はてなキーワード: 心理テストとは
心理テストです。
セックス。
この言葉を聞いて、あなたは今、直感的に何を思い浮かべましたか?
数秒間、目を閉じて考えてみてください。
答えです。
挿入場面や性癖全開のプレーを思い浮かべた人は、セックスをスポーツライクに捉えています。性欲に任せて行動する可能性があり、浮気の危険性が高いでしょう。
推しを思い浮かべてイチャコラする場面を思い浮かべた人は、セックスを愛そのものと捉えています。精神的なつながりを求めているため、浮気の危険性が低いでしょう。
セックスは性別だと捉えた人や、貞操を守っているためわからないと考えた人は発達障害の可能性があります。最寄りの精神科へ受診してください。
ブ男だけど、弱者男性かと言われると年収は800万超えなので違うと思う。41歳だけど。
中学生、高校生ぐらいの時は、俺は自分が度を超えた面食いだなんて思ってなくて、
広末最高だな、とか奥菜恵マジ美人過ぎるとか、加藤あい可愛すぎる、とか思っていたが
周りと同じぐらいの「好き」だと思っていた。
で、ちょっと「あれ?俺って人よりずっと可愛い女の子が好きなのかな?」と思ったのが大学生になった時。
松浦あやや可愛すぎて死ぬとか、ゴマキやばすぎるまじヤバいとか言っていたんだが、
俺ぐらいの熱量を持って、可愛い女の子を追っかけている男はまわりにはいなかった。
大学時代は彼女は二人できて、それなりに可愛い子だったとは思うが、
心の底では「もっとかわいい子と付き合いたい」とずっと満たされない気持ちでいた。
自分はブサイクの癖に。ブサイクがちょっとかわいい子と付き合えているだけで土下座して感謝しなきゃいけないのに。
たくさん出てくる可愛いアイドル達に夢中になる期間を過ごした。
AKBが出てきてからは、その手に届きそうな感じにより勘違いした。
そして、そのノリのままこの歳まで来てしまって、
心ではまわりのどの女性を見ても「あまり可愛くないから結婚しても一生一緒はつらそう」とか思ってしまう。
俺はブ男な癖に。
かわいい女性が俺を選ばないことにずっと満たされない気持ちでい続けているが、
俺が見た目でパートナーを選ぶなら、当然女性も見た目でパートナーを選ぶ権利はある。
だからブ男の俺は選ばれない。仕方がない。
「結婚するなら見た目じゃなくて性格とか相性だよ!」とか「美人は3日で飽きるよ」とかの助言は死ぬほど聞いた。
でも、自分でも残念なことに俺は、美人に3日で飽きない。ずっと見てられる。
ちなみに占いとか心理テストとかで、必ず「恋愛に求めるもの」の項目は「100%ルックス。性格とかどうでも良い」という結果が出て
できれば結婚して子供がほしいので、自分のルックス100%主義を変えたいのだが、
どうですか?
【追記05/08/14:21】
リンク貼らないけど
トラバの「女が美人の時だけを見れるように普通の結婚するな、まじで。」と
「ハードルの数」の話をしてくれた人が特に自分にとって新しい視点で参考になったぜ。
ブコメだと「本気で美人と結婚したいなら、自虐をやめたほうがいいよ。美人はうんざりしてるから」の
コメントがマジで目からウロコだったな。今から自虐を金輪際をやめるぜ。
他のコメントも全部参考になったけどな。
あと、こういうこと書くとみんなイラつくだろうけど、
みんなが引っ掛かってくれるように、
自分のスペックは絶妙なところを突いたつもりの盛り方をしたぜ。
パーソナルトレーニングに通い、歯はホワイトニングしてるし、かなり服装にも清潔感にも気を使ってるぜ。
彼女も社会人になってから何人かいたぜ。「もっと可愛い子だったらいいのにな。」と思いながらな。
こういうこと書くとよりヤバいやつな感じがするだろ?
