はてなキーワード: 夢想とは
「将来を悲観していた」
某所某商業施設で客と従業員を切りつけ逮捕された高校生の言葉だ
将来を…悲観?
みんな計画を立ててそれに向かって努力したり、なんか良い未来を想像したりしてるけど
夢想してるのと変わらんのだよ
まあ、この高校生は「計画も立てられないし努力も出来ないし良い未来を想像することも出来ない」って状態なんだろうけど
でもそんな人間は山の様に居る(自分もそうだし。実際、高校生時分にそういった向日的な思考や生き方をしていなかったので現在の結果を迎えているわけだ)
学校の先生は忙しいだろうから、カウンセラーが教えてやらないと駄目だろ
(それを聞くかどうかは本人次第だけれども。しかし、カウンセラーは感受性が強い年代に対する言葉がけが出来る筈だよな?そうじゃなけりゃ居る意味が無いよな?)
学生ならば、授業を受けテスト対策をし受験対策をする。バイトしなくちゃならないやつはちゃんと働く。部活必須のやつもまあ義務だと思ってやる
ツレとの約束やSNSを覗いて情報を得たりするのは余力があったらやればいい
あと、「楽しい」と思うこともちゃんとやって欲しいね。その年で楽しいこと無い方が将来悲観してるよりも問題だわ
その中で「近い未来・遠い未来に対して良い想像が出来ない」ってなったら、どうしてそういう認知状態なのか、歪んでいるんじゃあないかと疑って自分で色々調べろ
そして認知の歪みを矯正し、「マトモ」な人生を歩める様に自分を設定するんだ
現代はネットにそういった情報が溢れかえっているんだからな。真実なんて分からないとしても、何かしら心に響くものも転がっているものだ
そういうニーズがあるのなら、じゃあどうすればそれを実現できるかを考えてトライアンドエラーやってくのがお前の役目だろう。
人間の心理なんてある程度パターン化されてる上に、過去の経営者がしたり顔で経験則を公開してくれてるんだから、経営者としての学びを止めなければ決して難しいことではない。
お前がやってるのは、彼女が欲しいというニーズを持ちながら「僕のこと大好きな女の子が空から降ってくればいいのに」と夢想して日々を無駄に過ごす童貞と同じだ。
そしてお前は賃上げをできないという事情を「自分が行動を起こさない理由付け」に使うだろうが、
賃金の増減とは別レイヤーでの社員のモチベーション管理なんて、ここ10年のマネジメント界隈では基礎中の基礎だぞ。
むしろ賃上げや賃下げで社員のやる気をコントロールしようとする経営者なんて、鼻で笑われるのがオチだ。
学びを止めるな。
経営者やってんなら、経験則などというアマチュアの考えで行動するな。
お前のたがだが数十年で学べる経験など、いままであまたの経営者が積み重ね続けてきた知見からすれば塵芥に過ぎない。
本という他人の人生を数千円で買える媒体があるのだから、片っ端から貪り読め。他人の人生も食わずして社員の人生が支えられるものか。
でも面白いと言ってる意見は結構見るしPV数も多いっぽいんだよね。
ゆーてジャンプ+の日曜日ってニッチ向きかつ変な尖り方した作品ばっかでPV元々ばらけてっからここで1位取ったからって参考になるかと言われると微妙なんだけどさ。
でもコメントとか見る限りは普通に楽しんでる人はいるっぽいんだよね。
自分はコロナ設定・院生設定・偉人設定・霊界設定・恋人設定・メンタリスト設定なにもかもが全く生かされてないチグハグな漫画だなとしか感じられてないんだけど、これ楽しめたという人はどこが楽しかったんだろ?
1話では歴史上の人物が現代に出てきてその暮らしにビックリしてる様子とかないから「Fateみたいに現代知識事前インストールなのかな?いや……そもそも亡霊ってことは現世に1000年留まっているんだから一連の進歩を追っているはず……自分たちの過去を知らないのは見たくないものは見ないように暮らしてきたのか?」と考察してたのが全部ひっくり返ってずっこけたのが面白かったとかそんなノリ?
高度過ぎるぜ。
わざわざ歴史上の人物を読んできて承認欲求モンスターにして終わりみたいなノリが面白いのかな。
いやでもFGOとかも確かにそういう系統だし今どきの流行りなのか?
