写真、職歴、家族、出身校… 辺野古反対派市民の情報ズラリ - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20190128/k00/00m/040/015000c
記者会見って基本的に担当者が想定問答を用意してそれの通りに会見者が答えるのがセオリー。
想定には嘘は無いし本人の考えもあるものの、隠してることもたくさんあって、記者はいかにそれに無い質問をして本音を引き出すかが狙いになる。
要は記者だって質問内容に答えてほしくて言ってるわけじゃなく、会見という機会に他人に装飾され整えられた言葉以外が聞きたいわけ。視聴者も定型文じゃなく本人の言葉を求めてるから。
バカを演じて感情を引き出すただの手段。まあ本当にバカな可能性もあるが。
その質問で相手がどう感じるかということへの無配慮さを責めることには意味があるけど、その質問内容自体の是非をいくら議論してもあんまり意味が無い。
記者の思惑にはまらず感情的にならなかった会見者を褒めとけばいい。記者が感情的にしたかったのは会見者であって、視聴者が感情的になっても何もないよ。
そういうのがくだらなくて芸能ニュースが嫌いだし見ないし擁護する気もないけど、お互い目的としてないところでたくさんの人がボヤ騒ぎしてるの見ててマジで時間の無駄だなご苦労さまでしたって思ったって話。
一部で話題になってる、大阪ライブでのレポをみて踏ん切りがついた。断捨離みたいなものだ。
思えば、一年前くらいから辞めるタイミングを伺っていたのかもしれない。ただ黙って辞めるのもこの数年間の自分が可哀想なので文章にしてみる。人に読ませるというか、自分のために書く。
多分、私にとって最初で最後の推しだと思う。もともと、舞台に興味があった人種ではないから。私は、上京してテニミュを観劇する機会がなければ出会うことのない世界だった。ただ、舞台上に立っているだけであのキャラクターが生きている。観劇経験がない私にとっては衝撃的だった。自分が1番好きなキャラクターをこんなにも巧みに演じてくれる役者がいるのか、とその巡り合わせに感謝すらした。勝手に恩義を感じて、その後の仕事も追いかけ始めた。といっても、舞台だったら複数回入るだけ、イベントも1回参加できれば良しとしている側から見れば緩いオタクだった。けれど、少ない給料から家賃、生活費を出した残りからだけだが、彼にお金を使えるということが嬉しかった。何度も同じ演目を観ても、違う表情を見せてくれた。観劇って、好きな役者ががいるって、こんなにも楽しいものなのかと幸せだった。
日々、アプローチを変えるお芝居への探究が、舞台は生物を体現していていつまでも観ていたかった。
どこか煙に巻くようなカーテンコールの挨拶をしつつも、周囲の人々への感謝を忘れない姿勢がなんだか誇らしかった。
友人が、誰も名前を知らなくても堂々とこの役者が好きだと言えた。
でも、もう応援する気が失せてしまった。この人をみていたいという気持ちよりも、チケット当たったし、行かなきゃなという義務感が強くなってきた。
元々やりたがっていた音楽活動をやり始めたからなのか、刀のミュージカルでソロライブをやり始めたからなのか、彼のSNSの存在意義が分からなくなったからなのか、彼より年下の役者の発言の方がしっかりしているのがだんだん目につくようになったからなのか、どれがキッカケか分からないけれど、少しずつ蓄積されていったんだと思う。
しまいには、有名な人と共演する機会を得た舞台を観ても、自分のなかの蟠りのせいで余り楽しめなかった。
私みたいなのは彼の想定するお客ではなくなってしまったんだろう。悲しいが、彼にとっては数多くいるファンが1人消えるだけでなんでもないことだ。
2月のライブのチケットも譲渡に出した。3月の舞台のチケットも友人に譲った。
