はてなキーワード: 反証とは
「ジャージの寝姿一枚だけ撮ってるってどういう状況?イベントの度に撮影するのが好きな人なら他にも何枚もあるはずだよね?」
「女側の訴えは『寝ていた時にセックスされた』という準強制性交罪としてのものなんだから、寝ていたってのはむしろ女の主張を裏付けてないか?」
「そもそも既婚者が妻ではない女をホテルに連れて行ってジャージに着替えさせて寝せてるって時点でセックスした事は否定しないって事だよな?
『そんな飲み会自体が存在しなかった、女はホテルにすら来ていない』って主張はしない(出来ない)のか?」
松本人志のとうとう出たねもだけど、本人が自信満々に出してきた反証がむしろ事実を裏付けている、ってなってる
ただこちらは弁護士主導でやってるのでそれがわかってないはずはないわけで、これも散々言われてる通り狙いは女側に取り下げさせる為の脅しなんだろう
目次
1.はじめに
(1)歴史認識について
(2)対北朝鮮外交について
3.佐藤優による主張の使い分け
(1)ナショナリズム論
(2)ポピュリズム論
(3) 格差社会論
6.「人民戦線」という罠
(1)「ファシズム政権の樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤を擁護する
10.おわりに
註
1.はじめに
このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル・左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。
だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディアで排外主義そのものの主張を撒き散らしている。奇妙なのは、リベラル・左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。
佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル・左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象の意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場の記述の検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画・編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。
「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動に共鳴する特定の編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチで共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者と意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社のカラーや論壇の左右を超えて小さなリスクの共同体が生まれ、編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞の社会面を中心に、従来型の検察や官邸主導ではない記者独自の調査報道が始まる。」「この四者(注・権力―民衆―メディア―学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論の公共圏を形成していく。」
馬場の見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点である。ある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論の公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル・左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義」体制下の護憲派が、イスラエルのリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。
以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)武力行使、在日朝鮮人団体への弾圧の必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル・左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的なものである。「戦後民主主義」が、侵略と植民地支配の過去とまともに向き合わず、在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象としか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル・左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。
私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤が右派メディアで主張する排外主義を、リベラル・左派が容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在のジャーナリズム内の護憲派の問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。
馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である。佐藤自身は自ら国家主義者であることを誇っており、小谷野敦の言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本に右翼なんか一人もいない」。
佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実、ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本の知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男や魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店や朝日新聞の出版物では、排外主義的ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?
この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。
まず、佐藤の排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤の排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。
(1)歴史認識について
佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本とロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立が日清戦争、日露戦争を引き起こした。もし、日本とロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮をにらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージを金正日に送るのだ」。朝鮮の植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのものの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢で反論することは当然のことだ。」と述べている。
特に、大川周明のテクストと佐藤の解説から成る『日米開戦の真実―大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本の近現代史に関する自己の歴史認識を開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である。
「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国をアメリカ、イギリスによる植民地化支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義国である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強の植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種の棲み分けの理論である。日本人はアジアの諸民族との共存共栄を真摯に追求した。強いて言えば、現在のEUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。日本こそが中国の植民地化と奴隷的支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国の政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘の南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。
右翼たる佐藤の面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代の知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。
(2)対北朝鮮外交について
佐藤は、「拉致問題の解決」を日朝交渉の大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題の解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエルの国権侵害でもある。人権と国権が侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府の方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在の北朝鮮をミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題の解決」においても、戦争が視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。
さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮の米ドル札偽造問題が、アメリカの自作自演だった可能性が高いという欧米メディアの報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカの情報源と情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証の根拠も示さずに(反証の必要性を封じた上で)、「北朝鮮の情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派の原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤は現在、右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。
佐藤は、「在日団体への法適用で拉致問題動く」として、「日本政府が朝鮮総連の経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮が逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネスで利益を得ている勢力を牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。
漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件の摘発が拉致問題を解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮に日本と交渉する気にさせるのが警察庁の仕事。そのためには北朝鮮の資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤の発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関・民族学校などへの強制捜索に理論的根拠を提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。
3.佐藤優による主張の使い分け
排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。
佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。
一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループのサイト上での連載である〈地球を斬る〉では、「慰安婦」問題をめぐるアメリカの報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦」問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体が不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的な立場から日本政府の謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題は Permalink | 記事への反応(1) | 18:32
俺「とりあえずWikipediaと反対派と賛成派両方の書籍を読んでみよう、なんなら知識不足とか言ってる人が出してる本も読んでみよう」
俺「……なるほどリベラル界隈でその思想が間違っていると言われるようになった歴史的経緯みたいなのは理解したけど、
理系分野で論理的に反証された事象と違って倫理的な正しさなんて人それぞれだし、
それこそリベラルの正しさの背景にはキリスト教的価値観がありそうだし日本でもそのまま適用できるのか?っていうの結構微妙な気がする
俺は勉強した上で思想変わんなかったけどこれ言うと『知識の足りないからそういう思想に至った馬鹿』とか『都合の良いソースだけ見てるネトウヨ』みたいなのに都合よく認定されるんだろうな、黙っておこう」
みたいなの多くね?