自分でも今そう思ったから、やっぱカウンセリングを検討するぜ。
みんなありがとうな。
この間メンタルクリニックで受けた、心理テストみたいなやつの結果がいくつか返ってきた。どれもネットに転がっているセルフチェックの類とそのままの質問で、医療がオカルトに見えてきた。
CES-D検査は43点。ちょっとマシになったから検索窓に病院の名前入力できてWeb予約の文字見てメーラー開く気力が湧いて久しぶりに電車乗ってたどり着いたのに、「当院に来院される抑うつ状態の患者さんの平均値です」とか言われてしまった。おいおい、それじゃあ今回の 大落ち込み事変〜2021 冬〜 どころか、理由もわからずただただ死にたいしか考えられなかった数年前の高校時代はどうなるんだよ。5億点か? 確かに苦しみメーターはカンストしていたように思える。だから一周回って楽だったのか。大多数の人間は、理由が思い当たらないのに落ち込むことってないらしい。とにかく、私が家事ができて、一人カラオケにも行ける精神状態は "抑うつ" 状態らしい。そんなこと言ったら、反出生主義的価値観を持っている人間からしたら、どんな快だって快ではない何かの中に存在するじゃんか。生が苦しみなんだからよって。キリがない。次。
バウムテストの結果は、「疲れてるしストレス溜まってるし落ち込んでるよね、君」だった。なんだ、絵だけでわかるわけないだろ。精神科来てる時点で大体の人間そうなんだよ。
最後にADHDの診断に関わる検査(DSM-5、ハロウェルとレイティによるテスト)。当てはまらない人間がいるのかと思いながらチェックを付けていったが、言葉にされると難しいかもしれない。例えば、「集中しているつもりなのに気付いたら違うことを考えているので、後に内容を忘れたと感じた際、話を聞いていなかったことに気がつく」場合、それを「集中できない」、「話を聞けない」状態と認識していない可能性ってないか? 私には身に覚えがある。そしてつい最近まで、それが抗えないものであるかもしれないなんて思ってもいなかった。いや、思っていたかもしれない。正確に言おう。覚えていない。私の感覚では、私は脳内で過去改変を繰り返して生きている。大体の記憶が嘘かもしれない。ある出来事が、昨日だったか一昨日だったかも覚えていない。そんなんだから、目の前に並ぶ質問項目に該当するのかどうかはわからないと思いきや、しっかり当てはまっていた。
インターネットの人がよく言っているWAIS-Ⅳについて、「診断とか治療内容とか変わったりしますか、金欠なので受けずに済むならそれでお願いしたいんですが」と伝えてみたら、「判断が難しい所謂グレーゾーンの人が希望して受けるだけで、あなたはこの時点でだいぶ傾向が見えてますので」と返ってきた。なんともまあ、あっさりと認定された。そんなもんなのか。
しかし今までの、つらいを引き伸ばしたような毎日が、どうにかしたいならどうにかしたほうが良いもので、そのための薬が貰えるというのを知れたのは嬉しい。息をするのは基本しんどいのが人間、世の常だと思っていたから。だって皆、BOOKOFFのこころがしんどいの画像で会話するし、呑んだときは生と死の話が一番盛り上がるんだもん。もうあの人と、つらいねって笑いながら、知らん夜の公園で濃いめのハイボールを開けられないかもしれない。
普段、文章を書きも読みもしない人間が、備忘録がてら書こうと思ったこと。その昔、10年ほど前のことを思い出したという話。
解離性健忘、解離性遁走、離人症、…多分一番取り上げられるのは、解離性同一性障害(DID)についてだろう。
今回は、そのどれでもなく、あまり語られないその他の解離性障害について、当時の経験を書こうと思う。
かなりの主観で書いているので、親サイドで見るととんでもない傲慢で独りよがりな子供の話であることだけは、免罪符として先に言っておこう。
少し自身のことを掻い摘んで記しておく。一つずつ語るとまぁ長いので、ざっくりと箇条書きで。
・少し裕福な家庭で育った
・きょうだいの一番上
なお、家族の名誉の為に表記しておくが、「家族から愛情を持って育てられていた」のは間違いなかろう。
家庭環境については、外から見れば良くも悪くも普通の家庭だった。自分にとっては、休まることのない家だったというだけである。
ここについては語るとキリがないので割愛。
中学、高校と相次いで不登校になり、高校で出席が足りずに退学した。
学校に馴染めなかったのが理由だと思っていた当時だったが、家庭環境が合わなかった、性自認やそれ関連のトラウマという理由も含んだものであることを、年が経つと共に察することになる。
朝起きられない、一日中寝ていて起きたら次の日の朝だったという日もあれば、朝まで眠れない日もあり、食事を受け付けないかと思えば、いくら食べてもお腹が満たされないこともしばしば、身体がひたすらだるい…と不健康極まりない毎日を過ごしていた。
出席が足りずに退学したとはいったものの、部活だけは好きだったので、時折顔を出していた。全然学校にも来てない、部活にも不定期にしか来ないのに受け入れてくれた。
あの時、不満を言わないでいてくれたばかりか、こちらの安否を心配してくれていた顧問の先生と友人には本当に感謝している。
同級生が引退する時期に、一緒に"引退"し、その年の冬に高校を辞めた。
この時期、何度か心療内科とカウンセリングに通っていた。親がドクターやカウンセラーと話をし、その後自分ひとりで話をする……はずだったのだが、毎回何を言って、何を伝えたらいいのか分からず、そのまま診察の時間は終わった。