恋姫†夢想みたいな感じで偉人を冒涜してハワワご主人さまとか言ってるのが面白い的な?
多分違うんだよこういう風に考えてる人が「面白い」と言ってるんじゃなくて、もっと頭の上っ面だけ見て何となく面白ーいと言ってる感じなんだよね。
でもそのノリが分からん。
わざわざ歴史上の人物の亡霊を呼んでおいてなんでこんなことしてるんだろうって疑問が強烈過ぎる。
どうやったら楽しめるんだろう。
謎すぎる。
教えて欲しい。
後学のために。
ジブリの新作がそうでもなかったや…という事実にしょんぼりした理由は、自分に響いたのが
持つ者の冒険譚
よりも
持たざる者の救済譚
だったからだ。
ピンドラについてはいろんな人が言及してると思うから割愛する。
今回は、ジブリの新作がピンと来なかった地味なショックについて書こうと思う。
君たちはどう生きるかの中で印象に残ったのは、黄泉の国という名の生き地獄になっていたペリカンたちが最後あの塔から飛び出して、眞人に「出られたんだ、よかったね」と言われるところ。
そこで初めて自分が、乙事主よろしく老いたペリカンが語った「絶望感」に共感していたのだと気づいた。
扉を開ける直前にお母さんが言い放った「火は得意よ、素敵じゃない!」は普通に泣かせポイントだったからそれはそれとして、
たしか、家族観をめちゃくちゃ大事にする文化を持つ韓国の人たちが千と千尋を見た時に号泣したのが冒頭の「両親が豚になる」シーンだったと聞いた。
それと同様に、半ば宮崎駿の自伝ともいえる今作の通低音が「今を生きる人たちのバックボーン」とは異なりすぎてて、しかも我々のそれが割と地獄めなベクトルへ向いていることを、「自分にピンとこなかった」ことで改めて突きつけられたような気がしたのだ。
冒頭から描かれる「すげえいいとこの家」という事象だけがギラギラしちゃって、内容が頭に入ってこない。
「金持ちの家の子」という要素だけで、「自分とは違う子」として切り離して捉えちゃって、主人公やその周りの人物の誰にも共感できない。
目の前に展開されているのはフルスロットルの宮崎駿なのに、最後までついぞ一緒に冒険できなかったのだ。
金持ち描写一つで足止めを喰らい、あの作品を正面から喜んで受け取れないくらいには、自分が貧しくなっていた。
なんかそれが妙にショックだったというか、悔しかった。
と同時に、かねがね思っていた〝最前線の文化教養は「生存に不安のない者」たちからしか生まれてこねーんだな、そいつらの夢想という名の創作物をありがたがって消費してるのが私なんだな〟という、自分でもびっくりするほど狭量な感覚に襲われた。
ってゆー結論になっちゃうのがどうしても悔しいからもう一回観に行きたいなとは思ってるんだけど、Twitterとかで「とりまもっかい見る」つってる人たちの心の中、なんか同じような感覚の人いない?
ねえいない??
この映画は宮崎駿によるブラタモリ:ジブリの元ネタ大公開スペシャルなんだと思った。
宮崎駿はホテルから見た都会の家の屋根ですら冒険活劇の舞台を夢想する。
もう映画最後なんでね、描きたいことは全部やり終わってるんで、今回はわかりやすく直球で、アイデアの元になった風景を紹介しようと思います。
庵野は特撮が原風景とか言ってますけど、私はあれと違って現実を見て描いてますから。
戦争のときに宇都宮に引っ越しましてね、父親が戦闘機を作っていて・・・
それで宇都宮にあった配水塔を見てね、この下にはなにがあるんだろうって、
どこかとんでもないところに繋がってるんじゃないかという気がしていたんですね
近所によくいた鷺を毎日見ていたらね、ある時話しかけてきたんですよ
船に乗って水の上を進んでいってね、ここは死後の世界なんじゃないかって
まあそれは石との契約でね、禁忌を侵すとそういうことはよくあるんです
こういうこと言う人結構見るけど死んだあと自身で下界を見下ろしてやったーとか報われたとかザマアとか思える意識がどっかに残るって発想を普通にしてるんか?