「こういった思想に陥るのは背景への知識が足りないから」って逆に言えば「体系的な知識を身に着けたら俺と同じ思想になるはずだ」って驕り高ぶりロジックそのままで、
俺より8cmも高いので全く反証になってない
生成AIに関して詳しく書いてある文章があったので、興味深いと思って読みました。
ttps://note.com/freena_illust/n/ne1442b0563c3?sub_rt=share_b
返歌ではありませんし、技術的根拠も出せませんが、思ったことをまとめたいなあと思いました。
断っておくと、上記の記事に対して肯定的な感情を抱かなかった人が書いてます。
そして生成AIはChatGPTを無料でしか使ったことがない人が書いてます。
嫌な予感がする人は読まないほうがいい。
冒頭で書いたように私は生成AIに詳しくはありません。
でも一応話の軸がぶれないように、最初に主張したいことを述べます。
「高精度なAIには大量の学習データが不可欠だから、権利問題をクリアしても未来はなさそう」です。
先日びっくり発言を見かけました。
曰く、生成AIの技術を認めている人はすべからく盗作を認めている(意訳)、とのことでした。
現在の生成AIツールがそうなっているだけなので、学習元を変えれば権利侵害にはならないはずです。
まあ技術的に可能というだけで実際にそうする人はいないと思いますが。
権利の問題が解決されていないのに生成AIのツールばかり絶賛するものだから、生成AI賛成派は著作権を踏み倒していると解釈されるのは理にかなっているとも思います。
先に述べたように、私は生成AIに限らず、AIという技術が発達すればいいなと思っています。
がしかし、問題があるとすればAIという技術には膨大な学習データが必要で、ネット上にある膨大なデータは全てが著作権フリーではないということです。
さて、件の記事では「無許可のデータを学習」という文がありました。
ふと思ったのですが、逆ならいいのでしょうか。
ですが、「許可されたデータ」の数とはどれほどなのでしょうか。
それで生成できるコンテンツとは何なのでしょう。
ニューラルネットワークの階層が極端に少なく、陳腐なものが成果物となるでしょう。
法で「許可されたデータ」のみを学習対象とするように律することは出来たとしたら、AIの未来はないと思います。
理由は当初に述べたとおりです。
機械学習の本を読んだら寝たので諦めましたが。
それで、だいぶ路線が違うのですが、過去に形態素解析をかじっていたころがありました。
その際に「データ量が少ないと何もできないな」ということを痛感しました。
形態素解析というのは文章をスパスパ区切って順位付けなり分類なりをするというものです。
その文章をスパスパ区切るために、単語の分類と区切りが記載されているであろう「辞書」が必要になります。
「今日魔界ではどちゃくそ雪が降った」という例文があったとして、
単語量の少ない辞書では「今日/魔/界/では/ど/ちゃ/くそ/雪/が/降った」
単語量の多い辞書では「今日/魔界/では/どちゃくそ/雪/が/降った」
になる、というかんじ。
イメージ図なので本当に魔界が分割されるかはわかりませんが、固有語はほとんど未知の単語と認識されて分解されると思います。
無料に頼るからよくないのですが、ネット上の無料の辞書は単語量が少ないため、現代風の言い回しがだいたい判別できません。
ボボボーボ・ボーボボなんてこようものなら、もはや人名とすらも認識されません。
いやどっちかというとマンガ名か?