心療内科のドクターからは「なんでもいいんですけど、自律神経失調症で診断書出しときますね」とダルそうに告げられ、カウンセラーからは「あなたが悪いわね」と言われたのは、よく覚えている。
当時、既に無気力ではあったといえ、大学進学という目標があった。高校の部活の顧問の先生がとても良い先生だったので、教師になりたいと思った。
教育学部に進学したいという、高校を辞めた身としてはなんともな目標ではあった。
高卒の資格がないと大学には進学できない。在学中に通信制や夜間への転入も考えたが、同級生と一緒に大学進学を果たしたかったので、高卒認定を受けることに決めたのが、18歳の夏。
その年の秋に高卒認定を取得し、センター試験を受け、二次試験に合格する……といった算段だったのだが、志望校はセンター試験できわどいライン。
二次試験はかなり難しい学科なのでほぼ無理ゲー。諦めて浪人することになった。
予備校に通うことになった。有名予備校でなく、個人事業主がやっているところ。何でそこを選んだかは覚えていないが、教える内容は"勉強"というより"思考"そのものだった。事務所には漫画が置いてあって、マスターキートンをハマって読んでいた。何故か13巻だけ無かった。
予備校には色々な人がいた。いわゆる陽キャな子、5浪ほどしている人、社会人から出戻りして大学進学を志望する人、モデルをやるといって辞めていった子、いつの間にか来なくなって近場のパチ屋で見かけたと噂が立っていた子。
人付き合いが苦手な自分は、ここでも浮いた。孤立も慣れたもんだと思いながら入校してひと月ほど経った頃に、それは起きた。
中学生の頃からの身体の不調も相まって、朝起きられないというのが常態化していた。
朝起きても、身体がだるくて昼過ぎまで布団に入って寝ている。夜は眠れないし、一度寝たら起きられないというのが中学や高校の頃の不登校事情だった。だが、その日は違った。
意識ははっきりしている。右手で携帯を探す。ここまでは良い。左足が動かない。痛い。神経が締め付けられているような痛み。じわじわと熱くなるような感覚が、上半身に上がってくる。
痛みと眠気でぼーっとする中、徐々に左腕が痺れる感覚に陥る。左半身が動かない。
起きないと、いつものように親に怒られる。そう思いながらも身体が動かない。案の定、怒られた。辛うじて、身体が動かないことを伝える。
呆れた顔をされたが、微妙な理解を得られたのは覚えている。この症状は、土日の間続いて、徐々に消えていった。
それから一週間ほど後、今度は予備校で自習をしていたところに同様の症状が出た。流石にヤバいと察されたのか、親が迎えに来て、大きい病院の緊急外来に直行した。
身体症状が出ていたので、最初に外科の検査、その後脳の検査(案の定だがここが一番検査に時間がかかった)、最終的に精神科となった。
どこの診療科に行ってもハンマーみたいなものでコンッとされて、「痺れてるのに動くやん…」となったのは覚えている。あのハンマー、なんかの授業の時に見たなぁとぼんやり。
入院して数日くらいで左半身の痛みや痺れは緩和され、日常生活に支障がないくらいに落ち着いた。
退院して帰ってもいいと言われたが、家に帰りたくないとわがままを言って、後一泊だけさせてもらった。後日、親にお金のことを口酸っぱく言われた。
入院中に、精神科の先生から小さいころの話を尋ねられた。心療内科やカウンセリングで言われた時と違って、妙に詳しく話せたことは覚えている。
それをふまえて、「一度別の病院で心理テストを受けてみませんか」と打診された。この時点で詳しい人は分かるだろうが、これは解離性障害のテストじゃない。
精神科の先生曰く、「まだ脳の病気の可能性があるので、身体症状については断言できない」ということで、とりあえず心理テストを受けに行くことになる。
ここで診察をしてもらった精神科の先生が、その後7,8年の間お世話になる人である。
心理テストを受けに行くまでに数ヶ月も間が空いた。単に初診の予約の問題だ。それほど、受診する人が多いということである。大変な職業だ。
この数ヶ月の間にも、再度MRIを受けに行ったり、なんかよく分からん検査を別の病院に受けに行ったり(これは本当に何だったのか思い出せない)したものの、結局何も異常がなかった。
結局何も異常なかったじゃんと言わんばかりに、この頃から親からの風当たりが更に強くなった気がする。
心理テストは小学校の時にやったものの延長といった感じで、楽しかった。
空間認識か図形かなんかのテストで高い数値を出したらしく、先生に「学会で発表していいですか!」と興奮気味に言われた。
結論を言うと、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)だったのだが、なんか褒められたのが嬉しくて、グラフがギザギザな診断結果の紙はお守り代わりに取っている。(追記:嘘。今確認したら所在が分からなくなっていた)
色々と話が逸れた。
・うつ病
脳の検査や心理テストやカウンセリングやら色々やって、こういう診断となった。身体が動かなくなってからこの間、半年ほど。
発達障害については「ほーん」という感じで深く考えていなかった。人間関係だけでなく勉強の面でも思い当たる節があったので、どこか腑に落ちたのだろう。
解離性障害についても、この頃には既に左半身の症状も落ち着いていた。うつについては、中学生の頃からだろうという見解だった。
