今ならわかる。あのとき挫折して、引きこもりになっていたかもしれない。もしかしてテロリストのようになっていたかもしれない。あるいは当選の見込みがない政治家を目指そうとしてたかもしれない。そのどれにもならず、今私は社会人としてそれなりのお金を貰えるようになった。ただ、そのお金奨学金の返済を行っている。東京に生まれた人々は奨学金を返す必要もなく入ったお金自由に使って遊んでいるのだろう。私はまだ過去日本が課した呪縛から逃れられていない。

こんな意味のない文章を長々と書いてしまった。ここまで書いてしまったので誰かにまれたらいいと思うけど、おそらく増田の早いタイムラインの中で埋もれてしまう。私が日本が見捨てた小さな田舎で誰にも気づかれることもなく勉強をしていたときのように消えていく運命だと思う。でも書かずにはいられなかったし、誰かの目に止まって嘘松認定いいねの一つでもしてもらえたら、田舎でもがいていた中学生だった頃の私の自尊心が少しでも満たされるかもしれない。

追記1

めでたく嘘認定されたので、ちょっと補足しますね。今は業務休憩中。

高校には社長の息子とか医者ゴロゴロいたでしょって話について。

同級生にいたのは板金塗装屋の社長の子はいたよ。社長はそれぐらい。医者はいなかった。そういうお金持ちの子もっと都会の私立学校にいくのでは?うちは公立だったし。東京と違って地方公立の方がレベルが高いので。

同級生でいい家って言えば市役所の人。これは間違いない。あと警察官とか? 大手企業で働くお家とか? そういえば市議会議員の子もいたのを思い出した。つながり殆どなかったけど。

友達床屋さんの子どもとか、どっかの工場で働く人とかが多かったです。

でもみんなよく勉強してました。

同級生殆ど地元を出たはず。みんなどうしているんだろう。繋がりが切れてしまったので分からないので、あまりわかりませんが、facebook検索したときインターネット系の大手で働いている人はいました。

追記2

追記を書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20201027203138

anond:20201024104736

二次創作同人誌受注販売って聞いたらその人の作品いくら好きでももう付き合っていけないな。余らせたくないなら普通にアンケ取ってその6~7割刷るとか損出ないなら予想してた20部だけで買えない人いても終わりとか。BBA長編小説書きでそれはヲチ対象すぎる〜でも同人活動は楽しんだモン勝ちだし良いと思う☺️自分のとことは違う作品だろうし☺️

anond:20201023182949

ファンなら、何があっても推しを信じてやってくれ!どんな時も周囲に惑わされず、推しを推すのが真のファンだぜ、きっと。

anond:20201026002340

つらい、、、

娘の健康のこと考えたら市販品のほうがいいのはわかるんだけど、、、

anond:20201026001947

ゲスの勘ぐりするけど、自分より裁縫が得意な旦那さんが嫌だったんじゃないの?

可愛いマスクをつけてるのを見られるたびに、「裁縫上手ですね、教えてもらえませんか?」「そういうのどう作るんですか?」って周りの母親に何度も聞かれてうんざりしたとか

anond:20201025204940

挿入以外を楽しめってコメント(おそらく男)と前戯なんて面倒ってコメント(おそらく女)の両極端で興味深い

増田に求めてるもの

匿名じゃないと吐き出せない愚痴。こじらせ

あえて言う必要もないような、ちょっとした気づき、疑問

から

初めての同人誌でみんなに恵まれていっぱい売れたよ!さいこう!

みたいな話は正直、実名ブログに書きゃよくね?!って思っちゃう

あえて増田を選んだ理由は何?

冊数を知らせたくなかったからか?

そこを多少ぼかしても伝えたいところは伝わるからそれでいいじゃん

家族仲良し!可愛い子も産まれて、幸せです!このあいディズニーランドに行った話をします!

ってのが増田にあったら、たぶんまた、私はなんで?って思う

インスタでやれ

ブクマはついてて、反応はもらってるから、私は読みたかないけど、読みたい人はいるんだろうな

anond:20201026001947

えー…家でちょっと宅配受け取るとき用とかゴミ出しに行くとき用とか、ホントマスクつけなくてもいいけど一応みたいなときに使えばいいのに…冬また枯渇する可能性もあるんだし…

自分がもらってあげたかったぐらいだよ、増田元気出して

どハマり

年齢と共にアニメを追えなくなってヲタクやってるのかなにしてるのかわからない状態になってたけど。

先月の公開直前の頃、友人からヴァイオレット・エヴァーガーデン劇場版を強く薦められて、公開2日目くらいにレイトショーで鑑賞したらどハマりした。

歳とると涙脆くなってやーねという話もあるが。

作品世界観にハマってというのは久々。

本当なら薦めてきた友人とうまいものでも食い、店を何回も変えながら語りたくもなるが、コロナの影響で飲みに行くのも憚られるので休み前の夜にオンラインで話すのがせいぜいなのは辛い。

ひっさびさにそういう血が目覚めが故、仕事から離れられる時はそういうことをしたいけど。

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