そこまで「自分の死」というものが明確に想像できてないからそういうこと言うのかな
どう考えても本人にとってはメリットないやろ
死後の名声も同情も何もかもすでに無になった本人には確認することなんてできないんだから
死ぬ前に夢想した(と他人が安易に想像したとおりだとして)ことが実現するかどうかなんて死んでからはわからないんだから
メリットあるとしてそれは死んだ本人ではない別の人にとってで、本人は享受できないし自死の余波で世の中が動いた結果でしかないから直接的な原因にもならないししかもたいていはこの増田のように他人が「きっと得しただろう、価値や名誉の回復、復讐がなされただろう」という勝手な想像に基づいてるものにすぎないし
「メリット」って概念はこの世に属するもので、そこをすでに去った人にはそれこそなんの価値もなくて生きてる人の間でしか意味をなさない
自死のメリットはこの世と自分から消えて逃げられることだけ、もう考えなくてすむこととか
https://anond.hatelabo.jp/20230713043746
先に自死した人にそういうある意味理想を託した発想を重ねて自身もそうしようと思う人間は生まれるかもしれないけど、その結果はやっぱり自分で確認することができない
観自在菩薩は、深い般若波羅蜜多の修行をなさったとき、五蘊がすべて空であると見、一切の苦しみを越えました。
舎利子よ、色は空と異ならない。空は色と異ならない。色は空であり、空は色である。受想行識もまた、それと同じである。
空には何を得ることもない。何を得ることもないから、菩薩は般若波羅蜜多に依り、心が縛られることなく、縛られることがないので、恐怖がなく、顛倒夢想から離れ、究極の涅槃に至る。
三世十方のすべての仏は、般若波羅蜜多に依り、無上正等正覚を得た。だから、般若波羅蜜多は、大いなる神呪であり、大いなる明呪であり、無上呪であり、無等等呪であり、一切の苦しみを取り除くことができる真実の呪である。だから、般若波羅蜜多の呪を説く。その呪とは、次のとおりである。
揭諦、揭諦、波羅揭諦、波羅僧揭諦、菩提薩婆訶。
途中が盛大に省かれてるけど。
ややこしい。
毎日焦ってる。読んでない本はどんどん積まれていって、読むべき本も積まれていって部屋の中にはホコリが積もってる。休日は昼に起きてそれだけでまず絶望して、だけどTwitterとかインスタとかYouTubeとか見てたらもう寝る時間。夜眠れなくて、朝起きれない。原因は分かってる。SNSは刹那的な快感を断続的に送ってくれるからそれに依存してるんだろうと。でもそれだけじゃなくてきっと多くの時間が切り崩されてるからその長さを実感できない。だから、本が読めなくなる。アニメが見れなくなる。好きなVtuberを切り抜きでしか見なくなる。いっぱい時間をかけて何も得られなかったら嫌だから時間をかけることに億劫になる。それなのにインフルエンサーだとかYouTuberだとかTwitterに流れてくる神絵師の絵だとかを見せられて、自分も何かしなきゃって思う。何かのエキスパートが身近に溢れすぎて、だから物が多くなる。けど自分がそうなれるはずないなんて思い込んでしまう。没頭して失敗したら? 何も為せなかったら? 時間だけ無くなったって思う。無駄にした、貴重な時間を無駄にした。世の中こんなにキラキラで溢れてるのに。そんなありもしない他の人生を夢想する事になるのでは? だからタイパを求める。Z世代なんか言われてる我々は。SNSに出てくる「キラキラ」になれる可能性なれない可能性全部を諦めて、現状の維持を図る。今の時代失敗が許されないから動けない。「失敗する人の特徴!」「負け組の思考!」とかよく見るけど。だけど、何もやってないから不安になる。
*
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「お前が呑気に実家暮らしの女学生の身分で音楽などやっていられるのは誰のお陰だ」
という言葉は、学費と生活費を人質にとった恫喝だとも思った。口喧嘩なんかしたくもないから細心の注意をはらって生きてたのに。
大学を休学し、女子大生というアドバンテージを使って水商売で働けば一人暮らしの生活費と、あと1年分の学費を貯めることなどチョロいだろう、そう思っていたが、その見通しは甘かった。
そもそもコロナ禍で飲食業は店を閉め、風俗業も同様で客足が途絶えていた。そして少ない客を奪い合っていたからか、働き始めたキャバクラでは現実の厳しさを味わっていた。