いいかんじにメンテされてた辞書も、とある日を境に更新されなくなってしまいました。
そんな具合で、当時はデータ量が少ないと何もできないなあと、役に立たねえなあとひしひし感じました。
先ほどの無許可、許可のことを書きながら、このデータ量のことを思い出しました。
文章生成AIであれば、学習する際、単語を分割したり重みづけをしたりする際に相応の辞書を使っているはずです。
要はデータ元もそれを補助するツールも、多くのデータがあればあるほど真価を発揮するはずなのです。
フェイク画像やらなにやらが話題になったのは、サムネイル段階で目を引く造形だったからですよね。
その点では遠目で人の興味を惹く成果物を作れるほどになった技術自体は賞賛すべきものだと思います。
でもそれで作られたものって盗作だよね? という声が聞こる気がしますが……。
私も趣味で絵を書いたり文章を書いたりするので、同一のもの、あるいはひどく酷似したものが他者から後出しで出されたらぞっとします。
この手のものはトレパクというものに当てはまりますが、時系列の証拠を出せばおよそどちらが権利を侵害しているかが認められるものだと思っています。
ただ、生成AIでの成果物は本当に権利を侵害しているのか、という疑問はあります。
ttps://note.com/compass_0000/n/na536a5d16c7a
上記の記事はとある絵師さんのトレパク疑惑について書かれたものです。
記事の内容を見ても、この勝訴した絵師さんはトレパク冤罪をかけられたものだと思えたのですが、某SNSで検索をかけて驚きました。
敗訴した絵師さんをかばい、勝訴した絵師さんを非難するような方が多く見られたのです。
しかも裁判が起こるだいぶ前にこのトレパク問題はとても話題になり、「トレパク疑惑」というところがすっぽ抜けて「トレパク」とだけ把握する人が多数いたようです。
つまり、かの絵師さんには「トレパク疑惑の絵師」から「トレパクの絵師」というレッテルが貼られてしまったのです。
そんな先入観からか、はたまたもう片方の絵師さんを妄信しているのか、ふたりを殆ど知らない私ですら妥当と思った判決結果に疑問を抱く人が世の中にいます。
証拠がはっきりしているトレパク裁判ですら、すべての人が納得出来ていないのです。
(なんでだろうね)
トレパクではしばしば線の重なりが証拠として出されますが、生成AIでの盗作の証拠とは何なのでしょうか。
私の作品を学習してると思います、という見知らぬ絵師さんの引用投稿を以前見かけたことがあります。
こことこことここがその証拠です、と赤丸をつけていた記憶があります。
決して私も詳しいわけではありませんが、かの絵師さんは生成AIの生成過程をご存じないのでは、と思いました。
1枚の絵が与える影響がそんなに大きいとは思えません。
ノイズを出してから1px単位で要素を除外していく、という過程だけを知っていたらそんな言いがかりはつけないと思います。
今、このような方がどれだけいるか分かりませんが、身を守るのだとしたら敵を知るべきです。
思い込みや無知では戦えません。……と思い込みでこの文章を書いている私が言うのも説得力がありませんが。
絵柄を寄せて作り出した成果物であれば話は別です。
あえて特定の絵柄に寄せ続けた成果物を作ることで、模倣元の著作者が得るはずだった利益を奪い取ったと訴えることが可能と考えます。
が、この場合も似ている絵柄などごまんとある、という反証が出来てしまうのかなとも思います。
「学習したことの証拠」よりは「模倣したことの証拠」のほうが敷居が低そうではありますが、それでも茨の道ではあります。
逆に言えば証拠らしい証拠を出せないのが生成AIなのかもしれません。
裏はブラックボックスなので……。仮に問い合わせて計算データ云々を入手できたとしても数値の羅列でしょうし。
現状では、生成AIの成果物は盗作疑惑が永遠に付きまとう、という認識にしかなりえないと思います。
盗作じゃないって証明でないならいいじゃーんって開き直る人がいそうですが、グレーゾーンって喜んでいいのかなあ……。
「高精度なAIには大量の学習データが不可欠だから、権利問題をクリアしても未来はなさそう」です。
データがたくさんあればAIという技術の発展が見込めるけれど、それには権利の問題が立ちふさがる。
仮にそれが権利者の権利を守る段階に来たらAIの発展は終わる。
でも、現状の生成AIの成果物は権利侵害をしているともしていないとも言い切れないのでは?