とりあえず受験が第一だったので、何か困ったことがあればまた来てくださいね~という感じで通院終了。
無理が祟ってうつが悪化し、更にストレスで声が出なくなり(これも解離だったそうで)、それによって教員への道も就活も諦めたり、再度病院のお世話になったりしたのはまた別の話。
教育実習を控えた直前のことだったので、担当の教授にめちゃくちゃ頭を下げに行ったらすごく慰められたのはある意味救いだった。
余談だが、身体が動かなくなったということで運転免許を取る時に適性検査がすごく面倒だった。大事なことなんだけどね。
いかんせんマイナーな例なので、免許センターの警察の人にも「?」という顔をされたし説明も難しい。これについては、今も忘れた頃に診断書提出に関しての連絡が来る。
解離性障害には、解離性健忘、解離性遁走、離人症、解離性同一性障害などあるが、一度解離の症状が出ると他の解離の症状も出やすくなるそうだ。
高校生の頃に友人に「たまに別人みたいになるよね」と言われたのも、予兆というか症状だったのかもしれない。
よく多重人格だとか言われる解離性同一性障害についても、自覚しているくらいにはある。ここでは「自覚症状がある」という程度でしか判断が出来ないので割愛する。
診察の直前まで「今日こそ言う」「今日こそ文章で書いて渡す」という意識はあるのだが、いざ診察室に入ると封印されるかの如く、忘れてしまう。そんな感じだった。
遁走・健忘については、覚えているだけで一度だけ「来るまでの記憶がない」といったことがあった。
過去の期間において記憶がすっぽり抜けているというのはちょいちょいとあるようだ。(10年前の脳の検査の話も最近思い出したところ)
過去についてはトラウマは鮮明かつ歪んで覚えているのに、全体としてみると「あの時しんどかったなぁ」とぼんやりしてしまうものだろうか。そこら辺は、ごくごくありふれたことなのだろうなぁ。
うつも寛解して数年。解離については麻痺したり、声が出なくなったりなどといったものはあれから出ていない。あれからどうやってこう生き延びているのか、不思議ではある。
ここまで書くのに余計な事をいちいち思い出さないで済むようになったという点では、丸くなったものだ。
また覚えていたら、今度は死生観について書こうと思う所存。
では、これにて。
どうせ学生だろ、甘えだよ、と思われても仕方がない話だ。
だが実際心の片隅では学生で居続けるよりも速く社会人になりたい気持ちが勝っている。
大学3年の頃から睡眠障害があったがその頃はたまに通院しては半年後にふらりとまた病院に行く、程度だった。
大学院進学で別の大学に進学したいと兼ねてから思ってたので院試に向けて勉強、無事合格、そして進学した。
研究実績もほとんどないような大学からハングリー精神あふれる大学院へと進学した。
身の程知らずだった。知識もやる気も不十分だったのだ。
気がつけば目標到達点の1合目程度で止まっていた。進め方、発展のさせ方がわからなかった。
教授陣はあなたの好きなように決めて、あとはあなたが考えるべきだ、とミーティングの毎回最後に行った。
当然だ、このテーマは周りにやっている人がいない。新規開拓で皆がわからないんだ。
それも間違いだった。先輩のテーマを引き継ぐべきだった、と今になって思う。
やがて布団から出られず、眠れず、起き上がれない状態で朝日を迎える状態が多くなった。
薬に頼るべきだ、という話になった。
それだけではなく、臨床心理士の方からは学習障害があるのでは、という流れになった。
鬱と不安症、気がついたら膨大な心理テストを受けることになり、ADHDであることが分かった。
心理テストに分かったのはそれだけではない。
非言語処理能力(行列推理など)のIQが極端に低かった。平均未満。
理系で非言語処理能力のIQが一般人未満の中、修士まで進学してしまったという大事故。
通っていたカウンセリングも日程を2回連続で忘れてすっぽかして気まずくなってから行っていない。
修士論文の締め切りまでもう両手分も残されていない。
進捗はどうか?
先生、コロナを言い訳に在宅をさせてもらっていますが年明けから布団から出られません。
ここ2年間、好きだった自炊も家事も全くできなくなりました。たまるゴミ袋。50m先までゴミ出しに行くのも面倒なりました。
進捗はどうか?
先生、昨日は布団の中でアニメ版エヴァの最終話だけを見ましたよ。今になってようやく意味がわかりました。
自分の殻に閉じこもって自分が嫌いで周りに嫌われていると思っている現状がシンジとまったく一緒です。
10歳も若いシンジがこんな気持ちになってるなんて周りの大人は何やってんだ。
八年くらい前の話。最近無くなった、テレビCMもやっていた求人サイトで夜のお仕事の求人を検索して、キャバクラの面接を受けに行った。
スタート時給5000円。オープニングスタッフ。私の住んでいる地域からは離れた場所にあるけれど、寮完備、一ヶ月は寮費無料。お金に困っている人は相談してください、相談に乗ります、と記載あり、他の求人にはこんなこと書いてないのにと小さな違和感は感じたが、webから応募したら、翌日には担当者から電話連絡があった。かなり気さくな人で、夜の仕事の経験あります?どこで?そこなら客層悪い地域なんで大丈夫です!ここの地域の方が客層いいんで楽勝ですよ!と言われ、面接を受けに行った。系列店が働く予定の場所と私が住んでいるところの中間くらいにあり、そこで面接することになった。