売上No.1の嬢は女王様として君臨し、それに付き従う子分の女がいて、悪口、陰口、ちょっとした意地悪、接客の妨害といった小さな棘のような攻撃を女王様と子分からチマチマと食らうのに辟易していて、周りの女たちも庇ってくれることはなかった。
常連客の威張り散らして自慢話ばかりの禿げた社長に「寂しいから会いに来て」とLINEするのもアホらしくてやってられず、旅館の娘なのにサービス業がまったく向いていなかった。そもそもそれほど器量が良い方ではないということも改めて思い知らされた。
結局、職場と住処を幾つか変わり、大阪、東大阪のスナックでカウンターレディとして働いていた頃には大学を休学し実家を飛び出してからニ年ほどが過ぎていた。それでも大学に戻るつもりではいたから、何度失ったって取り返してみせるよ、と思っていたし、偉そうな社長が高級腕時計を見せびらかしながら話すねちっこいエロ話より工場労働者の陽気なシモネタの方が笑えて楽しかった。アパートから近鉄電車で二つ向こうの駅には司馬遼太郎記念館もあった。
京都時代は実名で活動していて、雑にピックアップを埋め込んだアコギを掻き鳴らして電子的に変調した爆音ギターにのせてフォークを歌うというスタイルだったが、休学して一人暮らしを始めてからは音楽どころではなかった。
一度、東京のハードコアバンドにVoで誘われたこともあったが、パンクというものは中央にいてはならぬ、周縁にいて少数派として生きねばならぬ、と頑なに思っていたのでそれも断ったのだ。
だが、遂には名前を変え「東大阪半日夢想沿線」という名で電子楽器によって幻想的で悪意のこもった電子雑音を奏でるスタイルで活動を再開した。激しいライブアクションのせいで機材はすぐに壊れてしまうから楽器は日本橋の中古屋で安物ばかりを揃えた。
再開した音楽活動は客こそ少なかったが手応えはあった。しかし名前を名乗るとギョッとする者もおり、また年配の人物に「極左テロリストの名前などを元ネタにして、被害を受けた人や家族が知ったらどう思うのか」と指摘され、己の軽率さを悔い、この名前を名乗ることも音楽活動も中断してしまったのだった。
そんな折に近鉄布施駅の近くで垢じみてうずくまっている女がいるのを見掛け、若いのにホームレスだろうかと目が釘付けになっていると、その女がこちらを見つけて「金を貸して欲しい」と近付いてきた。よく見ると女は女王様に金魚のフンのようにくっついていた子分の女、ジュリだった。
話を聞くと、女王様は客だった起業家と名乗る男に入れあげてしまって、男が何をしでかしたのかフィリピンに逃亡すると女王様も後を追って行ってしまったのだという。女王様がいなくなるとジュリはたちまち他の嬢からいじめられるようになり、店を辞め、あれやこれやがあって住む家もなくなってしまったのだった。
散々意地悪された女だったが、彼女が弱さゆえに強い者に媚び付き従っていたことや、色んなことを我慢している女は強くて奔放な女に憧れてしまうことをアキコは薄々知っていたから哀れに思い、数日なら部屋に居てもよいと伝えた。そういう女は痛みにとっても弱いから。ジュリは泣きながら今まで自分がしてきたことを侘びた。
ジュリは意外と生真面目で、アキコが仕事から帰るときちんと部屋を掃除してくれていて、冷蔵庫にあるもので食事なども用意してくれた。そしてある日、部屋に帰るとジュリは開け放った窓に向かってアキコのギターを爪弾いていて、それはラジオからよく流れてくるOfficail髭男dismの曲だった。
アキコは脳内で火花が散って、ジュリにバンド結成を持ちかけた。バンドをやるならまだ部屋にいてもいいと交換条件もつけた。ジュリは喜んで同意し、よくよく話を聞くと中学時代は軽音楽部であったらしい。そして中学を卒業してから家を出て働き始め、ひょんなことから女王様と知り合い水商売で働くようになったのだという。隠し事だらけ継ぎ接ぎだらけの一人で心細く生きていた女が筋の悪い人物をメンターだと思い込むことはよくあることだ。そして年上だとばかり思っていたが、ひとつ年下だということもようやく知ったのだった。