キッカケがどうであれ、初めて推しを降りるという経験をした訳なのだが、嘆き悲しむかと思いきや通常運行で日々を送っている。そもそも、ここまで3次元の人間に入れ込んでいたのが24年生きてきたなかでたった数年だ。こちらのほうが異常だった。でも、そうまでして応援したいと思わせるものを彼が持っていたのも事実だ。
SNSで彼に感じてしまった不平不満を発信したことはないが、多分壊死する呪いをかけられる側のファンであったことには違いない。
キッカケはそうだとしても、彼にそこまで価値を感じなくなっていた私にとっても、彼のファンを辞めたことはなんでもないことだった。
『作者の姿勢とコミュニティによるツールの神格化が不便さに追い討ちを掛けている』
神格化ではなく、「諦め」。
自分以外の他人に対する尊厳を傷つけないように考えあぐねいた結果が、自分勝手に不便さの文句を言いたい本能を飲み込んで諦めたという、成れの果てだと思う。
作成者にしても、誰しも必ず大なり小なり知名度を広めたり、それで金銭が稼げることを夢見ると思うが、それ以上に利権問題が面倒なので、夢を見る事を諦めてる人が作成側の陣営に揃って居るか。
または自分の能力で作れる物が限られて当たり前なのだから、そこの所の問題を放置したままでも、文句を言わなかったり、それなりに使ってくれる人が多い界隈に投げ込むのは、当然の流れだと思う。
MMDは「自分にとって使いにくいものでも、他人とっては使いやすいもの」の考え。
それを作成者側も使い手側も同様に保ってきたから、精神的苦痛を作成者が受けない分だけ、金銭を求めない配布が可能だった。
二次創作関係はモデルで商売が出来ない場合が多い。もし金銭を取らなければならない程の負担が発生するのなら、最初からモデルすら作らない。
そしてMMDは「自分はこの分野は得意だが、あの分野は苦手」という部分を、Blender周りの環境よりも、さらに細分化して分担しているようなもの。
一貫して満遍なく操作する能力が有る、又はそういったマルチ的な思考が得意な人はBlender。
得意不得意にバラつきがある人は、作業ごとに自分の得意な分野だけ参加、または点的な長所を発揮しやすいMMDを選ぶ。
という様に、自分の特性とツールの特性が合致する使い分けをしているだけに過ぎないと思う。
Blenderで出来る事の方が人として凄いのだから、そこまでBlenderを愛するが故にMMDに正面切って苦言を言う位なら、周りの評価などに構わず、Blender布教の為の人柱として献身的に活動するべき。
仕事となれば、極力工数を減らした環境で一括して行うスキルが否応なく求められるが、趣味だけでやってる人間は工数の指定などないのだから、自由にやっていい。
それを自分がこうしたいから、そのソフトはダメだという事を言う、自分本位の人間の主張は本当の「大衆」の利益でなく、自分以外の財産を楽して得たい人間の、単なる身勝手な我儘しか考えられてないのが主体だと自覚を持った方が良い。
自分以外の誰かが望むことは、人それぞれだと言うこと。
人の財産を楽して得たい人が居れば、楽はしたいけれど他人の財産を奪う様な形では活動したくない人も居る。
その場合、人を傷つけない事を優先している人の主張に軍配が上がる。
意図的に他人を蔑ろにして誰かを傷つけに走れば、必ずそれは自分にも帰ってくる。筆者が言う人も、それで自分に返って来ただけの事。
そうならない人は、他人にちょっかいかける不名誉な行動で、自分にも傷が返って来るなんて馬鹿な茶番をする時間よりも、自分がやりたいことだけに注視したいから、そっちに手間を割かないだけ。
神格化とは全くの別物。
仕事では決められた枠で納品しなければ社会的に認められないが、趣味は社会的な土俵に無く許されることだから、操作規格が不揃いだろうとも、使い手側が文句を言えることだろうか。