面接交通費支給と書いてあった。電車で一時間半はそれなりに遠かった。駅に着いたら連絡くださいと言われたので、連絡したら面接官の人が迎えに来てくれた。太ってはいないが肉付きのいい、パッチリ二重の人だった。貫禄ある。喋り方や立ち居振る舞いがすごく丁寧だった。世間話をしながら歩いて、まあまあ立派なオフィスに入った。店で面接しないのか?と思った。※面接官は最初に電話した気さくな人とは別の人です。
住民票の写しと免許証を渡した。一枚のプリントを渡された。質問がいくつか書いてあった。内容はあんまり覚えてないけど、心理テストみたいなものと、お金恋人仕事家族を大事な順に並べてくださいみたいな質問が印象に残った。一番はお金にしたんだよね。
貫禄のある人の名刺を貰って、普通の面接っぽく志望動機や今までの夜の仕事の職歴などを聞かれた。履歴書は不要だった。アットホームな夜の仕事しか経験がなく、ノルマに必死にならなくて良かったことについてやたら言われた。よかったね。うちの店とは違うよみたいに。
うちの店は基本待機時間がなくて、オーラスでお客さんに付きっぱなしになる、忙しいよですよ!と言われた。ガラケーに電話がかかってきて瞬時に面接官は電話に出た。今面接中でー、うんうん、まだ分からないと言っていた。
お店の説明が続いて、ここさ、キャバクラにしてはスタート時給いいと思わなかった?五千円だよ?と聞かれたので、そうですね、と答えた。どうしてだと思う?分かりません。服の上からお客さんがおっぱい触ってもいいお店なんだよ、店の女の子はみんなノーブラで働かないとダメなんです、と言われて絶句した。こんな真面目そうな顔でおっぱいとか言うんだ。て言うか、求人に書いてあったことと違う!と思い更に絶句。すると、おっぱい出しちゃうと警察来ちゃうからさ、だから服の上から、とその人は言った。それは、セクキャバとして申請してないキャバクラに見せかけたセクキャバでは?と思ったが、何も言わなかった。
何かお金を貯めたい理由がありますか?と聞かれたので、目標額と貯めたい理由を言った。それなら二ヶ月あれば大丈夫!!と何故か元気に言われた。いやー、でもその金額は昼のお仕事では難しいね。君は夜の仕事するにはラストチャンスじゃないかな?年齢的に。前の職場はノルマ無かったらしいけど、経験あるだけ大丈夫。需要あるよと言われた気がする。頭がよく回らなかった。スライド式で時給が決まるので、最初の一ヶ月で指名が取れなかったりすると、二ヶ月目の時給が3000円になるらしい。やる気出なさそう過ぎる!
寮が空いてるか聞いてみますと言って勝手に電話をかけ始めた。電話が終わって、一部屋空いてるそうです!どうしますか?今なら一人で住めますよ!普通のキャバクラだと思って面接にきて働く人もいますよ!と言われた。
その場で断ると怖い人が出てきそうだなと思って、少し考えて連絡しますと言った。少しとはどれくらいですか?(面接したのが木曜だった気がする)じゃあ月曜日で。もし断ろうと思ってるなら、今言ってくれて大丈夫ですよと言われたので、働くのはやめにします…と断った。理由聞かせてもらってもいいですか?そんなの、完全に詐欺だからと答えたかったけど、普通のキャバクラで働きたいと思ったので。と答えた。
分かりました。でも気が変わったらいつでも連絡くださいね、渡した名刺に連絡先書いてます、待ってますよと言われた。交通費は片道だけくれた。駅まで送ってもらって帰った。
帰りの電車の中で、一部始終を友達にLINEで話した。その友達はセクキャバで働いたことがあったから、どう思う?と聞いたら、キスするか聞いた?と言われて、へえええ?!!と思った。おっぱいで頭がいっぱいになって何も考えてなかった。多分キスはさせられる、服の中に手を入れてくるやつもいる、下も触ってくる奴絶対いるよ!!と言われた。
断って良かった。お金に目がくらんで、一瞬考えたよね。友達に、どうしてセクキャバで働いたの?と聞くと、普通のキャバクラでも無理矢理触ってくるやついるし断るの面倒だし、それならお金多く貰った方がいいじゃん!と言う答えだった。
電車の中で更に冷静になり、寮が一部屋だけ空いてますは多分嘘だなと思った。オープニングスタッフで人足りてないんだろう、どうしてピンク求人に載せないの…。求人サイトに直接、嘘の求人載ってますよと連絡してやろうかと思ったけど、100%私の仕業だとバレそうだからやめにした。これからも、普通のキャバクラだと思って面接を受けに行く女の子いるんだろうな、そんなことを考えながら家に帰った。
翌週、昼の仕事の面接を受けて、それからは昼の仕事しかしていない。お金が欲しかった目的(滞納していた国民年金の返済)も終わって、お店がどう稼働しているか気になって検索した。お店に行った人のレビュー日記があり、キスしまくれる、耳舐めてもらえるー!と書いてあった。断って良かった、そう思って名刺を破って捨てた。それ以来検索はしていない。お店の名前を忘れてしまった。
コロナ禍で今お店は繁盛していますか?絶対に行くことはありませんが。
もう書くことないしここみることもないです
仕事をやめてから寮も出て友達と2人、都内の端っこの方でルームシェアを始めた。これは小学校の同級生で、今も一緒に暮らしてる。
彼女は大卒で、就職を機に上京するというので私から話を持ちかけた。家電代浮くし、部屋探しやライフライン周りの手続き全部やるし、ってことで。
ぼんやりニートをして、中々バイトが決まらなくてめっちゃ苦労した記憶がある。給料はそんな良くないけど暮らしていければいいなー、っていうのでクリーニング屋さんでバイトを始めた。