早速近所のハードオフに行ってエレキギターとベースを見繕って一番安い激安の物を購入した。ジュリがヒゲダンを爪弾いていたことから、今度はポップなものをやってやろうと思い、それらしい曲を捻り出したが、アキコはベース初心者でジュリもギターはブランクがあり、リズムは安物の電子楽器だったので、劣化したビッグ・ブラック、初期の少年ナイフからも百万光年離れているような、やさぐれパンク以下の酷い感じにしかならなかったが、それは初期衝動ゆえであると宣言することで自分たちを納得させた。バンド名もOfficial髭男dismの名前を反転したような、公式に対して無法、髭に対して女の装飾の象徴である爪、そしてダンディズムという一流の男に対して二流や二等、二級品という意味を冠して、Lawless爪Second-Classと名付けた。何事もうまくいっていない自分たちにはお似合いの名前だと二人で笑いあった。
数曲をでっちあげ、今度はPOPなロックをやるのだと意気込んで、アングラ凶悪バンドが演奏しないような阿倍野にあった小洒落たライブハウスのオーディションを受けた。
「まあええんちゃう?」という曖昧な判定だったが、出演はさせてもらえることになった。
阿倍野のライブハウスに出入りするようになると、女二人だと色んな男が声をかけてくる。なぜならカワイイ系のアクションがジュリはとてつもなく上手かったから。でも音楽好きやバンド仲間だと思えば話も弾むが口説かれたりするのは面倒だった。しかしこっちはキャバで修行した身だ。うまくかわしていたし、ジュリはその辺りの身のこなしも上手かった。それでも面倒くさい人物もいた。
そのライブハウスに出入りするベテランのブルースマンで、最初は何かと世話を焼いてくれる風に近付いてきたが、だんだんと遠慮がなくなってきて、あれやこれやと説教をするようになっていった。相手をしているとイライラしてくる。なぜこうなのか。ワガママ放題大人たち。どうして若い女は何も知らないと思っているのか。
ある日、演奏を終えて楽屋に戻ると、当日は出演者でもないのに例のブルースマンが楽屋でくつろいでいて、アキコとジュリの楽器を値踏みし
「もっと良い楽器を使わないとだめだ」みたいなことを言い出す。そしてなぜか自分の黒いギターを持ってきていて、それを引っ張り出し
「50sのフェンダー・ストラトキャスター、クラプトンもこのモデルを使っている」などとウンチクをたれ始めた。
もう鬱陶しくて堪らなかった。怒りがふつふつと湧き起こってアキコはそれを抑えきれなくなり、そのストラトを奪い取るとネックを持って大きく振りかぶり思い切り壁に叩きつけてやった。その場にいた他の人間も唖然として誰も声を出せず、壁の石膏ボードには大きな穴があき、ストラトのネックは折れて弦だけがブラブラしている。アキコも放心状態で、これは殴られるなと覚悟した。
しかしジュリが咄嗟にアキコの腕を掴んで強引に引っ張りそのまま駆け出した。そしてそのまま店を出て走って、ずっとずっと走り続けて、ひた走る道路にはもう街灯さえないけれど、新今宮の駅の辺りまで走り続けて、やっともういいだろうと立ち止まって、息が切れて苦しかったけれど二人で顔を見合わせて死ぬほど笑った。嘘じゃない泥だらけの笑顔。ギターもベースも置きっぱなしだったけれど取りに行くつもりもなかったし、大して惜しくもなかった。
その後ブルースマンはアキコを訴えて、結局アキコは和解を受け入れた。調停の場でブルースマンの代理人弁護士に
「無法なんて名乗っているけれど法は法なので、賠償金の支払いはお願いしますよ」
と嫌味を言われたのが忘れられない。アキコは感情のないアイムソーリーだけを告げた。
もう大学に戻ることはないと薄っすら思っていたが、なんだか心の拠り所のようではあったので貯金はしていた。けれど、破壊したビンテージギターのせいで全てが消え失せてしまった。
しかし、やがてその話は噂になって、どうやら凶悪な女パンクのバンドがいるらしい、他人の高価なビンテージギターをぶち壊して平然としているような奴らしい、以前「東大阪半日夢想沿線」という不埒な名前でやっていた話の通じない女らしい、とその他あることないこと尾ひれ背びれもついて伝わっていった。まるで魔法のように簡単に広まってく噂話。お陰で奇特な人やバンドから少しばかり対バンの話も貰えるようになった。
アキコは今も近鉄電車の傍のアパートに住んでいて、ジュリも未だにアキコの部屋に居候している。貯金もなくなり、もう大学に戻ることはないだろうし、カウンターレデイの仕事は先の見通しもなく、何も状況は変わっていなかったが、それでも二級品なりになんとかやっていくしかないとアキコは思っていた。
「配られたポケットティッシュになんて書いてあった?」
というもの
自分の答えは
「幸せになる為に今すぐすべきこと」
なんだそうだ
夢を持てってこと?