そう思っています。
NFTがいい例ですが、著作権を持っていたとしても物理的には何の意味もありません。
権利持っている人以外スクショできる機能なんてスマホにはありませんし。
絵を描いたのならばAI学習疎外ツールを使って自己防衛する時代になっています。
正直、盗作盗作いう人たちの決めつけ発言に辟易しますが、グレーゾーンであることは変わりませんし、この先白か黒かに変わることもないと思います。
そうです、私はAIという技術が気になっているだけあって、生成AI技術=盗作ツールというレッテルが貼られるのが嫌だなあと思ってるだけです。
今現在は否定できる証拠もないので、断言はできないでしょ! としか言えないのですが。
AIがうまーく発展してる未来のフィクションはどうやって高精度で大容量なデータットの獲得と権利問題を解決したのでしょう。
フィクションに聞いてもわかりませんね。
そうそう思い出した。
DXが進んだのはコロナの影響という話を以前聞いたんです。
企業がちまちまやっている業務効率化や働き方改革なんてちっとも効果がなくて、COVID19が一番の功績者だったと。
その部分はただの皮肉でしたが、事実でもあるので、人間って環境が変わるとそれに対応していくんだなあとつくづく感じました。
とはいえ、今回話題にしている生成AIはおよそ画像生成AIのことを指しているので、環境変化によって必要に迫られることはないと思います。
何に使うんだろう。
気にはなってるけど傍観者なもんで……。
なんかこう、心理学に似てるような……一般人は何に使うんだろうってなる……専門家は分かってそう……。
技術の発展って難しいですね。
ペンタブで描いたものよりアナログの絵が賞賛されたように、ハイテクはすごい、という先入観があるのかもしれません。
すごいからずるい、になるんでしょうね。
障害があって絵が描けない人が生成AIで絵を出せるようになったという話を見たとき、そういう人もいるのかと感心しました。
乱数要素も絡むため、著作物であると主張できるかはさておいて、想像したものを出力できるのは楽しいと思います。
……使ったことないですけど。
俺は確かに統合失調症の患者だが、最も不可解なのは、俺の認知能力が下がった時の周囲の人間の振る舞いである。
どういうわけか、俺が狂うと周囲の人間も狂った振る舞いをする。
俺が狂った時は、テレビの中の人とさえ直接の会話が可能となる。
例えば俺が「今日は寒すぎる」といえば、テレビは「そうですね、寒いですね」と返してくるのである。
だが、母親だけは認知能力が低下しないというのはどういうことか。
マトリックスは、真の人間をペアにすることで、その経過を観察し、情報を得ようとしている。
だから、経過観察のために精神病院へ通わせることは理にかなっているのである。
バイアスを外せば、普通の人間は統合失調症の何らかの症状に当てはまるが、当該の人間が本当に統合失調症なのかどうなのかは誰にも証明できない。
しかし、NPCたちの振る舞いは、マトリックスというよりは、涼宮ハルヒの憂鬱で出てくる情報思念体に近い。
姉が日プ女子にめちゃくちゃハマっていたため、途中から横目で追っていたのですが、最終デビューメンの結果だったりを諸々踏まえて思うところがあり、姉にズラズラ見解を話したところ「もうアンタ、LAPONE入りな?」案件になった(?)ので、せっかくここまで言ってくれたしどこかに書き起こしておこうか〜あといずれ絶対忘れるのでネットの海に流しておこうというものです!