めっちゃみんな優しくてびっくりした。おばちゃん3人と、年の近いお姉さんが1人。駅前にあるクリーニング屋なので今でもたまにあったりする。
その中にめちゃお上品な人が居て、何かと本当に気にかけてくれる。お菓子持ってきたよ~!とか、これお土産!お友達と食べて!とか。未だに道端で会うと「マックごちそうさせて!笑」とか言ってくれる。
常連のクレーマーとかいうよく分からん人に当たって苦労もあったけど凄く良い環境だった。労働時間も5時間ぐらいで短い代わりにたくさん出勤させてくれて稼がせてくれた。
多分おばちゃんたちからすると「有給使って休めるラッキー」くらいだったのかも。就活とかも大丈夫?とか、旦那の会社紹介しようか?って本当優しい人たちばかりに恵まれたいい環境だったなあ。
お盆休みも2週間くらいあった。初めて夏休みが出来た……って思ったくらい。大体半年ちょっと、クリーニング屋で働いてる間にそろそろ就活しよう!と思った。
バイト始めてからは仕事を覚えるので手一杯で、就活するような余裕が無かった。なので、落ち着いてきた秋ぐらい。生活の安定しないフリーターだと友達も不安だろうし、と思ってたまたま母親の紹介してくれた就職エージェント的な人に会った。
ふとフォロワーが「縁切り行けば?」と言ってくれたのを思い出してその日のうちに縁切りに行った。
行った縁切りは於岩稲荷陽運寺。お岩さんの階段で有名なとこ?らしい。縁切りと縁結び、両方あるってネットで見てこれは今の私に最適じゃ~んと思った。
そこで今までの悪縁全部切って、今月中に就職したいです!あと櫻井孝宏みたいな(声の)彼氏欲しいです!!ってお願いした。(櫻井孝宏の声に人生狂わされたオタクなので)
その効果があったのか分からないけど、縁切りに行った3日後に内定が出た。それが去年の10月末のことで、友達も自分のことみたいに喜んでくれた。
今までしたことなかったけど、決まった次の日が土曜日だったのでピザとか頼んじゃって、お酒冷やして、ハロプロのライブみて騒いだ。今までで一番うまい酒だった。
転職先はインフラ系IT企業。警備員だったときの基本給が14万だったので、多分17万くらいだろうな~と思って雇用契約書みたら21万って書いててひっくり返った。ドッヒャー!
研修中にCCNA取得して、12月中はなかなか常駐先が決まらず、月末頃にやっと決まった。その間は本社で研修のお手伝いとか電話番とかしてた。この時ぐらいにマッチングアプリで彼氏と出会ってお付き合いに至る。
なお、櫻井孝宏みたいな声ではぜんっぜんない。ただ、名前が「ささき たかひろ」という。名前に寄せろって言ってないんだけど~!?wwwwwwみんなもお岩さんにお願いするときは絶対ちゃんと細かく指定したほうが良い。
私のようなニアミスを起こす人が出ないことを祈ります。ただ彼氏お酒は苦手、タバコは吸わない、ギャンブルもしないっていう良い人なんでオッケーです。
年明けからは常夜勤、土日祝休みの超ホワイトな現場で働き始めた。最初は何が何だかよく分からん~ってなってたけど先輩は優しかったし、「僕もよく分かってないこと多いです」って言ってくれた。本当にこの言葉に助けられた……
初めての夜勤で最初は辛かったけど警備員時代の体力で普通に乗り切れた。仕事も慣れてきたら楽しいし、現場におじさんが多いのもあってお菓子とかよく貰った。優しくて厳しい人たちだった。
夜勤のうちは本当に良かった。満員電車に乗ることも無く、コロナが流行りだしてからも通勤があったけど人がさらに減ってラッキーぐらいに思ってた。でもコロナのせいで、夜勤で出来る仕事がなくなって日勤に移動になった。
それと同時に、現場の人は変わらないが場所だけ移転となった。今まで通っていた場所までは1時間だったのが、通勤に1時間半かかるようになった。
夜勤は広いフロアに20人しか居なかった。日勤は常にたくさんの人で溢れかえっていた。常にどこかピリピリした空気が漂っていて、人多いな~、嫌な感じだな~くらいだった。
通勤の時も満員ほどではないけどほぼ満席、それでも毎日座ることは出来てた。日勤になってから、徐々に徐々に、自分でも気付かないうちにストレスが溜まってたのかもしれない。
日勤に移動したところで仕事はほぼ無く、暇な時間を過ごすことが多かった。何もやることも、出来ることもなかった。
この頃からなんとなく自分の体調がおかしいことに気付いてた。なんとなく落ち込んで、イライラしてしまう。生理前だからだろ、って勝手に解釈して片付けてた。
食事を摂らなくなって、早朝覚醒が多くなったのはこのへんからだと思う。
これが、5月20日頃の話。
私の心と体のバランスが完全に取れなくなったのは緊急事態宣言解除後からだったと思う。
今までにないくらいの満員電車、職場の人の多さ。思い返してみると6月中はずっとピリピリして彼氏に当たり散らしてた。先月までの私は口を開けば愚痴ばかりの女で、何をきっかけに怒るか分からない。そういうヤバい人だった。
コロナの中での通勤、3密を避けられない満員電車、新しい場所の現場、常にピリついた雰囲気、人の多さ。これが私のストレス源になってたんだと思う。
6月10日の夜。
気が付いたら自宅のベランダ、3階から飛び降りていた。幸いなことに怪我は打撲と切り傷しかなかった。痛くて涙が出て、その時に「もしかして私は限界なのでは?」と思った。もしかしなくても限界である。気付けバカ、と過去の自分に言いたい。
痛い……って思いながら階段登って家に帰った。次の日、寝て起きて普通に出勤した。今思えば普通に病院行けって感じだけど、とにかく私は出勤しなきゃと思った。