そんなもん持てるなら幼い頃から持っとったわ
持ってないから今こんなんなんだよ
感性も死んで老いさらばえた今となっては、尚のこと夢なんざ持てるわけがねー
脳も体も枯死している
「夢はお金持ちになることです」ってのは大方の人間にとっては夢想(お金持ちになる為に計画を立てて実行出来る人間は一握り)
「夢はお嫁さんになることです」ってのは大方の人間にとっては計画(夢見る程お嫁さんになりたいガツガツした奴ならば必ず結婚する)
そういう感じ
夢、むつかしい
幸せ…かー
自分は不幸だとまでは言わないけど(仕事があって飯が食えて屋根の下で眠れてるから。そして日常生活で意に沿わないことをなるべくしないで済んでいるから)
決して幸せではない
不幸じゃなければ幸せか?
馬鹿らしい話だなあ
とっとと人生を終えたい(ソレが夢か。必ず果たされる夢ではあるけど、一番重要な「とっとと」の部分は綿密に計画しねえと叶わないなあ)
この投稿はNISAを活用している方々に向けて書かれたものである。ただし、その中でも「わたしは新自由主義の信奉者です」という方々は除外する。その人たちに伝えるべきことは何もない。対象としては、NISAを活用しているが新自由主義の跋扈するこの世界と社会に改善すべきところがあるのではないかという疑念を抱いている人たちに向けて書かれたものである。
NISA(ニーサ)とは、個人の資産形成を応援する国の税制優遇制度です。通常の証券総合口座の投資では、株式・投資信託の売却益や配当・分配金に20.315%の税金がかかるのに対し、NISA口座での投資ではそれらの利益に税金がかかりません。
出典: NISA(ニーサ):少額投資非課税制度 | 楽天証券
国家による福祉・公共サービスの縮小(小さな政府、民営化)と、大幅な規制緩和、市場原理主義の重視を特徴とする経済思想。
資本移動を自由化するグローバル資本主義は新自由主義を一国のみならず世界まで広げた ものと言ってよい。
国家による富の再分配を主張する自由主義(英:liberalism、リベラリズム)や社会民主 主義(英:Democratic Socialism)と対立する。
子どもへの性犯罪では、犯人が巧みに被害者の心をつかんで接近する準備行動をいう。幼い子どもの従順さや思春期特有の悩みにつけ込み、被害者と「信頼関係」を結ぶため、周囲も気付かないまま加害行為が長期化することもある。
出典: 性暴力の前に巧みにつけ込む 忍び寄る「グルーミング」:朝日新聞デジタル
NISAとは少額投資非課税制度であり、これは国民に投資を推奨する政府の施策であることは言うまでもない。投資がギャンブルであるか否かといった議論はここではしない。
資産は何もせずに金銭として持っていても目減りするから、別の形(不動産、証券、純金etc)で持っておくことはある種賢い選択であろうから有効と考えられる。ただし、それらの資産は逆に価値が下がるというリスクもあるが、これは政府も広報していて公正な態度だと言える。
ただし、NISAという制度を使って政府は投資という相場に国民たちを参加させたいのだということは再度認識しておくべきだ。
1970年代から始まったこの経済・政治思想は英国ではサッチャリズムと呼ばれ米国ではレーガノミクスやレーガニズムと呼ばれた。日本では中曽根康弘が始め、小泉政権下で顕著に推進された施策だ。
現在の自由主義諸国で新自由主義とグローバリズムが猛威をふるっていることは言う必要がないだろう。しかし新自由主義者たちはまだ足りないのだ。あらゆる世界市民が新自由主義の旗の元にあつまる世界を夢想している。
世界では貧富の差が拡大し、一部の富裕層の持つ資産は下位50%の持つ資産を大きく超えている。新自由主義が富者を肥えさせ貧者をより細らせていることは明白なのに彼らはまだそれを推進しようとしている。宗教のようにその思想を伝道し、経済的ダーウィニズムがこの世界に浸透することを望んでいる。
何故か。