本来なら文句を言われる必要の無い人間が、他人から「自分の為に、又は自分と同じ考えの集団にとって利益にならない物だから、自分達の利益になる様にしろ」という謂れの無い身勝手なケンカを吹っかけられては、嫌悪感を露にすることが当然の事ではないだろうか。
自分以外の世界の人間や生き物は自分を楽させる為に、生を受けて生きてる訳ではない。
不便は他人に補わせるという考えの人から「物だせやオラァ、アァン?」と来られれば「ふざけんなオラァ!」と返り討ちに遭うのは当然。
迫られた側が言葉で拒絶するだけで、画面向こうから手が飛んでこないだけ有難いと思う。
ましてMMDは趣味から発生して、現在進行形で仕事に疲れ果て、趣味オンリーという憩いを求める人の受け皿として支持されているのだから、商用の概念を持ち込もうとして弾かれたなら、それだけ仕事に疲れている人が多かっただけ。
ブラックな世の中に疲れて来る人達の憩いの場に、ブラックよろしく使い手側の利益優先の考えを持ち込めば、人が血走った目で睨んでくるのは、想像に容易い事だと思う。
という様に、拙宅は筆者とは異なる方向でMMD側が反発する理由の想像が付く。
もし仕事以外の趣味100%でやってる人間の主張なら、それは身勝手100%の不満でしか無い。
仕事もコミでやりたい人はアレコレと不満を言う事になる前に「仕事も込みで出来る環境を求める自分にとっての最適環境はMMDじゃ無いな」と。諦めの心を持てば良かったと思う。
すれば不満に思う気持ちも、わざわざ抱かなくて済んだろうに。
諦める他に道が無いなんて暴論だ、と思うなら「望めばなんだって叶う」という思い込みがあるから。
望めば何でも叶うのは正論。ただし、それを成す為に時間を掛けるのは自身であって、他人じゃない。
言いたいこと終わりです。存分に殴って下さい。
増田、おまえかっこいいいよ。
『obj形式などで配布されたら、どれだけのソフトで利用できたことだろうか』
MMD側でも同じことを思っていると思う。
「これだけMMDが普及してきてるんだから、世の中の3Dデータの全部がなんでx形式やpmx形式で配布されて無いんだ…(加えて、全部が必ずMMDでも使えるような物じゃ無いんだ)」と。
しかし実際は、不完全にしか自分の作品にインポート出来なかったとしても、自分が使える範囲に使える状態まで持っていければ、御の字と思っている。
筆者の様に何でもかんでも「面倒な事は配布側でやってくれ」とは思っていないので、文句さえ言わなければ作成者側も気楽にポンポンとデータを放り投げてくれる。データを投げてくれるだけ有難いと思う。
欲しいと望む浅ましさは同じだが、それを口にせず、あくまで他人が気持ちよくデータを投げてくれるように「他人は他人」と弁えてる人間と、自分の欲求のままに他人に何かを求める「他人と自分の境を保ってない」考えの違いだと思う。
MMDで問題を起さずに黙々と活動する人達は、自分が使いやすいデータでなくても「作成者にとってはこれが作りやすい、又は配布しやすい形だったんだろうから仕方ないや」で文句を言わずに自分の出来る範囲で、使い物になるレベルへのインポート作業を熟す。技術的からも、権利的からも問題で出来なければ最初から諦める。いつかできる日が来ると夢見て、それが現実になる日が来れば「棚ぼた」だ。
もし筆者が言う様な事をMMDの作成者側に求めれば、たちまちMMDは気軽にデータを借りれる環境を保てなくなり、やがて素材の供給が停滞し、勢いは無くなって行く。
現にそういう人間の人口が増えるに連れ、MMD用のデータ配布側では配布制限が顕著になってきているのが目立ってきている。現行の作成者が物を作らなくなっても、どんどん新しい創作人口を増やせば問題無い、というのは人を人間でなく物として使い捨てにする考え。