(ちなみに1pickはすずちゃんでした、よかったね!おめでとう!)
(これから先は興味がある人だけ見てください!日プ女子最高!ミーアイ最高!の人は見ないほうがいいです自衛をお願いします!)
投票した人の総意がそのまま現れててこれが国民投票だわ!と思いました!(当たり前)
しかーし!良い意味でも悪い意味でも人々の欲(=自分の1pickがデビューすればいい)が現れすぎてしまってて、個人的に全体のバランスとしては謎、ただ確かな不安を感じています!
結局個の戦いではなくグループ全体での戦いにはなるのでその観点からすると、それなりに熱狂してたのにファンクラブ入るのたじろぐのなぜだ?となってしまう不思議が起きるほど、あの子やこの子は好きだけど、グループで好きか?と言われたらムム、、となってしまう、何とも上手く表現できなすぎる感情(LAPONEの人たちは演技とかにはいかないのでおそらくもう音楽で戦っていくのならなおさらチームで戦う必要があるという認識のもと)
この結果を受けて私たち国民プロデューサーはまじでその辺りの1人(一般ピープル)しかなくて、JYPやSKY-HIみたいなプロの目の必要性を感じもした
前にSKY-HIさんが言っていたことでめちゃくちゃ記憶にある言葉が「オーディションはあくまで目指しているものにフィットしているかどうかで判断するので、選ばれなかったからといってその人自身が素晴らしさが否定されたということではない」(あくまで記憶上のものなので必ずしも正確なものではありません悪しからず)なんだけど、つまりいくらボーカル、ラップ、ダンス、立ち振る舞い諸々が素晴らしくても入れない方はいて、その人がそこで作られるグループに入ることがベストではないと判断される場合があるということで、日プと他のサバ番の違いはメンバーが決まった!さて、このグループのコンセプトどうする?が後から決まることだから(まあ全体のバランスを見て決めなくてはいけないことではあるが)、あんなに一生懸命投票した国民プロデューサーがデビューメンバー決まった瞬間「あ〜良かった!」って離れちゃったり(これは某事務所Jr.を推してたオタクがデビューした瞬間担降りするやつに近いものと認識している)、「あれ?なんか思った感じと違う雰囲気や曲出してきたな?」みたいなことが起きがちなんですよね(ついでにいうと、個人的にサバ番はデビューメンバー決まったらなるべく早くすぐに1曲プレデビュー曲出した方がいいと思う、このデビューまでの準備期間で人は忘れる、全てを、それくらい人の興味や関心は脆弱です、人を信じすぎるな運営)
といいつつ、プロとは言え独断性はグループの成功を必ずしも保証するものではないし、そこに頼った時点で終わる可能性もあるのでまじで難しいところです
はい、ここで自分が思ったメンバーにならなかったからこんなこと言うてんのやろ!と思った方!1分合ってて9割9分は間違ってます!
デビューに至らなかった方でこの方がいないことでシンプル損失だと思わせてくれた方がいるのは間違いないので本当に残念だ〜〜〜なぜだ〜〜〜(こちらが1分)でも、これが私たちが投票した結果なのでこれ以上も以下も何もないのだ〜〜〜!(こっちが9割9分)
▼前世がある人たち▼
私が見てきた今までのサバ番で見たことないくらい、前世を持っている人が多いのが今回の日プ女子の特徴かなと思っているのですが、あのね、やっぱり、一般の人は勝てません!