彼らは捕食者であり被食者を求めている。市場に碌な知識もないまま資産をさらけ出す愚か者を求めている。
更に彼らは自分たちの主義主張がこの世界を過酷なものにすることを知っているから、その反対勢力が興隆することを危惧している。経済的弱者が連帯することを恐れている。それなら、まだ敵ではない人々は味方につけてしまえば敵になることはない、そう思っている。だから新自由主義を啓蒙しその成果が分け与えるようなふりをして味方につけてしまおう、洗脳してしまおうと思っている。
そしてNISAはその策謀のひとつだ。少額で始められること、非課税であることなどを呼び水として参入ハードルを低く設定し、投資という行為に忌避感がある層にもこの競争に参加させようとしている。経済的弱肉強食、金銭的適者生存のサバンナに放り込もうとしている。クスリの売人が最初の一服を無料でサービスし、甘言で誘惑して顧客に仕立て上げることを思い出そう。
あなたたちはその被食者になるかも知れないのに夢を描いて自分だけはそうならないと無駄に楽観的な見通しで投資に手を出すことになる。運良く被食者にならずに済み、捕食者となったあなたたちはどうなるのかと言えば新自由主義を支える一員に成り果てる。そう、新自由主義に加担するのだ。
NISAを活用しているけれど新自由主義に疑念を持っている人々はここで矛盾を味わうだろう。個人としてNISAを通して投資を行うことは生活の防衛であり、一市民としてのより賢い選択でしかない、新自由主義を肯定するものではない、と。しかしそのような君たちの個人的な心情をあなたたちが出資した資産は主張しない。あなたたちが預託した資産は新自由主義者に大いに利用されるのだ。あなたたちは彼らに燃料を供給している。兵站を担っていると言っても過言ではない。
「我々は新自由主義の弊害は認識しているし、その改善も必要だと考えている、そして貧者に対しても博愛の情を持っている」と。そして「そのこととうまくNISAを利用することは別だ」と。
別ではないのだよ。あなたたちは別だと思っているかもしれないが、あなたたちの選択は結果的に新自由主義を推進している。正確に言えば、新自由主義を推し進める政府の政策に乗せられて加担させられている。
こんな風に批判されればカッとなって
「家族と生活を守ってより良い生活をしようとすることのどこが悪いのだ」と主張するかも知れない。中には
「新自由主義だって悪いことばかりじゃない、それらの施策によって現実的に世界は豊かになっているというデータもある」などと言い出す者もいるだろう。
あなたたちは新自由主義に対して批判的な気持ちを持っていたかもしれないが、NISAを利用することにより新自由主義に加担させられ、そのことを批判されると新自由主義に対する疑念を打ち消す方向に考えを改めてしまう。己の選択と行動を正当化したいが為に。
性犯罪の被害者が加害者を擁護してしまうのと同じ行動だ。加害者に洗脳されて、自分たちの行為は悪くない、そうなった事情さえある、だからいけないことだとしてもそれほど悪いことではない、加害者さえ弁護してしまう、そんな風に考えるように仕向けられる。
だからNISAというものは投資のリターンを期待させたり、その利益が非課税であるといった甘い言葉で誘惑し、自陣に引き込み加担させ、そして新自由主義を肯定するように洗脳してしまう施策なのだ。取り込まれてしまっている。これをグルーミングと言わずして何と言えばいいのか。経済的、若しくは思想的グルーミングとでも言えばいいのだろうか。
そのような事例は、はてなでも大いに認められる。新自由主義や現代日本の政治にブックマークコメントで批判的な人物でも投資やNISAという話題になればせっせと肯定する。もう手懐けられてしまっている。
「へーそーなんだ、じゃわたし生徒会行くね」とミームで返すのかも知れない。
あなたたちは加害者になろうとしている。新自由主義を支え格差を拡大し経済成長の名の下で環境破壊を推進する加害者の一員になろうとしている。そのことだけは覚えておくべきだ。