新しく入って来た人口もそんな考えで使い潰されていけば、やがて真っ当に物を作る人口が空洞化し、MMDは他の界隈と同じように違法商売の温床になる。
そうなれば、漫画村やanitubeなどのサイトと同じく国規模で害悪認定されるだけ。
それを何となく感じ取っているから、MMDの界隈は「作成者のやりたいようであるべき、周囲から何かを求めない」という姿勢を崩さない様に、原作者とデータ化する作成者に多くを求める考えの人間が発生したり雪崩れ込んでくる危険性に警戒し、多目的なオープンさを求める外圧に対し嫌悪感を持って、独自性を死守するのだと思う。
「3DCG作品はMMDじゃないと見て貰えなくなった」と言うなら、それは元々MMDより機能的にも上に在った界隈で「Blenderで作っている」「MAYAで作っている」「C4Dで作っている」という主張が停滞しているのが要因だろう。
以下長くなるので、謝っておきます。拙宅の言及も独り善がりで、各方面から非難が上がる事を覚悟で上げます。
要因の原因はMMDではなく、MAYAなどを使う様な商用系の人間は3DCGの商用仕事で手一杯で、趣味の自由な作品を作る時間が少ない窮状なのだから、自然と個人出品できる作品数が限られ、人の目に付かず認識は普及しない。
再生数が欲しいのなら、その時に人気のジャンルで上げるのは、自分の能力の無さを補える比較的に楽な手法というだけ。
それじゃなきゃ売れないと考える方がおかしい。
「え、これMMDじゃないの!?〇〇すげぇ」と思わせるだけの作品を作るという選択肢がある。それじゃなきゃ見て貰えない、というのは自分がBlender等でそれだけの作品が作れないと自己宣言してるのだから、もっと恥ずかしがって良いと思う。
そんな状況下で「アレの所為だ!」と。「自分は悪くない他所の環境の所為だ」と言っても、頭が可哀想としか思われない。
それが自分にとって扱いづらい分野であるなら、諦めて自分の土俵で作った物を力作だと自慢して出せばいい。
他所の環境から人口や作物を取って来るのでなく、周りの人間が自然と既存の環境に集まる様にして、自分が居る場所のルールと人口で長く続けて行けばいい。
MMDが出始めの頃も、3Dモデルによる動画は「AEやMAYAとかプロ御用達のソフトで作られたものなんだろ」と受け取る人が多かった。拙宅も、友人でさえもニコニコ動画にMMD動画が上がり始めた当初は「どうせMAYAとか、プロが普段仕事で使ってる個人で持てないような最低ウン百万する環境が使われてるんだろ…」としか思っていなかった。
たとえMMDの文字が付いて居ても、単語の意味を知らなかったから、認識出来ていなかったからだ。
そこからMMDは、ニコニコ動画の持つタグ機能とタグ解説による投稿動画の識別の容易さ、動画画面へのコメント埋め込みなどの特性から、視聴者と投稿者の両側からのMikuMikuDanceタグ付け作業等による普及の努力が息長く続き、MMDというジャンルの認識と確立性を積み上げたのだと思う。
拙宅も筆者もMMDはそれでやってこれたのを現実に目の前にしてる筈。
筆者が言う主張ほど強く求める意志が有るなら、やれないことはないのだろう。
そこまで強く思うなら、自身がやってやろうと立ち上がれるほどの有志をお持ちの事と思う。
MMDが人気で、そのせいで「今は」何でもかんでもMMDの作品だと思われるのは、MMDが悪い。
筆者のような主張の人は大仰に「大衆の為の善悪」として記事を書きたくなるようですが。
結局の所「自分の能力では儘ならない不満を、手近な物で八つ当たりしてるだけ」の話でしか無いのが、ひしひしと伝わってくる。
「MMDだと無料であれだけの物を作っているのだから、仕事でもこれだけの低予算で」と押し付けられる場合があるなら、そういう相手先の人間性が問題である。それを相手先に言えない時、八つ当たり先が無いからMMDが憎く思えるだけ。