そこで初めて飛び降りたことは伏せて「気持ちの具合が悪い」的な感じで先輩に相談すると「早めに医者には行くほうがいい」と言われる。先輩も前の会社をメンタル病んで辞めた人だった。
日勤はやることが殆ど無かったし、そういう日は先輩に時々相談したり、LINEの自殺相談チャットとか、自殺相談の電話とかを週に2、3回してた。
6月10日の週や、その前の週は「私は何もしてないのに周りは仕事をしている」。というので落ち込んでた。勝手に周りと比較して、勝手に会社の中で泣きそうだった。
15日以降は通勤の電車の中で泣きそうになった。「この人達は今から出勤して働くんだ、なのに私は今日出勤しても何もやることない。その上通勤するだけでもう泣きそう、なんてダメなんだろう」って思った。
確か出勤したのは17、19の2日間だけ。あとは休んだ。休んでしまう罪悪感で押し潰されそうだった。夜中、車や大雨の音が怖くて怖くてたまらなかった。
22日はコロナの抗体検査を受けるように、と言われて抗体検査の会場に会社の人たちと向かった。昼からだったので午前休を取って、会場に行った。
自宅で玄関を開けるだけで手が震えて、最寄り駅に行くまでの間で泣きそうになった。すれ違う人が怖かった。行かなきゃ、使命感みたいな義務感で向かった。
その会場がよくなかったのかもしれない。今まで行ったことがない場所で、たくさん人が居た。検査結果はオール陰性で、これから会社に行こう、って向かう駅の改札前で具合が悪くなった。
突然目の前が真っ暗になるって感じかもしれない。フラフラして、しゃがみこんだ。すぐに駅員さんが椅子持ってきてくれて、先輩がポカリ買ってきてくれた。
流石に改札前じゃ目立つ、って思って駅のホームの椅子に座って、半泣きで先輩に色々話した。
先輩が教えてくれたのは「いい意味で休んでも大丈夫。休んでも今みんな暇だから代わりにやってくれる人はたくさんいるし、みんなやりたがる。だから一度休んだほうがいい」。
その先輩は色々限界な人だったらしく、一時期生活保護貰って生活してたこともある、生きてたらなんとでもなる、と言ってくれた。出会って半年くらいの小娘にここまでいろんなことを教えてくれるいい人だった。
やっと自分が限界なのを悟って休職に踏み切った。心療内科に電話して、予約を取って、人生二度目の医者にかかった。
最初に看護師さんとカウンセリングをした。その時今ここに書いてあるようなことを喋った。生育歴、というらしい。
カウンセラーさんには「うーん、親離れが出来てないのかも?」と言われてめちゃくちゃ衝撃を受けた。
私は今までの人生、母親の言うことは絶対だと思って生きてきた。何なら今もそう思ってる節はあるかもしれない。
お母さんが言うから女子より男子の多い学校に行って、お母さんが言うからAOで入れる学費の安い専門に入って、お母さんが言うから仕事を社員寮のある場所にして、お母さんが言うから前の会社を辞めた。
私は無意識にそういう話し方をしていたらしくて、自分でも無意識のうちに、母親の言うことにずっと従ってたらしい。あまりの衝撃に呆然とした。待合室でぼんやりしてた。
他にもいくつか心理テストみたいなものも行った。自分の思ってるものに近いものに丸をつけましょう、みたいなやつ。
その後の診察でお医者さんに言われたのが、「まあ、いわゆるうつ病ですね」だった。自分でも「ですよね」って思った。多分、ホッとした。
心理テストの結果で点数が出るらしい。その数値は「平均的なうつ病」らしい。平均的なうつ病、有る種のパワーワードだなと言うのが率直な感想だった。
そして、休むことに対する罪悪感が大きい、と告げれば「うつ病の一種に過剰な罪責感って項目があるのね。だから病気のせいだよ」と言われた。それと同時に、「多分あなたの場合はお母さんからの言葉があるのかも」と言われハッとした。
「休むことはサボり」という価値観は、母親に植え付けられたものだった。職場にいるのに仕事をしない=サボってる状態、と無意識に解釈してたのかもしれない。それで疲れていたのもあったのかも。
元々うつ病の素質(警備員時代)があったこと、環境の変化がストレスに繋がりやすいタイプなこと。今回は後者がきっかけで表に出てきたんだろうね、と丁寧に図を使って色々説明してくれて、休職の診断書を書いてくれた。
私に言い渡されたのは3ヶ月間の自宅療養だ。
会社の人とオンラインでの面談なんかを済ませ、なんだかんだ休職して1ヶ月近くが経過する。
一緒に住んでる友達は「お父さんがうつで休んでた事あるし、私は私で生きてるから大丈夫。今はめっちゃ休んだらいいぞ」と言われた。理解の有る友達で一生大事にしたい。
最初の1週間は何したらいいんだ…?って凄い焦ってたし、休むことに対する罪悪感が大きかった。
でも、彼氏や友達、お医者さんにも「休むことは権利として存在してる。そうじゃなかったら公休以外の有給や祝日は存在しない」と言われた。
そしてお医者さんには「休まなきゃ人間は病む」と言われた。医者が言うならそうなんだな!って思える単純な脳みそで良かった。
薬のおかげもあってか、死にたいとか思うことは無くなった。段々夜も眠れるようになった。外に出るのが苦にならなくなった。休んでも良いんだと思えるようになった。
何より説得力があったのは「警備員時代に休めなかった分休むと思えばいいんじゃない?」という彼氏の言葉だ。月3、4休みの1年半。3ヶ月休んでも多分足りないんだよな~!