俺はNISAなんてやらない。俺は俺の責任として加害者にだけはならないから新自由主義に加担するなんてことはしない。生活者として賢い選択ではないだろうが馬鹿でいい。口座に積立するくらいならその金で安い酒を買う。そんな金さえ無いがな!金持ちにはなれないだろうし貧乏なままだろうが、知ったことか。人間は主義主張というものをそういう生活態度で示すものだ。「新自由主義には反対ですが投資は生活防衛のために行います」みたいな二律背反していても平気でいるような小狡い態度はとらない。狡いってのは卑怯ってことだからな。絶対にNISAなんかやらない。絶対にだ。
思う。
向精神薬を服用してぼんやりしている俺の方が真実で、健常者を名乗る人々こそが躁状態なんだと思う。
今現在、向精神薬を服用している。鬱状態で何も意欲がなく、毎日横になって過ごしているうちに一日が過ぎてしまうような日々を送っていたが、このままではいけないと奮起して心療内科に赴き処方してもらったものだ。このエネルギーを絞り出すのに数ヶ月かかった。そして処方を服用すると劇的に効果がある。
先ず、様々なことをするハードルが途端に低くなった。今まではアレもコレも片付けないと、あそこに問い合わせして状況を把握してそれによって対応を決めて…などと思うばかりだったが、とりあえず電話して確かめてそれから考えよう、という風に動き出せるようになった。
物欲も湧いてきた。デジタル一眼のカメラが欲しいと前から思っていたのに動き出せなかったが、とりあえず値段だけでも調べてみよう、実店舗に行って実物を触ってみよう、そのような気持ちになった。難点は収入がないのにそのような高価な買い物ができないことだ。
些末なことでは部屋の片付けや掃除をすることができるようになり食事も摂れるようになった。
基本的に楽天的になった。思い煩うよりも動いて確かめて壁にぶち当たってから考えればいいと思うようになった。物欲が湧いてきたと書いたが、あれを買えばこんな利点がある、きっと楽しいことがあるはずだと思えるようになった。
しかし、鬱の自分が頭の片隅で自分を見ている。お前は躁転しているだけではないのか?そう言っている。
けれども、もっと客観的に見れば、今の自分は世間一般の人たちの行動とたいして変わらない。躁転しているとは言えない。
便利なものを欲しいと思い、それが手に入ればあれもこれも手間が省けるはずだと思う。投資をすればきっとリターンがあるはずだと思っている。どこかに出かければ楽しいことが待っているはずだと期待する。人と会えば楽しい会話ができると思っている。食事に行けば美味しいものが食べられるだろうと思っている。映画、観劇、ライブを見に行けばきっと楽しい時間を過ごせるだろうと思っている。みんな楽天的で明るい未来を心のなかに描いていて憂いはない。
少し前に、結婚と子育てのことを「みんな子育てを難しく考えすぎ」なんてエントリーがあったけれど、あれぐらいの躁状態じゃないと他人の人生を巻き込んで新しい命に責任を負うことなんて引き受けられるわけがないのだから。
中露の軍事的脅威があるのに目を向けない
貧富の差は極端に大きくなっているのにそれに目を向けない。
どれもこれも現実から目を背けて、なんとかなる、きっとこの先良くなるはずだ、このシステムはしばらく崩れることはない、そういう楽天的な考えによって先延ばしにされ除外され目を向けず目を背け、なかったことにしている。みんな躁状態だから「きっと大丈夫」だと思い、懸念を示す人たちには「難しく考えすぎ」の一言で済ませてしまう。
何もやる気が起きないという鬱の状態は確かに異常だろうが、一般の人たちの楽天的で無計画で先行きに不安を感じてもそれを押し殺すことができる精神状態はかなりの躁状態だ。
現実は厳しく容赦ないもので悲観的未来しか予想できないのに、世界を真っ当だと思って楽天的な未来を夢想して無計画でいる人たちの方がきっと狂っている。