そういうアホな相手先にはちゃんと「あれは仕事抜きで自分がやりたいことだけを他人からのダメ出し無し、無制限の時間で出来る趣味の環境だから可能な事であって、もしあのレベルを求めるのであれば、生活を圧迫しても納期を確保するだけの特急料金、仕様注文による期間中の精神的苦痛に対する報酬に加えて、作業することに対する技術料としての基礎報酬が必要です」と提示できない自身の問題。
自分が窮地に立たされた時に、他人の憩いの場を身勝手に壊して逃げ道にして良い理由にはならない。
私的著作物で好き勝手されてるなら、その件については言えるが、問題外の事で文句を言えることは何もない。
MMDをプッシュする人口からのコメントで傷ついている点も、MMDだけしか知らないでコメントする人口はあくまで有象無象の視聴者側であって、MMDの制作者側が文句を言われる事ではない。
MMD側では作成者側が視聴者に呼びかける運動は起こっていて、馬鹿な輩の居所が分かろうものなら悲惨なレベルで吊し上げられている。
リッピングなど「ぶっこ抜き」されたデータ、素材利用違反のデータが配布に流入していると分かれば、運営や開発側が動く前に「草の根すら残すな焼き払え」という勢いで使い手側が対処する。地道な啓蒙運動の果てに視聴者側が自主的に取りこぼしの目になってくれる事も有る。
更にMMDにやってきて場違いなオープンを謳う人口の、流用改造の作成者もどきが問題を起せば排除され、彼らは肩身が狭い思いをする事になる。
VRChat等は視聴者と言う利用者のみならず、データを放出している配布側すら人口が多いからと無断転載が横行し流入の歯止めが効いておらず、時にツールや環境開発をする人間すら、それらの問題を解決出来て居ない現状を鑑みず「MMDの蓄積をオープンに解放しろ」と望む。
VRChatが海外含む人口が多いからという理由で制御できない事が許されオープンを求めて居るなら、制御できない程の人口を安易に招き入れた事に起因している問題であって、MMDがオープンを受け入れる理由に成り得ない。
まず「〇〇の所為だ」と言い切る程の不満は、他所から流れて来たと思う視聴者に文句を言う前に、自身の内部を取り締まり身綺麗にしてから、言い始めれば良いと思う。それなら、納得する人も出てくるだろう。
MMDは100%身綺麗でも無いが、開発側と人目に目立つ作成者が共に自身の影響を理解して他所のプラットに文句を言わずに黙々とやっているので、外野も文句を言いたくはならない。
視聴者コメントが付いたというなら、視聴者が悪い。作成者が悪い訳では無いだろう。
2019/1/28追記の記事も読んでさえ、人口比率の多い視聴者側に文句を言えば人が離れていくのを直感的に忌避して、自分の我が身可愛さにMMDの作成側に責任転嫁したくなっているだけとしか思えないな。筆者の論点を見る限り。
私は女性の裸を見ると少なからず性的興奮を覚えるエロマジンガーZだ。
小学生の臨海学校で同じクラスメイトと風呂にinしなくちゃいけない時、エロい目で彼女達の身体を見ていることに気がついた。
スレンダーの女性からぽっちゃり系の女性まですべての女性の身体は素晴らしく――私は楽園に迷い込んだ子羊かと思えた。実際は鼻水垂らしているクソガキレズビアンだが。
だが、同時に罪悪感も覚えた。
1日の疲れを癒すために入っているのに、性的な目で見られていると知ったら、気が休まらないだろうと思った。
自分だって、裸という無防備な姿でいる自分を、よく知らない人や子供に性的な目で見られたら、怖いというか気持ち悪いというか、ハラワタ持ってかれるのでは…と警戒してお風呂を楽しめない。
26歳になった今もあの日の誓いは守っている。
しかし、健康診断等で着替えなくてはいけない時の更衣室!!!!!!!!!