うまくオブラートに包めない+絶対にいい言葉あると思いつつ面倒なのでズバッというと、これはどうしても、ずるい(いや、ずるくない)になってしまうのですよ、
前世で培った諸々の能力や得たファンの人たちの力は本当にアドバンテージでしかないし、それらを獲得するに当たって色んなものを乗り越えてきたはずなのでいかんなく発揮してもらうでしかないのですが、いざ蓋を開けたら思っていたよりもそりゃあ無理だわよ!となってしまった状態になってたのが、うあ〜〜〜そうか〜〜〜って感じですね
今回デビューに入れなかった方で何の後ろ盾(この言葉もあまりよろしくはないことは自覚あるので刺さないで頂けると)も無かった中、最後まで戦い抜いてくれたことには、本当によく頑張ったね!ありがとうね!美味しいもの食べてあったかくして寝てね!としか言いようしかなく、その方達がなんだか違うところで入れなかったのかもしれないと思うと、脳がフリーズしてしまう、(自分に言い聞かせるためにも書いておきますが、それでもこれが私たちが選んだ結果でありそれ以上もそれ以下でもないのですよ)
私が前回の日プS2で最終藤牧を好きになったのは歌声が大きな理由ではありつつ、彼が何でもないただの歌が人より上手い長野県の営業マンからプデュに応募する→アピールする→順位が上がっていく→デビューする!みたいに、どんどん自分の手で掴み取っていく姿を好きになった節は間違いなくあるしそれこそがサバ番の面白さなのでは?
⇔でも前世ある人は既に上手いから成長の振り幅が無くて面白み的なものがあまりないし、話題として触れられにくいハンデがあるにはあるやろ!という反証が来そう(私が思いついたということはきっと誰かが思いついているはず)
では、既デビュー組はサバ番から排除しろ!ということなのか?と聞かれるとそれはかなり難しく、分かりません!
というのも、デビューに際して、大人やゴニョゴニョの意向で自分の意思とは反する形でデビューしたり途中で目指すものが変わってしまうのは芸能界に関わらずあることなので、そうした人たちへの救いやチャンスを奪ってしまう形にはなってしまうのはあまりにも酷なのでそれは違うと思います、誰も誰かのチャンスを奪う権利はないので!
あと、横目だったゆえ全てを事細かく見ていないのですが、この前世のある人たちが経験が浅い人たちに教えてあげることで全体のパフォーマンスの質が上がり、コンセプトバトルの段階で前回のS2より格段にレベルが高い状態に持って行けていた部分も必ずあるのでこの点においても彼女たちを外すことはショーの質の担保としても出来ないのはもし私が運営立場だったらそう思うと思う、しかも前世分の貯金の恩恵=番組に興味がある人の(ある程度の)担保なので、上にこの人たちが参加者です!と稟議(LAPONEにそんなものがあるのかは知らん)の通しやすさ格段に違うだろうなあと、だって「元大手事務所グループ〇〇の△△さんがいます!」って言えるもんな〜〜〜「じゃあ話題になりそうだね」ってNewJeans聴いてK-POPわかった気になってそうなテレビ局のおじさんたちがうなづきそう〜〜〜!(笑)
ただこれだけはハッキリ言わせて頂きますが、「一回デビューさせたなら!最後まで責任持ってちゃんと面倒見ろし!」と思いますね(彼女たちの前世を生み出した人たちに対してです、これは)
人やその取り巻く環境は時の流れと共に変わるものであることはそれなりにまっとうに生きているみなさんご存知の普遍の真理なので、アイドル(というか芸能界で生きる人々すべて)はその人自身を商売道具として差し出しているので、デビューさせる=その人の人生をもらってる、ということをきちんとわかってますか?その変化に合わせてその人を輝かせられることが出来ないですさよなら、なんて、おいおい環境を整えられないのに引き受けるな?お前たちのせいでしかねえ!何がタレントマネジメントだ!やめちまえ!クソが!とすら思ってしまいますね(過激派の自覚あり)
まあ、そもそも前世が生まれないようにしろよ!ってことなんですよね、そんなこと難しいことは分かってるんですけど、、、
※私個人の仕事においてあまりにも無責任な人たちを直近で見すぎていることもあり、ついでに出てしまいました、は〜〜〜い(ぼる塾田辺さん召喚)
とはいえ、今回の日プ女子にたまたま顕著に見えただっただけとも言えるのでこれに限ったことではないのかもしれないのですが、(サバ番マスターではないのでここまでにしておきます)まあなんと非常にとても思うところがございましたということです!