今は買い物に出るぐらいは出来る。ただ、人が多いとパニック状態になってしまうのでオフピークや、パニクったら一人になれる場所に行く、とかで対策してる。
外で店員さんと話すのとかはちょっとまだ不安なことが多いけど一時期よりは随分マシになった。
当面の課題は電車に乗れるようになる、あとは選択肢が多すぎるとパニックになるのを克服する。この2つかな、と思う。
徐々にだけど良くなってきたので無理せず今はやりたいことをやって行こうと思う。
最後にこんなアホ長文読んでいただいてありがとうございます。何かの役に立てば幸いです。
ある雨の日、それはそれはもう見慣れた風景でいつも通りの道を歩いていたら、通りすがりに雨にうたれて歩く〇バートデニー〇と肩がぶつかったわけ。
え?と思って二度見したんだけどどうみても〇バートデニー〇。なぜこんな場所に?傘も差さずに一体なぜ?全身ずぶ濡れじゃないか。
と色々思考が巡ったがまぁいいかと前を向くとなんと目の前に〇バートデニー〇がいるではないか。
しかも良く見ると女である。〇バートデニー〇なのに女なのである。もうわけがわからない。
「ねえ、肩がぶつかったわよ、気を付けてよね」
と、英語で言われたのだが、英語なんてまったくわからないのに何故かそう言われたとわかった。意味がわからん。
すると後ろからトントンと指で肩を突付かれて振り向くと、何故か〇バートデニー〇がいて
と紙パックのカフェオレを渡されて、それを飲んでるうちにトラックに轢かれて死ぬという夢を今朝見ました。
それはさておき、こういう心理テストがあるのはご存知だろうか。
「雨の日に女性が歩いています。その人の傘の色は何色でしょうか?」
先に答えを言ってしまうが、そこで答えた色は「その女性が穿いている下着の色」なんだそうだ。
成る程成る程、その心理テストの話を聞いてから俺は雨の日に女性の傘を気にして見るようになったんだけど、ビニール傘ばかりに目が行くわけだ。
見る人見る人ビニール傘なのである。いや、そうではない。普通の布傘の人だっていっぱいいる。むしろビニール傘の人よりも断然数が多いはずだ。
つまり俺が単に見たい物を見てるだけだ。そう。ビニール傘は透明だ。ということは・・・・もしかしてあの人たちは「おけけ」がスケスケ状態になっているということか?ごほんっ。いや今のは気にしないでくれ。
そういや「おけけ」ってどういう漢字になるんだろう?「お毛々」なのか?まぁそれも今はどうでもいい。
そんなことよりもだ。俺はハッとしたわけだ。そう今朝見た夢の話のことだ。
今ハッキリと思いだした。穿いてなかったなと。
ツイッターで見かけたけど
あまりに展開が突飛なので、法学部の学生向けの設問とかじゃなくて
もしドラマや漫画でこういう展開があったらあなたは誰のアンチになりますか?みたいなのを問われてるんだろうなと勝手に思って考えた
Aは嫌な女だな、Cもだいぶ駄目な奴
Bも浮気してるとはいえ闇落ちからの復讐って感じだしそんなに気にならない
Dも妹を守るための復讐だしBの背景を詳しく知らないだろうしそんなに……と思いかけてクソのAをそこまでして庇うなんて微妙だな
というところでアンケでAを押したらDの圧勝、「悪いのはDだけ!」「Dしかなくない?」「D以外を選ぶなんて法治国家の住人として云々」と司法的に見てる人がかなり多いことを知って驚いた
しかもこれは元々は「あなたはギリシャ神話で言うと誰に近いか」という心理テストの問題のひとつと分かり
それならDの神格が一番高そうな感じだからDは特にお咎めなしだろうし裁きを受けるべきとも思わないしギリシャ神話なら一番罪深いのはBってことになって死後記憶を保ったまま草花とかに転生されそうだなと思った
勝手にフィクションの話ととらえて個人的感情で罪を決めるなんて~と言われるかもしれないけどリアルの価値観で考えてくださいとかあなたが裁判員ならどうするなんてこともどこにも書いてないんだよなあ