色々書きましたが、サバ番という色んな目に晒される中に飛び込んだ参加者全員はとにかく美味しいものを食べて好きな人たちに囲まれてあったかい布団で眠ってほしいです!
そして、こういう風に色々考えさせてもらえるのはまだ諸々の余地があるということなので、私はこれからもその余地を考え続けたいし勝手に考え続けますね〜と思いました!
まあ個人的にメンタル的にちょっとサバ番はしばらく期間空けたいのと、そんなにぽんぽんやるもんじゃないので上の決定権のあるおじさんたち簡単に飛びつかないでね!と思いました!
さて、ではやろうやろうと思っていた下克上球児の夢小説書きますか!根室くん本命ルートで行きます!翔、おまえは当て馬にさせてもらうぜ!あと椿屋くんを陰で支え続けたのは私なの皆さん知ってましたか?!下剋上球児のみんなのキャラソンは全て私が作詞します!
明日へ、めいっばい!
議論モドキをしようとしているのはお前ひとりだぞ。言っとくけど。
そもそも、この「反証云々」「根拠云々」って、元を辿ればエコーチェンバーで広がるデマとか陰謀論とかのレベルの「主張」について言ったものであって。
デマや陰謀論とひとくくりに言いたいらしいが、例えば「検証されていないが興味深い哲学的アイデア」みたいな微妙なもの(反証不可能なもの)だってあるだろう。
反証不可能だからといって、すべてが無価値かというとそういうわけではない。
「言った言ってない」のレベルを反論とも反証とも考えたことはないよ。
そもそも、この「反証云々」「根拠云々」って、元を辿ればエコーチェンバーで広がるデマとか陰謀論とかのレベルの「主張」について言ったものであって。
君(一行一行引用する人)は、だいたいこっちの言ってないことを勝手に読み取ってるから、「そんなこと言ってないよ」と返してるだけで。
そういう次元にすら達してない。
なんどもいうが、ネットで科学や学問について語る必要性などない。
はっきりいえば、お前の言っていることのおかしな点を見つけて暇つぶしをしているだけだ。
全く関係のない話を比喩で説明した気になって楽しいか?これについては「お前の中ではそうなんだろう」としか言えないな。それこそ反証不可能だろ。
君が万に一つ億に一つアインシュタインのような常人を越える天才で、心理が見えていても、それを普遍的な言葉にできないのなら取り扱いようもない。
俺が知ってる「普遍性」ってのは、物理法則とか数理構造とか、そういう言葉を操るだけでは変えられない客観的存在のことだ。
その意味で、心理学者でさえ心理の普遍性など説明できないだろう。なぜなら物理法則ほどの普遍性が心理にあるかは不明だからだ。
しかし心理学者は、それを取り扱う方法を模索しているし、例えば表情から感情を読み取ったり、発言から性格を予測する程度なら、普遍的ではないにしろ、可能だろう。
インフルエンザが流行っている。今流行ってるやつは、高熱のあと咳が長引く、というものだ。
で、思ってしまった。これってコロナなんじゃね?コロナにインフルって名前つけてるだけなんじゃね?
インフルってことにすれば、パニックは起きないし保証も対策も(コロナほどには)しなくていい。結局罹ってしまえば家で寝てるしかない、っていうのはコロナもインフルも同じ。治療的にもタミフル出すかどうかくらいしか違いはない。
ワクチンで使いまくってしまった保険料や税金の穴埋めをするためとか、第何波で自粛要請するのしないのというゴタゴタを起こさないために、なんとかコロナって言う単語を使わずにするための陰謀なんではないか、って思ってしまった。
でもこれってもう陰謀論そのものだから、誰かに否定してほしい。陰謀論者なんつーめんどくさいものになりたくはないのだ。だからすまんがだれか今流行りのインフルはコロナと明確に違うんだっていう科学的な根拠を見せてもらえないだろうか。反論しないから。